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【 堪忍袋の緒が切れる 】

とんでもない 事を しでかした。
大の信者さんを カンカンに 怒らせてしまったのだ。
社長は 大きな運送会社を経営なさって 今は ご長男があとを継いで頑張っている。
『子安観音寺 3山にて 助からぬ命を助けて頂いた』
『本尊さまと お大師さんに おかげを 頂いた。お返しをしなくては』
と、子安観音寺 3山は勿論のこと 小豆島大観音でも 多大なる 寄進を頂いた。
社長は 大社長であると同時に 大の信仰家で
金銭だけの 寄進でなく
『大観音の山を モミジの庭にしよう。
まさに モミジの錦 かみのまにまに だ』
と、忙しい中、ご自分が 夫婦して 何千本と お手植えをして頂いたのだ。
時には 今をときめく長男夫婦や お孫さん達まで
何日も何日も かけて 植樹なさった。
ジジがいつも 言っているね。
【布施行】
● お金を お供えする 布施。
●身体で 奉仕する 布施。
●心でする 布施。
社長は 金銭だけでなく 一家で 惜しみもなく、身体で布施をなさったのだ。
そして あの 2万 6000本の芝桜の植樹。
延べ人数 150 人をこえる 大奉仕団が出来上がり
大風で 折角の植樹した苗を吹き飛ばしてしまったものの
見事に 植え切り 来年の開花を楽しみに待つのみと 相成った。
しかし である。
その時、折角 一生懸命 お植になった 社長の【 モミジ】を壊滅状態に
してしまったのだ。
さあ 社長が 【憤怒の形相】と【方便の羂索】を持ち 後ろには【迦楼羅炎】を
へんじ 半跏座から 仁王立ちになって 怒った。!!
とりつく島もない。
『父は 怒らない人で あそこまで 怒るとは 余程、腹がたったのでしょう』
若社長 が云う。
『しかし、いくら何でも 寺の 配慮も なさすぎた』
『人の 気持ちというものを 寺は 全く 分かっていない』
一言もない。
幾ら、誤っても 言い訳しても 100% 寺が 悪いのだ。
『これは 三悪の 《貪瞋痴》の 真ん中の 怒りを発したのですなあー』
と、呑気な事なんか 言っていられない。
劉備玄徳の 【三顧の礼】があるが 三顧ではない。
許して いただけるまで 頭を 下げ誤り続けるつもりでいる。
そして(甘いかもしれませんが) 【恩讐の彼方に…】
手を取り合って 笑える日を 待ち望んでいる。
大合掌
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【天魔 破旬 ; 間が差したと 言わぬように】



家内が 退院してからも お見舞いが 絶えない。
彼女の 交際範囲の広さと 人徳に よるものだろう。
今日も 親戚の 夫婦と いつも可愛がって頂いている奥様と 2組 が
遠く 海を渡って小豆島から 来てくださった。
[見舞い 話]と言って、経過報告や 色んな 出来事を報告し合うのだが
奥さんは アメリカに 行っている 孫娘さんの 話をした。
奥さんの 娘夫婦、所謂、お孫さんの 両親の仕事の関係で
ニューヨークで生まれ育ち 日本の有名大学を希望して 帰国した。
卒業後、日本の 大手会社に 就職し、そこで 主人と出会い 結婚をした。
主人は 日本、本人は スペイン勤務と 変則的な 結婚生活だが、この度
今の 大手会社を 退職するという。
就職難で なかなか入れない、辞めるのは 勿体無いと 思いつつも、
やっと 主人と 1つ屋根で暮らす 決断をしたのだろう、
めでたし めでたしと 思いきや、
もう一度 アメリカの 有名大学に 入学するのだと言う。
ジジは 話を聞いて 唖然とした。
【天魔 破旬】という 言葉がある。
悪魔の 事である。
お釈迦さんが 《悟り》を見つけようと 難行苦行の際、
(色んな 誘惑)をしてくる 絵本等を 見ることがあるが、それだ。
馴染みの 深い人に[変身]して あらわれ 本来の道からそれて
悪魔の道に 誘惑して行く その人だ。
お釈迦さんは『自分が 救われる前に 人を救いなさい』と、私たちに教える。
天魔 破句は『他人は どうでも良い、自分だけが 快楽を求めなさい』と教える。
とにかく 安易な道を 選ぶのが [人情]である。
悪魔とは 私たちの 心中に存在する 一縷の
《邪心》
《気の 緩み》
《怠け心》
の 事である。
【魔が 差した】
私たちは よく 云う。
いつ、どの様に 魔が差すか 分からない。
悪魔に 私たちの心を 奪ってしまわれないように 注意しなければ。
その点、お孫さんは【安易な道】 【怠け心】を制して
もう一段 高い 星の階段を登ろうとしている。
ジジのように 『もう それぐらいで 良いではないか? 』は 怠慢なのだろうね。
私たちも【安易な道】 【怠け心】を制して もう一段 高い階段を登らねばね。
合掌

【一休禅師の 濛々( もうもう) として 30年】

昨日、退院した家内は 入院中 本当に 副院長先生に 世話になった。
140人中で No.2に 就任するまでには 並々ならぬ ご苦労が有っただろう。
『大学を 出てから 馬車馬のように 働きました』
実際 そうだ。
早朝から 夜遅くまで ジジが見ていても、休む暇もない。
大変な 重労働だ。
[医者の無用心]で 今の今迄 元気で 共に働いていた 同僚が、
何人も しかも、あっという間に 亡くなっている。
8時から 5時まで [お日さま 西にし]で 暮らしている人とは 月とすっぽんだ。
『医者ってなんだ ? 』
『仕事って なんだ? 』
自問自答した結果 よる年波になり
曲がりなりにも このポジションを得た今、
考え方を 根本的に 変えたそうだ。
『悠々自適に [かるみ]にも似た 力の抜け切った心境になる』
『そうすれば 心に 余裕ができ 空海の云うように [医療]と[心]
両面から 患者を 救うことができる』
88歳で 天寿を 全うした 一休は 色んな [辞世の句]を残している。
【淡淡として 30年。濛々(もうもう) として 60年】
【 末後糞をねがって 梵天に 捧ぐ 】
濛々とした心 ( 煩悩からくる あれこれと 思い悩む 心) にも
淡淡とした心 ( 無我の境地に 入り 清々しい 心境 ) にも
捉われることなく 自由自在に 平常心で 考え 行動する。
そんな お話を なさった。
『副院長先生、空海や 一休禅師の 境地ですね』
ジジが 云う。
『大丈夫ですよ。すぐに 良くなりますよ』
地獄に突き落された 希望のない心境の 患者にとって 医者の一言は
何にも勝る [神の声]だ。
これからも 【心】と【医療】 両面から 私たち 患者の 身体を治療し
心を 癒し続けてくださる ことだろう。
先生、本当にありがとうございました。
合掌

【多勢の 強い 愛情に 包まれて 】

『ただいま~』
入院していた 家内が 帰ってきた。
ムームーでも着て ハワイから 帰ってきたような 陽気だ。
『病気は 気から 。病気に負けたら 駄目だ』
『全ては 気の持ちよう』
悟ったように 申して 入院した彼女が お涅槃に入って 帰ってきた。
病院には アンケート表が 置いてある。食堂などにある それだ。
『先生も 看護婦さんも 本当に 献身的に 良くしてくれた』
『書いては 来なかったけれども アンケート表に その様に書きたかったくらいだ』
『従業員が 140人も居る大病院で 副院長 先生に 執刀して頂けた事が 幸せだ』
『何もかも 有難い事だった。ご本尊さまの お加護だと 思う』
ハワイ帰りの 家内は 余程 嬉しかったのか 旅行記を 懸命に 話す。
お見舞いも 多勢の方々が 来られた。
海を 渡って 遠き小豆島島からも 来てくれた。
滋賀県、京都、大阪、地元の兵庫…いちいち 申すと
枚挙にいとまないが 家内の【 真心】と 【真心】の強い 絆によるものだろうね。
ジジが いつも 言っているね。
『あなたは 友人が 何人 居るか』と。
多勢 居るよってのは 嘘で 【真の友人】は 生涯を通じて 何人も居るものでない。
心から 共に喜び 共に泣いてくれる 友人が 何人かいるだろう?
受け身で じっと待っていたのでは 生涯、友人は できないね。
どの人にも どの人にも、心から 愛の手をのばす あなたに なって欲しい。
何も 思わないで 素通り するかもしれない。
普通に 喜ぶかもしれない。
しかし なんの代償も 求めないで ただ 尽くせば 人は 分かってくれるはずだ。
『この 人は 私の 真の友 だ』と。
多勢の方の 愛に 包まれて 家内は 今日、旅行から 帰ってきた。
まだ しばらくの 養生は 必要だが。
合掌

【小豆島大観音 草刈り 奉仕作業 】

大観音 境内にて 草刈りの ご奉仕が あった。
今回の 土曜日、日曜日、1泊2日で 約 30名の 奉仕団が来られ
先週の土・日曜 とメンバーが入れ変わって 草刈りをなさった。
この 奉仕も 大観音 建立時から 18回目になる。
何度も いう様に 奉仕とは 【布施行】の一環で 何の 代償も考えなくて
ただ 困っている方に 手を 差し伸べる 【行】だ。
[して あげた][礼も いって くれない]と、考え 不平を云う人は
最初から 【布施行】なんか しなかった方が 良いのだ。
[させて いただいた]と、逆に 行を することによって
心から手を合わせる 行為なのだ。
その 【布施行】も、一度や 二度は 出来ても 人間は 入れ替わっても
10年も 18年も 続けようと思ったら 大変な ことである。
【森羅万象 すべて 命 あり 】と言うが、大観音 境内は 多勢の 布施行の
心が 宿って まさに 【密厳国土】で ある。
話 変わって 子安観音寺の 【寺山】だ。
以前のブログにも書いたように 沢山の 村人が 嬉々として活気溢れる
労働の声や 楽しい歌声、子供の鳴き声等が 山々に 木霊していたが
過疎化が進み いまや 誰一人 田畑を 耕す人も 居なくなった。
10年も 20年も 鍬を入れる人も 誰一人 なく、田畑は 荒れ放題になった。
山々や 田畠の 精霊が 死に絶えてしまったのだ。
この度、住職が 『もう一度 寺山を 活性しよう』と、自ら 鍬をとった。
有難いことに 『住職 自ら 鍬を入れている』『放って おけない』と、
ボランティアの 方も 参加して 見違えるように 綺麗に 散髪ができた。
大観音に 奉仕団が入った 同じ日、
住職が『子安観音寺の 寺山も だいたい伐採が 終わりました。
あとは 植樹 ですが、それ迄に 一度 みてください』と
話があり ジジも 痩せ馬に鞭打って 山に 登った。
だだっ広い 田畑が 昔のように 顔を出し、
多勢の方の労働の声、 笑い声、歌声、子供の鳴き声、あやす声が
あちこちから 聞こえて きそうだ。
『蘇った ! 』
住職の 鍬の 一振りによって 山々の 精霊が 目を覚ましたのだ。
どの 精霊たちも 嬉々と 喜び合っているのが ジジには 手に取るように わかる。
みなさんも どうだろう?
お家で、会社で、地域で、田畠で、
折角の 生き生きとした 活気溢れる 精霊たちを 知らず知らずのうちに、
殺しては居ないだろうか?
一度、チェックしてみよう。
素晴らしいよ。あちこちの 精霊達が くるみ割り人形の
精霊たちのように踊ったり 歌ったり 飛んだり 跳ねたりする 姿を みるってことは。
それには 最初に 戻るけど 【布施行】の実践が 必要だね。
きょうは、本当に 清々しい 一日だった。

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合掌

【 大本山 小豆島大観音奉賛会 総会 】

昨日 大観音において 奉賛会の 総会があった。
1) 奉賛会長 谷久浩一先生 挨拶
2)法主 挨拶
議事
1) 平成23年度 事業報告 及び 収支決算 認定について
2) 会計監査報告
3) 平成24年度 事業計画案 に ついて
4)その他

ジジの 挨拶を 抜粋して 書いてみました。

●平成6年に 開眼法要、7年に落慶法要
( 稀にしか 嚴修できない 100僧供養あり)
あと 2年すれば 20周年を迎え ご本尊のお色直し 境内の整備等を急ぐ。
●大観音は 島内外の皆さんが1寺院 1住職の もので無く
大勢の人に開放し
【小豆島のシンボル】として
心の救済をする道場として 建立された。
●海外、国内便の 飛行機では 大観音が機上から見えると パイロットが
【白いブッダの島】と言い合う。大観音の事を【白いブッダ】と、
言っているのでは ないのだ。
小豆島の事を【白いブッダの島】と言っている。
念願の 島の シンボルとして 認めて くれたのだ。
●実際に フランスで行われた コンテストで
【世界一 美しい 仏像】として認定され 施工した
清水建設が パリにて 栄誉に 輝いた。
島外の方は 勿論、島民も この事を
    存じていない人が 余りにも多い。
島には 世界一 狭い海峡があると同時に、
    世界一 美しい お観音さまが
います と つけ添えて 教えてあげてください。
●20周年に 向って 花の大観音(ユートピア) を つくろうと【芝桜】を
26000本 植樹 しました。
●今年の 夏季大学の 開催日と 講師が 決まりました。
10月 21日、講師の先生は
   毎日新聞の土曜日、日曜日版に連載されたり
本では【がんばらない】等を執筆されており
    テレビ ラジオでお馴染みの
諏訪大学病院 名誉教授【鎌田 實】先生で 講演後、
   小豆島 塩田町長と対談形式で お話しなさる。
時間、場所、料金 等は 10月21日の事で
    まだ未定だが、是非 きて下さい。
●11月 第3 日曜日は 大観音にて 恒例の 柴燈大護摩が 厳修される。
是非 お参りください。

夏季大学は 本来は 夏場に 行なわれるが、
    講師の先生の都合で どうしても
日程が あわず 10月の 開講となりました。
皆さんも 日にちを 調整して 是非 聞きにきて下さい。
お坊さん 顔負けの 素晴らしい お話をしてくださいます。

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大観音 常任委員会 風景
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合掌

【戒律】

お釈迦さんは 35歳で悟りを開かれ それから45年間 各地を説法してまわった。
80歳のときに[クシナガラ]という街の鍛冶屋の チュンダの出した
御仏飯(一説では キノコという) が悪く、お身体を こわされた。
釈迦は 苦痛で痛む 身体を[沙羅双樹]のもとに 横たえ
集まった弟子たちに 最後の説法をした。【遺教経】
[祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、
盛者必衰のことわりをあらわす]
有名な 祇園精舎も ここから 始まったんだね。
形あるものは いつか 崩れる。生まれたものは 必ず 死ぬ。
出会ったものは いつかは 別れる (会うは別れの はじめ)
お金持ちが 逼塞し 貧乏だった人が のし上がる。また、その 繰り返し。
人の 心は 変わる。
これ 全て 世の常である。諸行は無常である。
お釈迦さんは 沢山の 弟子を前にして このように、言われた。
『たとえ この 身体は 滅びても、私の 今まで教えてきた【教理】は
永遠の 価値を持つ。わたしは 既に 人々に 伝えることは 全て 伝えた。
これからは【 戒律 】をしっかりと 守り 精進しなさい』
一般の 方に 僧侶のするような 戒律を 押しつけても 無理である。
簡単にいうと [戒律]とは よい 生活習慣を しっかりと 身につけること。
早寝早起きをして 規則正しい 生活をする。
菜食を心がけ、間食は 少なめに。
そうすることによって 心身は 余計に 健全となり 、
悟りの 境地に 一歩、近づくことができるのだ。
よく 考えたら、ジジも もっともっと【戒律】を守らねば ならないね。
合掌

【 意馬 心猿 ; いば しんえん 】



娑婆世界で 悍(おぞ)ましい 事件が 後を 絶たない。
哀しいかな 人間も 馬や猿たちのように 食欲、睡眠欲、性欲など
生きている上でどうしても 避けて通れない 欲望 ( 煩悩 ) がある。
人間は 【 理性 】で、それぞれの 欲望を ある程度 抑えることができる。
しかし、欲望を剥き出しにした時は 本人も 餓鬼 畜生界に 落ちているのである。
ジジが 幼かった頃、母親が
『物は 動物のように 口から 食べなさんな』
『動物のように 立て膝を立てて 食べなさんな』と、よく 言ったものだ。
動物と 同じようになるよと、言ったのだ。
最近は 人前で 正々堂々と 性欲を剥き出した 表現をする方が いるし、
無理やりに 人が 嫌がる事をした場合、(法に触れたりする)
これは 牛馬にも劣る 畜生界 地獄界での 行為 なのである。
また、人間は 他の 動物には 持っていない 厄介なものを 持っている。
【限りない 欲望】である。
馬や 猿たちは これが 人間に比べると 極端に 少ない。
【名誉欲】【権力欲】そして 尽きることのない 【物質欲】【金銭欲】だ。
1万円冊を 富士山の高さまで 積み上げることを 成し遂げれば、
それでも満足かと 思えば そうではない。今度は ヒマラヤ山脈を目指すのだ。
そして それが 叶わぬ夢と 分かった時、云うにいわれぬ 絶望感と挫折に
見舞われる。
【足るをしる】
今日、1日の お腹が 満たせれば、それで良いのだ。
そして、それが 幸せなのだ。
合掌

【 一休さんの 有漏地より 無漏地へ 帰る 一休み を贈る】

昨日 手術が 終った 家内は すやすやと 寝息をたてている。
私たちは 人生の上で いろんな 出来事に遭遇する。
大きな喜びもある。反対に 大きな苦しみも ある。
今の 家内が そうだ。
【有漏地】とは 煩悩の事で 私たちが 今話題の住んでいる 娑婆世界の事をいう。
【無漏地】は 煩悩を 解脱して 苦しみのない 涅槃の世界をいう。
ある方が 一休さんに 【有漏地】【無漏地】に ついて 尋ねた。
すると 一休さんは 持っていた 払子 ( うちわの様な物) で その 人の顔を撫で回した。
『なにを なさいます』
その方は 怒った。
すると 『 これこれ これが 有漏地だ』と、いう。
そして 顔から 払子を 除けた時に ホッと 安堵の表情を
浮かべたのをみて『これが 無漏地だ』と、申された。
先程の 言葉にかえる。
私たちは 人生に置いて いろんな 出来事に遭遇する。
その時は、大いに苦しみ 悩み ともすれば 絶望的に なることも ある。
しかし、後で 振り返ってみれば その苦しみも ほんの 一刹那に過ぎなかった。
嵐が 過ぎ去ってみれば 笑い話で終わるということも 少なくない。
『人生とは 所詮、こんなものだ。そんな時は
人生を【一休み】したのだとあくせくしないで
ゆったりと 過ごすことが 1番だ』
ジジは [一休み]している 家内に そっと 今の 言葉を 贈った。
そして 一休 は この話に 由来して 【一休】と名のった。
合掌

【妻の 手術 ; 手を あわせる ジジが いた 】



家内が たった今、手術室に 入った。
しっかりと 手を握り 娘と ジジとで 『頑張ってね』と、見送ったのだが
1番 気丈だったのは 家内だったようだ。はじめて お出会いした
執刀医の教授が かみさま、仏様の ように 見える。
夜来からの 台風 5号 崩れの 熱帯低気圧が 病院を直撃して、
決して 良い雨では ないのに それが慈雨のように感じ、
ありとあらゆるものがいままでと 全く 違うもののように 思われる。
[炊事][洗濯]何でも ないことだが いざ 自分でやってみると
家内の 苦労が わかる。今日は[ゴミの日]で病院に くる前に
出しにいった。
ジジが エレベーターから 降りるのと 背が高く 恰幅の良い
ジジと同年代ぐらい、団塊の世代の 方が 乗り込むのと 同時だった。
『おはようございます』
『あっ おはよう~す』
全く 知らぬ人と 朝の 挨拶を 交わす。
ジジは そのまま [ゴミ 置場]に ゴミを置き、
再び エレベーターに戻った。
ところが どうだろう。
先程の おじさんが エレベーターの【待った】の
ボタンを 押し続けてくれてずっと ジジを 待っていて くれたのだ。
ジジは とっくに お上がりになって
次の エレベーターかなと 思っていたのだ。
『どうも 申し訳ありません』
『ゴミ でしょう? すぐに 帰ってこられると 思いましたので。
わたしも 一緒に乗り合わせた 方達に よく 待って貰うですよ。あっ 新聞は?』
『いえ、新聞は ないのです』
ふ~ん。凄い事だね。お互いが お互いを 助け合っている。
世のため 人のために 尽くさねばと、[努力する ]ジジよりも、
その 方達は いつもの事、あたりまえの事として 無心に 行動する。
『ジジの 行動は まだまだ 修行中であって、
この人たちの 一挙一動は 仏の それに 違いない』
恥じると 共に 清々しい 朝を迎えた ジジであった。
手術室に 入って 50分。
もう 行われて いるだろう。
弘法大師 空海は『諸病は 薬( 病院)と
仏様のお加護(祈祷)で治す』と云われる。
今日の 清々しい心と 祈る心が 一つになって 、
無事 元気に 出てきてと

手を 合わせる ジジであった。
合掌

【 大師に 見守られて 】



鳥取から お参りがあった。
2年ぶりだ。
『お大師さんの お陰で また 小豆島に参らせてもらいました』
主人が 参拝されていた時は いつも ご一緒されて 寺は 言うに言えない世話になった。
まだまだ 若かったのだが、その主人は 3年前に ガンを患われて
献身的な看護をしていたが その途中で 自分も ガンに なられた。
奥様は 誰もが 驚くような 盛大な お葬式をだされ 主人の子供の面倒を見てきたが、
実子がおらず 1人になられてから、お家を出られて 自身の 静養がてら
ひっそりと 温泉地で 第二の人生を おくられている。
ご主人の 小豆島八十八ヶ所 巡礼の会を あとの先達に譲られ、
なにもかも 1からと 近所の人を お連れしてこられた。
2年ぶりの 小豆島とあって 子供の 遠足や 運動会の前日のように、
嬉しくって なかなか寝つけなかったそうだ。
大観音から 子安観音寺に 参られたが なんとも 穏やかな 顔をなさっていた。
良き妻、良き パートナーとして 主人に尽くされ、仕事に精を出され、
転じては 自身の 病気と闘う自信と 周りの方達の サポートに よっての
安堵の 天真爛漫とした お顔だったのだろう。
『最期は 一緒に お祀りをしてほしい』
大観音 にて 仏壇を求められ 主人の永代供養を なさった。
お大師さんの おかげで、元気になられたという。

どうか 末長く お元気で おくられる事を祈った。


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合掌

【 ようは 本人の 気の持ち方】

家内が 入院した。
『入院といっても 一週間くらいで かえれるので 大丈夫』
『盲腸の 手術をする くらいなものよ』
勝気な 家内は そう 申すが ジジは 心配でたまらない。
寺 内外の人から 激励や お見舞いの言葉を 頂きながら 寺をでた。
でも、送ってはきても とうとう 最後まで お見舞いを頂けなかった 方もいる。
『頑張って きてね』
『早く 退院して 帰ってくるのを 待っています』
その、一言で 良いのだ。
【布施】は 何の代償も求めないで となりの方に
手を差し伸べる事を言うが、金品や 物質で 行うだけでなく、
口で 心で 行う 施しも ある。
そして それが お観音様の 【慈悲】の心 なんだろうね。
ありゃ ! 『 愚痴 』を 言うなと
言い続けているジジが クドクド 言っている。
愚痴を 言っている 僧侶なんて まだまだ 修行が 足りないね。
寝衣に 下着 、バスタオルに 歯磨き。
ルンルンと 旅行用バックに 詰めていた。
一緒に いた娘が
『お母さん、海外旅行に いく みたいだね』と 呆れ顔。
『ようは 気の 持ちようよ』
『お通夜の ような顔をして居ても 病気は 良くにはならないもの』
そりゃ~ そのとうりかもしれないが 明日、手術ですぞ……。
そこに 娘の 蜂のひとさし。
『これが ジジ だったら 今頃は
お通夜に いった時のような 顔をするだろうね』
そして 家内の 一言。
『ジジだったら、布団をかぶって 寝ていますよ』( 笑)
う~む…。女共の ジジの 評価は そんなものだったか !
しかし、なんにしても ようは 気の持ちようか…。
出立を 前にして 良い 教えを 頂いた。
完治して 早く 本当の 笑顔を みせて 貰いたい ものだ。
合掌

【 世間虚仮 ; せけんこけ 唯仏是真;ゆいぶつぜしん 】



【世間虚仮、唯仏是真】
[天寿国繍帳]のなかで、聖徳太子が 述べられた 有名な言葉だ。
『虚仮に するな』と、人は よく 申しますが、『バカにするな』の事だね。
本来の 虚仮 とは [思慮が あさはかで、内心と 外相が違うこと]で ある。
世の中は 諸行が無常である。あらゆるものは 移ろいた実体の ないものだ。
[栄枯盛衰]奢れるものは ひさしからず 只 春の夜の夢のごとし。
家族、友人、人心、容姿、財産、地位…。なにひとつ 不変なものは ない。
そんな雨露に 一喜一憂 していたら とんでもない 過ちを 犯すよと、諭したのだ。
日本も 富国強兵 追いつけ追い越せの時代あり、バブルあり、それが崩壊し
いまや 後進国の 足音が 背後に迫る 経済危機を迎えるに至っている。
大きな うねりの中、力なき 私たち 1人1人が どうしようも無い事もある。
しかし、欲望という名の電車からは 考え方1つで 捉え方 1つで 降りることができる。
【とらわれない】
【こだわらない】
【かたよらない】
【唯仏是真】。
私たちは 自分で 自分を コントロールする事が できる。
[仏]と いう言葉を [私]に置き換えて 考えれば よいのだ。
[唯私是真] こんな 事を言っていたら、叱られるかな ?
大金は 持ってなくても、心 豊かになれるし、友人(人心) も、変わることなく
繋ぎとめる ことが できる。
[これ 真なり]を お大師さまは [それ 仏法 遥かにあらず、心中にして
すなはち ちかし]と、お教しえに なったのだね。
無残にも 余りにも早く 駆け抜けてゆく 人生。
2度と 取り返しが 出来ない 人生。
大切に したいね。


真理をありのままに 捉えることによって、正しい道を 進むことができるだろう。

【 おばあちゃま からの 贈物 】

孫の 紫月には 【おばあちゃま】が 3人 いる。
1人は 住職の 母親。(ジジの こわ~い 人)
1人は ママの 優しい おかあさま。
そうして、もう 1人は ジジの 親とも姉とも 心より 尊敬 申しあげる
【 四柱推命】の 大先生 である。
今日は 孫の バースデーと いう事で、わざわざ お祝いを 持って来られた。
【 オモチャは 1つ。 多く 与えないこと 】
これが 先生からの プレゼントだった。
『寺は 多勢の人が 出入りして 沢山の オモチャを 頂くだろう』
『長じて 自分の 欲しているものが 手に 入らなかった時に、不平不満が
不足が 自身を 支配するだろう』
『小欲知足』
『なにごとも 程々に。
足るを 知る 子供に 育てあげなければならない 』
ジジが いつも 言っている 【欲望】を持たない人間に 教育しなければ。
欲望は それが 満たされれば、次の 欲望が わき、自分が 満足するまで
欲望を 満たそうと 考えたら 際限がない。
【オモチャは 1つ。多く 与えないこと】
素晴らしい 贈物 だった。
そして、1つの オモチャに 拘ることは
心から 愛せる物が あるという自覚が出来、
他人にも 心 優しく、物を 大切にする 心を 養う為だと 仰る。
みなさん、どうしていますか?
ご自分の 子供に。孫に。
そう 言って おきながら、お帰りの際には 豪華な 誕生日ケーキが 置かれて あった。
孫は おばあちゃまが 3人 いる。
本当に しあわせな 子だと 思う。
合掌

【ジジと 孫の 合同 誕生会 】

親戚、友人、相 集まり お祝いの宴を 開いてくれた。
1つは ジジの孫、住職の 娘の 満 1歳の誕生 祝い。
もう 1つは 付けたりだが、この16日の誕生日のジジの 祝いだ。
ジジが バタバタして 島を 出たり 帰ったりしているうちに 4日 生れの
孫の 誕生会が 今夜に なったのだ。
出席してくれた 義弟からは 【めでたい】と申して、大きな 鯛を頂いた。
土曜日 日曜日が 特に 忙しい 友人は 仕事を やり繰りして 駆けつけてくれた。
特に 嬉しかったのは 【父の日】と、いう事で 結婚して 始めての年だという
長女夫婦を お家に 残して 顔を出してくれた 友人だ。
『明日の 昼でも 一緒に食事ができる』と申すが そんな簡単なものではないはず。
みなさん、いろんな 事をやり繰りしてくれて 【宴】が開かれたが、
それが分かるだけに 喜びも ひとしおだ。
『この プレゼントは いいですよ』
住職が 桐箱に入った 1本の赤ワインを出した。
みんなが 興味津々で 開けてみると なんと 瓶には【1948年】と、ラベルあり。
『このワイン、老僧と 同い年ですよ』
『へ~ 古いんだ。しかし よく 手に入ったな』
『能書きは いいから 早く 開けて開けて ! 』
『いや、これは 今日は あけませんよ。皆さんは こっち』
『なんだ。みるだけ? 』
忙しい中、駆けつけてくださった うたげ だったが みんな 和気藹々と楽しく
美酒が五臓六腑を 魅了し、笑い声が いつまでも絶えなかった。
今夜は ジジも 少しだけ 美酒を いただいた。
美味しい ディナーと共に 素晴らしい 【慈愛】の味付けを 頂いた。
その分、お返しを しなければね。

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合掌

【 一杯の お茶 】

今日、四柱推命の 勉強会があり 特訓を受けた。
有名な先生で 気韻生動、才気煥発、倉凛道ちて 礼節をしる
鶏群の一鶴島抜きんでた先生で
島内外から絶大なる フアン 多く、
及ばぬ 鯉の 滝登りの ジジでも グイグイ 引っ張って くださる。
子安観音寺の 本堂の大屋根が 先日の 大風で 吹き飛んだ事、
話したよね。
住職を中心に、檀家総代、役員 等 頭を寄せては
本堂の前後作を 検討している。
『総代さんも 我が事として 対処してくれ 有難いです』
勉強が 終ってから 本堂と 総代 役員のご苦労の話をした。
ところが、話が一変して 他所の寺の【一建立】の話になった。
一般的には、本堂は 住職が中心となって
檀信徒の 皆さんの協力で建立、
維持 管理するものだが【一建立】は
他の人に頼らないで お一人か 1企業で建立することを いう。
ジジは あまり 他寺の事は
存じないのだが『わたしも 聞いた話で、事実かどうかは
分からぬのだが』と、前置きして その経緯を話してくれた。
寺の 奥さんが 1人で 本堂に居たら、
みすぼらしい 1人の 年寄りが 参ってきた。
『汚い 本堂ですが、どうぞ お上がりください』
分け隔てなく 奥さんは 心から 老人の参拝を喜び、歓迎したそうだ。
本堂に あげていただいた 老人は、
奥さんが 心を込めて 入れた 1杯の
お茶をすすりながら【本堂再建】の掲示板を 見る。
『閑散期にて どの寺も どの寺も 人がいない。
たまに 居ても 素っ気ない。
この寺は こんな みすぼらしい
年寄りでも、気持ちよく心から 接してくれた。
この 心が 大師の心であり、本尊の 慈悲心であると 思う』
それから、住職が 加わり 【一建立】の話が
一挙に 加速し具体化していった。
そう 話された。
『子安観音寺は まだまだ 【行】が足りませんね』
『いや、子安は 子安なりに 頑張って居るのは よく分かっているけれど…』
『でも、先生。「ウチは 一建立で ありがたかったけれど、子安観音寺は
裾野が 広い。それが 羨ましい」と、その住職が申していましたよ』
住職は一粒の雨だれの 滴でも それが 溜まり溜まったら、やがては
大海になると いう事を 仰ったのだが
それを 先生に申したのは 大失敗だったね。
『ばかな事を いって』
先生は ただ 和やかに 微笑まれた だけだった。
合掌

【ジジの 誕生日 】

15日。ジジの誕生日 前夜祭があった。
弘法大師の お生れになった日で 高野山では
盛大に【青葉まつり】が行われた。
《中道》を進みなさい。出過ぎても ダメ。引っ込み思案もダメ。
(正確に いうと、これだけでは ないのだが) 真中を 進めよ。
月の 真ん中。日の 真ん中に お生れになった。
昨日、正月を 迎えたと思ったら もはや 一年の 半分が
過ぎてしまったのですね。
ジジは 敬意を表して 一日遅れの 16日に
この世に 生を受けました。
同日、お大師さんとは 正反対で 家族だけの
ささやかな 祝いを受けました。
孫からは、1人1人 〈長生きしてね〉と心のこもった
手紙を 貰った。
ジジの 習性で [平成24年 6月16日。ジジ 誕生日の日。
そして、孫の名前]を記入して ジジの宝物の中に 保管した。
かなり たまった。
パパや ママたちからも 心 あたたまる プレゼントを もらった。
その 1つ 1つが 単なる 思いつきでは ないのだ。
可愛い お花あり、欲しいと言っていた 夏物のパジャマ あり。
中に細工が施されている 有名作家の 文鎮あり。[慧晃]と、
名前のはいった お酒あり。
バラエティーにとんでいるが、どれも 思いつきでない。
どうだろう?
他家を 訪問する時に、手土産を 持っていく。
普通、どうするんだろうね。家に あるものを 持って行ったり、
店で (なにか)を見繕ったり。それほど、深刻には 考えないよね。
それを そのお家の方や、本人が 喜ぶものや
わが家に 咲いている 花や 果物を持って行ってあげれば
どんなに 喜ばれるだろう。
それが 般若心経の 【智慧】であり、お観音さまの【慈悲心】だね。
青葉まつりを 迎え、ジジの誕生日に ジジは プレゼントと共に
大きな 宝物を もらった。
この 宝物こそ 死ぬまで 大切にしたい。

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合掌

【 料理は 心で 味付けを する 】

ジジが 田舎から出てくると聞き、 みんな 集ってくれた。
娘の 主人たちは 日曜日に 拘らず みんな 出勤で たまたま ホテル勤務の
次女の旦那が 子供達と 一緒に 顔を出した。
家族で 食材を 買ってくれて 彼が ( シェフ ) をした。
ホテル勤務と 言っても 彼は ( ソムリエ ) であって シェフでは ない。
しかし、見てください。この 豪華版。これ 全て パパが 作ったのだ。
忙しい中を パパの ご両親も 顔を出してくれた。
(おじいちゃんは 7時まで仕事で、会社から 直接、駆けつけてきてくれた)
みんなが 揃ったところで、孫が 【乾杯の 音頭】をとった。
顔、顔、顔、みんな 笑顔だ。
心に 一点の 曇りもないのが 豪華料理に 【華】を 添える。
ジジの 師僧が いつも 言っている。
『料理 は、心で 味付けを するもんだ』
【醤油を かける』【砂糖が いる】【塩が 少ない】
【肉が 多い、少ない】【お汁が 熱い、冷たい】【アルコールの 有るなし】
そんな事は 枝葉末節 である。
『ありがたい』
感謝の気持で 頂いていたら、そんな 不平不満は 言わない筈だ。
和気藹々と 心が 1つになって頂いていると 【お茶ずけに 沢庵】でも美味しいし、
不平不満で 縦じわを寄せながら 頂いていたら【ビフテキ】を目の前にしても、
砂を噛むように食が 進まない。
そのような 事を 申したのだ。
今夜は 心も 1つ。
食事も 豪華番。
これほどの しあわせが あろうか ?
そんな事を 言って いたら、長女の 主人も 仕事を終えて 帰ってきた。
一日、大変だったね。ごくろうさま。
そして 至福の時は、延々と 続くのであった。

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合掌

【 孫が 『心配してくれて ありがとう 』 と 】

みんなで 芦屋に 集合した。
今回は なんの 記念日でも なかったのだが ジジが 田舎から出て来るからと、
忙しい 中 みんな 集まってくれた。
ジジの 【ディナー会】には 最近、乾杯の前に 変った事を 始めた。
誰かが 【乾杯の 音頭】を とるのだ。
最初は 『ジジが 』とか『長兄が』とか やって居たのだが 何時の間にか
『みんな 持ち回りで やってみよう』と、いう事に なった。
今回は 孫の 番だった。
ビールや ジュースを 並々と グラスについで 声高らかに 発声するのだ。
『このたびは、私が 怪我をした時に 心配してくれて おりがとう ! 』
『えっ ? 』
ジジは 声を 疑った。
3日前、ジジの 次女から 電話が かかった。
孫が 学校で 運動していた時に 顔から 地面に落ち、先生の 話では 『鼻の骨が
折れているかも 分からんので、病院に 連れて行ってください』だった。
この 小さな 事件は 短時間で 親戚一同 隅々まで 駆けめぐった。
ジジは寺で 右往左往するだけで、当傷平癒の 祈願を考えること ぐらいだった。
さいわい 骨には 異常なく 後々の傷も やがては なくなるだろうと 一安心した。
物知らずの ジジは【形成外科】と【整形外科】が あることを 始めて知った。
【形成】は 元に戻す(復元)ことで 【整形】は 美しくする ことらしい。
その 3日後に、孫が 痛々しい 顔で 芦屋に きた。
そして、その 乾杯の 場である。もう 一度 書く。
『この度は 私が 怪我をした時に、心配してくれて ありがとう』
親が 指示した事でも ないのに 年端のいかない 幼子が 礼を 述べたのだ。
集まっていた みんなも 驚いたに 違いない。
当番の時に ジジが 述べる 乾杯 発生の 10倍ぐらいの 拍手喝采 だった。
そして、どの顔も どの顔も みんな 笑顔だ。
ここは ユートピアであり 極楽国土であり、集まっている人は全て 仏様 だった。
ぼとけさまの 1人は 痛々しく 鼻を 怪我をしていたが…。


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合掌

【 何の 変哲のない事が なによりもの しあわせ】

今日も 一山の 僧侶、相 集まり 朝の勤行から 一日が始まる。
なんの 変哲もない 平和で 長閑(のどか)な 一日の 始りである。
【な~ にも 変わらないのが 1番 幸せである】
ジジの いつも 申す 鉄則だ。
【世の中は 常にもがもな 渚こぐ 海人の小舟の 綱手かなしも】鎌倉 右大臣
激しく変わる この世だが、渚で漁をしている 漁師の舟が 浜辺に沿って
網手に 引っ張られていく 長閑(のどか)な光景を いつ迄も 見ていたいから
どうか 今のまま、変わらないで いて欲しいものだ。
権力闘争に 開けくれて居た作者は 何んの変哲もない 眈々とした風景が
かえって のどかで 平和なものに 感じられたのだろう。
ジジの事を 考えてみよう。
先日、検診の為に ガンセンターに いった。
『放って おいても、なんの 問題も有りませんよ』と、前置きした後に
『胆嚢に 砂が 溜まっている』とか『前立腺に カルシューム が出来ている』とか
これは 《しあわせ糧》から考えれば 尋常ではない。
波一つない 水面に 小石を 投じたようなもので 心の中では 微かながらも
波紋が 広がっている。
それどころか 最近では、住職が 血と汗と涙で 植樹した 2万6000本の 芝桜が
あの 大風によって アッという間に 吹き飛ばされた。それで 済んだかと 思ったら
今度は 本堂の 大屋根瓦が 剥がれて しまった。
森羅万象。ウグイスが なき、蝉が喧しく はやしたて、コウロギが 晩秋を奏でる。
これが 狂っては いけないのだ。
近所に いけば いつもの 酒好きな おじさんが 酒瓶 片手に 真赤な 顔をしている。
のどかで、平穏で いいでは 有りませんか。
そして 私たちの 心も 前を向いて 馬車馬のように いきり立ってばかり
いるのでなく 一歩 引いて 牛のよだれのように、呑気に。
そんな 一日を、そんな 生涯を 送りたいね。
合掌

ツタンカーメン 展覧会

大阪で開催されている ツタンカーメン展に行った。

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ジジは 多分 この前に 日本にきた時と 英国 大英博物館でと 3回目の対面だ。

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研究の結果、紀元前 1342 年ごろの 第18王朝の王様で 約3500年以前には、
日本ではまだ 縄文時代で 槍をもって 走り歩いていたのだが 既に 王朝があり
こんなにも 素晴らしい 金細工が 駆使されるとは 真髄 魅了される。
会場は 押すな押すなの 空前の 人だかりで 切符を購入してから 入場するまで
丁度 1時間 かかった。
内容は、大英博物館のイメージが 強かったのか それとも 期待した メインの
【黄金のマスク】が 展示されてなく 黄金の棺も ツタンカーメン王の
お婆さんのもので しかも 内棺も 肝心要の 【ミイラ】も無く、気薄だった。
英国では 勿論、本家本元の エジプトでも そうだが 黄金の棺、内棺、ミイラが
部屋一面、ズラリと 並ぶものは 圧巻で 見事なものだ。
王様が なくなった時、その 舟に のって 死者の国に行くという 舟が
展示されていた。これは ポリネシアでも ユダヤでも、同じような 風習がある。
しかも、死者は 必ず 再生するとの 話は 輪廻転生の仏教でも
キリスト教でも 同じ 考えで 、誰が 考えても 同じ 地球上に住む 私たち
形は変わっても 考え方に そう 相違がないことを 確認した。
それなのに 何故『やれ 何宗だ』『それ 何派だ』と、張り合うんだろうね。
《小さい !小さい ! 》
それよりも、哀れに 思ったのは、この ツタンカーメン陵は 中規模から
小規模に 属するんだって。それにしても、【王家の墓】に納められた王は
私たちが 体験した事もない、想像を絶する 空前の お葬式だった事だろう。
ところが どうだ。
3500年 過ぎた 今、
【ツタンカーメン王の 墓だと 分かった】
【DNA で 鑑定して 父王が分かった。祖父王が 分かった】
と、囃し立てる。
情けない 事だね。悲しいね。
ジジの寺の 歴史は まだ 450年 ぐらい。住職の 人数にして 15人 ( ジジで16)だ。
当然の事ながら、初代から 15代まで 一目瞭然、全てわかる。
【古墳】しかり 【陵】 しかり 。卑弥呼の墓 しかり。クレオパトラ しかり。
【古代史の 謎 】であり解明された途端、狂気の如く喜び その人は 英雄になる。
葬式に そんなに お祭り騒ぎを して貰わなくても いい。
時々、有縁の者が お水をくれ 手を合わせてくれる。
それだけで いい。
『おじいちゃんの 墓だよ』
『生前、可愛がって くれたね』
其れだけの 会話をしながら 手を合わせながら それで 充分である。
幾ら 大きな 葬式をしても 心ない 葬式なんか 残念な事だ。
展示室の 1品 1品 目で追いながら、感慨深く 思う ジジで あった。
合掌

【 一杯の お茶 】

 四柱推命の 勉強会があり 特訓を受けた。
有名な先生で 気韻生動、才気煥発、倉凛道ちて 礼節をしる 鶏群の一鶴島
抜きんでた先生で 島内外から絶大なる フアン 多く、
及ばぬ 鯉の 滝登りの ジジでも グイグイ 引っ張って くださる。
子安観音寺の 本堂の大屋根が 先日の 大風で 吹き飛んだ事、話したよね。
住職を中心に、檀家総代、役員 等 頭を寄せては 本堂の前後作を 検討している。
『総代さんも 我が事として 対処してくれ 有難いです』
勉強が 終ってから 本堂と 総代 役員のご苦労の話をした。
ところが、話が一変して 他所の寺の【一建立】の話になった。
一般的には、本堂は 住職が中心となって 檀信徒の 皆さんの協力で建立、
維持 管理するものだが【一建立】は 他の人に頼らないで お一人か 1企業で
建立することを いう。
ジジは あまり 他寺の事は 存じないのだが『わたしも 聞いた話で、事実かどうかは
分からぬのだが』と、前置きして その経緯を話してくれた。
寺の 奥さんが 1人で 本堂に居たら、みすぼらしい 1人の 年寄りが 参ってきた。
『汚い 本堂ですが、どうぞ お上がりください』
分け隔てなく 奥さんは 心から 老人の参拝を喜び、歓迎したそうだ。
本堂に あげていただいた 老人は、 奥さんが 心を込めて 入れた 1杯の
お茶をすすりながら【本堂再建】の掲示板を 見る。
『閑散期にて どの寺も どの寺も 人がいない。たまに 居ても 素っ気ない。
この寺は こんな みすぼらしい 年寄りでも、気持ちよく心から 接してくれた。
この 心が 大師の心であり、本尊の 慈悲心であると 思う』
それから、住職が 加わり 【一建立】の話が 一挙に 加速し具体化していった。
そう 話された。
『子安観音寺は まだまだ 【行】が足りませんね』
『いや、子安は 子安なりに 頑張って居るのは よく分かっているけれど…』
『でも、先生。「ウチは 一建立で ありがたかったけれど、子安観音寺は
裾野が 広い。それが 羨ましい」と、その住職が申していましたよ』
住職は一粒の雨だれの 滴でも それが 溜まり溜まったら、やがては
大海になると いう事を 仰ったのだが それを 先生に申したのは 大失敗だったね。
『ばかな事を いって』
先生は ただ 和やかに 微笑まれた だけだった。
合掌

【 一本の 電話 】

友人である社長から 電話が あった。
先日、ジジが 体調すぐれず、定期健診もあって【ガンセンター】で検査した事に
ついての 結果報告を聞く 電話だった。
ありがたかった。
誰が 心配して 《いたわり》の 電話なんか してくれようか。
【ガンセンター】と いえば ジジは この上もなく 悲しい 思い出がある。
もう 10年 以上にも なるのだろうか?
突然、闇を引き裂くような【1本の 電話】が かかった。
大観音 建立に 携わった 設計部長 からだった。
部長とは ジジとは同い年で 建立を 打ち上げた 昭和60年前後からの付き合いだった。
【施主】と【業者】の立場を超えて 他の大観音は勿論、色んなところを見て回った。
『住職 』(その当時は ジジの事を 住職と呼んでいた)
『わたし、ガン ですねん』
『部長さん。なにを たわけた 事を。今日は 4月 1日では ありませんよ』

『いや、ホンマ です。今日 病名を 知らされまして あと 半年 らしいです』
『最初は 驚きで 気持の整理が つきませんでしたが 友人や 世話になった人に
最期の 連絡とお礼を させてもらおうと、こうして 電話しました』
ジジは ドギマギしてしまって 何と言って 応答すれば よいか 分からなかった。
センターで 【病名】を告白され、頭が 真っ白になってから 気持の整理が つくまで
どんな 気持 だっただろうか?
寿命が尽きること。仕事のこと。ご家族のこと。今後のこと。
色んな事が 走馬灯のように ついたり、消えたりして、やがて 断崖絶壁から
突き落とされた ような 絶叫に変わるのだ。
あの時の 部長の 心境を考えたら、あの 1本の電話の時、もっとらしい 受け応えが
出来なかったかと 悔やまれて ならない。
ジジは 何十回と 大阪の 病院に 足を運んだ。
最初は 元気溌剌で 一体 どこが 悪いんだろうと 思っていた彼も 日をますごとに
身体が 蝕られているいくのが、素人目にも 分かった。
亡くなる 一週間ほど 前に 伺ったときは、あちこちの 骨が 折れているとかで
身動きできない 状態だった。
わたしの 顔を見て 奥様が カンジュースをだして くださる。
と、部長も 呑むと いうのだ。
奥さんが 気を利かせて ジュースの缶に ストローをつける。
なんと、部長は ストローは 要らないと 言っている。
更に 驚いたのは 身動きできない 身体で わたしの缶と 乾杯したのだ。
この乾杯は なんの乾杯だったのだろうか?
部長の心が 掴みたかった。
元気な時は ジジと よく 酒を飲んだ。
『いつ迄も 元気にして、また飲みたいなー』
いや。
『わたしは 元気なんや。ほら 乾杯もできるやろう。住職と一緒や』
よくみると 目には 一筋の 涙が あった。
《別れの 乾杯》だったのだ。
【諸行無常】【是生滅法】会うは 別れの はじめ。人生って 悲しいね。
今でも【一本の電話】がコールしたら、ドキッとする。
今日の 社長の 電話は 嬉しかった。


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ご希望の方は、こちらからお申し込みください。

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【 日本列島も とうとう 梅雨に 入った 】

朝から しとしとと 降り続いている。
天気予報 は ついに 梅雨に 突入したという。
小豆島には 大きな 滝が 2つ ある。
1つは 観光コースで有名である 銚子渓の 滝だ。
もう1つは 病気封呪 専門道場の【山ノ観音】にある《御来迎の滝》だ。
その昔 空海が 御来迎の滝にて 1週間の(行)をし【病気を 封じ込めた】と される。
【男滝】【女滝】2本ある 滝も この梅雨で 水嵩も 増しているだろう。
《滝の 音は 耐えて久しく なりぬけど 名こそながれて なほ聞こえけれ》
(大納言 藤原 公任 966~1041年)
この 滝は 我が 子安観音寺の 大本山である 京都 : 【大覚寺 】にある。
嵯峨天皇の 離宮で 天皇は そこに滝を造らせ それを 見るための 滝殿もつくった。
栄枯盛衰。時代は 移り この 滝の水は 枯れて 二度と再び 滝の音を聞くことが
出来なくなっているが 名高い 評判だけは 後世まで 延々と伝えられ、
今でも 滝の音と 共に 多勢の 公家たちの 笑い声が 聞こえてくるようである。
藤原 公任だけでなく、私たちも 本山にいけば 同じ 心になるのが 不思議だ。
どうだろう?
ジジは 皆さんに 何百年~何千年 経っても 後世に 語り継がれる人に なって欲しい。
自分から 手を上げて 『未来永劫、後世に 名を 残してください』と、言うのでは
ないのだ。私たちが ゴールインした後に 誰が 言い始めたのかは 分からぬが
『あの 人は 本当に 凄い 人だった』
『あの 人が こんな 素晴らしい 事を してくれた』
100年 経った 今でも、功績は こんなに 役に 立っている』
『世のため、人の ために 尽くし、本当に 仏さんの ような人だった』
これは 自分が 言うのでなくて、人が いうのだ。
銅像は 自分で建てるのではなくて、万民が 大衆が 立てて くれるのだ。
そういう 人に なって欲しい。
枯れ果てた 滝の音が 今だに 私たちに 聞こえてくるように あなたの 名声も
後々の 方の 耳に 目に、 いつ迄も 残る 人間になって ほしい。
ジジも 山ノ観音《御来迎の滝》に お参りをして 般若心経を 唱えて こよう。
合掌

【 ヒゲの 殿下、寛仁( ともひと) 殿下 : ご逝去】

ヒゲの 殿下 】が お亡くなりに なった。66歳 だったそうだ。
1991年に食道がんを 切除してから 16回の手術を なさり 壮絶な大往生を遂げた。
奥様が 吉田 元首相の孫で 麻生太郎 元首相の 妹だって事は知らなかったが
【障害者 福祉】や【スポーツ振興】などに 積極的に早くから取組んで おられたのは
もの知らずのジジでも知っている。
【皇族イメージに離脱】や【女系天皇容認に 異を唱える】等、波紋を呼んだが
毎日新聞では 殿下の事を 【飾り気ない 肉声や 振る舞いは 多くの 国民の
皇族イメージに 人間的な ぬくもりを 宿らせた】と、大評価する。
積極的に国民と接し 歯に衣を着せぬ発言で 自ら【現場監督】と自称して
先頭になって 皇族と国民の パイプ役と なった。
国民の 【生の声】【本当の 心】を 知らなくては 出来ない事だね。
『俺は 社長だ』と、社長室で ふんぞり反って居ても 社員の 心は分からない。
故に 社員の心を 掴めないどころか、会社自体が 前を向いて居るのか
後退しているのか どうか 見えないぐらい 視野が 狭くなっている。
大衆の中 社員食堂で 共に うどんを すすってこそ社員の心が よめ、理解できる。
会社の状態も 分かるのだ。
多勢の 仏 菩薩が 四六時中、24時間、私たちを 見守ってくださっている。
仏の中で、お観音様と 地蔵さんだけは 高いところから見守って下さるのではなく
私たち 一般 衆生に 降りてきて 共に 喜び、共に 泣き、苦しんでくださるのだ。
皆さんは 如何です?
社員のために、友達のために 共に泣き、苦しみ、共に 喜んで居ますか?
それを 率先垂範なさった殿下は 正真正銘の 【観音】であり【地蔵】で ある。
ご冥福を お祈り申し上げます。
合掌

【自分の 健康に 感謝】

檀家総代が 2人で 来られた。
『恵門ノ不動に お参りをしてきた。お護摩に あたり 何もかも 洗い流されたようで
清々しい気持ちだ』と 冷えた お茶を 口にしながら 仰る。
総代は 昨年 大病を 患い 、もともと 長身痩躯 で 元気な頃でも、
50キロぐらいだったのが 術後は 40キロ代に落ち込み まるで寒鴉の様だったが
この頃は 元気になられて 少し 昔に 戻ってきた様だ。
『おふどうさんに 助けて貰った。生涯を通して ご恩返しをしなければ』と。
大変 信仰深い方で ジジの弟子にもなっている。病気 以前も 子安観音寺 4山に
【月 詣り】をなさっていたが 今日は もう1人の総代と 2人ずれでの 参拝だ。
ジジも 昨日【ガンセンター】にて 検診を 受けた。
『元来 患っている 《膵臓》を中心に お願いします』と、念入りに 診て頂いた。
『大丈夫ですよ。問題 ありません』 と、ホッとさせたものの、1カ所1カ所
聞いてみれば 『(胆嚢)に 砂が 溜まっていますよ。( 前立腺)に 小さい 石がありがある。
(腎臓に 風船の ようなものが ありますよ。今は これらが あっても、何の 問題も
ありません』と、申されても ジジの身体も こうしながら 一歩一歩 死にちかずいて
居るんだろうね。
『なにを 言っても、健康が 第一だ』
『金が あっても 名誉が あっても 健康に 勝るものは ない』
『病院で 色んな人を見てきたが、入院して居る人の中には、可哀想というより
見ていて、いたたまれ無いような方もいる』
『健康体でいて、なに 文句がある? なに 不平不満がある? 』
総代が ポツリと いった。
体験者だけに 総代の 一言は 何よりも 説得力 が ある。
『健康に させて頂いた この 身体に 心から 感謝をしなければ ならない』
『大切な この命。寸分も 無駄にしないで できる限り 《世のため》《人のため》に
ご奉仕したい』
ジジだって そうだ。一ヶ所 一ヶ所に少々の問題があっても 生かされている この命。
今の 健康に 感謝して もっと もっと 世の人の ために 尽くしたい。
総代の 痩せた 身体を見ながら、心から そう思う ジジで あった.。
合掌

過去にも書きましたが、
四柱推命の勉強をしております。
先日も先生に教えて頂いたのですが、
実践が必要とのことで、
無料鑑定をしたいと思います。
ご希望者は、お申し込みください。

【清濁 を併せ 呑む 】

大切にしていた 【三味線の 糸 】が 切れた。
春駒先生といって 民謡の 大先生に プレゼントして頂き、生前中は
小豆島に来られた時は、必ず レッスンがあった。
先生を回顧しながら 思いだしたように 糸を 張る。
『糸は ピンピンに 張ったら いかん。人間の 心も一緒やろ。直ぐに 切れてしまう』
『そうそう。両方で しっかりおさえて 真ん中で のばして 緩めるんや』

『真ん中を 伸ばして ピンピンに張った 積りはないが、糸が 古かったか? 』
反省も しないで まだ そんな事を 思っている。
人間の 心も そうだね。四六時中 24時間 張りつめた心で居ると 大変だ。
《今日は どんな一日 だっただろうか?》
《あれが 悪かったかか、これが 悪かったか …》
《あのことは 許せん。誰が どう言おうと、許し難し…》
そんな 毎日を 送っていたら 身が幾らあっても 足りやしない。
【清濁(せいだく) を 併せて 呑む 】
心 広く、良いことも 悪しきことも、分け隔てなくて受け入れる
度量の大きな事を 言うが、人には その度量の大きさが 必要だ。
【葦(よし)の髄から 天井を 覗く】
狭い 見聞や あさはかな知識で、大きな問題を論じたり 判断したりすることだが、
そんなふうに 度量の狭い 人間になって しまう。
【閑雲野鶴: かんうんやかく】
お互いが、お互いに なんの 束縛もなく 干渉もせず、心 同じゅうして
互いを 思い合い、自然にしたしみ、悠々自適 安穏の 暮らしをする。…
素晴らしいでは ありませんか?
張りつめた心が 緩和されれば 周囲が見渡され、人の苦悩も 見えるもの。
そこに 【慈悲の心】が起り【恩愛の命】が芽生えるのだ。
糸のように プッツリと切れてしまっては また1から修復をしなければならない。

さて ジジも もう一度、張り直すとするか。
先と 元は しっかり とめて 中は たわわに…。
合掌

【あなたは 解言の 花】

知己の ご夫人と 食事会が有った。
家内の お茶や 料理の 友人だが 友人と言うより 先生と申した方が 正言を得ている。
今日は ジジの友人である社長も加わり 5人での 会食だ。
ジジとは 昭和54年 11月に( 小豆島 唯 1カ所 病気封呪道場) 【山ノ観音】
本堂の【落慶法要】に始まる。
いろんな 堂宇を建てさせて頂いた中で、ジジの 1番 最初の 事業だった。
高野山からは 管長猊下が ご親教なさり その当時は参拝者も多かったので、
1万5000食の弁当を 用意し、てんやわんやで 訳が分からないまま 法要が終った。
その時に、もう一人の奥さんと 3人に 管長猊下の一切のお世話を お任せしたのだ。
『今年は 昭和 何年だったっけ? 』
『平成24年に 昭和64年を たして 1を 引くのでしょう?』
『87年…』
『落慶法要の昭和 54年から もはや 33年 たったのね』
『私たち、50才 前後 だったのかしら? 』
そう、妙齢の夫人は 【解言の花】だった。
苦節 33年。お互いに 色んな 困難を乗り越えて 今日を迎えたが、
ジジが 嬉しいのは 今月今日(こんが こんにち)まで 旧交を温められたことだ。
いつも 言っているでしょう?
その時は 無二の友人の フリをして 別れたが最期、連絡も取ったことがない。
そんな 心なきの 人は 捨て置き、【真の友】は 何人 いるかって。
ジジに 対する 街談巷説明 飛び交う中、 温柔敦厚 、影になり ひなたになって
本当に よく 可愛がり 助けてくれた。
【恩威】とか【恩眷】とか いう言葉が あるが、【暖かい恩愛と厳しい心】
【恵みや 情けをかける】と、いう意味だが 真に 双方を持ちあわせた方である。
社長も 大観音 建立時には 我が事として 協力をしてくださった。
その 【恩】は 片時として 忘れたことが ない。
食事会の席で それを 申したら【恩の 主より 情けの 主】ですって。
【温故知新】と、言う言葉があるが、奥様たちや 社長の 過去のご威徳を思い出し
それを糧として そこから改めて 色んな物事を研鑽し、頑張っていきたい。
そして 、これからも ますます 親交を深めて行きたいと 願うジジであった。

120605写真

合掌

【自我】と【無我】

岡山から 家族で お参りがあった。
土曜日、日曜日は とにかく お参りが 多い。
日曜日の中でも 【大安】は もっと多く それに 【戌の日】が重なったら また 多い。
寺の方でも【大安】だの【戌の日】など、意識してなくても
参拝具合をみて 『あれ ひょっとして ? 』と、分かるものだ。
この家族は 安産の 【お礼参り】で、生まれた本人は 勿論、ご両親、ご祖父母、
そして 何よりも 驚いたのは 87歳になる おばあちゃんが 一緒に来られた事だ。
87歳のおばあちゃんが『両親も 祖父母も 【小豆島 子安観音】で授かった
子供なんですよ』と、破顔一笑 する。
『子安観音 の本尊さまには 家族一同 感謝しています』と、パパが言う。
87歳のおばあちゃんの 孫だ。
『わたしも、両親も 、今度は わたし達の 子供まで お陰を頂いた。
一家が みんな 健康で なに不十分なく 暮らさせて頂いている。
感謝して いるんですよ』
ジジは パパの 顔を見て 87歳の おばあちゃんを見て 家族を見た。
みんな 良い顔を なさっている。
【懺悔】する。大切な ことだと 申した事があるでしょう?
【懺悔】すれば 必ず 【感謝】の心が 湧いてきます。あの時、わたしは 何故、
なにも出来なかったのだろう。それに対して あの人は こんな事までしてくれた。
感謝の気持ちがわくと【思いやり】の気持ちと【助け合い】の心が 生まれる。
《極楽国土》だ。
逆に 【不平不満】から なにが 起きるでしょうか?
【欲望】が 湧きますね。
あれも欲しい、これも欲しい。あれも したい、これも したい。
そして 欲望が 叶わなかったら【瞋恚】、怒りとなって 爆発します。
自分の 心から始まって 周囲、家族に 至るまで 【地獄】に陥ります。
これは 《無我》と《自我》で よく対比して 考えられます。
(欲望) 多き人と、( 全く 欲望、なき 人) とも、比較されます。
お互いが お互いを 思いやり、 助け合い、拝み合う 。
この岡山から参拝の家族。
覗いては、見てないけれど きっと 蓮の華に 囲まれた 【密厳国土】で
子供を中心にして 笑い声の絶えない 楽しい 日暮を なさっている ことだろう。
そして いつの日か 今回 誕生した 子供さんが その 子供や孫を連れて
また【お礼参り】に来て 欲しいね。
合掌

【 蛙の 鳴き声は 蛙にあらす 母の 心肝 】

早い ものだね。今年も 半分が 過ぎた。
この 半年、ジジは 一体 何をして 過ごしてきたんだろう…。
無意味な 惰性を繰り返している間にも 6月を迎えると 境内には【ツツジ】が
咲き乱れ 私たちの 目を楽しませ 心に安らぎを 与えてくれる。
この【ツツジ】の前で ジジが 教育実習のおり、希望と期待に 胸を ときめかせて
緊張した顔をして撮った 写真が 残っている。
ジジは こんなに 老いさらばえたのに、花は なにもなかったように
時節がくれば 花をつける。
就寝前に 風を入れようと 窓を少し開けると 蛙の 大合唱が聞こえる。
飼っている訳でも お願いしている訳でもないのに 初夏になると鳴き始める。
この 蛙の 声には ジジは 母の【恩愛】を物語る 強烈な思い出がある。
ジジは 幼少の頃は、身体が弱く よく 高熱をだした。
母は 23歳で 嫁にきて 33歳の 厄年まで 子供に 恵まれなかった。
『子安観音の ご本尊さんは 多勢の子授けして下さるのに 本家本元の
私には 授けてくださらないのだろうか? 』
くる日も くる日も ご本尊さまに お願いを申し上げた結果、【中道を進む】と、
釈迦の 素晴らしい 遺訓が有るが [月の真ん中、日の真ん中] 6月16日に
(しかも空海は 15日が誕生日。勿体無いので 1日 遅れて 生まれてきた 笑 )
玉のような それは 利発な子供が 誕生した。
母が 死ぬ直前に 『あなたが 生まれて 私の 布団の横で オギャーと泣いた。
あの時が わたしの 人生の中で 1番 嬉しい時だった』と、申した。
それは それは 可愛かったのだろう。
今は 蛙が 鳴いている 初夏だが、有る 寒風 吹きすさぶ 真冬の事だ。
何処からか【般若心経】を読む声と 共に水を移す音が
高熱で 青息吐息のジジの 耳に 入ってきた。
そっと その 音の方に 目をやると 寺の下に 小ちゃな池があり、
シンシンと積もり 雪で 真白に なって居る 凍りついた池で
母が わたしの 熱を下げて貰おうと 一生懸命 水氷をかぶっているのだ。
はらはらと 落つる涙は とどめ無く、いまでも あの光景が 目に焼きつき、
何十年も経った今でも 心から 離れないのだ。
今、蛙が 鳴いている その 池だ。
蛙の 鳴き声は 単なる 鳴き声ではない。
母の 子を思う 《恩愛》の心が 蛙の鳴き声と 重言されているのだ。

《 ほろほろと なく やまどりの こえ きけば、 父かとぞ おもう 母かとぞ おもう》
ジジは この蛙の 鳴き声が あの 懐かしき 母の声に 聞こえる。
合掌
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Author:子安観音寺
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