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【 終着点から 人生を 見つめ直してみよう 】



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小豆島霊場 81番札所
【 恵門ノ不動】には杉や 桧が
天まで突き抜けているのかと思うほど
大きく成長している。

何百年も 前の先代が 植えたのだろうが
大人で ふた抱えしても 足りない様なのもある。

80番 札所 【子安観音】の 本堂再建で
それらを使うように期待していたが
枝打ちの 一度もしないで伸ばし放題だ。

材木を 牛で引きだすなら ともかくも
新しい道路をうけて運び出すとなると
『 買った方が 安い』という 結論がでた。

高野山の 本山には 5つの 【部】があるが
そのなかの1つに 山林部が ある。

年次計画で 植林 伐採をし、その収益は
莫大なる 本山の予算の1部に 当てられる。

奥の院の 杉木立を見ただけで
如何に 周到に手入れされているかが分かるが

恵門ノ不動の 周りの 伸び放題の木立では
いざ 鎌倉のときには 何の役にもたたないのだ。

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ある知人が ご自分の米寿祝に こう言われた。

『お花を 栽培する人は 1年単位の計画で 種を蒔く。
花が 満開になるときを最高時と 定め
それを 目標に 温度や日光を 調節して 育てる。

林業は 10年 ~ 30年単位で 植樹する。
高野山の 杉も 20年先の 木の高さや
幹の太さを 予測して 木を育てる。


わたしが 定年退職した 28年前には
死について自分なりに プランを立てた。

平均年齢を 80歳と設定して
それまでの 20年間を 第一線で働いていたときに
出来なかった事を 1つ1つ 成し遂げたい。

勉強も あれば 趣味もある。
成し遂げたらよし、遂げられなくても それでよしと
ダラダラ 日を送っていると あっというまに
平均年齢の 20年間 経ってしまった。

ところが 平均年齢の 80歳を過ぎた 途端、
向こうを 向いていた【 死 】が 怒濤とともに
向こうから こちらに 押し寄せて来ているのだ。

終着点である【 死 】が 日を負うごとに
鮮明に そして大きく大きく 目の前に迫ってくる。

1年より 1ヶ月 1ヶ月よりも 今日 1日と
死の影は 迫ってくるのだ。

もう 怠惰な 毎日を送っている時間も 余裕もない。

【死】が 終着点に 到達した時に
『ああ しまった しくじった』
『あれも しとけば良かった、これも…』

地団駄を 踏んでも どうしようもない。

いつ お迎えがきても
悔いのない 毎日を 送ろうと思っています』

喜寿を 迎えられた 方だけの 話ではない。

何才であろうが 自分の 目標をたて
ウンと 目をつむった時に
身も 心も 大往生をしなければ ならない。
合掌



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【和顔愛語 、目を剥き 邁進するだけが 偉いのではない】







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時々 知り合いの親方の 相撲部屋にお邪魔する。

土俵の前に
【小豆島霊場 第81番 恵門ノ不動】
の 大札を祭祀し
土俵のうえでは 多勢の 力士たちが
血の出るような 練習に 励んでいる。

見ている 私どもが 押しつぶされそうな
圧迫感を 感じる。

鬼の形相とは このことなんだろうね。

しかしだ。
激しい 稽古が終わり
わたしたち客に チャンコを出す だんになると
愛くるしい 普通の 青年の笑顔に戻る。

まだ 童顔が 抜け切らない力士も いる。

それも そうだね。

図体は わたしの 何倍もある程 大きいが
年齢は 子供か孫のような としなのだ。

親方に お聞きすると
土俵上で 申し合いをするよりも
【テッポウ】と【またわり】を 中心に
励む方が 大切なのだって。

【テッポウ】が そもそも 相撲の基礎で
【またわり】受け身の 出来ない 力士は
身を 守ることが出来ず 大怪我をする。




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わたしたちが
しあわせな日暮らしを 送るに あたり、
この 【受け身】が 何よりも大切なのだ。

絶対に 避けることのできない 生老病死、
歳をとり、病気になって 死んでいく。

会うは 別れのはじめ。
会いたくない人とも 顔を 合わさなければならぬ。

お金、ガールフレンド、名誉、地位、健康…
手に入れたいものも いっぱいある。

しかし それらが 手に入らない苦しみ。

力士が 土俵上で 血反吐をは来ながら
相撲を取っ手いるのと同じように

わたしたちも 必死で ガチンコで頑張っている。

しかし 猛進、
ただ 突っ張って居るだけでは駄目で
受け身を 十分にやって おかなければならない。

この 基本練習が 【心】と 【身体】を
磨いてくれる。

鋼のような 身体に 心は 柔和な 仏のような
やわらかな ものを もつ。

【この 光明にあうものは 3つの 垢が
消失して 真意 柔軟である】

三毒の ことだね。
貪瞋痴 むさぼりの こころ、いかりの こころ、
道理にくらく 愚かな こころの 事だ。

柔らかな心が 柔軟な顔 ( 和願 )
柔らかな言葉 ( 愛語 ) を 作り出すのでは
ないだろうか。

【柔和 忍辱を 衣と する】
合掌






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【わたしたちは 菩提心を起こし 悟りの境地に はいります】

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【小豆島霊場 第81番札所 恵門ノ不動】に
大勢の人が 集まった。

みんな 悲壮な顔をしている。

それもその筈 ご夫人が 意識不明におちいり
今夜が 山だと 言うことだ。

『みんなで 千願心経を お唱えしましょう』

大病の人、これから 出兵する人、
人生を左右するような 大きな出来事に
多勢の 人の心を 1つにして
良い方向に進むように お願いをするのだ。

千願心経とは、1000巻の心経を
全員で 読むのだ。

1人で 読めば 1000巻。
10人で 読めば 100巻。
100人で 読めば 10巻。

急ぎ 駆けつけてきた場合は 20人ぐらいが
約 2時間ぐらいの お願いが 多い。

『折角 駆けつけて来られたのだから
声が渇れるくらい大きな声で 唱えて
お不動さんに 真心を受け取って貰いましょう』

「私は 彼女が 倒れたから
回復して欲しい 1念できたので
信仰したことも 教を唱えた事もありません」

『教を 唱えられなくても 良いのです。
治って欲しい、快復してほしいと
手を合わせる真心が 肝心なのです』

教のはじめに【発菩提心】を 唱える。

菩提心を 起こすと いう意味で
はじめて 信心の心が 芽生えることだ。

【般若理趣経】の 9段目に
発菩提心 即為於諸如来 とある。

⚫︎オンボウジシッタ ボダハヤヤミ
わたしは 菩提心を起こし
悟りの 境地に はいります

⚫︎オン サンマヤ サトバン
わたしは 完全に 悟りの境地に
入ってしまいました

懸命になって 本尊 不動明王に
手を合わそうとする 心が 起こったとき
仏は 誰かれの 差別なく 平等に
直ちに 救いの御手を 差し伸べてくれる。

なんと しかし
みんなの 心が通じたというか
お陰を 頂いたと いうか

全員が 一心不乱に お護摩の前で
手を合わせて 声のかれるまで
般若心経を 唱和していた 時刻、

夫人も 般若心経を唱えながら
意識が 戻ったのだ。

『お花畑が 見えましたか?』

『三途の川を みましたか?』

に、問いに

『それは 分からなかったが
みんなが 必死になって 心経を唱えていたのは
分かった。

お不動明王の ご利益と
友人の 菩提心に よって 助けて貰いました』
と、うれし涙を 流したそうだ。

そして
『これを機に 菩提心を 起こし
救われた お不動さんに心から 手をあわせます』
とも 。

皆さんも 菩提心を 起こし
オンボウジシッタ ボダハヤヤミ
と、唱えて みれば ?
合掌

【真剣に 本気で頼ってごらん。きっと 助けてくれるよ】

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【小豆島霊場 第81番 恵門ノ不動】に参ると
余りにも古く 消えかかっている【縁起】に

大同 4年に 空海が 参拝したと 書かれてある。

遣唐使の 1人として 入唐していた 空海が
その年に 即位した 嵯峨天皇によって
待機していた 九州の寺から
京都に召喚された道すがら 小豆島にも
立ち寄られたのだろういうことだ。

【恵門ノ不動 縁起】に 書かれている。

《右の手と 左の手を 掌に合わせて
南無大師遍照金剛と 唱えた人のところには
この 1つの身体を 何千 何万に分けてでも
飛んで行って 助けてあげるよ》

空海は 天皇の待つ 京都に 登らねばならない。
衣の袖を 引っ張って 涙にくれる
善男子善女人に 後髪を引かれる思いで
いったのだ。

『恵門ノ不動 36峯 見渡すと なんと
播磨の 海が 一望でき
はっきりと 鳥取の 大山が みえる。

わたしの 心は
海よりも深く 空よりも高く 虚空よりも広い。

空海が 文字にも 残している。

【日 出でて先に 明らかに
月 来たりて 晩くいる
天限にに仮らずして 万里は 目前なり
何ぞもとめて こくに乗らん
白雲は 足下なり】

朝日が登ると まず 明るくなり
夜は 月が登る 最後の最後まで 明るい。

神通力に よるものでなくても
この 高野山から 日本の 隅々まで
見渡すことが できるよ。

白鳥にのって わざわざ 行かなくても
大丈夫だよ。

実際 空海が 仰せのとおりだ。

若き日に 高野山で 修行に明け暮れていた頃、
余りにも 寂しくて 行場をこっそり抜ける。

八葉の蓮華の如く ある 密厳国土にて
四方八方 杉山に 囲まれている。

そんな 杉と 杉との 間から
眼下に 町並みが見下ろせる 場所がある。

『あの 町なみは 何処だろう ?
あの 遠くえる 山々の向こうには
瀬戸の海があり 懐かしの小豆島は
この 方角に あるのだろう…』

眼下に 雲海が たちこめ
その 間から 遥かとおくの 山や 町並みが
手に取るように 見えるのだ。

そして 空海は 見下ろして いう。

『南無大師遍照金剛と
真剣に 唱えるものの所には
すっ飛んでいって 助けてあげるよ』と。

空海は 高野山を 入定留身の 地として
そこを 密教の 根本道場と したかったんだね。

みんなも 真剣に 両手を 掌に合わせてごらん。
きっと 飛んできて 助けてくれるよ。
合掌

【継続は 力なり】

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【小豆島霊場 81番 恵門ノ不動】には
お正月に 続いて 参拝者が絶えない。

住職の悩みの種は お手伝いの お坊さんだ。
お正月だと 自寺が 特に忙しく
他寺への お手伝いどころでは ないのだ。

そんな中、
正月がくると 何十年もの長きにわたって
応援に駆けつけてくれる お坊さんがいる。

住職の おじさんだ。

彼が お経の大家だということは
真言宗では 知らない人は いないだろうし
本山の 仁和寺においても 重鎮だ。

そんな 忙しい中を 事あるごとに指導に来てくれ
先日の 子安観音 本堂 地鎮祭も
彼が 伝授し、彼が 全てを取り締まった。

1日や 2日。
1年や 2年 できても
やり続け やり通すという事は 至難のわざだ。

みなさん、今年の お年始も 続けて いった ?

昨日も【長続きは 成功のもと】と 書いたが
それが 生きていくうえでの 【信用】に
つながるのだ。

釈迦の 説法が ある。

今を去ること 2500年。
釈迦の時代に インドにコーサラという国があった。

そこに チッタドーサー、マンダドーサーという
兄弟の 宝飾品 細工師をしている
兄弟が いた。

今の エジプトなどをみれば 名残が残っているが
その当時は 全てが 世襲制で
細工師として 生まれれば 死ぬまで細工師で
それを 後世のものに 託すのだ。

兄の チッタドーサーは 頭も良く 手先も器用だった。
弟の 方は 不器用で 物覚えが 悪かった。

そんな時、父親は このように弟を 励ました。
『怠らず 毎日、コツコツと努力することだ。
頭で 覚える事ではない。
身体で 指先で 覚えるのだ』と。

ある時、兄のチッタドーサーは
父親と 袂を分かつて 無理やりに 独立する。

弟の マンダドーサーは 牛のよだれのように
陽がのぼって 日没まで
不器用な手で 宝飾品の細工を し続けた。

そんな時、細工工場の前に 1人の乞食がたった。

『あっ お兄さんでは ありませんか』

兄は 景気良く商売繁盛していたが
湯水のように 流れ込んでくる 金を
全て 使い込んでしまい 店をたたんだのだ。

『気を 落とすことは ありません。
ここで 私と一緒に やりましょう』

弟の 言葉に 兄は 更に 方を落とした。

『駄目だ。基礎が 出来ていないから
すっかり忘れてしまった』

『それならば 1から基礎を やり直せば
いいでは ありませんか』

そこで 釈迦の 説法は 終わった。

簡単に 手に入った物は 簡単に
手から 擦り抜けていくことは おおい。

この兄の 湯水の如く 入ってきた金のように。

しかし、途中で 投げ出さないで
コツコツと 基本から 習得したのもは
どんな事が あっても 消えるものは ない。

お金は 勿論、身についた技術でも悟りでも。

住職の おじさんは 正月には 必ず
応援に駆けつけてくれる という
その 心が

お経の 大家にもなり 本山で認められる
大僧正と なったのだ。

《継続は 力なり》

この言葉を 忘れないようにして
あれも やめた
これも 棒をおったと
言い訳を 言わないように 頑張ろうね。
合掌
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子安観音寺

Author:子安観音寺
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