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【栴檀は 双葉より 芳し】

栴檀は 双葉より 芳し 。

栴檀の木は 双葉の頃から 香気を放つ。
大成する人間は 幼少期のときから
優れている ということだ。

空海が そうだ。
空海に ついては 皆さん ご存知だから
書かないが、知らぬ空海を2~3紹介しよう。

【真魚】と呼ばれていた 幼少期でさえ
[高者:たっともの]と、呼ばれていた。

そんな時から、芳香を放って いたんだね。

日本で【 三筆】とは 空海をはじめ
嵯峨天皇 、橘逸勢の事を さすが

遣唐使で 入唐した時も あの広い中国で
【五筆和上】と、崇められて いた。

般若心経【無香】

香りが 無いでは ない。
あの 栴檀の香気も 四六時中 匂うわけでもない。

匂い というものも 匂ったり 臭わなかったり
気紛れな 虚ろなもだ。

まだ、夜が明けない うちに
白々した 空気をのなかで
何とも やさしい 甘酸っぱい 梅の花の 香りが
風にのって 流れてくる。

まだまだ 暗く この匂いを発する梅林が
何処にあるか 分からない。

朝日が 突然 ヌッと 顔を出した。
あたり一面、パッと 明るくなる。

なんと、目の前は 雪のように美しい
梅の花と香気が 私の 目と心を魅了した。

『姿 形は 見えなくてもあなたを 思い出しただけで、
素晴らしい 芳香が 流れてくるような 気がする。

そんな、人間に なりなさい』

空海は 般若心経【無香】の中で
そのように 教えを説いている。

今まで 気も心も 沈み 落ち込んでいる時に
ある人が 入って 来ただけで

その座に 眩しいばかりの 光がさし
和やかな ムードを 醸し出す。

『そんな ムードメーカーになりなさい』

箸の 横に なくても 思いだすだけで
生つばが 出てくる

『そんな 梅干しのような人に なりなさい』

《栴檀は 双葉より 薫じ、梅花は 蕾あるに香あり》
合掌
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【たまには 肩の力を抜いて 我意を やすめよう】

空海は 人間は
この瞬間 瞬間に 生きとし生きたまま
仏に なれると 教える。

真言宗の 基盤をなす【即身成仏】だ。

裏を返せば その瞬間 瞬間にして
【奈落の底】に落ちるよという 暗示だろう。

ハエが手を擦り 足をするのは 別として
猿に 銃を向けると 手を合わせて
撃たないでくれと 懇願するという。

牛が 屠殺場に入る時には
それを理解し 涙するという。

それは 彼らは その時に
衝動的に 拝んだり、涙するのであって

後々まで 引きずった
悩みや 苦しみは ない。

サバンナで 折角苦労して 捕まえた獲物を
ライオンに 横取りされたと
後々まで 執着して 膨れている

動物が いるだろうか ?

般若心経【 無意 】

人間以外の 生物には 悩みや苦しみは ない。

何故だろうね ?

幸か不幸か 人間は 時代の流れに従い
● 言葉を 話すこと
●言葉を 記憶すること

能力を 持つように なった。

言語能力とは 白と黒、長い 短い、自分と 他人、
甘い 辛い、好ききらい、得と損、など

2つを 対立させて考える癖を 持っており

そのどれか、都合のいい方に【執着】して
それを 大切に 守ろうとする悪癖をもつ。

【意】
言葉によって 理解している
【良い】【悪い】の 判断のこと。

我意が強すぎると 世間や 他人と
上手く やっていけなくなる。

空海の【即身成仏】も
反対の 【奈落の底】も

その 瞬間に 私たちが どのように捉え
どのように 行動するかに よるのである。

たまには 方の力を抜いて
【我意】の記憶も 休めなさい。

般若心経の 中で無意 は
そのように 言っている。
合掌

【云うは 易し 行うは 難し 】

住職の 代理で お葬式にいった。

92歳になる ジジの時代の 檀家総代さんだ。

久しぶりの お勤めで少し
声が上ずって いたかもしれない。

師僧が よく言って居られる。
未だに 言われるのが 情けない。

『お葬式の 時は、微音で 』

『ご祈祷は 太鼓に併せて 早速で高音に』

これ 全て 自行でなくて、済世利人のために。
思いやりの 心を持ち、
その人の立場になって 行動する。

『鐘は たたくと 鳴るし、
ラッパは 吹けば おとがする。

声にしろ、鐘にしろ 、ラッパにしろ
その音 その声を 聞いて

どんな 音をだせば、
その人が喜び 感激を露わにだすか
よく考えなさい』

確かに、そうだ。
親族や 友人が 亡くなって
心が 沈んで いる時に

途轍もなく、大きな声を出し
鐘を 無感情に叩けば、
どう、思うだろう。

身体も 心もボロボロで
神仏に すがりたい時に

お護摩の 火も 大きく上がらず
お経の声も 太鼓の音も
沈んだ 音だったら、どうだろう?

余計に 落ち込んで しまう。

野球や 相撲の 声援 然り。
ミュージカルや 芝居の 拍手喝采 然り。

演じている人と 観客の心が 1つになってこそ
歌も 芝居も、盛り上がり
会場が 1つに なるのだ。

般若心経【 無声 】

音を 鳴らして いる人も
鳴っている 楽器も 同じ 1つの物がなって居る。

その 音を その時 その時の 感情によって
万人が 色んな音に きき
様々な 感情を もつ。

それを 【空】という。
私たちの 心は さまざまに 変化する。

その 変化する 心を 見抜いてから
私たちは 音を 発しなさい。

相手の 気持ちになって。
その人の 心の中に 入り込んで。

その心を お観音さんの 【慈悲心】という。

偉そうに 言っても、
ジジの 今日の お勤めは 上ずっていた。
多分、万人が そのように 取っただろう。

本当に 【云うは 易し、行うは 難し】だね。
合掌

【1日を 反省し 感謝をし 人のために 働こう】


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今日、枕経に いった。

ジジの時代の 檀家総代さんだ。
まるで 穏やかな顔で 静かに
眠っているように 横たわっている。

『法主さんに 来て頂いたのを
1番 喜んでいることでしょう。

法主さんの晉山式の年、
昭和 49年から 総代に就任し
喜びも 悲しみも 共にした。

父は、死ぬまで それが自慢で
耳にタコが出来るくらい 聞かされていました』

家の方の お話を聞きながら
じっと お顔を拝見していると
色んな 想い出が 走馬灯のように

点いては 消える。

●山ノ観音 本堂 落慶 (高野山 高峰管長)
●恵門ノ不動 本堂改装(高野山 高峰前管)
善通寺 蓮生管長 命名 厄除け石段
●子安観音寺 庫裏 改装
●小豆島大観音 建立(京都 大覚寺 岡田総長)

一々 述べると 枚挙に いとまないくらい
事業の 生涯だった。

その 全てに 全力投球で 石杖になって
くださったのだ。

土地交渉から 寄付勧募まで
一緒に ついて まわってくださった。

その 泣き笑い人生が 今日、
幕を閉じる。

般若心経【無身】

《生まれ 生まれ 生まれて その生の始めに暗く
死に 死に 死んで その終わりに 暮らし》

弘法大師が 秘蔵宝鑰の中で こう教える。

私たちは 何処から きたのか ?
どこに 帰って 行くのだろう ?

ただ、はっきり 分かっている事は
オギャー と、生まれたが 最後、

老いぼれて 病気になり、死んでいく。
この 諸行無常の 現実 だけだ。

万物を含めて 私たちの 身体も
永遠に 実体があるものでは無いんだよ。

私たちの 身体を考えれば
人間として 生活できるのは

僅か、50年か 100年で ある。

やがては どんなに長生きを望んでも
天に 召されて いく。

【身 が 無】とは
この世は 【空》であり
そんな 虚ろな ものなのだ。

空海は
《今こそ、命そのものの 原点に立ち還り
人生を 考え、日々の生活に

《懺悔》と《感謝》と《報恩の 心》を
持って行かねば ならない》と
指摘する。

総代の お顔を 拝んでいると
空海の 理想とし 教えの 1つ1つが

全て 備わった人 だったのだなあ。

私も 目を瞑ってから
『あの人は 仏のような人だった〕と、
惜しまれるような

そんな、毎日を 送ってみたい。
安らかに お眠りください…。

合掌

【なにが 本当の 私たちの しあわせだろう】

【大観音 建立時】 20年も前の 話だ。

社長の お宅に泊めていただく事になった。

上げ膳 据え膳で 山海の珍味
浦島太郎とは このような事かと 思うほどの
もてなしだった。

玉手箱を 開けると 真白な髭の
おじいさんになって
しまうのでは 無いかと 心配するぐらい

至福の時は、アッという間に 過ぎた。
宴たけなわの 中 奥さんが ポツンと言った。

『住職、もう空だけれど空けてしまったら、
100万円 飲んでしまうんやで』

『エッ? エッ? ひゃ 100万円ー?! 』

社長夫婦は アルコールをお飲みには
ならない。

その、一言を聞いてから
幾ら 飲んでしまおうと 努力しても
如何しても 喉を通らなかった。

【100万円】
と、聞く 前も 聞いた 後も、
目の前にあるのは 同じアルコールの瓶だ。

般若心経【無舌】

封を切って頂いた 時から
高価な物だろうとは 認識していた。

そして、それは 今まで口にしたことの ない
最高の 味わいだった。
量も すすんだ。

ところが、値段を聞いてしまってからは
幾ら 頑張っても 喉をこさないのだ。

アルコールの 瓶は 変化しないのに
その時、その時に

私たちの 心は 揺れうごくのだ。
これを【空】という。

今度は 社長が ポツリという。

『来る日も 来る日も お客さんの接待で
気を遣っての 毎日です。

来られた方に 喜んで貰おうと
できる限りの お持てなしをする。

お帰りになられて 後かたずけをしながら
何故か 虚しくなることも あるんです。

皆さんは、家に帰られたら
お茶ずけを 啜ってでも、
家族 水入らずで 楽しい食卓を囲む。

山海の珍味が なんだ。
ビフテキが なんだ。

私たちも お茶ずけを頂いてでも
気が会ったのもが 和気藹々と 団欒しながら
箸を進める。

そんな事を 本気で考えるようになりました。

人は 私たちを 羨みますが
私たちも 人さんが羨ましく思うことも
あるのですよ』

ジジは 驚きは しなかった。

それを 般若心経【空舌】のなかで
釈迦が 私たちに 教えている。

心は 変化しても、揺れ動いても
目の 前の 食事は同じなのである。

どうせ、美味しく頂くのなら
不平不満をいわず、
感謝をしながら 手を合わせて

頂く べきである。
合掌

【香の 好ききらいで 目くじらを立てるべからず】

あるホテルの ロビーに入った途端、
何とも この世ともいえないような
香りが 鼻をつき、

早速、寺や 小豆島大観音にも
同じ お香を焚くようにした。

そんな時、1人の 先生から電話があった。
大観音建立にあたって、影となり日向となって

大層 尽力して頂いた 御仁だ。

『…それは そうと先生、
クサヤ問題 覚えて いらっしゃいますか?』

『アッ あれね。
忘れようと 努力しても、つい 吹出してしまう』

大観音 建立時だから もう 20年も昔の話だ。
その話をすると 私も先生も 今にかえる。

小豆島に 来られる度に、
八丈島の クサヤを 持ってきてくださるのだ。

火を とおすと それは 臭い。
でも アルコールの アテには なんとも珍味なのだ。

ある時、寺でばかり 頂いたのでは勿体無いと、
島内の 知人に お持ちした。

ところが、私が 寺に到着するかしないかに
クサヤを お渡しした方から 電話があった。

『折角 頂いたのだが、あれは全て腐っていた。
家族中、胸が 悪くなって 全部 捨てた』

『ええっ 捨てた ? 全部ですか? 』

ジジの 声も 悲鳴に近いものであったろう。
持ってこられた 先生も 慌てた。

般若心経【 無鼻 】

鼻から 入ってくる 香りについて
各々の 感じ方が 全く 違うのだ。

『これは 臭いが 食べると 珍味だ』

『ゲエ~ なんだ この臭いは ! 』

香りは 1つ、全く 同じものでも
こんなにも 捉えかたが 違うのだ。

これが 般若心経【 空 】なのだ。

『これが 絶対に 素晴らしい』という
臭いは 無いのだ。

《香の 好ききらいで 目くじらを立てるべからず》

『この お香も 、こちらの お香も 一緒に楽しもう』

清濁を合わせて 飲む、この心が 大事なのだ。

『あれ、ゴミ箱から 拾って食べたんだよなあ』

『でも 先生。あとで聞くと
結構 美味しかった らしいですよ』

『そりゃ~ そうだ。
私に また 買って来いと 言うんだもの』
合掌

【私たちは いい方向に 物事を 考えよう】

電車の中で 赤ちゃんが 大声で泣いている。

周りの人は 渋い顔。
でも、隣にいる母親は 一向に気にならない。
可愛くて 仕方がないのだ。

寺では 【歩く マシーン】で歩いているが
阪神の 子供たちのマンションにも 置いた。

この話は 以前、紹介した。
運動不足だからと 寺の周りをあるくと
檀家の方との お喋りのほうが進んで
ちっとも 歩けなかった。

『それだは』と、
機械を 求め、1時間ぐらい 歩いている。

【本堂 再建】の寄付勧進に まわり
阪神間に居ることが 多くなったので
うんと 安物を そこにも 置いたのだ。

勿論、【マンションでも、使用 可 】との
お墨付きを 頂いた 機械だ。

ところが、1階 下の 住人の方から
『うるさい』と、クレームが ついたのだ。

そのマンションは 電車の沿線に建っていて
始めて お泊まりの方などは
余りもの 騒音に 驚く。

憤怒の 形相で立っている その方に
心から お詫びをしたあとで
こう 聞いてみた。

『電車の 音は 気にはなりませんか?』

驚いた事に 全く 気にはならないという。
電車は 1日中、走っている。

ジジの機械は 安物だから、30分歩けば
自動的に とまる。

般若心経 【無耳】

たとえ、同じ音を聞いても
人によっては受け取り方、感じ方が違う。

感じ方、思い方は、その人その人によって
全く 違うのだ。

これを【空】という。

それなのに、自分の 感じ方 受け取り方のみが
1番 良いのだと言い張ると
問題を 生じる。

私たちは 1つのものを

【良い方向に 受け止める】力と共に
傲慢になって 自分さえ良かったら良い
【悪い方向に受け止める】両方 持っている。

良い方向に 素晴らしい方向に 受け止めよう。
そんな、努力が 必要なのでは あるまいか。
合掌


【心の もち方1つで 美しくも 汚くも なる】

住職が インドにある 4大遺跡の旅をした。

『ガンジス川は きれかった ? 』

信者の おばさんが 大喜びで 【水行】した
と言うの を聞いて

ジジが お参りさせて 頂いた
20数年前の インドを 思い比べて 聞いたのだ。

当時の ガンジス川は 上流から 汚物がながれ
そこに 澱み 集まる 所謂、
衛生的にいうと【汚い】大河だった。

しかし、ヒンズー教の人たちに とっては
そこが 聖地であり 聖水で あるのだ。

何十万人という 信者が 沐浴のために参拝する。

『多勢の 人々が 水行していましたが
私は 川に入る気持ちは 起きませんでした』

住職は 【きれい】【汚い】を 避けた。

学生の頃、1文無しの ジジはよく屋台に いった。
愛想のいい おじさんで ラーメンも美味しかった。

いつものように ラーメンを注文すると
おじさんは 足元に 置いてあったバケツの残り水で
前の人が 食べた 椀を 当たり前の如く 洗い

『あいよっ! 』
いつもと同じ 笑顔で 気前良く 私の 前に置いた。

しかし、ジジは 見てしまったのだ。
椀を 濯いだあとの バケツの中を。

今は 衛生的になって いるだろうが
なんせ 50年も 前の話だ。

大好きであった ラーメンを 目の前にして
どうしても、それが喉を通らない。

ときどき その話をし友人に 話す。

『移動式 屋台なら 水不足は 当然ですよ。
しかし、今は 50年前とは 雲泥の差で
清潔に なっている』

『違う… 』

今まで 美味しかったラーメンが
ある日、ある時を 境にして

喉を 通らないのだ。

自分の 意識、気持ちの問題である。

【不垢不浄】

あか つかず。
きよ からず。

汚くもなく、綺麗でもない。

あの時の ラーメン屋の 椀も
ガンジス川の 水も

見る人によれば、
●綺麗で 聖なる もの

見る人に よれば
●不衛生で 口にすら含めない。

川や 椀は 同じなのに
汚くもあり、 聖なるものでもある。

これを 実態のない 【空】という。

となりの おじさんの 食べ残しは 汚くても
孫の 食べ残しは 美味しいものね。

人間とは 不思議な 動物だ。
合掌

【目にはいるもの 入るものが 欲しくなる】

テレビで 美人女優が 付き合っていた男優と
破局を 迎えたとこを 報道した。

さえない 男どもが 口角 泡を飛ばしながら
ああだ こうだと 議論する。

『突然、ゴミを 屑籠にいれるように
一方的に 別れを 宣言したらしい』

『別れた 原因は なんだ? 』

『新しい 恋人が 出来たみたいだ』

『かわいそうに。
でも、三下り半を受けた方も
略奪婚 だったのだろう ? 』

『彼は 彼女と一緒に住むんだと
新しい マンションまで 購入したんだ。

毎月、莫大な返済金を払っているようだ』

『まるで 子供が 駄々をこねて
欲しかった オモチャを買ってもらい

はっと 横をみれば、もっと好きな
玩具が 目についた。

子供は せっかく買ってもらった
玩具を 放りだし 新しい方に飛びついた。

そんな 感じだな』

私たちも 同じことである。
あれが 欲しい、これも欲しい。

せっかく 手にした 途端に
目移りして 何の価値も持たなくなる。

般若心経【無眼】

物を 目で見て 浮かぶ 感情や考え方は
虚ろなもので 絶対ではない。

【空】とは 私たちの 心は
その時 その時の 情勢 環境 感情で
クルクル かわる。
そのような事を いう。

【欲望】と【執着】が彼方此方で
顔を出す。

人の 気持ちとは
そんな虚ろなものだから

軽く 受け取って 軽く 流す。

『絶対に あれも 欲しいのだ』と、執着すると
私たちは 【苦しみ】を 覚える。

『欲しいけれど、また 先には
性能も良いし、安くも なっているだろうから
今回は、我慢をしておこう』

と、流したら どんなに楽だろう。

あの 美人女優は 次は 何に執着するのだろう?
合掌

【1通 の ハガキ】

お寺さんと いったら 大寺 小寺、関係なく

全員が 【一国一城の主】であって
その関係たるや なかなか 難しい。

ジジも 学校を卒業して 島に 帰ってきた途端、
多くの 意地悪に あった。

今なら 笑い飛ばせるような事が
若気の至りとでも 云おうか、

今、
相手が 真横に いるわけでも無いのに
怒りと 悲しみが こみ上げてくる。

それは 記憶の中に 刻み込まれているのだ。
『あの日、あの時は、この様に 言われた』
『あの人と、この人は このような虐めをした』

悔しくて 悔しくて 仕方が無い。
しかし、その犯人は《思い込み》なのだ。

【小豆島大観音】も
盛大な落慶法要と共に開山をし、
多くの 参拝で 忙しい。

そんな中、1通の ハガキが きた。

お寺さんから だった。
その方は、ジジよりも ふた回りも年上だ。

父親ぐらい 年の離れた その方から
長い間 虐められた。

ハガキを 受け取った途端 血の気が引き、
昔の 悪夢が 蘇ってきた。

『あんなに事も された』
『こんな 事も あった』

心の中は 【苦しみ】に変わる。

ところが そのハガキの 内容だ。

『君とは 長年 色んなことで 対立をしてきた。
しかし、私もよる年波には 勝てず
80歳を こした。

いつ、お迎えがくるかも 分からないが
(君と やり合っていた) あの頃が 懐かしい』

『エッ ? 』

もう 1度 読み返してみた。
不思議な もんだ。

一瞬にして 我が 苦しみも 無くなり
積年の わだかまりも 何処かに消えた。

般若心経【無識】

過去の 思い込みは 空っぽの 箱のようだ。
自分自身が 相手の言った 悪口を
自分の 心の中に 閉じ込めておいて

勝手に 嘆き悲しんで いるだけだ。

1通の ハガキで
長い間 わだかまっていた事が
霧が 晴れるがごとく、霧散してしまう。

『よく考えてみれば、あの老僧、
いい人だったな』

人間の 心なんか、そんな ものである。
永遠の 【怒り】【法悦】はない。

心の中の 感情なんて 直ぐに 変化する。

【言いたい人には、好きなだけ 言わせておけ】

馬耳東風を 決め込むのが 良いのかもしれない。

その お寺さんは、その後 亡くなった。
合掌

【物事を 起こすときは 一呼吸 おいてから】

『うわーっ あいつ きれてしまいおった。
あいつが 切れたら、何をするか わからんで』

友人が 自分の心の 制御が出来なかったとき
その友人は まるで 英雄を見ているように いう。

【きれる…】
人との 言葉や態度の すれ違いで
自分の 思いどうりに ならなかったとき

感情の 高ぶりで【怒り】を
理性で抑えられなく なる 状態を いう。

【堪忍袋の 尾が きれた】

自分が 自分を 抑える 力が なくなり
思いつくまま 衝動的に 走る

その辺の 牛馬と なんら 変わりない。

般若心経【無行】

[無]何度も 出てくるね。
何だったかな?

そう、〈こだわるな〉だったね。
そんな こと、あり得ない。
希望 できない。

[受]で 物を 発見、[想]で それが何かを 考え
[行]で 愈々 行動に 移すのだ。

【無行】
拘りながら 行動に 移すな。

よくよく 考えて その後に
行動に 移さなければ
それが 自分の 思いどうりに ならなかった時、

心は 【きれる】て しまわなければ ならない。

結婚式等で よく 話をする。

意見が 対立したときに
すぐに 切って返すのでなく
飲み込みなさい。

1日 経って お互いの心が 落ち着いた所で
〔自分が 昨日の気持ちが 失せていえれば
それでよし)
どうしても、気になるのだったら

『昨日の 話ね…』と、切り出してみればいい。

『えっ なんの こと? 』
『なんだ、そんなこと どうでも良いよ』

と、落ち着くのが 関の山である。

私たちは くだらんことで
角を突き合わせることがおおい。

私たちの 心の 中には、鬼が 2匹 いる。

1匹は 意見が 対立すれば、
直ぐに怒りを むき出しにして
なにもかも 台無しにしてしまう鬼。

もう1匹は 直ぐには 行動しないで
熟慮したのち 始めて行動に移し

私たちに しあわせを 与える鬼。

その 両方の 鬼を 私たちは、飼っているのだ。

『なす堪忍は 誰も する。
なさぬ 堪忍、それが 真の 堪忍よ』と、

清水次郎長も 森の石松に 言っている。

どうせ、思いどうりには いかない人生。
与えられた 環境の中で
全ての 縁を 有難く 受け止め

【あるがまま】に、
立ち止まりながら、喜んで生きる。

最高だね。
合掌

【人事を尽くして天命を待つ】

『宝くじで 16億円 当たった人が いるそうだ』

友人が 口から 泡を飛ばして いう。

『ああ、知っている。讃岐の人でしょう? 』

『神さんも 1人に 巨額な配当金を出さないで
僕のように 生活に困っている人に
少しずつ 分けてくれれば 良いのに』

『莫大な お金が手にはいる可能性を求めて
皆さん、投資をするんでしょう ? 』

『僕なら そんなに 沢山は いらない。
16億円 当たったら 寺に 10億円 寄付するよ』

絶対に当たらない。
大金は 手に入らないことを前提に
私たちは、ああだ こうだと 口角を飛ばす。

人生とは そんなもので
自分の 思いどうり生きられる人生なんて
何処にも ない。

●会社を 益々、隆盛にし
全員の 社員と 和気藹々と やって行きたい。

●成績は なにごとも
全てにおいて1番を とりたい。

●異性に よく 思われたい。

【無想】

[無]はこの前に 勉強したね。
物の ある無し ではなく [無]のところに
《こだわるな》を当てはめてみれば いい。

[想]も 勉強したね。
対象の 姿を 心の中で思い浮かべる表意だ。

カゴの中に
大好きなフルーツが一杯 並んでいる。
バナナ、リンコ、メロン、スイカ…。

それを 先ず 発見をする。

そして 発見したフルーツを
1つ1つ バナナは このような形をしていて
それを 頂くには 皮を こう 剥いて
味は こんな 味で…。

考え出すと 次から次へと湧いてきて
とどまるところを 知らない。

[想]とは その次の 手に取るか 取らざるか
行動に 移すまでの 心の 事をいう。

般若心経 【無想】では
それを思う事に こだわるなと、教える。

食べたい 食べたいと、ヨダレを出していても
腐っているかも しれない。

横に いる人が 同じものを 欲しがって
いるかもしれない。

何が 起ころうと
思いどうりに ならなかった時に
苦悩を 味わないように

『ガツガツ しないで なすがままに』。

と、いって
『なるようにしか ならないのだったら
努力しなくても どうでも いいや』
では なく

【人事を尽くして天命を待つ】

力の あらん限りを 尽くし 切磋琢磨して
後は 静かに 天命に 任せる。

結果次第で 悲嘆にくれ
絶望的に なるのでは なくて

心を リセットして 次の 方策を考えなさい。

どうせ、世の中は 思いどうりには
いかないのだから。

寺で 始めての 朝顔が 咲いた。
合掌

【ホタル】

130618-1IMG_1168.jpg

『ジジ 蛍狩りに いこう』

孫たちに連れられて 見に行くことになった。

兵庫県芦屋市は 有馬温泉 山麓を源に
芦屋川という 1本の川があり
瀬戸の海に 注いでいる。

川と 海との合流点では 貝がいて
休みの日なんかは 大勢の人が
潮干狩りを 楽しんでいる。

牛に引かれて 善光寺参りをしたところは
芦屋川のずっと 上流だ。

『アッ ホタルだ ー』

山川草木 全て清らかな その場所から見る
ホタルの 光は 何とも幽玄で 美しい。

『アッ ! あそこにも 飛んでいる』
『向こう岸にも いる』

目を凝らしてみると あたり全体がホタルの光、
まるで 天国にさいた 満開の花のようだった。

『こんなに 美しい世界が まだ残って居たのだ』

身も心も 洗われた 気持ちで 家路につく。

ところが、ママのうちの 1人が
携帯電話を 落としたと 大騒ぎ。

ジジは 危ないからと 私を残しで
捜索隊を 繰り出した。

1時過ぎまで 探したが 空振りに終わったようだ。

朝に なると ジジの 出番だ。
爺さんが 川に行っているのを聞き
ろくろく 睡眠も取ってないだろうに
みなさん、駆けつけてくれた。

その日が 日曜日もあって
まだ薄暗いあいだから 人の 往来が激しい。

1人の 登山者が 何でもない顔で
ポイと ゴミを 川に投げ込んだ。

『エッ ? 』

ゴミが 落ちてゆく 方向を凝視すると
辺り 一辺、ゴミの山。

あちこちに ホタルの死骸が 散乱している。

昨夜の 身も心も 洗われた感激は
一体 何だったのだろう ?

【無受】

[無]
物が ないという 意味では ない。
『こだわるな よ』と、考えればいい。
般若心経で [無]が出てきたら、
こだわるな を当てはめてみれば

意味が 分かりやすく なるだろう。

[受]
それぞれの 受ける 感じの事をいう。

[無受]
その時、その時、同じものを見て
私たちの 感じ方も 変わってくる。

肉体や 感じたりする 精神と言った
形あるものは 最終的には、
[無]に なるのだから

物事を 『あれだ』『これだ』と、
決めつけることは 良くない。

世の中、みんな いい加減なのだから
いちいち 拘って いては いけないよ。

般若心経 【無受】のなかで
釈迦は 私たちに そのように 教える。

芦屋川という 川は 有馬温泉 山麓を
源として とうとうと 瀬戸の海に
注いでいる 1本の川だ。

その 同じ川が 昨夜見た 川と
今朝見た 川は こんなにも 違うのだ。

人間の 見た目、受けた心、感じ方も
虚ろなもので 全て 変わってゆくのだ。

後から 聞いた話では
捜索隊が 解散した 後、
パパが 仕事から 帰ってきて

出勤まで 暗闇の中を 探したそうだ。

みんなに 思われて 可愛がられて
しあわせ だね。
合掌

【損得なしの 友情】

『あなた !早く 早く 』

久しぶりに 寺に帰ってきて
孫たちや 友人から頂いた手紙に
目を通していた 時だ。

【法主 お元気ですか?
誕生日 おめでとうございます。
また あそびに 行きます
ゆうき 】

【ジジ お誕生日 おめでとう。
身体に 気をつけて
また おもちゃを 買ってね 】

ゆうきくんは、学校で 怪我をしている。
本人よりも ママの方が 泣いたそうだ。

孫の お手紙は 「身体に気をつけてけて」
までは、涙ものだったが
後半の文章は ありゃりゃ だった。

2歳に なったばかりの 孫は
花と一緒に お手紙を手渡して くれた。

そんな時に 家内が 大慌てで飛んできた。

『えっ どなた ? 』

『いいから いいから。
あなたの 大好きな 方よ 』

本当に ジジの大好きな 大好きな方が
娘さんと 2人で ジジの前に 座る。

『ジジさん、お誕生日 おめでとう』

ケーキの お店をしている その方は
金毘羅さんや 善通寺の近くの
多度津という町から

わざわざ 何時間もかけて
ケーキを 持ってきて くださったのだ。

感涙に咽ぶ という言葉があるが
本当に 涙が こぼれ落ちそうに なった。

般若心経の中に 【無色】という言葉がある。

【無】
物や お金、そんな物体が 【ある】【ない】
という意味でなく

その【ある】【ない】に執着しない事をいう。

【色】
私たちの 身体をはじめ 形ある物体
全ての ことをいう。

つまり 私たちの 心が 執着心を持たない事だ。

小鳥が 山や谷で 無心に 囀っているように
川の 水が 淀みなく滔々とながれているように

だれが 見ていようが いまいが
一切の 損得感情 抜きで
自分自身が 清浄たる 振る舞いをする。

それが お観音さんの【慈悲】と【布施】の心だ。

皆さんの 心が お祝いの言葉の 1つ1つが
お観音さんの お心と だぶって見えた。

滋賀県や 大阪からも 駆けつけてくれ
小豆島の 友人 共々、
夜中まで お祝いは つずいた。

本当に ジジは しあわせ者だ。
合掌j

【偉そうにするな。人は何とも思ってないのだから

ヨーロッパに 行く時は、北回りでいく。

中国 や 一度も足を踏み入れたことのない
広大な ロシアの 領土が 広がっている。

ゴビ砂漠、タクマラカン砂漠の横を
ヒマラヤや 天山山脈が そびえ

それを縫うように 敦煌 コルラ トルファン
リチャ ホータン等の 街が 点在する。

【シルクロード】
絹の道が ローマへと 続き、
トルコから 迂回するように インドに至る。

『玄奘三蔵が 孫悟空を連れて 通ったんだなあ』

景色の美しさに うっとりしながら
見下ろす。

眼下の 景色は 変わらす
延々と 目を楽しませてくれくれる。

この 下で 戦争が起こったり
殺人が あったり、夫婦喧嘩が あったり
犬が 片足をあげて 小便をしたり…。

喜びや 悲しみの中で みんなが
アクセクと 生活をしていることなど
つゆ 知らず。

閑話休題
ジジの 娘婿の 身長は 188センチ ある。
ちょっと 大袈裟にいえば 2メートルだ。

身長といえば、
孫を連れて京都の デパートに行った時だ。

生まれて この方 1人だけ
赤の 他人に 身長を聞いたことがある。

衝立の 向こうに 頭と 身体が 見える。

『ああ、台の上に のって、
従業員が 仕事をしているんだろう』

そう思って 気にも止めなかった。
ところが、どうだ。

台の上に 上がっているのではなく
両足は フロアに くっ付いているのだ。

目を剥いて 身長を聞いた。
『2メートル 20センチ だとか 言った』

機内から 見下ろす この長閑な光景は
身長をみて 目を剝いた 大男も
娘婿も 見えないのだ。

全体からみれば、大きかったり小さかったり
増えたり、減ったりすることは
ないのだ。

【不増不減】
ものが 変化して見えるのは
私たちの 損得 感情だけ。

人間の 感情なんて 如何に小さいか。

何の 変化もしていないようにしか見えない所で
威張ってみたり、人を 見下げたり
傲慢に なったり、
怒ったり 泣いたりしているのだ。

これも 全て 自分の 考え方1つで
嬉しくも 楽しくも なるのだ。

クジャクのように 両羽を 精一杯 広げ
どんなに 自分を 大きく見せても
見ている方は、
なんとも 思ってないのだから。
合掌

【今日は 月の真ん中、日の真ん中】

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きょうは 空海の 誕生日だ。
私たちの弘法大師ゆかりの寺は 【誕生会】を、
高野山では 盛大に【青葉祭】が催された。

ご存じなように 6月 15日 讃岐の国で
お生まれになった。

よくみて。
6月 16日とは
月の真ん中、日の真ん中 だ。

【中道 を 進め】

空海は 身を持って 私たちに 教える。

子供の頃、よく こんな 遊びをした。

『あなたの顔は たぬき顔か ?
きつね 顔か?

世の中には この 2種類しかなく
たぬきか きつね どちらか 言ってくれ』

『わたしは どちらかというと
タヌキかな ? 』

『俺は キツネ顔だな』

二者択一 で それ以外、選択肢がないのだ。

だが、空海は このように言う。

相互作用する 2つの 物体は
1つでは ないし、2つでも ない。
このような 考え方は 『1つ』『2つ』と
どちらの 作用にも偏らないので

【中道】という。

筏が 川を 流れて いる。
しかし、右岸に 流れ着くでもなく
反対の 岸に 流れ着くでもない。

両岸に 打ち上げられなかったら
いずれかは 大河に 到達する。

右が いいとか 左が いいとか
それに 固執したら
辿り着かなかった時、

物凄い 苦しみと 悲しみを 生じる。

煩悩の 火を消して 中道を いけ。

左右 惑わされないで 正道をあるけば
苦しみから 抜け出して

楽を 与えて くれる。

目的に はやらず
結果に はやらず

涅槃静寂の 生活をすれば
欲望という名の 電車は遠のき

1歩 1歩を 快楽の ひと時として
楽しむものである。

【わたしは、流れ行くまま
時を 楽しみ 中道を あるく】

確かに いつも 1番を 取りたいと思ったり
人のあとから 着いて行くようだったら

悔し涙に かきくれるだろう。

真ん中が 良いんだよ。
真ん中が。


ちなみに、ジジは 余りにも 恐れおおく
1日 遅れて
6月 16日に 産声を あげた。
合掌

【どうでも いいような事は どちらも 良いね】

子供達が ジジの誕生祝いを してくれた。

少し 早いのだが 当日は、
友人が お祝いをして呉れるので 今日になった。

孫たちが 少々 騒いでも 迷惑がかからないように
レストランの一室を 仮切って 頂いた。

先日、小学生になった孫が
大人の 仲間入りを して
大人しか入れないレストランに 参加した。

人に 迷惑がかかるので 大声で話してはいけない。
テーブルマナーは 粛々と しなくてはならない。

食事は 一度に出てくるのでなく
1品 1品出てくる。

緊張のあまり、とうとう 鼻血を出してしまった。

今日は 子供たちで 十二分に
リラックスして ジジの 祝いができる。

答えは 分かっているが、聞いてみた。
全くの 愚問だ。

『この前の 高級レストランとどちらが いい?】

【是故空中】

五蘊は 【無】である。
以前 勉強したように 生まれもせず 滅しもせず
大きくも 小さくも 綺麗でも、汚くもない。

これ故、空の中の 形あるものは
全ての【無】である。

子供が プレゼントをねだり パパが
リボンのついた 可愛い箱を 買ってきて
大喜びで 蓋を開けてみると、それは空だった。

そんな 感じだ。

ジジの 愚問は 店の 是非の 対比だが

人間は 自分の 意見を 通うそうと(主義主張)
対立する ものを無理矢理に
押さえ込もうと する。

互いに 蟠りで ギクシャクする。

しかし、それも結局は 【無】なのだから

あまり神経質に ならず
傲慢にならず、卑下もせず、

なすように それを受け入れれば
蟠りも 自然と 打ち解ける。

【ここ 1番 】
絶対に 譲れない ものは 別として
どちらに ころんでも大差の ない事は
柔軟な 生き方をしなさい。

どちらでも…、いや
どちらも 良いやん。

般若心経 【是故空中】で 釈迦は
そのように 私たちに 教える。

『ジジ、この前に 連れて行って貰った
レストランは 色んな意味で勉強になった。

しかし、今日の レストランは
ジジや みんなと ワイワイ言いながら
食事 できるので 楽しい。

答えは どちらのお店も 大好き ! 』

『ごめいさん ! 』

『お釈迦さんは、それを言っているのだよ。

あの人が 好き。
この人 嫌い。

このレストラン 好き。
嫌い。

そんな事は 全部、自分の考え方1つで
変わって いくよ』

素晴らしい、誕生会だった。
家族の皆さん ありがとう。
合掌

【執着心を 手放したとき、しあわせが飛び込んでくる】

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信者さんより ラジコン自動車を 頂いた。

『住職の子供さんは、何才になりましたか?
うちの 孫と そう変わらなかったと 思うが』

『はい、この 4日で 満 2歳に なりました』

『うちの 孫よりも、少し 小さかったですな。
誕生日のプレゼントを あげましょう。

孫も 大喜びで 走らせて いますよ』

頂いたのが 如何にも高そうな 高級車だ。
ところが、それを 2つも くださったのだ。

1つだったら すんなりと住職のところに
いっただろう。

ところが、伏兵が いたのだ。
従姉妹である 小学生や 幼稚園、
2家族が 欲しいのだ。

挙げ句の果てが 住職に 住職の姉と妹に
回しても良いだろうか?
住職の子供には まだちょっと早いようだが』
と、相談した。

『いいですよ。
お姉ちゃんと 妹の方に 回してもください。
子供でなく、私が 欲しいところですが…』

ケロリと 1口返事で 了承してくれた。

ジジが ホッと 安堵の息を吐いたのを
みなさんは、気ずいてくれただろうか?


【色即是空】の話を しようね。
愈々、般若心経の 真髄だ。

【縁起の 思想】ここ何回か 勉強したね。

何事も 【原因】と【結果】で成り立っている。
私たちが 目にし、触れている【水】を考えよう。

雨が 地上に 降れば 川になる。
川の水は 流れ流れて 海に つながる。
海の 水は蒸発し 雲にんり、また雨になる。

雨は 川の 【因】であり、海の【果】である。
そのことを 【縁起】というね。

このように【水】1つ 考えても

あるときは、雨
あるときは、川
あるときは、海

常に変化しており
固定的なもの(変化しないもの) は
なに1つ ない。

このように、実体のないことを【空】という。

そして、水を 認知する 私たちの心も
また 【空】である。

喉が からからに 渇いたときの 美味しい水。

恋人と 2人きりで ボートにのっている
湖の なんとも美しい 水。

タイタニックが 沈むような 怒り狂った
真黒な 恐ろしくみえる 水。

認知される 水だけでなく、
認知する側の 私たちの 心も

また【空】である。

さまざまな【因】原因の積み重ねで
【果】結果として 一時的な姿を持っているのだ。

そもそも 自分の基準や 自分自身すら
【空】であるのに

どうして 私たちは物事に 【執着】するのだろう。

『好き』『嫌い』
なんかの執着心は
ただの【煩悩】に すぎない。

その【執着心】を捨てたとき、
私たちは 即、《しあわせ》を 得られるんだよ。

色即是空は【般若心経】の中で
そのように 申している。

住職も 孫も ラジコン自動車への執着心は
一切なく

アンパンマンショベルを持って
大喜びをしている。

それが【しあわせ】と いうものではないだろうか?
合掌

【万がいつの時にも 慌てないで】

今日は【般若心経の 空不異色】だ。

6月に入り ジリジリ照りつける太陽を横目に
着物の 入れ替えをした。

僧衣は 勿論の事、この頃 あまり着なくなった
洋服も引っ張り出した。

『洋服、袖を通さなくなったね。
誰かに あげれば ? 』

『そうだね。
うわーっ こんなのを着ていたのか。
10年も 前の 着物だね』

そのとき そのときに 【因】と【縁】によって
私のものとして 手に入れた服だ。

ありとあらゆる 因縁と 自分の存在は
常に関係 しあっている。

今 着ている 服は 私の服で
10年前に 袖を通した服も わが服である。

しかし、10年前の 服は
今、必要な 服では なくなっている。
色も 趣味も そして 大きさ までも。

自分を 考えても
今の わたしは 私 であり
10年後の わたしは わたしである。

10年後の わたしは
明らかに 今の 私 とは 違う。

立場も 趣味も 体型も
そして、心 までもが…。

しかし、何年 経とうと
わたしが 他人に なることもなく
永遠に ( 死んだ後も) わたしは 私だ。

【空】は このように
世の中に 変わらないものは なに1つない。

いつかは 何もかも 全て 変わるのだ。

実は、このように、何も無い
虚ろな 幻のようなものを見たり作ったりして
私たちは、喜んだり、悲しんだりしているのだ。

【形あるものを 拠り所とする 虚しさを しる】

私たちが 拠り所としていた
財産や 会社、美貌、友人、異性、命
そして、人の心までもが
いつかは 移り変わる 虚しいもので
あるということを 知らねばならない。

虚ろなることを 認識できれば
【別れることは ない】【潰れる ことはない】
という 考えは なくなり

いつかは
【別れも ありうる】【倒産も ありうる】
ということが 理解できる。

ある日、突然 愛しい人との 別れがあっらり
会社の 経営に 行き詰る事が ある。

そんな時に、
どうしようかと 狼狽えたり 悲嘆にくれたり
後悔して 頭を抱えるのではなく

『いつの日か 別れるかも知れない』
『倒産の 危機に 瀕するかもしれない』

だから、別れないように
倒産しないように

日頃から 努力しなさい。

般若心経 【空不異色】のなかで
釈迦は そんな事を
私たちに 教えているのだ。

いらぬことを 言ってないで
ジジは 服の仕分け、仕分けっと ! 。
合掌

【どうして 心って 揺れ動くのだろう 】

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今日は 般若心経の 【色不異空】を勉強しよう。

色は 空に 異ならず (不異)。

形あるものは 全て さまざまな条件によって
今、私たちの 目の前にある。

いろんな条件 (縁) によって成り立っているのが
【物】だ。

それを 般若心経の【色】という。

色は 崩れること 変化することを 前提に
存在する。

【諸行無常】
世の中の 全ての 【色】は常に変化していて
変わらない ものはない.。

その 諸行無常の 逸話を 書いてみよう。

釈迦生存の 昔 (今を さること2500年 )
インドの須弥山の 近くに
レンゲ という名前の 絶世の美女 がいた。

それは、美しい。

ある日、レンゲは 釈迦の説法を 聞き
尼僧に なることを 決意する。

ところが、水が欲しくなり
水をいれる 水瓶を覗いてみると
それは それは 美しい 我が 顔が映った。

『こんなに 美しい顔。…
尼僧に なるなんて 馬鹿げている。
一生は 短い。
もっと 快楽に 浸らなくては』

その 姿をみて 釈迦は 大変 嘆いた。

あくる日に レンゲの横に
この世の人かと 思うくらいの
彼女よりも 数段 美しい 女性が現れた。

2人は すぐに 意気投合し
1000年来の 知己 のごとく
よく 遊び、よく話した。

就寝まで 共にした。

ところが ……だ。

その少女は みるみるうちに 腐りはじめ、
皮は 剥がれ、髪は 抜け、目は窪み、
歯は 抜け落ち、臭気 漂い、うじ虫 わき

やがては 遺骨だけに なった。

『なんと… いくら 美しくても
死ねば この 通りなんだ。

美人だ、金持ちだのと いうことは
仮の姿 だったのだ』

レンゲは その 朝、入信した。

物事に 拘っては いけない。
喜ばせて いるのも
苦しめているのも

実体の ない ものが いつか
変わりゆくものだから

そんな事に 囚われては いけない。

各々の 心の持ちかたで
その 喜びも 、悲しみも、苦しみも

変わるのだから。

そして どうせ 変わる心なら
いい方向に いい方向に 考えよう。

【般若心経 色不異空】は
そのように 言っているのだ。
合掌

【今でも お父さん お母さん 愛してる? 】

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【全世界 仏教徒の平和としあわせの為に】

昭和60年 11月 3日 4日、
当時のジャワヤナルデ大統領から
【大本山 小豆島大観音】に
スリランカ国の宝である 【仏歯】を頂いた。

舎利弗の 勉強がしたかったが 関連もあるので
【舎利】の 話をしよう。

ジジの寺には 【両墓】といって
ご遺体は 海辺の砂浜に埋め、
寺の下に 遺体のない 墓だけをたてたものだ。

今を去ること 2500年、
釈迦の 時代にも 精神と共に、
遺体を 重要視する 風習があった。

釈迦は インドのクシナガラという地で
行年 80歳を 一期として この世を 去った。

荼毘に付された 釈迦の遺骨は 8つの国、
灰は3つの国、計、11の国に 分骨され

その上に 仏塔をたてて 供養した。

現在、私たちが 何気なしに
寺で 書いてもらって 墓にたてる
卒塔婆は スツーパーといって仏塔なのだ。

なんで、分骨までして 骨を 持ちかえり
その上に 舎利塔まで たてたのだろう。

これが 般若心経の【空】なんだろうね。

私たちは 永遠に 死にたくない。
年も とりたくない。

そして いつまでも いつまでも
愛する人と 別れたくない。
( この 苦を 愛別離苦という)

おとうさん、おかあさん、
おじいさん、おばあさん、

そして、愛しい 我が妻。

しかし、無常の 風が吹き
やがて 天国に 召される。

両手で かばっても、覆いをしても
私たちの悲しみを 分かっていながら
すり抜けて お浄土に行ってしまう。

荼毘に付された 遺骨を 泣きの涙で
1粒 残さず 灰まで 取ってしまう。

その 心だね。

釈迦には 永遠に 生き続けて
苦しみを払い 楽を与え
衆生を済度してもらいたい。
(助けて 欲しい)

《釈迦の この 1粒の舎利 で》

『舎利とは どんなものだ。見せてみろ』
と、暴言を はく人がいる。

そんな 他人の話をしただけで
スリランカ、仏歯寺の管長猊下に
カンカンに 叱られたことが ある。

『あなたは 本当に 僧侶 なのか ?

人の目に 晒した 【仏舎利】は
その時点で、既に 【物】であって

信仰の 対象ではない』

『信仰 といったら、
心から 手を合わせて お祈りをすることだ。

仏舎利 然り。
あなたの お父さんの 舎利 然り。
おじいさんの シャリ 然り』

真に 仏を信じ 父母を 愛し
祖父を 尊敬する心が あるならば
舎利の 前で

恥ずかしがらず、人目を気にせず、
シャイに ならず

至心に 手を合わすことが出来る はずだ。

『お父ちゃん 助けてくれ』
『お母 ちゃん、苦しいんだ』と。

【舎利】とは そんなに有難いものである。

そして【舎利弗】とは釈迦の 十大弟子の1人で
勿論、釈迦に匹敵するだけの
徳の高い 仏なのだ。

合掌

【幽霊の 正体見たり 枯れ尾花】

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人間の 心って おもしろいね。

ビクビクしていると 恐怖に感じ
それが【苦】になる。

【幽霊の正体見たり 枯れ尾花】

『夜道は 恐い 恐い』怯えながら歩いていると、
枯れ尾花でも柳の木でも
幽霊に 見えてしまう。

般若心経の中に 【度一切苦厄】が出てくる。

【度】は サンズイを 付ければ【渡】で
生死の苦海を 渡り、悟りの境地に入ることだ。

全ての 物は
実体のない 【空】だと いうことが 分かり
一切の 苦しみを 克服する事が できた。

さて、私たちの 苦しみや 災難は
何処から くるのだろう ?

1本の 包丁が ある。

私たちにとって 料理をする時に
無くてはならぬ 大切な物である。

ところが 料理をしていた時に 失敗して
深手を 負ってしまうと
『今度は もっと 大きな怪我をするのでは?』
有りもしない 可能性に 怯える。

実際に 刺された 人ならば なおさら
未来の 可能性に 震え

全ては 自分の 頭の中、心の中で
生み出された 【妄想】から くるものだ。

【空】
私たちは 実体のない 目に見えないものに
苦しんで居るのかもしれないしれない。

私たちの 思いのままに ならない事が
いっぱいある。

歳を 取りたくないし
病気に かかりたくないし
死にたくも ない。

諸行は 無常だね。

苦難に 見舞われ そんな事に一喜一憂し、
それに対して 不平不満を 言っても
どうしようもない。

心の 持ちようで お化けに見えた
枯れ尾花も 正常にみえ、

怖くおもった 包丁も
怖いどころか 感謝の気持ちまで うまれる。

そんな 小ちゃなことに 捉われるよりも
もっと もっと 心 躍る 楽しい事を考え

楽しい日暮らしを送るように 実行しなさい。

釈迦は 般若心経の 【度一切苦厄】で、
そのように 説かれているのだ。

合掌

【般若心経の 五蘊を 勉強して みよう】

昔は、ニゴニゴと 四合ぐらい
飲んでいた 頃が あった。

仏は それを許してくれず、
結局、膵臓を患って 飲めなくなった。

膵臓病を 患う ほんの少し前の 話だ。

5年の上も 経過しているのに
その人たちと会うと 必ず その話が出る。

1年に 一度、年末が 近づくと
寺に お弟子さんたちを集めて
総会を 兼ね 懇親会が ある。

宴会場には 大きな ダルマボトルが
用意されてあった。

『あの人には いい物は 飲ませるな。
なんも 分からんと グイグイ飲んでしまうから』

その結果が ダルマボトル だ。

『あった あった。ダルマだ。
えっーと いつものように、氷を入れてから
原液を 注ぎ込む…。

…いつもは、水では 割らないが
最近、調子が悪いので、少し水をたそうっと』

『あれ? 少し 薄いかな ?
いやいや、先ほどのお水を入れたので
こんな ものかも しれん』

それを見ていた 弟子の 1人が 言う。
『ウラも 師僧と同じものを飲むだ』

同じように、グラスに 氷をいれ
その上に 原液を注ぎ、お水で割った。

『んー ? んー?
これは ウラには きかにゃーだ』

1口 呑んで 目を白黒させながら そう言う。

周りの 弟子達も 異変に きずく。
『私も 飲んでみよう』
『ワシにも 1杯 ! 』

それぞれが グラスに つぎはじめた。

『これは 水では ないのか ? 』
『そうだ、水だけだ ! 』

大騒動に なった。

元々、お水しか入ってなかった
ダルマボトルを 氷の上に注ぎ
その上に 水を足して 飲んでいるのだ。

もう既に 舌や 身体が 麻痺して
受け付けなかったのだろうね。

その 数日後に 発病した。

さて、【般若心経の 五蘊】だ。

皆も よく知っているように
【色】【受】【想】【行】【識】と
5つの 要素が 絡み合ってなりたっている。

【色】
ありとあらゆる 物質的存在を いう。
受想行識の 4つは 精神的作用を いう。

あの 大失敗の 話なら
ダルマボトルが 有りました ってところかな。

【受】
感覚知覚、感受作用を いう。

『あれ~ あそこに ボトルが あるそ』と、
認識する。
存在を 認めたのだ。

【想】
受で 受けたものを 心の中でイメージする。

『おおっ ボトルだ。
飲めば、いつものように 美味しいゾ。
今から 喉がなり ヨダレが たれそうだ』

【行】
イメージ したものを 行動に うつす。

つまり、喉を鳴らしながら
ゴクゴクと 飲むのだ。

【識】
行動に 移したことについて、
判断をする。

美味しかった。
まずかった。

楽しく 楽しめたかな?
量は 適量 だったのだろうか ?

私たちの苦しみの 原因は
生老病死をはじめとする【四苦八苦】だ。

身体は 諸行無常の道理に従って
必ず 変化して病気になり 死んで行く。

それに 抵抗しようと 心の苦しみが 起きる。

渇愛、嫉妬、憎悪、貪欲…
指を折っていると 枚挙に いとまない。

その 苦しみの 悩みは
受想行識 から 生まれる。

その全てが 本質のない 【仮の姿】なのだ。

水も アルコールだと 本気で思って飲むと
美味しいし、

なんだ、水だったのかと認識すると
急に 不味く 感じる。

昨日まで グイグイ 頂いていた アルコールが
今日からは、飲めなくなる。

現実も 私たちの 心も その時 その時
揺れ歩いて 変化する。
永遠に変化しないものなんか
なにひとつ 無いのだ。

その 心 【欲望を 捨てなさい】と
五蘊は 言っているのだ。
合掌

【物の 見方が クルリとかわる】

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『あの時の お茶碗、高かったのだろう?』

ふと 思い出した友人が ポツリと言った。
何十年も 前の話だから、最初 途惑った。
もう 旅立たれて 10年 迎えるが

骨董品、絵画、刀剣などに
大変 目利きの 総代さんが いた。

中国は 敦煌の莫高窟の見学に行った時、
村の人たちが 開いている 私的な市場で

白色の 薄汚い陶器を 500円で求めた。
あとで聞くと、
その陶器は 代々 皇帝が使っていたもので
非常に 値打ちの あるものだと 知った。

『地元の 住人が この陶器の良さを
知らなかったのでしょう。
100円の 値打ちのものを 100円で買うことは
誰でも 出来る』

骨董市場にも 何度か 連れて行って貰った。

勿論、総代のは、立派なもので
ジジのは、誰が見ても 安物だ。

安物と 分かっていたが
それでも、目利きの総代の推薦もあって
求めた物は 豪華な戦利品に 等しい。

得意満面、ホクホク顔で
帰りの フェリーに 乗り込んだ。

さて、船内では 戦利品の 品評会だ。
ああでもない、こうでもないと
有頂天になっている所で

一緒に船に 乗り合わせた ジジの友人がきた。

『汚い 茶碗だなー。 いくら ? 』

友人だから 単刀直入き聞くのは、
それでも良いのだが 総代が即座に返した。

『5万円 ! 』

『5万円? これが ??
3000円ぐらいかと 思った』

2人が 赤子を撫でるように見ていた
お茶碗を
片手で 目の上に 持ち上げたり
ひっくり返したりして 眺めた。

わたしと 総代とは その戦利品の 揺らぐ方向に
両手を あっちにやったり、こっちにやったり。

…隣近所で 見ていた人達には
面白い 光景だっただろうね。

片手で 持ち上げている 総代自慢の戦利品は
申告した 金額よりも、ずっと高価なのだ。

月日は 流れ、総代は天国に 召され
友人が 骨董品に 興味を持つ
歳に なってきた。

【識】
物を 見た時に 頭に浮かぶ 価値判断である。

『好い』『悪い』
『綺麗』『汚い』
『高い』『安い』

お茶碗は 何十年も 全く変わっていないが
年月が 経過した時の

友人の話だ価値判断である。

その時は『5万円でも高い。5000円ぐらいだ』と
思っていた物が 今では
それ相当の 値打ちのあるものに 見えている。

【空】には 実体は ないのだ。
あるときは、高く感じ
あるときは、安く感じる

あるときは、ブサイクだったものが
あるときは、可愛く 見えたりする。

【逆も 真なり】

大満足したり、悟ったり、諦めたりすること…。
それが【般若心経】空 なのだ。
合掌

【アクセクしないで ゆったり暮らそう】

五輪候補 最後の 1枠にレスリング、
野球 (ソフトボール) 、スカッシュが 残った。

『参加することに 意義が ある』と、申しても
出た以上、金メダルを取りたい。
0、01秒を 競うのだ。

全ての 選手が ありとあらゆる努力をし
運、不運もあり 僅か1握りの 選手が掴む
光栄だ。

そんな 特別の人達は 別として
釈迦は 『何事も ほどほどが 良い』
『あくせく しないで ユックリ暮らそう』

と、言っている。

『銀や 銅では 駄目だ。必ず 金をとれ』
『●●大学では 駄目だ。必ず 東大にはいれ』

叱咤激励されて その気になり
それに向かって 邁進する事も 好い事だ。

しかし、完璧主義者、
マルを取ることばかり目指す人生は
途中で 力尽きて
グッタリ してしまう ものだ。

『いい 点数をとろう。』
『1銭でも、沢山 預金しよう』
『人一倍 いい、演技をしよう』

この 1つ 1つが【欲望】なのだ。
そして 成就しなかったとき
それが【苦しみ】に変わる。

完璧を求める人は 結婚してからも
妻に 完璧を押し付ける。

ちょっとした ミスも 許せない。
視野の狭い 人は 破滅し 離婚をする。

程々の 勉強をして 友人を 多く作り
その友人と 生涯を通じて
影となり日向となりあって

助け合い、思い合いながら
よりそって 生活出来たら

自滅することなく
しあわせで 安穏な 日暮らしが出来る。

【行】
私たちの 生き方である。

張り詰めた 糸のように いつ切れるか
分からないような 毎日よりも

大らかで ゆったりした人生を
楽しみなさい。

ガツガツしている 私たちを見つめ
釈迦は そう 申しているのだ。

さあ、ジジも ひるね ひるね…。
合掌

【お食事の 味付けは 心でする】

『大きくなったら、一緒にいこうね』

小学校になった 孫が
小さい頃からの夢だった
本格的な イタリアンレストランに いった。

可愛いドレスに着替えると
自分で お洒落な ハンドバックを 持って
嬉しそうな 顔をして 出てきた。

薄明かりの 大人の照明とムードある 音楽に
緊張度は ドンドン増していく。

大人たちは 赤ワインを。
孫も ノンカクテル ドリンクをオーダーした。

いつも 頂く ラーメンや おうどんは
ドンと そのまま 一度に出てくるが

今夜は、時間をかけて1品ずつ 出てくる。
お箸つかい (フォークとナイフ)も
はじめての 経験だ。

ディナーも 終わり シェフがテーブルに
挨拶に きた。

『小学校と聞きまして
大変 心配していましたが
3時間、よく 頑張りましたね。

お料理は お口に あいましたか? 』

喜んで くれると思っていた
孫の 弁だ。
『大変 美味しかったけれど
緊張していたので、味を覚えていません』

シェフが 苦笑いしながら、去ったあとだ。
『今夜は ありがとう。
でも、妹と一緒に 大声で 覇者着ながら
カレーライスを食べる方が いいな』

こちらも 頭を描きながら、下がりたい
気持ちだったが、
それが 、孫の 本当の 気持ちだと 思う。

【想】
物を 味わったり、形を見たりするときに
頭に 思いうかべる 作用である。

【美味しい】【まずい】
【暗い】 【明るい】

師僧は いつも 申している。

【お食事の 味つけは 心でするものだ】

『不平不満で 癇癪をたてながら
ビフテキを 食べるより

気心がしれたものが お互いを思い合い
楽しく歓談しながら
お茶ずけを すすっている方が

余程 美味しいに 違いない』

『心が 貧しいものは 何を食べても
食事も貧しいし

心が 豊富な人は 何を頂いても
豪華な 食卓ですね』

帰りの 自動車の中で 母親が 孫に言った。

『大きくなって 緊張しないで
美味しい 味が分かるようになったら
また、こようね』

ジジも 背筋を伸ばして
心の そこから 『はい ! 』と いった。

合掌

【十人十色】

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1つの 事実があれば、
10人よれば 10通りの 違った考えがある。

国会論争も そうだ。
私なんかは 分からぬが憲法改正で
議論が 持ちあがっている。

友人同士で 素人談議だ。

『憲法改正といっても、
後ろには 9条がくっついて いるんだろう ? 』

『しかし、あれは占領軍である
マッカーサーに 押しつけられた 憲法だ。
60年も 70年も経つので独立国としての
憲法が 欲しいね』

『全く 必要ないね。
非核三原則も きっちり 謳っているし
戦争の放棄も となえている。
只、1つの被爆国として当然の憲法だ』

『自分の国と 国民ぐらいは
自国で 守れるような 憲法は必要だ。

北方領土、竹島、尖閣諸島なんか
軍隊の無い我国は
赤子の手を捻るようなものだ。

領海侵犯で 折角、逮捕した 船長を
ニコニコ手を降りながら、見送った事実なんか
どうみても、茶番劇だろう』

いつまで経っても 議論は 尽きない。
その 論者が 5人になれば、5
10人になれば、10

人の 考え方はそれぞれ 違う。

また 時間の 経過、物事の変化によって
同じ人の 考え方まで 変わるのだ。


【受】
物事を 見て【良かった】【悪かった】
【綺麗】【綺麗でない : 汚い】
ありとあらゆる
感ずるままの 心の 働きを いう。

【空】
人の 考え方は『うん、その通りだ】と、
10人が 10人、同じことに賛同して
手を上げることは 絶対にない。

オリンピックの 体操や スケート等、
色んな競技に 多勢の 審判がいて
その採点が別れるのが 際たるのもだ。

自分の 意見とは 全然違うといって
腹を立てないことだ。

違って 当り前なのだから。

人の 迷いも 心の動きによって
生ずるものであり
これを【空】して行くことが 大切だ。

もし、心の 動きを自由にコントロール
できるなら、

憎しみや 貪りを こえて

どんなに 素晴らしい人生を
送ることが できるだろう。
合掌

【夏草や つわもの共が 夢のあと】

諏訪は 高島城の前に 立つ。

【夏草や つわもの共が 夢の あと】
松尾芭蕉

芭蕉が 奥の細道にて 綴った 俳句だ。
栄耀栄華を誇った 頼朝も、討たれた義経も
加担した藤原一族も 誰もいない。

ただ 夏草が、ぺんぺん草が生えているだけだ。
諸行は 無常だなあ。

そして、その芭蕉も 既に 居ない。

この高島城も そうだ。
【諏訪の 浮き城】【日本三大湖城の 1つ】
一世風靡した この城も

諏訪氏と 日根野氏が 入れ替わり立ち替わり
権力闘争を繰り広げ 、
その両氏も 今や城の主で あらず
つわもの共が 夢のあとだ。

私達の 身体も 年齢も 自然も 宇宙も 時代も
そして 、心すら 万物が【色】であり

普遍なものは なに1つ ない。
変化しないものは 何も ないのだ。

空を 見上げると 雲が ある。

雲は なにも 無いところから生まれ (因縁)
大きく成長し、色を変え 形を変え
風に 流されて やがて消えてゆく。

また 縁によって新しい雲がうまれる。

【色】は単独に あるのでは無く
【因】と【縁】によって
周りのものと 繋がりの中から ある。

色とは この世に存在する
全ての 姿の あり方だ。

それが【空】であるとは
良いも 悪いも 本来は 無いのだから
【こだわるな】と言う 事だ。

【美しい】【汚い】
【多い】【少ない】
【高い】【低い】 等は

ただ、その時だけの 仮の姿である。
あの雲のように 直ぐに 変化してしまう。

ありゃ、学校に通っていたころ、
ドキドキしていた 同級生が
あんなに おばあさんに なっているぞ。
合掌

130604-1写真

『アッ おじさん ? おじさんでは ないの?』

もう10年よりも、もっと昔の話だ。
シンガポール行きの 飛行機の 中。

スリランカ大統領と お出会いするために
(現)住職である長男と 旅立ったのだ。

長女の同級生がスチュワーデス(客室乗務員)
として、勤務していたのだ。

『1週間後にはシンガポールに戻ってくるので
食事でも しましょう』と、いう事になった。

1週間は アッという間に過ぎ
2人は 朝の5時にはシンガポール空港に
降りたった。

チェックインは お昼からだし、
彼女と会うのは 夜だし、途方にくれた。

取りあえずヒルトンホテルにと場所を移し
お昼まで あっちに行ったり
こっちにきたりして 時間を過ごす。

その都度、警備員のおじさんに
子犬のように シッシと 追い払われた。
ジプシーのように見えたんだろうね。

お昼がきて ここに泊まる客だと分かり
手のひらを 返したように
和かに 応対してくれた。

待ちに待った 再会の 時間だ。

『おじさん、何が 食べたい ? 』

『久しぶりに 中華料理が食べたいな。
1週間 カレーばかりだったから』

ところが、中華料理店は一杯で
1時間 待ちだという。

『おじさん、何処かで 1時間 待つ?
別の お店に行く?』

中華料理店の横にある ワイン店に入って
時間を過ごすことに なった。

『おじさん、何を飲む ? 』

『あなたの 好きなので、良いですよ』
『アッ じゃー これ! 』

1時間は 夢のようにながれ
レジの前に 立つ。

『おじさん、5万円だって ! 』

『ご…5万円 だって ? 』

田舎の 僧侶は 思わず目を剥いた。
彼女は、何でもないように
笑顔を 絶やさない。

ホテルに 帰る 道すがら 長男が いう。

『お父さん、ワインで 5万円だったら
ホテル代金を うかそうと
警備員に 追い払われながら、
逃げまわることも なかったですのに』

これは 腹が立つのでなくて
田舎の もの知らずの僧侶が
途惑った 例だ。

以上のことは 実体である。

その 実体に対して、わたしは途惑った。
それは 私達の 心の持ち方によって

嬉しくも 悲しくも なる。

同じ 出来事に 心の持ちようで
あると来は 怒り、あると来は 笑う。

実体とは これは こうだと
決まっているものでなく
陽炎のように、 夢幻のように かわる。

『ありがたい』と 感謝の気持ちで捉えると
心が 安穏で静寂になり
しあわせな 心を つくる。

不平不満で 物事を 対処すると
貪瞋痴の三毒が 動きだし【苦】の原因となる。

あの時だって
『美味しいワインを 思いがけず頂けて、
娘の友人と むかし話をする事ができた』
と、喜び 感謝をすれな

戸惑うことなんか これっぽっちも
無かったのだ。

これを【皆空】という。

『これで 良かったのだ』の 1言で
心の悩みが 皆消えて
空っぽで 明らかにしなる。
合掌

【クヨクヨしていると 悪が 集まってくるゾ】

信州は 諏訪湖です。

信者さんとの 縁をもとめて諏訪湖の周りを
来たり、帰ったりしている。

道に迷い かなり予定より遅れてしまった。

5時過ぎに這々の体で 会社まで辿り着いた。

『無駄な時間を 費やしてしまった。
社長も奥さんも もう お帰りになって
会社には いらっしゃらないでしょうね』

社長の口から 会うのを楽しみにしていた
歯医者の先生が 93歳を一期として
永眠されたと 聞いた。

『今から 伺ってお線香の1本も供えたいが
この調子でいくと、7時にもなるね』
『丁度、お食事時に なりますね』

『でも、失礼を承知で お参りを
させて いただきましょう』

『予定が 2時間も 遅れた ばっかりに…』

ため息とともに、不平が 口にでる。

1つの 話を思い出した。
半世紀も 昔の友人の 話だ。

『むらがき、エライことになった。
結婚が ドタキャンに なった』

『ドタキャンって、すでに 会場を抑え、
案内状も出しているでしょう』

『あんな女、なんの未練もないけれど
皆さんには 迷惑をかけて申し訳ないし
ましてや、
破談になった事 自体が 恥ずかしい。

仲人の上司や 大勢の友人に
どのように話そうかと思うと頭が いたい』

数日して 彼は 言った。

『考え方を 変えたその時から
目から鱗が落ちた。

破断という事は 紛れもない事実だ。
それを 悔しいだの 恥ずかしいさの
結末を如何につけようか等 考えるから

不平は つのり、苦しみは烏合のごとく
集まってくる。【蘊】

こんな、大それた事を 堂々とやれるような
女性、生涯を共にしても
もっと もっと 大変な事が 起こっていただろう。

そうなるよりも先に 別れて 良かった。
ものは 考えよう、
取り方次第だよ』

負け惜しみで 言っているのではないない。
本心からの 【弁】だと直ぐにわかった。

【五蘊】
私たちが 生きている うちに
必ず やってくる 【四苦八苦】の 1つだ。

それは 川の流れのように その瞬間 瞬間
新しい事実が おこり
新しい感覚として 捉える。

あっちへいったり、こっちへいったり
留まるところを 知らない。

そこに【自我】が 彷彿する。

膨れ、泣き、悲しみ、怒り、嫉妬する。

しかし、よく考えてみると、
それ自体、実態が ない。

所詮【空】なのだ。

私たちの 心の持ちよう 1つで
苦しみは 増えたり、無くなったりする。

色んなものが 集まることを【蘊】という。
五蘊の【蘊】だね。

最終的には 社長夫婦とお出会い できたのも
歯医者の息子先生、孫先生に迎えられ

心からの供養が 出来たのも
2時間の 時間の ロスがあったからこそ と、
めでたし めでたしで 起承転結しようと
試みたが、

余りにも 文章が伸びたので
チョト変だけど この辺で 筆を おく。
合掌

プロフィール

子安観音寺

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