スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

【 仏様には 私たちも なれる 】

団体長さんが 来られた。

100人ぐらいの 団体で
この 3月に宿泊所、交通機関等の最終打ち合わせのためだ。

寺に着くや否や
『 昔は良かったですな~。島をあげてお遍路さんをお迎えしようと言う
島民の 慈愛心も感じられたし、何よりも人情味が有った』
と空を見上げる。

フェリーも 時代の流れで 大手の船会社に移ってしまい
仏頂ずらの杓子紙面な対応。

『30年も 50年も 島に来て居る 人間と、今日初めて会った人との対応が全く一緒です』

『今までは 親戚にきたような気持で 《今年は 何人 参ったよ》と声を掛け合ったものだ』

『昭和50年ごろだったかな~?
その頃、1000人団体で参っていたのだが 大雪が振って
交通機関は渋滞するは 右往左往した。最終のフェリーが 午後6時発。
殆どの バスはそれに滑り込んだが バス2台が乗り遅れた。
フェリー 社長の計らいで 臨時で9時の便を出して貰える事になった。
なんと それでも まだ1台 来ない。《 万事休す 》と、観念した矢先
社長が苦肉の策で『着き次第 フェリーを出します』と、言われた。

寒さの中、大雪を掻き分けて到着した時は 団員もヘトヘトだった。
なんと その時、社長の奥様をはじめ 会社一同で お弁当を作り、あったかいお汁まで
用意して待っていてくれた。

疲れきった所に 言うに言えない暖かい【心】を頂いて みんな泣きながら汁をすすった。

11時に 商売抜きの 採算度返しのフェリーが 出航し
島に着いた時 もう日が変わっていた。

そこには、厳寒の中、僧侶、宿泊関係者、島をあげての お迎えの姿が目に映った。

宿に入って 団体長が
『 今日は皆さんには申し訳ない事でした。経費は幾らかかっても
会でみますから、もう一泊して 計画どうり八十八カ所を巡りましょう』
と切り出したら
『団体長さん、八十八ケ所を巡らなくても、私たちはもう 既に お観音様や お大師さまに
お出会いしました。こんなに有難い お参だったら、何度してもかまわない。
今日、起きて 参れるだけ参って 今日のフェリーで帰りましょう。それで充分だ』
そう 決まったそうだ。

宿泊所、交通機関、寺、島民をあげて《 お遍路さんを お迎えしよう》という心が
当事者から見れば、お大師さんに映ったのだ。
いや違う。
その《行い》そのものが
目標にして居た《お大師さまに》そのものだったのだ。

『今の 大手の船会社に お大師さまは 微塵も感じ取れないね。』

ポツンと言われた 団体長の言葉に ジジの胸は痛んだ。
合掌
スポンサーサイト

【 子供は 親の背中をみて 育つ 】

若い方達の お参りがあった。
この頃は 既成の遍路団体よりも 個人お参り重視である。
子安観音寺 4山には 昔から 遍路団体の 記念碑がある。講元が居て1つの【 講 】を
形成している。その【 講 】で有縁の 寺にて【 記念碑 】 を建てる。
昭和59年の 弘法大師 御遠忌法要の時、3山で調べてみると100基を越える数があった。
古いのは100年以前のがありどの記念碑も 堂々たるものだ。
● 物故 先達の お骨をいてれ 供養塔にして居るもの。
● その当時の 先達の名前を ズラリ 書いて 全くの記念碑なもの。
● 本尊を勧請して 自分の団体だけでなく 多勢の方に拝んで貰おうとしたもの。
千差万別だが 『 ちっちゃな頃 お爺さんに連れられて よく小豆島に参っていました。
子安観音に来ると必ず 【記念碑】に手を合わせて 『君も知っているだろう。
あの お爺さんがここで 居られる。おばあさんが 居られると、手を合わせていました。』
『そして今、此処には 連れて参ってくれた お爺さんも入っています。
仕事が忙しかったとは 言い訳に過ぎません。今日は胸のつかえが取れました。
嫁や子供を連れて 1 年でも永く 参らせて貰います』と、申す。
『わたしは、両親がここでおかげを頂いて 授かった子供です』とか
『ここに居る 子は ( 皆さん、もう 大きい ) みんな 子安観音で頂いた子供です。
子安観音の子供ですよ』と 仰られるかたも 大勢 居られる。
《 ああ、皆さん、お爺さんやお祖母さんの背中を見て 育ったんだな。
きっと お観音さまの 《 慈しみ 》の心を持った 素晴らしい家庭を築いて居るんだろうな》
後ろ姿を 、わが孫を見るように 清々しい気持で 送り出す ジジであった。
合掌

全ては 恩讐の彼方に

取引業者の社長が 来られた。

『この度 年度末をもって 社長職を長男に譲ることになりました。
切り目のご挨拶と、今後のお引き立てを頂きたく 参上致しました』

大袈裟に言うと 顔を合わせるのは、かれこれ 10年ぶりぐらいだろうか。

社長とは ジジが 大学校の1年生の時、
ちょうど 先代も下宿にきていて
そこで始めて知り合った。

先代が亡くなったが、ジジとは気が合い
年齢は違うが兄弟のようなつき合いをして いた。

来られた時は、一週間も10日も寺を手伝って帰った。

ジジの両親の葬式、ジジの結婚式、晋山式等、すべて社長が座の中心にいた。

ところが、ジジも何でそうなったかを 思い出すのに苦労するぐらい 些細な事で、
社長は顔を出さなくなった。

新住職の晋山も 結婚式も 1番先に顔を出して欲しかったが

『 来にくいだろう』との配慮で 案内をしなかった。

『昨夜、赤穂のホテルに泊まり、今日1番のフェリーで来ました』 と 申したが

『そこまで 寺の敷居が高かったか』と社長の身になって かえって可哀想に思えた。

ジジはこの10年間 なに一つ変わらず 取り引きを続けた。

『え~い ! もう知らん』と怒ってしまえば、それだけの ものである。

寺にいた2~3時間の間、仕事の話は一切なくて ( あ、それは住職がするのだ)
昔話に終始した。

ジジも身体に覆って居たものが すっかり取れたような、

目から鱗が落ちたような爽快な気持になり心から 嬉しかった。

『隠居したら 時間も余るので 昔のようにゆっくり骨休めに来ますよ』

『あ 、これからは 商売抜きで 遊びにね ! 』

社長の背中に ジジは千切れるぐらい 手をふった。
合掌

【 娑婆を 砂漠にする べからず 】

大観音にて 【 法事 】が有った。
小豆島 大部の対岸に 岡山県 日生町が有り、
古くから小豆島への信仰 あつく月参りをなさっている方、
正月の初参り等 多勢の信徒が子安観音4山を 参拝する。

今日は 日生の ご一家 30数名がわざわざ揃ってお参りになった。

島内の 法事でも【家族だけで 】【 親子だけで 】【兄弟だけで】と
法事はしても人数は減少化にある。

そんな中で 海を越えた日生から30人も 来られているのだ。

お経のあとで
『お坊さんの お経も良いけれど こうして皆さんが元気で 顔を出して
くれて居るのを 何より喜んでいますよ。皆さんが 仲良くして手と手を繋ぎ【絆 】を
もっと強く深めて戴く事が ご両親への最高の供養ですよ』と話させて貰った。

『違うのです 法主さん。両親は 恵門ノ不動や大観音がこよなく好きで 此処で
永遠の眠りについた事自体、本人の望むところで有り 二人とも大満足をしていますよ』

『それと 信仰の地、小豆島ですから 近所の皆さんも お参りしたかったのですよ 』

『私たちが若かった頃、みんな 集団就職で 東京、大阪と親元を離れ職につきました。
この広い 東京では誰一人 知った人がない。声を掛けてくれる人が無い。
行き交う人はとどまる所を知らないのだが 振り向く人は居ない。
《寂しい…》人は それを《東京砂漠に》と言うので呼びました。
やがて、田舎に帰ってきてホッとした。
周り近所が 姑 しゅうとめで 皆が 優しい声を掛けてくれる。
お互いが 《恩愛 》にたいして《恩愛》で返してくれる。

今日の法事にしても、両親からの《 恩愛》に対して、
《恩愛》で答えてくれて居るのでしょう。

私たちも また 返さなければ 』と仰る。

こう言っている間にも掛からない 〈 淋しい 〉孤独死をしている方が

後を絶えない。
合掌

【 何事も 恩讐の彼方に 】

麺業界の社長が 来て 泊まっていかれた。
ジジも彼の事を 本気で【 弟 】と思って居るし
彼もジジの事を【アニキ】と呼ぶ仲だ。

ジャズの世良 譲 先生コンサートを大観音の 母体の
子安観音寺でおこなったが
その時からの 付き合いで もう30年になる。

その当時、自他ともに認める
【 暴れん坊 】だったが社長が
ジジの弟子になり
寺との付き合いが始まって
【 目つき 】【 顔つき 】が変わった人も 珍しい。

芯の 通った方で 大観音建立当時、
ジジの必死さに共感したのだろう。
忙しいにも拘らず、ずっと一緒に
全国を 寄付勧募に 回ってくれた。

その社長が 今日も泊りに来た。
第一線に立って居ると 色んな事がある。

そんな時、今の現状の愚痴を言うでなく、
不平不満どころか 会社存亡の危機に立って居ても

【アニキの顔】を見るだけで 心が和む、
明日からの仕事の糧になると ジジの顔を見にくる。

その社長が 回顧録として
『此処まで 来るのに、色んな事があった。
やっかみからのデマでそれが為、
信用も失墜した事も有った。
でも 現在、その苦節があってこそ今が有るのだ』

『恨めばまた その方達も わたしを恨む。イタチゴッコはとどまる所を知らない。』

『何事も 恩讐の彼方に恩讐の彼方に 】

素晴らしいね。ジジも彼の勉強しなっくてはね。

比較したり、拘ってはいけないのだが、ジジも悔しい事がある。

社長は今年、厄年で ジジが【恵門ノ不動】と【小豆島大観音】で厄除けのご祈祷をしたが
厄除けのお祝いに 姉妹( 子供たち ) で霧島と指宿に つれて行ってくれたそうな。

親子兄弟 相集まって 『生涯の思いでにしてね』と、気つかいしてくれたとか。
いやいや、ジジの子供達も 孫も ジジにはいつも優しく そして労わってくれるものね。
ジジも 社長も 共にしあわせ者だ。
合掌

【 努力 】は【忍辱の行】

今夜のテレビで男子サッカー 日本代表が アイスランドに勝った。
先日 まさかの惜敗して 2位に転落してから
国民の誰もが ( 風前の灯火 )どころか、
オリンピック出場は 絶望感を持った。
しかし どうだろう。
昨夜、見事な成績で リベンジを果たし、
今夜は あれよあれよと言って居る間に祝勝した。
ゴルフに目を移せば、石川遼 選手が
格上の選手と死闘を繰り広げ 4打差を跳ね返し
逆転勝ちをした。
技術面だけで無く、精神面のプレッシャー、国民の期待の重圧、
色んな苦難を乗越えての 勝利だ。
まだ 最終結果が待たれる訳だが どうか国民の期待を
背負って 今までの努力の成果を見せて欲しい。
嬉しい事と言ったら 今朝、あるホテルから 電話が掛かった。
いつも 大観音を気ずかい 可愛がってくれて居る方から 住職に戴くのだ。
『今から 大手の 観光会社の下見のスタッフと一緒に大観音にお参りする』と言うのだ。
【 下見 】だから 今からコースを決めるのだが 私がお連れしたスタッフが
『ここは素晴らしい』『これは 気高くありがたい』と
称賛する印象を付けるべく 努力せよと、
住職に対する励ましの 電話なので有る。
ここまで 可愛がって貰えるまでに 住職も 言うに言えない 苦節が有っただろうが
蓮の花が やっと今、開花して実をむすんだ。
その様に 思う。
ジジが 幾ら『まだか ?まだか? 』と待ち兼ねても 1本の電話も掛からない。
物事は 【努力 】して【 努力 】して始めて 実を結ぶもの。
これを 【 忍辱の行 】と言う。
ジジも みんなも 一度や二度で へこたれずに 頑張ろうね。
合掌

【 汝 十善戒 ( じゅうぜんかい )を 本 ( もと )とせよ 】

昨夜、檀家の世話役の方が 珍しい物を持って来てくれ 人をお呼びして 頂いた。
その席で 『ある会社が 大手の会社に買収された』の『 ある部門は 日時を切って閉鎖する』の
小豆島に取って 暗いニュースで終始した。
世間知らずのジジは 『 大変な事になった。なんとか 立ち直れないのか ! 』
本気で 自分のことの様に焦った。ジジが焦ったところで どうなる訳でもないのだが。
一夜開けて 今日、その会社にお勤めの方が来られ その話をすると、真実も有るが
殆どが 口から出まかせという事が分かり 胸を撫で下ろした。
お大師さんは、《 十善 を元とせよ、》と、教えられ 人生の生き方に対して、十善戒を
根本として これを守ることを お示しになって居る。
【不殺生】【 不偸盗 】【 不邪淫 】【不妄語】【不綺語 】【 不悪口 】【不両舌 】
【不慳貧】【不瞋恚】【不邪見】とある。
心の戒めが3つ。口の戒めが4つ。身体の戒めが3つ。全部で10のお約束だ。
その中で 今日の勉強は 口の戒めの4つだ。【 不妄語 : 汝 嘘 偽りをいうこと なかれ】
【不綺語 : 汝 心にも無い 綺麗ごとをいう事 なかれ】【 不悪口 : 汝 悪口を言うことなかれ】
【 不両舌 : 汝 二枚舌を使うことがなかれ】
この4つのお約束だ。
悪意が有って 言ったのではないのは分かるが、いや ジジも少しは焦った。
《三密の行》の中にも《 口 》 の修行が出てくるが 言葉って 大切だね。
泣くのも、喜ぶのも、怒るのも すべて口のなす 技である。
合掌

【 心に花を】【 人に愛を 】

『ちょっと 背中を掻いて』
日常茶飯事の会話だ。
『もっと右。いや 少し上…』
そして最後には『いや 違う。私が自分で掻く 』

『 なんだ それならば はじめから ご自分で掻けば よろしいのに』
寺に《 大石 順教尼 》の 書かれた【 書 】がある。
雀が餌を 啄んでいる 丁度、今季の絵だ。

筆を口に咥え、一筆一筆、丹精こめて書かれた最高作品だ。
ジジが 尼についてクドクド説明しなくても、

皆さん知って居られるだろうが【山梅楼 】の看板娘だったのだが
1905年12月26日 17歳の若さで【堀江六人切り殺人事件】にて
両手両足を斬り落とされて 奇跡的に1人だけ命を取り留め
高野山で頭を丸め、僧になり
困っている人達にことごとく 愛の手を差し伸べ 、
昭和43年 80才で遷化せられた
名僧中の名僧だ。
本来なら 自分の人生を悲観し、
自分の境遇に絶望し、
マエナス思考で考えるのが普通だが
わが身を
『世のため、人のため』
『心に花を 』
『人に愛を』
と、
今で言う NPO団体 ( 非営利組織 ) の様な事に 全精力を費やした。

蝶よ花よと持てはやされた人生から、
一挙に 人生のドツボに。
二本の手足があって
何の不自由なく暮らしていた尼が
その日から 大切な物を失ったご苦労は 想像を絶する。

一挙手一投足 どんな思いで過ごしてこられたのだろう。

そんな試練の中から『心に花を』『人に愛を』をお歌いになり、
人の痒いところを掻いてあげる人生に徹す事が出来たのであろう。
『ちょっと 背中を掻いて』など言っておられない。
ジジも もっともっと【 行 】をしなければ、
とてもじゃないが、順教尼の
域には足せられないな。

【 人生は 1度: 悔いの無い 楽しい日々を送ろう 】

昨年、天国に召された 歯医者の先生の供養に行った。
先生はジジのお弟子さんで お彼岸が近ずいて来たので 家内と出かけたのだ。
娘さんは 夫婦でニューヨーク、マンハッタンで仕事をして居て その子供達も
世界中を飛び回って居るグローバル家族だ。
『残念ながら ジジはまだ一度も アメリカ本土を踏んだことがありません』
『奥様と是非、起こしください。私たちの出来る限りの おもてなしをしますよ』
そんな話をしていると
『彼岸の法事が終ったら 姉妹で 母を香港に招待しようと考えて居るのです』と、申す。
『父が居なくなって 母 1人を 小豆島に残して居るのが 気になって仕方がないのです』
『母も 80の齢(よわい)を越しました。1人、島に残した罪滅ぼしに元気で動ける間に
子供達と あちこち旅行ができたらな~ と 話し合いました』
よく考えたら1年は無情にも あっという間に過ぎ去ってしまい 知らぬ間に幕が閉じる。
坂本龍馬が【 船中八策 】を考えたのも 明治維新も なんと今を去ること たった150年。
アッという間に 無駄に過ぎ去った1年を 150回 繰り返しただけだ。
『そうですね。このまま老け込むのよりも お元気な間に あちこち旅行も良いですね』
ジジは 本気でそう思う。私たちも そうだろう。
『もう、年寄りだから 』
『持病が 治らないから』
『みんな 死んでしまって 1人ぽっちだから』
そう思い、大切な命を 無駄に過ごしては居ないだろうか ?
人生、たった50年。あっという間に過ぎ去ってしまう。
【悔いのない 生涯】を、送らなければならない。
え~と、ジジも 何処かに 旅行しなければならないのだが… え~と…

合掌

【 連綿とつずいた法燈を馬鹿にするな 】

西宮の友人が帰ってきた。


120220写真



ジジと同じ 小豆島で生まれ育ったが 今、西宮で 【 ヨット 】の大社長をやっている。
今日は お父上のご法事と言うことで 夫婦で帰ってきた。
『ヨット屋が言うのも変だが 先日、モーターボートを買ったよ』友人が胸を張る。
『羨ましい ! 』
《 汝 人を 羨(うらや)む 事なかれ 》
《汝 (自他) 自分と人とを比べる事なかれ 》
『 ありゃ ! 』
ボートと言えば じじの若き頃、大変な思い違いをしていた頃がある。
ちょうど、遍路の減少期を迎え 【 大観音 建立計画 】に取り掛かった頃だ。
『20年過ぎれば お参りの形体もすっかり変わるだろう 』
● 遍路団体は無く、個人かグループ単位の 参拝になるだろう。
●八十八ケ所参りも 好きな寺だけ ピックアップして参るだろう。
● 故に 参拝とレジャーが一体化されるだろう。
20年後を見据えて ジジはバスで信者を送り迎えする様に 大型ニ種免許を、お参りの後、
ゴルフやヨットで楽しまれるだろうと 船の免許を取得して その日を待った。
大観音も建立され 今年で建立17年目で 最早《お塗替え》の時期を迎えている。
だが どうだろう? 数は少なくなって居るものの 遍路団体は粛々と八十八ケ所を参っている。
確かに 小グループが多くなった。
でも どうだろう。ジジが言って居たように お参りの後、ゴルフをプレイする人が
1人でも居るだろうか? ヨットに乗りたいと本気で思って居る人が 何人いるだろう?
お釈迦さまが、弘法大師 空海の 【連綿とした 法燈 】はそんなに軟弱なものではなかった。
だから 未だに 寺には一艘のヨットもボートもない。
『 エッ 言いわけだって。
はいはい 頑張ってゲットしますよ。後、20年 待って ください』
合掌

【 小豆島に 雪 】

久しぶりに 雪が降った。


120219写真


雪国の方は、少々 降ろうが積もろうが
意にも介さないが、島民は1センチ積もると
車 大渋滞の大騒動である。

いやはや、笑いごとでは済まされない。
海抜 400mの恵門ノ不動となると もっと深刻だ。

寺の住人は 【 雪 】 の報道には敏感だ。
雪の後には 【雪掻き】が待っている。

『雪国の方は《雪下ろし》という作業がついてまわるが
私達はそれを しなくていいだけしあわせだ』
と鼓舞してまいったが、山坂 18丁の雪掻きは こたえる。

『あ~ この世に雪なんか 降らなければといのに』若い お坊さんが 愚痴る。

『そりゃ~ 殺生や。うちの長男は スキーのインストラクターをやっとんや』

おじさんが 雪を掻きながら反論する。

ジジも はっと、滋賀県のスキー場で社長をやって居た大学の大先輩の事を思い出した。
大きな交通機関会社 重役から関連会社の社長に就任されたお方で、ジジも相当
可愛がってもらった。
その先輩が 以前 申した。
『村垣 。(先輩はじじの事を そうよぶ ) うちの山は、雪が降るか降らんかでなくて
いつ 降るかが勝負だ』降るのは当り前で 期間が何時から 何時まで積もるのか、
それが勝負だと 仰られているので有る。
《 色即是空 空即是色 》
(色は空に異ならず 空は色に異ならない。色は即ちこれ空、空は即ち是 色である。)
私達が不必要なものが ある方に取っては、命に変え難い大切なもので
私達の 大切なものは その方にとっては 何の値打ちも無いものかも知れない。
ただ、事態は 雪が降ったと言う《 現実 》 だけだ。
ジジが そんな事にやきもきし、寺方が一生懸命 雪掻きをしている中、遍路の団体が
『ご苦労さん』と 言い残して 一歩一歩 雪を踏みしめて 粛々と 恵門ノ不動に登って行った。
《 また、お遍路さんに 教えられた 》
合掌

【 般若心経 秘鍵 ; はんにゃしんぎょう ひけん 】パート 2

【 夫れ 佛法遙( はる)かに非ず。
心中にして即ち近し。
真如 他に非ず。
身を捨てて何( いずく)んか求めん。
迷悟 我に在れば発心すれば即ち 至る】

お大師さんの有名な般若心経秘鍵 である。
これで二回目だ。
ある人が 素晴らしい 大石を得た。
荒削りでは有るが 磨けば素晴らしい
【宝石 】になる事は 誰の目にも明らか。
最初、大勢の有縁の方もお祝いに
駆けつけたが
やがて、その石がつまらなく
思えるように なってきた。
『磨いても 思って居るよりは 光らないかもしれない 』
『他に 目を移せば、もっと大きく、
もっと美しく 磨かなくても光って居るのが
有るかも知れない』
《長い人生、思い悩む事も 愚痴ることも 煩悩が湧くことも有る》
『他に もっと素晴らしいのが有るかも知れない』
自分では 大きな暗礁に乗りあげているように思うが、
それは『自我』 以外の何物でもない。

その不平不満は逃ても逃ても 解消しない

苦労して 新たな物をゲットしても、
次から次に欲望は止めを知らず
不平不満は増幅して満足する事を知らず、
やがては 地獄の坩堝( るつぼ)に真っ逆さまに落ちてしまう。

人生の終焉には孤独な晩年を送ることになる。
『足るを知り』
健康を喜び 多勢の方に助けられる自分の境遇に感謝する。

そうすれば、もっと楽しい 生き甲斐のある 毎日が送られるではあるまいか。
合掌

【 寺の よろこびも 哀しみも…】

ジジの小ちゃな寺でも 今日 1日、色んな事があった。
若狭から団体が参拝し、
住職が 【柴燈大護摩】を焚いて祈願した。


120217-2写真



大風が吹くと言って居たが
実際、お参りの方が座る《 ゴザ 》が吹き飛ばされる勢いだ。

そんな中、僧侶方、信者、一丸となって拝んだ。
自分の住職の頃は分からなかったが

今、一歩 引いて眺めていると
【 本当の姿】が 良く見える。
ジジの現職の頃の檀家総代だった方の
奥様がお亡くなりになった。
すぐ《 枕経 》に行く。

亡くなって すぐ お布団でお休みになっている時に
拝む事を言うのだが、92歳だったとか。

より 驚いたのは、ジジも知らなかったのだが、
元 総代も調子が悪く奥様の布団の横で
布団の中に入って居られたのだ。

『法主さん。有難うございます。
そして 起きてお茶を差し上げられない ご無礼を
お許し下さい』
布団から顔を出して 涙ぐむ。
お勤めの間 ( 煩悩が湧くとは坊さんの風上にも置けない事だが)
元 総代と奥様の有りし日の姿が 走馬灯のように浮かんでは消える。

ジジは 思いっきり悲しくなった。
ジジが泣いたのは 思い出で泣いたのだろうか?
今の 元 総代の境遇に 涙したのだろうか ?
今だに 分からない。

夜は、住職の妻のバースデー と言うことで 家族でささやかな お祝いをした。
ジジだけが ノンビリ一日を過ごして居るが、みんな春の最中で大忙しだ。
そんな中、細やかな 和気あいあいが嬉しかった。
この至福のひと時は住職夫妻の明日からの糧となるだろう。
その横で 可愛い可愛い孫が スヤスヤと寝息をたてている。


120217-1写真



今日は よろこびも 悲しみも有った。
人は それを乗り越えなければならないのだね。
《 孫: 彼女が 1番 しあわせなのだろう》
合掌

【 物でなく 真心を 売れ 】

【東北の被災地に 大量の仏壇を贈った 】

『エッ ! 』テレビの声にジジの目は点になり
そして釘ずけになった。

仏壇と言えば そう安価なものではない。
それを被災地に送ったとか?
東京の ある仏壇店の会長が 出演して居た。

会長が大学から家に帰った年に九州 炭鉱にて大事故が起こった。

その当時、今の大地震、大津波に匹敵するような 空前絶後の事故だっただろう。

若き日の会長は 取るものもとりあえず、
九州まですっ飛んで行って
犠牲者の家族を( 250件 だとか 申していたが、定かではない )
一軒一軒 お悔みした。

亡くなった方を供養しながら
遺族の方に
『お父さんは 亡くなったのではないよ。仏壇に手を合わせれば、必ず お話してくれるよ』
と、話して回った。
なんと帰りには思いもしない 60~80件の仏壇の申し込みがあったそうだ。
『利益を優先しない』
『儲けるのでは無く、如何にお役に立てさせて頂くかだ』
とは会長の弁。
『客と同じ目線で 接客し へりくだりもせず、高圧な態度も取らない』
『客の立場になって 心の奥底にあるものを 引き出してあげる。
そうしたら、成績は自ずからついてくる』
と。

締めくくりに 4つの《 禁句 》を教えてくれた。
《 ありません 》
《 知りません 》
《 分かりません》
《 出来ません》


僅か 4禁句 なのでジジも実行するので みんなも やってみようね。
寺でも そうだね。
悩みがあって参って来られているのだから
『 何をしてあげられるか』
ではなく、

『どんな お役にたてるか? 』

だろうね。
住職が陣頭指揮を取って
【 正業 】
実践して貰いたいものだ。

勿論、ジジも やる。
合掌

《呉越同舟の キツネと タヌキ 》

ジジはしあわせ者だ。
今日も 友人家族と一緒に バレンタインデーを楽しむ。
昨夜に引き続き 奥様たちに チョコレートを頂き、ホクホク顔だ。
昨夜と言えば、滋賀の家族が電車で帰った。今回はパパも一緒で子供達のテンションも高い。
ところが お家に付いてからの話だが、2人の子供たちが寝てしまったのだ。
学校からダンス、ジジのお相手とハードスケジュールで気も使ったのだろう。
一人ずつ パパとママの腕の中でスヤスヤ。もう、大きいのだから親も大変だ。
『どうぞ、変わりますと言った人はいなかったの? 』と聞くとたまたま、この車両には
居なかったようだ。
『でも 2人も行き帰りして居るのだからこんな状態になるのは明かで、ママの苦労が
始めて分かりました』とはパパの弁。
どうも電車の中は 土壁の上から白粉を 塗りあるいた タヌキと狐が同席して居たようだ。
『タヌキ』と『キツネ』
よく ジジは皆さんの顔を見た時に『もし世界中にタヌキとキツネしか 居なかったと
仮定したら、あなたは どちらでしょう? 』と、聞く。
『さあ、主人は タヌキですが わたしはキツネでしょうか? 』答を頂く。
《狸と狐の 化しあい 》お互いに化かすのだが、ジジは皆さんの顔、身体の話をして
いるのでは無い。
でも 同じ化かしても 狸の場合は 何処か可愛い。正義の味方、鞍馬天狗、いや月光仮面と
いう所だろうか? 悪を懲らしめるために 化かすのだ。
反対に 狐の場合はどうだ ? キツネは『自分さえ良かったら良いのだ』と、自己本位。
『庄屋ーっ! お前も悪 じゃのう』『いえいえ お代官さま 程ではごさいません』
キツネは その庄屋でも有るし、お代官でも有るのだ。電車から降りて 家に帰り
『いや、俺さえ 良ければ良いんだ』と自分中心の人間の住んでいる家庭は、ろくな
家族も子供の育てられないだろう。狸の方が良い家庭が持てる。
何故、『どうぞお座りください』の一言が 言えないのだろう。
( その車両に関して ) 顔に真白な壁を塗った 狸とキツネをズラリと乗せたまま
何事もなかったように 電車は大きな音と共に 通り過ぎて行った。
合掌

【 日々是 好日 :ひびこれこうじつ 】

ジジは 世界中で1番 幸せ者である。
ジジに バレンタインの チョコレートを娘や孫たちが持って来てくれた。
箱は小さいが 上等なチョコレート、明らかに孫がセレクトしたと分かる可愛いチョコ、
千差万別であるが ジジにとってこんなに 嬉しい瞬間はない。
特に嬉しいのが 『ジジ、だ~いすき』から始まる孫たちのメッセージである。
ジジはジジの子供( 孫たちの パパ、ママ)の時から、お手紙は大切に保存をして居る。
孫のメッセージだけでも 平成何年、何月何日、満何歳と 書き添え、かなりたまった。
パパ達も お仕事で来れなかったパパは残念だったが、
みんな集ってバレンタインデーを愉しんだ。
貰ったチョコレートを 全部、一つのお皿に盛り付けて 全員で頂くのだ。
ジジが 『待て待て、みんなで 歌を歌おう 』と、
つまらぬ事を言い
『一体、何の歌を歌うの? 』と大顰蹙を買い それでも、人生 最高の1日を送った。

昔、中国で雲門という 禅の高僧が弟子に向かって
『過去に拘泥せず、今のあなたがたの心境を述べてみよ』
と、言われた。
弟子たちは 過去との比較に置いて 今日の良し悪しを
考えるが《 過去に拘泥せず 》との
ただし書きがついており、答えが出てこない。
そこで、師僧みずから 『日々是好日』と、申した。
毎日々々 が良い日、良い時なのだ。過去に捕らわれたり 未来を恐れたりせず
全力で 惜しむことなく日々を生きれば、結果は自ずからついて来るのだ。
『 あれ? あの たくさんのチョコレート、もう無くなったの?』
『でも ジジ、鬼喰いしないで みんなで分け合って食べたの、賢いでしょ』
合掌



120215-1写真


120215-2写真

バレンタインデー

今日は 男性にとって 待ちにまった
バレンタインデーです。

西暦270年ごろ 異教徒の迫害を受け 2月14日 に、
殉教 ( じゅんきょう : 自らの信仰の為に意志を貫き それがために 命を捧げること) した、
テルニーの主教 ; バレンティヌスの
亡くなった日と ローマの異教徒の 祭りとが重なって
『自らは死んででも自分の意志を
貫き通す(殉教)、私たちの《 愛 》もその通りでなくてはならない』
と、
《 女性が 男性に
愛を告白する日とされるようになった。
2月14日は 日本でも 梅や桃の木が蕾をつけ メジロ、ウグイスが鳴き始め 小鳥が初めて
つがう日と言われ、《 求愛 》や《 プレゼント交換》等の風習が出来たようだ。
日本では 求愛の証として 《本命の人に》チョコレートを 送るが、
最近では、プレゼントに《 本命 》と《 義理 》にわかれているようだ。
《 本命チョコ 》は か弱い 小鳥の求愛に対して『どうか 心が私に向いてください』と言う、
お観音様に対して 乙女の 説なる願いを託したのに反して 《 義理 》は本人が観音菩薩になり切り『どうか この貧しい人が (恋人もなくチョコレートも貰えない)しあわせになれますように』と、母の【 慈悲 】の贈り物と思える。
ちなみに ある高校生では 家族 友人は勿論の事、クラスの同級生同士とか、女の子同士の
プレゼント交換があるみたいだ。お観音様がお観音様にプレゼントするのですね。
50人中、49人が手作りで 平均 25個を 送るそうだ。
さて、皆さんはいくつ 貰いましたか?
合掌

【鬼面仏心 :きめんぶっしん 】

今日、耳鼻咽喉科に行った。
普段 行き慣れてないので 病院に行くと、午前の部で最後の患者だった。
土曜日でも日曜日でもないのに 患者 ギッシリの大盛況、黒山の人集りだ。
子供ずれのお母さんが 多い。11時30分にチェックインして 診察終ったのが午後4時。
4時からの午後の部のチェックインがその時間から始まるから 先生の休む間もなし。
『坊主で良かった。医者になんか なるもんではないわい』独り言を言いながら
周囲を眺めると ジジの孫ぐらいの子供を連れた親子が目に入った。
『 お幾つですか? 』 ジジが尋ねると それには応えないで『聞こえましたか?』と笑う。
凛と静まった待合室に 奥の診察室から屠殺場の悲鳴のような声が聞こえてきたのを、
患者の目は見逃さなかった。
それを この母親は知っていたのだ。『 3歳…』代わりに涙で顔をグシャグシャにした
本人が指を三本だした。
みんな笑顔で見つめた。その対応たるや なんとも 清々しかった。
もうひと組、1歳ぐらいの子供を連れた 気になる親子が居た。
なんと 3冊の絵本と 1枚の紙にペンを用意して居た。母親が 読んで聞かせているのだが
現場を見なかったら ウグイスの鳴き声か、声優さんと間違えるぐらい 上手で
しかも絵から浮き出たような気品が漂っている。
子供は 理解して居るのか居ないのか、ママのご本を真剣にめくって居る。
余りにも可愛かったので、『お幾つですか? 』またジジがいらぬお節介を焼いた。
なんと、仏の【慈眼 】が急に鬼の【鬼目に】に豹変し睨みつけられた。
ジジの たじろぎを見て、周りの人達も 目をシロクロして居る。
それが気になったのか 『1歳半です】。
それだけ申して 何事も無かった用に 本に目を戻した。
『あ…そうですか…』聴こえてなかったのだろう。ジジのつぶやきも水泡にきした。
待合室 全体にくら~い雰囲気が漂った。
【鬼面仏心 】と言う言葉が有る。反対に 【仏面鬼心 】と口に出そうになる。
皆さんも お姿は仏様のように 美しいのだから、心の奥まで磨いて光を出しましょう。
簡単な事です。心の持ち方 一つで。
合掌

小豆島 温泉祭り

昨夜、寒風の中
小豆島温泉観光振興協同組合 主催の《 小豆島 温泉祭り》が
小豆島土庄 鹿島のビーチにおいて催された。
3部構成になっていて 1部が《 バレンタインしあわせ 祈りの火 :柴燈大護摩 》。
2部が小豆島出身の歌手 佐伯 司さんによる《 ライブ 》。
3部が《 鹿島ビーチ冬花火 》と称して 300発の花火大会だ。
2月の夜、しかも厳寒の中、小豆島のホテル、
旅館に泊まって居る観光客、島内の住民で ビーチには 人また人で溢れかえった。
住職が受け持ったのは、1部で 《 柴燈大護摩 》の部だ。


120211-1.jpg
120211-3.jpg




老若男女、お年寄りから
ライブを聞きに来て居る 若者まで 参加者の年齢は千差万別だが、
暗闇のなか、とうとうと燃え盛る柴燈大護摩の火に 人々は酔いしれ、
島内出身の歌手歌手の唄声に、
季節はずれの花火等々に、歓喜の声をあげた。
《 バレンタインの柴燈大護摩 》素晴らしいお護摩だと 思う。
自分の祈りでなく、人の(しあわせ)を自分が書いた
お添え護摩を 自分でお護摩の火の中に投げ入れるのだ。
若い方は 宗教離れして居ると 言われるがなかなか そんな事は無い。
皆さん、最初から 終いまで 両手を合わせて 一生懸命、願いをして居る。
『ああ、嬉しい事だな。若者は 宗教心は ともあれ 信仰心は持ち合わせて居るのだ』
そして その若者達から 和やかな地域、労りあいの職場、助け合いの家庭、潤いのある
人間関係等々が形成され やがては《 絆 》をつくるのだ。
ジジの事では無いのだが、このような素晴らしい イベントや柴燈大護摩を計画された
温泉観光振興協同組合の方々に心から 御礼申し上げたい。
合掌

【 色即是空 で お金を貯めよう 】

【 お金を貯めよう】 なんて 僧侶として とんでもない事を考え とんでもないことを
書いたものだ。全く僧侶の風上にもおけない。
『訳あり商品を 思わず買ってしまった 』そんな会話をよく耳にする。
デパートなんかに たまたま行った時、バーゲンセールで大勢の ご婦人が子供のような
顔をして 我がちに商品を 奪い合っている姿を 目にする。
クリスマスやお正月の【 大入袋 】でもそうだ。
我がちに奪い合い 大入袋はアットいう間に完売をする。
『 あの商品、死に物狂いで手にするのだが 果たして 家に帰ってから全て必要なのかな? 』
人の事ながら、気になって仕方がない。
昔、ジジの若き日 『 坊や、おこずかいが貯まる方法を 教えてあげよう』と、
銀行のおじさんが 言った言葉を思い出す。『真剣に吟味をして 本当に必要な物を
購入するのは別だ』と、前置きをして 『見ざる聞かざる言わざる だよ』と、申す。
要約すれば『 あの日、バーゲンセールは無かったのだ』と思う。必死で奪い合って求めた
衣服は目にしなかったのだ。素晴らしい有名な絵画を目の前にして 『この絵画の事は
最初から耳にした事はなかったのだ』と、思う。
以前、勉強した 【 般若心経 】の心 そのものですね。
その平常心でいれば、『しまった こんな物まで買ってしまった!』と言う 衝動買いは
なくなるだろう。
でも、ジジも 一度だけ 恥も外聞もなく つかみあいの衝動買い してみたいな。
合掌

【 知られざる 桂昌院の 素顔 】

桂昌院のテレビをみた。
徳川三代将軍 家光の側室で五代将軍 綱吉の母ということだけはジジも知っていた。
その時代、我々の想像以上にお世継ぎを継承することが 大変な責務であった事の様だ。
桂昌院の 希望どうり 彼女の息子は五代将軍、綱吉になった。
綱吉に 長男が産まれ《徳松 》と 名ずけられた。
桂昌院も綱吉将軍も 徳松の成長を祈願して 神仏にすがった。
ジジも全く知らなかったのだが、( これは 良い勉強になった ) これが 今の七五三の
始まりという。三五が 男子の吉祥。五七が女子の吉祥。
子安観音寺でも 『子が 孫が健やかに成長しますように』と大勢のお参りがある。
ところが その徳松が 5歳の若さで 若死にした。そしてその後、綱吉に子供が授からなかった。
『徳松が死に、子が授からないのは神仏への供養が足らないからだ』
桂昌院は【 護国寺 】を建立し【東大寺】【薬師寺】【唐招提寺 】等の 当時、衰退して居た
大寺院の復興に手掛けた。その額は 1400億石と、幕府予算の 3分の1だったようだ。
そして『万物の命を 奪うことは 仏教の意に反する 』と、とうとう綱吉の干支である
【 犬 】を奉る 《生類憐みの令 》が発布されたのだ。
彼女、相当 物事にこだわり過ぎて 身心 休まらない生涯を送ったろうが 辞世の言葉に
『わたしが 死んだ後も 後に残る人々が 幸せになるように お祈りください』だった。
一身をかけて 子供(綱吉)を守ったり、綱吉にお世継ぎをと 必死で神仏を祈り、全国の
寺院を擁護した。見習わなければならないね。
ジジの 辞世の言葉は何かな ?
合掌

《 地獄 極楽 娑婆にて行ける 》

但馬から 団体長夫婦が 来られた。
ジジのお弟子さんで、30年以上の 付き合いをして居る。
最初は 『お参り当初は うちの会で 1000人からの参拝があった。』
『それでも 会長さん、200人の講員と言ったら、今や 一番多いでしでしょう』
そんな話に終始して居たが 会長が話を変えて、おかげばなしになった。
『以前、チェーンソウで 草を刈っていたら 自分の不注意で 足を切ってしまった。
救急で病院にという事で ヘリコブターで搬送されたが、ヘリが昇降する学校の校庭は
黒山の人だかり。おかげで 早く処置が出来、思ったより 早く退院する事が出来た。』
すると奥様も 『わたしも おかげを頂きました。主人と2人で 山に行ったときに 足を滑らせ
谷に真っ逆さま。木も草もなぎ倒し 《 なむさん ! 》と思った時、木と木の間に身体が入り
難を逃れることができました。木が無かったら 命は無かったでしょう。ありがたや。
助けてもらいました。』と、しみじみ仰る。
会長さんは 《 大怪我をした 》おくさまは《 ひょっとしたら、生き死にに係わる大事故を
起した》 2人が 体験した事実は 紛れもなく 1つ なのである。
その時 『30年の年月をかけて 小豆島詣りをして居るのに なんたる事だ。神も仏も
あったものではない。』と不平不満をぶちまける。
また会長さんの様に 『起きた事は 大変な事だったが 大難が小難に治まって良かった。
お大師さまのおかげだ』と、感謝する人も居る。
感謝した方は、その時 その場で《極楽浄土》に召され、不平不満を露わにした人は
たちどころにして 地獄の奈落の底に落ちてしまう。
地獄 極楽は死んでから行く所ではないのだ。
私たちの 小さなお出会い、小さな会社内、小さな家族。
怒ってなんになる。ふくれて何になる。人を羨んで何になる。
楽しく、笑顔で 有縁の人との 人間関係を作れたら、どんなに素晴らしいだろうか。
人生 わずか 50年。
合掌

【 亡き 父母の 願い 】

法事、葬式等で よくこの話をする。
『 よう参って来られましたなー。皆さんの顔を見て お爺さんは 喜んでおられますよ。』
本人は お浄土から 諸仏、諸菩薩と共に 私たちを見守っている。
『あっ あの叔父さん来ているな。あの人は 顔を見せていないが…』
元気でやって居るのだろうか? みんな仲良くやって居るのだろうか? 黄泉の国に行っても
娑婆(しゃば)での私たちの一挙一動が心配でならない。
最近、こんな ことが有った。
寺の檀家総代を勤めていたお爺さんが 亡くなった。そんな事は有ってはならない事だが
もし 万がいつの時は、素晴らしい【戒名】をお送りしよう。その寺や本人の考えとは
裏腹に、子供達は キリスト教で葬式をだした。
知人が 『私が 死んだら 大観音にて葬式してな。法主にあの世に送って欲しいんや』
言い残しで 亡くなったが、実際には 意に反して お家の近くで 葬式をされた。
もし、ご本人があるが蓮の池から連絡が私たちを 見下ろしていたら、どんな気持ちで
ご覧になって居るのだろう。
有名な 【 仏説 父母恩重経 】と言う経典をよく耳にする。
10種の恩があるが その10番目に《 究境隣愍の恩: くぎょうれんみんの おん 》がある。
[己れ 生ある間は 子の身に代わらん子を 念い、己れ死に去りて後には、この身を
譲らんことを 願う ] 亡き親が 今も私を思いあわれむ、深き慈悲なる教え。目に見えぬ
父母の願いに私の毎日が 支えられています。
この[ 目に見えぬ 父母の願いに私の毎日が支えられて居ます]と言うくだりは強く胸を打ちます。と、共に あの世で 父母が 主人が 残念に思ったらり、嘆いたりする行動は
慎まなければなりません。
合掌

【三地の 菩薩 』

1人の 青年が 参拝して来た。
播州からの方で 今年42才になるそうだ。しかも なかなかの美男子だ。
参りはじめて10年の山をこすと言うのに、寺の どのデータにも掲載されていない。
ご夫婦に子供がなく 小豆島の子安観音に7年間、祈願の為にお参りになった。
お陰あり『 玉のような子供』を頂き 夫婦の喜びは 如何ばかりだったか。
『1度 お願いして駄目だったら、それで終る方が ほとんどだ。父と慕い、母と信じた
ご本尊さまには どっぷり浸って 何がなんでも 願いを聞いてもらわなければ。』
『その気持ちで 月に1度、7年間、お参りをしました。ご本尊さんも わたしの熱意に
根負けをしたのでしょうな』
本人は笑う。
『ご本尊さまは わたしの誠意に応えて下さった。こんどは私が お礼を申さねばと
やはり月に1度、家族で、無理だったら子供と2人で、無理だったらわたし1人で。
必ず 子安観音 3山にお参りをさせて貰って居ます』
ジジは頭が下がった。月に一度はとても無理にしても ジジも おすがりも ろくろくせずに
棒を折ってしまう方だろう。
『信念を持って 続けると言うことは 人生においても商売においても 最も必要な事です』
まだ、追い打ちをかける。なるほど、六波羅蜜の【忍辱波羅蜜】の行で ある。
その 青年が「これは 希望だが_ 」と前置きをして仰る。
『恵門ノ不動の参道は余りにも酷い。悪い道路ではない 危険道路だ』
『いつの日か 報恩感謝の念で この参道を治させて貰うのが 唯1つの夢です。』
確かに 危険道路だ。出来る出来ないは別にして その【慈悲】の【布施】の心には
再び 頭が下がった。
そして 【三地の菩薩】に観える ジジであった。
合掌

【 心 美人 】

久々に こころ 暖まる テレビニュースをみた。
未曾有の 大寒波襲来で 日本列島が スッポリと雪の中に入ってしまった。
北国で 経験したことのない 豪雪のため、車 200台が 身動きとれず 長蛇の列。
ジジは豪雪のための長蛇の列は経験した事はないが、本山からの命令で 長野 信州に
お説教にいった帰り、ちょうど 盆の花火大会で 道路は見渡す限り 車、車…。
車は一歩も進まない。北国での雪に閉じ込められた人たちの ご心痛、いかばかりか。
そこで、地域住民が立ち上がった。【 地獄に 仏 】とはこの事を言うのだろう。
ジジたちの小豆島では 事ある毎に【炊き出し】と、いって村の方々が奉仕で出仕し
大衆に供養するといった 風習があるが、地域住民の皆さんの 行動がそれだろう。
おむすびを車、1台、1台 配り、熱いお茶を手渡し、公民館や 学校まで開放した。
大衆供養を受けた皆さんは、多分、死ぬまで忘れないであろう。
【お観音さまの顔を】【慈悲の心を】
詩人の 金子 みすずさんの詩がある。
わたしが 寂しいときに よその人は しらないの
わたしが 寂しいときに お友達は わらうの
わたしが 寂しいときに お母さんは やさしいの
わたしが 寂しいときに ほとけさまは さびしいの
嬉しい時でも 悲しい時でも 困っている人を見れば お観音さまは 優しい眼差しで
いつも私たちを見守り、抱きしめてくれます。
今回は、大勢の方々が お観音さまに会いました。
そして その地域住民の方々のお顔は 《 内側から 溢れ出す 美 》【 心 美人 】だった。
合掌

四摂法

遍路団体の 会長さんご夫婦が こられた。
会長さんと言っても、先代の頃
ジジの子供の時からのお付き合いで
父か兄弟のような存在だ。
『 先生がこられたとの事で、それに合せて是非 来たかったのですが残念だ』と仰る。
先生とは 先日 紹介した ジジの義父の様な方の事である。
現職の時は本人も 教鞭をとって居た。
先代、ジジ、現職住職と 三代にわたって可愛がってくれているが、
私たちへの接し方がいつまで経っても 少しも変わらない。
年齢差が 子供から孫の歳になると 気付かぬうちに
傲慢になったり 自己主張が強くなったりします。
人間関係の 調和は 『心』と『言葉』と『自身の行動』が最も大切である。
良い関係を保つには 『真実の心』と『優しい言葉』『奉仕の行動』以外にない。
現実には『相互礼拝』『相互供養』の行いとなり、お大師さまが説かれている
『四摂法』という、人間関係のあり方となって現れる。
四摂法とは 『 布施 』『 愛語 』『 利行 :りぎょう』『同事 :どうじ』である。
布施は 物心両面で 施しをする事。愛語は優しい愛情のこもった声をかける。
穏やかな表情と言葉を持つ修行。『 和顔愛語 』でしられる。
『利行 』は他人に利益をもたらすことである。三密の行で 他人優先の善行をしなければ
ならない。さて最後の『同事 』は相手と同じ立場に立って 同じ目線で接すること。
どれも 難しいですね。
しかし 今日 来られた会長さんは、『 四摂法 』の行の全てを 実践なさっている。
さあ、みなさん ジジと一緒に 『 行 』に励みましょう。
できる事から 一つずつ。
合掌


120205写真

『大観音にて 節分祈祷 』

いや~ 寒かったですね。
でも暦の上では 暗く冷たい冬が終り トキメキの春がやって来たのです。
そう 立春です。冬と春の季節の分かれ目の事で、分かれ目は年に 4回やって来ます。
今日は 住職を始め一山の僧侶が一座に会して厄除けの信者参拝の中、節分祈祷を行った。
寺も 、遠く離れた孫達も、 挙って 「福は~うち」「鬼は~外」と豆まきをした。
これを『追儺: ついな』と言いますが この起源は今を去る事 1100年の昔、宇多天皇の
御代にさかのぼります。
鞍馬の山に 2頭の鬼が住んでおり、夜な夜な 都に降りてきて悪さの限りを尽くしたので
仏教に篤き信仰を持っておられた天皇が『毘沙門天』のお示しにより、三石三斗の
大豆を炒って 鬼の目に打ち これを退治した事に由来する。
寺では『護摩供養』によって鬼を追い払う祈祷を行なうが【 大日経】には
『慧火をもって煩悩を焼き尽くす』と有り『妄文別を焼除し菩提心を成す』とある。
難しい事は ともあれ 本当の鬼は 京都の鞍馬の山に居るのではなく、正々堂々と
わが家に住みついていると言う事だ。
怒ってみたり 怒鳴ってみたり 泣いてみたり ふくれてみたり、人の悪口を言ってみたり
皆さんは そんな鬼を お家の中で 見た事は有りませんか?
節分祈祷での 護摩焚きは それらの【煩悩】を焼き払うのです。
良かったね。鬼が居なくなって。
あ、孫たちが お家の鬼を退治して居る声が聞こえてくるぞ。
『鬼は~外 』『鬼は~外』『鬼は~外』
『えっ ?』
合掌


ほのぼのと 再会

ジジの子供達が 幼少の頃 住込みでお手伝いしてくれて居た おばちゃん達がいた。
ジジは小豆島にて骨を埋めるのかと思って居たら、先代が遷化して から
それぞれ山口、大阪と子供の所に戻っていった。
どちらも 卒寿に近い。
正月、2人から連絡が会った。
1人は電話、1人は年賀状で。
その どちらもが
『小豆島が懐かしい』『一度、会いたい 』だった。
年賀状を握り締めジジの娘達が
我が子を連れて、 おんぶに抱っこされ 世話になった大阪のお婆ちゃんを訪ねた。
意気揚々と 子供さんに引き取られた2人は どちらも 1人ぐらしだった。
閑話休題
『今日、家に帰リます』と、義父が寺に寄ってこられた。
つい 先日まで入院されていたのが 嘘のように、お歩きにならず ずっと座っていたら
以前となんら 変わりのない、一体 何処が悪かったのだろうと思うぐらいの快復ぶりだ。
フェリーの出航時間になる前に 2人の ご老人が来られた。『先生に 私が作ったミカンを
持って帰って貰おうと思って』ジジの住職の時、子安観音の筆頭総代をなさっていた
元 校長先生だ。もう1人は 山口、大阪に帰っていった お婆ちゃんがいた頃、一緒に寺を
盛り上げ、手伝ってくださって居たお婆ちゃんだ。
『先生より 2才年上です』 お婆ちゃんは 正確に覚えていた。『みんな90才に乗ったけれど
お互いに 元気で良かったですな~』
心を許して微笑み合う3人をみて こちらも ほのぼのとした気持ちになった。
【相互礼拝】【相互供養】拝み合い、肩を叩き合うのをみて 目頭が熱くなるジジであった。
『あっ ちょっと 待って。記念写真を撮りましょう』
カッシャ! 合掌




120203写真

【 深愛 】

義父が 半年ぶりに帰ってきた。
以前 ブログで『お見舞いに行った』と紹介した 父の様に慕って居る、元 高校の校長である。
数え切れない大勢の檀信徒の方に支えられながら、
【大観音建立】に当たって師僧である塩田僧正、
そしてこの義夫 2人が大きな軸になって 大車輪を創り上げた。
昭和56年、ジジが2人に【大観音建立】を打ち上げた時、2人は机を叩いて反対をした。
説得に説得を重ね『よし! 』を取り付けてからは、
死に物狂いで 我が事として建立に向かって取り組んでくれた。
師僧は一昨年、義父は ブログにも紹介した様に去年、体調を崩された。
この2年間はジジにとっては言うに言えない暗黒の 年月であった。
その義父が退院をし、持ち前の【負けん気】でリハビリを重ね、
今日、【お礼参り】と称して奥様とお嬢ちゃんと3人でこられたのだ。
お見舞いに行った時は ここまで回復なさるとは夢にも思わなかったが、
その分 嬉しさは倍増だ。
しかも、義父が来られるのを聞き、なんとわざわざ 師僧が 顔を出してくださったのだ。
どんなしあわせが有っても、これ以上の 幸せはない。
【先生、小豆島に 来る】情報が流れ、多勢の有縁の皆さんが 集まった。
普通、卒寿もこされ 体調を崩されたら、1人離れ2人去って行くのが世の常だ。
しかし『あの 先生にあって、お見舞いがしたい』『以前のように先生にお教えを受けたい』
色んな思いを持って お見舞いに来られる。
これが【 仁徳 』なのだ。
ジジだったら 各々、三々五々と去って行くだろう。でもジジは我がことの様に嬉しかった。
義父が ジジに『君も 人徳を持つ人間になりなさい』と、叱咤激励されているように思った。
そして お身体を労わって 一日でも長生きなさる事を祈るジジであった。
合掌


120202写真

120202-2写真

【 心の 癒し 】

今日も 同じことをして居る。
乗り込んだ 芦屋から姫路行の 新快速の中で 一生懸命 【病院】の看板を探している。
場所は はっきりと把握できないが 神戸の街並みが過ぎ、海岸が見えはじめる町だ。
そう 須磨海岸かな ? 明石 かな? 《 村垣 病院》と、書かれた看板だ。
近年、電車に乗る度に 誰に告げる訳でなく、1人、目で追うのだが見つからない。
『もう 病院をやめたのかな? ビルとビルの谷間に入ってしまったのかな? 』
昭和40年~45年頃、ジジは京都の 学校に通っていた。
休みに 故郷に帰る。
その当時、新幹線が開通していたか否かは 定かではないが、
ジジは貧乏学生で
学校に通っている身、いつも鈍行の電車にゆられて居た。
大阪を過ぎる。
そして神戸を過ぎると 急に大きな海が視野に入る。
『ああ この海は 故郷の小豆島につながって居るのだ。懐かしい あの島に…』
その時だ。
古びた看板で 《 村垣病院》を発見したのは 。
病院かも医院かも分からない。
クリニックでは無いだろう。
《 村垣 》なんて姓は日本国中 探し歩いてもそうある名前ではない。
いつの日かジジはその看板に 親戚のような親近感を覚えた。
行くに帰るに 看板を見るのが楽しみだった。
学校を卒業して 島に引っ込んでしまってから《村垣病院》の事を すっかり忘れていた。
後代を 現住職に譲り 娘たちも都会に嫁ぎ 孫も出来、阪神間に行く回数も増えてきた。
何十年も経って ハッと思い出した。
《村垣病院…》探しても無い…。『いや須磨では無い。明石だったかな?はて何処だ ? 』
『懐かしい 小豆島とつながっていた あの海岸は? あの病院は ?』
回顧する度に、懐かしさが込み上げてくる。あの 学校生活が…。
ロマンチックに陥っているのでも ナーバスになって居る訳でもない。
ただ、闇雲に 前に前に進むだけでなく、
時には 立ち止まって 自身を見つめ直してみるもの
良いのでは ないだろうか?
【心が 癒される 】


合掌
プロフィール

子安観音寺

Author:子安観音寺
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
フリーエリア
検索フォーム
リンク
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
フリーエリア
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。