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【今宵会う人 また 美しきき あなたの心も 私のこころも】

鶯の鳴き声と共に 小豆島に1枚の写真が届いた。

芦屋で サプライズの 誕生会が あった。

孫たちには それぞれ
父方 母方の 爺さん婆さんと 共に
もう1人の 爺さんが いる。

『コニ 爺』だ。

彼は 某テレビ局の 役員までつとめ
ジジの 長女も お世話に なった。

卒業後も ヨット、山登り、スキー、麻雀と
青春を謳歌し 友人も 大変 多い。

それと共に ジジの 子供や 孫たちを
本当に 親身になって 可愛がってくれる。

子供たちを何度も 病気に連れて行ったり
ママが 用事のある時は
孫たちの 面倒を みてくれたり。

誰が 言い出したのでは ない。

ファミリーが 本気で 口に出る
『コニ爺』なのだ。

この日は 孫の ピアノの 発表会があり
ママの 兄弟姉妹や 友人を はじめ
コニ爺も きてくれた。

その流れで みんなで ディナーに行った。

ところが テーブルに着くと
ハッピーバースデーの 曲とともに
誕生 ケーキが 運ばれてきた。

なんと 今日は コニ爺の 誕生日だったのだ。

お店の人までを 巻き込んでの
サプライズ だったのだ。

突然のことで 何がなんやら 分からずにいた
コニ爺の 周りで
あちらの テーブルも こちらの テーブルも
みんなが 立ち上がり
ハッピーバースデーの 合同唱歌と なった。

コニ爺から 小豆島に 喜びの電話が あった。

【松厳の下、白雲の 人を想う。
秋月 ひとたび押して 春花 再び 開く】

高野山の
風雪に耐え抜いた 松の木の生えた
巌の うえで 座禅をくんでいる 私は

空に 浮かぶ 白雲をみて
あなたの 事を 思っています。

秋の 月が とっくに 過ぎ去ってしまい
高野山の 山々にも ウグイスの声が
囀り わたり
もはや 春の花が 咲こうと頭を擡げています。

わたしも 膨らみかけた 梅の枝に とまり
春を告げている ウグイスを みて

想いを 白雲に託して
遥かとおい コニ爺の 事を 思っています。

やがて ご自宅の 周辺が
桜並木で ピンクにそまり

今宵会う人 また美しき

お花見をする人々で
多勢の 人たちが 右往左往するだろうと。
合掌
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【不撓不屈】

ソチ 五輪の 選手が 帰国した。

成田空港は 報道陣や 大勢のファン
1000人が 出迎えた。

そんな中で『わたしの 集大成を』と
話題になった選手は
金や 銀の メダリストを差し置いて
海外メディアの インタビューを うけた。

彼女は 2度目の演技が 終わったとき、
人目も 憚らず 涙をながした。

14~5歳で スケート界で 名前がでて
その重圧に負けずに 今日までやり遂げた。

本人にしか分からない 万感の
涙だったんだろうね。

世界の メディアは【世界一 美しい 涙】
と、報じた。

彼女は 開口1番 『昨夜の 失敗で 今日を迎え
《不安》や《恐怖》が あったが
メダルには 届かなくて それが 悔しいが
自分の 目指していた 演技ができた』
と、ハツラツと 語った。

【世界一 美しい 涙】に 関しては
『ショウトプログラムで 失敗して
自分の気持ちが どん底まで落ち込んでいた。

ホッとしたのと 嬉しさのあまり
昨日の気持ち 《不安》《恐怖》が 消えた。

空海も 万感 胸に迫った事を 綴った。

【中冬 霜 寒し】

季節は 冬の中でも 1番 寒い この頃。
霜が 無情にも 寒く降りています。

空海の 48歳の ときの 書だ。

遣唐使の 1人として 入唐したとき
【密教】を授けて いただいた時、
いろんな 宝具を 持ち帰ってきた。

その時の 【曼荼羅】が ある。
20年の 風雪でとても 傷んだので
朝廷の援助や 多勢の 善男子善女人の
寄進に よって見事に 修復された。

1幅の 修復された 曼荼羅を見ていると

唐から 帰ってから
高野山を 根本道場として
真言密教を 全国に広めるがため
寝食を忘れて 東奔西走した
日々が 脳裏に 去来する。

何事かを なし終えた 達成感とともに
斗藪殉道への 思いが再び空海を 捉える。

只々 涙 溢れるばかりだ。

それは アスリートにも 同様の
心が あった。

『自分の 強い意志で 諦めないでやれば
良いことが ありますよ』

本当に 斗藪殉道の 心だね。

現役 続行か? と聞かれると
『ハーフ ハーフ 』だって。

1日も 長く続けて 我々 大衆を
魅了する 演技を見せて貰いたいものだ。
合掌
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【花の 匂いは どんなに遠くにいても 人を喜ばす】

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住職と歴代 子安観音寺 先師の墓に行く。

『先代の 墓だ。
3度の 本堂火災にあい 3度 建てた人だ』

『これが 初代の 宥澄さんの 墓ですね』

『讃岐の 飯山から 太郎兵衛 次郎兵衞と
兄弟で 小豆島に来て
太郎兵衛が お坊さんに なり
弟が 寺の下に住んで 兄を助けたんだよ』

『これが先先代、老僧の お祖父さんですね』

『彼は
小豆島八十八ヶ所霊場を活性化さそうと
小豆島と 赤穂に 船会社を 造った人だと。

寒霞渓から 子安観音寺がある この村まで
車が 通る道を作ると 言っていた。

亡くなって 30年も経って 道が出来たけれど
お坊さんであって 色んな事に精通していた
人だったんだなあ』

『老僧が 元気な間に 知っている全てを
書き写すか 聞かせて貰ってなければ
これら全てが 闇から 闇ですよ』

国破れて 三階あり
城 春にして 草木 ふかし…
つわもの どもが 夢のあと

栄耀栄華は 梅雨のごとく 1夜にして 消え
その 消息も 知る人が ない。

しかし 彼らの 功績は
口から 口に 永遠に 語り継がれて いく。

空海も いう。

【身は 華と共に 落ちぬれども
心は 香と ともに 飛ぶ】

私たちの 肉体は 花が落ちるように
地に落ち やがては 消えゆくけれども

心は 香の香りが 辺りを楽しませるように
有縁の人々に 語り継がれる。

『ここが 私の 墓が くる場所。
この場所が 住職、あなたの 場所だ』

『僧侶の 場合は 戒名まで 決まっていて
幾ら 威張っても 高が知れているますね』

『そうだね。
しんな事を 考えると
生かさせて もらっている 今、
どのように 生きなければならないか
考えさせられるね。

欲張っても 自我をはっても
そんなものは 肉体が消えるよともに
消え去って しまうもですものね』

『わずかな 生かさせて 頂いている時間、
悔いのない 毎日を 送りたいね。

そして 梅の花の ように
遠くに いても その香りに喜んでもらい
語り継がれるような 人間になりたいですね』

いつまでも 名残りつきない
墓参で あった。
合掌

【お互いが お互いに 人の字に 寄り添って】

春の訪れととも 16人の奉仕団で
【小豆島大観音】に 1万本の芝桜を植樹した。

植樹が 終わるのは 1週間は かかるという。

応援に 駆けつけてくれた 友人 3人で話した。

ジジの 還暦の年に 晉山式をして
新旧、住職の 入れ代わりを した。

わたしも そうだった。
22歳で 寺に帰ってきて 25歳で住職になった。

両親が 元気で 私の 後ろには 必ず 居た。

わたしも それを見習って 住職を 引いたのだ。

総代会にでなくても 1言も 発さなくても
歴然として 年寄りの 存在が ある。

先代を 見習って そのように 実行したのだ。

『代変わりって 難しいね』

友人との 話の中で ジジが いう。

『遍路旅館の 主人は こう言った。
寺は 盛大な 晉山式をして 代はかわったが
うちは 誰もが 気づかないうちに
いつの間にか 主導権が 入れ替わっていた。

そんな 交代を したいな』

そして その旅館は 気づかないうちに
息子さんが 跡を継ぎ 年寄りは 亡くなった。

友人が いう。

『私が 見ておって
住職は あんたに 気を つかいすぎだ。

檀家があり 信者が おり
その中にたって 悶々としているようにみえる』

『え~ ?
しかし バトンタッチを してから
『ああ ここは この方が いいのにな』と思っても
決して 口を 挟んだことが ないけれど』

『釈迦に 説法やけど 釈迦の言葉に
《理智 他に あらず》ってのが あるやん。

年寄りの 意見と 住職の意見
どちらも 大切や。

片方が 強くて 片方が 弱い。
そうではない。2人は 車の 両輪のように
《理智 不二》で なくては ならんと思うんや』

釈迦は いう。

【理智 他に あらず。即ち これ 我が 心身なり】

【理】胎蔵界曼荼羅の 胎蔵界大日如来( 定印)
【智】金剛界曼荼羅の 金剛界大日如来【智拳印)

本堂に 入ると この 2つの 曼荼羅は
セットで 掲げられて いる。

この 2つは 別々の ものでは ないんだよ。
今 生きている この身の
【身体】と【心】のように
2つ あいあって 1つ なんだよ。

そして それは どちらが【主】で
どちらが【従】と いうものでも ない。

臨機応変に 必要なときに 必要な方が
表に でる。

精神と 肉体は 離れずに 1対である。

『住職が あんたに 気をつかって
言いたいことも 言えんいうでは
それこそ お釈迦さんの教えからも
外れている』

『……だから、言いたいことも言ってないって』

『それも よくない。
お互いが お互いに 寄り添って頑張らなくては』

『はい…』

いやはや
とんでもない 植樹祭であった。
合掌

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【知恵と 智慧】

今日、友人が 2人 小豆島に帰ってきた。

今日は その 1人の 話をしよう。
実は その苦労を ジジも知らなかった。

【小豆島大観音】を 【しあわせ観音】と
住職が 芝桜を 植樹した。

その成果があり 大手の観光業者から
オファーが あったりして 嬉しい。

この度、1万本の芝桜を 増植する。
その 植樹の お手伝いに帰ってきたのだ。

植樹の度に 毎回 帰っている友人は
小学校 中学校と 生徒会長であり
成績優秀、運動万能、しかも美形とあって
女性だけでなく 皆から 好かれた。

帰ってきた 2人は 優秀だったので
大手企業に 就職した。

もう1人の 友人は いう。
『彼が 成績優秀だったのは お母さんが
賢かったのだ』と。

私は 今、彼から いろんな話を聞くまで
母親が 知恵があり
私たちが 鼻水をたらして遊んでいたときに
知識を 身に付けさせていたのかと
思っていた。

そこで 大親友の私にも話さなかった
彼の母親の 涙の物語を 聞いたのだ。

彼の 母親は 都会育ちで
蝶よ花よと 可愛がられて 成人を迎えた。

縁ありて 小豆島の男性と 結婚し
2人して 島に帰ってきたものの
1人息子を 残して 戦争に出兵し
帰らぬ 人となった。

大阪には 帰らず 小豆島で1人息子を
育てていたが
義理の母親が よくできた人で
『あなたは 30歳で まだ 若い』と
20歳 離れた 男性と 夫婦になった。

それが 彼の 父親であるが
その 父親も 3人の子供を残して
旅立ってしまう。

小豆島に 嫁にきて いろんな苦節の
人生を 歩んできた 母親は
この時から 本当の 苦労がはじまる。

都会から 身体1つで 嫁いできた母は
親身になって 手を取ってくれる人も
一握りしか いなかったようだ。

朝は 朝星、夜は 夜星。

言うのは 簡単だが 朝から 晩まで
男性と 一緒に 男性と同じ仕事をした。

子供 可愛やと 構っておられる暇もない。

その中で 母親が 子供に行ったのが
【慈悲 と 智慧】の実践だった。

慈悲と 智慧とは お観音さんの 心だったね。

人の 嫌がることは しない。
人の悲しみを 自分の悲しみと受け止め
その人の 立場になって 考える。

凄いね。

実際、彼は 勉学に 励んだと同じくらい
アルバイトをして 母親を助けた。

生徒会長になったのも
世のために 人のためにと
差しのべた手を 皆が 見ていたのだね。

母は 知恵を 教えるのでなくて
【智慧】を 教えた。

黄泉の 世界に入って 年月は くれるが
私たちに 【今を 如何に生きるか ? 】

身を持って 教えてくれた。

今、知恵を 教えている お母さんたちは
知恵は 勿論の事【智慧】を 教えてほしい。

そして 心根の 優しい子供に
育てて 頂きたい。
合掌
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【みなさんも 生きながらにして 仏になってみては ?】

孫の ピアノ 発表会があった。

500人ぐらいの 中規模の ホールで
練習の成果を 12分に 発表できた。

何ヶ月か前に 課題曲を貰って
それから ピアノスクールでは
お観音さんのような 美人の優しい先生、
家に 帰ったら 鬼か 閻魔さんのような
恐ろしい ママの 猛練習が 始まった。

正月に 小豆島に 帰った時も
ママの 特訓は 続き
本人は ピアノの前で 何度か 涙した。

その涙は ママの 叱咤激励の 涙や
したくない 弾きたくない ものでなく
ただ 思うように 弾くことができない
その もどかしさから 出る 涙なのだ。

その 涙と 苦しさと 特訓の成果が
今日の 笑顔に 繋がった。

空海も いう。

【法身 いずくにか在る
遠からずして即ち身なり 智体 いづくんぞ
我が心にして 甚だ 近し】

法身って 私たち、勉強したね。

その 法身は 遠いところにあるものではない。
心の 持ちようによって
我が身体 そのものが 法身なのだ。

空海は 【即身成仏】を説く。

私たち 生きとし生けるものが
生きている 今、
その場で 仏になることが できる。

凄いね。
仏に お縋りするのではないよ。

心の 持ち方 1つによって
私も みんなも 仏に なれるのだ。

さて 【仏さんの 心】って なんだろう?

お不動さんのように 心や態度の悪い人に
注意をし 厳罰をあたえるのも 仏心だね。

お観音さんのように 悲しんでいる人がいれば
その人の 心を察し 思いやり
共に 泣いてくれるのも 仏心だね。

お地蔵さんのように 迷っている人がいたら
その人の 横まで行って 手をひいて
迷いから 救ってあげるのも 仏心だね。

空海の 説いている【即身成仏】とは
生活している 今『これが 1番いい方法だ』と
実感した時、その事に 最善を 尽くすことだ。

孫は 発表会を 目前にして
それに 最善をつくした。

そして 彼女はその時、
生きとし 生めるまま 【仏】となった。

ソチ オリンピックでも 色んな仏が いた。

元 総理大臣の 発言を もろともせず
今回で 卒業する選手も
素晴らしい 集大成を披露した。

1度目の 試合で
国民の声は 声援が 溜息となった。

『もう 絶望だ…』

多勢の 人々が そう 思ったにちがいない。
ところが どうだ。

2度目の 試合では 演技終了後に流した
彼女の 涙に 集約されるように
彼女の 今までの 成果を世界に見せつけた。

メダリストが 口々に 彼女を賞賛した。

ここにも 【佛】が いたのだ。

皆さんも どうだろう ?

仏に なっては みては ?

決して 難しいことでは ないよ。
目の前の 良かれと思ったことに
最善を 尽くすことだ。
合宿。
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【嬉しい時には 喜び、悲しい時は泣く、問題は その後だ】

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【ブッダ】の 映画を みにいった。

手塚 治虫先生の アニメなので
是非、孫たちと一緒にと 思ったが
予定変更してまでの魅力は ないようだ。

日本仏教界が応援し 有名仏教作家監修と
レベルは とても高い作品だ。

ところが 我が心は 哀れだね。

『あれ ? あの場面は ストーリーが違うぞ』

『ここは 彼女ではなく 王様が登場なのだが』

肝心要の ストーリーの本質を掴めず
端々の くだらないことに
目くじらを たてて 帰ってきたのだ。

空海が 両界曼荼羅が 完成した時の
有名な 【 願文 】がある。

【 弟子 空海、性薫 我を勧めて
源に 還るを 思いとなす
経路 未だ知らずして
岐 (ちまた)に 臨んで 幾たびか泣く】

仏の弟子である 私、空海は
全ての根源である 仏の境地に近づき
仏になろうと 精進努力は してきたが
どの道を選択すればいいか それが分からず
幾たびとなく 悲しみの 涙にくれた。

生まれ やがて 歳を重ね
病気になって 死んで いく。

私たちには 泣き笑いの
人生 ドラマが ある。

空海も 自分の跡を継がせようとも思った
甥が 若くして 死んだ。
その時は 周り構わず 泣いた。

嬉しい時には 喜び
悲しい時には 泣く

誰も 咎めは しない。

只、その後を どうするかで
私たちの 心が お浄土にいくか
奈落の底に 落ちてしまうかが 決まる。

岐路 ( わかれみち ) がある。

同じ 映画をみて 本筋も分からず
端々の話に 一喜一憂するのも 岐路だ。

避けては 通れない 茨の道も
心 穏やかに 喜びに 満ち溢れた
そんな 道もある。
合掌

【驚くことはない。当たり前のことを 当たり前に 行うだけ】

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電車の人混みの中で お出会いした。

50歳になる 彼が 木枯しの駅で
母親の手を 引いていた。

『定期的に
母を病院に 連れて言っているのです』

繋がっている手は
寒さで凍りつくようだった。

彼の父は いま、乗ってきたフェリーの
専務であり 実質、専務がフェリーを起業し
発展させた。

彼も 父と 同じく 会社に入ったが
専務が 天国に召されて 間もなく
この 会社を去った。

2人は 赤穂浪士で有名な【赤穂】という
駅で 下車した。

母を気づかって 背中に手を置きながら
去って行く 後ろ姿を見て
ジジは 心から 手を合わせた。

どこの世に とし寄せた母を 気づかって
病院通いをする 50歳の 息子がいるだろう?

ジジには その 姿が眩しく
仏さんを 拝んでいるような 思いだった。

空海は いう。

【法身 体塔、奇なるかな、皇いなるかな】

大日如来を 表す 大塔の 奇特な ことよ。
偉大なる ことよ】

高野山にも 八葉の蓮華の 中央に
威風堂々たる 朱塗りの 48、5mの
【根本大塔】が 聳えたっている。

本尊が 胎蔵界大日で 四仏は…
それは また 勉強しよう。

【法身の塔】として建立した大塔は
空海入定 52年後の887年に 完成したが
それぞ 空海の 集大成だったのだろう。

これも まだ 勉強しなくてもいいのだが
3通りの 仏がある。

⚫︎法身
色も 形も ましませず
人間の 思識を絶した 根源的実在
大宇宙とでも 言うんだろうね。

⚫︎報身
菩薩の時の 修行や 願の功徳によって
悟りの 境地に入った 仏。

⚫︎応身
衆生済度のため (人々の苦しみを救うため)
人間の 身体を持って この世に現れた
生き仏、釈迦。

イエスは 肉体【応身】が
この世の 姿ではない事を 証明するために
ユダに ダルマ カーヤ【法身】を 体験させ
裏切り者の 役割を 与えた。

空海は 根本大塔に 法身如来を 重ねた。

そして ジジは その上に
【赤穂】で別れた 親子を 重ねた。

誰に 教えられたものでも
忠告されたものでもない。

大宇宙の中で 法身大日如来が
当然のごとく
当たり前のことを 当たり前にしただけである。

【三密の 行】
身体で 心で 口で
迷っている人を 救うのだ。

清々しい 気持ちで 彼の言葉を 思い出した。

『法主さんに 名ずけして 貰った 息子、
もう 大学に 行っているんですよ』
合掌

【青い鳥は いつも 私たちの 心の中に 居るよ】

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高いお役職につかれた方と ご一緒した。

すぐさま タバコに 火をつけて
美味しそうに 一服。

この話には 伏線がある。

先日の 話だ。

『大切な身体なんだから タバコはやめましょう』
『そうそう 部屋中 煙だらけだったら
職員が 嫌がりますよ』

取り巻きの 忠告で 彼は 2時間 我慢した。

数日後 一緒にいた人と 会う機会があった。

『あのまま タバコは やまりましたか?』

『なにが やまるもんですか。
あなたと 分かれて 2秒後に 1服。
あー こんなに 美味いものを
なんで 2時間も 我慢をしたんだろう。

我慢をした 僕が 愚かだった と
あの時の 決意は 吹っ飛んでしまいました』

そして 今日。

『あの時、タバコが こんなに美味しい事を
始めて しりました』
『ありゃりゃりゃ~』

空海の 戒めの言葉がある。

【遠くして 遠からざるは即ち 我が心なり
絶えて 耐えざるは 是れ 我が性なり】

827年 淳和天皇の 義兄 伊予親王の
逝去に際しての 【諷誦文】といって
送る 言葉の 一説だ。

遠いと思っていても 意外に近いのが
自分の 心

縁を 切ったと思っていても なかなか
離れないのが 自分の本性【煩悩】である。

兄が 遠くに旅立ち あなたの悲しみは分かる。
しかし いくら 悲しみにくれても
親王は 帰ってきませんよ。

そろそろ 心を 切り替えましょう』

そんな 送る言葉だね。

掴み所が あるようで 無いのが 我が心。

身体に悪いから やめようと思っている
喫煙を 無意識のうちに繰り返すのも
その原因が 惰性ではなく
ストレスであったという事実を
発見することが できないのだ。

私たちの 心は 良くも 悪しきにも 変わる。

【般若心経秘剣】に中で 空海はいう。

【それ 仏法 遥かに あらず
心中にして すなはち 近し】

これも 既に 2度 述べた。

チルチルと ミチルが 青い鳥を探しにでた。
ところが その 青い鳥は 自分の 1番 近い
【わたしの 心の中】にいた。

わたしも 折角の 青い鳥を
遠くに 逃がしてしまうのでなく
つねに 心の中で 飼いたいものだ。

彼の タバコは いつ やまるかな ?
合掌

【仏よ 我を 助けたまえ。心から すがって みよう】

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ソチ オリンピックも 後半に はいった。

キリストを 信じる人は 物事を始める前に
必ず 十字をきる。

大統領も 野球の選手も そして
オリンピック 出場の 選手も。

祈願成就のため 【神の お加護】を頂くためだ。

『主 よ』でも
『おかあちゃん』
『愛しい おまえよ』
でも なんでもいい。

心から 命がけで すがる姿は 横で見ていても
綺麗し 感動する。

ところが 日本人が 人前もかえりみず
そんな事をしている姿は 見たことがない。

こころから 頼り 縋る 対象物がないのか?
縋る心は 持っていても
テレが優先してできないのか?

空海の 書が ある。

30歳の としに 遣唐使の1人として
万里の波濤を 越えて 入唐した時の ものだ。

今ですら 台風 暴風の時の 船出は
難行苦行だが
1274年 1284年の 蒙古襲来よりも
まだ 古い 西暦801年の ことだ。

4隻の 遣唐使船のうち 2隻は 海の藻屑となり
最澄の 乗った船と 空海がのった船のみが
命からがら 別々の 港に 漂着した。

その時の 心情を 空海は このように 言っている。

『漂流中 陸地が見えた喜びは
赤ん坊が 母に あった時の 喜びにも まし
日照りの 苗田に 長雨が 降り続いた
喜びにも まさる』

ボロボロになって 漂着した 船を
中国側は 【遣唐使】の船とも 思えず
上陸を 許してくれない。

長い 長い 船中生活の中で
空海が 藤原 葛野麻呂の 代筆で
福州観察使 閻 済美に 上陸の許可をとる
上申書 ( 嘆願書 )だ。

【空海 才能聞こえず 言行取るなし
但だ 雪中に 膝を枕とし
雲峰に 菜を喫ぶことのみを 知る】

私 空海は 何の才能があるわけでもなく
それを 万人が 知っているわけではない。

しかも 言行は 取るにたりません。

ただ 雪の中で 膝を枕に眠り
高い山で 野菜を食べて生きることが
できるだけです。

『だから 一刻もはやく 入国の許可を頂き
御国の 全てのものを 吸収させて ください。

だから 寸暇を惜しんで 朝早くから
深夜まで 努力をいたします』

と、留学に対する 意気込みを 書いた。

『大丈夫か?』
藤原 葛野麻呂の 言葉に 空海は 答える。

『できるだけ 誠心誠意 お願いをしてみますが
何事も 仏の 思し召しと 存じます』

先程も 述べたように 私たちは どうだろう?

面子があったり テレがあり
自分の 心を 人さんに 伝えることができない。

ひとり
悔やんで見たり
腹を たてたり
膨れてみたり しているのでは ないだろうか?

仏教徒の 十字をきれとは 言わないが
万人の 前で
『神 よ』
『おかあちゃん』
と、心から すがってみたい。

今も オリンピックの スキーの選手が
神に お祈りを している。
合掌

『私に心が あるように 山川草木 全てに 仏心がある】

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この 1筆は子安観音寺の寺宝でもあり
ジジの 座右の銘でもある。

昭和54年 ジジの30歳の歳に
1番 最初の仕事 小豆島病気封呪専門道場
【山ノ観音 本堂】が 完成した。

高野山から その当時の 管長猊下に
御親教いただき 多勢の遍路 信者と喜びあった。

『君は 若くして こんなに立派な本堂を建ちあげ
大変 立派だとおもう。
しかし、今の この気持ちを 大切にして
決して 自惚れたり 唯我独尊に はしらないように』

と、戒めと 励ましと 御祝いを兼ねた
一幅を くださったのだ。

ご覧ください。

達筆でしょう。空海の 言葉です。

後夜に 仏法僧を 聞く

【閑林に独坐す 草堂の暁 三宝の声 一鳥に聞く

一鳥 声あり 人に 心あり 声心雲水 倶に 了了】

まだ 辺りが真っ暗なときに 粗末なお堂の一室で
1人 座禅を 組んでいると
薄明かりのなかで 1羽の鳥の 鳴き声が聞こえる。

鳥は ただ 囀っているだけだけれども
私には その声が 【ブッ ポー ソー】と 聞こえる。

三宝の声 一鳥に聞く …。
素晴らしい お言葉だね。

【三宝】とは [仏][法][僧]の ことだ。
私たちは 仏さんに 帰依しましょう。
私たちは 仏さんの 教えに帰依しましょう。
私たちは 仏さんと 皆さんとのお取次をする
お坊さんに 帰依しましょう。

1人 座禅を組んでいる 空海の 心には
そのように 聞こえた。

鳥にも 声があるように 人には 心が ある。

その心は 鳥の声が 三宝の声に 聞こえたり
野獣の 鳴き声に聞こえたり 変化する。

しかし
小鳥の 囀る声も 獣の唸り声も
川のせせらぎの音も 草木の 葉擦れの音も
全て 法身の 【説法】の 声である。

ほろほろと なく山鳥の 声聞けば
父かとぞ おもう 母かとぞ おもう

『大自然の声を聞き 音を耳にしたときに
感謝の気持ちを もち
心優しい 人間に なりなさいよ。

そう 思って この一幅を 君に 贈ります』

管長猊下は とっくに 遷化なさったが
寺の 宝物と同時に
お教えも 昨夜聞いたかのごとく
鮮明に 残っている。

合掌

【大師は 弘法にあり。大師信仰は ありがたい】

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空海は 私たちを救済するがために
入定され その身は 高野山奥の院にある。

一の橋から 奥の院まで 半里 ( 2km )
両側に 1000年の 齢をこした すぎ木立が
鬱蒼と 参道を覆う。

しかし その 1本 1本は 雄々しく
青空に向かって 両手を ひろげる。

そして その杉たちは 高野山の 道程を、
泣き笑いを 全て 知っている。

嵯峨天皇より 高野山の聖地を 戴き
夢と希望に 胸を膨らませて
弟子の 実恵 泰範らと 共に
高野の山に 足を 踏み入れたこと。

わたしの 姿形は 見えなくなるが
この身 そのままで入定留身して
衆生済度しますよと
奥の院にその身を留めたこと。

すぎ木立の 両サイドに 立ち並ぶ
皇室を始め 各大名 そして
20万基を こえる 諸精霊の 生き様…。

そして 【弘法大師 空海】を したって
遍路行をする 数多の お大師信者…。

その 杉木立を 空海は このように讃える。

【葱嶺は 銀漢を 挿し
白峰は 碧落を 衝く】

青い峰は 遠き銀河を 突き押し
白い峰は 青空を 突き当たる。

仏の 教えは 宇宙よりも 広く
大空よりも 高く 海よりも深い。

万人の 憎悪 苦しみを全て 受け止めて
仏の真理に向かって 両手を広げているのだ。

一の橋から 奥の院に向かって道をなぞると
樹立する木立と霊気によって気が引き締まる。

【大師 信仰】って 凄いね。

空海が 開いた【真言宗】があり
多くの 檀家と 信者が いる。

其れよりも 熱烈なのが【大師 信者】で
宗派に 関係なく 弘法大師 空海を頼って
参拝する。

高野山 しかり。
お四国 八十八ヶ所 しかり。
そして ジジの 小豆島 八十八ヶ所霊場 しかり。

その中で 真言宗の方は 2割ぐらいしか ない。
【大師 信仰】が 他宗と違うのは ここだね。

そして お大師さんは 言っている。

苦しい時に 『お大師さ~ん 助けて ! 』

父に すがるように
母に すがるように お縋りをしたら
きっと素晴らしいお陰を くれるよ。

あの 大杉と 共に。
合掌

【あなたは これが為に 全てを 捨てられる ?】

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空海と最澄の話、昨日の続きをしようね。

最澄が 【理趣釈教】を 貸してくれとの
依頼に 空海が 断った所まで書いたね。

理趣釈教とは 【理趣経】の注釈文で
ジジが 読んでも チンプンカンプンだ。

【我 未だ その人を 見ず
その人、豈 遠からんにゃ】

『理趣の 秘儀を 受けられるような人に
私は 我が弟子も含めて
まだ 出会ったことが ない。

しかし、その人は 遠からずして
わたしの 前に 現れるでしょう』

最澄は 勿論の事、空海の弟子の中にも
奥義に 達している人は いない。

だから 本をお貸ししても意味がない。

そう 断って いる。

また 1方、
最澄が 空海の弟子の礼を とったとき
多勢の 空海の弟子と一緒に
【灌頂】を 受けている。

そして 月日は流れ
1番 奥義の深い【灌頂】の段に なって
空海は それを 断っている。

『あなたの高弟子は みんな 受けているのに
何故、私がだけが 駄目なのですか?』
との 問いに 空海は このように いう。

『あなたは 比叡山を捨てられますか ❓』と。

凄い 言葉だね。

専門大学の 学長が 総合大学の理事長に
『専門的に 勉強したければ
理事長を辞めて うちの専門大学で
勉強して みませんか ? 』と、言っている。

この度の 単細胞の 女先生の 話からすれば
そういうことも あり得るのかも。

結局、最澄に関する【密教】は
数 多くの 次第のなかの 1つであって
空海に してみれば【密教】は全てだった。

比叡山を捨て 天台を捨てた時に
最高の【灌頂】も して差し上げるし

その域に 達したときには
それに 合った 本も お貸ししますよ。

只、【密教】は 頭で 考えるものではない。

本を 読んで
釈迦や いろんな高僧の知識を得ることと共に
実際に 自分の 体で 実践 修行をして
世の 悲しみや 苦しみを 始めて 得る
ことなのだ。

『その人 豈に 遠からんにゃ』

あるとしたら 最澄さん、
貴方しか いませんよと、持ち上げてはもても

それが 最後の 手紙と 相成った。

そりゃあ 最澄にしたら
比叡山も 天台も 捨てることはできないよね。

ニヤニヤ 笑ながらの やり取りでは ない。

【心】と【心】の デッドヒートだったんだね。

【風信帖】
覚えて おいてね。
合掌

【書だけでは 頭でっかちになるだけだ。体験をしなければ】

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【空海】
と、比叡山に住する 天台宗の開祖
【最澄】とが 仲が良かったの 知ってる?

今日は 歴史の勉強のように なるけど
読んでね。

その 無二の友人である 最澄との
決裂文が ここにある。

空海の 直筆で 最も大切なものの1つ
【風信帖】の 1節として東寺に現存している。

【文は是れ 糟粕 文は是れ瓦礫なり
糟粕 瓦礫を 受くれば 即ち
伜(漢字がでない)実 至実を 失う】

2人の接点は 西暦804年 【遣唐使】はじまる。

当時 30歳の空海は
在唐 20年という条件の 1留学生だ。

38歳の最澄は 充分な国費、通訳つきの
堂々たる 官僧だった。

空海が 西安の青龍寺の門を 叩いた 頃
最澄は 既に 天台山で 修行に 励んでいた。

20年の 在唐が 2人とも 短期間で帰国したが

最澄は 総合大学をめざし
空海は 【密教】という 単科大学を目指した。

帰国した最澄は 南都六宗の 僧侶たちを
悉く論破し 比叡山にて不動の地位を築いたが

ただ 密教に関してだけは
空海に 遥か 及ぶところではない。

西暦810年ごろから 最澄から 空海に
『密教を 教えてくれませんか ? 』
と、なったわけだ。

空海は 直ぐに
『私の 弟子の1人に なったら教えてあげるよ』
と いう。

最澄が 偉いのは ここだね。
遣唐使の時の 地位も 今の地位も
年齢も なにもかも 最澄の方が 上だ。

そんな 些細なことに こだわらず
最澄は ( 灌頂とか 難しいことがあるが)
弟子の礼をとり 密教の勉学に励んだ。

ありとあらゆる本も 空海に借りたようだ。
その依頼文やお礼が 何十通も現存している。

密教の 1番の奥義 『【理趣釈教】を読みたい』
との 依頼に ピシャッと 断ったのが
冒頭の 文章だ。

【文】とは 糟 (カス)のような ものである。
糟や 石ころを 貸し借りするということは
本当に 大切なものを 失うということです。

密教の 奥義は 書かれた分によって
習得するものではなく
心をもって 心に 伝えることである。

この 文章によって
空海と 最澄の 親交は 途絶えた。

歴史の 勉強のようになったが
長く なるので 取り敢えず 終わり
明日に 続きを書くことにする。

【物が 栄えたり 衰退するのは その人の 心次第】

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【国破れ山河あり 城春にして草木ふかし】

万物は 常に 変化する。
昨夜の 栄誉が 今日の 荒廃につながる。

ジジの寺の 本堂の屋根が 吹き飛んだのも
小豆島霊場 参拝の減少も
ジジの努力不足であり 不徳の致すところだ。

空海が このように 言われている。
ジジにすれば 大変 耳がいたい。

【物の興廃は 必ず人に由る
人の昇沈は 定めて道に あり】

京都 洛南高校って 知っている ?

そう。
東大合格も 全国 きっての 名門校だ。
その 関連大学に 種智院大学が ある。

その前身に空海が 一般庶民のために作った
【綜藝種智院】がある。
日本で 始めての 私立学校だね。

その開校式に 訓示した 言葉だ。

物が 栄えるか 荒廃 (衰退)するかは
人々が 力を合わせて
志を同じくするか 否かに かかっている。

そして それに 関わる人たちの
【人柄】【能力】【智慧】【努力】(運不運】
に よるものだ。

その人が 人の歩むべき道を
歩んでいるか 否かであえる。

定めて 人の道にあり
社会で成功するも 成功しないも
全ては その人の 生き方 歩みかたにある。

私たちの生き様 (現在の日本 いや世界中の人)
道に 沿って 正しく歩んでいるかだ。

【道】
おさめる。正しい。みちびく。おしえる。
たすける。精進する。

道という 1文字でも これだけの
選択肢が あるね。

今日、1週間ぶりに 2度目の 大雪となった。

寺内とすれば 全 職員が 毎日 出仕して
やっと 参拝の お遍路さんが
難なく通れる道になった ところだ。

『もう いいよ 』
が、心情だろう。

ところが 弘法大師 空海の 霊地
【小豆島 八十八カ所霊場】に
鈴の音も高らかに 大勢の 遍路が 後を絶たない。

参拝して 雪 一色の 銀世界をみて
参拝するにも できず 失望して かえるか

一色の 銀世界の 中、
1本の 参拝道が 作られていて

その 職員のかたの 苦労を 喜びながら
『ああ、これも 人の道だ。良い お勉強になる』
と、報恩歓喜で お帰りになるかの
違いなのである。

前例は 『小豆島には もう 参拝しない』
後例は『ありがたい ところだ。友人も 誘って
これからも 是非 お参りさせてもらおう』
との 境目なのだ。

私たちは 共に助け合いながら 成道を歩んみ
世のため 人のために 尽くさなければならない。

それが 物が栄え、心が栄える 根本であろう。

雪は 無慈悲にも 降り続いている…。
合掌

【自分を 投げ捨て 相手の 悲しみや苦しさを 守ろうとする心】

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僧侶が 檀家の方を連れて 参拝された。

長年 子安観音寺で お手伝いされ
所謂 ジジの 兄貴分にあたる 人だ。

今まで 本堂が建って居た場所は
すっかり 潰され新本堂建立のために
基礎工事が 進められている。

『私たちが 共に 切磋琢磨してきた
本堂が なくなると 寂しいなー』

と、そこまでは 良かったのだが…。

『大きな 借金を 抱えて
夜逃げを せんように 気をつけろよ』

そう 言い残して お帰りになった。

激励までは して頂かなくてもいいが
それを聞いて 住職も 失意の色を
隠せなかった。

言葉は 善かれにしろ 悪しかれにしろ
一瞬にして 人の心を 変えてしまう
魔力を 持っている。

何気なしに 誰かが呟いた たった1つの言葉が
あなたの 胸に突き刺さり
長年 苦しみとして 残った経験は ないだろうか?

反対に 苦しみや 悲しみの どん底に
打ちひしがれている時に
そっと 掛けられた たった1つの言葉が

あなたの心を 癒し 勇気づけられたことは
ないだろうか。

言葉によって 私たちは 掛け替えのない
【智慧】を 授けて いただく。

釈迦は 四苦八苦の説法の中で
『生きるということは 苦しいことだ』
と、諭されたが
どんな人でも どんな時に
どんな苦しみが待っているかは 分からない。

だからと言って 私たちは
生まれた瞬間から 絶望して暮らすことはない。

なぜならば 私たちには
【その 苦しみと いかに 向きあうか】
という 智慧を 持っているから。

空海も いう。

【仏心は 慈と悲なり
大慈は 即 楽を与え 大悲は 即 苦を抜く】

仏の お心は 【慈】と【悲】である。
仏の 大きな慈しみは 万人に 楽を与え
仏の 深い悲しみは 人々から苦しみを救う。

それが 私たちの 【智慧】なのである。

教えの 中に 【四無量心】というのが ある。

【慈】【悲】【喜】【捨】

⚫︎慈心
全てのものに 慈しみを もつ心

⚫︎悲心
世の中の 不幸に 悲しみをもつ 心

⚫︎喜心
人の 幸せを よろこび
自分の よろこびを 人に施す 心

⚫︎捨心
自分を 捨てて
人の よろこび 悲しみを 守ろうとする 心

私たちの 喜びや 悲しみも
年齢 時代 環境 条件によって
変化していく。

その 変化する そのとき そのときの心に
【智慧】を 与えよと いうのだ。

最後に
上求菩提の 峰 高く
下化衆生の 谷 ふかし

合掌

【我が生命も 顧みず 信念を 貫く】

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ソチ オリンピックは 中場に差し掛かるが
日本勢は 期待に反して 苦戦している。

メディアも 日本の圧倒的な強さを楽観視し
国民も それを 信じていた。

世界中の 屈指の選手が選り抜き
参集しているのだから無理もないのだが
次回には この悔しさを バネにして
尚 、一層 身命をなげうつ覚悟で
リベンジしてほしいものだ。

身命を なげうつと言えば

95歳で 先日、死去なさった
南アフリカの 初代 黒人大統領
ネルソン マンデラ氏の ことを
ブログでも 紹介した。

アパルトヘイト(人種隔離)との 闘いに
身命をなげうち 南アフリカの最南端にある
【ロベン島】で 27年間 投獄された。

四方八方 海に囲まれて
絶対に 脱獄することも できず
1度 入れば 次に島から出られるのは
死を 迎えたときshっかない。

そんな苦しみに 耐え抜き
出獄後は 中心となって アパルトヘイトに
立ち向かい 1966年には 名誉ある
ノーベル平和賞 受賞の 栄誉に 輝いた。

また パキスタンの フラフという
女性の 話を 聞いた。

パキスタンは 政府軍と それに反対する
反政府軍との 戦いで 大変な国だ。

どちらが 是で どちらが非かは 知らぬが
反対する勢力の方が
『我が国では 女性は 勉強する必要がない。
学校は 廃止する』と うたった。

そのとき 11歳の 少女、フラフが
『何故、女性に 勉強する権利が ないのか』
と、立ち上がった。

ちょうど 彼女が 12歳になったとき
反政府軍の 狙い撃ちに会い
彼女の 頭蓋骨の 左側が 吹き飛んだ。

…それから 4年。

16歳のラフラは
居並ぶ 国連の首脳陣の前に いた。

『反政府軍の 発砲によって
私の 左の頭蓋骨は 吹っ飛んでしまいました。
しかし 自分の弱さを恐れ事とが
最大の 反省点と 気づいたとき

絶望感が 消え、
生命を顧みず 自分の 信念を貫く
自分を 見つけました。

1人の 指導者、1本の ペン、1冊の辞書、
これさえ あれば どんな困難にも
つちかつ事が できます』

マンデラ氏も ラフラも 凄いね。

空海も このように いう。

【東西は龍臥して 弥望するに極まりなく
南北は虎踞して 棲息するに興味あり】

これは 高野山を唄った 書ではないが
高野山の山でも 思い当たる。

お山は 東西 6km、南北3km
八葉の蓮華の中に 密厳国土
所謂、極楽浄土がある。

東西は 龍が臥しているいるような
山々が連なり 何処まで続いているか
わからない。

南北は 虎が 踞っているようで
日々の 生活するにも 楽しい。

じれは ジジだけの 思いかもしれない。

魔物が入れないように 四方結界している
密厳国土に 大龍が 臥せ、大虎が距しているのだ。

大門の 仁王さんのように喩え 僅かでも
悪魔が入らないように目を 光らせている。

それだけでは ないのだ。

極楽浄土で 生活している 善男子全女人が
しあわせな 日暮らしをしているか監視し
怠惰な生活を 送っていないか

命すら 顧みず 我が信念を貫いているか
見届けているのだ。

オリンピックも まだ 半分 残っている。
起死回生のおもいで 頑張って欲しい。
合掌

【建国記念日を 迎えて ジジの つぶやき】

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今日は 何の日か 知っている ?

そう ご名算。【建国記念日】ですね。

神武天皇が 紀元前660年 2月 11日に
日の国 【日本】を 建国した。

紀元節と 呼ばれたり 紆余曲折があったが
1966年に 国民の 80%の賛同をえて
建国記念日が 平定された。

21世紀を 迎え 未だ 自国を持てない方が
民や 人種が 沢山 いる中で
初代 建国者の 後代が 今日まで 延々と
受け継がれてきた国は日本以外にない。

私たちは 自分の家庭を 守るように
自分の 会社を 一丸となって 守るように
私たちの国は 私たちの手で 守り
発展させなければ ならない。

『誰かが するだろう。守るだろう』では
国力は 益々 衰退する。

先日 小豆島にも 雪が積もった。
参拝のお遍路さんの為に
札所への 雪掻きを しなければならない。

『さあ お遍路さんが 来られるまでに
気持ち良く参拝出来るように雪掻きをしよう』

呼びかけに 『はい ! 』と 立ち上がった人と
無言の 人に 別れる。

無言の人は 【無言の抵抗】
面と向かって 拒否もできず
と、いって やれば シンドイし
膨れた まま、抵抗を続けているのだ。

『寺に来る前に
自分のお家の 雪かきはしてきたでしょう。
みなさんが 喜んでくれるのだから』

お金でも 【生きた金】と【死に金】がある。

『ここ1番…。』
みんなが 願っている時の 1円は 生きてくる。

『今頃 出してきて…。
いつかは 出さなければ ならなかったのに…』
出すタイミングを 逸した 1千円は
出しながら 避難のまとになる。

それと 同じ

【布施行の 実践】を するとき でも
喜んで 自分を投げ捨てて
それに 喜びを 感じて 行づる人と

言われたから 仕方なしに する人と

膨れた 顔をして【無言の抵抗】を
続けながら するひとと

それでも やらない人と

同じ 物語があっても
行づる 人の 考え方 1つで

受けるほうも
報恩歓喜で 受けられるか どうかである。

私たちの国は 私たちが 守るのは
当たり前のことだ。

率先して 国を 豊かにするか
日和見で 誰かが頑張るのを じっと見るのか。
馬鹿な 事だと 逃げるのか ?

そのパパが
家を 守り
会社を 守るのだ。

建国記念日を 迎えた今日、
いろいろ 思う ジジで あった。
合掌

【頭で 考えるだけでは駄目だ。実際に体験しよう】

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思いがけない大雪で 小豆島霊場子安観音寺
境内に立つ 稚児大師も 全身に雪を被った。

『ワア~ 雪、きれい ! 』

はしゃぐ 孫を尻目に 大人たちは渋い顔。

平地で これだけ 積もっているのだから
お山は 1尺を 超えている。

【♬ 鐘が なるなる お不動さんに
ちらりほらりと あの 遍路笠
そうて うれしい そうて うれしい 初参り】

春参りの 遍路が 参拝するまでに
【恵門の不動】と【山ノ観音】の
雪掻きを せねば ならぬのだ。

どちらも 山坂 18丁の 道のり。
15丁目までは 雪掻きの車が 来てはくれるが
主道路 優先で 遍路道は 順番が遅い。

寺内 総出で 雪掻きをしていると
家族での 参拝者と 出くわした。

雪掻きの途中で 全員徒歩で参拝しているのだ。

『雪かきですか ?
私たちのために ありがとうございます』

『車が 通れなくて 申しわけありません。
もう 少しなんですが …。
子供さんや お孫さん 徒歩は 大変でしょう』

『いや この子達は 自分で体験する
お勉強を させて頂いているのです。

どうすれは どれくらい 痛いか 苦しいか?
どうすれば どれくらい 楽で うれしいか?

昨今、少女の誘拐が頻繁に おこなわれます。

誘拐された方が どれ位、精神的 肉体的に
傷つくか 体験したことがないから
自分の 目的を果たすために やってしまう。

暴力も イジメも 体験してこそ始めて分かる。

この 山路を 自分の足で 1歩 1歩
雪を踏みしめて登ることによって
人の 痛みの分かる 心根の優しい子に
育ってもらいたい。

その 一心ですよ』

そう 言い残して 一同は 雪深い参道を
登って いった。

空海も いう。

【但だ 恨むらくは
高山深嶺に 四禅の客 乏しく
幽藪藭厳に 入定の 賓稀なり】

唯一 残念に思うのは
深い山に籠って 【行】を 行うもの少なく
深い森、険しい岩場で 行づる人も
数 少ないと いうことだ。

空海の 教えは 仏典や経典を 深く勉強し
理論的に 納得することと

釈迦の 教えや密教を
野山や 海や 岩場で 実践する ことだ。

釈迦の 教えを 継承するためには
深山霊地に 修行のための 道場が必要だ。

ゲーム感覚で 頭で 考えるだけでは駄目で
実際に 体験してこそ 人の 痛みが分かる
人間に なる。

スコップを持ち 雪深い遍路道を進む
家族を 見送りながら そんな事を
思い出した。
合掌

【当たり前のように 妻帯し 子をなし 杯を 交わす】

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貧寺の ママが 懐妊した。

9月の予定で 住職をはじめ
待ち望んでいた 第二子の 誕生を 喜んだ。

『今度こそは 男の子が 欲しいね』

ジジの 言葉に 住職は反論する。
『仏さんからの 授かりものですよ。
五体満足に生まれてくれたら 贅沢はいえません』

丁度、スリランカから 高僧が 来ておられたが
私たち 日本人だけで お祝いの 乾杯をした。

よく 考えてみれば 当たり前のように結婚し
子を 授かり、当たり前のように 生ものを 食し
酒を 飲む。

スリランカの 僧侶は勿論、
中国の 青龍寺や 白馬寺の管長さまも
それは ない。

ただ 朝から 夜まで 座禅三昧をし
山にいけば 花や 蝶を喜び
川に いけば とうとうと流れる 水をみて 笑う。

空海の 文が ある。

【形 山水に 静かなり 神(こころ) 煙霞に王たり
春の花 錦を織れば これに対って情を陶(やわら)げ
秋の葉 帷(とばり)を 散づれば これを見て
帰ることを 忘る】

山水のなかで 私は 心静かに 瞑想している。
その 心は 煙霞のなかに 自足している。

春の花が 美しく咲き乱れれば
それに 向かって 心を 伸びやかに 開き

秋の 紅葉が [紅葉の錦 神の まにまに]と
ハラハラ 散りさんじると
余りもの美しさに 帰るのも忘れて しまう。

奈良に 玄賓(げんびん) 僧都という 高僧が居て
その 高僧と 自分とを 交錯させて 書いた 書だ。

彼は 興福寺の 名僧だが 俗世を厭んで
初瀬川の畔に ささやかな草庵を結び
隠遁し 座禅三昧に 明け暮れていた。

桓武天皇が 【伝燈大法師】を授けた時に
これは 受けたが
平成天皇のときに 返納した 書が ある。

【三輪川の 清き流れに すすぎして
衣の袖を また はけがさし】

俗世や 僧侶たちと 交わることもなく
隠遁生活し この川の 清き流れで
せっかく 綺麗に 洗い清めた
僧侶としての 本当の生き方を

如何に 天皇陛下の 思し召しと雖も
名利のために 穢すことは できません。

素晴らしいね。

妻帯し 子や孫の 誕生を 喜び
杯を 交わして 乾杯をする。

そんな 僧侶が 増え
ジジも その中の 1人だ。

実際 やれといわれて 出来るものではないが
せめて 心だけは
空海と 弦賓僧都と 同座したい。
合掌

【悔いのない 毎日を送らねば 罰があたる】

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同級生の 息子さんが 亡くなった。

その悲しみは あまりにも大きく
如何に 慰めても 為す術もなかった。

『順番が 違う』

彼女は 振り絞るように そう 言った。

我が 貧寺【子安観音寺】には
多勢の 善男子善女人の 参拝がある。

その 殆どが こう願う。
『球のような 子供が 授かりますように』
『生まれてくる子が 無事 安産でありますように』

貧寺の 御詠歌が ある。
【千代えたる 松の齢ともろともに
授け得させむ 玉の子宝】

山上憶良 も 言っている。
【白金も 黄金も 球も なにせむに
まされる 宝 子にしかめやも】

我が腹を 痛めて産んだ子供も
縁ありて 育てた子供も
金銀財宝にも まさる宝物である。

話は 変わるが 空海の このような書が ある。

【起こるを 生と なずけ 帰るを死とよぶ
死生の分 (わかれ ) は 物の 大帰なり】

最初は 空海 定番の
{生まれ 生まれ 生まれて…]で始まる
うかうかしていると アッと言う間に
人生なんか 終わってしまうよ。
悔いのない 毎日を 送りなさい かと思っていた。

この文にも前後があり
酒人内親王が 死を間際にして
3人の 義理の息子に充てた 遺言を
空海に 代筆させたものだった。

【人の 行く道は おわりも はじまりも無く
元より 虚無である。

陰陽の 気が組み合わされて 人間が 生まれる。
気の起こることを《生じ》と なずけ
帰ることをば 《死》と 称する。

わたしの 歳も 古希 (70歳) になえり
精も根も尽き果てた。
病は 体内の あちこちに はびこり
明日には 容赦無く
我が命を 断ち切らんとしている。

子供を 育てるのは 両親の 務めである。
また 親の 終わりを 看取り ともらうのは
子の 務めである。

私には 愛しき姫が 1人いたが
大変 不幸にも 露と 先立ってしまった。

これを 思えば 余りもの悲しみに
胸を 掻きむしる 思いだ。

死にさいし 後の事を 色々 話したかったが
話したくも 愛し子は 既に この世にいない。

3人の 王子を 我が子として 伝える…。

親の ありかた。
子供の 成さねば ならぬ道。

親 子供 孫…
親子の 切っても切れぬ 愛。

わずが 漢字にして 16文字だが
色んなことを わたしたちに 教えてくれる。

そして 私たちが この書を 読んで
しあわせに 日暮らしさせて 頂いている
毎日に 感謝をしなければ ならない。

些細なことで 不平不満をいったり
腹を立てては 申し訳ないことだと。
合掌

【地位や 名誉。そのものが煩わしいと 空海はいう】

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【大本山 小豆島大観音】に
いままで 仮植えしていた 芝桜を
もう少し 暖かくなったら 境内に植え替える。

【花の 大観音】で 住職が計画立案して
植樹が始まり 多分 これで 5万本になるだろう。

ジジが ボヤく。
『なんで ここまで しなくては ならないのだろう』

『ジジの 考えと一緒ですよ。
大仏を 建立し 芝桜を見に来た参拝者が
何らかのおかげを頂いて 馥郁としてお帰りになる。

それが ご希望だったのでしょう ?

それにしても 30歳から 知命の今に 至るまで
世のため人のためにと 大観音建立を
集大成にしていた ジジの気持ちと 今の 現状とは

なかなか 世の中は 思い通りには
ならないものですね』

『そうだね。
なにもかも 捨てて お大師さまのように
山に あがりたいような 心境だね』

【空海 弱冠より知命に及ぶまで
山藪(さんそう) を 家とし 禅黙を 心とす】

私、空海は
若き日より この年の 今に至るまで
山中を 家として 禅定に励んできた。

実際に 空海は大学を 中退し
30歳の歳に 遣唐使の1人として中国に赴くまで
今の 四国八十八ヶ所霊場の 元となる山々 海、
そして やがて開山する
高野山の 大自然の中で 過ごしている。

824年 空海 51歳の御歳に異例の抜擢で
時の天皇陛下(嵯峨天皇)より僧階を頂いた。

当時の僧階は 【僧綱】とよばれる
仏教界を 差配する律令組織の 1人だった。

それを お断りしている 文章なのだ。

私は 自然の中に生活し 書物では得られない
真実を 数多く 体験してきました。

山々 川 海に至るまで 生命の息吹を感じ
その 1つ1つに 神々の存在を確信します。

軽くて 暖かい衣服をまとい
肥えた馬に またがり 流れる水のように
速くはしる 車に のる。

そのような 暮らしをみては
稲妻や 幻や あぶく銭のように みえ
諸行無常の有様を 嘆かずには いられません。

栄枯盛衰。

あくる日は それらの人が
木の 葉っぱを下にひき
木の 木陰で雨露をしのぐ 人生を送るか
しれません。

もともと 野山での 生活しか 慣れておらず
官僚組織で 働いたこともなく
今更 そのような お役を頂いても
【人事を 経ず 煩砕に 耐えず】
実力もなく その 煩わしさに耐えることが
できない。

ジジも 本山より 僧階を頂いたとき
家族親戚、檀家信者、こぞって 喜んでくれた。

師僧は
『名誉なことだ。
今までの ご先祖の住職にも 例は少ない。

本山のため、衆生のために頑張って欲しい』
と、喜んでくれた。

だが 空海は
『そんな 地位や 名誉が どうしたと いうのだ。
山に きてごらん。
鳥は さえずり 花々は咲き乱れ
素晴らしい 桃源郷だよ』
と、言っている。

そうだね。

『いかにしたら 大観音が 世に知れて
1人でも 多勢の参拝者が 来られる…。』

そんな 心配を しなくても いいかもね。
合掌

【コーヒータイムも 片手に 辞書を )

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寄附勧募から 2週間ぶりに寺に帰ってくると
支柱張りの 穴を あけたり いろんな 意味で
建立に 向けての 前進がみられた。

『おかえりなさい。
工事の 進み具合をみながら
ゆっくりと 身体を 休めてくださいね』

【忙中閑あり】

安息日は
遠いむかし キリストの時代までさかのぼり
奴隷に 至るまで
週に1度は 必ず 休息日が あったそうだ。

雲は あの はるか高く広い 大空で
しずかに ポッカリ浮かび 動く気配がない。

一方、水は 小川を サラサラと 忙しくながれ
次から つぎと とどまるところを しらない。

雲の 静かなさまと 水の動きとは
全くことなるが 誰に支持されたものではなく
いずれも 無心に 流れている。

私たちの 毎日は どうだろう ?

世の中が 目まぐるしく 動いている。

昨日まで 無名だった人が
1夜にして シンデレラ姫に なったり

野球でも相撲でも
昨日の 花形がいなくなり
やがて 存在すらも 忘れ去られる。

今の 社会は 騒然たる動き
慌ただしい 毎日が続いているのだ。

そして 物質 多き時代にて
心 貧しき 時代と いわれている。

『お茶でも のんで 少し 休んだら ? 』

空海も 同じことを いう。

【窟観の余暇に 時に印度の文を学び
茶湯 座し来って 乍( たちま) ちに
しんたんの 書を 閲(み) る】

座禅瞑想の 合間に 印度の文字を勉強する。
お茶を 呑みながら 中国の書に 耽る。

勉強のために 中国 西安の青龍寺にいき
きっと 寝る間も惜しんで 勉強したんだろう。

そんな中で ふと 一息つきながら
お茶を すすり 梵字や 悉曇の 文字に
目を通す 空海の姿が そこに あった。

そして 多分 空海は こう教えるだろう。

『お疲れさん、草臥れただろう 。
お茶でも飲んで しっかりと身を 休めなさい。

しかし 休んでいる間も
惰眠を 貪っては だめですよ』

『ええっ ー』

ボケっと 身体を 休めるのではなくて
明日からの 作戦を 考えながら
お茶を 飲みなさい。

ジジは 工事の進み具合をみながら
お茶を 飲まなければ ならないのだ。
合掌

【弘法は 筆を えらばず】

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【日本三筆】って 誰でしょう ?

ごめいさん!
空海、嵯峨天皇、そして 橘逸勢ですね。

その 空海が どれほど達筆だったか
紹介しよう。
分かりやすいように 短く
地名や 人名は 入れないでおくね。

遣唐使の1員として 唐に留学したこと
知っているね。

その船が 漂流したのち 這々の体で
中国の 南、ベトナムの上に 到着した。

ところが 漂流の際 ボロボロになった
船をみて 中国の長官 【刺史 ) は
上陸を 認めない。

そこで空海は
一刻も早く 上陸許可を 頂けるように
団員を代表して 嘆願書を 書く。

長官は 嘆願書の 内容は 勿論のこと
余りにも 能筆に 驚いた。

まだ 30歳そこそこ 若き 空海が いた。

空海といえば 【筆を 選ばず】が
連鎖的に 思い出される。

しかし 彼は こんな事を 言っている。

【良工は 先ず その刀を利(と)くし
能書は 必ず 好筆を 用う
刻と 鏤(ろう)と 用に従って刀を改め
池に臨ま場所に字を遂って 筆を変る】

大工さんや 料理人、優れた職人は
仕事に着くまでに 必ず 刃物を 研ぐ。

優れた 書家も しかり。
書くものによって 筆を変え
それに 1番 適した筆を 使う。

同じ刻むのでも 作業によって刃物も異なり
書くものによって 筆も 異なる。

友人の 料理長が いった。

『美味しい 料理をつくるには
良い食材と 清潔な料理場が 肝心です』

『それが お客さんを お も て な し
する 基本である』と。

私たちの 周りでも 【本物】の人は
自分に厳しく 自身を 高めるとともに
それによって 人さんが 如何に喜ぶかを
考える。

【未熟な人】は
下手さを 道具のせいにしたり
職場の せいにしたり
仲間の せいに したりする。

【能書は 必ず 好筆を 用う】と唱える空海が
【弘法は 筆を えらばず】とは

そういう人たちへの 戒めかも しれないね。
合掌

【私たちの 心の中に宿っている 鬼を退治しよう】

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『この恵方巻き どちらを向いて食べるの?』

『えーと、恵方は東北東だから…
ジジの 座っている方向だ』

『ジジを 見ながら 食べるなんて
なんか 仏さんを 拝んでいるみたい』

孫たちが 集まって 節分を祝う。

【恵方】とは その年の 幸福を司る
【歳徳神】が 回ってこられた方向で
今年は 東北東の 方角に 会座され
その 方向が 1番 いい 方向とされる。

福を 切らないように 包丁をいれないで
1人 につき 1本、
その年の 最も良い方向とされる方向を向き
しあわせを 祈りながら
言葉を 発せずに最後まで 黙々と食べるのだ。

【恵方巻き】の事は 88%の人が 知っており
62%の方が 口にしたことが あるそうだ。

豆を 買う人よりも
厄除けの祈祷をする人よりも
恵方巻きの 人気の方が 圧倒的に多い。

『おにはー 外 ! 』
『ふくはー 内 ! 』

鬼は 家の中に居ないのが しあわせの元だが
お家の 中には いろんな 鬼が住んでいる。

鬼は 自分のしあわせだけを 考えるから
自己主義な 家族は みんな 鬼だ。

白無垢の着物を着て 綿帽子
生涯に渡り角は 出しませんと
慎ましく 角隠しをして とついできた

お母さんが そんな事すっかり 忘れて
角隠しなんか 何処に置いたやら 分からない。

お互いが 思いあい 助けあい
協力しあっている家庭には 鬼は 入り込めない。

鬼って 私たちの 心の中に いるんだね。

私たちの 心の中には 仏さんと 鬼とが
同居しているのだ。

大声で 鬼退治をしている ママや 孫たちも
どうか 心の鬼を 退治してもらいたいものだ。
合掌

【ああ グズグズしていると 季節が通り過ぎてしまう】

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ミュージカルを勉強している小学生の孫が

ダンス オブ ハーツの 1員として
なんばグランド花月で 出演させて頂いた。

ジジは その人の 存在も知らなかったのだが
アメリカの ヒントン バトルという人が
3ヶ月 花月で 公演しており
その前座に 出させて貰ったのだ。

毎日 9時、10時まで 特訓をうけたおかげで
素人目にも上達し、見事に 演じきった。

同じくらい 驚き 嬉しかったのは
総勢 15人の 親戚 友人たちが
忙しいなか 駆けつけてくれたのだった。

1番上の おじさんは
大好きなゴルフをやめて 駆けつけた。

パパも 仕事の都合をつけて
本人の 演技だけ みて帰った。

驚いたのは
仕事の都合で 来れないと思っていた
下の おじさんが パパと同じように
それも 本人の演技だけ 見に来てくれた。


孫たちは『おじいさん』といい
いつも 可愛がってくださっている
私の 親友の お母さまが 今日 亡くなり
お越しに なれなかった。

お遍路さんに よく言っていた。

『島八十八ヶ所に参拝に お参りできる
あなたは 幸せものですよ。

小豆島の 聖地を踏もうとおもっても
床に就いている身体だったら
心だけしか遊化できない。

元気でも 結婚式や お葬式と重なると
お大師さんと お出会いすることはできない。
だから みなさんは しあわせ者なんですよ』

それを 成就しようと 思ったら
いろんな条件を クリアすることと
それを 成し遂げようとする
強靭な心を 持たなければ
それを 達成することは できない。

空海の 書が ある。

【風光 月色 辺寺を照らし
鶯囀{おうてん) 楊華(ようか) 暮春に発す】

風の光、月の光が わたしが 住んでいる
この 辺鄙な寺まで 照らし

ウグイスが 囀り、柳の花が
今春の 終わりを 告げている。

辺寺とは 京都 高尾山寺の事だ。

今は 威風堂々とした 大本山だが
空海が 卑下して述べたのか
本当に寂しい寺であったかは 知る術もないが

そんな 片田舎の寺でさえ ( 大寺とおなじように)
天女が 舞い降りるような 霊光が射し
夜には 月の光が 包みこんでくれる。

そんな 辺鄙な寺にも
今は 谷から 谷へと 鶯が 囀りわたり
境内の 柳も 色を 増し始めた。

ああ…
待ち望んでいた 春もあっと言う間に 通り過ぎ
初夏が 目の前に迫って いる。

なんと 季節が 過ぎ去っていくのが
早いことよ。
そして 我が人生は 如何に短いものよ。

これは 朝鮮の 新羅にいる 友人の僧侶に
『はやく いらっしゃい。
グズグズしていると
季節が過ぎ去るだけでなく
私たちの 命までもが 通り過ぎますよ』
と、言っているのだ。

話を 孫の方に 戻そう。

みんな 忙しい中、来てくれた。
ポイントだけ 押さえてくれた人もいた。

遠くは 奈良の都から 来てくれた
姉妹も いた。

そして みんなの善意の 目の前で
孫は 見事に 演じきった。

善意と 善意の中で
ミュージカルは 無事 終了した。
合掌

【捨てるものが 大きければ大きい程、求めるものは 大きい)

孫が 補助輪なしで
自転車に乗れるようになった。

カサアガリが 出来るようになり
縄跳びや フラフープが 上手になり

いまや 2月末の 発表会のために
毎日 ピアノの 猛特訓を 受けている。

あれもやり放題 これもやり放題ではなく
曲がりなりにも マスターするまでは
続けるというのは

親の 教育方針は 見上げたものと
言わざるを 得ない。

そして 空海は その目標成就の 為には
自分にとって 1番 大切なものでも捨てなさい
という。

【親を辞して 師に就き
飾を落として 道に 入る】

親の元を離れて 師僧の もとに入門し
頭の毛を 剃り落として 仏道に 入る

空海は 都での大学にて勉学に励むため
生まれ故郷の 讃岐から 離れ

中国西安の青龍寺にて 第7世 恵果和上にて
【密教】を 習得するために
両親や 友人からも 遠く 離れてしまった。

ジジも 若き日に
僧侶になる 入門【得度】を 受けた。

昭和41年だったかなあ。
師僧は 高野山 三宝院の 住職で
本山の 重責に就き 大変 徳の高い人だった。

右も左も分からない私が 両親に付き添われ
生まれて初めて 高野山 ロープウェイに 乗った。

師僧も 両親も 既に鬼籍の人と なったが
今でも ロープウェイに乗ると
周りに映る光景が 何1つ変わらず
あの時を 思い出して、胸がいたくなる。

【得度式】の 後で 師僧は 両親に言った。

『今まで 生み 育て 慈しんでくれてありがとう。
今日から この子は 親の元から離れて
仏の弟子となり 私の子供に なりました。

この子は やがて 有為の道に入り 修行に励み
誰からからも 自然と手を合わして貰える
徳の高い 僧侶になって 貰わなければならない。

そのために 今日、肉親と別れ
本人の 何よりも大切な黒髪を落として
求道を 仏様と お誓いしました。

捨てるものが 貴重であれば あるほど
求めるものは 大きく 深く 高く 広い』

師僧の 諭しの言葉を聞いて
両親は ポロポロ ないた。

あっという間に 月日は 流れ去ったが
師僧の 諭しの言葉も
波だした 両親の おもいも
若きジジの 決意も

ロープウェイから見下ろす 今の風景と
なんら 変わるものは ない。

私たちも そうだね。

子猫のように ニャンニャン言っているのではなく
『いざ 鎌倉』の 時には
1番 大切なものを 捨ててでも
その事に 真剣に 取り組む。

この 心が 必要なんだね。

孫も あれもこれも でなく
足を しっかりと 大地につけ
ゆっくりだが 1歩づつ 歩き始めた。

合掌
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【裸の 大将って どんな人 ? 】

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小学生の孫が ミュージカルのレッスンから
帰って 食事もとらずに 倒れるように
床に就いた。

『すわ ノロウイルス ! 』

家族は 戦々恐々と 互いに 顔を 見合わせた。

この日曜日に 大阪の 【難波グランド花月】で、
勉強している ダンス オブ ハーツの
メンバーの 1人として 出演するのだ。

その リハーサルが 毎日のように あり
心身ともに クタクタになっていたのだろうね。

ところが 今日も レッスンの時間がくると
何事も 無かったように
いそいそと 練習に いく。

『今日ぐらい 休めば いいのに』

ジジが 心配して いう。

『1日 サボったら 1日、遅れてしまう。
それに わたしは 踊るが好きだし
教えてくれている 先生も 大好き ! 』

ママが いう。

『先生、怖いよ 』
『うん、怖くって とっても 優しいの 』

ジジは ある お坊さんの事を 思い出した。

彼の 父上も 彼も
お坊さんに 勉強を教える 大先生だ。

亡くなった お父さん先生は
厳しく 恐かった。

先生も 小柄なお方だが
とにかく 威厳があり 存在感が ある。

身体全体が 引き締まったようで
目も ギラギラと 輝いている。

多勢いる お弟子さんたちが
屯して 雑談をして居ても
先生が そこに 顔を出すだけで
一変に 緊張感を 増す。

しかし 怖いのかと 思ったら
優しいし 細やかな所まで気がつくのだ。

『わたしたちも 先生のような
人間に なりたいね』

先生と お出会いしたあとは
必ず 住職と そのような 会話をする。

空海の 書がある。
以前も お話し したので
説明は 手短に しようね。

【若くは尊、若くは卑、
虚しく往きて実て 帰る
近きより 遠きより 光を訪ねて 集会する】

尊卑をとわず 誰もが 何も持たないで
やってきて 大きな 実りを持って
帰っていく。

その人の所には 遠近をとわず
【恵果和上】の名声を聞いて
多くの人が 集まってくる。

遣唐使の 1 留学生の空海は
第7世 恵果和上の 弟子となり
第8世 弘法大師 空海として 帰ってくる。

中国の 本社から
日本支店長で帰ってくるのではなく
本社を 日本に移し 本社の社長となるのだ。

さて その恵果和上だが あの空海でさえ
和上の 姿を見るだけで 頭がさがり
心から 尊敬の眼差しで 対応した。

それ位、和上を頼って 遠近をとわず
大勢の 衆生が 救いを求めたのだ。

私たちの 周りにも
【裸の 大将】は いっぱい 居る。

他の人は なんとも 思ってないのに
自分1人 偉くなって いるのだ。

とにかく
『俺は 忙しい』
鼻っ柱が たかい。
命令口調で 話す。
そぐ 怒る。怒鳴る。

本当の賢者とは 本人は 何も思って無くても
人さんの 方から
『私たちも あんな 人に なりたいね』
囁き合われる そう言う人の事を いうのだ。

ジジも そう なりたいね。
合掌
プロフィール

子安観音寺

Author:子安観音寺
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