【68年前に 原爆が 投下された】
68年前の今日、広島に 原爆が投下された。
今日のような 入道雲の もとで
しあわせな日暮らしをしていた
多勢の善男子善女人が 犠牲になった。
今日の式典に出席した 総理大臣をはじめ
色んな人たちが 【核廃絶】を訴えた。
昨年、福島で 核施設が吹っ飛んだ。
世界で 只、1カ国の 被爆国である
私たちは 恐怖に 慄いた。
驚いたのは、未だに 【原爆症】の認定が
下りていない 人が いるという事だった。
どうなって いるんだろうね。
今日は [平和の 式典]でなくて
【原爆犠牲者 合同 供養】とともに、
被爆者、被爆者家族、広島、長崎住人が
新たな 希望を持って
大きく 船出する 式典でなくては ならない。
【無事是 貴人】
この場合の [無事]は 平穏無事という
意味ではなく、
しあわせや 悲しみを 自分の他に
求めるのではなくて
自分の内なる 仏性に出会い
自分で しあわせを掴むことこそ
[貴人]であるという。
【世界平和】
【核の 廃絶】
【被曝の 保障】
当然の事ながら、訴えつづける
一方、わが身にかえれば
『あの日、原爆さえ おちなければ』
『あの 地獄図の中での 阿鼻叫喚が
今でも 昨日の出来事のように
忘れることが できない』
気持ちは 重々 分かる。
でも、もう自分の足で 立ち上がり
自分の しあわせを 自分で
掴み取らなければならない。
《それ 仏法 遥かに あらず
心中にして すなはち ちかし》
青い鳥は 何処に いるんだ ?
しあわせを 求めて 心は 色んなところを
駆け巡る。
しかし、青い鳥は 自分の心の中に いた。
あなたの しあわせの 元となるものは
既に あなたの 心の中に あるのだから。
みんなで 核兵器の廃絶と
今、原爆症で苦しんでいる 被爆者のみなさんが
お元気で しあわせな日暮らしが 送れるように
祈ろうね。
合掌
今日のような 入道雲の もとで
しあわせな日暮らしをしていた
多勢の善男子善女人が 犠牲になった。
今日の式典に出席した 総理大臣をはじめ
色んな人たちが 【核廃絶】を訴えた。
昨年、福島で 核施設が吹っ飛んだ。
世界で 只、1カ国の 被爆国である
私たちは 恐怖に 慄いた。
驚いたのは、未だに 【原爆症】の認定が
下りていない 人が いるという事だった。
どうなって いるんだろうね。
今日は [平和の 式典]でなくて
【原爆犠牲者 合同 供養】とともに、
被爆者、被爆者家族、広島、長崎住人が
新たな 希望を持って
大きく 船出する 式典でなくては ならない。
【無事是 貴人】
この場合の [無事]は 平穏無事という
意味ではなく、
しあわせや 悲しみを 自分の他に
求めるのではなくて
自分の内なる 仏性に出会い
自分で しあわせを掴むことこそ
[貴人]であるという。
【世界平和】
【核の 廃絶】
【被曝の 保障】
当然の事ながら、訴えつづける
一方、わが身にかえれば
『あの日、原爆さえ おちなければ』
『あの 地獄図の中での 阿鼻叫喚が
今でも 昨日の出来事のように
忘れることが できない』
気持ちは 重々 分かる。
でも、もう自分の足で 立ち上がり
自分の しあわせを 自分で
掴み取らなければならない。
《それ 仏法 遥かに あらず
心中にして すなはち ちかし》
青い鳥は 何処に いるんだ ?
しあわせを 求めて 心は 色んなところを
駆け巡る。
しかし、青い鳥は 自分の心の中に いた。
あなたの しあわせの 元となるものは
既に あなたの 心の中に あるのだから。
みんなで 核兵器の廃絶と
今、原爆症で苦しんでいる 被爆者のみなさんが
お元気で しあわせな日暮らしが 送れるように
祈ろうね。
合掌
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