スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

【 合掌の 意味 】

今年も 蚊 だけでなく 蝿までが 顔を見せる とうになりました。
《 やれ 打つな 蝿が 手を擦り 足を する 》小林 一茶
【五月蠅い:うるさい 】と、言われるほど 私たちに嫌われている 蝿が
手を擦り合わせているのは 習性であって 無意識のうちに そうしているのであろうが
私たちから してみれば 一生懸命に 合掌して 手を擦り合わせているように みえる。
たとえ 一匹の 蝿でも 1つの 立派な生命を貰って 生まれてきた ものであるから
打つわけには いかないと 一茶は 思ったのであろう。
ジジは 縁ありて よく スリランカに お参りにいくが 僧侶は 必ずといっていい程、
大きな 団扇 (うちわ)を 持っている。何をする 道具かと 興味津々に 見ていると
纏わり付いてくる 蝿や 蚊の襲来を その大団扇で ソロリソロリと除けているのだ。
日本にも 【三国伝来】といって 発祥の地、インドから 中国 朝鮮半島を経て
日本に 辿り着いたものの中で 払子とか中啓とか 大団扇の 変化したものが ある。
僧侶は 入門の イロハに 【右に 中啓】【左に 念珠】と 教えられる。
儀式の時は 右手に 中啓( ちゅうけい) を持ち、左手に 念珠を持つわけだが
儀式に 使うだけで 決して 蚊や蝿を ソロリソロリと 追うものではない。
上臈に 『何をしている。中啓を 動かすな ! 』と、お叱りを受けるのが おちだ。
それを考えると 日本の儀式化した 仏教よりも スリランカやタイ、ビルマの宗教は
実際に 全ての物事に体当たりをしていて 凄いな。
ともあれ
【相手の 生命を 尊重し合おう】 これは 人格まで 尊重し合おうと言う意味で
これが 徹底されれば 中傷や いじめ問題は 絶対に起きない。
心だけでなく、これが 形になってこそ そこに 仏様が おられるもだ。
自分の 心の中に あるところの 【慈悲喜捨】の仏心を 相手に向けて行く姿、
その姿勢こそが 合掌である。そして 胸の前で45度に手を合わせる。
これが 合掌の 姿であり、人間の 基本の姿勢である。
空海は 全世界の 人間が 残らず平等で そして尊重し合う
【 人は 皆 仏。相互供養 相互礼拝】の実践を 自ら お示しになったのだ。
私たちも そんな人間に なりたいね。
そんな 社会を 作りたいね。
お互いが お互いを 尊重し合い 合掌 礼拝しあう 社会、素晴らしいね。

120531写真

合掌
スポンサーサイト

【 ジャンヌ ダルク 】

フランシーヌの場合は 余りにも悲しい…
3月30日の 日曜日… パリの 朝に燃えた命を1つ…

ジャンヌ ダルクが 1431年 5月 30日 午前9時 【ルーアン】と云う ドーバー海峡に
近い 街で 熱狂的な 1万人の 群衆に 惜しまれながら《火あぶり》の刑に処せられた
事は 余りにも 有名である。
9時 広場に用意してある 火あぶりの木々の前で 【説教】をうけ【判決文】が読めれ
判決が下った。足元に 迫る猛火の中で 少女の可憐な 叫び声と共に 【イエスさま】
【イエスさま】と 叫びながら 絶命した。昼過ぎだという事だ。
100年戦争 ( 1337年~1453年)の活中に ドイツに近い 【ドムレミイ)と言う
片田舎で 生を 受けた。フランス国の中に イギリス国の領地が 余りにも沢山あり
それを 奪還する為の 100年戦争だった。
その片田舎で 生まれた少女に 《フランスを 救え》と 神の神託が降りる。
《ルーブル美術館》に行った時、国旗を掲げて 戦場を駆け回る 彼女の勇姿は
余りにも 強烈すぎて今でも鮮明に 頭に残っている。
イギリス軍の捕虜になった時、『主 (イエス)は フランスは勿論、イギリスにも
平等に 祝勝を賜うだろう。《神託》が降りたとは 嘘だろう』
『もし 嘘だったと 反省したら、我々は あなたを 許すであろう』と言う。
ここで ジジは 《千利休 》と《豊臣秀吉》を思い出す。
『ごめん と、謝れば なんの 問題もない。許して あげるのに』
秀吉の 思いとは 裏腹に 千利休は《茶の道》をとっては切腹を選んだ。
ジャンヌ ダルクも『ごめんなさい』と言えば 許されて居たかもしれない。
しかし 彼女は 死を 選んだ。
どうだろう。
私たちでも 政治家でも、大社長でも その時、その時の 感情で
《信念》をコロコロ 変える 人がいる。
ジャンヌ ダルクにしても 千利休にしても、コロコロと 信念を 曲げるような事では
民も 群衆も そっぽを むくだろうし【英雄】から一挙に 【悪魔】の
烙印を押されただろう。
最期に 彼女の叫びを 聞いて 終ろう。
《 ああ どうして こんなに むごい いじめ方を するのかしら》
《わたしの この身体 汚れをしらない この綺麗な身体を 焼いて 灰にして
しまおうなんて。
ああ、そんな風に 焼かれるよりは 7回でも 首を切られるほうが ましだわ』
彼女の 灰は あの清らかな 【セーヌ川】に流された。


120530写真

合掌

結婚記念日に【 一隅を照らす】を贈る

ジジの三女夫婦の 結婚記念日だ。
ママや 孫たちは、料理の前に スタンバイして パパたちの 帰りを待っている。
長女の主人は 日曜日にも拘らず、元気溌剌 姫路出張だ。
三女の主人は 朝、それも日曜日というのに 4時 起きで 会社だ。
いつもは 帰りが 10時も11時にもなるが 今日は ( 偶然) 8時過ぎに全員、合流できた。
さすがに 二人とも 疲労困憊の顔は隠せない。
【結婚記念日】という事を 数時間前に聞き、みんなで 大急ぎで 作り上げたのだ。
これと いって何もない 簡素な記念日だったが 小ちゃな記念ケーキを前にして
全員で 【パッピーバースデー ツー ユー】を歌った。
『これ、結婚記念日の 歌では ないけど』
『かまわん、かまわん。めでたい、めでたい』
みんなの 心が 1つになり 小さな部屋は 【密厳国土】と なった。
ジジは 結婚記念日祝に 【 一隅を照らす 】を贈った。
《山家学生式》にある 伝教大師 最澄が 嵯峨天皇に 奏上した時の 言葉だ。
【一隅を照らす これ 則ち国宝なり】と ある。
国宝とは、仏教の教えに従って 悟りを求める 求道者、所謂、菩薩のことだ。
金銀財宝 これ、宝であって 宝でない。
【世の中の 一隅にいても、自分の 役割を果たし精一杯 果たす人】
【そう言う 人がいて 始めて 世の中に 光明が 照らされる】
【自分自身を 忘れて 他を 利するのは、慈悲の極みである】
所謂 【慈悲心】【財生利人】を 説いて あげた。
【一隅を照らす】
素晴らしい 言葉だね。
みんなも 世の中の 一隅にいて 一隅を照らす人間になって 欲しいね。
その 光明も 光り輝く 宝の 石のように。
【記念日パーティー】は 楽しく 延々と続いた。
その中で 『記念日は 家族だけで するのでは なかったのだろうか? 』
『その 鍵は パパの 早めの 帰宅にある』
それを ジジや 婆さんを 含めて パーティーを してくれたのである。
ジジの方が パパに 一隅を照らされた。



120529写真
合掌

【私たちの 怒りなんかは 勿体無い 話だ 】

還暦ぐらいの 女性が 1人で 参ってこられた。
子安観音寺では 僧侶と一緒に お勤めをした後、
別室で 【うどんの 接待】を
頂いて 貰っていますが、笑顔の無い人で
お勤めも 接待も 要らぬと 言われる。
『折角だから、お勤めぐらいは しなさい』と 進め 、
拝み終った後は 接待の
うどんも食べて下さった。
お参りは 少ないながら 三々五々と 続いている。
『どちらから お参りですか ? 』との 質問に
『仙台の 避難所 から来た』とか。
『えっ 避難所 ? 』ジジの 声も 裏返る。
人との 挨拶が 『 こんにちわ』でも、
『おはよう』でも ない。
『あなた!! 生きていたの? 』誰と会おうが
これが 日課だったそうだ。
あの津波で お家も 流された。
愛しい ご主人も 長男の 奥さんも なんと、
その奥さんの お腹には 新しい 生命が 宿っていたという。
今の 今まで 目の前で 笑っていた人が
あっという間に 海の 藻屑となって
見え隠れしながら 消えて行く。『生地獄とは この事を 言うのだろうか 』
誰を 恨むでもない。涙も出ない。……
悲惨だね。もがきながら、愛している人たちが 波と波の中に 消えて行く…。
呼べど 叫べど 2度と 帰っては来ない。そして 涙も出ない。
皆さんは 涙も出ないくらいの 哀しみって 会ったこと ある?
ジジは ない。
阿修羅の 責め苦 だったんだろうね。今までの 平々凡々とした しあわせが
一瞬にして 霧散するんだもの。
『小豆島に お参りする前に 四国八十八ケ所を 参拝した。
一年が 過ぎて やっと 四国霊場で 心ゆくまで 涙してきました』
奥さんの 実話を 聞いて ちょうど 同席して居た 参拝者が みんな 泣いた。
縁も 所縁も ない人たちが 周囲もはばからず声をあげて 泣いた。
『私たちは どうでも良いことで すぐに 腹を立てたり ふくれたりする』
『この 奥さんの 悲惨さから 考えたら 私たちの 怒りなんかは もったいない話だ』
『みなさん。この 奥さんは 今から 苦を捨て 楽を与えてもらう。
【抜苦与楽】の道を 1歩 踏み出しました。歯を 食いしばって 一歩 一歩…』
『私たちも 現状に 甘えないで しあわせを求めて 立ち向いましょう』
涙も出ないくらいの 悲しみに 遭遇した時にも、打ち勝つ 気力と勇気を貰って。
合掌

【岡山にて 叔父の 17回忌の 法事があった】

法事があり、ジジ夫婦と 住職 一家で お参りにいった。
先日、家内の 里の 老僧の 17回忌の 法事があったが 今日の叔父と 里の父親は
同級生で 大の仲良し、高野山の学校にも いつも 2人でも上ったそうだ。
仲が良すぎて 死ぬのも 同じとしに 亡くなった。
家内の 里の時も 同じことを 言ったのだが、ジジや 年寄りは別として
新進気鋭の 若い僧侶が法要の重きをなした。
3人が 老僧の 孫という事で、そんな寺は珍しい。
もし お元気だったら 喜ぶだろうね。
今回も 3ヶ寺の僧侶が 親子ずれで 法要をなし、素晴らしい法事だった。
17年 経過したら 息子たちが 齢を重ね、孫たちが 威風堂々となっているのだ。
覚えられない位、多勢の オジ オバが居たが 次々と他界し 89歳になる 叔母がが
たった1人、残っている。
2日に一度は 病院通いを しなければならないが それも17年も続いている。
嫁は それが為に 運転免許をとり、今は 若嫁までが 送り迎えのために加わって
家族が一丸となって 叔母を支えている。1日や2日なら 誰でもするだろうが
17年と 言えば 本当に 頭がさがる。
お斎が 終って 叔母を中心にして 集合写真を 撮った。
100歳までは お元気にと 思う 一方、それでも 誰から 言い出したとも無く
集合写真が撮れたのは 言うか言わないかで みんなが 同じ気持で有ったに違いない。
叔母は 10年前に ジジと 同い年の 息子を喪っている。
子供の頃から 成績が良くエリート大学から エリート会社に 入った 秀才だった。
叔母の悲しみは 倍増しただろう。
『長男を 亡くしたけれど、私にすれば みんな わたしの 子供。
子供達が末長く 仲良くしてくれる事だけが 切なる希望です』と、申した。
ジジも老僧の 遺影を 拝み 叔母の言葉を聞いて 先ずは 元気にして頂いて
お互い 手に手をとって 絆を深めていかなければと 思う ジジであった。



120527-1写真
120527-3写真
120527-2写真

合掌

【子安観音寺 にて 結縁法要 : ブータン管長猊下 3泊目】

子安観音寺にて しあわせの ご祈祷が 有った。
管長猊下が 『折角 縁ありて 小豆島に来たのだから、有縁の人に しあわせをあげたい』と。
突然だったので 檀家の皆さんの 参加も少なかったのだが だれもが 喜んだ。
仏具を持ちあわせて なかったので、子安観音寺の 鐘、太鼓、鉢などを使ったが、
驚いたのは 山伏が使う 法螺貝だった。ブータンでは 法螺貝というより オーボエの
ような 楽器を使うだそうだ。
ところがどうだ。管長猊下は勿論の事、皆さん 楽器が上手だ。
太鼓も 御国のとは 種類が違うらしいが、トントンと打っていても早まらず、
遅くならず、音も 大きくならず、小さくならず、単調だが 聞いて居て気持がよい。
鉢も そのとうり。法螺貝だが これは特別 上手だった。
音楽部に 入ると 曲を 弾たり 吹いたりをしたいのだが、新入生は なかなか曲に
入らせてくれない。管楽器だったら、【チョーキング】といって 息を吸い込んでから
吐き終るまで 開放音 同じキーで バイブレーション無くその練習ばかり する。
単調だから 一日こんな事をやって居ると飽きてくるが しっかりと基本をやってなくて、
曲に飛びつく人は伸びない。
ピアノだって そうだ。しっかりとバイエルをやらなくて 曲に飛びついた 人は伸びない。
ブータンの僧侶は その基礎が しっかりと出来ているのだ。
楽器が変わろうと、使用合法が 変わっても いつ 何処で 誰と
どんなサプライズが有っても 微動打もしない。
きっと 法螺貝の練習をしたら 1ヶ月も経たないうちに 功をなし 名を上げるだろう。
法螺貝は 高音、中音、低音とあり【呂】と【律】によって成り立つ。
入山 下山 入場 行者の 一挙一動まで 法螺貝 一つで 指示を出すのだ。
会社の仕事でも 商売でも 調理でも、同じことだ。
基礎が出来ていれば どの国で何をしても 動じない。
お経を 頂きながら、その事を強く感じさせられた。
参拝の 檀家の皆さんは 大満足をしたし、ジジも至福の 日々を得た。

120526-1写真
120526-2写真
120526-3写真

合掌

【ブータンより しあわせの国 使者 来られる】その2

管長猊下が お越しになって 2日目になる。
一日も終り、やがて ささやかな ディナーだ。
( 完全な 精進ではないが これ位だったら 大丈夫だろう) と、粗飯をお出しした。
ところが、僧侶達は 粗飯を前にして 拝みだした。【食時作法】かと思った。
管長猊下に聞いてみると 『勿論、食時作法は 食事前には当然の如くするが
これは 所謂 精進料理以外の物を 口にする時、唱える お経だ』と言われた。
スリランカや 中国の 僧侶は 奥さんを持つことは勿論、酒、精進料理は やらない。
前持って セキュレタリー マネージャーが『管長猊下は精進料理です』とか申すので
ブータンは 少しは 大丈夫かと 早合点 したわけだ。
スリランカの仏歯寺 菅長は 精進は勿論、ジジとは一緒に 食事をしてはくれない 。
それから、考えると 日本の僧侶は ジジも含めて やれ お嫁さんだ。
酒だ。肉だ。魚だと 堕落したものだ。
釈迦は 亡くなるクシナガラという街で 鍛冶屋の チュンダから 【大衆供養】して貰い
それが 原因で (80才 という高齢も 重なって) 亡くなった。
ブータンの管長猊下は言う。
『わたしは、何が 食べたい。何が 嫌いだとは 決して言わない。
これらの お食事は 私たちの為に 喜んで 食してもらおうと 一生懸命 作った
【大衆供養】だ。
それに あれは 嫌いだ。これ 好かんと 申したら 作った人は どんなに悲しむだろう。
ありがたや。ありがたや。
時は 流れるままに。なすが ままに…。
好き嫌いは 拘( こだわ)りの 最たるものです。供養してくださった方の 気持に
感謝しながら 喜んで 頂くのです。
それが 本当のしあわせ なのです』
精進料理で 有ろうが無かろうが 喜んで 食してくださった。
そして ホストの ジジも 管長猊下の 気持ちを察し 泣きたくなる位、
叫びたくなる位、嬉しかった。
また一つ 素晴らしい お勉強をさせて頂いた。


120525写真

合掌

【ブータンより しあわせの国 使者 来られる】

ブータンより ngagpa. Dhenddup 大僧正 来られる。
兄弟付き合いを して居る スリランカのビパッシー僧正が タイでの 宗教サミットで
2週間 ご一緒だった事から 僧正の 来日が 決まった。
ビパッシー僧正から 『リンポチェ 』さんと紹介され 『リンポチェさん』
『リンポチェさん』と、お呼びしていたが 実は【位の高い 大僧正】の意味でして
ジジは 最初から 大恥を かいた。
『拘りませんよ』
『特に 名前の 読み方なんか どう呼んで貰おうと 何の問題もありません』
『そんな 事で 云々 言って居たら、私たちは しあわせを 得られません』
『何故かって いったら 私たちは しあわせの国の 使者ですもの』
僧正は 気安く 笑う。
我が 貧寺に 3泊4日する予定で 1日 明けた今日は、子安観音寺の4山を参拝し
住職が 案内役として ついて まわった。
本堂での お勤めの際、【鐘】や 【鉢】に興味を持たれ、実際に手に取って、
ご自分で 鳴らしてみた。
少し 形が違うし 鳴らし方も 違う。
住職が 張りきって『日本では、このように 鳴らします』と、
管長の 前で 鳴らしてみたが、意に 介せず 柔和なお顔で
『方法なんか どうでも 良いのです。
要するに それらの 音を聞いて 本尊が 喜んでくれるか どうかです』と、申される。
『本尊が 喜ぶという事は 所謂、衆生、大衆が 喜ぶという事なので 如何に 行動し、
如何に 話かけるか 智慧を出さねば ならない。そして そうする事に よって
自分自身が フラストレーションを おこしてもいけない』
成る程。ジジ なんかは 『世のために 人のために』と、視野狭く 考えるが
しあわせの国の 【こうふく量】とは、そうすることによって 自身がの幸福が、
無くなっては いけないのだ。
ジジの 【こうふく量】なんか、まだまだだ。
これから 2~3日、管長猊下に 色んな 教えを 学ばなくては ならない。


120524写真
120524-2写真

合掌

【 尻じまいは 1番 大切 】

今日、お葬式があり 住職が 引導を渡した。
行年 77歳の 奥さんで 昨年から 膵臓を患っていたそうだ。
ジジも 晉山式 直後に 膵臓を患い 大好物の 般若湯を頂けなくなっただけに
病名を聞いて ドキッ とした。
昨夜、住職が 『○○さん ご家族が 葬式の 手伝いをして居たけれど 親戚ですか? 』
と、尋ねる。そう言えば、本人は ○○さんの会社に 長年 勤務していた。
きっと 退職なさってからも 親子 親戚付き合いを していたのだろう。
その旨を 申すと 住職は『羨ましいですね。社長だ。従業員だ。使用人だ。と
分け隔てせず、心と心で 結ばれていた。それが ご本人の 最期の最期。
お葬式まで 強い 絆で結ばれていたのでしょうね』と、感慨深そうに申す。
先日、長年 ジジと一緒に 子安観音寺の 屋台骨を支えてくれた 僧侶の ご長男が
今度は ( 自坊は パパがみて) パパが元気な間、住職を 助けてくれることに なった。
こんな パターン、1番 嬉しいね。
ジジが いつも 言い続けている。『人間、別れ際が 1番 、大切だよ』と。
《敷居がたかくて その お家に 入れないような事だけは 絶対に しては ならない》
会うは別れの始め【 愛別離苦】によって 泣(なき)の涙で別れる。
色んな 事情が あるだろう。さて その後である。
昨年は、ブログにも紹介したように 信州に 縁が有ったの僧侶が『お忙しいだろうから』と
本人は勿論、そして奥様と ご老僧が 背中を押してくれ 期間中の【きうり加持祈祷】を
手伝ってくれたことがある。
ジジは 思わず泣いた。
恩と言えば おこがましいが お互いが お互いを 【恩】として 受け取る。
この 心が 大切だね。
『別れてから 年賀状は 出しています』『別れた あとも 兄弟付き合いをして居ます』
『別れてから 風の便りで 消息は知っているが 聞き流している』『全然 会った事もない』
そして 『 不義理をして居て どうも あそこは 敷居が 高い』となったら、最悪だ。
どうして 義理、人情を かくのだろう?
お観音さんの【慈悲心】を 自分の事として 受け止めて居るか どうかだね。
どうか 別れたあと、胸を張って 何時でも、そのお家に 行けるように、その人と
出会い できるように 心掛けなければならないならない。
別れた後の、ケアー 忘れないように。

合掌

【精進……そして 忍辱の 行 】

昨日は お大師さん の日。
和田山から 【写経会】が 参ってきた。子安観音寺か 小豆島大観音にて 所謂、
【本山 参り】をし そこで 写経をし 一年間、毎月 書き続けた【写経】を奉納
するのだ。
本山参り なんか言われたら ジジは 赤面の極みだ。
2週間ぐらい 前のブログに 得度者が 何人居て 有頂天になったジジが写経会を
結成したが 結局、続かず やめてしまった 若き日の 反省を書いたことがある。
その時 ジジの 師僧の 寺、香川県 詫間と この和田山に 同時に 写経会が結成された。
若きジジの 写経会は 押すな 押すなの黒山の 人だかりで ジジは 鼻 高々 だった。
それに比べて 詫間も 和田山も 地味だった。
ところが 三年~五年と 年月を経る毎に 形成は 逆転。
ジジは 両手をあげ《万歳》を三唱し、和田山は 人数が増え、宅間は
讃岐だけでなく、岡山の 神島 と、兵庫の 相生に 新たな写経会を作った。
その 写経会が 1年に一度、本山参りをして 一年間の成果を ご本尊に 奉納するのだが
この 歳になって ジジは 本気で 何処に 逃げ隠れしようかと思う。
『浮き足立った 心では 何をやっても 失敗する』
『着実に 両足が 大地に ついていたら、物事は 必ず 成就する』
師僧の 声が ジジを 襲ってくる。
『登山でも マラソンでも スイミングでも 最初の一歩を 踏み出したら、
最後の最後まで 一歩 一歩 、着実に 正確に 休みなく 進まなければ ならない』
『究竟に陥っても 耐え忍ぶ 屈強な 精神と肉体を 作らなければ ならない』
『精進… そして、忍辱の 行 だ』
いやはや、先日 ブログで 紹介した ジジの若き日の 大失敗談を
今日、また 曝け出してしまった。

120522写真

合掌

【 金環 日蝕 】

朝、5時過ぎから 空を 見上げていた。
7時32分 ついに 劇的シーンを目にすることが出来たが、まことに 残念ながら
アイパッドや携帯電話での 完成度は この程度だ。

120521-1写真
120521-2写真
金環日食120521-3



金環日食のお陰で 昨日から 太陽や 月の ミステリーを テレビで 放送されている。
月が 地球から 分かれたという事は 存じて居たが、その原因が 地球が
地球規模の惑星との 衝突の時、弾き飛ばされて 出来たのとは知らなかった。
そして、月は 地球上で 人類を始め 生物の 1つ1つが 今の形態を保っている 役目を
果たして居るんだって。火星には 月のような 惑星が無いから 地球に本当によく
似ていても、地球とな全く 違った 星になっている。
太陽系が出来た 50億年まえの 地球の回転速度は 一日を6時間で回っていた。(?)
傾いて 回って居るのだが、肝心要の 月は 遠心力によって
一年に 3.5cmずつ 地球から遠ざかっているんだって。(やがて、地球から離れる)
地球は 後 、10億年もすれば 回転軸が 無秩序に動き出しアメーバのように
あっちが 出たかと思ったら、こっちが引っ込みして やがて、45億年を一期に
太陽が 生涯を閉じると共に 太陽に吸収されて 太陽系 発生直後のように
粉々に 吹っ飛んでしまうのだ。
そうだよね。『俺の 土地だ』『うちの領土だ』と、目くじらを たてて喧嘩を
していても 一年に数センチ 北上している 日本は 20万年後には 朝鮮半島にぶつかり、
それでも 足りず 後から後から 突き上げられてあの ヒマラヤ山脈のように
高い 山脈に なるのだって。
人間が いくら 叫んでも 大自然、大宇宙の驚異には 勝てるものではない。
『おれの もんだ』『大きい 小さい』『高い 低い』『綺麗、汚い』
そんな事を 言っている 間に 地球も、いや、太陽系も宇宙も 森羅万象 ことごとく
歳をとり、アッという間に 霧散してしまうのだ。
大宇宙からみれば、私たちの 欲望や 自我なんか 胡麻つぶぐらい の小さなものだ。
いつも 言っている。
『足るを知ろう !』
欲張らず、腹を立てず、健康に気をつけて、悔いのない 楽しい人生を送ろう。
【日食】に 遭遇し 心からそう 思うジジであった。




合掌

【十善戒の 不殺生 は 殺すなと 言うだけの意味ではない】

梅だ 桜だと 騒いでいる間に 一変に 初夏が来てしまった。
『今年こそは !』と意気込んで 正月を迎えたのだが、
もう一年の 半分が過ぎ去ろうとしている。
『暑い !』
テレビを見て見ていると 各 電力会社が 《この夏は 15% 節約》とかをうたっている。
原発を 再稼働するか 否かは 国民を真っ二つに分けて 論争がくり広げられて居るが
その因果関係で ●(電力不足 )● (電気料金) 値上げと国民も 大変だ。
僅かな 知識から ジジが 出来るということは 電化製品のコードを小まめに
抜いて置く事と クーラーを止めて 扇風機に切り換えるぐらいしか 浮かばないが
兎に角 努力はして みようとは 思う。
【十善戒】という 言葉、皆さん 知っているね。ジジも 何度も 紹介したと思うよ。
仏様と 10個の お約束を するのだ。
【不殺生】【不偸盗】【不邪淫】【不 妄語】……と。
その中の 第一に【不殺生】が出てくる。
《汝 殺生すること なかれ》
生き物の 命は かけがえも無く 尊いもの。
無駄な殺生はしないで 折角 頂いた命を 大切にしよう。
草花 然り。地下資源 然り。万物に 命あり。これも 大切に 扱いましょう。
そして 見逃して ならないのが { 時間} {空間}の殺生である。
冒頭に申し上げました。
正月が 明けたばかりというのに ジジは一体 何をしてきたんだろう。
全く 無駄な 無意味な 日々を送っていたのではないだろうか ?
そのことを事体、【不殺生戒】と、いう事になる。
限りある 資源、限りある 命、限りある人生。
大切に しましょうよ。
本尊様と 【殺生】は しないと、約束をしたんだもの。
そして、時は 再び 帰ってこないんだもの。
合掌

【 感謝の気持ちを 忘れずに 】

8名の 巡拝があった。
昔は豪快な 女の 先達がいて 今の先達は 【先達 補佐】の様な形で参ってきていた。
それにしても、大病を患われたと 言うにも拘らず 人数の多少 云々よりも
今年もまた 参ってこられた事に 頭が下がる。
六波羅蜜で言えば 【忍辱】の行が余りにも 欠如して居たのだが、ジジは新発意の頃、
大失敗したことがある。僧侶にしても、在家信者にしても 信仰の入門に【得度】と
言うのがある。得度者は 戒を受けた 阿闍梨さんの弟子になる 訳だが ジジの弟子が
300人を かるく 突破した。若き 時だから、有頂天になったのかな~。
『よし、月に一度 《写経会》を やろう』ということになって 最初は
多勢の参加もあって 活気のある 写経会が続いた。しかし、3年~5年と月日が経つと
1人減り 2人減りして 終いには とうとう 止めてしまったのだ。
新住職に 代わっ時に『もう一度 写経会を』と、声も上がったが『いやいや、また
法主の様な事を 繰り返す』と掻き消され 住職には 多大なる 迷惑を掛けている。
『お身体の 調子も優れないとかで 心配しています。今年も 参拝ができて
良かったですね』ジジは 心から そう 言った。
『小豆島八十八ケ所霊場の 各、ご本尊様に 私の 病気を治して頂いたのです。
《恩を 忘れたら いかん》残念な事ながら この頃の 世の中は 人の心が
薄薄であると共に 大事な心、感謝の心も 薄れているように 思います』
『《物 豊かにして 心 貧しい》時代とは 感謝の心の 欠乏を言うのであり
《物で 栄えて 心で 亡ぶ 》とは 物に 心が 副わない不均衡な社会を 言うのだと
思うのです。私が 実行しているから 言うのではないが、今の日本人には
《 物 少なくして 足るを知る》心が 何よりも必要と 感じます』と、言われた。
全く その通りで 友情然り、商売 然り、縁ある 万物すべて 然りだと ジジは思う。
そして 先程も 少し触れた 【忍辱の行】。
皆さんも やり始めたら、ジジのように 途中でやめるのでなく、
意識は ブレず、最期まで 貫徹しようね。
合掌

【 話しかける 事とは お観音さんの 心 】

昨日は 赤穂、今日は 高松からの お参りが あった。
丁度、春遍路のシーズンも 終りに近づき 【土用まいり】までの端境期だ。
高松からの お参りは 78才の母親と 息子さん 2人連れだ。
男性の年齢は分からないが 50手前ぐらいだろうか?
11年間、子宝に恵まれず毎年 小豆島八十八ケ所霊場巡拝をしている近所のおじさんが
『80番札所の 子安のお観音さんに お参りをして見なさい。
きっとお陰を頂けるから』と 教えて貰い 小豆島参拝が 始まった。
11年間出来なかった子宝が参り始めて 三月( みつき) 目に 授かったのだ。
『この人が ここで 授かった子ですが、今は 私も 沢山の孫に囲まれて
なに不十分なく 幸せな ひぐらしを させて頂いております』
そして 何よりも 驚いたのは
『80番の 子安観音でお陰を頂いた 感謝の気持は 家族中忘れた事はなく 今日は 2人で
参らせて 頂きましたが 家族で 月参りをさせて頂いて おります』との事だった。
たまたま 話しかけたので こんな 会話が出来たのだが 今まで この お婆ちゃも
授かった 息子さんとも 会ったことも 見た事も ない。
『仏縁で ご本尊さんが お出会いを させてくださったの ですね』
【言葉の大切さ 】という事を ジジは 嫌という程、思い知らされた。
長年 月参りをされていて、顔も 名前も 住所も 分からないのだ。
こんな事では 接客業をしている方は、絶対に 倒産するだろう。
ま、それは 要らんことで 僧侶の範囲では無いのだが
『今までは 本尊には 御礼がいえても、何十年と もう一つ 釈然としませんでした。
ところが、今日 直接 お礼を申すことができて、胸のつかえが 降りました』と、聞き
【三密】の 言葉と身体と 心の【行】、特には 言葉の大切さを身に感じた。
言葉で 布施をしなければ 幾ら 隣に住んでいても【無縁の慈悲心】で
一切 平等に 衆生に 幸せになって頂きたいだけの心で終わってしまうだろう。
1つの言葉から 友情が芽生え、信頼に 発展して行くのだ。
そして その親密度は また私たちの 《智恵》の《行》の 深さに比例する。
仏縁… ご縁が できたら、まず《声をかけよう》ね。
その 声こそが お観音さんの《慈悲》の声なのだ。
合掌

【 お寺は 心の ふるさと である 】

赤穂から お参りがあった。
『 今日は お願いと お詫びに 来ました』との事。
この 夫婦には 子供ができなく 両親から『信仰している小豆島の子安観音にてお陰を
頂いて きなさい。きっとお陰を頂けるから』と、背中をおされ小豆島に参拝した。
その甲斐 あって 5年目に 玉のような子宝を授かった。私たち夫婦は勿論のこと
親 兄弟 挙って 『家の宝物を 授かった』と その喜び、いかばかりだったか。
月日は アッと言う間に ながれ 子供は成長し 両親とも この世には 居なくなった。
忙しいと言うのも有ったが、次第に 感激の気持ちも薄れ 最後には 小豆島
『子安観音寺』すら 思い出すこともなかった。
ところが 平安な日は、長く続かなかった。可愛い子供が 病魔に侵されたのだ。
『ああ。毎日 感謝をして暮らさなければならないのに、子供が 病魔に侵されるまで
『子安観音寺』を一度たりとも思い出すことも なかった』
『喉元 過ぎれば 熱さを忘れる、という言葉が有るが、ご本尊には 申し訳ない事を
しました。バチが あたったのです』
『寺を思い出さなかったのや 感謝のこころを忘れた事と 子供さんの ご病気とは
何の 因果関係もありませんよ』ジジは言う。
『寺というものは 誰であれ、どんな素姓の方あれ 縁によって出会ったその人が
困った時、苦しんでいる時は必ず 愛の手を差し 受けとめて あげる所なのですよ。
悩んだり 苦しんだりしないで ご本尊に しっかり おすがりなさい』
小豆島八十八ケ所霊場の 一つに 【山ノ観音】という病気封呪 専門道場がある。
そこで 病気 快復のご祈願をするのだ。
『一生懸命に 真心を持って 手を合わせれば、きっと ご本尊は 素晴らしいお陰を
くれますよ。ただ、お陰を頂いた暁には こんどは 感謝の気持ちを込めて
毎日、お礼をする事を忘れないでね』 とジジ。
西洋の方が この様に言われた。
ビックリして 今でも、記憶に残っている。
『西洋では 週に一度は 教会に行き 礼拝して 懺悔をする。
ところが どうだ。日本では 毎日、家に居ながら 礼拝もできれば、懺悔もできる。
何故ならば、日本には 家々にミニ 教会があるから』
お家の 【仏壇】の事である。家々に 小ちゃな 本堂が有ると 言っているのだ。
『折角の 教会、なぜ 拝まない。なぜ 懺悔しない? 』
法事の時に お寺さんが 拝むものではない。
菽水の歓。家々の者が感謝をし 反省をし 懺悔をする お寺なのだ。
そんな 密厳国土に 住んでいる方達は キット 素晴らしい家庭を築けるよ。
山ノ観音にお参りに行く 赤穂の 方をを見送りながら、ジジはその様に つぶやいた。
『どうか、この夫婦に 素晴らしい お土産を お与えください 』
合掌

【 回向 : えこう 】

小豆島霊場 八十八ケ所巡拝に 薬師寺団体が こられた。
ジジが 知っている薬師寺巡錫団は 橋本堯胤 管長猊下の元 客船を一隻 チャーターして
小豆島 有縁の 寺院、関係者が 港まで 出迎えに行っていた。
今年は 管長猊下を筆頭に 寺の執事と 歴代 家持団長を始め 約80人の参拝だ。
本部の 皆さんは 団体よりも少し早く 子安観音に入られて お茶を飲む。
高田 好胤管長、松久保 秀胤管長…と、お徳の 高い ( 近寄り難い) 管長が続いたが
今の 管長は 本当に 親しみのある 失礼を承知で書くならば その日、その場所で
100年来の 知己になれそうな そんな慈悲心の溢れた お方だ。
昨年は 中国 西安 在住の青龍寺 管長をお連れして 東大寺と薬師寺に お参りした時
管長さんや 事務長さんには 言うに言えない お世話になった。
『今年は 団体数が 80だけれど 来年は 100を越したいね』
『管長さまが ご一緒に参って頂いたら 直ぐに 越しますよ』
団体は 予定時間よりも 大幅に 遅れた。
子安観音寺では 3度の 火災に負けず 再建して頂いた 檀信徒の皆様に
御礼に おうどんの【接待】をしていると 昔 話した事があるね。
時は、もう午後 6時が目前だ。
寺を出て 10分もすれば お宿で 美味しい 夕食が 待っている。
こんな ケースでは 寺が『 召し上がれ』と、ホカホカの湯気が立っている
おウドンを お出ししても 手を付けず、宿に下がっていく 団体が 多い。
ところが、どうだ。
『365日 一日も 休まずに 参拝者全員に接待をして居る所が 他にも有りますか?』
『心から ありがたいと 感謝をしなければ なりません。
同行 80名、全員が接待を うけますよ』
10分後には 美味しい夕食が待っていながら 全員が 喜んで 食してくれた。
子安観音寺は 参拝者に 《大衆 供養》している 訳だ。
そして 管長猊下は それに《 回向》と 云う 形で お返しになった。
お互いが お互いを 拝みあう。
《相互 礼拝 》《相互 供養》
なんと 清々しい 皐月の 夕べで あったことか…。
合掌

【 京都 スカイツリー 】

子供や 孫たちと 京都で会うことに なった。
平日だが パパたちが 休みがとれて 久々に 多勢 揃う。
パパ達の 会話。
『 いつから 会って いないかな~』
『正月に 小豆島 かな? 』
『いや小豆島には 帰れなかったから 年末でしょうか』
『かれこれ 半年も 会って なかったんや 』
京都に集まるのが みんなが 揃いやすいと、京都駅に 集合したのだが、
多勢の子供や 孫に囲まれて 1番 嬉しかったのは ジジかもしれない。
僅か 3時間ぐらいの ディナーだが 食事が終った 孫達には じっとして 居られない。
孫と孫の 喧嘩。
食後の 時間を 持て余して はしゃぐ 孫。
その時、その時に 神の声が 聞こえてくる。
『ケンカ しないで 仲良くしようね。あっちで 仲良く あそぼ 』
『沢山の 人が ご飯を食べているから 大人しくしよう。
ジジが いつも 人に 迷惑を かけてはいけないと 言っているでしょう』
親ではない。 孫同士が 言っているのだ。
親たちは、真っ赤な顔をして 『カンパ~イ !! 』をやっている。
地獄で 仏に 会ったような、そんな気持ちだ。
ジジは 知らぬ。聞いては おらぬ。見て おらぬ。と、平静を装うのがが
ジジは 喜びのあまり 耳は像さんの耳になり尻尾を千切れるぐらい 振っているのだ。
おかげで【慈悲心】を持つ 孫に成長した。
やがて 1人の孫が 聞いた。
『あの 背の高い 建物は なんだろう ? 』
『アッ あれは 京都 スカイツリー だ ! 』
もう一人が すかさず 答える。
そうだ。あれは 《京都 スカイツリー だ 》
『天高く 空広く 海深く 崇高で 健康な子供に、育って欲しい』
あの 大空に向かって 両手を 広げている ツリー のように。
と、願う ジジがあった。
合掌

120515-1写真
120515-2写真
120515-3写真

【 小豆島大観音 百観音霊場 法要 第二日目】

法要も 昨日、二日目を 迎えた。
おとといは 開会 の後、ジジが 挨拶をした。
その後に 写経、座禅瞑想 実践、経本 読み方等の【 行 】をした。
今日は 【理趣三昧】法要のあと 文化保護審議会長 中村 利夫 先生が
《大阪城 再築石垣石の残石について》という題目で 公演を頂いた。
その後に 大観音にて 昼食会があり 解散をした。
ジジの 下手くそな 挨拶を 記載して おこう。
【大観音の境内に 居ながらにして 【西国、坂東、秩父】と百観音霊場に
参拝できるよう】と 100人の檀主を募り 見事な霊場が霊場が出来上がった。
西国霊場 第一番札所 檀主は ○○ ○殿。第二番札所 檀主は△△ △殿と なる訳だが
年月が 10年も経つと 突然 無常の風が吹いて 天国に召される方が 増える。
『あなたの 札所のご本尊様は、あなた 1人のものでは ないのですよ』
『あなたの 家族でお祀りをするんです。もし 皆さんの中で 調子が悪かったら
代わりに 子供さんが世襲して ご本尊を お祀りして欲しい』
『日本 風物詩の一つ 京都の【大文字山】にお参りをした。小豆島大観音でも
お盆には 【大文字】の送り火ができないか? 小豆島大観音だから、また 此処が
小豆島だから 【小 】の送り火でもと、現場まで 研究に上がったのだ。
豈図らんや そう 簡単なものではない。火事とか 近辺の同意等は差し置き
あの 【大】と云う 護摩壇 一つとって見ても 多勢の大檀主によって構成されている。
そして その檀主は 何百年 いや多分、一千年を超える 長き 世襲制度によって
成り立っている。ジジが 今 突然に 『檀主になります』と、手を上げても
とてもではないが 輪の中には 入れない。親から子に 子から孫に 受け継がれて居るのだ。
だから 皆さんも 各霊場の 本尊を大切にし 永きに渡って 祭祀して欲しい』
その他、今年から ゴールデンウイークのまでの 参拝状況。26000本の 芝桜 植樹。
色んな 話をしたが、長くなるのでこの辺で 筆をおく。
ジジにとっても 檀主にとっても 素晴らしい 1泊2日だった。

120514-1写真
120514-2写真

合掌

【 小豆島大観音 :百観音 檀主 法要 】

大観音にて 1年に 一度の百観音 法要が有った。
小豆島大観音にお参りをすると、大観音に居ながらにして 百観音霊場
《西国三十三所》《坂東三十四ヶ所》《秩父三十三所》
にお参りができるようにと 檀主をつのり 見事な霊場が出来上がった。
一年に一度、檀主の皆さんが 自分の 札所のご本尊にお出会いし お身拭いをする。
一日目の 法要も無事に終り お斎の席で 檀主さんとの交流会を催した。
● 住職 挨拶
檀主の皆さんが 段々 亡くなり 病床につかれて 非常に寂しい。
あとに続く人が 多勢の家族を お連れして 自分の本尊を護ってください。
●小豆島大観音 奉賛会長 :香川県議会議員
檀主の皆さんで 大観音を盛り立てて下さって有難う。
閑話休題 : あと2年 経ちますと 大観音落慶法要 20周年がくる。
今日、皆さんがなさった お身拭いをして 大観音自体の お色直しをしなければ
ならない。檀主の皆さんの 力を 是非 貸してください。
●小豆島大観音 奉賛会 : 土庄町議会議長
去年は 震災で 被災地は勿論のこと 日本中、どこもが 冷え込んだ。
落ち込んだ 小豆島をもう一度 活性させたい。
檀主の皆さんが その 架け橋になって欲しい。
●信徒 代表
【熏習 :くんじゅう】という お話をなさった。
日本に 《三道》ある。すなわち、《茶道》《華道》そして《匂道》だ。
(偉そうな事をいっても、まさか匂いの道が有るとは ジジも 知らなんだ)
そこで《熏習》が出てくるのだが。
香が 物に その匂いを移して いつまでも 残るように
ある物が 習慣的に 働きかける事によって 他の物に影響作用を植え付け
自らの行為が 心に 習慣となって 残ること。
ここからは、間違っているかも知れないが ジジの 解釈。
私たちが 高級ホテルやレストランに 行った時、何処からともなく 良香が
鼻を突くことが有る。なんとも言われぬ 極楽の 香りを嗅ぎ 至福をいただく。
その香りは 暫く消えず、場合によっては 家に帰っても まだ
匂いが 染み付いている事もある。
仏は 手を合わす者には 常習的に 《慈悲心》を頂ける。
さて、私たちも 子供の教育に 習慣的に《良匂》を齎さなければならない。
溺愛するのではなく 躾けはきっちりと。躾が 綻びると 子供は 非行に走ったり
依頼心の塊になったり ニートになったりする。
《良香》躾けは 子供の 心の中に いつまでも 浸透するように習慣的に
働きかけなかれば ならない。
しかも、優しく 包み込むように…。
ジジの 為の 良い 勉強会でした



120513-1写真
120513-2写真

【栄枯盛衰 世の習い 】

ユカタ遍路が 小豆島霊場 春参りの最終を飾る。
その 1団体が 8名で 参拝された。全盛期は 200名を超える大団体だった。
遍路は 今でも人数 × 2~3泊。昔は人数 × 1週間と 遍路宿にしたら 上客だ。
【栄枯盛衰 世の習い】とは申せ、なんともに悲しい。
《いにしえの 奈良の都の 八重桜 けふ 九重に 匂ひぬるかな 》伊勢の大輔
遷都された 宮中には 八重桜があり、その桜は 元の都の 奈良から 持ってきたものだ。
昔 栄えた奈良の都に咲いていた 八重桜が、今日は 京都の宮中で 一層 華やかに
栄えて 色美しく 咲き誇っている。
すべて 思いのまま、意のまま、我が世の春を 謳歌している 歌だ。
《ももしきや 古き軒端の しのぶにも なほ 余りある 昔なりけり 》 順徳院
ああ、ここは宮中だというのに 古ぼけた建物の軒に ぺんぺん草が 生え茂っている。
いくら 偲んでも、忍び足りない 昔であるが つい かっての華やかな頃を思い出す。
順徳院は 承久の乱で 佐渡島に流されて そこで寂しい 生涯を過ごす。
1192年。鎌倉時代のはじまりで ある。
794寝覚めぬ 平安京だから 300年の月日が過ぎ去るあいだに 威風堂々たる
同じ 宮中が こんなにも 変わるのだ。
国破れて山河あり 城 春にして 草木ふかし
私たちの 一生は 露のようなのもで アツという間に 過ぎ去ってしまう。
【慢心】にならず、つねに 【謙虚】で、いつ、どこで、なにが 起ころうとも
微動だもしない 体力と 精神力を備えなければ ならない。
勿論、ささやかな 預金と ささやかな 衣食住も含めて。
時がめぐり 咲き誇っている八重桜と八重桜の間を 白装束で身を固めた
多勢の老若男女が 鈴の音も高らかに 島 八十八ケ所の 御本尊の前で 手を合わす姿を
目にすることだろう。
合掌

【和を もって 貴しとなす 】

街中で 1人の お婆ちゃんと 遭遇した。

いつもは 白装束で 小豆島を闊歩している
お婆ちゃんと 偶然 出くわした。

『お近くですか? 』

『へえ ここから 5400歩、先の 家です』

万歩計を見せた。
約 1万歩 健康のために 毎日 歩いているのだとか。

『この ゴールデンウイークに
お孫さんが 2人、参ってこられましたよ』

ジジは それは知らなかったが、
横にいた 家内がそう言った。

『嬉しいですね。
言伝えを 私から子供に、子供から子から孫に…』

突然、こみ上げてくるものがあり
お婆ちゃんは 街中で 涙した。

『和をもって 貴しとせよ。
ひとの痛みを分かる人間になるために
小豆島をお参りして 痛み 苦しみを
自分の 身体で 体感しなさい。
これは 但馬に居た わたしの母親が
言い続けて居たことです。
母の伝言が 私に、わたしの伝言が 子や孫に伝わる…。
こんな幸せは ありません』

お婆ちゃんは 毎年、
ご家族総出 何十人かで お参りになる。

生死は 分からぬが もしかし健在だったら
100才を越しているだろう

母親の 心が 未だに この家族に育まれて いたのだ。

【和を持って 貴しとなす さかうること 無きを宗とせよ】

当時、聖徳太子は 伯父にあたる
蘇我馬子の恣意的な政治に苦しみ、
大友、物部氏、その他 諸豪族との
権力闘争の結果、645年 とうとう
【大化の改新】という 歴史を引っくり返すような
大事件に 発展する。

【大事は 独り 断ずべからず 衆とともに 宜しく 論ずべし 】

17条の憲法の 最後には 大きな問題は、
決して 独断で決定してはならない。

必ず 多くの人で議論し 話し合って決めるべきだ とある。

まさに 民主主義の大鉄則を表したのもで
聖徳太子の 【教え】は1500年後の
今日(こんにち) にも 充分に通用する。

今回も そうだ。

大お婆ちゃんから お婆ちゃんに。

そして その心は 子や孫にまで 引き継がれている。

行きすぎて行く お婆ちゃんの 後姿を 見つめ

『どうか 家族全員が 痛みを分かち合い、
この家族の伝統 宝燈を 決して消さないで欲しい』

と、祈る ジジで あった。
合掌

【もう一度 八正道の 行を やり直せ 】

電車に乗った。

偶然 座ることが出来て
家内と 顔を見合わせて 微笑み合う。

『どうせ、また 代わってあげるのでしょう ? 』

ジジが 老人や 妊婦 、子供連れの夫人を見ると
席を代わるので 家内は その行為を
『また ジジのお節介が始まった』と言いながらも
嬉しそうだ。

電車が 止まる。

お婆さんが 2人 乗ってきた。
1人は 恰幅が良く 小綺麗な着物を着ている。

もう1人は 少し 小柄で 杖を ついている。

ジジの 後ろの席が 1つだけ 空いていて、
恰幅が良い方が それをゲットした。

小柄は 杖をついていただけ 遅れたのだろう。

ジジは 動く ………。

と、2人の 老婆の 会話が 始まった。

恰幅が シートに デン と座ったままいう。
『かわろうか ? かわろうか ? ここに すわりなされ』

恰幅の 口は激しく動くのだが
身体は 微動だもしない。

小柄は拒否している。

今度は 前の方を 指差して
『あそこに 一つ 空いている。あそこに 座んなされ』

小柄は その言葉を 馬鹿にしたように 無視した。

恰幅も プーと顔を膨らませ、
車内に 何とも言えない 険悪な空気が流れた。

ここで ジジが 立ち上がれば
当てこすりのようにもなるし、そんな状態では無かった。
《いや、なぜか ジジは 席を代わりたくなかったのだ 》

【十善戒】に
《妄語》と言うのがある。
これは嘘をつくと言う意味だから
少し 当てはまらない。

《綺語》
巧みに飾って 美しく表現した言葉。
少し 違うな…。

真実に 背いて 巧みに飾り 表面だけ 取り繕うこと。
真心は無い…。

これだ。ジジが 不愉快に 感じたのは !

【初転法輪】

お釈迦さんが はじめて お悟りを開かれた時、
修行の基本となる

8種類の 実践徳目

【八正道】

の実践を 説かれた。

思わぬ 長文になるので
ジジの考えを変えて 短く 紹介しよう。

【正見】【正思惟】【正語】【正業】【正命】【正精進】【正念】【正定】

これを【八正道】という。

【正見】から ● 正しい見解。●正しい決意。●正しい言葉。●正しい行為。
●正しい生活。●正しい努力。●正しい思念。●正しい思念瞑想。となる。

このお婆さんは 最初の【正見】から始まって
最後の 【正定】にいたるまで

只の 1つもの道理にあったものがない。
小柄も 膨れないで もっと 素直になるべきだ。

ジジ夫婦が 電車から 降りた。

『あなた。立たなかったわね』
『うん……』
季節は 春を過ぎ、初夏に差しかかっていた。
合掌

【その時、その場の対応の 難しさ】

昨夜 住職が 賽銭泥棒を 捕まえた。

ジジと一緒に夕食をとり
家族で わが家に引き上げる途中の出来事だった。

全て 後で聞いた話なので
ジジの説明にも 迫力も無ければ 緊迫感もない。

途中、消えてなければならぬ
電気がついており『不具合かな? 』と、夫婦で
チェックにかかったようだ。

と、本堂前の 稚児大師像まで来ると薄明かりの中に
1人の男が 目に入った。

『どなた ですか ? 』
返事が 返ってこない。

不審に思った住職が
その男をよく見ると 手に今 盗んだばかりの
賽銭の 袋を 手に ぶら下げていた。

『賽銭泥棒 だ ! 』
とっさに そう判断をした。

『寺の 寺務所に行きましょう 』

怒るでも 怒鳴るでもなく
住職は 冷静に その男を寺務所まで連れていった。

中に 入ると、僧侶が4人居て
その多さにビックリしたようだ。

事後 報告を受けて
ジジは 『突さの 対応が 素晴らしい』と、褒めた。

怒鳴ったり、怒ったり、詰問したり、
ましてや 暴力を振るったりしたら
何のために 衣をまとい、
毎日 心の修行をしているのかと おもう。

住職は ジジにいう。

『金銭的 精神的、
泥棒をするに 色んな理由があったと 思う。
罪の是非をとるのは
警察に任せて 僧侶とは
この場合、何をすべきかを考えた。
本人が 罪を認め
( 現行犯だから、認めるも認めないのも ないのだが)
反省をし、二度と再び
このような事を 再犯しない人になって頂く用に 話した』

とっさの 出来事で ジジだったら、
皆さんだったら どんな 対応をするだろう。

大声で 叫んで 相手を威嚇するかな ?
直接 暴力に行動を移すかな?

それでは 今は 勝ち誇っても
根本的な 解決が できていない。

その方の心は そのまま何にも変らず
再犯を 繰り返すばかりだ。

ジジは 住職の対応は 良かったと思う。

ここ1~2週間の間に 大風にて
本堂の大屋根が 吹っ飛んだ。

大観音の境内に頑張って植えた
芝桜がやはり大風で 2度まで連れて被害を受けた。

その都度、その度、
冷静沈着に行動し 処理していった。

このまま 色んな苦難を乗り越えて 、
もう一皮も二皮も剥けて 強く逞しく
成長をしてもらうことを 望む。

ともあれ、警察が到着するまでに
解いて聞かせ 納得させ 反省をさせたのだ。

小豆島でも 最近、7件の被害が報告されており
警察はピリピリ 島民は戦々恐々だった。

翌日 警察の方がこられ
『ありがとう』と、礼を言っていかれたそうだ。

【 恩愛 (おんない) の情 】

ジジの 長女夫婦が
高野山にお参りをした。

塔頭寺院の奥の院 墓地の一画に
ジジと家内の両親の墓がひっそりとたっている。

神戸を出発して 曲がりくねった狭い道 、
難行苦行でやっと お山についた。

『乗用車ですら 大変ですのに
高野山をつくったお大師さまの ご苦労が分かりました』

夫婦は 4人の 祖父 祖母の墓前で手を合わせた。

墓は 杉と杉の間に立っているので
少し 手入れを怠れば
そぐに苔生してしまう。
手を 合せる前に一生懸命 お磨きをした。

『おじいちゃん、おばあちゃんが有って 今の 私があるのだ』

墓を磨きながら 縁の不思議さ、有難さを 痛感したようだ。

【仏縁 】

この世に 風が吹くのも 雨が降るのも
花咲き 花散るのも 全て【 因縁】という。

1粒の お米がある。
これを【因】という。
種を蒔き、青々とした稲が 太陽 水、肥料
色んな縁によって 秋には米をたわわにつける。
これを【縁】という。

これらの 縁の中で 何ものよりも
深く 強いのが 親子の縁です。

親が居なかったら私たちの今はなく、
親が有ったらからこそ 今日の私たちが
あるのです。

子供の無い方は
あっても親のない子供は絶対にありません。

これを 【 恩愛の 情 】といい
私たちが 幸せな日暮らしができるのも

ご先祖さんの お陰といっても過言ではない。

《積善の 家に必ず 余慶あり。
不積善の家に 必ず 余央(漢字分からず)あり》

これは先祖が 代々にわたって 悪いことをしないで
善事を尽くした報いによって
子孫である 私たちが 幸せな日暮しを
させて頂いている という教えです。

【恩知】との言い 【報恩感謝の念】とも 言います。

懸命に 善業を尽くしている(つもり)から
ジジが目をつむっても
子供達を はじめ奉り あとあとの子孫が
幸せになれといのるジジで あった。

長女夫婦には
《今にもまして なお 一層の 善行を積む再認識をさせて貰った》と、
心から 感謝をせなばならない。
合掌

【 堪忍袋の緒が切れる 】

とんでもない 事を しでかした。

大の信者さんを
カンカンに 怒らせてしまったのだ。

社長は 大きな運送会社を経営なさって
今は ご長男があとを継いで頑張っている。

『子安観音寺 3山にて 助からぬ命を助けて頂いた』
『本尊さまと お大師さんに おかげを 頂いた。
お返しをしなくては』

と、子安観音寺 3山は勿論のこと
小豆島大観音でも 多大なる 寄進を頂いた。

社長は 大社長であると同時に
大の信仰家で 金銭だけの 寄進でなく

『大観音の山を モミジの庭にしよう。
まさに モミジの錦 かみのまにまに だ』と、
忙しい中、ご自分が 夫婦して
何千本と お手植えをして頂いたのだ。

時には 今をときめく
長男夫婦や お孫さん達まで
何日も何日も かけて 植樹なさった。

ジジがいつも 言っているね。

【布施行】
● お金を お供えする 布施。
●身体で 奉仕する 布施。
●心でする 布施。

社長は 金銭だけでなく
一家で 惜しみもなく、
身体で布施をなさったのだ。

そして あの 2万 6000本の芝桜の植樹。

延べ人数 150 人をこえる 大奉仕団が出来上がり
大風で 折角の植樹した苗を

吹き飛ばしてしまったものの
見事に 植え切り
来年の開花を楽しみに待つのみと
相成った。

しかし である。

その時、折角 一生懸命 お植になった
社長の【 モミジ】を壊滅状態に
してしまったのだ。


さあ 社長が
【憤怒の形相】と【方便の羂索】を持ち
後ろには【迦楼羅炎】を
へんじ 半跏座から 仁王立ちになって 怒った。!!

とりつく島もない。

『父は 怒らない人で あそこまで 怒るとは
余程、腹がたったのでしょう』

若社長 が云う。

『しかし、いくら何でも 寺の 配慮も なさすぎた』
『人の 気持ちというものを 寺は 全く 分かっていない』

一言もない。

幾ら、誤っても 言い訳しても
100% 寺が 悪いのだ。

『これは 三悪の 《貪瞋痴》の 真ん中の
怒りを発したのですなあー』

と、呑気な事なんか 言っていられない。

劉備玄徳の 【三顧の礼】があるが 三顧ではない。

許して いただけるまで 頭を 下げ謝り続けるつもりでいる。

そして(甘いかもしれませんが) 【恩讐の彼方に…】

手を取り合って 笑える日を 待ち望んでいる。
大合掌

【生きながらにして 地獄に 落ちぬよう 】

檀家の ご法事に いった。

ゴールデンウイークもあって
住職が 法事を 数件 受けていて
その上、お葬式が重なって
急遽、ジジが 法事のヘルパーで 登場したわけだ。

恙無く( つつがなく) 法事も終り
お斎の席になった。

家の方も ジジの横に座る人を
配慮してくださり、和気あいあいの 懇談となった。

と、そこで 【年金】の 話が出た。

面白いものだ。

昨夜、夕日を背にして
友人で有る ヨットの社長の別邸で
お呼ばれをした時も 年金の 話が出た。
昨日に 今日だ…。

ジジは引退しているし、
もう1人の 友人も 大手の会社を優秀な成績で
リタイアしている。

ヨットの社長は 現役だ。

だが… 残念ながら
ジジに年金の話なんかしても チンプンカンプンだ。

『 いま ○ ○ ○ 円、貰っている』

『え~ そんなに 少ないの ? 』

『実際、妙な 話だね。
会社にいた時は これでもか と、言うぐらい年金を
かけたけれど 貰うとなったら、スズメの涙だ』

『理不尽 だね 』

昨夜、そんな 話をした一言一句が 頭を よぎる。

法事の 隣の席の おじさんが 言う。

『年金を 貰えることじたい 感謝しなければ』

ジジは アッ とおじさんの顔を見る。
おじさんの語気は強い。

『月に 100万円 貰っていても
不平不満を 云うやつは 言うんだ』

『貰って 居るだけで いいじゃあ ないか。
なんの文句がある。
定年したら、時間に余裕ができる。
畑には 野菜も植えれば、トマトもできる。
ちょっとした節約をしたら 衣食住 困らないよ』

おじさんは多分、そう ビックリするぐらいの年金は貰ってない筈だ。

ジジは 顔が 赤くなった。

昨夜は 多いの 少ないの 挙げ句の果てには
《なんと 理不尽な》まで言った。

僧侶として 風上にも置けない。

《貪欲》は不平不満から発症し、
その心は 次から次へと湧き出し、お金を
富士山の高さまで積んでも
今度は エベレストまで積み上げたいと欲する。

【小欲知足】足るを知らなければ 《我欲》が次から次へと湧いてくる。
そして それが実現しなかったら、《怒り》に変わるのだ。

その途端、生きながらにして 餓鬼 畜生の世界に陥るのだ。
やめようね。ほどほどで いいじゃあない。
それが 私たちの しあわせに つながるのだから。
合掌

【 サンセット 】

友人が ディナーによんでくれた。
夕日を みて !凄く 綺麗でしょう。

120505-1写真



小豆島出身で 西宮で
ヨットの仕事をしている 友人が
誘ってくれて ジジ家族と
たまたま 帰っていた
ジジの友人とで お邪魔した。

120505-2写真


西宮 友人は 夫婦と 夫人のパパ、
そして 長女が帰っていて パーティーは弾んだ。

120505-3写真


昨夜の 桃源郷も同じだが こんなに 至福な時はない。

3人が ジジの同級生だから
今の有る 立場なんか 全く 関係ない。

何も考えないで 気兼ねなく
我が家のように 楽しいひと時を 過ごした。

特に ジジが嬉しいのは
ドクターストップと 家庭内ストップがかかっている
アルコールを 口にできることだ。

全員、楽しく 会話も弾んだ。

その中で、一番 嬉しそうだったのは
孫の長女に 『おじいちゃん ど~ぞ』と
焼酎を差し出された 爺さんだった。

お爺さんの家族は みんな 島外にいる。
連れ合いは 亡くなって
今は 爺さん 1人で小豆島に住んでいる。
(ジジ 一家は 別にして)
久々の 家族愛だ。

嬉しいのが あたりまえだろう。

今年 ( はちぼく ) 喜寿になる。

孫に ワインをついで貰いながら
嬉しいそうな お爺さんの顔をみて 一日でも
長生きしてねと思う ジジであった。
合掌

【 端午の節句 を祝う 】

今日は 端午の節句だ。
住職の幼少期は 節句を祝って 寺
の境内で 天高く 大空いっぱい 鯉のぼりが
舞っていたのだが ジジの孫は5人とも
三月の ひな祭りに終わってしまった。
そもそも 節句とは
季節が移り変わる節目の事を云うのである。
正月 7日 ( 人日 ) じんじつ
3月 3日 ( 上巳 ) じょうし
5月 5日 ( 端午 ) たんご
7月 7日 ( 七夕 ) たなばた
9月 9日 ( 重陽 ) じょうよう
中国では 節日にはいけない。
食物を配って 供養する習慣があったが
現在は 端午の節句では
軒に 菖蒲 (しょうぶ) やヨモギを挿し
粽( ちまき)や柏餅(かしわもち)をいただき
天高く崇高な心で 万物に慈悲の目を向け
強靭な 精神と 肉体を持つように
鯉のぼりをたて 甲冑をかざる。
本来、それらの物を
人や畜生に供養して 悪魔や邪気を取り払うのだったが
近年は その心が 失われて いるようだ。
今からでも、遅くありません。
『どうか 子供の人格を尊重して子供の幸せを はかる 今日、
目に中にいれても痛くない この我が子が 悪事災難に見舞われませんように。
健やかに 成長しますように』
お祈りをすると共に 隣の子供の成長を祈願して 万物に供養するのです。


120507-1写真

合掌

【 桃源郷 無我の 境地 】

ゴールデンウイークとあって 今日も1日 忙しかった。
知己の友との 食事会が終り ジジは1人 桃源郷にはいる。
偉そうな事を 言っているが 結局は 風呂に つかったのだ。
湯槽( ゆぶね )につかって フーと おおきな ため息をつく。
『あ~ 気持ち いい 』
『てんごく てんごく・・・』
心の底から 歓喜の 呟きがでる。
若い頃は 呟いた経験はないが よる としなみだろうか?
何も 考えない。
【無我の 境地だ】
ちょっとした事に 腹を立てながら入ると てんごく てんごくとはいかない。
よくボケに 呆けて その 対策を練っていても 桃源郷にはいけない。
無智ゆえに 今日 一日を無駄に過ごして その反省も無く ただ漠然と無為に
湯槽につかっていても 心の底から 『あ~ 気持ち いい』と 呟きもでない。
欲得を 離れ 完全に 無欲になるのだ。
真言宗では 《阿字を体感す》と云うが 難しいことはやめよう。
《桃源郷》
中国の【晉】の時代(265年に三国志の1つ、魏の国の司馬炎が洛陽に建国した)に
武陵の漁師が 道に迷って渓流をさかのぼっていたら桃林の奥で
戦乱を避けた人たちが それはそれは平和に豊かに 暮らしている別天地を 発見した。
折角の 湯槽に浸かりながら 商売の明日の戦いを考えたり、屈辱を受けた
復讐を考えるようでは なかなか 郷にはちかよれない。自分で自分の城、
別天地をつくり そこにいる間は 結界をつくり 何があろうとも 中にいれては
ならぬのだ。
しっかりと 疲れを取り 鋭気を養って それから肝心な事を考えると
とんでもない アイディアが 浮かぶのだ。
ジジは もう一度 桃源郷に入ってこようかな。
合掌

【 慢心を 戒める 】

ジジの【Facebook】に 1本の メッセージが入った。
お名前をみて ピン ときた。
しかし あんな ご高名な方から 片田舎のジジなんかに 来るはずがない。
同姓同名だろうと、高を括っていた。
ところが《子供の頃 あなたと 小豆島の野山を 駆け巡った わたしです』とあった。
『 やはり 画伯だ ! 』
突然の お便りの 懐かしさ、幼少期の回顧が錯綜して ジジの胸は千々に乱れた。
小学校、中学校と それは画伯の絵のセンスは 群を抜いており、やがて東京の
有名 美術大学に お入りになったと聞いて 誰も 疑わなかった。
今は 絵をお書きになっている 傍ら 画家を 養成する先生だと 聞いている。
小豆島の 誇りの 画伯だ。
画伯が 《 大阿闍梨や 法主でなくて、昔のように ワコちゃんと呼びたいね》と 仰る。
子供の頃、誰もが ジジの事を 『ワコちゃん』と呼んでいた。
僧侶や 画伯の壁を 取り去って 《け礒なき 》付き合いをしようと申しているのだ。
嬉しいね。
人間、偉くなったら【傲慢無礼】な 態度を取りたいのもだ。
ごうまん とは《驕り 昂ぶって 人を見下す》事だ。
もっと 面白いのは 地位も名誉も (僧侶 としては 勿論、地位とか名誉の話は否定する)
明らかに 大差がついて居る人が 何かの条件の元に 対等 又は 格下にみて
『~くん』呼ばわりをしている 場面に直面した時だ。
劣等感に 苛まれながら、孔雀が 空 一杯 大羽を広げている 姿だ。
大きければ 大きいほど 首を垂れる 稲穂の様に 出世すれば する程、
《慢心》の心を 捨てなければならない。
ジジも あの 懐かしい、ご高名な《画伯》の純真な心に諭されて
口では偉そうに申しても 忘れかかっていた《慢心》を改めて 考えさせられた。
画伯、これからも 色んな 教授 宜しくお願い致します。
合掌
プロフィール

子安観音寺

Author:子安観音寺
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
フリーエリア
検索フォーム
リンク
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
フリーエリア
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。