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【今日の お飲み物は コ~ヒ ? コウチャ ? 】

『コーヒー にする ? 紅茶にする ? 』

『そうですねえ、
朝、コーヒーを 頂いたから 紅茶にしようかな』

実は どちらでも 良いのだ。

『コーヒー ? 熱いの ? 冷たいの ? 』
『冷たいのを …』

実際に 飲みたくて
喫茶店にいったなら いざ知らず

つい、口がさみしくなった時の 話だ。

一度『どちらでも 良い』と 申したら
『せっかく いれるのに 好きな方を
言えば いいのに』と、叱られた。

それも 当然だ。

《両忘》という 言葉が ある。

私たちは 2つのものを
あれか これかと 迫られる事が 多々ある。

是か 非か ?
良いか 悪いか ?

綺麗か 汚いか ?
好きか 嫌いか ?

釈迦は そのことから離れなさいという。

【諸行無常】
全ての 物は 無常にも常に変化する。

綺麗なものが 醜くなったり
大嫌いなものが 好きになったり…。

般若心経の 【空】だね。

[無常を かんずる][自我を 離れる]

この事が たいして支障をきたさない限り
その事に 《こだわらない》ことだ。

あれか ? これか? の
価値判断から 解放され
曖昧模糊を そのまま 受け入れると

気持ちは ずっと楽になり
『まっ どちらでも いいか』と、いう
気持ちにもなる。

それが 心の平安で あり
そのことが しあわせなんだろうね。

今、家内と 2人で 重たい荷物を抱えている。

汗を 拭き吹き 家内が 言う。

『あなたが 持っている 大きな荷物と
私の ちっちゃな荷物、

一体 どちらが 重いんでしょうね』
合掌
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【苦しみは 過去に犯した 悪行の跳ね返りだ】

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『ああ、これで 今生のお別れか』

『言うことを きかなかった 酬いだな』

家内の 用事に くっ付いて
小豆島をでて 芦屋に ついた。

じいさん ばあさんが来たというので
子供や 孫たちが集まり
気をつかって くれる。

ところが 昨日の朝から 背中が痛み出した。
少し下の 腰まで いたい。

食欲もなく 大好きなアルコールも
全く 欲しくない。

ジジの 61の厄の時に 【晉山式】といって
今の 住職と 新旧の 交代をした。

なんと その3日 後に【膵炎を】発病したのだ。
前からと後ろから 鉄の塊で 押しつぶされる位

激痛が はしる。
膵液で 自分の臓器を 溶かして居るらしいのだ。

《即 入院》

退院の 時には院長先生から
【十善戒】ではないが
お諭しの言葉と共に、約束をした。

『金輪際、ただの 1滴も アルコールを
口にしないでください。

傷んだ 膵臓は 悪くなることはあっても
良くなる方向に 進む( 治る ) ことは
ありません。

よくて 現状維持です』

その時は、当然とも おもい
神妙に 聞いた。

何年か 経ってから 最初の 1杯の
梅酒は 美味しかった。

『ああ、この世の中に
こんな 美味しいものが 存在するんだ』

院長先生の お顔と お声と お言葉を
思い出しながら、恐る恐る 頂いた。

ところが……だ。

あまり 嫌いな 方ではない。

やれ
『この量は 全盛期の 10分の1にもいかない』

『今日は 誰それの 歓迎会だ』

『今日は なんかの 記念日だ』

言い訳をつけては 飲む機会が 増える。

そして 今回のこの 痛みだ。

『ああ しまった。
先生の お諭しの言葉を まもらなかった
酬いが きた。

最早、手遅れか ! 』

般若心経 【真実不虚】

般若心経は 嘘偽りのない 真実である。

私たちの 【苦しみ】の原因は
過去の 【業 : カルマ】悪い 行いの
報いとして 自身に 跳ね返ってくるものだ。

ジジの 場合は 飲めば 悪いのは分かっていながら
『これぐらいは 良いか』
『今日だけは 良いか』

と、怠惰を繰り返した 酬いが
とうとう やってきたのだ。

みなさんも 有るね。
悪いこととは 知りながら
これぐらいならと 自分自身を許してしまう事。

その つけが 積もり積もって
とうとう 取り替えしが つかない所までくる。

【真実不虚】はそれを 言っているのだ。

さて、自身も恥じ 反省もし
みんなに 脅されながら
病院の 門をくぐった ジジであったが…。

『膵臓は 綺麗だし、他の臓器も問題ありませんよ。
アミラーゼ( 膵臓の 是非の 数値) も
52 ( 38~136 の間が 正常) で問題ありません』

『あ…
ありがとうございます』

『仏さんの 言いつけを守らなかったから
仏さんが 怒られたんで しょうな。

なにか 重いものを 抱きませんでしたか? 』

『あ… 孫…』

散々 叱られて 頭をかきかき
病院を出た ジジであった。
合掌

【トイレの ノブに 掛かっている おじいちゃんの 紐】

『ジジ おしっこ 』

『はい はい』

この 誕生日で 3才になる 孫が 1人で
トイレに 行くように なった。

2才の 寺の孫も 負けては いない。

1人で トイレはできるのだが
残念ながら 自分のお尻が 便器に乗らないので
助太刀が 必要なのだ。

じつは 寺のトイレには 1本の紐が 掛かっている。
35年以上も 前の紐で かなりくたびれている。

今の 孫の パパや ママたちが
はじめて 1人でトイレが できるようになった時、

『怖がったら かわいそうだ』
と、義父が ノブに紐を 付けたのだ。

遷化してから、もう 何十年となるが
この紐は 只の 紐ではない。

義父と 孫とをつなぐ 大切な 【愛の 結晶】であり
この 1本の紐が 【おじいちゃん】そのものなのだ。

その 義父の【智慧】と【慈悲】は
悠久の 時の流れを経て

孫から ひ孫に 引き継がれようと している。

【阿耨多羅 三藐三菩提】

あのくたら さんみゃく さんぼだい

昔、変身をするときに テレビの 主人公が
呪文を唱えた フレーズは 記憶に あるだろう。

サンスクリット語 だ。

アヌッターラ
この上もなく、最高の、
サンミャク
誰もが 平等に
サンボーディ
悟り


私たちは 【悟り】を得るために
家や 家族や 財産を捨て

ただ、ひたすら 難行苦行をしなければ
ならないと 考える。

しかし、釈迦は

計らいを 捨て
分別を 捨て
生まれた ままの自分に 立ち返ることが出来たら

おのずから 【悟りは開ける】と 教える。

釈迦は 6年間の 難行苦行の すえ
疲れきった 心身で 尼蓮禅河にて沐浴していた所、

スジャータという 娘に 乳粥を飲ませてもらった。

『ああ、ありがたいことだ。

心身を 痛め 難行苦行をするだけでは
悟りの 境地に 達することは できない。

真理は 精神の素晴らしい 働きによってのみ
発見できる』と、その後、

諸転法輪を お開きになる。

6年間の苦行よりも、村娘からもらった
1杯の 乳粥のほうが 功徳があったという。

如何にして 仏の【智慧】と【慈悲】の心で
隣にいるひとに 優しい 慈眼を向けることが
できるか。

思い遣りの 心を持つことができるか。

それが【悟り】だという。

義父
【おじいちゃんの トイレの 紐】は
今でも 【紐】ではなく
【おじいちゃん そのもの】として

ノブに しっかりと 結びついている。
合掌

【偉大なる マントルは 私を しあわせに する】

たまたま その遍路団体と 船の中で会った。

『こんにちは。
お参り ごくろうさまでした』

『こんにちは。
今日は お宅に 寄れなくて 堪忍な 』

『いえいえ…』

1つの 船の中で
狭い 空間で 言葉は、それで 途切れた。

前の 団体長は ジジの寺に
記念碑まで 作っている人で
その団体と 寺とは 切ってもきれない
関係だった。

しかし ジジが 大失策を 犯した。

2~30年も 前だろうか ?
新 団体長が 小豆島で 緊急入院しているのを
ジジは 全く しらなかった。

退院後、新 団体長は 怒り狂った。

『お宅と うちの関係で 見舞いに来ぬとは
どういう ことだ。

しかも、小豆島で入院していたのに。
他の お寺さんは みんな きたよ』

当時の ジジは 言い訳をした。

『全く しらなかったのです。
知っていて 私が 見舞いに行かないはずが
ないでしょう』

先達の 怒りは 最高に達した。

それから その団体は 何をどうしても
寺に 寄り付かなく なった。

久々に 今日、出会った。
お互いに 歳をとった。

般若心経
【是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪』

●是大神呪
大きな 霊力を もった 言葉
[わたしは 最高だ]

●是大明呪
明らかなる 言葉
[わたしは 1番だ]

●是無上呪
この上もなく 大いなる さとりの 唱え言葉
[わたしは 特別 えらい]

●是無等等呪
他にも比類のない最高の唱え言葉
[わたしは 比べる相手が居ないぐらい偉い]

これらは 最高なる【智慧】で
偉大なる 真言で 優れた言葉だ。

それを 4回も 『わたしは 偉い]
『わたしは 比類見ない 最高の人だ という。

人間は 過去に 不幸と思っている出来事が
大きな 壁をつくり
わだかまりを つくる。

その 蟠りが 【智慧】の躍進を 妨げる。

『今回は ああしよう』
『それでも駄目なら こうしよう』

幾ら 心の中で 頭の中だけで
前進する 良い事を 考えても

心が 乱れ 否定しているため
否定的な 現実しか 引き寄せられない。

でも、せっかくの良き思いや
考えを もっているのだから
それを いかさなければ ならない。

そのためには、
大きな霊力や
他にも 比類見ない 最高の唱え言葉が

必要なのだ。

一心不乱に ただただ 真言を繰り返すのだ。

ジジの 無明の中に 霧が晴れ
『こんにちは』の次の言葉が 出てくるだろう。

云うは やすし
行うは 難し だね。

そう 思いつつ 、先達を前にして
とうとう その次の言葉が 出なかった。
合掌

【空海からの 贈り物】

いよいよ 【般若心経】も 佳境に入ってきた。

【故知 盤若波羅蜜多】

是大神呪 是大明呪
是無上呪 是無等等呪 …

【That 以下(是大神呪…)が
全て 般若の智慧である】
と、続く。

今まで 知ったことを 実践し
それが 我が 血肉となって
始めて 般若の智慧となる。

智慧が ありながら 分かっていながら
実践 することを しなかったら

それは 絵に描いた餅であり
それは 逃げであるに すぎない。

ここに あの 【弘法大師 空海】の
何よりも 大切な 弟子との別れを

如何にも 人間味 溢れる 【送る言葉】を
紹介しよう。

悲しみも 喜びも 人の死も 全ては 【空】。
全ては やがては 移りすぎる。

喜怒哀楽を 表に 表さない。
いや、心にも 思ったら 駄目だとの
教えの中で 空海は

弟子の 死を前にして 只々 泣いた。

空海の 姉の子供、
空海からすれば 甥にあたる【智泉】という
弟子が いた。

その 弟子 【智泉】が 空海に 任され
高野山 造営の 最中に 37歳の若さで
短い生涯を 閉じるのだ。

その 悲しみたるや 大変なものだった。

【諷誦文】といって 送る言葉を述べるのだが
それを 読み聞き しただけで
私たちも もらい泣きを する。

心静かに 聞いて みて。

【悲しいかな 悲しいかな
哀れが 中の 哀れなり
悲しみが 中の 悲しみ なり

哀しいかな 哀しいかな また 哀しい かな
悲しいかな 悲しいかな 重ねて 悲しいかな

私に 仕えて 24年、
寺に いる時も 山中で 修行するときも
光に 影が 寄り添うようにして

離れること なし

この世の 悲しみ 驚きは
全ては 迷いの 生みだす
幼さに 過ぎないことは よくよく 分かっている

それでも あなたとの 別れには
思いっきり 涙を 流さなければ いられません】

はためも 顧みず 悲しみを 露わにしたのだ。

その 10年後、空海 【入定 】の直前、
高野山にて 【万灯会】を開いた。

その願文も 私たちも 一切衆生の
しあわせのみを 説いている。

【心より お願い 申し上げます
その光の 偉大なる 力に よって

生きとし 生ける 全てのものを
苦しみから お救いください

宇宙が 存在し そして
生きとし生けるものが 有る限り

そして 救いが もたらされる 限り
私は 願い 続けます

空海からの 贈り物として】

凄いでしょう。

最期の 最期まで
自分の しあわせよりも
一切衆生の しあわせを 祈っているのだ。

私たちも そうだ。

思うだけでなく 生かされている 今、
実践をしなくては ならない。

世のために 人のために

合掌

【言葉の 力は 神仏をも うこかし 岩をも砕く】

水不足で 日本の水瓶が 干上がっている。

小豆島 寒霞渓 中腹に ジジの 寺の 1つ
【善女 竜王堂】がある。

今は その祈りは 無くなったが
ほんの 少し前までは

日照りが続き 水不足になると
村中 総出で 【竜王堂】に参籠し

昼夜を問わず 護摩をたき
ありったけの声を 張り上げ
声を 1つに 揃え

龍の神様に 雨を降らせていただくように
お願いを したのだ。

村人が お籠りをした【お籠り堂】が
今でも 名残として 残されている。

お坊さんの 合唱 ( 称名って言うんだけど)や
コーラス
オペラ、ミュージック

オーケストラ 等、
聞きに いって 聞いているうちに なぜか
感極まって 泣きたくなるような事って

経験したこと ない ?

【音魂 】 【言魂】

言葉や音に 宿ると 信じられている霊的な 力。

声に 発した言葉が 相手に
何らかの 影響を与えると 信じられており

好い事を 言うと、いいことが
悪いことを言うと、悪いことが起きると する。

柿本人麻呂も 万葉集に このように書いている。

《八十島の 大和の国は 言魂の 助く国ぞ
真幸く ありこそ》

我が国は 困った時には 【言魂】が救ってくれる。

《言葉の 力は 神仏をも 動かす 》

どんな 人たちでも 声を揃え
一心不乱に 念ずれば、思いは 通じる。

これに対して、私たちの 思いを
成就してくだざった 神仏に対して

感謝の気持ちを 表したのが 【お祭り】だ。

さて 【音魂】【言魂】だが
自分の 田圃にだけ 水を引くようなことを
考えて いるのならば

きっと、神仏も 願いは叶えて くれないだろう。

『みんなで みんなの 水瓶を
一杯に満たして いただこう』

『我が国が、そして、世界の全ての 人たちが
平等に しあわせに なるようにお祈りしよう』

この心がけが 1番 大切なのだね。

【御宝号】を唱えながら筆を おこう。

昭和59年 【空海 御遠忌 法要】の一環として
北大路欣也 主演の 映画 【空海】が上映された。

愈々 高野山 奥の院にて 空海が 入定する
シーンが ある。

1番弟子の 実恵が 悲しみの あまりに
光明真言を 微音で 唱えはじめる。

それが 2人になり 4人に なり
10人になり 100人になり

画面が かわると スクリーン一杯に
僧侶、そして 何千 何万という
善男子前女人が 手を合わせて

一心不乱に お唱えしている。

ジジは 思わず 泣いた。

1つに なった 数千 数万の 心は
いや【音魂】【言魂】は

大音響は
大地を 揺さぶり、岩をも 砕くようだ。
遠く 怒涛の音が 聞こえる。

『南無大師遍照金剛』
合掌

【満たされた 生活、癒された 生活】

2泊3日で 孫が 帰ってきた。

寺の 住職の娘と 孫、3人ずれでプールにきた。
突然の プールに 水着の 用意がなく
全てが 寺の孫の 借り物だった。

一緒に プールに行った方が ポツンといった。

『突然だけど、いい 墓参りができたね。
おじいちゃん おばあちゃん 喜んでいるよ。

でも お盆がすぎれば アッというまに
お正月だね。』

『何回か、暑いの 寒いのと 言いながら
短い 生涯を 終えるのですね』

『折角、短い生涯を 送るのならば
安穏 (あんのん ) な人生を 送りたいね』

プールでは 孫たちが 歓声をあげながら
泳いでいる。

が、水着が ないくらいだから
乗り物も 浮輪も ない。

しかも 乗り物は 1つしかない 。

どうするのか 興味深く みていた。
乗り物の 取り合いをした時に
どちらに 軍配を あげればいいのか ?

もともと 寺の孫の 乗り物だし
あなたの方が 年上なのだから
我慢しなさい。

もう十分 乗り物に乗って 遊んだでしょう ?
次は お姉ちゃんに かしてあげなさい。

『さて ? さて ? 』

その時だ。
『お姉ちゃん どーぞ 』

寺の孫が 乗り物から ポーンと 降りたのだ。

『エッ ? エッ ? 』

ジジは たじろいだ。

『ありがとう。
お姉ちゃんが 引っ張ってあげるから
あたた もう一度、のりなさい』

飛び降りた 孫を もう一度
乗り物に乗せて 繋いでいたロープで
ドンドン 引き出したのだ。

『お姉ちゃん、ありがとう ! 』

【安穏 : あんのん 】

自分自身が 心静かに 落ち着いていること。
暮らしに 大きな 変化がなく穏やかなこと。

満たされた 生活
癒された 生活

【即身成仏】

生きとし 生けるものが
その身 そのまま 仏になることを いう。

隣の人にも
自分が 自分を 愛するのと 同じように
愛せる 人間になる。

孫たちは あの時【生きたまま 仏になった】のだ。

『お姉ちゃん、どうそ』

『お姉ちゃんが 引っ張ってあげるから
もう一度、のりなさい』

お互いが お互いを
いたわり 思い合う心。
素晴らしい ね。

お互いが お互いに 満たされ
癒される 安穏の 日々。

1番 お粗末なのを 出せと言ったら
ジジ だ。

自分の 愚かさを 恥じながら
孫たちの 成長を

目を細めながら 見守る ジジであった。
合掌

【私たちの 究極の しあわせって なに? 】

なにが 私たちにとって1番 しあわせなのだろう。

10歳の 小学生が 見ず知らずの人間に
殴られて意識不明の重傷だ。

『友人を 殺した』
16歳の 少女が 警察に自首し
供述どおり捜索すると
変わり果てた 遺体を 発見した。

これらの 事は 大同小異あろうが、子供が
自分が希望する玩具が手に入らなかったとき

不平不満が爆発して 起こすのと同じだ。

『あれも欲しい これも欲しい』

ジジは 孫たちに 余分なオモチャは
極力 与えないように している。

般若心経【究竟涅槃】

[究竟]
無明の迷いを捨てて物事の最後に行きつく所。
[涅槃]
煩悩の 火を消して智慧の完成した
悟りの 境地。

一切の 悩みや 束縛から 脱した円満、安楽の 境地。

これが 常 日頃、私たちが 求めている
満たされた 生活 [密厳国土]と、いうのだろう。

【我れ 昔より 造るところの 諸々の悪業は
みな 無死の貪瞋痴による
身口意より 生ずところなり。

一切、我 みな 懺悔し たてまつる。
三毒の煩悩によって造った 罪科を 懺悔する】

●[貪]
貪欲。貪りの 欲望
●[瞋]
瞋恚。怒り、そねみの心
●[痴]
邪見。正しく 世の中の
道理を見ることができず まよう

【懺悔】ー【感謝】ー【しあわせ】

【傲慢】ー【不満】ー【ふしあわぜ】

きっと 10歳の 少女に手をかけた男性も
同い年の 友人を 殺した16歳の少女も

罪の 意識が 次第にうすれ
悪業に対して物事の鈍感になり

懺悔の心、反省の気持ちが
消え失せたのであろうね。

自分の 思い通りに ならない。
欲しい 欲しい 玩具が手に入らない。

イライラは 募り、不平不満が爆発する。

死の 尊厳さ 生の 大切さを 忘れて。

空海は 般若心経の 功徳を4つの書いた。

1) 心の わだかまりが なくなる

2) 恐怖心が なくなる

3) 正しい 道理を行うことができる

4) 最高の 悟りが 開けてくる

わたしたちも 常に 懺悔し
感謝の気持ちを 持ち

生かされている 今、
[済世利人]
困っているひとに
救いの手を 差し出そうでは ないか。

それが わたしたちの
最高の しあわせと いえるのだろう。

合掌

【懺悔する。それに対して 赦す。1番大切なことだ】

『うわ~ なんだ これは。
責任者を 呼べ 責任者を ! 』

1日の 疲れを癒すために たまたま入った
レストラン中に 怒号が 鳴り響いた。

何事かと 様子を伺っていると
どうも 運ばれてきた 食材に
なにか 異物が 入っていたらしい。

周りの 止めるのも 聴かずに
酔いも 加わって 真っ赤な顔で激怒している。

店長が 飛んできた。

『おかしい ですね、お客さま。
厨房では 何ともなかったのですが…』

『厨房から ここまで くる間に
羽根でも、生えて 飛んできたんか~!! 』

『あやまって ください』

あ、不味い 答弁だな と思った 矢先、

最初は止めていた 周りの人にまで
火に油を 注いでしまい収拾が つかなくなった。

【懺悔する】

自分が犯した 罪 咎を 心から反省し
神仏をはじめ、当人に許しをこい

心身の 煩悩 ( 貪瞋痴 の 三毒 ) から
解放を求めることだ。

ところが、不始末をおかした あと、
私たちは いかに自分を正当化しようか

どのように 言い訳をしようかと考える。

ここで この人に 誤ったら、
『私の 面子にかかわる』と思う人もいる。

そこで 『こめんね』と、
許しをこうてみれば どうだろう ?

特に 【怨憎会苦】
嫌いで 嫌いで 道端で バッタリ 出くわせて
しまっただけで、腹が立ち 心が乱れる人

そんな 人と お出会いした時、
こちらから
『あの時は あのことに 関して
申し訳のない ことでした』と、
詫びをいれてみれば どうだろう。

向こうも
『いや、わたしも感情的になっていて。
謝らなければ ならないと 思っていたところです』

膝を付き合わせて 話してみると、
案外に 好い人で

切ってもきれぬ 友人に なったりする。

《素直な心で 懺悔する》
《謝る》

それに 対して 《赦す》
この心が 人間として 1番 大切なのではなかろうか。

ニーチェの 【懺悔】を 紹介しながら
筆を おこう。

【他の人に 懺悔してしまうと
当人は 自己の 罪を 忘れてしまうが

たいてい 相手の人は それをわすれない】

合掌

【頭を剃って 欲を剃らず 衣を染めて 心を染めず】

小豆島霊場 【山ノ観音】は
キウリ加持祈祷の参拝者で 一杯だ。

団体長も 幹部も 団員も みなさんが
同じ 白装束に身を包み 只々 一心に祈る。

目を凝らしてみれば 日本の僧侶って
どうして それぞれ 衣の色が違うのだろう。

赤が あれば 青があり 黒があり…

『何色を 着けようが カラスの勝手でしょう?】
と、申しましても

その立場の人が 違った 衣を付けたり
その立場で ないひとが 違った衣を付ければ

『気が 狂ったのでは ないか 』と、
本気で 驚かれる。

衣だけではない。
履物、杖、色衣に至るまで 全てが違う。

ところが、どうだ ?

ジジは よく スリランカに お参りをさせて貰うが
当地では 菅長さんも 新発意 ( 新人の 方 ) も

同じ 衣を 付けている。

映画で見た 【ビルマの竪琴】でも
出てくる 僧侶は みな 同じだ。

空海は 今を去ること 1200年前に
脾臓法輪の中で このように 言われている。

【ただ、国家を 鎮押し 蔾元 (れいげん)を
利済するにあり 。

しかるに 今、あらゆる僧尼は

《頭 (こうべ) を剃って 欲を 剃らず
衣を 染めて 心を 染めず》 】

僧侶の 使命は 国家の 平安を祈り
多くの国民を 指導し 救済することだ。

しかし 残念なことに 多くの 僧尼は
みた目は 頭をそり 袈裟をつけ
出家沙門を装っているが

肝心の 我欲を 剃り落とさず
煌びやかに 衣を 染めて

心を 仏の教えに 染めていない。

当時の 僧侶階級を 痛烈に批判している。

実際、空海は 天皇陛下が くださった
僧侶 僧階を 返納し 衣も 私たちが
絵や 写真でみる あの桧皮色の 衣帯を

生涯の 着物と していた。

【弘法大師】の称号を
弟子の 観賢が 空海のために 頂戴したのも
空海、入定後 100年 後の 事で あった。

わたしたち 僧侶のに 限らず
みなさんが 自己本来の自分に生きずして

上司 高官に へつらい
栄華や権利を取ったり

名誉欲に 慢心し
外味は 立派でも、中身の 薄っぺらな
人間に ならぬように

戒めて くれているのだ。

わたしたちも 袈裟の 色がどうだ
職場の 机の 位置や 大きさがどうのと
云々 申すよりは

もう一度 姿勢をただして 取り組まなければ
浄化も 教科も 教育も

空念仏に 終わるで あろう。
合掌

【真言な 不思議なり 感受すれば無明をのぞく】

ジジの兄弟子から 満願札が送られてきた。

【虚空蔵 求聞持法】といって
ジジを はじめ一般の僧侶でも
【行】じたことなない

大変な 法行を 満願したのだ。

寺や 辻の あちこちに
【光明真言陀羅尼100万遍 供養塔】
と書いている 石碑が 建っているのを
目に するね。

100満願陀羅尼を 朝から 夜中まで
100日間 かけて 真言を 誦すると

1日 1万遍 になる。

光明真言を はじめ 法事に唱える
13仏や 諸仏の種子や
般若心経の 1番 後半の ところが

【真言】だが そういえば
1日に 1万遍、真言を 誦し続けるとは
如何に 至難の技か 分かるだろう。

【求聞持法】は 空海も 土佐の国は
室戸岬にて その行を修したと
【三教指帰】に書かれてあったが

とにかく 大変な【行】で

ようこそ 満願 為さいましたと
心より 敬意を表する。

【真言】

真実で 嘘 偽りのない 言葉と書かれる。

私たちは、真言を唱えることで
自分の 気持ち、悩み、くるしみを

直接、仏さんに 聞きとどけてもらう。

一心不乱に 真言を 唱えることで
人生における 苦悩によって
真っ暗闇に 落ち込んでしまった人々を

闇から 救い出してくれる。

● 心で 仏を おもい
●手で 印を 結び
●口で 真言を 唱える

口で むつかしい お経をよむのが
【真言】ではない。

心地の よいた風の音や
小川の せせらぎの 音

セミの 鳴き声
長閑な 牛の 鳴き声の 1つ1つが

すなはち 真言なのだ。

引いては、泣き [おとうさん]
[おかあさん] の 御名を 呼び

すがりつくのも 【真言】だ。

『おとうさん 今 こんなに苦しいのです』

『おかあさんが 可愛がっていた
孫が 結婚しました』

その 真言の 1つ 1つ に
ご両親は 答え 勇気をくれ

苦しみを 抜け出して
楽しみに 変えてくれるだろう。

みんなと お約束を しよう。

1日に 3回 だけでいい。
寝る前に 真言を 唱えよう。

そして、一日を 反省しよう。

きっと、あくる日は
素晴らしい 1日と なるだろうから。

合掌

【一切衆生悉皆成仏】

130719-1写真

16歳を少女 殺人事件には
結局、男女 8人が 関わっていたそうだ。

事の善悪は これから解明されるだろうが
せっかくなので頂いた 大切な 生命を

蚊やハエを少女無造作に叩くのと同じく
いとも 短絡的に 殺害してしまう
心が 恐ろしい。

般若心経【 自力 他力 】

[自力}の 本来の意味は

会社を 興そう
独立 しよう

自分で なんとか しようと 頑張る事。
見上げた 事だが、
その もがき苦しんで居るのが

私たちの いう【 苦 】である。

[他力}
他にもなにも 求めず 只、一心に
仏の 御心に すがることである。

本尊の 御名前を 呼び
『お父さん たすけて お母さん たすけて』
お願いすれば 必ず 私たちの心の中に

駆け参じ 助けてくださる。

そして、空海は 般若心経秘鍵の 中で
[自他 これ 平等なり}と教える。

ジジの心より 尊敬している
高野山の 管長猊下は 出会う度に
こう言われる。

【一切衆生 悉有仏性】

私たち 生きとし 生けるものは
森羅万象 いろんなものに 助け
助けられて 共存している。

人間と 動物 植物、
そして 通常、命がないとされる物質まで

ありとあらゆる 物は
悉く 生命を 持っていて
仏になれる 性格を もっている。

そして その 全てが 助けあって共存している。

『自分 1人で なし得たと 思ったら駄目だぞ』

比叡山 延暦寺でも
【草木国土 悉皆成仏】と、教える。

しかも 空海は【物心一如】と釘を刺す。

せっかく 頂いた 大切な 生命。

お互いが お互いを 思いやって

お魚を 頂くときも
川にも 山にも

『ありがとう』と感謝の気持ちで接すれば

今回のような 痛ましい事件は
起きなかったのでは なかろうか?
合掌

【あなたは 既に 菩薩 ですね 】

『社長さん いらっしゃいますか? 』

ジジは 大きな 運送会社の 前に立っていた。

今、トラックが 荷物を満載して
出て行ったかと思えば
空の トラックが 慌ただしく帰ってくる。

現場は 活気に 満ち溢れている。

『あそこに 居るよ』

身体中 油だらけの 青年が トラックの下から
顔を出し、瓊積みのトラックの方を
指さした。

作業服の男性が 懸命に荷物を積み込んでいる。

社長だ。

会社には 40台も 50台も
大型の トラックが あるそうだ。

それに 合わせて 多勢の運転手や
従業員も いるだろう。

ジジを 発見して 私に手をふった。

『社長 自ら 陣頭指揮ですね』

『陣頭指揮 ? とんでもない。

社員と 一緒に
汗にまみれて 働いているだけですよ』

『ネクタイをして 社長室に
居られるのかと 思っていました。

社長は 本物の 菩薩ですね』

般若心経【 依 般若波羅蜜 故 】

釈迦は 私たちに 諭してくれる。

『般若心経 を一生懸命 勉強して
《空》を 理解した 汝らは

既に 【菩薩の 境地】である。
今度は 功徳を 人に 施しなさい』と。

《菩薩 ……》

お観音さんも いるな。
お地蔵さんも 知っている。

そして、私も 菩薩の方を境地ですって ?

そうです。
既に 悟りを 得ているにもかかわらず
私たちと 同じ 現世 ( 娑婆 》に残り

大日如来や 仏陀の手足となって
私たちを 救ってくださっている。

ここが 大切だ。

【悟りを 得た】から …
【仕事が 成功した】から
【地位や 名誉を 得た】から……。

決して 有頂天に なるなというのだ。

お観音さんや 地蔵さんが
娑婆 ( 現場 ) にでて 私たちの 手を取り
救ってくださって いるのに

豪華な 社長室で 踏ん反り返るな と。

慢心と 傲慢が出ると
会社は 衰退 するよ。

積極的に 現場に 出なさい。

そこには 直に 活きた肌と触れ合うことができ
宝の山が 積み重なっている。

『業務を 遂行しなさい。菩薩の ように 』

『社長さんは 本物の 菩薩だ…』

ジジは お顔を 恭しく 拝しながら
もう一度 つぶやいた。

現場は 益々 活気を 帯びてきた。
合掌

【子宮に 1つの 新しい生命が 宿った】

子宮に 1つの 新しい生命が 宿った。

今日は 7月 17日。
1年に 1度の お観音様の 夏祭りだ。

結婚 2年目にして 心待ちにしていた
赤ちゃんが 授かったのだ。

ご夫婦は 勿論、家族の喜びは如何ばかりか。

『2年間の 間、後から 結婚したカップルから
次から 次へと 吉報がとどき

実際、羨ましく 思ったことも ありました。

でも、幾ら 努力しても とうとう
授からない 方も 一杯 いる。

それを 思えば 心から 喜ばなければ』

これ以上の 至福はないと思うくらいの
破顔で ご夫婦は いう。

ジジも いらぬ おせっかいを する。

『風疹が 流行っていると聞きますが
街中や 人が 多勢いるところに いく時は
必ず マスクを してくださいね』

実際、ジジの友人の奥さんも 風疹にかかり
今や 身長 180センチを 軽く超えるくらいの
美形だが、お耳の調子が 悪い子が できた。

『産婦人科の ドクターも 言われておりました。
これからは 風邪をひいても 簡単に
風邪薬を 飲まないように。

たべもの、飲み物は 勿論のこと、
生活態度まで 気をくばるように。

最早、あなた 1人の 身体では ないのですよ と』

『しつこいようだけど、
ご家族や 親戚の 方達にも
予防接種を うって 貰ったら、いいですね』

般若心経【 諸仏 】

『クリープを いれない コーヒーなんて』

コーヒーや 紅茶の中に クリープを入れる。
綺麗な曼荼羅模様が 目を楽しませる。

仏の 悟りの境地である 宇宙の 真理を
図式化したのもだが

これを [お浄土] の世界と 言うんだろうね。

ヒンズー教などは 数多くの曼荼羅があるが
密教では
【金剛界曼荼羅】【胎蔵界曼荼羅】の
両界曼荼羅 が主流だ。

金剛界曼荼羅では 1461尊
胎蔵界曼荼羅では 414尊

とにかく、多勢の 仏 菩薩が おられる。

そして その お1尊 お1尊が
私たちの 喜びや 悲しみに 合わせて
お姿を あらわし、

両手を 掌にあわせ 一心に 仏の御名を呼べば
影の形に したがうが如く助けてくださる。

歯が 痛い時は、歯医者に
子供は 小児科
手術は 外科に というように。

ご夫婦も 新しく芽生えた 命を 気づかい
できる限りの 愛情を 注ぐことだろう。

しかし 仏さんは それだけで 『良し 』とは
仰って ないのだ。

曼荼羅の 仏さんが その人の 病状に合わせて
救いの 御手を 差し出すのと 同じように

目の前に 苦しんでいる人
困っている人を 見つければ

抱き起こして あげなさい。
優しい言葉を かけて あげなさい。

あなたの 可愛い 赤ちゃんと 同じように。

そのように 言われて いるのだ。

今日は お観音様の日。
子安観音寺の 縁日。

きっと、玉のように 素晴らしい赤ちゃんを
授かる ことだろう。
合掌

【今を 如何に 生きるか ? 】

高松から 伯母さんがきた。

92才の 今、矍鑠として 元気だ。
優しい こども 孫たちに囲まれて
しあわせな 老後を送っているとの事だ。

『伯母ちゃんは、前世で よのために
人のために尽くしてきたから
ご本尊さんが 褒美をくれているんですよ』

ジジは 伯母の顔を見て 素晴らしいと思った。

般若心経【三世】

過去、現在、未来とあり
私たちが 体感している [過去] [今] [現在]と
思ってもらっても よい。

また、微妙に違う 教えもある。

【過去世】
私たちが 生まれる以前の 全ての 過去
【現在世】
この世に 生を受け 死ぬまでの 事
【未来世】
永遠の 死後のこと

私たちは【輪廻転生】によって
この三世を 行ったり来たりしているのだ。

有名な 教えがある。

●汝ら 過去の [因] を知らんと欲すれば
現在の [ 果 ]をみよ。

未来の [果 ] を 知らんと欲すれば
現在の [因 ] を みよ。

●過去に どんな種まきを してきたかを
しりたければ 現在の [結果 ] を みよ。

●未来に どんな [ 結果 ] が 出るかを
しりたければ 現在の [ 種まき ] を みよ。

現在の 自分をみれば
過去に自分が たどった道程も
これから 行くだろう 未来のことも

写真で 写したように よく分かる。

ジジは 伯母に 『おばちゃんが 前世で
好い事ばかり していたので

仏さんが この世で ご褒美をくれているのですよ。

そして、この世での おばちゃんの 行為が
来世に つながるのですよ』 と、言ったのだ。

《今を 如何に 生きるか 》

これが 生かされている 私たちの
1番大切な 課題である。

なにも 万座の中で 万座の人が
万雷の拍手を 期待するー。

そんな 善行で なくてもいい。

泣いている子に 優しい言葉をかけながら
抱き起こして あげる。

自分の お家の 庭先を履く時に
風で散った 隣家の中庭先も 掃除する。

そんな 小さな 小さな 善行の
積み重ねで いいのだ。

仏様は 見ておられる。

無為無策で 意味のない 惰眠を貪っているか
小さなとこでも、コツコツと
善行を 積み重ねているかを。

『おばちゃん、身体を大切にして
100歳まで 生きてね』

合掌

【目先の 損得よりも自分らしい 行い】

【小豆島大観音】建立されて20年がくる。

当時、面白い 可笑しいで
大観音 建立の 是非が 巻き起こった。

テレビ局は 大学生を集め
大観音ができれば 良いか悪いかの
番組まで した。

紆余曲折の中、ジジの集大成である
小豆島大観音が 完成し
盛大な 落慶方法が 執り行われた。

その時 テレビ局が 面白い可笑しいで
ジジの 自動車を 大写しして
『お金儲けが したいですか? 』と、聞いた。

この10年間、大観音建立の 寄進 勧進のため、
全国津々浦々 お願いして歩いた。

その時に せめて 怪我をしないようにと
頑丈な 自動車を 当てがって貰っていた。

ジジは 今、自分の車を 持っていない。

『そんな事は 全く 考えていません。
一生懸命、宗教活動を するだけです』

ジジは テレビの前で そう思って弁明した.。
(と、記憶している)

『坊さんが 如何にして 一銭でも多くの
お賽銭を 得たいのか 』という 質問だった。

ジジは 【お賽銭】は目的ではない。

今日 1日、宗教活動を 充実させ
それによって 如何に 多くの人々を
救うことが できるか、

その一念で 大観音を建立した。

般若心経【無得】

目先の 損得なんか どうでもいい。

自分の 能力 体力 智力を 12分に 破棄して
世のため 人のために 尽くす わたし

それが 最終目的で あった。

今は 参拝者が 大観音の 宗教活動を
喜んでくれる。

あの時 挫けずに頑張って良かったな。
今が 誇らしく 思える。

みなさんも いっときの
利益を求めるのでなく

自分らしい 行いをすれば
周りの人は、言わずもがな ついてくる。

それが 般若心経【無得】の心だ。
合掌

【汝 一切の 物事に執着する べからず】

昔 ジジの寺に 面白いお坊さんがいた。

小学校の低学年の時でも、
かなりの お爺ちゃんだった。

四柱推命の大先生で ズーズー弁で
多勢の人を鑑定した。

朝から 晩まで近所の子供達がついて回り
良寛さんのような 人だった。

子供達に チョコレートを 持ってきた。

その頃の チョコレートは当時の子供は
あまり 口にしたことが ない。

1つの 箱を 幾つもに割って 万べんに
与えてくれるのだ。

『はい、あなたは小ちゃいから大きいの。
寺の 坊ちゃんは 大きいから小ちゃいの』

鼻垂れに 大きな かけらと 小さなかけらを
てわたした。

大きい 小さいと いっても 5ミリも
変わらなかっただろうが。

『なんで、大きな者に 大きなのを
くれないの? 』

膨れた 顔で ジジは いった。

『坊ちゃん、物は 大きい 小さいで
判断したら いけませんよ。

ありがとうと 感謝しながら頂くと
どんなものでも 美味しく頂けますよ。

膨れた顔で食べれば
どんなに 美味しいものでも
どんなに 大きなものでも
不味くなります。

大きいも 小さいも 美味しいも不味いも
私たちの 心の 持ち方次第で 変わります』

60年も 前の話をし鮮明に覚えているのは
余程、恥ずかしかったのだろう。

般若心経【無所得】

辞書で 調べれば【収入が ない】だ。
ところが、本当の 意味は

【空の真理を 理解し、一切の 物事に
執着しないこと】
と、ある。

[無所得]の【得】を連想すると
[お金を える][地位を 得る][名誉を 得る]

その反対を 連想すると
[お金を得られない][地位を得られない]
[名誉を得られない]
となる。

それに執着すると それに手が届かなかった時、
私たちは【苦しみ】を生じる。

生活する上で、最高に大事な 命の活動力は
自分の 力で 自分が 所得したものではない。

大自然の中で 育まれた 活力なのだ。

『なるように なるさ』

物事に こだらわず、執着せず、
自分は 自分の 道を ゆく。

晴れ晴れとした 如何に 素晴らしい
人生で あろう。

あの 僅か 5ミリの チョコレートに対する
執着とは 何だったのだろう?
合掌

【コテカントロプス :入院固定観念を 捨てよう]

ローマ法王に 謁見した。

何十年も 前の話で 既に代替りしている。

スリランカの ビッパッシー僧正と
大学の クラブの先輩、3人連れだ。

お出会いが 終わったあと 大司教や
スリランカの駐在大使等が 歓迎をしてくれた。

先輩のに 1つの ポリシーがあった。
今は 定年退職しているが

貿易で世界中、飛び回っていた。

色んな 人種の
色んな職種の人たちと
幅広く お付き合いをしており
ジジも 尊敬をしていた。

『名刺交換した 後で

お昼の 接待があれば、お茶を濁された。
ディナーの 接待で 大歓待。
接待なしで 優遇されて居ない。

君は、寺の中ばかりでいるので
世間が 分からないだろうが
人の 心とは そういうものだ』

そんな時、お昼に 招待状が きた。

『それきた お昼だ。
君は、優遇されて居ない』

『先輩、始めて 名刺交換したところで
それは 無理ですよ』

スパゲティー(パスタ) が運ばれてきた。
その 大きさたるや 生まれてこの方
見たことのないくらいの 量だ。

『それみろ、スパゲティーだ。
君の 値打ちなんて そんな もんなんだ。

早く 食べてしまえ』

ところが 前菜のスパゲティーを完食した後
次から次へと 珍味が 顔を出し
イタリアン料理 フルコース出てきたのだ。

スパゲティーを完食しているので
何も 入らない。

『ディナーを 計画していたのですが
仕事の都合で 余儀無く 昼にお呼びしました』

主催者は 申し訳なさそうに そう言うのだ。

般若心経【遠離一切 䐜傾夢想】

すべての 誤った 考え [固定観念]のこと。
●こだわる
●とらわれる
●かたよらない

一切の 誤った考え方を 遠ざける(無くす)。

人が成功すると、自分が価値のない
人間のように 卑下したり

人が 失敗すると
自分の価値が上がったように傲慢になる。

本当は、人が成功しようが失敗しようが
自分の 価値は 変わらないのだ。

そして その都度に こだわりの心を持ったり
とらわれたり、偏ったり するのだ。

先輩は 若きジジを 早く 一人前に育てようと
色んな意味で こだわった。

そして その殆どは 正解だったかもしれない。

しかし あの時は、大失敗だった。

スパゲティーだけ 早食い競争のように頂き、
メインディッシュを前にして
目を白黒させて 食事が できない

若き 日本人をみて 一体、
どのように 映ったであろう。

私たちは、毎日の生活の中で
拘ったり、捉われたり、偏ったりするのだ。

般若心経では
それらを 遠くに退けてしまいましょう。

物事に 一喜一憂しないで
地道に 自分の足で 1歩1歩 歩みなさい。

そのように 教えてくれて いるのだ。
合掌

【妄想を 取り去れば 恐怖は 無くなる】

ニートと呼ばれる 引きこもりが増えている。

ジジの 知っている 引きこもりの方は
学校時代に 教師との ギクシャクが
根本に あったみたいだ。

『先生が 依怙贔屓 する』
『先生が 私ばかり いじめる』

親が 言って聞かせたり
友人も 外に連れ出す 努力をしたが
結局、不登校になった。


【引きこもり】の方の 実数
2000年 44万人
2010年 100万人

●10年間で 倍になっているね。

2010年の 内訳は
全くの 引きこもり 70万人
就労につけない人 30万人

ちなみに ご病気、怪我で
余儀無く お家でいる人 28パーセント
28万人

●後の72パーセントは お元気な方だ。

世界で ニートの少ない国は

1)オランダ 4・1パーセント
ワースト22)日本 5・7パーセント
ワースト10)アメリカ 14・8パーセント
ワースト 1)トルコ 30・0パーセント

般若心経【無有恐怖】

般若心経を 理解することによって
恐怖を なくせば 恐れおののくことなんか
なに 1つ ない。

お金に 捉われることが 無くなれば
お金の 心配を することも ない。

死に 捉われることがなければ
病気の不安や 死を恐れることもない。

人は 妄想を駆使して あれこれと 数限りない
恐怖を 生み出してきた。

ここに 人が 持つ 5つの恐怖を 書いてみよう。

1)死布
死に対する 恐怖
2)不活布
生活への 不安の 恐怖
3)大衆威徳布
多勢の人が 自分を
攻めてくるのでは ないかという 恐怖
4)悪名布
他人が 自分を 責めている。
悪口を 言っているという 恐怖
5) 随恵道布
死後に 地獄に 落ちないかという恐怖

ジジの 知っている 引きこもりの方は
3)大衆威徳布と 4)悪名布で
リズムが 狂ったのかな?

『アー ビックリした。
柳の木だったのか。 オバケかと 思ったよ』

そうです。
私たちは 煩悩という
妄想を 断ち切ることに よって
恐怖を 断ち切ることが できます。

皆さんも 色んな 恐怖や 苦しみの中で
忙しい 日々を 送っています。

般若心経【無有恐怖】を理解して
楽しくて 和気藹々とした穂ぐらしを
して頂きたいと 願います。
合掌

【欲という フイルターを取り除こう】

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【小豆島大観音】の補修供養が あった。

兵庫県の 社長と 塗装屋の社長が
お参りにこられ、破損場所をみつけ
補修をしてくれることに なったのだ。

ところが、舗装社長は 兵庫県の社長を
神様みたいに いう。

『福井県で 生まれ育った わたしが
身体 1つで 播州にきたとき、

我が親のように 手を取り 足を取り
私を 育て育んで くれた。

今の わたしが あるのは社長のお陰です』

ジジが 信州に お参りにいったとき
大手の 下請けの社長 ( 下請けといっても
従業員が 何百人も いるのだが)に

大手の 社長から電話が かかってきた。
その時に、パフォーマンスでなく
反射的に 直立不動に立ちあがり

電話の 応対をしたのだ。

『あかげで 何百人という我が社員と
家族とが 生活をさせて頂いています』

人の 心を 大切にする社長と、
その恩を感じ その恩に報いようとする
社長。

その 2つの 心に感動したのだ。

般若心経【故 心無罫礙】

遮る とか 邪魔する とかの意味だ。
私たちの 心にかかっている
《欲という フイルター》をなくせという。

私たちは 何かをするとき 何かを 考える時、
自分を 優先し 自分の 損得や 好き嫌いを
真っ先に 考えて しまいがちだ。

それが【苦】の 根本原因となる。

会社でも、職場でも、学校でも、
地域でも、友人でも、

心と心が しっかりと結びついている場合と
うわべだけの お付き合いの場合がある。

『俺が』『わたしが』と、
自分本位で 自我をだすより

相手の 心を読み
相手の 立場に立って 考えて
相手を 思いやる心を 持たなければならない。

それが
般若心経【心無罫礙】であり

兵庫県の 社長の 心であり
塗装屋の 社長の 心なのだ。

『あのひとは 仏さんのような
思いやりの 心を もったひとだね』

『仏さんのような 心を持ったあの人とは
わたしは 心と心が 結びついているのよ』

周りの 人々から
そんなことを 言われる 私たちに
なりたいね。
合掌

【あなたも 生きたまま 観音さんになろう】

お二人で とんかつ屋を 経営している。

夫婦の ご両親が 大きな小豆島参拝
遍路団体の お世話をしていて
ジジも いろんな面で お世話になった。

世も 移り変わり 兄弟姉妹では 1番下だが
もう80才に手が届くだろう
この 夫婦が 後を継いだ。

『兄と 姉は 相次いで亡くなりましたが
小豆島には いろいろとお世話になりました』

『後を 追うように 相次いで亡くなられ
残念な 事でした』

ご兄弟の 話になると 2人は 顔をしかめた。

『身内のことで 話したく無いのですが
法主の事を 身内と思って 打ち明けます』

亡くなった ご兄弟の 話だ。

『相次いで 他界しましたが、
兄夫婦が家を新築した時に、
かなりの お金を融通しました。

相次いで こんなに早く 亡くなるとは
思いも しませんでした。

死んだ 両親が 口癖のように言っていました。

兄弟姉妹 手を取り合って 仲良く しなさい。
兄弟姉妹で 何か あった時は
我が事として お互いに 助け合いなさい。

あなたは、1番 年下だが、
本家を取っているんさから
あなたが中心に 和をとりなさい。

みんなが 両親の 言いつけを
いつまでも守り
私たちは1本の 強い絆で 結ばれていました。

そこに 兄の 新築問題です。
父の 遺言を守って 私の できる限りの
応援を しました。

今は とんかつ屋を 閉めようかと思うくらい
生活は 大変ですわ』

般若心経【薩埵】

我が欲を 無くすことを [無我]という。

自分に 執念深く取り付いた我欲を
薄紙を 剥がすがごとく1枚ずつ取り除くには

常に 世のため 人の為に
思いやる 心を もつことだ。

空海は それを 【済世利人】という。

【薩埵】とは、自分自身を
根底から破壊していく 【欲望】を
人を 愛し、人を 思いやることで
消して行くことだ。

『うちの とんかつ屋が 倒産の危機に
至っておる』
と、愚痴を言った ご夫婦の顔は
言葉と裏腹に どこか 清々しかった。

兄弟に 親切を施し
しあわせの 手を差し伸べた事で
自然と 和やかな 顔に なったのだろう。

そして それは【慈悲】と【智慧】をそなえた
[観音 薩埵] そのもの だった。
合掌

【欲を 捨てれば 身も心も 楽になる】

梅雨があがった 小豆島に お参りがあった。

流れ落ちる 汗をふきふき 石段を登られたのは
亡くなった 団体長の 息子さんだった。

『お寂しく なりました』
『その節には ありがとうございました』

時節の 会話を交わしたあと、
こう 仰った。

『この度は、いい お勉強を しました』

『父は地域でも いろんな役もして居たし
遍路団体の 団体長でもあったので
もっと 会葬者が 多いと 思っていました』

確かに、思っていたよりは
少なかったのかも しれない。

『ある人が こう言うのですよ。
なんと、多勢の 会葬者でしたね と』

最近は、みんな家族葬になり、
社葬や 地域葬はすっかり姿を 消した。

『驚きましたね。
少ない 少ないと 無念に思っている人が居て
空前の会葬に 驚き
目を白黒させた 人間も いる。

多いの 少ないのと、拘っていたのは
私だけだったのですね。

他の人たちは、誰一人でそんな事に
頓着して いなかったのです。

そう、思うと、何を クヨクヨして居たのか
自分自身が 馬鹿らしくなりましてね』

息子さんは、目から鱗が落ちたと 申す。

般若心経【菩提心】

《悟りの結果として 得た智慧》

【解脱】
煩悩によると、束縛から解き放されて
全ての 執着を 離れること。

『いい お勉強を なさいましたね。
それを [菩提心] と言うのですよ。

心が 解き放されたら、楽になったでしょう?』

【大日経】にも
[菩提心を 因とし] [悲を 根本とし] [方便を 究竟とす]
とある。

『執着が 大きければ 大きいほど
物が 成就しなかった時の 反動は 大きいですね』

『そうです。
我欲の 迷いから 目を覚ますことですね。
我欲を 捨てれば、身も心も 楽になりますよ』

息子さんは、お父さんの 後をついで
小豆島八十八ケ所に 参拝を続けるそうだ。
合掌

【ゆく 川の流れは耐えずして しかも元の水に あらず】

親戚筋の 方が 相次いで 亡くなった。

1人は 朝、起きてこないので、
ベッドまで 見に行くと 亡くなっていた。
もう一人は 長い 闘病生活の末、
とうとう 天国に 召された。

どの方も 30歳代、

諸行無常は 世の常とは言っても
家族 関係者の ご心痛、如何許りであろうか。

般若心経【無無明】

[無明がない][智慧が ない]
真理に 暗く 迷いの状態。

『迷ってばかりで、お先 真っ暗だ』

そんなことは ありません。
私たちが 生きて行く上で
[迷いや 悩みのない人間]なんて いない。

天空に流れる 白い雲は
行ったり来たりして 元の姿は 消え果てて
常に 移り変わる。

私も 自然の 一部なんだと 考える。
だから、わたしの心も 変化するのだ。

何かしらの拍子に それまでの苦しみが
嘘であったように 消えてしまう。

『えっ なんで 今まで あんな事で悩んだのだろう』

愛する人との 別れで 悩み
自分の 老いを 憐れみ
病気での苦しみ

恋愛で 悩み、仕事でなやみ、家庭でなやむ
いろんな時、いろんなところで
いろんな 悩みを 持っている 私たち。

しあわせが 来て、
不幸がきて、
しあわせがきて……。

【全ては 移り行き 変化するのだ】

【自分の 抱えている 苦しみや 悩みなんて
自分が 勝手に 作り上げている 妄想で ある】

自分の 頭の中の 考え 一つで
幸せにも ふしあわせにも なるのだ。

ジジも 今から座禅をくんで もう一度、
妄想を 取り払おう。
合掌

【苦しみを 楽しみに 変えよう 心の持ちよう1つ】

ニュースで 児童が切りつけられた と
報道された。

ジジは 馬鹿が バカの上前を撥ねて
連続事件が 起こらなければ良いがと
懸念した。

案の定 連続事件が 続いた。

しかも 屈強な男性でなく、
自分よりも 体力的に劣る 児童 中心に。

コンビニで パンに 縫い針が混入されていた。
道路に 粘着テープを 張った。

何を 考えているんだろうね ?

一体、何が 面白いのだろう ?

『ムシャクシャ して』とか『何となく』
なんか 言ったら ジジは 絶対に許さない。

それは 自分で解決したらいいので
他人には 何の 関係もない。

しかも、年端のいかない 幼気ない
子供を ターゲットにするなんて。

【他人に 迷惑をかけない]

共同生活の 原点だ。
同じことを 自分がされたら
嬉しいのだろうか ?

般若心経【無無明尽】

【尽】
[尽苦]ともいい、苦しみが無くなることだ。
が、それは 違う。

悩みや 苦しみは 生きている限り
いつまで経っても 周りから
押し寄せてくる。

[尽苦]とは
苦しみが無くなる事ではなかった。

私たちは 2つの心を持っていると 話した。
1つは 良い 心。
1つは 悪い 心。

いつ
どんな 時
どんなに ひっくり返るか

心ほど 我儘な ものはない。
般若心経の【空】だ。

でも、自分の 考え方 1つで
全て【いい心】を持つことが できる。

みなさんも やってごらん。
簡単に できるから。

煮え繰り返るほど 腹が立った時
1呼吸 おいて

『いいや 腹は たてまい。
この人の 立場になって 考えてみよう。

いや、自分は 少々 損をするが
全然、許せる 範囲だ。
この人は どうしてあげれば、喜ぶだろう』

そこまで 考えるのだ。

阿呆のように
弱いものに 降りかかって いくよりも

もし、同じ 労力を 費やすなら
頭の 1つでも 撫でて あげたらどうだ。

【無無明尽】とは、お観音さんの
【慈悲心】と【智慧】で

襲いかかる苦しみを
楽しみや 希望に 変える 心の事なのだ。

みんなで 優しい 心を 持とうね。
合掌

【 人は 人のために つくしてこそ 人】

『うわーっ このブドウ 美味しい ! 』

孫たちの 歓声に ママが優しく言う。
『あなた達が 一生懸命 育てたからですよ』

ジジたち夫婦で 出張先で 【ブドウの木】を
見つけた。
ブドウたるものが 如何なるもので
如何にして育つか 孫たちの勉強のために
求めてきた。

孫たちは、肥料をやり 毎日 水をやり
それはそれは 大切に 育てた。

1つの 房がなり、2つ目が たわわになり
収穫の 時季を迎えた。

家族一同が 手を合わせて『いただきまーす』

自分が 育てたブドウを 口いっぱい 頬ばる。
その 姿に 家族団欒を 感じ
1人 1人の心が和み しあわせを 感じる。

ところが、戦いすんで 陽がくれて……。
頂いて 終わったあとは、写真のような現場。

肥料も水も 不足してきた 【ブドウの木】は
青い葉を 黄色に 染めて やがて朽ちてつく。

般若心経【無意識界】

無眼界 私たちの 目に映る 全てのものは
【空】であり、変化し、同じものは ない。

無意識界も また 同じ、
心の 世界も ない。

目に映る世界から 意識、すなはち
心の世界に 至まで 全て【無】である。

目で見て、耳で聞いて、香りをかいで
舌で味わい、肌に触れ、
これらを、心で思っているのが

私たちの住む 現実の 娑婆の世界。

その現実の 奥底には
それらを 感じる心の世界が 存在している。

ブドウの木を 一生懸命、育てたのも 【無】
喜んで 口に 頬張ったのも 【無】
嬉しい しあわせと 感じさせる心の働きも【無】

そして、頂いたあとの 黄色味を帯びてきた
木に 今までと同じ、愛情を捧げる心も
また、【無】であり、
それは【空】だろ実感する。

現実の 1つ1つに拘らず
その どれもの現実にも 変わらぬ【慈悲心】を
持ちなさいよ。

【無意識界】は私たちに そう 語りかける。

《人間は 人間のために 尽くしてからこそ 人間》
合掌

【母の 背中】

カエルの 三部合唱が聴こえる。

誰に 頼まれた分けでも ないのに
決まって この季節になると
夜のしじまの中、延々と 続く。

丁度、昨年の 今頃も かいた。
母親の思い出を 又 書かずには居られないのだ。

ジジは 幼少の頃から 身体が弱く
事あるごとに 熱を 出す子供だった。

当時、水枕や 氷嚢があれば いい方で
冬ともなれば 彼方此方の池に 張っている
氷や 氷柱を 代用していた。

雪が あたり一面 真っ白な 銀世界を描いていた
そんな時だ。

下の 池の方から人声と 気配がする。

重い頭を もたげ そっと 見下ろしてみると
池の前で 一心不乱に 池の水をかぶって居る
姿が あった。

ジジの 病気回復を 祈り 無心に
般若心経と共に、氷水を かぶって居るのだ。

ジジは 声をかけることも お礼をいう事も出来ず
布団の中に 潜り込んで 只々 泣いた。

『僕も 世のために 人のために 尽くせる
人間に なろう』

その時の 決心が
母の思い出を 風化させないのだね。
今、懸命に カエルが鳴いている その池だ。

般若心経【無法】

自分中心の考えを 捨てましょう 。

私たちは いつも そうだ。
何としても 自分の 思いどうりになって
貰いたい。

と、その時に ひょっとして
思いどうりに 成らなかったらどうしよう。

苦悩が生じ、悩みが生じる。

自分中心の自我ばかり 張っていると
いつしか 苦悩と恐怖の苦海に 沈んでしまう。

そんなとき、思い切って 自分中心に
メモリーされた 思いを 捨ててみる。

【自分の しあわせより 真っ先に
相手の しあわせを 考えて あげる】

【思い遣りの 心】を持って 相手に接する。
【エゴ】を無くす。
【自分中心】の 考えを なくす

すると、自然に 我が心が 和んで
【法】般若の智慧が 湧きあがってくる。

《八万四千の法門ナ 生死の苦海を渡る 筏なり》

【無法】とは 真に 母が身を持って 教えてくれた
法門 なのである。

カエルの 合唱は 続く。
合掌

【理屈 抜きで 抱きしめよう】

娘の結婚式の時に 娘より渡された熊だ。

『今まで 育て 育んでくれて ありがとう。
この縫いぐるみは
私が生まれた時と 同じ体重なのです。

わたし、重かったでしょう?

理屈抜きに 抱きしめて大きくしてくれました。
触れ合う 大切さというものを
身体で 教えてくれました。

その娘も 2兒の 母親だ。

昨晩、こんな事が あった。
いつも 元気な 孫娘が 元気がない。

どうしたことかと孫からして 叔母に聞くと、
一部始終を見ていた彼女が
次第を 明らかにした。

お風呂から 出た時に風呂場を濡らした
妹に 姉の叱咤が飛んだのだ。

『次の人が 入るまでに 綺麗に掃除をする様に』


妹は 茶の間での 一家団欒の声を聞くと
1人で掃除をしている事が
悔しくて しようがない。

ポロポロと 涙を溢しながら
拭き掃除を したのだ。

子供たちが 寝静まってから 母親がきた。

『思いやりのある 優しい子供に育てようと
毎日のように 悪戦苦闘して居るが
思うようには いきません』

ジジは はて?
何と返したら良いのか ドギマギしていた時だ。

『愛情が 不足しているのですよ』

横から 鬼よりも怖い、家内が そう言った。

『この頃は 孫も 大きくなったし
あなた方は 忙しい し。

本気で、抱きしめてあげたこと ある? 』

般若心経【無触】

この頃は 前向きに 抱っこする母親を見るが
本来は おっぱいを 飲ませる方を 向いて
乳首を吸わせながら 抱っこするものだろう。

お母さんに 抱っこされると
子供は 純真な つぶらな瞳で
お母さんの 顔を 見なおします。

顔を見て 安心をし(あんじん と読み 意味も
違ってくるのだが、ここは省略する)
母親を 慕う。

『あらあら お風呂場がこんなに濡れちゃって。
お姉ちゃんも 一緒に お掃除してあげるから
綺麗に しましょうね』

手に手をとって 2人で 掃除をすると
妹も 姉に対して 感謝の気持ちを持って
喜んで 掃除を したことだろう。

【般若理趣経】にも 肌と肌とが 触れ合うことは
是、菩提の境地なり と 説いている。

手と 手の 【触】れあいの 温もりが
人と 人との 難しい 感情の対立を

アッと言う間に 解消する。

孫たちも、経験をし 体当たりして
1歩 1歩 成長していく ことだろう。

今日は 縫いぐるみの 熊さんに 教えられた。
合掌

【味のある 書、味のある 人間】

一幅の 【書】を 頂いた。

大寺の 管長様の お書きになったもので
素晴らしい表装をして居るのだが
どうも、しっくりこない。

ある先達さんが 仰ったことを思いだした。

『下手だなあと と思っても、
いつ迄 経っても 見飽きない。
やがては それが 宝物に 思える。

それが 《味のある 絵》《味のある 書》
と言うんだ。

反対に 《味の ない物》は
みた目は良くて 床に掛けてはみるが
直ぐに み飽きてしまう』

ジジは 暫く 管長様を 床に掛けさせて
いただくことに した。

般若心経《無味》

無味を 辞典で調べてみると
味が ない。うま味が ない。面白みがない。

無味乾燥 も調べて みた。
味わいや 面白みがなく、味も 素っ気もない事。

【空】
味とは 美味くもなく、不味くもない。
味が あることも なく、無い事もない。

癇癪を 立てながら、1人でもビフテキを
貪っていても 無味乾燥なものだし

気のあった 仲間と 和気藹々と 頂くものなら
茶ずけでも 美味しい。

【味】は 絶対的な物はなく
その場、その時によって 変わり
全てが 夢うつつ、虚ろなものである。

私たちの 心も 同じもの。
うって輝かせるが 原石のままで終わらせるか
私たちの 考え方 1つだ。

《味のある 書》
《味のある 人間》

友達同士が 話す。

『あいつ、また来たよ。
最初は 朗らかだし 良い友達になれると思ったが
今は 近ずいて来ただけで、嫌だな』

『何を 考えているか 分からないし
大体、人間味がしない』

そんな 事を 言われているようだったら
折角、人間として 生まれてきて
何の 意味が あるだろう。

『あの人が 近ずいて来るだけで
何故か、ホッとする。
最初は 取っ付きにくかったが
よくよく付き合ったら、仏様のような人だ』

万人から そう言われるような
私たちを 目指さなけれ ばならない。

《味のある 書》
《味のある 人間》

お釈迦さんは、素晴らしい
教えを説いて くれるね。
合掌
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