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大相撲 日本人大関、誕生

今年 一年 、なにかと問題が多く

存亡の機に立たされていた大相撲も二場所 続けて

新大関が誕生し しかも2人とも日本人という事で、

少し光明がさしてきたようだ。

【新大関 誕生】という事で メディアも異常なほど熱い。

大関の出生から、幼少期、青年期、相撲界入門、

現在に至るまでの苦労話と、ご本人の

一代記まで放映される。

その中で ジジの目に入り、いまだに離れない光景が一つある。

(ジジも 全く知らなかったのだが )

慈しみ育ててくれた 親方がお亡くなりになったようだ。

大関は テレビカメラも人目もはばからず、泣いた。

亡くなった親方には悪いが、素晴らしい光景だった。

大関の今までの苦労話や、

大関をつかんだ話よりも、ジジの目に、

心の中で光った。

( 親方も 素晴らしい人だったのだろう)

(どの力士からも 親方として、父親として、慕われて居たのだろう)

懇ろに 葬送荼毘の儀式を終えた後、年忌には部屋全員で ご供養して貰えるだろう。

そして、力士 一人一人が精進努力して 益々、部屋を盛り立て大きくするだけでなく

大相撲そのものを発展させてくれるだろう。大関の涙は、ジジにはそのように映った。

また、2~3日前に書いた 有名落語家の事が思い出される。

【葬式はいらない。お経もいらない。骨は海になげてくれ】

【お別れ会】という言葉を聞く。

魂(心)も生命も、肉体も【おわかれ】するのだから、

ご本人は何もかも消えてなくなっている。

7年目に 13年目に『また 会って一緒にうたいましょう』と、

言うのも 妙な話である。

そんな事より、頼れるひと【親方】がいて、

頼りきれていた新大関はしあわせものだと思う。


そして、その頼れる親父というのは 実は【お観音様】なのである。
合掌
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住職 西安大興善寺より 帰国

住職が帰ってきた。

かなりのハードスケジュールだったらしく

大変 疲れていた。

晉山式は 兎に角、

日本のお祭りのような空前の人出で

芋を洗うようだったとか。

住職は 洛陽の【白馬寺】の

印楽管長猊下や洛陽宗教局長等と行動を共にして居たが

やがて、印楽管長は上の上席に

鎮座なされませ 格の違いをまざまざと見せられたようだ。

住職も【小豆島大観音 法主】と書かれた【 外国人席】に着座したが 落ち着いて周りを

見回すと、高僧ばかりで 日本ではとてもではないが お出会い出来ないような方ばかり。

[思わず、身の引きしまる思いがした]とは住職の弁。

それにしても この法要が唯のお祭りで終わったのでなく、

参拝の一人一人が 心から

寛旭管長の門出を祝い、寺門繁栄を願った。

素晴らしい出来事である。

寛旭管長が青龍寺第42世 であり、

お大師さま(第8世)がその地から真言密教を持ち帰り

伝来した 所謂 日本真言密教の 【大本山住職】として

お祝いに駆けつけるのではなく

管長猊下のお人柄、お徳の高さに魅せられて喜んで進んで参上しているのだ。

人と人とのつながり。

お互いが信頼しあい、尊敬しあい、なんの損得も考えないで

手ばなしで応援し、協力し、喜びを分かち合う。

世の中に、そんな人が、一体 何人居るだろうか?

偉大な 寛旭管長が羨ましい。

( 人を羨やむのが 僧侶として、

人間として もっとも醜い姿である)。

そんな中で

住職は管長猊下と信頼を分かちあえた。
合掌

色即是空

お素麺を製造、販売している社長が来られた。

大観音 建立にあっては

率先してジジと一緒に勧進に回ってくれたり

長きに渡り、申してももうし尽くされないご恩がある。

その社長も来年、還暦を迎える。

『子安観音寺に来るまでに大観音に寄ってきたよ。

晩秋の小豆島の最盛期で大観音も

大勢のお参りでごった返して居た。

若い頃は 人前で手を合わせる事に テレも有って

心の中だけで手を合わせて居たが、

還暦を迎え 素直に手を合わせることが出来た。

自分一人だけで 思ったことだが、

何か お観音さんが笑って居たようだった』と、申す。

大観音 開山当初、ある方がこう言われて居たのをおもいだした。

『世の中は 本当に《空 》である。

私の心が晴れて居たら お観音様は笑ってらっしゃるし、

曇っていたら、お観音様は悲しいお顔をなさっている。

本当に泣いていらっしゃる。』

《色即是空》

【空 】 私たちの眼には見えないが 仏様の生命( いのち 】が生き続けていること。

【色 】私たちの眼に見える この世の種々の相 ( すがた )を言う。

【色空 もとより 不二なり。事理もとより このかた同なり 】

色即是空は現世と仏様の世界とは

全く同一であり、同一にならなければならない。

この世こそ 本来、尊き仏の世界であり、

その物事、活動は そのまま仏様の生命(いのち)の

現象であると観ている。

【生まれたり、滅びたり】する世の中の動き。

【汚れたり、美しくなったり】する

人生模様の奥に 眼には見えないが、

苦厄を救おうとする 仏の大生命が働いている。

はて? ジジが 大観音にお参りすると、

ご本尊はいつも 微笑んでくれて居ると思うのだが。

天然ボケかな?
合掌

全ては仏縁である

昨日は寛旭管長の晉山式で

小豆島大観音の代表で住職が お祝に駆けつけた。

住職からの 話では 僧侶だけでも1000人以上。

要人、著名人、外国 国内招待者、信者、

報道、大衆と 空前絶後、西安中をひっくり返した等な

お祭りであったそうな。

10年前にちょっとしたご縁で知り合い、

つき合っているうちに 切っても切れない

深い仲になった。

住職は『ウチの兄弟姉妹が、お祝いして貰っているようで嬉しい』と、

我が事のように喜んでいるのを見て、ジジも嬉しかった。

元々、【青龍寺 】の管長で

そのご縁で猊下と知り合い、

この度は【大興善寺】の管長を

兼務するという 普通では考えられないような

栄誉が 与えられたのだ。

猊下の並々ならぬ

ご努力と 仏様の縁によって

この度の【晉山式】を お迎えになったのだ。

インターネットでみれば 一目瞭然なのですが、

チョット 二つの寺に触れます。

【 青龍寺 】真言密教の大寺にて

今を去ること1200年前、弘法大師 空海が

万里の波濤を越えて入唐し

第7世 惠果阿闍梨より

第8世 阿闍梨として(その当時の青龍寺は

大寺にて1000人を越す僧侶がいた中で、

第8世は日本の空海に与えた)勧請を受け、

日本に持ち帰り、高野山を一大拠点として

真言密教を広めたのである。

話は違うが 管長猊下に

『猊下は 何代目ですか?』と聞きますと

『42代』だそうだ。

【大興善寺】は 西遊記で誰もが知っている

三蔵法師が孫悟空等を連れ

これも難行苦行の末、

大切な経本をインドから西安まで持ち帰られたお話の大寺で有ります。

三蔵法師は長年かけて大興善寺に篭り

【大般若経経 600巻】を翻訳なさった。

三国伝来と言ってインドから中国、朝鮮を出て、日本に伝来した。

私たちが今、拝んでいる【般若心経】も、そのエキスを凝縮したものである。

寛旭管長も大変喜んでくれたが、

西安に行って、一昨日は 洛陽の【白馬寺】印楽管長猊下、

昨日は 王 元宗教局長との食事会を持って頂く事ができ

感激しながらの電話が有った。

白馬寺は中国最大の寺で有り、

管長猊下 ご昇進のお祝には住職が行った。

王 局長は

【青龍寺】と【小豆島大観音】が日本で唯一、

《 姉妹寺院》として認定され、締結された

時の局長で

( 中国は 管長猊下よりも 宗教局長の方が権限を持っているらしい)

今は宗教局を卒業し政府の最高の要人となられて居るが

ジジは『局長、局長』と、

失礼を顧みず、ぞう呼ばせて頂いて居る。

これも仏縁にて、もう10年来の付き合いだ。

《閑話休題》

大観音に開山当初から一年に一度、

夏季大学を行っている。

講師はいつも 二本立てで

一人は お坊さん、一人は 誰もがご存知な署名人にお願いしている。

かなりな数の 有名人、

僧侶とお知り合いになったが、

兄弟の様に接して頂いている方と、

夏季大学、その時だけの

ご縁で、その後は全く 疎遠になってしまって居る方、

千差万別である。

同じように接し、

同じ場所で同じ時間のお付き合いなのに。

これが《 仏縁 》なのですね。

なんにしても、住職は 弘法大師のお 導きにて 素晴らしい 仏縁を頂きました。
合掌

生者不生生 滅者不滅滅

昨日、わたしが枕経に行った

90歳 【翁】の葬式に 今日もジジが代行した。

住職は 青龍寺、寛旭管長が大興善寺の 管長を兼務され

本日、大安吉日をもって盛大な晉山式が挙行され、

中国西安市の地に居る。

今回は何人 法要に出席されたかは

全く存ぜぬが

先年、白馬寺の管長猊下の昇進祝いには

僧侶だけで何千人と駆けつけたらしい。

その御代理と、言うことでジジが葬儀に駆けつけたのだ。

翁は丁度、私の住職の時の檀家

筆頭総代で仏縁も有り、

また公私にわたって 大変 世話になった方である。

無事 葬儀も終り

愈々、葬送荼毘の為 斎場に向かおうとした時、

私たちは【 ふぎ 】と申して居る お手伝いのお坊さんが

『おじさんは 喜んで居るだろうな 』ポツンと言った。

『エッ ?』『本来だと住職が引導を渡し、老僧は 一般の席でお見送りをしなければ

ならない。おじさんにしたら、住職よりも老僧に拝んで貰いたかった筈です。それが

切っても切れない仏縁によって 老僧が拝んだ。おじさんは満足して大往生なさった』

成る程、そうであろう。おじさんは喜んで召されたに違いない。

私たち人間は 永遠に不滅にて

【生れること 】もなければ

【死ぬこと】もない。

肉体という【殻】を着せてもらって

此岸の世界に住まわせて貰った。

やがて、蝉の脱皮のように

殻を破って次の世界に旅立つ。

【 死 】とは そういうものである。

また葬式とは見栄や体裁で行うものでなく

次の世で 幸せな日暮らしが できるように

引導をわたし、戒名を付け、剃髪をし、

衣裳を整えて死出の旅立ちをするのである。

これからは、仏様や如来さまと一緒に住むのですから。

これとは別に

21日に死去なさった 有名な落語家が

【 葬式はしないでくれ】

【 お経はいらない】

【 骨は 海にまいてくれ】と

家族に言い残されたと言う

記事が 新聞の社会欄に

掲載された。
合掌

強き信頼と 薄き縁

檀家の長老がお亡くなりになって 枕経に行った。

大好きな 刺身と燗酒で 朝食を済ませ

『 あ~美味しかった』を末期の言葉として

兜率の天に召されたそうだ。

【御歳、90歳。素晴らしい 、いや、羨ましい一生だ。】

高松で家業をついで居られる

長男が帰って居て

『苦しまないで 眠るような最後でした』

と、申された。

生前の数々の業績を回顧していると

『親父は 素晴らしい生涯を送ったが

わたしが 肝臓を痛め大変だったのですよ』

と、長男の声。

『エッ どうなさいました? 』

ジジの声も虚ろ。

『医者に宣告をされましたが

献身的な治療と、お不動さんに助けられ

今、影も形も消えてないんですよ』

『それは 良かった。

お大師さまも医神 両方にすがれと、

言われて居ますからね。

で…どちらのお寺さんで? 』

『高松に出て行って、何かにつけて

世話になって居るお坊さんが居ます。

月に一度はその寺で 肝臓病平癒の

護摩を焚いてもらっています。』

長男の言葉に これを読んでいる皆さんに

ジジの焦った声が聴こえたであろうか?

『 あなたの旦那寺にも

おかげを頂きに参拝される札所が、一杯ありますのに…』

まさしく 負け犬の遠吠えであった。

『いやいや、拝んで貰っているお坊さんは

わたしが心から信頼し

尊敬申し上げている方です。

家からも近いし、都合も良いんです』

ピシャリと結んだ。

そりゃ~そうだ。

旦那寺だの札所だの申しても

お互いの電波が繋がらなかったら どうにもならない。

《 縁なき 衆生は 度( ど ) しがたし》だ。

最後に 長男の声が聞こえた。

『そういや~ お互いに 老けましたな。

もう 10年以上、

会ってないですものね 』

合掌

南無大師遍照金剛

ジジの孫を抱く ビパッシー僧正

小豆島大観音の大法要に

スリランカ駐在大使をお連れした

僧正が今日、お帰りになった。


111123写真


心から信頼しあい、疑うことなく、隠すことなく、奢ることなく、家族兄弟と思いながら

30有余年の付き合いと言えども、

【三密の行】身口意の足った素晴らしいお坊さんだ。

帰る間際に、お遍路さんが脱ぎ散らして本堂に上がり、

散らかって居た履物を何事もなかった

ように綺麗に揃えて 立ち去った。

『直ぐに 履けるようにネ』彼の日本語は流暢だ。

【嫁取り、婿取りに行く時は、玄関から入らずに 裏口から入れ】

幼少の時からとくと気かされた言葉だ。

玄関は 《一家の顔》と、いう事で 皆さんが

気を付けて整然として居る。

( そこが乱雑だったら、論外だが)。

ところが、裏口となると、

案外 みんなが心を許すところで

履物が乱雑に脱ぎ散らされて居るのをみる。

先人が【裏口をみよ】と、

申されたのはその様な 経緯が有るのだ。

と、言って 余りにも理路整然としたお部屋に通されたら、返って 肩が凝る。

信者さんのお宅にお邪魔するが、小豆島からジジが来ると言うので、

お部屋の掃除も大変だ。

綺麗なお部屋に身も心も清々しく喜んで通してもらう。

ところが、そのお家は

博物館か美術館に行ったようで、全く生活感がないのだ。

高級調度品が所狭しと並んでいる。

ゴミの捨て場所も無いのですからね。

両極端を書きましたが

昨日、お大師さまに【中道を進みなさい】と、お教えを頂いて居る。

その中で 肩を張らず、胸を張らず、

互いが思いやりの心を持ち、

潤いのある家庭生活をおくる。

これが私たちの望んでいる幸せではないだろうか?

ビパッシー僧正がお帰りになって

ジジの心にもポッカリと大きな穴が空いたようだ。
合掌

いつも 【 中道 】 を進もう

嵯峨天皇より

816年 ( 弘仁7年 7月8日 ) に

高野山が下賜されてから

もう1200年になる。

あと 4年するとお山をあげて、

いや日本をあげて

1200年、開創法要が厳修される。

世界遺産にも登録され、

真言宗の総本山である高野山も

1200年の歴史の変遷を辿れば

未曾有の地位転変、続く戦乱と

幾度も 荒廃の危機に陥ったようだ。

なんとかお大師さまが

ご入定あそばされてから僅か100年少々で、

落雷によって全山喪失し、廃虚になった。

東大寺ご復興勧進にご尽力さなった

【西行】は《 保元の乱》を切り抜け

焼失した大塔、金堂、御影堂等、堂宇を再建した。

辞世の歌で【 惜しむとて 惜しまれぬべき この世かな

身を捨ててそそ 身をも助けめ)】とある。

限りある命を、どうにかして生かしきりたい。

遷化する最期の最期までそう お思いでした。

平安時代から鎌倉に移る時代には

南朝、北朝で私たちは勉強したが、

寺からしてみれば

【持明院派】と【大覚寺派】とに

わかれて前者には足利尊氏が、

後者には 後醍醐天皇が

御旗を挙げたが 高野山はどちらにも付かなかった。

終戦後、莫大なるご寄進を頂く。

更に豊臣秀吉の頃には、

高野山の興隆に切っても切れない人に【木食上人】がいる。

信長、秀吉によって、比叡山も根来寺も焼き尽くされたが、

高野山だけは戦火を逃れた。

その後、秀吉のご不況をかって秀次が

高野山に逃れ 金剛峰寺 柳の間 (?)にて切腹する。

そんな中、秀吉からも徳川家康からもご寄進を頂く。

その全ての権力者が高野山に

( その時の寺は 僧兵と言う兵隊を大勢 抱えていた)

協力の要請をしたが 高野山はどの時代にも どちらにも付かなかったのだ。

戦乱が終ってその行為を評価されて

寺領を頂いたり、堂宇を建立して貰ったり、莫大なるご寄進を頂いたりした。

『人間、出過ぎたら駄目ですよ。引っ込み思案も駄目ですよ。いつの時も《 中道 》を

進みましょう。』

お大師はお経の中でこう 仰られている。

そしてお大師さまは年の真ん中、

日の真ん中である 6月15日にお生まれになった。

そしてジジは一日、遠慮して6月16日に生まれた。

あ 関係ないか。
合掌


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無駄な時間を過ごすのも 物を粗末にするのも 【 殺生 】

昨日は小豆島大観音の秋季の法要があり、

今日は 一泊なさった信者さんのお参りがある。

今日は少し、寒いが昨日は取っておきたいような、

素晴らしい秋晴れだった。

寺でも大勢のお参りがあったり、

駅などで時々みられるが お手洗いをみると、無造作に

トイレットペーパーが30センチぐらい、

だらしなく 垂れ下がっているのをみる。

その度に、今まで楽しかった気持ちが思わず吹き飛んでしまう。

特に私たちの幼少期等は、

新聞紙で しかもそれを四つに折って 大切に使っていた。

お経の懺悔の中で【十善戒】という戒めの言葉がある。

それも おいおい勉強したら為になり、面白いが

十善戒の第一に【不殺生】と言うのがある。

お酒を飲んだら駄目ですよ。

泥棒をしたらだめですよと、

戒めの言葉が十戒ある中で、

まずは最初に戒められるのは

《汝、殺すべからず》である。

文字の通り、殺生をしてはいけない。

昨今は日本の僧侶の殆どが肉魚を頂くが、

外国の僧侶は精進料理にて絶対に口にしない。

【不殺生】の戒律を実践しているのだ。

【不殺生】は生き物を殺すだけでなく、

時間を無駄にしたらだめですよ。

物を粗末にしたら駄目ですよと戒められて居る。

だらしなく長く伸ばされたトイレットペーパーをみて

不快感を感ずるのはジジだけだろうか?


ご本人は だらしの無い性格である。

整理整頓も出来ず 当然お金にもルーズである。

後で使用する人の事は考えない。

自己中心性を持った人である。

お観音さまの智慧は

《人に迷惑をかけない》と言うのが大前提であった。

お観音様の足元にも及ばないですね。

せめて、トイレットペーパーは後で使用する人の為にも、

三角におってあげる心を

持たなくてはならない。
合掌

みんなが 一丸となって

晩秋の秋晴れの今日、

小豆島大観音において

秋季法要が厳修された。

大観音の本堂して

法要 ( 理趣三昧 )を修し、

111120-2写真


その後、下のお祭り広場に祭壇を移し

盛大に、かつ厳粛に挙行された。

先日来よりの天気予報は

土曜日、日曜日は【大雨】と

いう事で覚悟をして居たのだが、

私の精進が良かったのか(笑)

皆さんの日頃の行いが

良かったのか

青天白日の中、粛々と法要は進んでいった。

昨日からビパッシー僧正のことは紹介しているが、

今朝は早くから スリランカ駐在大使

ご夫妻に花を添えていた。

大観音建立以前から

念願だった修行も勉強も熟知した

【僧侶】【行者】も相揃い、

約50名の【高野山金剛講 】の

皆さんのご詠歌の熱唱奉詠、

(ジジが勉強して居る)占いの【鑑定大先生】が

5名で占い鑑定をしていただき、

献灯、献花、献茶の、お供もあり、大勢の檀信徒でごったがえした。


111120-1写真



何より有難かったのは

会長を中心とする小豆島大観音 奉賛会、

子安観音の檀家の皆さんのご奉仕であった。

見えないところで準備、進行、後始末と日陰の仕事ばかりして下さった。

参拝者から

『奉賛会の皆様、檀家の皆さん、よくしてくれますね。

うちの寺には檀家の皆さん、こんなにはしてくれませんよ』

と、褒められ、嬉しかったのと共に

感謝の気持ちで ただただ頭が下がった。

檜舞台を踏む人と、

縁の下の力持ちとの 強い連帯感。

これが 今日の法要を

大成功に導いたものと思う。

不平不満で手伝う人が一人でもいたら、

このようなお祭は


出来なかったであろう。
合掌

ビパッシー 僧正

明日の小豆島大観音、

秋季法要にスリランカ駐在大使と共に

出席なさるため、

前乗りして来られた。

ビパッシー僧正、

お名前も写真も紹介して良いとのご好意のもとに

ここに掲載させて頂いた。


111119写真


今、彼は寺の厨房に入って、

お国自慢のカレーライスを作っている。

彼はビパッシー財団法人を作り、

スリランカでは貧しい子供達の為にボランティアにて

大きな幼稚園を開いたり、

日本~スリランカの友好協会のリーダーとして活躍なさっている。

スリランカにお参りをしたら、

彼の偉大さ、素晴らしさを実感することが出来るが

本人は自分のことを偉いとも何とも思っていない。

昭和55年に真言宗の総本山、

高野山にて 私の兄弟子の紹介で知り合った。

前述したように

ビパッシー財団にてご活躍をして居るので

日本 半分、スリランカ 半分のご生活だ。

昨年 お礼参りにて住職共々、

約30名ぐらい、スリランカにお参りし柴燈大護摩を

焚かせて頂いた時も、

突然、官邸にて 大統領閣下にお目通りさせて頂き、

参拝者全員が

感涙に咽んだことがある。

口では仰らないが、

私たちの 心を捉え ポイントはちゃんと

押えておくれる。

反対に、【~してください】【~やってください】が多い世の中で、

珍しい存在のお坊さんで、

付き合えば 付き合うほど好きななる。

今、私たちはお互いに 【 兄 】【 弟 】と、

呼んでいる。

これも以前に書いたが、実際に

生涯を通じて 心を許しあえる友人が何人いるだろう ?

本人が思っている中で、本当は

ゼロかもしれない。

死んだ時、心から泣いてくれる人が 何人いるだろう ?

知り合って 30数余年、互いに年はとり

ビパッシー僧正は 大きく羽ばたき、

ジジは野山に埋れてしまったが、

お互いがお互いの心の中を認識し

足りない部分、手を伸ばし合う。

最高な 【兄弟 】に巡り合えた。

ジジ、生涯 最高の冥利である。

アッ そろそろ カレーライスが出来上がったかな ?
合掌

ブータン国王夫妻 ご来日

ここ2~3日、どの新聞、

テレビ等を見ても

ブータン国王、ブータン国王である。

何処の国の皇室が来られても、

ここ迄 加熱することはない。

宮内庁も 天皇陛下、ご入院で

国王の対応に苦慮しているようだ。

さあ、 ブータンの話は

ジジが 1ヶ月か2ヶ月前に書いたことがある。

ネパールまではお参りはしたが、

すぐその横の仏教国だから、

いつの日か 是非、お参りしたい と。

ブータン国はGNP(国民総生産高) よりも

GNH(国民総幸福量)を重きにおいている。

これはテレビニュースの受け売りだが、

前国王は 国民総幸福量を目指し、

新国王を皇太子である、ご自分の息子に委ね、

国王自ら王制を解体して民主化を進めなければならないと、

全国を説いて回ったそうである。

有名な マリーアントアネットにしても、

市民の突き上げによって王制は解体され国王も

アントアネットも処刑された。

ブータンは反対に国王が市民に

民主化の必要性と

国民総幸福量の促進を説いて回ったのだ。

今、国の90%以上の国民が【幸せをだ】と、

思っているらしい。

【物の豊かさよりも心の豊かさ。物の大切さよりも心の大切さ】

素晴らしいキャッチフレーズである。

日本の国民もブータン国民の心の少しでも

煎じて飲んでくれたら どんなに素晴らしいだろう。

ブータンは大変、貧しい国だそうだ。

そんな中、この度の、大震災の義援金、

約 一億円 寄付されたそうだ。

口だけで 大願を掲げても

なかなか実行できないものだ。

国王夫妻の新婚旅行に日本を選んでくれたこと。

義援金を頂いたこと。

ブータン国王には色々、感謝はするが、

その中でも 日本の国民に不足している

【人間の心の豊さ】を説いて下さった事に、

特に敬意を評したい。
合掌

小豆島大観音に [ 天光軒 満月 ] 先生、参拝

晩秋の今日、

娘婿のご縁で

満月先生が大観音と

子安観音寺にお参りになった。

仕事先で

中国、青龍寺の

寛旭管長のお写真で

『小豆島の父も友人です』

『わたしも』

と、言うことでの

今日の参拝になった。

『写真を出しても、名前をだしてもかまわないよ』

という先生のお言葉に甘え、

お写真を出させて頂いた。


111117写真


先生との お話の中で

《 キラリと光るもの》が、

一杯あり 2~3 紹介します。


岡山邑久[光明園 ]
岡山の[ 愛生園 ]
香川の[ 青松園 ]

とか孤島でハンセン病で苦しんで

居られるかたが大勢居られる。

一年に何度か

それらの方の慰問に行くのだが、

何年行っても

逃げ隠れするような方が多く、

シックリ行かない。

そんな時、

たまたま 隣の方の食べ残した

お食事を

『アッ 食べないのなら、私が頂こう』

と、パックっと口にいれた。

それを見た隣の方が

『なんと、私の食べ残した食べ物を…』

と絶句なさった。

一斉に、周りの方の

視線が私に集中した。

毎年、お出会いに行くが、

それからは

親戚兄弟のように

もてなしてくれる。

『これも お観音様の 智恵 ですね』と、申す。

もう一つ、中国 寛旭管長の話が出て

海外旅行の話になり

『海外旅行の醍醐味は

ポツンと1人だけ浮いている人を、

い、あにケアー出来るかですよ』と、なり


『日本でも面白い話が有りましてね』と、

核心を話し出した。

ある、大きな会に呼ばれていくと、

1人だけポツンと浮いている人がいる。

『オジイチャン、一人なの? 』から

話しかけ、最期には

お互いが大爆笑する程、

盛り上がった。

ところが、会が始まると

その老人がその会の主催者で、

有名な 書道の先生だった。

別れしなに

『これは 知事に

あげようと持ってきたのだが、

知事のを君にあげるよ』と、

扇子をくれた。

後で、関係者に

『そんなに 凄いのー?』

と、聞くと

『お願いしても、書いてくれないですよ』との事。

そんな話を聞いて 学生時代の友人の話を思い出した。

テレビ局に入社して直後、

局に行ったら 会社の玄関が汚い。

アリャ、と思って掃除を

しているとお爺さんがでてきて

『何故、掃除をしているか?』と。

『お爺さん、玄関は人間の顔です。

局に来た人の失礼なります』

と、申したら、

後で 分かった事だが

『その人が 我が社の社長だった』

汗を拭きながら申したのを

昨日の事のように思い出す。


お観音様の『智恵』。

遠い所にあるのではなく、

私たちの生活の端々に転がっている。


それを私たちが気がつくか、つかないかだ。

ジジも、今日こそは

良い 勉強をさせて貰った。

そしてその事を、人にも告げよう。
合掌

四苦八苦( しくはっく) の話

昨日は、許すだの赦さないの話をしましたが、

実際、長い人生を歩んで居ると

会いたくない人も出てきます。

よく師僧が笑い話で仰っていました。

とうとう 浄土へと召され、

お葬式の様子を位牌の中

から そっと覗く。

『アッ あいつには借金があったんや。

親戚という事で参ってきているが

カンカンに怒っているだろうな』

『アッ あいつとは土地の問題で死ぬまで、

もめていた。

隣という事で参ってきているが、

ワシが死んで 喜んで居るだろう』

『アッ 上司だと言う事で

参ってきているが、

先日、彼に大目玉を食らったろころだ。

今さら、顔も見たくない』

そんな死に方をしたら、

おちおち 浄土へも行けん。

三途の川も渡れん、と。

そんなのだったら まだ良いが

『あいつとは 顔を見るのも好かん』

『馬が合わない。

顔を見ただけで胸が悪くなる』

と、きたら

なかなか深刻である。

私たちが生きている中で

色んな苦しみがある。

それを集約して

【四苦八苦】と、いう。

『儲かりますか ? 』

『いゃ~四苦八苦ですわ 』

日常生活にまでなっている言葉だ。

[生: しょう][老: ろう] [病 : びょう][死 : して]

は、わたしたちが生をうけて、

どうしても

逃れることの出来ない四大苦である。

次はこれも大変な苦しみだが、

これは【行】によって苦しみが薄れることが出来る。

[愛別離苦: あいべつりく]

[怨憎会苦: おんぞうえく]

[求不得苦: ぐふとっく]

そして[五陰盛苦:ごおんじょうく]

の四つである。

一つ一つは、また勉強しましょう。

生まれてこのかた、

顔を見るのも嫌いな方から、

昨今、ちょっとした事で気まずくなり、

また よりが戻るような嫌いも

全て [ 怨憎会苦 ] なのである。

文字の通り 会いたくない、

怨み、憎んでいる人と 出会う苦しみである。

これも大変だが、どうだろう?

出会ったその時に

『やあーごめんな』。

いや、悪くもないのに謝るのもへんか。

なんか 即座に和解するような言葉を探してください。

そして、許しましょう。

じじは 会いたくない人なんか、

この世に 居ないよ。
合掌

なにごとも 【 恩讐の彼方に 】

少し寒くなったが

晩秋の 子安観音寺にお参りがあった。

開山当初から

部長として小豆島大観音に長い間、

務めてくれた僧侶で、

今日は
檀信徒の方を引導し、

バス 2台で小豆島八十八ケ所を巡拝する。

また長野県の諏訪市の寺に入った僧侶から、

長野の 名産が送られてきた。

《嬉しい》

40年以上も寺をお護りした中で、

色んなことがあった。

奥さんを故郷に残して単身、

お手伝いに来られて居た僧侶が、

寺の従業員の娘さんと恋仲に落ちたのだ。

奥さんは

泣いて私を責める。

娘さんのご家族は

『寺だから安心して娘を 任せたのに』と、

憤怒の形相で

烈火の如く怒る。

当の本人たちは、

逃げて何処に行ったか分からない。

まだ 住職に

成り立てのわたしは

どう解決したらいいのか

右往左往する。

当然、音信不通である。

何十年も月日を送ったある日、

逃げた夫婦と、

子供さんの3人でお参りしてきた。

驚いたが 嬉しかった。

住職に成り立ての頃だったら、

大きな声を出していたかも分からない。

ご夫婦と子供さんを、

懇ろにおもてなしし、

お帰しした。

『なかなか 敷居が高くて』と、

平身低頭だったご夫婦も、

今では我が家のように帰ってくる。

先日も書いた。

寺を辞した方で

【我が家のように帰って来る方】

【普段は連絡ないが
いざ鎌倉の時には、
駆けさんじて来る方】

【無頓着な方】

【来たくても来れない方】

【来たくもない方】

千差万別であるが、

人間の蟠(わだかまり)なんか

『ごめんよ』
又は

『あの時は、ごめん』。

それだけで良いのだ。

謝って許さない人間が居るならば、

その人は本物の悪党だ。

仏様は言われている。

《 許す 》が原点。

許して貰った方は

【 反省をする】
【反省をしたら、自我から無我が生れる】

【無我が生れれば執着心が無くなる】

【執着心がなくなれば欲望が消える】

【欲望が消えたら幸せを掴むことが出来る】

いつ迄も、くよくよ執着したり、

怒ったり、
拗ねたり、
遺恨におもったり、

そんな事では

幸せは来ない。

《 全てを赦す 》

《 全ては恩讐の彼方に 》

それにしても

元の大観音の部長も

( 我が家のような大きな顔をして)

ようこそ、参ってくれた。(笑)


ジジも我が家のような顔で、

師僧の寺をお参りしなければ。
合掌

【 慈愛の印 】と 【 忿怒の印 】

孫が ジジに抱っこされると言って、

手を伸ばしてくる。

ママ 、オンリーで

パパでも

お婆さんでも手に負えなかったのである。

抱っこする。

途轍もなく可愛い。

孫のことで

師僧が笑いながら話されたのを思い出した。

『 お爺ちゃん、肩をたたいてあげよう』

『 そりゃ~有難いな。おじいちゃんのはかたいぞ』

『平気! 平気! 』

あまりの可愛さについ、頭を撫でる。

『えー子じゃの~』

師僧は 続いて仰る。

『頭を撫でる この手が、すなはち

【慈愛の印】じゃ』

『反対に

この様にグーで撫でると

{ お爺ちゃん、痛いよ}と、

帰ってくる。これが

忿怒の印じゃ』

『 たまたま 私はパーで撫でたから、

孫も上機嫌』

『お爺ちゃん、もっときつい方が

いいか? 』

この言葉に 頭を撫でるだけで済まなくなり

『 ほいっ おこずかい』

『アッ お爺ちゃん、ありがとう! 』

『エッ、もう 終わったんかいな』

笑顔で話された師僧のお顔が思い出される。

《 印 》とは 真言密教、

云々よりも私たちの幼少の頃、

見聞きした鞍馬天狗や 忍者が

両手両指を使った作法と、

言った方が良く分かるだろう。

お釈迦さまは

【智拳印】

阿弥陀さんは

【弥陀の定印】

をしているが数えたことはないが

1000種類は有るだろう。

【護身法】と言うのは、

これから事をなす時に、

身体と心を守ってくれるし、

法要では

お導師と職衆が同時に違うお作法をするなかで、

導師は【印】一つで 仏様を

勧請(お呼びする)し、

接待し、お願いし、

またクルマにてお帰りになって頂く作法をする。

今は【印】について

本や写真集が出て居るが、

一昔前までは【口伝】と、いって

師僧から弟子に、

他人には口外することなく、

伝授された大変な【宝物】である。

師僧が仰られた

【忿怒の印】とは別に

実際に【 忿怒拳 】という 印は存在するが

わたしは、どちらも正しいと思う。

師僧のお【慈愛の印】も【忿怒の印】も勝手に

師僧が考案したものだから。

さて、わたしが寺にて

【慈愛の印 】

を孫に理解して貰えるのは

何年後になるのやら。

111113写真

合掌

永遠( とわ )の いのち

日本列島、

あちこちで紅葉前線が

加速度をました 晩秋の今日、

流石 お参りも多かった。

子安観音寺をはじめ、

恵門ノ不動、

山ノ観音は、

お遍路さんの秋まいり中心だが、

小豆島大観音は

そのうえに観光客の参拝が有り、

4山とも右往左往の大忙しだった。

と、言うものの

昔から考えたら

参拝も10分の1に減少している。

わたしが 小学生、中学生

の頃から

ご自分のことを

『爺さん』『婆さん』と呼び、

我が孫のように 接してくれた

お年寄りが大勢いた。

『あの お爺さんが亡くなった』

『あの お婆さんが急逝した』

諸行は無常にして過ぎ去り

やがて私たちが

『 お爺さん』『老僧』

と呼ばれるようになった。

可愛がってくれた

お爺さんやお婆さんの

あの時、その時を懐古し、

何気なく日暮らしさせて頂いている

私たちが 思わず微笑み

思わず哀しくなる事も

あの恩愛が

知らないうちに

身心に染み付いているからだろう。

気が付かないうちに授かっている

神仏の[加護]『恩恵] 、

また思い掛けない幸せの事を

【 冥加: みょうが 】と言うが、

この世で 世話になって居る人は勿論の事、

私たちは

既に

会うことも見ることも出来ない

多くの人達の 連綿とした

{ いのち }の まなざしに

見守られて 生かされているのだ。

もう どうしてあげることも出来ない先輩達。

せめて、八十八ケ所の参拝した時ぐらいは

手を合わせ、花の一本でも供え、

お礼の一つでも 言いたいものだ。
合掌

観た! 戦場にかける 橋

楽しみにして居た

テレビ映画

【 戦場に かける橋 】

を涙と共に観た。

昭和20年8月15日


終戦(日本敗戦)の

第二次世界大戦の映画だ。

設定はアメリカ兵と、

イギリス兵が東南アジアにて捕虜になり、

( 日本は残念ながら負け戦)

と、なるわけだが、

英米兵からしてみれば、

大変な苦難苦節の中で、

立ち上がってゆくストーリーだ。

日本将校は、

バンコク( タイ国) から

ラングーン( ミャンマー)までの間、

川に橋を掛ける使命をおびていた。

しかも、

何月何日 完成の。

日本将校は言う。

『期日が無いのだ。

捕虜の将校も使役に使う』

捕虜将校は言う。

『それは 条約に違反する』と。

押し問答の中、

捕虜将校、

監禁状態の中

【橋 完成 ]に向けて着工するが、

鞭で

『進め、進め』では士気も上がらず、

期日迫って、

捕虜将校に泣きつく。

捕虜将校が、

最初に行った事は、

『捕虜諸君、

私は 君たちを

誇りにおもっている。

日本兵のためでも


われわれ英米兵の為でもない。

この国の 国民が

喜んで通ってくれるものを、

つくろうではないか。』

と、呼びかけた。

ムチで撃たれ、

バラバラになって居た兵士の心が、

【 信頼】
【友情 】
【太い絆 】

によって

日本より数段上の

【技術】
【経験】

によって

あっという間に

完成する。

【恩讐の彼方に】

ではないが

工事中、敵味方を超えた

【 友愛】等もあり

見応えがある。

この映画は

六波羅蜜の

【 持戒】と【忍辱】の行で

私達に【修行しなさい】と示唆している。

(持戒)は決して他人を殺さないことです。

命を奪わないのは当然ですが、
(他人を罵らない)
(侮辱しない)ことです。

この映画のように家畜同様、

心なきに扱われるのと、

正反対に捕虜将校、

行う【友愛】は

すなわちお観音様のお心で

それに人心が集い、

一つの大きな力となって

【橋】は完成するのである。

米英映画なので

実際はそんな事無かったのだろうが

(信ずる)

今の若者たちに観てもらい

反省の糧として貰いたい。

クライマックスは

折角、愛と血と涙で完成した

その橋は、

やがて形成逆転した米英軍によって

破壊される。
合掌

合縁奇縁 ( あいえんきえん )

歯の調子が悪くなり、

秋雨の中を

歯医者まではしった。

【袖擦り合うも他生の縁とやら 】

先生とは

娘とのご縁で、

三年前に治療して貰ってから

【合縁奇縁。縁に蓮るれば、唐の敷物】

何かの因縁で思わぬ吉事を生じるという意味で、

馬が合うというのか、

事ある毎に世話になっている。

歯医者の椅子の上で

大きく口を開けながら

『如月の仏縁、2月15日…』

『一樹の念、一河の流れも多少の縁…』

『12因縁…』

12因縁は

《 生存の ( 苦 )の原因を順に12段階に分けて 説明したもの》。

苦の原因は

(他にも

【 四苦八苦】

【 四諦 : 苦、集、滅、道】

等、有るが

一般的なのを説明してみよう。

【無明;むみょう、

行、識、名識: みょうしき、

六処、触;

そく、受、愛、取、生、老、死】

の12項。

またいつか、

これを分解して見たら、面白いね。

とにかく、12因縁は、

{前世}から

私たちが生活して居る

{現世}、

{現世}から(来世}


三世にわたる輪廻(りんね)の

因果関係を解くものである。


この世で善行をして居れば、

来世は良い所にて

良いことがありますよと、

教えられている。


色んな事を考えていると、

先生が

『お爺さん、不思議ですね。

以前、お爺さんの歯を


治療したのは、三年前の今日、ほら!

これ11月11日ですよ。

不思議だなー』と、

もうされた。


『えー! 』

目を丸くしたのは私だが、

お互いに顔を見合わせて

『合縁奇縁』

を 喜んだ。


『ところで 先生、

ジジの 病状は ? 』

『 単なる 腫肉炎ですよ。』

『アリャマー これも ごえんですか。』

何の関係もなく、雨は 静かに降っていた。
合掌

芦屋 【 高座の滝 】に 登る

芦屋市街地から

僅か 1時間ぐらいの所に

滝が有る。

登り始めたら

【 イノシシには餌をやらないで下さい。

襲ってくることがあります 】

との看板がある。

宅地をつくるための

造成工事が

芦屋川の両方から視野に入り、

ダンプの出入り、

重機の騒音が辺りを木霊す。

だんだんと山を壊し、

イノシシが住む場所も

狭くなっているのだろう。

いや、私たち人間が

彼らの住まいに入り込み、

破壊し、

彼等からしてみれば、

いい加減にしてくれ、と。


20~30分も歩けば、

谷川の流れが聞こえ、

翰林の中、

急に静寂に包まれる。


たまには、

ハイキングかジョギングに

来られている家族やグループと

すれ違うが

やがて、それも無くなる。

幽玄な寂林を抜けると、

まるで天国のような視野が開けた。

【トンネルを抜ければそこは…』

ではないが、

まさに【桃源郷】である。

期待していたのと同じ

【高座の滝】

が爆音と共に


頭上に覆いかぶさってきた。


『南無 不動明王』

思わず知らず口にでた。


宗教の原点は

【 火 】



【 水 】

【暗闇(やみ)】

である。

詳しくは後日、

話すとして

火は 《貪瞋痴》と

三毒の煩悩を焼き尽くし、

清浄な身体と心を持してくれる。

水は 全ての《悪行》を洗い流し、

また鋼鉄のような堅固な身体と

心を持つことが出来る。

暗闇は 明るい場所でしたら、

人間、自我を出し人に迷惑をかけるが、

暗闇の中、

心、細り、なに一つ自身で出来ない。

自身の能力

( 自身が如何に小さいか)

自覚し、


自我を摘み取ることができる。


思わず知らず、

それを思い出したのだ。


闇雲に自然を破壊する、

私達。

【足るを知りなさい】


爆音の中で、滝が


私たちに大声で叫んだのが聴こえた。
合掌

孫、七五三 参り

孫が

七五三のお参りに

平安神宮に行った。

少し、肌寒い 今日だ。

二年前にはお姉ちゃんも此処で、

七五三のお参りをした。

妹は二年前に、

お姉ちゃんが着た着物を着て

はしゃいだ。

111109写真


何事もお姉ちゃん、お姉ちゃんで

姉、中心できた中で、

今日は次女が主役だ。

私達、年寄は勿論、

主人のご両親( お爺ちゃんとお婆ちゃん) は

会社を休んでまで、

今日のお参りに参加してくれた。

この上もなく 幸せ者である。

ジジは先日も書いたように、

孫の七五三のお参りに西宮神社にいった。

子供にも、孫にも恵まれ、

本当に幸せ者である。

孫の成長と共に、

ジジのこの幸せが、

いつまでも続きますように祈った。

お祈りが終って、

境内に出ると、

観光客が珍しがってフラッシュアワー。

西洋から来て居る観光客が

『かわいい! 』

『綺麗! 』と、

シャッターを切ったが

孫が可愛くて、

綺麗なのはその通りなのだが

着ている着物に

執着があったようで

今、着物姿が減少して居る中、

その光景は嬉しかった。

と、共に 老若男女を問わず

もっと、

日本文化を継承してくれたらな、

と 思う。

お斎は、

娘婿が務めて居る、

ゴージャスな三十三間堂の

横のホテルに案内してくれ、


今日だけはジジが止められて居る、

アルコールを少しだけ頂いた。

いやはや、

目出度い、目出度い。

この幸せがいつ迄も続きますように。


ちっちゃな お願いは、

もし、許されるなら

娘婿のお父さん、お母さんと

少しだけアルコールが飲む機会をつくりたいな。

合掌

法 伯父のお葬式にて 大阪に

法的な伯父が

86歳で遷化して、

大阪まで葬式にいった。

血は繋がっていないが

老僧の弟子にて

小豆島に大変、

縁のある御仁だ。

お坊さんも職衆 (メイン僧侶)

10口、

随喜参列( 一般僧侶)

20口、

お手伝い僧侶

10口。

見送り参列者、

数多(あまた)を知れず。

高野山 管長猊下の

送りの言葉もあり

盛大なお葬式だった。

義伯父は生前から

仏さまのような

優しい心の持ち主で、

80歳を越えた方のお葬式は

殆ど泣く人は少ないのだが、

あちらこちらで

すすり泣く嗚咽の声が

式場を一層、

沈鬱にしたのが印象的だった。

小豆島参拝と

御詠歌が大好きな人で、

お同行を募って

島四国を回った回数も

200回ではきかない。

遷化する前も

高野山の

【お待ち受け法要]で、

金剛講の講員の方々と、

本山でご詠歌をお供えして、

寺に帰った直後、

調子が悪くなったらしい。

諷誦文(お導師様の送る言葉)、

弔辞と粛々と進み、

最後に現住職より

お礼の言葉があり、

それも又、胸を打つものであった。

『親父は 御詠歌と、

小豆島参りが大好きな人で

経を読むよりは、

島遍路に出て、

困って居る人の

悩みや相談を聞くことの方が好きだった。

亡くなる直前まで、

大好きなご詠歌を

唱えることができ、

本人も思い残す事は

無いであろう。』

『親父は口癖のように申していました。

《 人生とは まさに 遍路なり! 》

実際、私たちの

俗世の世界は全く、

その通りかもしれません。』

『本来でしたら、全ての僧侶は

彼の世(あのよ)に参る時は最高の

納衣(僧侶が身につける最高の衣)

をまとって旅立つが、

親父は 本人の遺言で

島四国を巡拝する

白衣を着せてくれと、

言うことだったので

その意志を重んじ、

白衣姿で旅立つ事になりました。』

いやはや、驚いた。

最高のお葬式、

最高の僧侶方、

最高なお見送り。

最高の御衣にて

お送りをするのかと思えば、

白衣とは。

前代未聞であろう。

住職も粋な計らいをし、

義伯父も大満足して

旅立った事だろう。

葬送の儀にさいし、

野辺の花のように、

静かにそっとお唱えをして居た、

講員の皆さんの

御詠歌の声が、

未だに耳に残っている。
合掌

三田 ( 兵庫県 ) での橋渡し

孫 一家が

三田まで橋渡しに行った。

三田に住む

大きなお爺ちゃんからの要請で

実現したのだ。

【 橋渡し 】とは

新しい橋が完成し、

その

【 渡り染め 】

の事である。

大変、目出度い事で

地区住民も

末長く慶事にあやかろうと

今回の行事を計画したのだ。


事の始まりは

大お爺ちゃん夫婦 ( 86歳 )

お爺ちゃん夫婦 (57歳 )

パパ夫婦 ( 29歳 )

孫たちと、

全員が かげてないのは当然の事、

皆さん、元気溌剌、

矍鑠としておられる孫一家を見て

住民の方も

『四代、揃って

こんなに素晴らしい事はない。

未来永劫にして

私達も幸せに

浴させていただきたい』と、

大お爺ちゃんの所に

お願いに上がったと言うのだ。

私は、行ってないし見てないので、

報告を聞いただけなのだが、

大お爺ちゃんから

はじめ奉り、

お爺ちゃん、パパ、

そして孫たちまでが

ファンファーレが鳴り響き

万雷の拍手喝采の渦の中、

頭を上げ、

胸を張って通り抜けたそうだ。

地区住民の方の喜び様と言ったら、

如何なるものか。

そして住民の方達も、

幾ら慶事に

あやかろうとしても洒落た

【橋渡し] の開通式を

思いついたものだ。

だが考えてみれば

とても凄い事だ。

四代の家族が

元気で揃って居られる

家族は、本当に少ない。

寺にしても

両親は数え年の

70歳と63歳で遷化した。

家内の方も母親は60歳で

亡くなった。

何でもないようだが

実現しようと思ってできるものではない。

どうか末長く、

お身体を大切にして

私たちの模範になってもらいたい。

そうですね。

大お爺ちゃんには

取り敢えずの目標、

100歳を目指して欲しいな。

ジジの小さな希望。
合掌

今のしあわせが 最高!

久しぶりに住職の

御代理で 法事に行った。

一つには

今日は住職が忙しく、

ジジが行くべきだった。

ふたつには

本人が子安観音寺に

20年も勤め、

共に大観音を建立した

仲間であったから、

ジジもお参りがしたかった。


お参りができて、

直後、

【アアッ 今日も元気でお参りをすることができた】

自身の健康に付いて

感慨無量だった。

【神様~仏様、本当に有難う。

無事、法務を

果たすことが出来ました。】

住職の時だったら、

考えられない喜びだろう。

お勤めが終り、

【お斎】になって

施主の方が

『老僧は 洋酒が2~3本もあれば、

お斎に

手を付けなかった人だが、

お酒は、どうしましょう?』

と言う話になった。

ジジの【お斎】を

よく知っていてくれていた

お施主さんですが、

病人の今、

飲めるはずもなく、

少しだけお願いした。

22才で小豆島に帰ってきて、

1番に成したのは、

成就しなかったものの、

恵門ノ不動に


バス道を付けるべく、

地域住人に

何十回となく協議して頂き、

やがて誠意つうじて

【オッケイ】を貰った。

26歳で山ノ観音の道路をつけ

(道路は地区住民の方が無償で

提供してくれたが、

道路が着くまでは

並大抵ではなかった。)

みなさんのご寄進を受け

今の【山ノ観音】を建立した。

集大成で、

念願の【大観音】まで建立させて頂き、


成すべき事は、

全て、終わった。

いつ、人生の幕を閉じても、

なんの不平不満もない。

【素晴らしい、人生だった】

その心境である。


死ぬ時は、苦しまず、

眠るようにしにたい。

先生に【占い】を習い始めた。


できることならば、

一人前になるまでは、

元気にしたい。


アリャ!。

ジジのこだわりが、

出てきはじめた。
合掌

長続きは 忍辱の行

秋雨がシトシト降る中で、

行者さん達の勉強会があった。

この20日の

小豆島大観音の秋季法要で

厳修する

柴燈大護摩の

リハーサルを兼ねての


勉強会だ。

大観音、開山して17年目に入るが、

それに伴って

【大観音 行者連 】

が発足した。

年々歳歳、

地道な活動が身を結び、

住職を中心に会員さんも増えた。

【三日坊主】と、

言う言葉があるが

その反対が不撓不屈の精神、

【忍辱の行】である。


ジジも若い頃から

頑張り屋さんで一度、

やり出したら、

途中で投げ出すのは否な方だ。


学校から帰ってきて、

老僧に連れられての朝勤行。

当時は6時からのお勤めで5時半起床は


若者にとって大変な行だ。

住職を卒業してから、

その頃、一緒に目を擦りながらお経を


読んでいた仲間が

『あなたは、幾ら遅く寝ても朝勤を休んだことがなかったな』と、

言ってくれた。

『ああ、見る人は見てくれているのだな~』

嬉しかった。

また、ギターを持って5名で楽団を組み、

噂が噂を呼び、

1番 多い時には メンバーが


20人にもなった事も有った。

これも両親が

拝むように祈るように説得し、

最期に


小豆島の地にて

700人のコンサートを開いて、

幕を閉じた。


少々の趣味も有ったが、

【大観音、建立】という、

大義の元にすべて中途半端に


終わってしまい、


完全撤退して

建立後の今、

完成した姿でお見せ出来るものは何一つない。


と、言うことは


【 忍辱の行 】が、


如何に大変であり、


物事を続ける事がいかに難しいか


お分かりになるだろう。


行者の皆さんは、


雨の中を黙々と

【忍辱行】を続けられている。


本当に頭の下がる事だ。


どうかみなさんが


お元気で、大観音に、


今以上の活気と有難さを


与えていただけますように。
合掌

『喧嘩両成敗 』 おたがいさま

南草津より芦屋まで

ダンスのレッスンに通っている孫が、

今日はレッスン日という事で

私達も帰島を延し、

駅まで迎えにいった。

いつもだったら
『ジジーッ』と、

とびついて

来るのだが、

今日は違う。

萎れた(しおれた)花の様に

元気なく改札口から出てきた。

電車の中で

知らないおじさんに

叱られたそうだ。


親子で座れる事ができ、

『良かったね!』

と安堵の顔を見合わせた。

いつもの様に、


他の人に迷惑がかからないように、

静かに本を読んで居たのだが、

子供なので履いていた


靴が正面に座っていた

おじさんに当ったと、

言うことだ。

本人にしてみたら

『当たってない』

と、言い切るのだが

『靴を脱ぎなさい』と、

ガツンとやられたそうだ。


母親も

『当たってもないのに、

そんなにきつく言わなくても』と、

その後のバトルはさて置き


ジジがいつも言っている事を、

思い出した。

日記にも何度か出てきた。


【般若心経の空(くう)だなー】

子供がどんなに大声で、

はしゃいでも母親には聞こえない。


子供がどんなに暴れても

父親には可愛くてしようがない。

子供が靴のまま座席に座っても


ジジには汚くない。

ところが他人にとっては、

うるさいし、

やかましいし、

汚い。


現実として起こっている現象は


同じことだが、

(例えば、今日の孫の電車での出来事)

受け取る側によって

綺麗でもあり、

汚くもある。

お互いに、

人様に迷惑のかからないように

気を付けなければならない。

ママには正論で

あっても、

そのおじさんには

正論でなかったのだ。

どちらにも言い分はある。

ただ年端のいかない子供

に言いようはある。

もっと、違った言い方で

諭してやれなかったのだろうか。


今日は

【おたがいさま】

喧嘩両成敗にしておきましょう。
合掌

孫の七五三 参り

七五三のお参りをした。

111103写真

パパとママと妹、

私たちジジ、
バアバ、
父方のご両親。

総計 8 人での参詣だ。

本人は先日まで病気で大変だったが

今日、念願の日にお参りが出来て


全員が至福に包まれた一日だった。

【 孫が健康で、素直な子にスクスク育ちますように。

あ 、え~と、ジジたちも健康で

長生きできますように。】

お願いした後、

『あー、幸せだな』

心から思った。

孫が調子が悪く、

鼻をズルズル言わせながら

お参りをしたら、

大変だっただろうし、

パパも会社の調整がついて

一緒にお参り出来た。

お互いのジイさん、

バアさんも一緒に

お参りすることができた。

何かの要因で

一人でもかげたら

寂しいお参りになっただろう。


昨今は、子が親を殺し、

親が平気で子供に手をかける。

今は知らないが

昔は【尊属殺人】

と言って、

特に罪が重かった。

その殺人が

大根を切るような感じで、

平然と行われている。

乾き切った家庭環境

多い中で

今日は家族みんなが

自分たちの仕事を融通し合い、


孫の幸せと発育をいのる。

こんなに幸せな事が他にあるだろうか。


世の中は留まることも

振り返ることもなく、

ただ 水の如く流れ去り、

刻刻と変わっていく。


どうかこの幸せが変わる事なく、

いつまでも続きますように。


【このたびは

ぬさもとりあえず

手向山

もみじの錦

神のまにまに 】


今日は 天皇陛下のお孫さんも

七五三の

お参りをなさったとか。
合掌

平穏無事、これ最高のしあわせ

明日、

外孫の七五三があり、


ジジも一緒に神社に

お参りすることになり


昨日の新歌舞伎座

公演からみれば、

今日一日は

ポッカリ空いた中日である。


七五三の兄妹が

今流行りの病気で

高熱が出て、

明日を心配していたが

『お家まで行って

診てあげようか?』と、

申すと

( 勿論、パパは会社だから )

ママと三人でジジの所に


来るという。

グッタリして居るのかと思ったら、

思いの外

元気で

(ジジだったら、

大蒲団をかぶってウンウン寝ているだろうに)

走り回っている。


『なんと、子供は凄いな』


感服したり、

『今 寺では住職が

東に西に大奔走しているだろうな。

申し訳ない事だ』と、


遠いこの地から

平身低頭したり、


あっという間に

太陽が西に沈んでしまった。


孫の守りというが、

反対に遊ばれたり

泣いたり、

笑ったり。

何にもない平穏無事な


一日が

これを《しあわせ〉と、

言うんだな。


家族がお互いに

おもいやり、

お互いに気を遣うこともなく、

知らない間に一日が


過ぎ去って行く。

これを蜜厳国土、

極楽浄土と言うんですね。

そして、仏様も 天女も


こんな淡々とした一日を、

送ってらっしゃるのだろうな。


只、残念な事は

私たちはいつの日か

此岸の雑踏の中に

帰っていかなければならない。


本当に今日は、


【 つかの間の夢 】

をみせてもらった。
合掌

絆 ( きずな )

懇意にして頂いている、

役者さん( 俳優) の招待で

大阪の新歌舞伎座に行った。

昨日からの

大本山の総長さんの

フェアウエルパーティーの流れで、

大阪に寄せて貰った。


私たちの若し頃、

(丁稚どん)等で

一世を風靡するなさった、

メガネをずらすだけで


大喝采を受けた先生で、

今回は歌手の大御所先生の


50周年の筆頭ゲストで


一ヶ月間


新歌舞伎座で公演をなさって居る。


舞台がひけてから


今日は先生の誕生日という事で、


私達、夫妻と長女の三人を

食事の席に呼んでくださった。


勿論そうだが、

先生はその大御所の事を


【座長】とよんでいる。


『座長は凄いよ。

今日もそうでしょう?

来て下さったお客さんへの

配慮は並大抵でない。


お芝居がひけたら

これといった役者さんを

全員集めて、

〈ご苦労さん会〉をする。


役者さんは役者さんで、

自分の持ち場が終ったら、


離合集散して

蜘蛛の子を散らす


有り様ですが、


座長の前で、


こんな事をする役者さんは

一人も居ない。

役者さんが座長を


したい、


座長が役者さんを可愛がる。

これでしょうなー、

人間の一生も、

人の人としての


付き合いも。

慕い、慕われる…。

冥利に尽きませんなー。』

先生は仰る。


ジジの師僧で

高野山の大僧正は、

お元気のあいだ、

【 和 】と言う文字( 色紙 )を


壱百万枚、

お接待しようと誓願を立てられ、

半ばで遷化なさったが、

師僧はいつも


言われていた。

『一番大切なのは、

人と人の信頼関係。

人と人の絆。

これを忘れ

怠ったら、


人間としても

こんなに残念な事はない。

頼り、頼られ、

信じ信じられ


人の文字の様に


お互いがお互いを支え合う。


だって人間、

一人では生きられないのだから。』


先生の座長を語ることによって、


40年前に遷化なさった


師僧のお言葉が妙に


胸にしみるジジであった。


ジジもそう 申し、

死んだ後、

ジイさんがこんなことを

言っていたなあと



思い出してもらえる様、


頑張らなくては。


エッ これが 【こだわりの 心】ですって?

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