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【 闘いすんで 日がくれて 】

大きな お祭りが終った。
昨日は 友人を中心に家族が集まり、素晴らしい お祭りが出来た。
今日は 近くにお住まいの 次女の嫁ぎ先のご両親を お迎えしての大イベントだ。
仕事を終えて駆けつける者、ジジと一緒に 泊まるものと千差万別だったが 結局、
昨夜と同じで みんなが忙しい中 集まり 全員でお神輿をかいた。
ご両親も 孫のはしゃぐのを見て、心の底から喜ばれるし、ジジも ちょっと喋りすぎ、
楽しいひと時は あっという間に過ぎてしまった。週末も終り、今からは 銘々 忙しく
新しい生活が待っている。1家族去り、2家族去りして やがて、暗闇も中に取り残されたのは
ジジと家内、2人だけになった。
楽しかった あの2日間の 神輿をかついだ大騒ぎは一体、何だったのだろう?
夫婦 ( みょうと)でポツンと取り残されて 始めて寂しさを知る。
《会うは別れの始め》とは少し オーバーだが【愛別離苦:あいべつりく 】
愛するものとの別れとは本当に寂しいものである。
ジジなんか、また会おうと思えば何時でも会えるのだが今生の別れ、
永遠(とわ)の 別れの方なんかは、身を引き裂かれる思いだろう。
取り敢えず 【戦い終わって 日がくれた】太鼓も 笛の音も終り、静寂そのものである。
孫の 『 パパ、もう帰るの ? 今日が 土曜日だったら 良かったのに』との言葉が
妙に耳に残る ジジであった。



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合掌
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【ジジは全くの しあわせ者だ 】

もう 何年になるかな。友人に 、家族で ご馳走になる。
最初はジジ夫婦だけ お呼ばれしていたのだが、( 家族での)人気が高く、一人増え二人増え、
知らぬまに 厚かましくも 関西に住んでいる家族総員、ジジを入れて12名、楽しみに
待つようになった。友達の お財布は たまったものでは無いが。
いつも 1番 ハズレくじを引くのが 小豆島にいる 【 住職家族 】である。
【 ジジは全くの全くの しあわせ者だ 】
友人の 気ずかい、心ずくしには 本当に感謝もし 、頭のさがる思いである。
更に ジジが嬉しいのは、家族が今日の日を楽しみにしていて( 仕事が忙しいだろうが )
みんなで顔を見せてくれる事である。今年は 1番 年上の孫が3 8度以上の高熱をだし、
出欠が危ぶまれた時『絶対に 行きたい 』と、涙ながらに 要望したこと。また その子が
不調な中も なんとか体力が回復した今日、3番目の 孫が やはり3 8度を大幅に越える高熱が
出て、周り目から見ても『今日の出席は 絶対に無理だと』と、判断したにも拘らず
なんと!『 わたしも 絶対に行く』と、顔を出したのだ。
嫌な、 大嫌いな おじいちゃんだったら、『ジジと一緒に行こう』と、促しても 子供の事、
絶対に言うことをきかないだろうが、この もう一人のジジには 能動的に『行く』でなく
絶対に行きたいし、行けなかったら泣けるくらい悲しいのだ。
子供たちは もう一人のジジの 【 真心 】【 慈悲心 】を知っているんだろね。
そして そんな 慈悲心を持った友人が居るという事自体が、ジジはしあわせ者なのである。
いつもハズレくじを引いて居るのは、住職一家だが。
《 ごめん !

ある社長の事務所にて

ある 社長の事務所にお伺いして、砂を噛むような いや~な思いをして帰寺した。
僧侶たるべきもの、心、冷静沈着に 感情露わに剥き出す事自体、いけないのだが
タイミングも悪く 丁度《 お包み 》を包む時に遭遇したのだ。
『おいっ! うちの時は幾ら 貰っている? データーを見てみろ !』ネクタイを締めながら申す。
命ぜられた方は、直ぐに機械的にデーターの収集に取り掛かる。
『仕事だけの付き合い……』計算尽く、金だけの付き合いで あり その人にたいしての
『金額の多少は別として私ができる限りの額を 包ませて貰おう 』と言う、慈悲心 いや、
思いやりの片鱗も見えないのだ。
きっと 人々は気付いているだろう。『 金の切れ目が縁の切れ目 』
多分、社長になにか有っても 人々は 山のように動かないだろう。
困って 誰かに救いを求めても だれも手を差し伸べないだろう。
ジジは 社長の後ろ姿を見て 【路傍の石】を見ているようで 非常に哀れに思った。
ジジだったら、冥利打算に走るよりは一人でも多くの 【 真 】の友達を選ぶ。
調子が悪くなった時、心配もしてくれ、涙する【真 】の人が多い方が良い。
皆さんは お金の方が良いですか? 遊び友達でなく 真心で付き合う【真 】の友人の方が
良いですか ?
合掌

【衆生 病むがゆえに 我病む 】

先日、ジジが ガンセンターに行った時の事を ブログに記載したが、家族の反応は
想像を絶するものだった。
ジジの胃自体が【萎縮性胃炎】である。その胃炎は 胃ガンにかかる確率が余りにも高い。
{ジジはいつ、胃ガンになっても、不思議ではない } そんな 内容だ。
寺に帰ったら まずブログに書く前に住職一家に がんセンターの結果を報告。
【萎縮性胃炎】に家族一同 暗い影を落とす。
ブログを読んだのだろう。長女から電話。『大丈夫 ? 主人も大変 心配しているよ』
続いて 次女から電話。『癌化するリスクは高いんですって ? 刺激物はやめなければ 』
『孫は ジジは もう ガンにかかったのかと心配しているよ』 友人達からも 電話。
ありがたい事だ。天涯孤独だと思っていたジジにも 心配してくれる人がいた。
【維摩経】の主人公、維摩居士は《 衆生 病むを持って、この故に 我も病む。たとえば
長者に一子ありて その子 病を得ば、父母もまた病み、その子の病 いゆれば父母 また
いゆるが如し》と言う。
子供が病気になると 親も心配して食べ物も喉を通らず病気になる。親が調子を崩すと
自分も心配して病の床に伏すのだ。心は 私たち人間が持っている 《 慈悲心 》 から来ている。
今日はページがないから、書かないが 《 観音経 》の中には親子、兄弟だけの
慈悲心でなくて一切衆生を救うことが 本当の人間として成さねばならぬ事とある。
慈悲の【 慈 】 は人を 無条件に愛する、可愛がる。親が我が子を こよなく慈しみ
可愛がる事のように。また、【 悲 】は人の悲しみや痛みを 我が事の様に感じる事である。
子供や 友人達は、ジジに慈悲心を抱いてくれたわけだが、 その慈悲心に対して
心から『ありがとう』と、お礼を申し、食養生、摂生に務めねばならない。
皆さんも ガンには気をつけて
合掌

【 苦しみ 悲しみを 乗り越えて 』

昨夜 親戚や友人とお茶を飲む機会を与えてもらった。
住職一家だけが若く 話題はそちらの方に向いた。
『私も 住職ぐらいの 年齢の時は死にものぐるいで働いた。
住職は良いな。曲がりなりにも親がいるもの。』
もう一人が
『私も それぐらいの時、親が死んで
それからというもの 世間の風当たりは強くなった』
『独立した年だった』
もう一人も
『私もそうだ。床に伏していても良い。
《親の重し》という物を 嫌というぐらい 経験させて貰った』苦労話になった。
ジジも昭和54年に 母親が 56年に老僧が遷化して、丸裸になったジジへの風当たりは強く
いうに言えない苦節が有り いまだに息子の代まで引きずっている。
その 最たる理由は《嫉妬 》から生じたものだった。
【 なんで 親や お爺さんのような人たちが 寄って集って…( 昭和54年といえば
ジジも今の住職よりも若かった ) 虐めるのだが』
若さに任せて 《地獄も極楽もあったものか》と 自責の念にかられたりした。
昨夜、友人達は 各々、回顧した。若きあの日、あの時、人しれず 涙したことを。
お釈迦さまは 言われている。『 人前では 笑顔で迎えるが 、全ての衆生は 苦しみを
背負って生きている。長い歴史の中で 葬式を出してない お家が 果たして有るだろうか?
誰一人 病気もしないで 楽しい生活を育み続けている お家が 一体、何件あるだろうか?
そして 一切の衆生は 父母との別れ、子供との別離、死苦八苦に耐え 悲しみを乗り越えて、
笑顔で接しているのだ。汝( なんじ) 1人だけで苦しく、悲しいのでは ない】
友人との会話で 忘れかかっていた お釈迦さまの言葉を 思い出した。
『明朝より 晴れ晴れとしたジジの 顔をみせるぞ ! 』
と、誓ったのだが はて? 今日のジジの顔は いかに?
合掌

《 お化け 灯籠 》 完成

今年 1番の冷え込みで 雪ばな舞い散る中で
子安観音寺境内 駐車場に 《 お化け灯籠 》が
出来上がった。


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ジジは全く 知らされておらず 青天の霹靂だったが
『 ジジを 驚かせてやろう』
いや『喜ばせてやろう』と言う、住職の配慮だろう。
いやはや 草木乱舞していた中、
整然と威風堂々とした佇まいは 立派なものだ。
あと、石屋さん等が 駐車場に敷く 【 石畳 】を奉納して頂けるそうで、
境内の 環境整備が整ってから
落慶法要を計画して居るのだろう。
《 美は 荘厳 なり 》
ジジがいつも 言い続けている言葉だが、
荘厳さを 出そうと思えば
まず 美しくなければならない。
寺も あなた方の お家も。
ゴミまぶれ 塵まぶれの中 客を呼ぶこと自体、
失礼な事はない。
来られた方が『 ああ、いつも綺麗だな。心 落ち着くな』と
心の おもてなしを しなければならない。
《 禅 》の心かな。
侘び寂びを求めている古寺を訪ね、静寂の中を
座禅瞑想して無我の境地に浸る、その心だ。
《 いつも》と言う言葉が重要だね。
する事は大きく見えるがその気になって
一心不乱にやれば、あっという間に 美しくなるばずだ。
そして物だけを美しくするのではなく、私たちの 心の中まで浄化しなければ ならない。
《お化け灯籠》未来永劫に佇むわけだが、足元 分用意な今のご時世、どうか私たちの
心の隅々まで照らし続けて貰いたいものだ。
そして『こんにちは』と訪ねてきた人達を 勇気ずけ、明るく迎えてくれるだろう。
合掌

【 ジジ お観音様に会う 】

今日は 検診の日で 家内と 2人で 出かけた。
しかも、【 胃カメラ】を飲まねばならないので なんとも憂鬱だ。愛想のない先生が
メガネの奥から『は~い 口を開けて』と、無味乾燥に言うかと思えば…。
ところが 検査室に入ると、憂鬱さ吹っ飛んで 満天の青空が蘇った。
なんと!娘のように若い 。しかも、絵から抜け出すように美人だ。
カルテを取って 『 過敏症 ですね』と、申す。
ジジはいつも 人一倍に 悲鳴をあげる。
きっと それを過敏症というのだろう。
『大丈夫ですよ。身体の力を抜いてください』
愈々、チューブが挿入される。
喉頭部を通り過ぎた時に
『よく 我慢しましたね~。今、1番 苦しいところを通過したよ』優しい言葉だ。
ジジは 大きな腕に抱かれて落ち着く。
『そう 踏ん張ってないで 自分の胃のなかでも、ご覧になったら? 気が紛れますよ』
小さな おできのような物が映る。
『先生、ガンですか? 』
『これは たいした事はありません。
それよりお爺さんの胃は《 萎縮性胃炎》にかかっています。
これはがんの発生率が非常に高いのです』
『エーッ 治らないのですか? 』
『これは胃の粘膜が薄くなっていて したがって消化液の分泌も少々しか出ておりません。
大事をとっては一年に一度はチェックしましょうね。もし 変な物ができていても
早期発見したらなんの問題も有りませんから。』
何度か 胃カメラを飲んだが、先生と話しながら検査をしたのは はじめてだ。
お大師さまは『 病気は 祈祷と 医術で治す』と経典に書かれている。
医学会でも、《医術と精神的看護》が取り沙汰され、《 心 》が重要テーマになっている。
院長先生に 最後のテストの検査の結果を聞きに行ったとき《萎縮性胃炎》の事を聞いた。
『かかる リスクが高いといっても、1000人胃炎の方がいて 2人かかるやら3人かかるやら
分からない。かからないかも知れない。それこそ《 神のみぞ 知る 》だ。
そんな事に一喜一憂しないで 今日は全ての検査にパスしたんだから、感謝して
お家のご本尊様にお礼を申しなさい。大丈夫、大丈夫! 』
今日は 病院でお不動さまとお観音様に出会った。
そして《 慈悲》と《 智慧 》を頂いた。
合掌

【 本来は 無一物なり 】

恵門ノ不動の信徒で結成されて居る 【 恵門講 】という組織がある。
現在は 団体数も 講員も減って 今後の住職の奮起なされる事、大だが【恵門講】主催の
法要にはかてって最高 2400食の弁当を出したことがある。
ジジと共に【 恵門講】を結成したのに 2人の爺さんが居る。
共に 献身的に 寺門興隆の為に尽力され ご自分でも『 うらは 子安の爺さんだ』と 豪語し、
みんなが『おじいさん、おじいさん』と慕っていた。その お爺さんの【卒寿 】 の祝の時、
感謝の気持をこめて 子安観音寺 境内に【顕彰碑 】を建てた。
ところが、喜んでくれるかと思ったら、『本来無一物』『我々は 裸で生まれ 何も持たず
裸で死んで行く。こんな物(顕彰碑) なんか作って貰っても あの世には持っていけん』と、
不機嫌な様子。
もう一人の お爺さんは 実子が無く ご養子と一緒に生活していたが 『死んだ あとあと
祀ってくれるだろうか? 息子はともあれ、孫の代は? 』色々、思い悩んだ。
『とらわれた心を捨て 気が楽になった』『裸にて 生まれてきて 何 不足 』
二人のお爺さんは 言い合わせたように 大観音にて【 仏壇 】を作られた。
『これで いつ 死んでも大丈夫。朝に 夜に 必ず 法主と住職が拝んでくれる。』
亡くなる前の日、実子の無いお爺さんから『顔が見たい』と 連絡があり飛んで行った。
お元気で、頭も冴えきって 色んなお教えを頂いた。帰りに まわり道をして 顕彰碑の
お爺さんの方にも回った。とても喜んでくれた。
そして あくる日、2人は 同じ日に天国に召された。
【本来無一物】
本来、何も持たない《 空 》 なのだから、執着するものもなく、煩悩の塵が 着くところさえ
ない。そのように 一切の囚われから離れるのが 無一物なのです。
いまも 【顕彰碑】が子安観音寺境内に 寂しく佇んで( たたずんで) いる。
合掌

【空疎な一千の言葉より 心を潤す 一言を贈ろう 】

昨日、東京では 未曾有の大雪が降った。
寒さが 骨の髄までしみ込む この頃になると 思い出さずには居られない事がある。
昭和48年だったかな~…ちょうど弘法大師の降誕 1200年を迎え 本山も信徒も
一丸となって誕生会で お祭り騒ぎをしていた年だった。
その日は小豆島でさえ 大雪が降り 全てのフェリーも バスも欠航してしまった。
その方は 大きなお団体の世話人さんで 丁度、お参りが済んだ 《 団 》を島から送り出す
仕事をして居た…帰宅を前に お遍路さんも大混乱.当時、電話も島の事とてままならず
歩いて 《 大本営 》に報告に行くより手だてがなかった。
フェリーから 子安観音寺まで15キロ。《大本営 》まではそれから15キロの道のりが有った。
周り一面、雪景色。寒風 吹き荒み 大雪舞う中を 一本一本 歩いた。
子安観音寺まで来て このまま《大本営》に行くか、子安観音寺に立ち寄るか躊躇した。
と、足が 子安観音寺の方に勝手に 向いてしまったと、本人が、後日 述べる。
ちょうど 寺には おばあちゃん《 先代 15代住職 夫人 》がいた。
猛雪の中、泣き顔で 入ってきた 彼を見て 『まあ まあ、寒かったろ。はよ~お上がり』
と、自分が着ていた 丹前を そっとかけてくれた。
これも 後日 『 どんな に甘言葉を 1000回 かけて貰うより あの一言が胸にしみた。
おばあちゃんは もう とっくに居ないけど、私の中には延々と生きずいている』と、申す。
【 無益な語を集めた 1000の言葉より、聞いて心の静まる 有益な一句の方が 良い】
【無益な語句からなる 1000の 詩より 聞いて心の静まる 一編の詩の方が 良い】
昨年は、想像もつかない大震災が起こった。有ってはならぬ大事故が起こったとき、
関係者は 被災した方々がの事よりも 多くの言葉を費やし 自己弁護に終止した。
政治家 しかり。
子安観音寺の住職が 被災地に お見舞いに行った。
ただ 被災された方々の 手を握り 『 頑張って ください 』。この 一言で 大勢の人が泣いた。
1000の御託を並べるより、心に届く 心から発せられた言葉を 聞いた そのときに。
合掌

とらわれの心を なくすコツ

その頃、ジジにも青春があった。
大学受験を目前に ネジはちまきを巻き机の前にかじりついて 、暗い青春を味わって居た
頃だ。近所に 美しい女性が居た。勿論、彼女が どこの誰で 年齢まで知る術もない。
ところが ある日、青天の霹靂ろでも言おうか。
とんでもない物を見てしまった。
ジジの高校の同級生が 真っ赤なスポーツカーに彼女を乗せて 走っているのだ。
美男美女、走るスポーツカー、なびく黒髪。まるで 映画に出てくるヒロインのようだ。
【嫉妬 】した訳でもないのだが、何とも 言いようの無い感情にとらわれた。
勿論、ご本人は ジジに嫉妬される 由縁も何ないない。(笑)
お釈迦さんの教えに 【 いたずらに 美にとらわれず 心を静かに保とう】と、ある。
全てのものは 清からず( 不浄である) と思って居れば、心が囚われることなく
執着も 渇愛も生じず ( 煩悩と言う悪魔も現れず) 心 静かに過ごせる と言うことです。
よけいな 【 とらわれの心 】は なるべく 無くして生活しなさい。
【眼 耳 鼻 口 などの臓器を守り 食事に節度を持ち、信念を持って 努め励む人を 悪魔が
襲うことはない。岩山が風に揺るがぬように】
彼女は髪をなびかせ真っ赤なスポーツカーに乗って居なかったのだ。
いや、彼女自身 存在しなかったのだ。
ジジは お釈迦さんの言葉に助けられ、目が覚めたのかも知れないね。
おかげで ( 良き悪きは別にして ) 大学進学という ジジの目的は達成された。
合掌



私たちの 心は 永遠に生きている

【古代遺跡のミステリー】とか
【悠久たる古代のロマン】
とか古代人が建造した

遺跡が紹介されて大学教授やら考古研究者が
述べて居るテレビ等を吹き込んでよく見る。

エジプト文明、アステカ文明、マヤ文明、中国、インド、チグリス 、ユーフラテスと
挙げると枚挙にいとまないが 巨大遺跡の殆どが【 墓 】である。
その時々の権力者が [自分の存在感を未来永劫に世に残そうと] 造った欲望の塊である。
しかしその野望とは裏腹に 【 欲望の塊 】 の殆どが 一体 誰の墓やら分からないまま
現在に至って居ているので有る。『世紀の大発見である。まだ 特定はできないが、誰それの
墓で有るというとこが 有力視されました。』哀れなものである。未来永劫に世に残そうと
したものが 誰のものかも分からず、誰も手すら合せてくれないので有る。
弘法大師をはじめ、日本の殆どのお宗師さんの墓は 現在に至るまで信者さんは知って居て
そこに行けば 昼夜を分かたず線香の煙が絶えない。
大師は【 御遺告 】(ごゆいごう)と言って入定 ( にゅうじょう お亡くなりになること)
される時 この様にお告げになった。
『 我が身は この世(現世)で果てようとも 魂は永遠に皆さんの心の中にいるよ』
『手を合わせて 南無大師遍照金剛と唱えたその者の処には、この身体を幾十万に分けてでも
影の形に従うが如く その人の心の中に飛び込んで 助けるであろう』
《 大師は死んでは居ない。大師は いまだ ここに おわしますなる 》
昭和59年に 御遠忌 ( ごおんき) と言って大師が入定されて1150回目の 大法要があった。
死んでは居ないのだから、[ 法事 ] ではないのだが 所謂、法事だ。
法要は50年に一度、現代まで続いている。
心の 入って居ない 馬鹿でかい遺跡。[お教えが][お心が ] 未だに通っておられる 高野山。
さて、造った人は どちらを 喜ぶのでしょうね ?
そして 皆さんは、どちらの墓に入りたいのでしょうね ?
『ご法事なんかは もう どうでもいいわ 』『50回忌で切り上げました』
そんな悲しい事を 言わないで シッカリと墓を守ってください。そうでなければ
あなたの墓を見て 後代の方々が『 だれの 墓なんやろ ?誰の 骨やろ? 』と、いいますよ。
合掌

一期一会 ( いちごいちえ )

子安観音寺に 一台のオートバイが到着した。後で聞いたのだが BMWと言うメーカーだ
そうだ。ヘルメットとサングラスを取ると、柔和な懐かしい顔が出てきた。
単身、島を出て大阪で頑張って居る 大の親友だ。彼が島にいた頃、毎日のように寺に来て
もう一人の友人と共に よく飲み、夢を語った。
その彼はジジとは大分、年齢が離れて居て 来年、還暦を迎える。
『島を出て 家族のために死に物狂いで働いた。あっと 気が付けば もうすぐ還暦を迎える。
何の趣味も持たず ただ家族の幸せと安穏を祈って働いてきたが、知らぬまに此の年になって
しまった。平均寿命まで あと 20年。それを考えた時、もともと大好きだった この オートバイを思いついたそうだ。
『忙しいと言って何の趣味も持たなかったのは残念だ。子供達も みんな一人前になり
(一人前 どころか、銘々 素晴らしい) 今度は 我が楽しみと思った時、思わず知らず買って
しまった』僧侶のする事ではないが 金額を聞くと お家にまたがって走っているようなもので
有る。
『仕事が休みの日は 必ず 乗っている』『この前も、一人で高野山にお参りしてきた。
ああ、住職と一年に一度はお参りしたなー。( 彼はジジの事を住職と呼ぶ)感慨深いものが
あった』『富士山から 長野まで足を伸ばした』『そこでも、新しい出会いがあった』
同じオートバイに乗っている人同士が 集うのだ。最初は分からなくても ヘルメットを
取れば 大体、同年代かそれ以上だそうだ。同じ思いのオートバイ同好者が一杯いる。
あちらでも こちらでも、新しい出会いに巡り会える。
【 一期一会 】
二度と再び会えるかどうか分からない 友人と 今日も出会っている。
そしてジジの経験した事のない 風光明媚な日本の隅々をを満喫して居るのだ。
後代に代替わりしてから メッキリ 新しい出会いも減った ジジに 新風を吹き込んでくれて
居るのかもしれない。『ジジよ。外の空気にも 当たれよ』と。
合掌


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【 夢 】 No. 2

ジジは 火事の夢をよく見る。本堂が猛火に包まれて居る 夢だ。
昨日も これを書きたかった。が、つい思い出が強すぎ、感傷に耽り 話がそれてしまった。
これは ジジが 人前で理路整然と語り、ブログに書く。そんなジジが実は 【強欲】に浸っている
情けない 哀れな老人であると悟り、反省の為の 文章である。
ー 目の前は真っ赤である。喉が 焼け付くように 熱い。『 本尊さまは ? 本尊さまは大丈夫か?』
『大丈夫です。既に お出ししました ! 』『過去帳は ? 過去帳は大丈夫か ? 』
ジジが叫んでいる。《万が一の時は 何をさて置いても 過去帳だけは 1番にお出ししなければ』
生前、先代が 口が酸っぱくなるほど 言い続ずけた 言葉だ。夢の中で叫んでいる。
『過去帳。お出ししましたー』『 ああ 南無大師遍照金剛…』
猛火は 目前に迫っている。『 あー 燃える。さて! さて ! 何をお出ししましょうか ? 』
いや、何を持って逃げようか ? 『あれも大切だ。これだって それ以上に大切だ。』
ジジの顔は 阿修羅の顔だろうね。口では 一人前の事を 申しているジジが。餓鬼、
畜生になって居る。『 あーっ 本堂が 崩れ落ちた ! 』
ジジがいつも言っている。この世の中に 不変なものは なに一つない。【栄枯盛衰】
【金持ち、三代 続かず 】 世の中 刻、一刻と 森羅万象 変化して居る。
ジジの 夢は 持ち出すのに 焦るばかりで 結局 何ひとつ 持ちだせないまま 終る。
【 欲望では ないのですよ 】【 欲望を捨てた時、私たちは しあわせみなりますよ】
分かって居るのです。分かって居るのですが つい、そんな 夢を見てしまうのです。
ご本尊さまが もっともっと修行をすると共に 火事を知らない若者に 火事の恐ろしさを
理解させ、みんなで【 火 】だけは気をつけようね と仰られて居るに違いない。
合掌

【 夢 】

ジジは 少年の時からそうで有ったが 今でも 火事の夢をよく見る。
猛火に包まれて居るのは本堂だ。子安観音寺は昭和になって昭和元年、29年、32年と
三度、消失した。ジジが6才と9才の時だ。32年の時は 建設途中で畳もひき終わり
瓦もあがり 完成間際に 大工さんの失火で全焼した。
夜だ。暗闇の中で、怒号が飛び交う。棟が落ちる。真昼のような明るさから 一挙に 真っ暗闇の
現実につき戻される。先代が死に物狂いで檀信徒の皆様と共に建立した本堂が、一瞬にして
日の目も見ないまま崩れさる。ジジは ガタガタ震えて居る。今も犬の反射のようなもので
サイレンの音を聞くと 思わず知らず 震えが止まらない。
学校に行く。『火事 大変だったね。大丈夫 ? 』同級生から慰めの言葉を貰えると甘える。
『寺の火事で 父ちゃんが怪我をした。』『 灰が家まで 飛んできて、爺ちゃんは
うちの屋根にずっとを水をかけていた』慰めの言葉を貰おうとは甘いものだった。
それからの先代の 心身共の苦節は 想像を絶する。住職に喜んで貰おうと巨額な浄財を持って来られた信者さんが 焼け残った残骸の前で立ちすくんだ。猫の名前を《 復興 》と
なずけジジも『ふっこー、ふっこー』と呼んでいた。寺内が一丸となって 本堂再建に
全力投球した。二度でなく三度まで寄進を焼かれた信者も 応じてくれた。
『世話になったお遍路さんに おうどんの接待を』接待が始まったのはその頃からで、
心からのお礼の 現れである。
怒りもせずに、三度、立ち上がってくれた。今は亡き、先代に !信徒に!
どんなに 礼を言い尽くしても つくしきれるものではない。
ジジは今日も 火事の夢をみる。
合掌

子安観音寺にて お日待ち

子安観音寺にて14日 夜、15日 早朝と《お日待ち》の行事が厳修された。
子安観音寺には 正月の〔お日待ち} お盆の〔棚経] 秋の〔お十夜]と 一年に三度、
檀家の行事が有る。
〔お日待ち〕は特に檀家主導の行事で 40年ぐらい前までは、娯楽の無かった
寒村では 年に唯 一度の宗教行事と娯楽とが密接に結びついた楽しみだった。
護摩焚きが終ると庫裏にて 檀家中の御膳がだされ [ お斎]の後は、演芸大会まであったようだ。
[ 棚経 ]と[ お十夜 ]は先祖への供養が中心になる行事だが [ お日待ち ] は昨年の 無事息災の
感謝と共に、今年の平穏としあわせを 祈る 祈願祭である。
12日に檀家総代 以下、有志の方が出仕され [ 餅搗き ] をする。カチカチにならない
14日のうちに 餅を切り 愈々、宵祭りの[ お護摩 ] の火に併せて祈願されたお札とお餅を
15日に世話役の方々が檀家中を一軒 一軒 お配りをするのだ。
ジジが住職の頃も 口が酸っぱくなるぐらい 申し続けて来たのだが 檀家の皆さんは
宵祭の 【 護摩焚き 】が 本行事だと思っているが それは本当の宵祭で [ お日待ち ] の
行事とは 月が沈み、太陽が上がって来る。その刹那に 《 日天 》《 月天 》の真言を誦し
檀家の皆さんの しあわせを祈るのだ。お護摩の火によって 汗まみれになりながら
『明日の明朝が 本番ですよ』と言い続けるのだが いざ蓋を開けてみれば いつも
数えるぐらいしか参拝はない。
『 まあ、良いか。皆さん、忙しいのだし 形式に囚われるより、心の中で 本尊さまに
手を合わせてくれるのなら その方がいい。』
皆さんの 健康と しあわせを 真剣に祈る ジジであった。
合掌







ジジの専用サイト
ジジ(法主)が名付け(命名)をしております。
詳しくは、こちらから。

『 精進』して 『 正道 』を進もう

先日、友人とお出会いした時に ジジのブログの話が出た。

『 一日も休まずに よく続いていますね。』から話は 始まった。

一人の友人が仰る。
『 しかし、こうして話していると そんな人とも思わなかったが、
よう あんな素晴らしい文章がかけますな~』

すると、隣に居たの友人が
『パターンが決まってきて 面白くない。マンネリ化してますな』と、切り返してきた。

最初の友人の弁に 喜ぶ事も自惚れる事もない。後の 友人の弁に対して腹だてることも
残念に思う事も 一喜一憂する事もない。

そもそも《ジジの 一言》は、あの日、その時、そして今日、体験した事を お知らせして
もしお読みになられた方の1人でもが 『アッ このブログ、読んで良かったな』と、
思って頂けたら しあわせと、書き始めたものである。

本を著す訳でもなく 単なるジジの〔 ひらめき 〕を書いているだけで文章の構成しかり、
解釈の是非、誤字脱字、書き上げたら枚挙にいとま無いが 専門書とはほど遠い。

経の中に 【 八万四千の 法門は( ナ) 生死の苦海を渡す 筏なり】とあるが事実、
八万四千の法門を一ツ一ツ 専門的に紐解いてみろと 叱咤激励をして頂いて
居るのかもしれないが、それは至心に受け止め 努力研鑽しなければならない。

お釈迦様のお教えの根本は 【六波羅蜜】と【八正道】があるがジジのブログにしても
日々《 精進努力》して心迷わず、八正道の真髄である《 正道》の行に邁進しなければ
ならない。
合掌





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人の 《きずかい》程 有難いものは無い

家内の風邪が やっと 治ってきて ケーキでもってお祝いを。
『単なる 風邪か 』と、申すものの 想像を絶する闘病生活だった。発病して一度は治って
きたものの またぶり返し、夜中じゅう 咳き込み 約 一ヶ月も続くのだ。信者さんが
来られ『奥さんは 風邪で 休んで居ります』では洒落になりません。
マスクをして咳き込みながら接客をして居るのを 信者さんは見ていたのですね。
岡山の信者さんから『元気をだして』と、マンゴーを送ってきてくれた。ご自分も
果樹を沢山 出荷して居られるのだが わざわざ東京に居られる息子さんに依頼し、息子さんも
『奥さんのためなら』と、特別なのを求められたそうだ。
但馬の信者さんも『わたしも 長い間、風邪が治らなかったが これを飲んで よくなった』と
漢方薬を くださった。
『信者さんとの色んな 出会いはあるが こんなに気配りをして頂いてありがたい。わたしは
本当にしあわせものだ。治った暁には 自分も 隣に居る人に《気配りの 出来る おばさん》
にならなければ』とは家内の弁。
ジジが一生懸命、ブログに書いている 《 布施行 》がやっと 開花して来たのですね。
確かに 家内は 大勢の人たちと マンゴーを食べたし( ジジも お裾分けをして頂いた一人)
風邪で困って居る人を見つけては 漢方薬を差し上げる。『これ 飲んでみなさいって。
わたしも 治ったから』せっかく頂いた 漢方薬はもう 残ってないのでは ないかな?
でも、それによって喜んでくれる人の顔を見て ジジも嬉しい。
合掌

年代を重ねる 重み

あっという間に お正月ムードも一段落。寺では14日に【 お日待ち 】と言う行事があり
それにあわせて 檀家の皆さんに配る《餅搗き》が昨日あった。住職を中心に檀家総代 以下
有志の皆様が檀家の事業として 出仕してくれ、ジジは無力感を感じる次第だ。
閑話休題
『もうすぐ 松の内もあけ、愈々 お正月も終りですね』ジジと長女の会話だ。
『それはそうと 年末に 中国 西安の 寛旭管長から 電話が有ったよ』『えっ ! ジジには
何もかからないよ』『 ジジに かけても中国語、通じないもの』『………』
京都の大寺院に招待されて 除夜の鐘をついて 元日そうそうに お帰りになったようだ。
何にしろ 私たちの事を 心に留めていて下さる事は これ程、冥利に尽きる事はない。
以前にも書いたが 寛旭管長は青龍寺の42世 管長猊下。弘法大師 空海が青龍寺 8世とすると
寛旭管長は 名実ともに42代目の《お大師さん》である。ジジの 子安観音寺 16世など
まだまだ ヒヨッコだ。ローマ法王で考えてみよう。
キリストが亡くなって キリスト自身は復活はしたものの【キリスト教】では弟子の中で
最高位に居た《 ペドロ 》が後継者となった。ペドロが ローマ法王 第一世なのである。
11億 カトリック教徒の頂点であって実は頂点ではない。キリスト(メシア)そのもので有り、
ペドロであり、空海で有り、管長猊下なのである。所謂、【 神 】なのだ。
その 【神 】から長女は連絡があった。[ ご神託を 得た] 有難い事だ。
そして、その ご縁を大切にしなくては。
合掌





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『 ありがとう 』の一言

昨夜は 歯医者の奥様より 連絡が有り、また、ジジの長女の主人のバースデイが昨日であったと
いう事も有り、友人 〔 本人からすれば おっちゃん、あばちゃん だが〕もお呼びして、
みんなで 一緒に食事をする事になった。

歯医者の先生は昨年、お亡くなりになり 子供達はそれぞれ結婚、独立して、奥さん1 人で
暮らしている。

先生は信心篤く、ジジの【得度】第一号だった。

ここ しばらく体調を崩し
病院の世話にはなっていたが 、まさか誰の目から見ても 今日 明日に亡くなるとは思いも
しなかった。調子が悪いという事で緊急入院はしたが病院の先生まで半信半疑だった。
2 時間ぐらいは 流石に苦しんだそうだ。

『おかあちゃん、ぼく 臨終やで』と、二度 はっきりとした語尾で仰られたそうだ。

『そんな バカな。そんな事ないわ 』と 取り合わなかったが 苦しみが、だんだん増してくる。

『 ああ 苦しい。死ぬという事は こんなに 苦しいものなんかな』

そして、そのあと
『 おかあちゃん 長いこと、お世話になったなあ』臨終の言葉が 『ありがとう』だった。

先生らしく、申すことはもうして 残された人の事も考えないで 慌てて天国に召されたが
『ありがとう』の一言だけがいつまでも 耳に、頭に しっかりと残っている。

昨夜の 悔悟、笑い話で(笑い話と言えば失礼だが)『長いこと 体調を崩していたので
心身共に 我がままになり 一杯、悪態を ついていたが あの一言で 帳消しだわ』と笑う。

奥様のご友人も『 わたしも 死ぬ前に《 ありがとう》と 言ってから 死のう』と仰るとか。
私たちの 生活の中で《 反省をする 》《 懺悔をする》《 あやまり 感謝をする》
この事が 一番大切だ。一日に一回は 反省を 懺悔をする時間をつくりましょう。

それにしても 先生、死の直前まで 我々 凡人にお諭しの言葉を お遺しになるなんて。
そして、死後、ずっと感銘を与えつずけて くださるとは。
合掌




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【 親の 愛 】 に 勝るもの なし

一日、孫 二人を預かった。
とても いい子で 利発で活発で 明るく振る舞い 一日中、はしゃぎ回った。
でも 家政婦は…いや、ジジは知っている。明るく振る舞っていた 裏側で涙していた事を。
やがて 夕方、母親が 帰ってくる。『 ジジ、ありがとう。どお ? 良い子に してた 』
勿論、いい子だ。『 一日中、走り回っていたよ。もう ママは 要らないね 』
しかし ジジは知って知っている。陰でこっそり 涙していたことを。
夜中の 11時もすぎた頃、会社帰りの パパが迎えにきた。『 パパーッ ! 』
光るような顔をして、パパに飛びついた。声がねも 違う。
『 これから お家に帰って パパとママと 4人で おネンネするの 』『 えー、4にん ?
ジジは その中には 入らないの ? 』『 ジジは はいらないの ! 』
当然の事ながら、【 親の恩愛に 勝るもの 】は ない。
やがてジジが 死んだ時は 孫たちに 『へんな ジイちゃんが居たな 』と、心の隅にでも
届めて貰ったらとも ぼんやり考える。
お釈迦さんが 入滅する直前の足跡を書いた《 大般涅槃経 》と言う 有名な教典に
《 自燈明 法燈明 》じとうみょう ほうとうみょう と言う言葉が出てくる。
死 直前の釈迦を前にして 『師がこの世を去られた後、我々は一体、何を頼りに生きていけば
良いのですか? 』涙ながらに弟子が問い掛けた 答の《 お言葉 》だ。
《 皆さんは、これからは ここに 自らを燈明とし、自らを拠り所として 他人を拠り所とせず
法を灯明とし 法を拠り所として 他を拠り所とせずに 生活をすればよろしい 》
孫は 孫自身を 《燈明 》として生きていくだろう。孫の思い出の片隅にでも、留めておいて
欲しいなんかは 孫が考える事で、全く姑息な考えであった。
ただ、孫の 《自燈明 》の中に ジジがいるかどうかは 別として。
合掌

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【 ささやかな 幸せ 】

『 ジジ、今日は邪魔をしないでね 』『 ええつー? 』
いつも唐突な長女の弁に 最初はピンと こなかったのだが やがて今日は主人の誕生日と
言うことが分かった。兄弟姉妹の中でいちばん最後に結婚した 長女夫婦は初めての
主人のバースデイにささやかながら 2人で お祝いをしようと言う魂胆だ。
神戸の【異人館 】にある質素なレストランにて至福のひと時を送ったようだ。
事後の報告を聞いて ジジも嬉しかった。ジジや兄弟、友人、知人を呼んで豪華に 盛大に
パーティーを開きたかったに違いない。それを ささやかに2人だけでお祝いをして
結婚 第1回目の しあわせの時間を持ったのだ。
よくマリーアントアネットで代表される ゴウジャスな宮廷映画で 目も眩む程のドレスに
着飾った夫人が 何が腹が立ったのか 衣裳を脱ぎ散らし、挙げ句の果てには 値段の
付けられない程 高価な装飾品を投げ壊していく、皆さんも よく目にするシーンだ。
皆さんは あの光景を見てどうお考えでしょう ? 大きな宮殿にも住んでみたい。
煌びやかや衣装にも袖を通してみたい。大勢のサーバントに傅かれて( かしずく)みたい。
あの時のシーンで彼女は怒っている。涙している。あれ程、贅沢の極みを尽くして 一体、
何の不平不満があるのだろう? 不思議に思われるのと同時に 当人に違和感を感じるだろう。
[粗末な物を着て、お茶ずけを食べて居ても良い。あの人よりは私の方が幸せだ。]
彼女は 足ることを知らない。心が貧し 過ぎるのだ。
長女夫婦は フランス宮殿に住む人達よりも、プアーかもしれない。しかし彼女たちよりも
ずっと ずっと幸せな生活をしているのに 間違いない。
[ 足るをしり ささやかな幸せで 満足できるから ]
合掌


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お観音さまの 顔

新快速が 神戸を走り抜けている。
先日 聞いた友人の話を思い出した。嫁いでいった 娘たちより連絡があったのだ。
『お父さん、お母さん、一生懸命働いて ご苦労さま。姉妹( きょうだい )で計画したの
ですが、このクリスマスイブに神戸に出てきませんか ? 素晴らしい温泉もあるし 美味しい
神戸牛もあります。』
二人の子供達が嫁いで行って 感傷的になっていた矢先の涙こぼれる 誘いだった。
大喜びで 夫婦で神戸の地を踏んだ。小豆島大観音にある100観音霊場で( 西国三十三カ所)の
【 中山寺 】を奉納せせて頂いて居るので、生まれて初めてお参りをした。
三田にアウトレッドがあると言うので【 牛に引かれて 善光寺参り 】これも はじめて
体験した。娘達夫婦の気使いに 至福で一杯だ。
神戸牛も美味しかった。温泉も素晴らしかった。《 だが… さて… 》
支払いの段になると 何とも モゾモゾしている。『 ほら、これで支払っとけ』思わず知らず
カードを出す。『 いや、私たちが 両親を接待したのだから 』『 いやいや お金は大切に
持っておけ』押し問答の末、カードの下に自分の名前を記入する。
『本当に 調子が良いのだから。泥棒に追銭だ』言いながら 友人の顔はニコニコしている。
その顔はお観音さま そのもので有り 心は お観音さまの《 慈愛 》で有った。
いつまで経っても、幾つになっても、親が子に対する 愛は普遍だ。ジジもそうだ。
歳がいき 身体は 言うことを効かなくなっても、子供に対する慈愛は持っている。
《子供達が 永遠に 幸せでありますように》
それを( してくれと 言うのではないが) 心で返すのが【 恩愛 】である。
ともあれ、しあわせな友人の顔を見て心から喜びを感ずるジジであった。
合掌

新春吉祥 柴燈大護摩

子安観音寺にて 新春のお護摩を焚いた。
本坊 子安観音寺に恵門ノ不動、山ノ観音それぞれの 御本尊を勧請し、三壇の盧を組んで
檀信徒の 今年一年の吉祥を祈るのだ。
柴燈大護摩とは (1) 本尊壇にてご本尊を勧請し、本尊を供養する。(2) 添え護摩壇にて
信者の心こもった添え護摩を焚く。(3)後壇にてもう一度 本尊を供養し その後、本座に
お帰りになって頂く。(4) 火渡りと申し 今まで燃え盛って居た木の上を素足で歩く 4 壇にて
構成されている。
今日のお護摩は特に素晴らしく、感銘を受けた。
住職に『 素晴らしい お護摩だったね』と申すと『いやー まだまだです』
『それより 同じお護摩にあって、人 それぞれ取り方が違うものですね』と申す。
『良いお護摩だったともう方が居れば、昨年の方が気合が入っていたと言う人も居る。』
そりゃ~そうだ。人間 オギャーと受けたあれ落ちたその瞬間から【 本性 】を持っている。
その上に育った境遇 、環境、道程、時間。そして、その人のその時前後の実態、心理状態。
同じものを見、聞いても 取り方が違うのは当たりまえである。
ジジも先頭になって『 良いお護摩 だったね』と 比較した張本人だが お釈迦さまは
【物事を 比較してはならない】と申されている。それをお護摩まで比較したジジは…。
『一生懸命、ご本尊さまを供養し 真面目にご奉仕をさせて頂いていたら、ご本尊さまも
分かってくれますよ。』『そうですね』
そんな会話で終ったが、きっと 子安観音寺は素晴らしい護摩をたき続け 大勢の善男善女が
おかげを頂ける事だろう。


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合掌

《 行 》は楽しい

明日、子安観音寺において 新春吉祥の柴燈大護摩が 嚴修される。
今日は 朝から行者さんが 大勢来られ 住職と共に、【 作壇 】と言って明日に向っての
準備に余念がない。『柴燈大護摩を焚く事よりも、準備をすることの方が《 行 》である』
師僧が仰った言葉が 懐かしくて仕方がない。歳のせいだろうか? 伝授されるのでなく
する側の年齢になり 師僧の一言一言が走馬灯のように思い出される。
昨年の小豆島大観音の柴燈大護摩が終わった時、住職に 行者さんに対して《 初心を忘れず 》述べるように指示した。
始めての事、始めての時、その全てに居住まいを正し 真面目に取り組むが 慣れてくると
惰性が見え隠れして 本人の【 行 】は勿論の事、見ている方も 嫌気がにしてくる。
何事も一生懸命、一心不乱の姿が 感動を与える。
[ 一番最初にコチンコチンになってお護摩を焚いた時のことを 思い出しましょう】
そう 申したのだ。
師僧の事で こっぴどく叱られた思い出がある。お坊さんになるための 登竜門として
《四度加行》と言う事は行 がある。その前に( 朝の4時 )必ず、滝にうたれて心身を清浄に
する。その行を 師僧も弟子と同じようにしておられたのだ。《 滝行 》が
終ってから鐘をつく。
《浜までは 海女も箕の着る 時雨かな 》加行は長く 冬になれば 滝行も辛い。寒風が吹き荒み
雨嵐になっても《行》は続く。お滝によって 濡れるのは分かっていても、現場までは
僧衣を纏っていく。ある日、なかなか 寝つけず 一緒に加行して居た方と相談して 1時間早く
滝に入った。驚いたのは師僧である 。春眠を破られて『 あれま ! しまった ! 寝過ごした! 』と、
フンドシ一つで滝に飛び込み、しまいの果てには “ ゴ~ン ”と鐘まで ついてしまったので有る。
師僧が烈火のごとく怒ったのは 言うまでも無い。
この歳になり あの時の師僧のお顔、一挙一動がとても 懐かしい。
《 行 》は辛いものではない。何事も一生懸命やれば、そして それを後悔しなければ
こんなに楽しいものは無い。さて ジジも 痩せ馬に鞭打って…
合掌

《 即身成仏 道 》

年も開け 鑑定士の先生に色々とお世話になった。
この 【 ジジの一言 】 のブログも 全て 先生におんぶに抱っこである。
先生が高野山の管長猊下から寺に 届いた年賀状を見つけ 『この方は昔、高野山大学の学長を
なさっておられ、本を沢山 書かれている方ではありませんか? 』と、聞かれる。
『 わたしも 本を買って 読ませて頂きました。今でも《 即身成仏 》のお話は 鮮明に脳裏に
焼き付いています』と仰る。自分の事では無いのに 何故かジジも『 エヘン ! 』と胸を
張りたいような気持ちになる。
話は変わって、ジジの家内が 風邪をこじらせて 一晩中『コンコン』と咳が出て大変だ。
それも もう一週間にもなる。夜中に 咳き込んでいる家内を見て 代わってあげる訳にもいかず
ただ、『大丈夫? 』と背中をさする位しか出来ないが、寝る前には 首 肩をマッサージして
あげることにしている。《…してあげる》と、言うこと自体、すでに 傲慢で《させて頂いて居る》と 言う気持にならなければならないのだが。
更に 『わたしが 調子の悪い時には、何もしてくれなくて 』と、来たら 人間失格である。
《家内が 調子が悪い》と言う事は 紛れもない事実である。それを本人の気持ちになって
『どお ? 苦しくない ? 』と思う心も 『私の時には しらんふりして グーグー寝ていたでは
ないか。わたしも 知らん』と、考えるのも 同じ人なのである。天国と地獄は死んでから
行くところではない。《生きて居る今、生かされて居る今、私たちは 天国に向かわなくては
ならないのだ。》
【 即身成仏 】生きとし生きるものは全て、生きたまま 即、今すぐに天国に行けることが
出来る。そして その心がすなはち お観音様の《 智慧 》なのである。


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合掌

《 愛 》は永遠に

正月も終り ( 松の内のことを言っているのでは無い) 平穏な 普段の寺に戻った。
里帰りして 大暴れして帰って行った 孫たちの成長を喜びながら、後片付けをする。
普段、開けたことのない引き出しから ジジのスケジュール表、ジジの子供たちの育児手帳、
成績表(皆さん、あまり見たくないだろうが)、と共にジジ宛の古い手紙がでてきた。
手紙と言っても 紙のはし切れで それが何枚も何枚も大量に保管されていた。
思い起こせば 丁度、バス道路をつけ、山ノ観音の本堂、恵門ノ不動の本堂、厄除けの石段、本坊の庫裏と石垣等を建立し、さて小豆島大観音 建立と 意気に燃えていた頃の手紙だ。
《 お父さんが まだ かえってないので さきに ねます。からだを こわさないでね 》
《 良い てんすうを もらったのに お父さんに みせられないのが ざんねんです。からだに
きをつけて しごとをがんばってください》
もう少し 大きくなると
《 夜 遅くまでごくろうさま。あまりお酒を飲み過ぎないようにね。》
《 42回目の誕生日ですね。おめでとう。いつ迄も お母さんと仲良くしてね》
娘達の結婚式でも 涙したことがなかった ジジがの目頭が熱くなった。
『あの当時、この子供達の手紙を 真剣に読んだことが有るだろうか? 』
『 手紙の 端々に親身になって身体をきずかってくれている。』
『 痩せ我慢を 貼って居たが、やはり寂しかったのかな 』
暗闇で 我が一人、文を読み この込み上げてくるものは 一体 なんなのだろう。
あの時の 子供達の寝顔と今の彼ら 彼女たちをスライドさせて思う。良い 伴侶に恵まれ
素晴らしい子供達に囲まれ、これ以上の幸せが有るだろうか?
それを思った時、ジジは決して良き 父では無かったかも。
その父を心から きずかってくれた。本当に 今からでも感謝しなければ。
《 愛 …愛は永遠に 》
そして、次の代に 引き継がれる。
アッ 古い手紙の 後片付けを!

合掌

《愛別離苦》

年末から帰省していた 孫たちの最後の組が 今日、帰った。【 戦いすんで 日はくれて…】
またいつもの 家族だけの生活に戻り 何か気が抜けて 、寺中 張り切ってはしゃぎ回っていた
孫たちの声と、母親の叱咤激励の声が 今でも聞こえるようだ。
各々の パパから『無事、到着しました』のと電話が入ったが、久し振りの再会に パパも
子供も弾けるような声だ。一緒に居た人が『うちも 孫が島根に里帰りしている。ここ数日、
孫の顔が見えなくて寂しくてしようがない。反対に島根のご両親も 愈々 帰る時には
泣きの涙だと申して居た』『寺は まだ良いですよ。家には長男の家族が居るのだし、
外孫だって 会いたい時にはいつでも 会えるのだから。
それよりも 子供の顔が見えなくても、笑顔で送り出してくれた パパ達に感謝すべきだ』と
申す。 【諸行無常】【 愛別離苦 】
私たちが 日暮らしをする中で、絶対に避けて通れないものに【生老病死】四苦八苦が
あるが 四苦でなく 八苦の方で【愛別離苦】というのが有る。愛して 愛してならぬ人との
別れ。肉親との別れ、愛人とのわかれ、友人との別れ。会うは別れのはじめとは言うものの
引き裂かれるような、八つ裂きにされるような 離別だ。
そんな事から考えたら ジジの【愛別離苦】なんかは まだまだ幼稚園の様なものだ。
昨年の大震災で被災なさり あっと言う間に飲み込まれ 二度と再び会う事の出来ない方々の
愛別離苦。言うに言えない苦しみを背負って毎日を必死で日暮らしをしておられる方の数は
枚挙にいとまない。
さてジジも いつ迄もクヨクヨしないで 【 お仕事! 】【 お仕事! 】【般若心経】


合掌

【 厄除け祈祷 】

【 恵門ノ不動 】にて 昨日、ブログにて紹介した 弟の【 還暦の厄除け祈祷 】をした。
若い若いと 思っていたら何時の間に こんな歳になって居たのだろう。
ジジの3女も厄年にあたり 地元の同級生全員と共に恵門ノ不動にて厄除けの祈祷をした。
その昔 ( 大同2年 ) 弘法大師 空海が恵門ノ不動にて善男子善女人に 厄除けの祈祷をした事に
由来し 昭和59年には弘法大師が亡くなって( 御入定 ) 1150年の法要にあわせて
【 厄除けの石段】をおつくりして 本山 善通寺の 蓮尾管長猊下が 開眼法要を嚴修され
名実ともに《 厄除けの 不動 》として全国に知れるようになった。
恵門ノ不動も そのような厄除けの石段を作りましたが 13の子供石段、33の女石段、
42の男石段、そして61の還暦の石段。トータル 108の煩悩になります。
本来 もっと小分けされるのだが、例え話として 女性なら 女性の一生として
子供の産める身体になり、玉のような子供を頂き、育て、やがて一切を子供に任せ、
老後の用意をする。その節目節目を厄年として、お祝いをして大切に過ごすのです。
ジジが居なかったら護摩壇に座ると 『 登壇 されたのは、もう5年振りになるな』と申され
《晋山式》《退山式》をし、住職に全権を委任してから もう そんなんになるのかと
時の流れの早さと、無駄な日暮らしをした自戒の念に胸を熱くしたが、それも一刹那。
心より、弟の《厄除け。身体堅固》を祈った。
どうか 幸せな還暦の一年を送れますように。
えっ! 自分の心配をしなさい ですって?
合掌

正しい 行動である 【 正業 】

お正月、三が日は 流石に4山とも多勢の初詣の方達でごった返す。
一人っ子であるジジに 1人、弟がいる。家系的に言うと先代の弟の子供でジジとは従兄弟に
なる。持って生まれた聡明さと実行力のある弟で 宗団においても岡山県の支所長( 知事 )
を経て宗会議員( 国会議員 ) と今や飛ぶ鳥を落とさんばかりの勢いである。
その 弟が今年も 親子で 4山の手伝いに来てくれた。自坊も有り、正月という中で 何十年も
ずっと 続いている…【 義理 】【 人情 】を持ち合わせた人だ。
【 義理 】とは物事の正しい道筋、また人としての守るべき 正しい道、道理の事。
【 人情 】は人間としての必要不可欠な心の動き、人としての( 情け )(他人への思いやり)の
ことで有る。ジジも 今までに色んな事があったが、その大変な時【義理、人情】で
陰になり 日向になって応援してくれ、苦難を乗り越えることが出来た。
《正しい 悟りへの道 》においても八正道といって【正見 】…あ、また難しいと言って
読むのを止めるから 書かないでおこうね。
その昔ね、弟が大学を卒業したころ、先代にお伺いに来たの。先ほど 申したように
聡明なだけに 色んなライセンスを持ち、さて大学を卒業して【我が行く道を】相談に
きたのだ。獣医さんになろうか ? 少林寺拳法の道場を開こうか ? 親の跡をついで 僧侶に
なろうか ? 先代の答は簡潔明瞭だった。『跡をついで 僧侶になりなさい 』
本人にしたら、三番目の選択肢だったので ビックリして大慌てで お坊さんの養成学校に
入った。今、獣医さんをしていたら…。今、少林寺拳法の道場を開いていたら…。
思いは色々あるが、お坊さんを目指して大正解だった様に思う。
【八正道】からすれば【正業 】。正しい道に進み、正しい行いをしたのだ。
《 追うた子に教えられ》ジジも弟に もっともっと教えを乞わなければ。
合掌

続ける事は 【 美鏡 なり 】

【 忍辱の行に 増しての 美徳】
お正月にてジジの 友人が長男と共に 島に帰ってきた。
長男は 美術大学を卒業し 今、日本一とも有名な【仏師さん】に師事して 仏師の卵として
京都で修行して居る。長男に聞くと、先生には 約 40人のお弟子さんが勉強しており
今で8年目の長男は丁度 20位、真ん中ぐらいとか。言いもせず 聞きもしなかったが
果たして一人立ち出来るのには 一体、どれ位の長き年月がかかるのだろう?
その間、挫折して 多くのお弟子さんが離合集散していくらしい。
さて、友人親子は これから【 81番札所 恵門ノ不動】にお籠もりする。これも昨今からでなく
長きに渡っての信心の賜物と思われる。長男は お籠もりしている間に、今年の【干支】を
彫って奉納してくれる。【 亥 】の年からだから今年で 6体目になる。
『一人前の仏師さんになったら、凄い お宝になるね』最初はそう もうして居たのだが
今やメキメキ腕を上げ、奉納してくださった一体一体が 既にお宝の山だ。
ところが、本人は至って謙虚。先生の工房の門をたたき、8年もの間 一生懸命脇目も振らず
修行し『わたしは、まだまだ』と、言う。恵門ノ不動にお篭りにしても、干支本尊 奉納に
しても、気まぐれではない。今時の若者に見せてあげたい位
【一本も二本も 筋金が通っている】
投げ出さない。棒を折らない。粘りずよく しかも謙虚に生きる。
【六波羅蜜】と言う 言葉があるが 奉納するという【布施行】から始まって 耐え忍ぶ
【忍辱の行】そして一挙に【禅定、智慧】まで授かったスーパーマンだ。
どうか これからも 折れないで、崩れないで、スーパーマンで居つずけて欲しい。頑張れ!
合掌
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子安観音寺

Author:子安観音寺
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