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【雨だれの 露でも やがては 水瓶を 満たす】

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近所の旅館の主人から 大きな酒瓶を貰った。

何が入っていたのかは 分からないが
一升瓶が かるく 10本は 入ってしまう
すごく 大きなものだ。

珍しいので 【小豆島大観音】で 参拝の方に
見ていただいていた。

最初は 瓶の 大きさに度肝を抜かれていた
参拝者も いつの日か 1円 5円 10円と
お賽銭が 入るように なった。

『瓶が 大きいのを見てもらおうと思って
持ってきたのだが まさか賽銭を入れるとは。

でも 満杯になるまでには 何年も
かかるだろうね』

持ってきた 宿屋の 主人の 弁。

1円 5円…と、心あるものの 浄財が
やがて 彼らの心を具現化したように
瓶 一杯に 膨らんだ。

『雨だれの 雫のようなものが
積もり 積もれば こんなに なるとは ! 』

再び 旅館の主人の 弁。

【水滴も やがては 水瓶を 満たす】

『ちょっと だけなら 大丈夫 ♬』

ダイエット中 女性の つまみ食い。
友人や 大切な人との 待ち合わせの 時間。
信号も みんなで 通れば怖くない。

小さな 過ちを 何度も くり返していると
それは 積み重なって 大きな災いとなる。

反対に ささやかな善行や 努力も
つみかさなれば 知らず識らずのうちに
大きな 喜びを もたらしてくれる。

僅かな 水滴でも 落ち続ければ
やがては 水瓶を満たすように

良きも 悪しきも 自分のおこないは
大きな 結果となって 跳ね返ってくる。
合掌
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【教えを 知ることが 人生の はじまり】

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もう 引退をしている 大工の棟梁とあった。

『今でも 昨日の事のように 覚えていますよ。
現金の 山を枕元に 置いて
結局、一睡もしないで 夜が明けました』

会うたびに 何度も言われるが
その度に 日汗がでる。

昭和50年から 4年がかりで 人生 最初の事業、
【山ノ観音 本堂】を建立したが
ジジが まだ 27歳の 右も左も分からない時だ。

お支払いに 棟梁に 現金で お支払いしたのだ。
まさに お金は お金で 有難かったのだが
まんじりともせず 大金を抱えたまま
朝を 迎えたのだ。

私たちも よくある ことだね。

仕事にしろ 健康にしろ 友情のもつれにしろ
悩みや 不安は
思えば 思うほど 考えれば 考えるほど
目が冴えて 朝を 迎えてしまうってこと。

百人一首や 源氏物語には
【通い夫】の句が よく登場する。

男の方が 女性のお家に通ってくるのだが
いつまで 待っても 愛しいひとは こない。
身を焦がして 待っているのに。

小豆島にも その 風習が 最近まで残っていて
今年 亡くなった 遍路宿の おじいさんも
よく 言っていた。

『家内に 会いに いくときは
どんなに疲れていようと 闇夜であろうと
お家は 隣に あるがごとく 近かった。

今、家内の 実家まで 行こうとおもうと
大変 遠く 月夜でも 難行苦行だ』

【眠れないものには 夜は ながく
疲れたものには 道は 遠い

正しい教えを 知らないものには
生死は 長い】

人として 正しく生きることを知らなければ
喜びも 安らぎも 得られず

つねに ビクビクして
嫉妬や 瞋恚を 剥き出した不平不満の
毎日を 送らなければ ならない。

今、わたしは 人として
何を どうしなければ ならないかを
常に 考えて 日暮らしをすると

おのずから 不平不満は 解消されて
喜びや 安らぎのある
しあわせを 得ることが できるだろう。
合掌

【自分が バカだと知っている人は 既に 賢者だ】

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住職を 卒業してから
先代の 残してくれた お経を 1人 聞く。

お坊さんの学校に行かなかった わたしは
寺で 生まれ 育ちながら
サッパリ その方面は 劣等生だった。

お寺さんの 始めての会合で
隣の 寺の住職に このように 言われた。

『この子は お経が下手で 作法も 無作法、
話を していても 会話が 弾まない』

所謂、劣等生とは 付き合いたくない と。

それを聞いた老僧は お経の特訓が始まった。
老僧の お経は 小豆島 1 上手だ。

お経に 節が付いている【聲明】
これからは【声明:しょうみょう】という。
節の ない【切々経:ぜぜぎょう】とがある。

その当時は テープレコーダーだったが
『えへん、おほん』との 咳払いや
『これは 少し 違う、やり直し』の呟きがあり

それも 含めて 円盤のなかに 入れ直した。

もの大人しく 静かで 見るからに
高僧で 学者の ような 人だった。

書道 、絵画は 勿論の こと
趣味でも お茶 生花 写真 尺八と多趣味で
特に 囲碁は 小豆島では 強かった。

今、先代と 比較して これならば
老僧に 勝っているよと言えるものは
なに 1つ ない。

人間として とくに 僧侶として
物事を 比較するくとは 1番 いけないことだ。

それを 分かっていながら 凡僧の わたしは
比較を してしまうのだが

全てに於いて 先代よりも 劣っている事は
明らかであり 自他ともに 認めている。

只、先代よりも 劣っていると知りながら
何 1つ それに 向かって 努力をしなかった。

【愚か者が 自分は 愚か者であると思えば
その 愚か者は 既に 賢者である】

じぶんは 何も知らない 愚か者だと悟れば
物事を 謙虚に 捉えることができ
人の 教えや 後ろ姿を 研究して

素直に 成長して行くことが できる。

大したこともないのに
自分は 物知りだと 自惚れ 慢心すれば
どこからも 教えを頂くことも
真似ることも ない。

知識が ある人が 賢者では ない。

自分が 物知らずだと 知り
それに向かって 直向きに努力するものこそ
賢者である。

わたしは【 物知らず】であることまでは
認識した。

ところが あとの それに向かって
直向きに 努力するということが
抜けていたのだ。

どうか みなさんは ジジのように ならず
謙虚に 1つずつ 物を 積み重ねて貰いたい。
合掌

【心は 悪事を よろこぶ。快楽に 怠惰にと すすむもの】

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ジジが 【膵炎】を 患って 5年になる。

還暦を 機に 【晉山式】といって 現住職と
新旧 入れ代わりの 儀式があった。

新住職 誕生に 檀家、信者、遍路と
喜びにわいた あくる日の 出来事だった。

『痛い ! 』

ガン末期や胆石などは
まだ経験していないので痛さは 分からぬが
きっと それに匹敵する 痛さだろう。

医者は 言った。
『お酒の 飲みすぎですよ』

親類の 偉い 先生も 脅す。
『おまえ、それ以上 飲むと 死ぬぞ』

暫くは 痛みの怖さもあり
死んだように 節制に 節制を かさねたが

人間とは 哀れなものだ。

のどもと過ぎれば 暑さ忘れて
『梅酒を 少しぐらいなら いいだろう』
『ブランデーを 水の如く 薄めれば…』

酒量は 極端に 減ったものの
年月を 経るごとに 元の木阿弥と なった。

今でも そうだ。
『お客さまが 来られているので
雰囲気を 盛り上げるために 少し…』

『友人が 来ているので そのときぐらいは』

自分で 言い訳して とどのつまりは

『ジジ 飲みすぎですよ。
それくらいに しておかれては』
と、いわれて 膨れるような 事だ。

【善をなすのを急げ 悪に対しては 心を守れ
善いことを怠りためらうと 心は 悪事を喜ぶ】

ジジだけでは ないだろう。
だれもが 善いことをしよう。
身体にも いい事を しようと 心に誓っても

ふと 気がつけば その気持ちを 離れ
自分で 言い訳をしながら
自分の要求を 満たすことに 夢中になっている。

人の 心は 弱く、放っておくと
すぐに 快楽や 怠惰に 流れてしまう。

自分を 高めたり
人のために なり 人が よろこぶことは
率先して実行しなければ ならない。

心の すき間に 【悪】が 入って こないように
隙間を 作らないように
常に 実行実践を しなければ いけない。

えっ ? 御託を並べないで
ジジも アルコールを飲むのを やめなさいですって。

はいはい。
合掌

【良いことをした 余韻は いつまでも残る】

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『軍人墓地に眠っている 親父を
うちの墓に移して 合祀しようと思うのです』

住職、出張中にて ジジが対応する。
武烈と書かれた 院号居士の 大きな墓だ。

『南方で 花と散ったのですが
戦地に 行く前に 自分の髪の毛を
残して いきました。

覚悟 していたんでしょうね』

『遺骨は 帰ってこなかったのですか? 』
『軍艦に 乗っていましたから…』

死を 決して 家を出た お父さんの事を思うと
胸が痛み 話を かえた。

『奥さんが 急に お亡くなりになって
寂しくなりましたね。
大きな お家に
あなた1人になってしまいました』

『家内が 居たころは 年寄り 2人が
子供や 孫の 話をしたり 楽しかったが
今は、そんな話を する人さえも いない。

風で 何かが 動いたり 音を出したりすると
家内が 何処かから 帰ってきたのかと
大声で 何時ものように 話す時が あるのです。

ああ 家内は 死んだのだ。
今のは 風 だったのだな……ってね』

『いつまでも 悲しんでいても
誰も 代わってくれないし
喜んでも 悲しんでも くれない。

考えかたを 切りかえて 楽しく暮らそうと…。
変な 話ですが 1周忌が 終わるまでは
家内と 同じ部屋で一緒に 暮らそうと
思っているんです。

親父を 軍人墓地から わたしの墓に
合祀したのも 家族は みんな 一緒。

あの世でも この世でも
手を取り合って やっていきたい。

…そんな 考えから なんです』

【現世で よろこび あの世でも よろこぶ
善い 行いをしたひとは
どちらの 住処でも よろこぶ】

わたしたちは 良い おこないをしたときは
している 自分自身が うれしい。

それは 自分の 心の中にある
優しさや 思い遣りの心に 気づき

その 心のままに 行動できたからでは
ないだろうか。

また 人のよろこびに 心が共鳴する事で
生まれる 喜びかも しれない。

そして その 喜びはいつまでも 続き
さらなる 善行を みちびく。

檀家の その方も 善行を積み
いつまでも 悲しみにくれていないで

今までどうり 隣近所と 冗談がいえれば
しあわせは どこからか 湧いてくるだろう。

別れしなに ポツリと 言った。

『家内の 信女の 戒名、
居士号に かえて もらえんだろうか ? 』
合掌

【人の云々よりも 自分の 一挙手一投足を みよ】

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もうすぐ 本山の 宗会議員の選挙がある。

国で 考えると 国会議員を 選出すること。
今年が 改選期で 候補者は 必死だ。

お坊さんと言えば 若き日にチョットした
問題が あった。

本堂からの 連絡で
【法主の 先輩に当る方】が団体で来られている。
人数は マイクロバス 1台だとの 事。

『やれ うれしや。
先輩が 団参で 来てくださった。
先輩は 勿論のこと、お檀家の方々にも
できる 歓迎と 接待とをして 差し上げたい』

時間がない。

【般若心経】3巻 唱えている間に
部屋を 片付け お香を焚き
賄い方は その用意をしなければ んらない。

短時間の 間に 寺内 総がかりで
なんとか 準備が 完了した。

ところが 本堂から
【先輩に 当る方】は カンカンに憤慨し
頭から 湯気を出して 帰ったそうだ。

原因は お高くとまって 顔もみせない、
との事だった。

【ただ 自分が したことと
しなかったことを みなさい】

釈迦は 諭す。

私たちは
自分の 行動が 良いか悪いかを さて置いて
人の 間違いや 行動が気になり
褒めたり 批判したりする。

しかし 幾ら 人を褒めようが批判しようが
自分の 血となり 肉とは ならない。

問題は わたしたちが
一体 何をして なにを してこなかったか だ。

必死に 接待所を作ってくれた 従業員の 手前、
『えっ 怒って お帰りになった ?
せっかく こんなに 用意を したのにね』
と、ボヤいた。

でも この是非は ハッキリしている。
ジジは 豪華ホテルのように 綺麗に掃除され
入った途端、香の匂いが 鼻を突く…

そんな 形式主義を 目指して いたんだね。

ところが 先輩は そうでは なかった。
拝んでいる その場所に すっ飛んで行って
『先輩 ! よく来てくれました』と。

それだけで 我がも 嬉しいし、
檀信徒の 方達の 手前でも 顔が たつ。

形式ばかりに 拘って
心が 伴って居なかったのだね。

私たちは 今、行動している一挙手一投足を
もう一度、見つめ直し
自分が どうしなければ ならないかを
考えなければ ならない。

『あんた、あの時
私たちのために 接待を 用意していたらしいな』

19年も 過ぎてから 先輩が ポツリといった。
合掌

【されど 母は つよし】

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『ジジー。
元気だったよ。元気 元気 !! 』

娘たちからの 電話だった。
弾むような 声をきいただけで 全て分かる。

次女の無二の親友でジジの事を『おとうさん』
長女には『お姉ちゃん』と 呼び
ジジも 本当の娘のように かわいい。

ところが 彼女は 待てど暮らせど
何年も子供が 授かることが なかった。

そして やっと念願の 子供が子宮に授かった。
が、皮肉にも 天にも舞いあがった心と裏腹に
その身体は 病魔に 蝕まれていたのだ。

医者は 母胎の安全を重視して
せっかく 授かった赤ちゃんを 諦めるように
進めた。

皆さんだったら どんな行動を とるだろう?

本人も 大変な 病に かかったうえ
何年も 何年も 授からなかった
しかも 尊い 命を 諦めろと 言うのだ。

気が狂って しまうよね。

わたしの 母体は 一生懸命 治療に専念しながら
『わたし、赤ちゃんを 生みます』

彼女は ハッキリと 方向を決め
そして 宣言を した。

赤ちゃんが 無事に 誕生した。
母子ともに 元気だ。

『ああ、良かった。
早速【小豆島大観音】の ご本尊と【子安観音寺】
の ご本尊さんにお礼を申さねば』

ジジは 朝顔が 大好きだ。

以前にも 【母の アサガオ】でブログを書いた。
母が 病院に入院 する日に 朝顔の 種をまき

帰らぬ人となってから 素晴らしい
大輪を 咲かせた…。

それから 朝顔を 母親とも思い
毎年 種を まいている。

今年も 大輪 小輪 色んな花々が 咲き誇り
父とも思い 母とも 思い ジジを 喜ばせた。

諸行は 無常にして あの ギラギラ光る
夏も 終わり それと一緒に
朝顔も 終わった。

母との 別れのような 心を 抱きながら
来年の為に 種だけを取ろうとした。

でも 何故か 忙しく
種を鉢の中に 残したまま完全に 忘れさていた。

ところが どうだ。
その 鉢から 再び 頭を持ち上げ
蔓が 伸び

大輪を 咲かせたのだ。

『アサガオの 二毛作 ? 』

物知らずな ジジは 始めても経験に
驚くばかりだ。

【奮励し 熟慮し 清き行動に つとめ
自らを 制し 法にしたがい 励めば
その人は 多いに 称賛される】

道が 2本に 分かれているとき
私たちは 全員が ぜんいん 楽な方を 選び、

いっ時の 喜びに興じ 我を忘れて しまう。

しかし その 怠惰に 鞭打ち
心を 奮い立たせることが 大切である。

すべきことをして 真実の 毎日を送っていれば
いざ鎌倉のときに
バタバタ しなくて すむ。

アサガオは 誰に 言われたわけでも
命令された 訳でも ないのに
1人 生きのび、大輪を 咲かせた。

新しい ママも 心を 強くもって
何事にも 負けず
勝利を 勝ち取って もらいたい。

かわいい かわいい 赤ちゃんの 為に
そして あなた 自身の ために。
合掌

【ごめんね、の言葉に 優しく 許す心を】

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久しぶりに 檀家の 法事にいった。

住職も他の法事があり
お施主さんが 私の同級生で
『年寄りのほうに 頼みたい』との事で
お参りが きまった。

お家に 上がるか 上がらない位の ところで
学校の先輩だった方が 小声で呟いた。

『本堂の 寄付、まだ してないけれど
寺に 持って行くからな。
遅れて 悪い 悪い』

お斎の段になって 法事の施主の方も
同じことを 言った。

なんか 心のなかに あったモヤモヤが
無くなって 今日の 秋晴れのように
晴れわたって いるのだ。

重要な事でも 1つ 1つ 解決していれば
そう 心に 残ることはない。

解決して いないことは 端々の
なんでも ない事が、胸に 残ることがある。

大笑いの 話がある。

15~20年も 前の話だ。
100人ぐらいの団体で スリランカにお参りをした。

タイ空港で 時間待ちをして 乗り換えた。
時間をもてあまし、先に日本のお土産をと
交渉に かかった。

その頃は ジジも 若い。
団体長が ゲーム感覚で 値段のやり取りを
しているのを 面白がって
大勢の 団員さんが 取り巻いた。

満座の 中で 金額が 決定し
これを スリランカまで 持ち歩くのも
大変だから 帰りに 貰うことに なった。

楽しい スリランカ参拝も 終わり
タイ空港への 帰路に ついた。

……ところが、だ。

『あなたも覚えているし あの話も分かっている。
しかし、あの時と 今と レートが違う』
と、なったわけだ。

『それは おかしい。
ここにも 書いたものが あるし
約束してから まだ 1週間も 経っていない』

また、野次馬が 『なんだ』『なんだ』と、
取り囲む。

結局
『法主さま、買うのを やめなさい。
こんな 嘘つきとは 売買の 交渉もできん ! 』

『そうだ ! 』『そのとおり ! 』

あの~ 。
売買しているのは 私なんですけど…。

とうとう 買わない 方向で 進み
日本への お土産が パーに なった。

もっともっと重要な事が 我が心から消え去り
こんな くだらない事が 心に残るのだろう。

檀家の 1部の方に しても
タイ空港の 売り子さんに しても

金額や 品物 云々よりも
その人の 心が 寂しかったのだ。

『ごめんね』

この 1言で 100年来の 怨念は 吹き飛ぶし
今まで 考えもしなかった絆が 結べる。

重要なことは 勿論のこと
くだらない 事でも
いち早く 修復を 試みることだ。

【謝る】
それに 対して
【許す】

これが、心の モヤモヤを 吹き飛ばして
この 秋晴れのような からりと晴れた
しあわせを 掴む 原点だろう。

一緒に スリランカ参拝した 団員さんが 言った。

『法主さま。
あの お土産の 金額の相違は 500円です』

『え~ ?! 』
合掌

【心 こもった貧者の一灯は 長者の万灯にも 勝る】

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伽藍 復興の勧進帳をもって 歩いている。

『こんな あばら家に よく来てくれましたな。
ご本堂が 大変な ことに なったとか。

見ての通り 貧しい年金ぐらし。
大きな事は できないけれど
【貧者の一灯】奉納させて もらいますよ』

姫路の 農家の お婆さんが
腰を 曲げながら そう 言った。

貧者の一灯……。

高野山に お参りすると
灯篭堂には 全国の善男子 善女人が奉納した
数え切れない 灯篭が ある。

その中に 【貧者の一灯】【長者の 万灯】と言って
永遠に 消えることのない 灯篭が 2つ ある。

1つは 白川上皇が 奉納なさった【長者の 万灯】

そして もう1つは 貧しき少女が 奉納した
あまりにも有名な 【貧者の一灯】だ。

槇尾山の 麓に おてるという 少女がいた。
貧しいが故に おてるは 里子にだされる。

やがて 両親も 養父も 養母も 亡くなり
1人ぽっちに なってしまう。

高野山の 伽藍復興の ために
祈親上人が
全国から 万灯の 奉納を 募っていると
いうことを 小耳にはさんだ。

亡き 父母たちの 追善菩提のために
灯篭を 1つ、奉納することを思い立った。

ところが 貧乏ゆえ 心は あっても
寄進する お金がない。

そこで おてるが 取った行動とは
女の命 とまでされる 【黒髪】を落とし
青銅 100文に 変え 貧しき 1灯を 献じた。

勧進帳を 見ながら 祈親上人は ないた。

『心の こもった 貧者の一灯は
長者の 万灯よりも まさる』

目の前の お婆さんの 顔をみて
【貧者の一灯】を 奉納した
おてるさんの 事を 思い出した。

震災が 起きたときに 口々に 云った。

『大金持ちの 大金の 寄付は うれしい。
しかし 小学生や 中学生の おこずかいの
100円のほうが もっと 大切だ』

わたしは お婆さんの手を強く握りしめ
心から お礼を もうした。

最後に 万灯会に 奉読した 空海の
【 願文】を 読みながら 筆を おこう。

虚空 尽き
衆生 尽き
涅槃 尽きなば
我が 願いも 尽きなん
合掌

【仏や 友人の 教えを いつも 心に 留めおく】

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『わたしの 顔を 覚えているかなあ。
なぜか ドキドキするね』

スリランカの 高僧が 子供のような顔をして
ジジを ふり返る。

《母を訪ねて 3000里》では ないが
素晴らしい 人生劇を 見せてもらった。

『あなたは 結婚して 何年に なりますか?』

『来年が ちょうど 40周年 かな ? 』

『……それならば
私が 始めて日本にきて 45年んに なる。
社長、覚えて いるかなあ 』

僧正は 日本と スリランカとを行き来し
今、日本で 大統領に 1番 近い人だ。

成田に 1200坪の 自宅 兼 寺が あり
群馬の 月夜野には 5000坪の 寺が ある。

社長の ほうは 神戸を中心に 大小 16店
ラーメンの 大チェーン店の オーナーだ。

お互いに 大成を夢見て 裸一貫で 都会に憧れ
食うにも困り 着るのものない
貧しき苦節の時代に 知り合い

マキを わり 飲み水を分けあって 飢えを凌いだ。

お小遣いが 手に入ったときは
必ず 僧正にも 分け与えた。

その 社長と 40年ぶりに 再会するのだ。

2人は 共に 大成功しているのは
知らなかった。

それは ともあれ
70歳 前後の 老人が 現れた。

『社長だ ! 』

向こうも 直ぐに 僧正が 分かった。

40年の 空白の時間は あっても
2人には 言葉は 要らなかった。

しっかりと 抱きあって 2人は
人目も はばからず
いつまでも いつまでも ポロポロないた。

【仏の弟子は 常に よく 目覚めている
夜も 昼も 仏を 念じる】

昼夜を問わず 仏を念ずると いうことは
どんな時でも 常に 仏のことを
思っているという 事だ。

そして 仏の 教えを いつも
心に 留めていると いう事である。

釈迦は えらい。
キリストは 素晴らしい。
マホメットは 偉大だ。

しかし それと 同じくらい 大切な仏は
心から 信頼できる 【友人】である。

2人は 40年の時間的空間内な 時間の中で
お互いが お互いを 忘れず
常に 念じあった。

時間が 経てば 心も 変わる。

明日の 事すら 分からない 私たちの
哀れな 心の なかで

長年の 月日にも拘らず 1本の絆は
更に 太くなって 2人を 結びつけた。

ポケットから 名刺を 出したり
引っ込めたりする ジジの姿は

通りすがりの 人からみると
さぞや 滑稽だっただろう。
合掌

【人さまを指差した 自分が 自分の失策に 気がつかない】

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3人で 電車に 乗っている。

ジジ夫婦と スリランカの 高僧だ。
法要も 終わり お見舞いもあり
また、本堂再建の 勧進帳を持っての
寄附 勧募だ。

ちょうど 3人とも 座ることができた。
悪いくせで
誰か 変わってあげるかたが居るかなと
見渡しても いなかったからである。

スリランカの高僧は 自分の小さな トランクを
軽々と 網棚の 上にあげた。

と、横をみると 中学生か 高校生ぐらいの
生徒が 座っていた。

靴のまま 前のシートに 足を伸ばしている。
『あの ポーズの方が 疲れるだろうな』
『お家でも 土足で踏み歩いて居るのだろうか』

要らぬ 詮索をして居る間に
電車は プラットフォームに 滑りこんだ。

スリランカの高僧が
網棚から 荷物を 下ろしている。

『手伝って おあげしたら ?』

隣から 矢のような ヘルプの 催促だ。

立とうかな ?
腰を 浮かしそうに なった。
よく 考えてみると ジジが そのカバンを
持たせて頂いたときも 軽かったし

棚に 乗せたときも 軽々と のせた。
ここで、大袈裟にヘルプの行動を起こせば
かえって 僧正のプライドを傷つけるのでは?

瞬時、躊躇したときだった。

僧正の 隣に座っていた 若き女性が立ち上がり
2人して カバンを おろしたのだ。

ジジの 隣に座っていた人は
さあ 烈火のごとく 怒った。

【他人の 過失は 見えやすいが
自分の 過失は 見えにくい】

私たちは 人さまの 過失や 欠点や 失敗は
直ぐに 気がつき あれこれと指摘し
注文を つけたがる。

そうすることに よって
優越感に 浸れるからかも しれない。

ところが 自分の 悪事や 欠点となると
なかなか 気がつかなかったり

気が付いても 認めたくなかったり
他人からの 指摘や注意を 極度に 嫌う。

そんな 事では 私たちは 少しも成長しない。
自分の 間違いや 欠点に 真正面から 向きあい

人様からの 忠告は 真面目に聞かなければ
ならない。

電車の中で
生徒さんの 行動に 違和感を感じた ジジが
自分の 失策が 分かってなかったのである。

よく あるよね。
私たちの 日常生活で、そういう 事。
合掌

【天から 金銀財宝を降らせても 私たちの欲望は とどまらない】

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小豆島大観音の 大法要も 無事に終わった。

法要を迎えると 必ず 思い出す大恩人が居た。

俳画の 大家で 老僧の同級生だ。
寺の上に お家があって
『子供の頃は よく 老僧と寺であそんだ』と。

大阪に 出ている先生は 法要どこに
小豆島に 帰ってきた。

子供のような ところがあり
大観音の 落慶法要の日に 天気予報を見て
2人して 【てるてる坊主】を つくり
一心不乱に 手を合わせた。

そんな 先生が 晩年、
だんだん 島に帰れなくなるのを配慮して
寺の 上にあった 自分の屋敷を
寺に 寄付することを 言い出した。

2人して 現地までいったときに
画伯が 叫んだ。

『な~い 。私の 屋敷が ない !』

よく見ると 3メートルぐらい下に
隣の 畑は あるが 実際 先生の住んでいた
屋敷は 跡形もなく 消え去っていたのだ。

蛇が カエルを 飲んでいるような
歪な 形で 下の畑が 膨らんでいる。

『下の 畑の おやっさん、
ワテが 大阪に出て 小豆島に 居らんのを
知っていて 少しづつ 崩したな』

確かに そうだ。

はじめから 50坪もある 屋敷を崩したりしない。
雨や 嵐で 崩れた 土地を
少しづつ 少しづつ 鍬を入れていたら
いつの間にか 大邸宅は 姿を 消したのだ。

釈迦も いう。

【天が 金銭を 降らしても
欲は とどまるところを しらない】

『大金は要らなくても あと少し お金があれば』

『苦労してマンションは 得たもにの
一軒家にも 住みたい ものだ』

大抵の 人々は ほんの ちょっとした
願望を もっている。

ところが その 願望が 満たされると
その願望が 大きいか 小さいか
高いか 低いかは 別として

次なる 欲望が 湧いてくる。

1万円札を 富士山の高さまで積み上げた人は
こんどはエベレストを めざそうと。

たとえ 天から 金銀財宝を 降り注いでも
次の 欲望が 湧き上がり
決して 満足することは ない。

下の 畑の おじさんも
『これぐらいなら いいだろう』
それが 満たされれば
『また これぐらいなら いいだろう』と
崩していくうちに 無くなったのだ。

満たされた 欲望の 喜びは
アッというまに 終わり

満たされない 苦しみが
それが 満たさるるまで
長く 続くのだ。

【如実知自心】

足るを知る とこを 知り
無明の中で 欲望を 捨てることができれば
しあわせと 喜びの 日々を
送ることが できるだろう。
合掌

【クリスマスの日だけではない。毎日 サンタで ありたい】

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小豆島大観音で 1年に1度の大法要があった。

忙しい中 法要を盛り上げるために
多勢の 人たちが 駆けつけてくださった。

浪曲では あまりにも 有名な
天光軒 満月先生も 【空海 一代記】という
題名で
空海が 遣唐使の 1人として 西安に行き
青龍寺の 和上より 【真言密教】を伝授され

日本に帰って 高野山を 根本道場として
日本じゅうに 広めたと 語られ
万来の 拍手を 得た。

先生は 昨晩 寺に入られ 孫に山のように
オモチャの プレゼントをくださった。

孫が 狂喜する 姿をみて 両親がよろこび
その 姿をみて ジジが 喜んだ。

【現世に よろこび 死後にも よろこぶ
良い 行いをしたひとは 二つの場所で 喜ぶ】

わたしたちは 善行を つんだときは
自分にも 喜びを 感じる。

それは 自分の心の中にある 優しさや
思いやりにきずき
この 心の なすままに 行動できたからでは
ないだろうか。

そして 喜こんだ 人をみて
うまれる 喜びなのか 分からない。

諏訪病院の 名誉院長 鎌田 實 先生も 仰る。

人間は 良い 行いをしているとき
名前は 忘れたけれど 素晴らしい
エキスが 出ているんだって。

だから その エキスが 途絶えないように
常に 善行を 積むことを 心がけなければ
ならない。

満月先生は
海外で 貧しい子供達に出会ったとき
心 貧しい 私たち 日本人が この子達に
なにか 出来ることは ないかと 悩んだ。

思いついたことは
クリスマスの日 だけでは ない。
毎日 いつでも サンタさんだ。

『いまでも クルマの トランクに
一杯、オモチャが 入っているよ。

それは 子供たちの 喜びをであるとともに
私の 喜びでも あるのです』

ジジは この 第法要で また 新しい喜びを
教えて いただいた。

そして 喜びの エキスが 途切れないように
常に 人の 気持ちにたって 考える

そんな 自分でありたいと
心から 思った。
合掌

【大本山 小豆島大観音 大法要 厳修】

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吸い込まれすような 真っ青の秋空の中、
大観音の 法要が 執り行われた。

【ジジの 挨拶】

遍路の 減少
小豆島観光客の 減少
島内外の 方達が自分の本尊として
小豆島の真ん中に シンボルをつくる

その気持ちで みんなが一丸となって
密厳国土を 作り上げた。

その 本尊も 来年は 20竿を 迎える。
お色を 塗りかえて 境内を整備して
100% 後代に 譲るつもりでいた。

ところが 昨年の 4月に 子安観音寺の
本堂の屋根が 未曾有の突風で
飛んでしまい
再建を 余儀無くされた。

あの わたしたちの 懐かしい
本堂は もう ない。

大観音の 建立のときのように
みんなが 一丸となって 取り組みたい。

【谷久 大観音奉賛会長 県議会議員 挨拶】

秋季法要に 多勢の 皆さんの おまいり
ありがとうございます。

150万人 200万人の観光客が 100万人を
割っている。

もう一度、官民協力して 観光客を伸ばしたい。
みなさんが その 礎に なってほしい。

【岡田 大観音奉賛会 顧問 土庄町長 挨拶】

鳥取を 始め 山陰のみなさん 岡山 広島 但馬
播州 若狭 大阪 京都 京阪神のみなさん
こんにちは

これから 柴燈大護摩を 厳修します。
いままでの しあわせを 感謝し よろこび

今日の 護摩に 会うことによって
更に 来年 再来年と 健康で しあわせな
ひぐらしが できるように お願い しましょう。

【ペルポーラ ビパッシー財団 理事長 挨拶】

本来は スリランカ大統領の 誕生日で
各国の 重鎮が お祝いにこられて
わたしも 出席しなければ ならなかったが
大観音の 法要の方を 優先して 駆けつけた。

利根川も 京都の鴨川も 淀川も
最後には 海に 流れ込んでいく。

ところが どの 海を見てまわっても
これが 加古川の水、これが荒川の 水と
書いてある 海は 見たことがない。

美しいものも 汚いものも
清濁 合わせて飲むのが 大海なのだ。

大海とは お釈迦さまの 教えの事。

悪い 考えをし 悪い 行動をするひとも
善行を 重んじ 世のため 人のために
尽くしている人も

お釈迦さまの 広い 大きな心の中に
入ってしまえば 1つに 混ざって
【清浄】な ものに なる。

みなさんも どうか お釈迦さんの
大きな 心に 欲して
楽しい 素晴らしい 日暮をしてください。

【天光軒 満月 先生】

空海 一代記を 浪曲で ご披露してくださった。

皆さんの 強力により 気持ちもいいような
秋の 陽射しの中 、無事に 法要は
終了した。
合掌

【同じ 事を起こすなら それは 笑顔で やろう】

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【大本山 小豆島大観音】
年に一度の法要が厳粛 かつ盛大に 厳修される。

メイエメントは 【柴燈大護摩】だが
住職を 中心に 多勢の行者が 修練と行の結果、
こんなに素晴らしい護摩を お披露目できるのだ。

只、残念なのは 小豆島参拝 遍路の減少により
大観音の 法要への 参加者の 減少だ。

昭和 54年の 【山ノ観音 本堂 落慶法要】時は
1万食の お弁当と うどんを 用意していたのだが
とても足らず、
5000人分の 弁当に 頭を抱えたこともあった。

全ては 《春の 夜の 夢》だが
ただ 記憶にのこるのは 人間関係の難しさだ。

多勢の お参りが 来られる。
万歳 万歳 ! では ない。

この日のために
何百人体制で 1ヶ月以上もかけて
準備を するのだ。

本番当日に なると 考えもしなかった
いろんな アクシデントも おこる。
今までの 疲れも 重なって 大爆発をする
奉仕役員も 出てくる。

20歳代の ジジは 目を 白黒させて
立ち往生するだけ。

そこに 法要委員長の声がした。

『文句を いうな。
腹を立てるな。
膨れるな。

なにが どうでも この法要、
やり遂げねば ならんのだろう。

どうせ やるのなら 不平なんか 言わないで
笑顔で 参拝者に 対応しなさい』

ジジは 声は 発っすることは出来なかったが
張り子の虎のように 首だけ振っていた。

釈迦も いう。

【励むことを 楽しみ
怠けることを おそれる僧は

大小の 煩悩を 焼きながら 進む
まるで 火のように】

自分と 常に向き合い
自分のやるべきことを楽しんで おこなえば
良い 結果を 生むことが できる。

辛くても苦しくても 自分を高めることには
心から 楽しんで やらねば ならない。

会社でも 地域でも 家庭でも 同じことだ。

この 仕事は 結果、どうしても
やり終えなければ どうにも ならんのだ。

そんな時、不平不満を いいながら
仏頂面で 膨れながらするよりも

同じことならば 心を 正しくして
笑顔で 誠心誠意 やったら 如何か ?

その方が 能率も あがるだろう。

仕事も 勉強も 家事も ボランティアも。

釈迦も 法要委員長も 同じことを 言われ
私たち、凡人を 諭されたのだ。

法要が 近ずくと 懐かしく 思い出す。

そして この 素晴らしい言葉を
後世に伝えて行きたい。

合掌

【死の 直前まで 抱いた目的は 果たせ】

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昭和の歌姫 島倉千代子さんが 亡くなった。

肝臓ガン 75歳だという ことだ。

彼女が デビューしたとき
別世界から 天女が 舞い降りてきたのかと
見間違えるくらい 絶世の美女だった。

ジジが 勉強している 四柱推命にも
押せば 折れそうな 可憐な美しい花だが
その芯は 容姿とは裏腹に
根ぶとく しっかりした人 とある。

華やかに みえた 芸能生活の 裏は
私たちが 想像すらしなかった
波乱万丈な 人生で あったらしい。

それでも 彼女は 最期の さいごまで
歌姫を 忘れず 歌い続けた。

11月 18日に 人生 最期の レコーディングを
計画していたが 体力が もたないので
早めて 欲しいと 依頼。

11月 5日に 自宅に 機材を持ち込み
立派な スタジオの中で 堂々と 歌いきった。

11月 8日 死去

自分の 死に際を 知っていたようだね。

そして 歌姫は 死の直前まで
歌うことを 忘れなかった。

釈迦の 言葉が ある。

【美しく 麗しい花でも
香りのないものが あるように
良い教えでも 実践しなかったら
その 実りは ない】

キンモクセイは その シーズン ( 秋 )が来ると
独特の 素晴らしい 香りを 周囲に漂わせる。

美しいだけでなく 素敵な 香りを持つ花は
私たちの 心に 安らぎを 与えてくれる。

同じように どんなに 立派な 教えでも
耳で 聞くだけで
実行 実践が 伴わなければ

わたしたちの 最終目的である
安心や しあわせを 得ることは できない。

勉強と 実践が 両立しなければ ならない。
と、釈迦は 苦言を呈する。

お千代さんは 徹底的に 歌の基礎を
マスターした上で
死ぬまで 歌を 忘れることは なかった。

わたしたちは どうだろう ?

ガンに なったら
『痛い ワ』
『苦しい ワ』
『悲しい ワ』

人生を 悲観して 嘆き悲しみながら
死んで いくのだろう。

最後に レコーディングした日に
収録した 本人の 言葉を 私たちが
もう一度 聞きながら 筆を おこう。


わたしの 部屋に中に スタジオが できて
わたしは できる限りの 声で 歌いました。

自分の 人生の 最期にもう 1度とみられない
この風景を みせていただきながら
歌を 唄えるって
こんなに しあわせは ありませんでした。

人生の 最後に 素晴らしい 素晴らしい
時間を ありがとうございました。
(11月 5日 自宅にて )

諸行無常 是生滅法
合掌

【夢と 希望と目的が ない人は 屍 と 同じ】

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ビートルズの ポールマッカートニーが 来日した。

ビートルズ…。
中学校を卒業して 親元を離れ 集団就職、
心寂しく美空ひばり や 三波春夫を 聞いていた
私たち 団塊の世代の者には 大きな衝撃を与えた。

真似て ロングヘアにしたり
ギターを 購入して 楽団を組んだ若者も
少なくは ないだろう。

その メンバーの 1人、ポールマッカートニー。
御年 71歳。

日本では 前後 6回の 公演を予定しているとか。

友人の ブログを みると
このように 書かれていた。

『ポールの コンサートに 大阪まで いった。
流石に 元 ビートルズ、物凄い 迫力だ。

彼の年齢は 71歳。
私も 歌手のなかでは 年上のほうだと
タカをくくっていたが
ポールの 気迫 意欲 迫力には 圧倒された。

まだまだ 未熟者の わたし、
もっと もっと 精進して 励まなければと思った』

釈迦も わたしたちに 釘を 刺す。

【励む者は 死なず
怠ける者は 死んでいるのと 同じ】

希望と 目標をもち それに向かって
邁進している人は
生死を超えた 永遠の 安らぎを得られる。

その 一刹那に 快楽や 貪欲のみを求めて
自分を 見つめることを 怠るひとは

【真の 喜び】を 知らないのだから
たとえ 生きながらえても
それは 死んでいるのと同じである。

鏡で 自分の 一挙一動を 写し見て
一体、どんな 毎日を 送っているかを
見るがいい。

そのように 苦言を 呈される。

ジジは 61歳の 厄年に 晉山式をおこない
元 住職と 政権交代をした。

これを 聞いて このまま
何もしないで 死をむかえるもは 勿体無い

希望と 目的をもって
それに 向かって 進んでいこう。

そのように 思う。

合掌

【 一通の 手紙 】

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ジジの とろろに 1通の手紙が 届いた。

先日、勧進帳を持って 播州道を 歩いた時、
お家で 出会った娘さん からだ。

彼女は 3年前に 父親を亡くしたときの
ショックで 言葉を 失った。

余りにも 印象的で
私たちに 勇気を与えてくれる 文章なので
本人への 失礼も顧みず 書かせてもらった。

全文

先日は わざわざ 私のお家まで
足を運んでくださり ありがとうございました。

とても 嬉しく 思いました。

きっと 父も ご先祖さんも
私と 同じ 気持ちだと 思います。
心より 感謝、お礼 申し上げます。

この度は 立派な お札をいただきまして
本当に ありがとう ございます。

床に お祭りを しました。

これからは ご先祖さまや 父親に
手を合わせると共に お札にも 手を合わせ
1日 1日を 楽しく 笑っていられるようにします。

父は いつも
『あなたは 私の横で ニコニコ
笑っているだけで いい』と、言っていました。

これからは 手を合わせ、笑っていられるように
精進 致します。

首から さげる 真っ赤な 可愛い お守り
早速、首に 掛けました。

これからは いつも この お守りと一緒です。

嬉しいときも 悲しいときも どんな時も
この お守りと 一緒。

なにか 心に グッときたら
このお守りを 握りしめ、
私の 心を 大切に 致します。

大切に します。
何もかも 全て。

わたしは 一生懸命に 生きるから。

笑顔を 大切に 一生懸命に がんばる。

沢山の お心の こもった
素敵な 贈り物 ありがとう。

大切に します。

心を こめて 本人

いやはや
すごいでしょう ?

釈迦も 言っている。

【奮励し、熟慮し、浄き行動に つとめ
自らを 制し、励めば
その人は 多いに 賞賛される】

私たちは たいてい 楽な道を 楽な道をと
選び、いっときの
しあわせや 喜びを求めて 狂喜する。

しかし その 怠惰に打ち勝ち
心を 奮い立たせることが 大切である。

彼女は 彼女なりに 一生懸命に
生きようと している。

間が抜けた顔をして
いつがn朝か夜か分からない生活をし
つまらない 怠惰な 毎日を送っている
わたしたち、

恥ずかしく ないか。

勿体無く ないか。

限りある 人生。
するべきことをして、我がゆくみちを決め
それに 邁進したならば
多くの 人の 知るところに なるだろうし

ウン と、目を閉じた時、
『しまった、しくじった』と、大慌てすることも
ないだろう。
合掌

【煩悩の 林は 根こそぎ抜かなけれな しあわせは こない】

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『高野山で 僧階の昇補が あったようですね』

住職が 定期的に高野山から 送られてくる
新聞を 持ってきた。

《1級 11名 昇補 2級 22名 昇補》

ジジの 仲の良かった人が 写真入りで
11人の中で 2人 掲載されていた。

2人とも みんなが知っている大寺の住職で
1人は 本山布教師の テストのときに
『村垣、これでは お前、落ちるぞ』と、
これからテストされる 原文を全て 書き直して
くださった かた。

これは ジジの ブログに 詳しくかいている。

もう1人は 【学修灌頂】を 受けるために
一流伝授だの 学会だの 習得しなければ
ならない お勉強が ある。

その時、共に 習学した 先輩だ。

2人とも 本山で そして 宗団で 地域で
それぞれ 大活躍をした 大人だ。

1級 登補

【大僧正】の ことだ。

本山への 貢献度、
今までの 宗教活動、
本人の 勉強実績
これからの 期待度、

全てを 加味して 厳正な審査の のちに
【大僧正】が うまれるのだ。

心から 喜ばなければ ならない。

ところが 度量の狭い ジジの心に
人間として 1番 してはならない
なんとも いえない 寂寥感が 湧いた。

2人は 本山で 大活躍の
所謂、檜舞台を踏んでいる 立役者だ。

それに 引き換え この わたし、
哀れな 見窄らしい ドサ回りの旅芸人だ。

いろんな事を 教えてもらい
共に 泣き、共に 喜んだ 友人 ( 先輩 )が
行く年月の 間に
こんなに 差が ついてしまった。

釈迦の 言葉が ある。

【林を 切れ 木を 切っては ならない
林から 恐怖が 生まれる】

木 とは 煩悩 つまり【欲望】を言っている。

私たちの 心の中は 【煩悩】が
林や 森の如く 樹立し 、
そこから 恐怖や苦しみ 不平不満が生まれる。

煩悩という 林から 煩悩の木を
1本だけ 切り倒しても
他の 煩悩が 生え茂っている限り

恐怖や 苦しみが 消え去ることは ない。

煩悩の林の 木々を 1本の 残さず
根こそぎ 取り去ったときに 初めて
本当の 安らぎを 感じることが できるのだ。

えっ 卑屈になったり
ジェラシーという欲望の 焔を メラメラ燃やさずに

自分自身、【足るを知る】ながら
1歩でも 前に進むように 切磋琢磨しなさいって?

【大僧正】昇進 おめでとうございます。
合掌

【いざ 鎌倉のときに 助けを求める 相手とは ? 】

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『わたしは 神や仏は 信じないわ。
本当に 信じられるのは 自分だけ』

豪語している 人たちが いざ鎌倉となれば
両手を 合わせて 懇願する。

1番 如実に表れているのが
今は あまり観ないけれど テレビ放送で
クイズに 正解すれば 1000万円というのを
やっていた。

『正解か ?』『不正解か ? 』
というところで、司会者の かけ声とともに
効果音の 音楽も 最高潮になり響く。

その中心には 目を閉じて 両手を合わせて
必死に 懇願している本人が いるのだ。

いけない事なのだが つい
『あれ ? 神仏など 信じないわ』と
言っていたのにと、醒めた目で 見てしまう。

私たちが 気がつかないだけで
私たちの 心の中には 神仏は いるのだ。

お釈迦さんでも 良い。
キリストでも マホメットでも
父でも 母でも 良い。

困って困って 困り抜いているときに
『おか~さん』と、
何故 心から すがれないのだろう ?

戦争にいって 愈々 玉砕するという時に
『おかあさん』と 叫びながら突入する。

日本では あまり 見られないが
外国にいくと 友情の 証として
互いが 抱き合い 頬を寄せ合う。

ちょっと 待ってよと 思うかもしれないが
これが 挨拶であり
私たちが 潜在的に持っている 実証で
【仏心】なのだ。

釈迦の 教えが ある。

【人は 恐れに かられて
多くの 山 林 園 木 霊樹に 手を合わせる】

わが 生き死にに 関する時、
自分が 欲しいものが 得られないとき、
持っている 財産を 失いたくない時、

わたしたちは 言う 言わない
思う 思わないに 拘らず
不安や 恐れを 感じる。

そんなとき 自分でも 気がつかなかったぐらい
真剣に 神仏と 向きあい
目をつむり 両手を すり合わす。

自分だけ 信じていれば 良いなんて考えは
本来、わたしたちは 持ってないのだね。

神でも 仏でも 母でも 友人でも
頼ることができる 存在が あるということは
最高の 喜びであり しあわせて ある。

ほろほとと 鳴く 山鳥の 声 聞けば
父かとぞ 想う 母かとぞ 思う
合掌

【私たちは 人の欠点は 見えても 自分のは みえにくい】

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何十年も 慣れ親しんできた本堂が解体され
視野から 消え去った境内を見て
息を呑み 呆然と たたずむ 参拝者。

その 姿を見て 住職が ポツリと いった。

『檀家の方、お遍路さんは 勿論のこと
業者、郵便、宅配の方に 至るまで
快く 迎え 気持ち良く帰って頂くように
寺内 一丸となって 心がけなければ
いけませんね』

『急に 心境の変化が あったの ? 』

『本堂 再建を 悲願として 日本全国を
回らせて 頂いていますが
涙と共に、手を取り合ってくれて
こちらが 熱いものがこみ上げてくるような
激励を 受けることも あります。

反対に 迷惑千万と 牛馬の如くシッシッと
追い払われ 惨めな 思いをすることがあります』

『あるね~。
ジジも よく 帰れ クソ坊主 ! と、追い出されるよ』

『人のふり見て我がふり直せ では ありませんが
お宅を 訪ねたときの 喜怒哀楽を 考えたとき

悪気があって そう しているのではなくて
忙しいときに 業者の方が 来られた時、
つい《そこに 置いておいて》 と なるわけです。

その時の 彼らの 気持ち、
どんなのかなあ…?
そんな 事を 考えるように なりました。

どうして おつかれさま、お茶の 一杯でも…
そう言えなかったのだろうって』

釈迦の 教えが ある。

【他人の 過失は 見えやすいが
自分の 過失は みえにくい】

わたしたちは 人さまの 間違い 欠点 悪事には
すぐに 気がつき
やれ 笑った 怒った 滑った 転けたと
うるさい程、指摘をして しまいがちだ。

間違いを 指摘したことで 彼よりも上だと
優越感に 浸れるからかも しれない。

ところが だ。
自分の 間違いや 欠点には
気が付かないばかりか

人さまに 指摘されるのを 極端に嫌い
恐れる 癖をもっている。

それでは 自分自身は 全く 成長しない。
自分自身の 悪かったことに きずき
其れに 正面から向かい合ってこぞ

成長が はじまるのだ。

住職も 代替わりをして 5年目。
苦節を 重ねた精も あってか

人間的に ものすごく 成長したように おもう。
合掌

【渇愛に 囚われたひとは 罠にかかった 兎のようだ】

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友人の ばんば ひろふみ さんの 案内で
【オールナイト ニッポン コンサート】
に いった。

【西日本放送 開局60周年 記念】の
記念事業の 一環として 約 2000人を有する
会場で 行われた。

西日本放送の 先代、現オーナーと 2代続けて
可愛がって貰っているので心から 祝したい。

ばんば ひろふみ さん
イルカ さん
南 こうせつ さん

どの人をとっても 1人だけでも
会場を埋めつくす大スターが
3人も 揃ったのだから それは 凄い。

私たち 高齢者が 若き時代に
貧しき 生活、貧しき 心を 吹き飛ばし
生きる勇気と 希望を 与えてくれたのが
これらの アーチスト達だった。

勿論 腰がまがり 足を引きずって生活している
私たち 哀れな老人を 一瞬にして
青春の 真っ只中に 戻してくれた。

歌の 1曲 1曲に いろんな 情景が
走馬灯のように よみがえって くる。

ばんばさん、イルカ さん、こうせつさんの 順で
コンサートは 進行していった。

トップバッターの ばんばさんが 観客に いった。

『トップバッターってのは 難しいのですよ。
ダントツに 引き離して 後続者に
バトンタッチ しなけけば ならない。

エンジンが かかったのか かからなかったか
分からない状態で バトンを渡すのは
大変 失礼になる。

どうか 皆さん 一体となって
会場を 盛り上げて ほしい』

続いて イルカさんは 言う。

『2番 バッターは これもまた
難しいの ですよ。
ダントツに 引き放して バトンを受けたのだが
後続者に 追い抜かれたり する』

トリの こうせつさんも 言う。

『なんと言っても オオトリが 1番 大切。
せっかく 先のランナーが
先陣を切って 頑張ってくれているのに

オオトリで こけて しまったら
折角のコンサートが 台無しになってしまう。

みんなで 力を合わせて
この舞台を大成功に 納め
西日本放送60周年の 花向けとしたい』

イルカさんが いった。

『若い頃は あいつには 負けまい。
あの人には 負けたくないという
競争心が あった。

今、私たち 3人は 全員が 還暦をこしていて
互いに 競い合うという 心が 無くなった。

いまも、
バンバンや こうせつさんが言ったように
お互いが お互いを 助け合って 手を引き合い
この コンサートを 大成功させたい 』

釈迦の 言葉が ある。

【渇愛に とらわれた 人は
罠に かかった ウサギの ようだ】

渇愛とは 私たちが持っている【三毒】の1つで
飽くことのない 次から 次へと 湧いてくる
【欲望】の ことだ。

渇愛に 囚われたひとは まるで
罠にかかった 哀れな ウサギのようで
その 【欲望】に 束縛されてしまい

満たされない 思いを抱えて
日夜、苦しみ続ける。

芸能人の 人に 1番 怖い夢はと 聞くと
殆どの 人が
ガラガラに 空いている 自分のコンサートの
夢を 見ることだという。

余りの 空虚さに ガバーと 起きあがると
びっしょり 寝汗を かいているとか。

でも イルカさんが 申していた
こちらの 会場も 次の 会場も
満員に なって あたりまえ。

他の 人には 負けたくないとの
渇愛を 今だ 持っているとしたら
変な夢に 惑わされて 寝汗と共に
起き上がることも あるだろう。

ところが 全ての 欲得を 投げ捨てて
みんなで 手を取り合って 大成功させたい。
そのように 言われた。

人ごとでは ない。
ジジも もっと もっと 反省をして
【真の しあわせ】を 掴みたい。

かくして ジジの 大反省をもって
コンサートは 大成功の うちに
幕を閉じた。
合掌

【少女の ありがとうの メッセージは 何を意味するのか】

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お嬢ちゃんから 【ありがとう】の
素晴らしい プレゼントを いただいた。

姫路を 歩いている
信者さんのお家で お勤めの 後の 話だ。

彼女は 3年間、言葉を 失っている。

『小豆島の恵門ノ不動で おがげを頂きました』

母親が 言った。
『私の ことです。
メニエール病のような 症状になり
病院に 行くと 家に帰る間もなく 即 入院。

心筋梗塞を おこす 一歩、手前だったようです』

『どんなに 立派な 茶碗でも
時間が経てば 古びていくものです。
問題 ありませんよ。
ちょっと 修復をすれば いいだけです』

医者の 言葉に 安堵しながらも アレ?と思った。

3年まえに 主人が ガンで たった3カ月の入院で
天国に 召された時も こう いわれた。

『大丈夫ですよ。
今時、ガンなんて 風邪をひいたようなもんです。
壊れた 茶碗でも 大事につかえば
まだまだ 長く 使えます』

【人 (にん) みて 法 とけ】

私たちは 【方便】を よくつかう。
ちょっと ページが 無いので 辞書で 調べて見て。

その お医者さんは 患者の 顔を見て
その場 その場で 【方便】を 変えているのだ。

そして 患者は 奥さんのように 救われる人もいれば
ご主人の ように 鬼籍の人と なる 場合もある。

しかし、医者の 1言で 心 静かに安心して
闘病生活を 送ることが できるのだ。

『主人に 病気を宣告されたとき、
医者は 絶対に 駄目だといったが大好きだった
お酒と煙草を寝室に用意しました。

ところが なーに、今まで 飲み続け
1生分、吸ってしまったから もう要らないよ。

この 身体、大事に使えば まだ 暫くは
つかえるそうだ。

そう言って 手にしようとは しなかったのです』

私は こんなに 元気になり
主人も 3ヶ月という 短い闘病生活でしたが
少しも 苦しまず 心 静かに 旅立ちました。

これも 小豆島の 恵門ノ不動のご本尊と
お大師さんの お加護によるものと 喜んでいます』

1人は 元気になり 1人じゃ 黄泉の国に 旅立った。
これは 紛れもない 事実だ。

この 事実に 私たちの 考えは 2通 ある。

⚫︎心静かに しあわせに 暮らさせて頂けるのは
神仏の 加護によるものである。
心から ありがたいと 思い 尚一層、
帰依し 報恩謝徳の 日々を遅らせて いただこう。

⚫︎何年も 何十年も 神仏を 帰依し手を合わせてきた。
なのに わたしは 病気になり 主人は 死んだ。
神も 仏も あったものでは ない。

不平不満の 心を持っている人は
生きながらにして 地獄に 落ち

いつも 感謝し 喜びの毎日を 送っている人は
生きながらにして 極楽浄土に
密厳国土で 生活が できるのだ。

娘さんは 3年まえに 父を 失い、
なんと 言葉まで 失って しまった。

この 【ありがとう】のプレゼントは
何を 訴えて いるのだろう ?

と、共に 1日も早い 快癒を望んでやまない。
合掌

【決断し 実行促進をするのは 自分自身だ】

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『ママ、今日は少し お熱があるかもしれない』

小学生になった 孫が そう言いながら
レッスンにいった。

なんども 皆さんには 紹介したが
【ダンス オブ ハーツ】という学校に 通っている。

幼児課 児童課等を経て やがて 研究生となる。
その中で 【劇団四季】に抜擢されるのは
1年に 1人、あるか なしかだ。

ここの所、小さな オーディションに
2~3 合格して
本人は 当日を目前にして必死だ。

『風邪を ひいていると言っているが
ここの所、毎晩 帰りも 9時にもなり
疲れが でているのでは ないの。

今日は お休み させたら ? 』

ママに ボソボソ 言ったときだ。
当の 本人が ジジに 向かって 言った。

『身体のこと 気にしてくれて ありがとう。
でも、行ってレッスンしなかったら
みんなより 遅れてしまう。
これだけは 流石のジジだって
かわって もらえないもの』

コン ! と、咳をして 出ていった。

アッパ顔で 見送る ジジ。

【自分を もって 主( あるじ)とする
他に 主が いるだろうか】

私たちは 喜怒哀楽
嬉しかったり 悲しかったら
パパや ママ、子供達や 友人に 申す。

また、病気になったり
何かに 不安になったり 悩んだとき、
人に 相談したり、神仏に 頼ったりする。

大変 好い事で わたしも 大賛成だ。

しかし、なんの努力もしないで
最初から 負んぶに抱っこと
頼りきってしまうと
本来の 自分を 見失ってしまう。

相談するのは 神仏であり 友人であっても
いざ 決断し 実行するのは 自分である。

大きな 事でなくてもいい。
地道に 小石を 1つ 1つ 積みかさねていくうちに
ビクともしない 大きな 山になる。

孫も 今、富士山の 頂上を目指して
第一歩を 踏み出した ばかりだ。

たとえ 頂上まで 登れなくても
登ろうという 強い 精神力と 強靭な忍耐力で
こらから いろんな事のある

人生を 乗り越えて 欲しい。
合掌

【私たちが どうすれば 人様は 喜んでくれるのだろう】

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今日は 素晴らしい日だ。

本堂再建の悲願を胸に 勧進帳をもって
姫路を 歩いている。

朝 1番から たて続けに
3人の 90歳の お宅を 訪問できたのだ。

最初の 卒寿の方の お家では
ご本人が 矍鑠として 迎えてくれた。

しかし よく見ると 廊下の奥で
息子さんらしい 方が 立ち往生していた。

きっと 外出をしようと 玄関に近づくと
そこには 坊さんが いたのだ。

挨拶するでもなく 誰かと 聞くでもなく
ただ、立ち往生しているのだ。

『子安さん、まあ 上がってください』

おじいさんの 1声で 救われた。

次の お婆ちゃんも 元気溌剌だ。

3人目の 卒寿は 買物に出て 留守だったが
息子さんが おられた。
無論、初対面だ。

丁重に お家にあげて貰って お茶まで頂いた。

最初に 訪問した お爺さん宅と 比較して
なんとなく 暖かい 気持ちに なった。

『物を 比較するな』とは 釈迦の教えの
最たるものだが 凡僧な わたし
許して いただきたい。

一緒に 般若心経を 唱えているので 聞いた。

『父からは 幼少のころから 教えられました。
厳格な 父からは お経よりも
心の持ち方を 教わりました。

如何に接すると 人を満足させる事ができるか。
お金や お茶や 饅頭でなく
人を 喜ばせる 方法。

それは わたしたちの 持っている心 だって。

顔で 安心させ 目で わらい
口で 満足させる。

それを 教えられました』

釈迦の 言葉が ある

【あらゆる悪を 行わず 善行だけをし
心を きよめる、これが 仏の 教えである】

子供の頃から パパや ママ、爺さんまでに
『悪いことをしては いけないよ』
と、教えられ、
また 我が子や 孫に そのように 言っている。

しかし 人、全く 気づかずして
結果、悪いことを してしまうこともある。

そう 考えると 『わたしは 善行しか していない』
胸を張れる人は 少ないのでは ないだろうか?

悪いことを せずに 良いことばかりすることは
私たちが 思っているよりも むつかしい。

だからこそ、意識して 【善行】を 心掛けよう。

一緒に 般若心経を 読んだ 息子さんも
決して 人様に対して 善行を 試みようと
したわけでなく

立ち往生した 息子さんも 決して
人様に 不快感を 与えようとして
した 行動では ない。

しかし、わたしも あなた達も 心がけようね。

どうしたら みんなが 喜んでくれるかって。
合掌

【いっときの 喜びよりも 真実の よろこびを】

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今日 日本海より カニを 頂いた。

余りにも ありがたく 余りにも勿体無かったので
寺と 子供や 孫たちが居る 芦屋に分けて
頂いた。

食事の 前に 【おことば】と称して
今の 思いを みんなが 言うことにしている。
なんと、3歳の 孫までが 最近【おことば】の
仲間入りを した。

みんなの お言葉の前に いつもは言わないのだが
ジジが 【おことば】を 言わせてもらった。

このカニは 日本海から 泳いできました。
こんな 新鮮で 今どき 珍しいカニを
頂くことが 出来るなんて
みなさんは しあわせものです。

当たり前と 思わないで 感謝をして
いただいてください。

感謝のない 喜びは 刹那 刹那の
一瞬の 喜び『おいしかったね』『珍しいね』で
線香花火で おわってしまいます。

でも 誰も 頂いていない 珍しいものを頂いて
心からの 感謝と 喜びが あるならば
それは 永遠の 喜びと なるはずです。

釈迦の 言葉が ある。

【わたしたちは 何をわらい 何を 喜ぶのか
世は 常に 燃えさかり 人は 闇に 包まれる
どうして 灯明を もとめない】

わたしたちは 自分の おもいや 欲望が
満たされることによって
よろこびを 感じ その場の しあわせに
興じて いる。

しかし お祭りが おわって日がくれて
御輿を解体する時、
なんとも いえない 郷愁を かんじる。

際限のない 欲望から 解放された とき
人は 我に かえるのだ。

欲望に 心を 惑わせることなく
真実の 灯りを 求めなさい。

釈迦は そのように 諭す。

わたしたちも ギラギラした 【自我】から離れ
何事に おいても 感謝の気持ちで
それに あたったら

心しづかな 平安な
わらいと しあわせに 包まれた 毎日を
送れることだろう。

『えっ もう カニを 頂いてしまったの ?』
合掌

【教育は 口ではなく 後ろ姿で するものだ】

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『おばあちゃん どうぞ お接待の おうどん』

ジジの 寺では 1人 参拝されても
1万人 参拝されても
全ての人に うどんの 接待が でる。

昭和32年度の 3度目の 本堂火災で
誰もが もう本堂は建たないだろうと思った。

焼けて 寄進を頂き その心を また消失し…。

それでも 先代の 血の滲むような 努力と
心あたたまる 檀信徒の 皆さんの
献身的な強力で
3度目の 本堂が 建った。

先代が 『この 暖かい ご恩に報いるために
参拝者 全員に ウドンの 接待をしよう』
昭和 35年から はじめた。

それは さて置き、
白装束で 身を固めた 豆遍路が
お経が 終わって 運ばれてきた 接待を
連れて こられた 祖母に 持って行っているのだ。

『おれ おれ ! 』
『わたし わたし ! 』
と、自分さえよかったら それでいい

他人が 喜んでいようが 悲しもうが
一切 我関せずの 腐れ切った この世代に
こんな 心根の 清らかな豆遍路が いたのだ。

孫 可愛さに お婆ちゃんのほうが
『先に よばれなさい』とか
『俺が 先だ』と、
兄弟で つかみ合いの 喧嘩は よく見る。

今日は お仕事で 一緒に 参れなかったが
豆遍路の パパも よく 小豆島の聖地を 踏み
今日の 白装束も パパが 幼少の頃、
それを着て 参拝していた ものだとか。

声 たかだかと 【般若心経】を 唱え
自分で 打ち鳴らす 木魚うの リズムも
下手な 先達よりも ずっと 上手だ。

お婆ちゃんは パパに
お大師さんが居て 今の私たちが ある。
私たちが 寄り添い 手を取り合って
人間関係が あるのだと 聞かせて育てた。

互いが 他人の苦しみを 自分の苦しみとして
【慈悲の心】と【方便のの羂索】を持ち
思い会い 助け合い 協力しあって
いかねば ならない。

その パパの 【後ろ姿】を豆遍路は
常に 見ていたのだ。

奈良の 薬師寺の 高田好胤 前 管長猊下は
常に 言っておられた。

『人間教育、特に 子供の 教育は
口で するものでなく
あなたの 背中で するものだ』

そうですね。
口で いくら 良いことを申しても
行動が ともわなかったり
反していると

聞かされているほうは それを 見ている。

『なんだ 社長 ! 』
と、指を 指されないように
みんなも 気をつけなければ いけないね。

先祖さんへの お花の お供え。
お爺ちゃんへの お茶湯の お供え。
本尊さんへの お供物の お供え。

いちいち パパが 言わなくても
その 後ろ姿を 見ているだけで

心根の 優しい 豆遍路が 育つのだ。

ジジの 孫が 大きくなったら
駆け引きなしで
成績優秀な人よりも
美男子よりも

こんな 優しい心を 持った人に
嫁がせたいな。

みれば みるほど
豆遍路の ちっちゃな 背中が
大きく 雄々しく みえた。
合掌

【善行は ぶれないで 最後まで やり通せ】

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3歳の 孫の 七五三の お宮参りがあった。

三連休の 土曜日という事も あって
家族ずれの 参拝は 押すな押すなだ。

神殿では モミジのような 手をあわせ
至心に お祈りをしていたし
終わって 外陣にて 千歳飴を貰ったとき
宝物のように 両手で 抱えて離さない

その緩急自在に 感心した。

ジジが 言うのも 自慢をするようで
へんな 話だが
大変 、しっかりしているし 優しい。

姉が お風呂から 上がったとき
いつも 身体につける クリームを 用意して
待っている。

姉たちが アンアン 泣いていつ時は
ちゃんと ハンカチを 持って待っている。

外出の時は みんなの 靴を揃えてだす。
ジジなんかは どれが 誰の靴かも 分からない。

釈迦の 言葉が ある。

【善い 行いをしても それが 熟さないうちは
善人も 空虚な 日々も ある】

生きている 今、いい事をすれば
死後、極楽浄土にて 仏様と日々暮らさせて貰い

悪いことを すれは 地獄の 奈落の底に 落ち
生まれ変わっても 人間として 生まれたり
牛馬に 生まれ変わるということは
六道輪廻の 因縁で 勉強したね。

ところが その カルマも 1 + 1 = 2
という 訳には いかない。

善行を 積んでも 積んでも
しあわせに 結びつかないことも ある。

そこで、なんで ここまで善行を積んでも
しあわせを 手にすることが できないのだ。

もう、やめた。

そんな ことでは 折角の 善行が 無為になる。
だれに 認めて貰わなくても
そのために 自分の 身に不幸が 続いても

『これは 善行だ』と、実印を押したことは
ブレることなく コツコツと 続けなさい

そのように 言われている。

孫も これから先、
輝かしい 毎日を送れる 保証はない。
山あり 谷ありの 人生だろう。

その時でも 【善行】は ブレないで
最後まで やり通す 孫で あって欲しい。

『無事に 成長しますように』と、ともに
その様に お願いをする ジジが いた。
合掌

【私たちの 思いが 早速に 現実に 現れる】

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たった 今、
長女の 友人の お父さんが 亡くなった。

お父さんも お母さんも 漁師で
寺にも 新鮮な お魚や 貝を 頂いた。

『これ、お母さんが 潜って とったのよ』

長女の 友人は 自分の 子供のようで
話す 1言 1言が 嬉しい。

数年前に お父さんが 病気に なった。
追いかけるように 友人の お姉さんも

病魔に 冒された。

何年か 病気と 闘い、
小豆島大観音からも 祈りのこもった
祈祷札を 送った。

明日が友人の お姉さんの 手術日となった。

友人が 提案して 一家で
温泉旅行に 行くことになった。

おとうさん、おかあさん、
明日、手術が 決まった お姉さん。
そして 友人の 家族だ。

夢のような 時間は あっと言う間に
流れた。

帰りの 車の中で お父さんが 呟いた。

『素晴らしい 思い出を ありがとう』

お姉さんも いった。
『明日の 手術を 控え、
こんなに 気を つかって貰い ありがとう』

そして その 直後、車の中で 言きれた。
お父さんは 友人の 思いやりの心に
心から よろこび

『素晴らしい 思い出を ありがとう』と、
感謝の 喜びの中で 永遠に旅立ってしまった。

【全ての ことは 思いを 先とし
思いを 主とし、思いから なる】

思い 感情、欲望、悲しみ、喜び…

心の中に 生まれる これらの ものが
私たちが みる、私たちの世界を 作り出す。

欲望や 怒りに 囚われて 生きて行けば
現実も 欲望や 怒りに満ちたものになり
余計に 【苦】に 苦しむ。

反対に 優しさと 慈しみの 心、
清く 正しい 心を 持っていれば

穏やかな 世界が 周りに広がり
安らぎと 感謝の気持ちで
バラ色の 人生を 送ることが できる。

【是】も【非】も
私たちの心は あっと言う間に 如実に現れる。

友人が とった 一家温泉旅行は
その結果として 【是】となって 現れ
お父さんは 心から 喜んでくれた。

『目の前で 父が 急死し
楽しかった 筈の 1泊旅行が
こんな 最悪の 結果となったが

私は 涙を みせないで おこうと 思う。

だって 父は
あんなに 喜んでくれたんだもの』

南無大師遍照金剛 合掌

【私たちが 何処までが罪で 何処までが 許してもらえるのだろう?】

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『先日の クレーム ,孫でなく ジジらしいよ』

娘 家族が住む マンションの 一室だ。
この前の 晩、ハロウィンのリハーサルだと
大勢の 孫の友人や ママ達が 集まった。

下の 住民から クレームが ついたというので
羽目を外した 子供達が 騒ぎすぎたのだろうと
鬱憤に思っていた。

それが 『夜の 6時から 8時までの 間に
テクテク テクテク 歩く音がする』
という クレームだ。

『お父さんは 朝から 晩まで 着物姿だから
運動不足でしょう』と、
歩く マシーンを買ってもらって 半年だ。

直後に 管理人から お叱りが あった。

実際に使用している 5万円の機械も見てもらい
『販売元は マンションでも 大丈夫ということで
歩いて いたのだが』と、言い訳をした。

安物だから 30分 あるいたら
ピシャリと 止まる。

お叱りを 受けてから 午後 5時から7時までに
時間があれば 30分 歩くことに した。

1日 24時間のうち 僅か 30分だし
ジジが 小豆島から この マンションに来て
テクテク 歩くのは 1ヶ月で 何日 あるだろう?

人間は お互いに 共存共栄して 助け合い
譲り合い 思いあいながら 暮らしている。

小豆島のような 田舎では 考えられない事だが
一体、どこまでが【罪】で
何処までが 【許容範囲】ゆるせる範囲だろう。

釈迦の 言葉が ある。

【全てのことは 思いを先とし
思いを あるじとし 思いから なる】

泣いたり 怒ったり 不平不満な心を もつと
その 通りの 現実を 作り出してしまう。

もし、怒りや 欲望に 囚われ
人の ことは そっちのけで
自分の しあわせ 安泰のみを 考える人は

その 人自体が ムシャクシャした
気持ちを 持ちつずけ、
苦しい 毎日を送ることになる。

反対に 清く 優しい 思いやりの
気持ちを 持っていれば

穏やかな 毎日が 送られ 隣近所の 人とも
笑顔で 手と手を 繋いで いくだろう。

これは 釈迦の お諭しの 言葉だが
田舎の 島国から 突然 都会に出てきて
お叱りを 受けている ジジ。

『お釈迦さんは 一体、何処までが 罪で
どこまでが 許される 範囲だと
お考えに なるんだろう ? 』

悪いから 頭を下げねば ならないのだが
なんとも 釈然としない ジジが あった。
合掌
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子安観音寺

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