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【運命と 宿命】

先代が いつも 私に 言っていた。

『あんたは お観音さんに 頂いた子だから
後を継いで 立派な お坊さんになるんやで』

ジジも 住職に よく 言っていた。

『一生懸命に勉強して 檀家や お遍路さんに
喜んでもらえる 人に なってくださいね』

両親の 縁をいただいて
寺で 生まれ育ったのは 【宿命】だ。

その後に 寺の後を継ぐ 継がないのは
その人の【運命】である。

閑話休題
アメリカに ヘンリーという 小説家が
書いた おもしろい話が ある。

1人の若者が 志をたてて 都会に出てきた。
ところが 右中左と
3本に 分かれている道に でくわす。

かれは 右の道を 進むことにした。

いろんな 出来事に遭遇した かれは
政治家を 目指す。
やがて 新進気鋭の 政治家と 万人が認め、
実際、有能な 政治家だった。

その彼は 自分の 書斎で 妻に拳銃で撃たれ
最期を 迎える。

物語は 振り出しに もどり
真ん中の 道を 進むことに する。

いろんな事が あって、
かれは 芸術家を 目指すことになる。

作るもの 作るもの 全て ピットし
万人から 注目される 押しも押されもせぬ
立派な 芸術家に なる。

その彼は 自分の書斎で 妻に 拳銃で撃たれ
最期を 迎える。

そこで また 物語は振り出しに戻り
かれは 左の 道を 進むことにする。

彼は いろんな 出来事に あい
実業家を 目指すことに なる。

苦労あり これまた いろんな事が あって
やがて 国でも
10本の 指に数えられるくらい 大成する。

その 彼は 自分の書斎で 妻に 拳銃で撃たれ
最期を 迎える。

そして 彼の 一生は 終わるのである。

どの道を進もうが 彼は 一応は成功するが
とどの つまりは
妻に 殺されて 生涯を 閉じる。

人間の 1生というもには
1つの 定められた 運命にあるという
世にも 恐ろしい 物語である。

【宿命】
私たちには 天から授かった 宿命があり
これは 絶対に 動かしがたい ものである。

天皇陛下は 天皇家で お生まれに なり
わたしは 貧寺の 息子として 生まれた。
宿命だね。

【運命】
天から 授かった 固定した 命に 対して
巡るもの 動く命である。

どんなに 素晴らしい 宿命の人でも
運命次第では 折角の 吉兆が壊れてしまう。

医者の 息子として生まれ 自分も 医者を 継ぎ
みんなに 信頼され 飛ぶ鳥も落とさんが如くの
良き 宿命の先生が 運命の悪戯で

1便 早くの 飛行機にのったが ばっかりに
富士山の 近くで墜落をして帰らぬ人となった。

しかし 巡る 運命が 分かっていれば
私たちは それに 対応できる。

朝は 上天気でも
午後から 雨降りが 分かっているならば
傘を持って でる。

経済的な 危機を 予感したら
そでに 備えて 無駄遣いを しないで
貯蓄に 専念する。

私たちは 【運命だ】【宿命だ】と
翻弄するよりも

自分の 行動 1つで
悪運を 好運に 変えることが できるのだ。
合掌140331-1写真
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【人には 優しい 眼差しで 接しよう】

孫たちが 家族 4人で 魚釣りにいった。

4月から パパが 仕事の都合で 九州に行き、
パパの 休みの日に みんなの 思い出と
全員で 出かけたのだ。

多勢の 釣り人に 混ざって竿を 下ろす。

周りの人たちは大きいのが釣れて
狂喜の如く 喜びの声が聞こえるが
こちらは とうとう最後まで
只の 1匹も 釣れなかった。

それでも 孫たちは 釣り人たちの
釣りの腕前を 採点したり
獲物を 覗き込んだり

人と 人との コミュニケーションが
結構、楽しかった ようだ。

『さて そろそろ 帰ろうか…』

腰を 上げたその ときだ。

『お魚、1匹 あげるよ。
全く 釣れなかったのも 可哀想だ』

みると パパよりも 少し 年上だろう
釣り人が ニコニコ笑いながら
大きな 魚を 持ち上げている。

『うわー、おじちゃん ありがとう』

驚いて パパが 考えている間に
子供たちが それを ゲットしてしまった。

観音経という お経のなかに
【慈眼視衆生】【福寿海無量】という
言葉が 出てくる。

⚫︎【慈眼視衆生】
お観音さんは いつも 優しい思いやりの目で
常に 私たち 一切衆生を 見てくださっている。

私たちも ほんの ほんの ちっぽけなもので いい。
お観音さんの 心をもち、
慈悲の 心で 隣の人を 見て
もし、困っていたら 救いの磤手を 差し出しましょう。

⚫︎【福寿海無量】
母親を 慕うがごとく
心から お観音さんを お慕いすれば
福徳の 集まること 大海の ごとし、

福寿の 報いが 汲んでも汲んでも 湧いてくる
水の 如く 無限にあると信じて
行動に 移しなさい。

『おじさんは ジジが いつも 言っている
お観音さん みたいだね』

パパが いう。

『おじさんは
パパが 1匹も 釣れていないことを
お観音さんの 慈悲の眼で みていたんだ』

おじさんは いう。

『いやいや 1人で ムスッと して
糸を下ろしているよりも 楽しかったですよ。

お観音さんは お嬢ちゃん、
あんたの ほうだ』

ともあれ、
素晴らしい 思い出の 釣り大会と なった。

おじさんは おかんのんさま。
わたしも おかんのんさま。

大きくなっても きっと 忘れないだろうね。

まあ しかし
わたしの 孫が 釣りに行ったからと いって
ボウズで なくても よかったのに。
合掌
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【愛しているよ…全て あなたを 独占 したい】

孫と一緒にディズニーの 漫画をみた。

【アナと 雪の 女王】という 題名で
孫に引かれて 善光寺参りをした ジジは
いつものように 寝るかと 思ったが
なかなか良い漫画で 食い入るようにみた。

姉王女と 妹王女の 姉妹愛と
それに 纏わる 恋物語。

【愛】によって かけられた 魔法が氷解し
ハッピーエンドと 相成るのだ。

『愛って なあーに ? 』

妹が 雪だるまに 話しかける。

『ぼく、わかる。
愛って 自分よりも だれかのことを
大切に 思うことだよ。
クリストフが 君を ハンスに 任せたみたいにね』

真実の 愛が 凍りついた 心を 溶かすのだ。

人のために 自分を投げうって
その人を 護ってあげたいという 響きがある。

ところが 水をさすようだが 【愛】には
相手を 独占してしまいたいという
欲望が 見えかくれする。

人のためにと、言いつつも
大好きな オモチャを 1人じめして しまいたい、
そんな 欲望が 湧くにだ。

そこに 登場するのが お観音さんの 心
【慈悲】だ。

これも なんども なんども お勉強したね。

深い 慈しみの心と 大きな 悲しみという。

【悲】だけについて 考えても
人の悲しみを 我が 悲しみとすることだ。

人は その時によって 抱える
楽しみや 悲しみは 違ってくる。

ガールフレンドと 手を取って 歩いている。
ああ うれしや。しあわせ。

その 友人と 別れてしまった。
かなしや、かなしや。この 嘆きは 大きい。

悲しみを 共有するということは
その人の 心の中に 入って行って
ともに 泣いたり 喜んだりするのだ。

【愛】と 【慈悲】の 違い わかった ?

心の そこから 愛しいひとの
心の中に はいって
共に 手を 取り合って いきたいね。

そんな 事を 考えている間に
映画は 終わっていた。

『ジジ かえろう』
合掌
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【性善説、性悪説】

3月 7日 生まれの孫が スヤスヤ寝ている。

なんの 穢れもない 純真無垢だ。

私たちは よく 【性善説、性悪説】について
議論する。

釈迦は 『人間は 生まれながらにして
仏心 ( 仏の 心) を もって 生まれる』という。

積もり積もった 塵によって
怒ったり 泣いたり つまり【苦】が生まれるのだ。

キリストは
『アダムと イブが 食べてはならない
楽園の 林檎をたべ、
人間は わるい心を持って 生まれてくる』と する。

悪い 心を持って 生まれてきた 私たちは
生きている 今、世のため 人のために
尽くさなければ ならない。

どちらを 取っても 生まれたからには
仏心に 随って 悔いのない人生を
送らなければ ならない。

3月 7日生まれの 孫は 長女で
『蝶よ花よと』両親の愛を 一身に受けているが
兄弟姉妹が 生まれると そうは いかない。

『おかしいな ?
いままでは パパや ママの 愛情は
わたし 1人に 注がれていたのに
今や 弟や 妹ばかりに 集中されて
わたしには 見向きも してくれない』

『弟や 妹には
あんなに 沢山 オヤツをあげるのに
わたしには これっぽっち しか くれない』

知らず 知らずのうちに
【嫉妬心】が 起き【物欲】が 顔を だす。

そして その塵は 知らぬうちに
折角 持って生まれてきた 【仏心】をも
覆い 隠すのである。

【ゲゲゲの きたろう】の 著者
水木しげる 先生は 漫画の中で
このように いわれている。

『コマーシャルは

人間の欲望を 満たすことが できる。
しかし 欲望だけ 彷彿させ
食べることも出来なければ 臭う事もできない
ましてや 蓄えることも できない』

般若心経の 【空】を いっているんだね。

コマーシャルを 見た 直後は
それが 欲しくって 仕方が ない。
ところが 我慢をして 暫く 時間がたてば

欲しかった事さえ わすれ、
遂には その物自体の 存在すら 忘れる。

私たちの 心なんて ゆく水の流れのようで
立ちのぼる 煙りの ような ものだ。

諸行は 無常で 直ぐに 変化する。

自分自身に自信がなく 引っ込み思案の人も
直ぐに 腹を たてやすいひとも

払い 心の 持ちようによって
私たちは 生涯 【苦】を背負って 日暮らしするか

苦を抜き 楽を 与えてもらい
楽園で しあわせな生活を おくれるかに
別れるのだ。

積もり積もった 塵を降り腹てゆけば
やがて 煌びやかな 心の珠が 顔をだし
【仏心】が あらわれる。

私たちの 心の奥には
どんなときでも ひかり輝く
きれいな 心が あることを 忘れては ならない。
合掌
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【ありがとう と 言って 貰えなくても…】

電車の中で 席を譲って さしあげる。

良し悪しは 別として いろんな方が いるね。

何度も 何度も どちらかが 降りるまで
『ありがとう』といって 頭を下げる
子連れの 若い おかあさん。

我が物顔で『 当然の如く』と
お尻を置いたあとは
他の人間に 関心を示さず 我が事に
没頭する お婆さん。

折角 善行を積みながら
自分自身の 【行】が 足りていないせいで
何度か 悲しい思いを することがある。

【三密の 行】といって 身口意、
つまり 身体と 言葉と 心で
人を しあわせに しましょう
満足 させましょう という。

心の 布施も 何の代償も求めないで
喜んで 自分の 身体も 財産も 心も
捨てなさい という。

そんな 小さな事で いちいち
『お礼が なかった』と、
愚痴をこぼしていても きりがない。

しかし 我が心、哀れなもので
こだわらないように と思いながら
強烈に 拘っているのだ。

よく 考えてみれば
小乗仏教…
いや タイ とか ビルマとか スリランカに
お参りしたときに
多勢の 僧侶が 托鉢をしているのに であう。

分かりやすく いうと

映画の 【ビルマの竪琴】で 水島 二等兵が
軍服を脱ぎ 三衣一鉢、僧侶の 衣を纏いて
托鉢に まわり 善男子然女人が 供養する
シーンが ある。

民は 自分の 食料も 財産も 投げ出して
僧侶の 鉢の中に いれる。

しかし 僧侶は 当たり前の顔をして
次の 民の前に 鉢を 突き出す。

『お礼が ないでは ないか』と、
怒っているひとも 膨れている人も
誰 1人 いないのだ。

今日も ありがたい 供養を させて貰った。
互いが ペチャクチャ 喋っては
せっかくの 修行の 邪魔になる。

布施を させて 貰って 喜んでいるのだ。

ジジは 決して 『ありがとう』という言葉が
死語だとは 言っていない。

ただ 『ありがとう』と 言われることに
こだわると 相手の気持ちが
見えなくなる ことがある。

でも 受ける方も ありがとうとは 言わなくても
頭を 下げるとか ニッコリ 微笑むとか
感謝の 気持ちを 持つことも 必要だね。
合掌

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【目の前の 人の 心を 認めること】

『あれ ?'この人 今日は どうしたんだろう』

何かの 心労があったり 疲れている時に
人は 驚くような行動を 取ることがある。

その 心の中は 読めないけれど
ひょっとしたら 本人も忘れてしまっている
過去の 些細なことが 原因の時も ある。

【わたしたちが 何かを 思ったり
判断したり 行動する時は
それまでの 経験や 知識に 左右される】

今は 良妻賢母で よき ママであるが
ジジに 手を引かれていた 幼い頃は
とても 犬嫌い だった。

可愛い 子犬が 尻尾をふって かけてくる。

本人は 『また 噛まれたら いけない』という
防衛本能が 働いて 拒否反応を 示す。

『うわー 』

大きな 声で 逃げ惑う。
仔犬も その 声と 態度に 驚いて
逃げながら ワンワンきゃんきゃん 。

その声に 反応して 『うわー 』

大パニックだ。
いまでも 子供に 言って聞かせながら
昔のことを 思い出すそうだ。

このように 私たちは
目の前のことに 反応するのではなく
過去の 自分の 経験や知識を通して
反応する ことがある。

大きく 傷ついた 苦い経験が
1歩 踏み出すことを 躊躇させるのだ。

わたしたちも よく あるね。

古い 過去を 引きずって ( こだわって)
『あの 人とは 会いたくないな』
と 思っている人と 偶然 あったりする。

【怨憎会苦】
オギャーと 生まれてきて
絶対に 避けてはとおれない
四苦八苦 (八つの 苦しみ) が あるんだと
勉強 したね。

我が こだわりによって
絶対に 会いたくないと 思っている人と
出くわして しまった。

思わず 過去の 出来事の 1つ 1つが
現実となって 思いだされる。

思わず 身を守るための 防衛反応が
おきる。

でも よく考えてみれば それは
過去にあった話で 今の 出来事では ない。

今、会いたくないと 思っている人が
何を 考えているかは 分からないのだ。

過去に 於いては 悪いことをした。
言い過ぎた。やり過ぎたと
反省しているかも しれない。

そして その逆で
『今も 昔も絶対に 許すものか』と、
未だに 根にもっているかも 分からない。

そう 分からないのだ。

⚫︎とらわれない 心
⚫︎こだわらない 心
⚫︎かたよらない 心

薬師寺の 高田好胤 前管長猊下が
いつも 般若心経の 講義で 言われていた
有名な 言葉だ。

こだわりを すて 相手の 心の中を
覗いていては どうだろう?

『こんにちは。どちらまで ? 』

『買物です。
それは そうと この前は
とんでもない事を申して 失礼しました』

お互いの 心が 氷解するかも 分からない。

1番 大切なのは その人の 事を
心から おもいやる。

お互いの 心を 通じ合わすことで
頑なな 心も 氷解し
楽しい 毎日を 送れることだろう。
合掌

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【自分の 仕事に 悲観せず 価値を みいだす】

この年になると 昔の 思い出が懐かしい。

中学校では 1年に 何度か
【木だし】といって
4貫の 大きさにしてくれた 木束を
実力にあった 数だけ 山から
負い おろすのだ。

菜園が あって 学校から そこまで
【肥】を みんなで 運ぶのだ。

ジジは どちらも 経験が ない。

中学校で 経験してなかったら
きっと 生涯を通して しなかっただろう。

【肥】を 運ぶのって 難しいね。

前を 担いでいると 後ろから
足元に ピチャピチャ かかる。

『ははー、前を 担いでいる人は
必ず かかるんだな』

代わって もらって 背後を 担ぐと
やはり 同じように 足元に かかる。

挙げ句の果てに 途中にある 商店の前で
ひっくり返して しまった。

【肥】が 商店の前の あちこちに 飛び散り
まあ その匂いの 臭いこと。

『寺の 息子が うちの 店の前で…』

大騒動に なった。

気落ちして 寺に 帰り 叱られながら
身体中を 綺麗に洗ったが

あの【糞尿】の 現物と 匂いは
当分 身体から 落ちることは なかった。

【般若心経の】色即是空 空即是色で
勉強 したね。

糞尿じたいは
身体を ゴシゴシ 洗ったことによって
綺麗に 洗い落とせたのだが

我が 心に 付いている 糞尿と 匂いが
心から 消えないんだね。

さて それは さて置き

お仕事の 中で 三K って 知っている ?

⚫︎きつい

⚫︎きたない

⚫︎きけん

これが 今まで 言われていた 三K。
現在は これを 言うらしい。

⚫︎きつい

⚫︎かえれない

⚫︎きゅうりょう やすい

パパ達も みていると 大変だ。
みんな 夜中の 12時を過ぎて 帰って来て
子供の顔をみては
早朝に いそいそと 出ていく。

きつい仕事で 時々は 帰ることもできない。
給料も 思うほどは 頂けず
それでも 家族のために 頑張っている。

綺麗な 服をきて、クーラーの聞いた部屋で
8時から 5時まで 働いて 高収入を 得る。

誰もが それを 望みはするが
私たちは 表面的な 部分だけをみて
憧れたり 妬んだり する。

しかし 【糞尿事件】でも あったように

今、やっている仕事が
どれだけ 人の 役にたっているかで
推しはかる べきなのだ。

みなさんの 仕事は 大勢の 人々の
役に たっていますか?

それに よって よろこびを 感じてくれて
いますか?

そうすれば 【三K】という 言葉も
なくなるだろう。
合掌
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【芥川 龍之介 蜘蛛の糸】

練炭で 次々と 連続殺人をしていった女性や
大勢の命を奪い いまだ後遺症で苦しんでいる
方がいる 地下鉄サリン事件等、

極悪非道の 数々を犯した事件の 裁判が
全国民の 関心を集めている。

芥川龍之介の 【蜘蛛の糸】を 読み直してみよう。
これで 2回目の 勉強だね。

お釈迦さんが 極楽の ハスが 咲き乱れている
池から 地獄を覗いてみた。

針山地獄 八寒地獄 八熱地獄などで
亡者どもが 鬼に追い回され 逃げ惑っている。

そんな 亡者の中で 【カンダタ】という
人が いた。

生前中は 殺人は 勿論のこと 放火 強盗
これは していないという悪業がないくらい
悪業の 限りを尽くして 地獄に 落ちたのだ。

そんな カンダタが 生涯を通じて
只、1つだけ 善行をしたことがある。

山に中で 小さな蜘蛛を 踏み殺そうとしたが

『いやいや 小さくても 1つの大切な命を
持っている。こんな 小動物でも
無闇に 殺生をするとは 余りにも可哀想だ』

踏みつけるために 高く上げた 足を
ユックリと 下ろしたのだ。

お釈迦さんは こんな 極悪非道な 人間にでも
【善の 心】が あるんだ。
もう一度、思い直して 欲しいと
地獄に 1本の 蜘蛛の糸を 垂らされた。

カンダタが 見上げると 天高く
極楽浄土まで 続いている。

『やれ ありがたや。
これを 上れば 地獄の苦しみから 解放される』

お釈迦さんが 垂らしてくださったのも 知らず
蜘蛛の糸に 取りすがり 上に 上にと 上がった。

ところが 上から 下を見下ろすと
無数の亡者が 蟻の 大群のように 取りすがっている。

『ひぇー そんなに 沢山 登ったら
この 細い糸は 切れてしまう。
降りろ 降りろ ! 』

カンダタが 必死になって 下にいる亡者を
蹴り落とそうとした 瞬間、
彼は 真っ逆さまに 地獄の奈落の底に
落ちて行った。

この時に、
あまりもの 重みで 糸がきれてしまい
我がも 大勢の 亡者も 共に 落ちようが

『上手く行けば 全員の 亡者も 共に
極楽に 行くことができる』と
慈悲の 心が 芽生えていれば
きっと 大勢の人達と 一緒に
極楽に いけた筈だ。

カンダタの ような 悪人でも
お釈迦さんが 救ってくれるような
【善心】が 宿って いた。

ましてや 私たちの 心の中には
良い心は 一杯 持ち合わせて いる。

今、世間で 話題になったり
話題に なっているような
悪道の 数々も 当然 無くならなくては
ならないが、

散らばっている ゴミを 拾うのもよし、
電車で 席を 譲ってあげるのもよし。

小さな 善行を 積み重ねて行けば良い。

そうすると ひょっとしたら
お釈迦さんが 1本の【蜘蛛の糸】を
垂れてくれるかも しれない。
合掌140324-1写真

【お互いが お互いの 思いやりの心を 大切に しよう】

『みなさ~ん かんぱ~い ! 』

『乾杯 ! 』

『はい ジジは それで 終わり !! 』

『え~ 今、口を つけた ところなのに』

『ジジは いっぺんに呑むから可愛くないの。
それに お医者さんから かたく
止められて いるでしょう?

次に 膵臓に 激痛が走ったとき
死んで しまうって』

住職の 晉山式の 3日後の 夜、
激痛が はしり 転げるようにして 医者に走った。

退院の日に 『絶対に 飲むな』『お肉は ダメ』
『天婦羅も 駄目』『満腹も だめ 』
『粗食で しかも 少量に とりなさい』

こんこんと 約束を さされ
それを 丸呑みして 帰っているのだ。

どの 娘の お家にいってもドクターでなくて
【ドーター ストップ】がかかる。

ジジは 膨れながら 思う。

『そんな事、子供ではあるまいし
限度を わきまえて いますよ。限度を ! 。

自己管理ぐらい 自分で できますよ』

子供達も 腹立たしく 思う。

『何度 言っても 分からん ジイさんだ。
今度、痛んだら 次は ないのよ。
死んでしまうよりは 飲まない方が良いでしょう』

アルコールを 目の前にして
いつものことながら 気まずいムードが漂う。

2人は 同じ現実を 目の前にして
互いが 全く違った 現実として 捉えている。

『アルコールを ください』
『周りの 雰囲気を 台無しにしてでも
絶対に あげません』

これは 互いの 固定観念からくる
【無理強い】という 欲望から
角を 突き合わせて いるのだ。

【欲】といって 連想するのは なんだろう?

お金が 欲しい 。そう 金銭欲。
名誉も 欲しいかな ? 認めて もらいたいね。
美味しい ものも 食べてみたい。食欲。
あれも 欲しい これも 欲しい。物欲。
睡眠欲、性欲…

一杯 あるね。

だれの 心にも 思い当たることが あるね。

今回は 互いの 【自我】を 出し合い
自分の 意見を正論化したい【欲】がでた。

ジジは
『なぜ 私の心を 察してくれないの』
と、不満を 抱き

娘たちは 娘たちで
『どうして 私たちの 愛の鞭が 分からないの』
と、腹立ちを 露わに する。

その 自我を 相手の方に 向けたらどうだろう?

『いつも 私の身体を 気に掛けてくれて
ありがとう。
医者も 仰るし 身体も 大事だから
極力 控えるね』

『ジジ、本当は 飲ませてあげたいんだよ。
いつも 姑のような 事を いって ごめんね。

食卓を 囲んで
家族全員が 気まずい気持ちになるには
いつも この事 だけだもん。

もっと 言い方も 気をつけるね』

面白いね。

お互いが 【自我】を 捨てて
人の気持ちを 想い合うように なった途端、

《ありがとう》《ごめんね》

感謝と 反省の 言葉が 出てくる。

あなた方も どうだろう ?

1つの 事柄に 自分の 都合のいい事ばかり
考えて いるのでは ないだろうか?

合掌
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【言いたいことは 言って、しかし 友人は 多く】

大学の 野球部のOBの方から電話があった。

OB会に 入りなさいとの 事だった。

ジジは 最初、面食らった。
軽音楽と 両方好きだった わたしは
結局は 野球部として 卒業していないのだ。

『先輩、私は 入会しても いいですけれど
誰も そんな事を 認めてはくれませんよ』

その言葉に 先輩は 一撃した。

『あほう。
だれも 最初から 最後まで
お前のプレイなんか 期待していた者がいるか。

卒業しても あちこちに ブレない、
人生の 荒波にも 負けることなく
強靭な精神を 養って貰おうと思っていただけだ。

その 仲間が 愛集まり
友好を 深めながら 後輩を 見守ってあげる。
素敵じゃ ないか』

もし、OB会で 意義が出た時には退会します
と、いう条件で 入会させて 貰った。

今、お相撲で 大阪 春場所が 始まっている。

小豆島高等学校を 卒業後、
幕内まで あがった力士がいて
ジジも 必死で 応援をしている。

ジジの 友人である 親方に
聞いてきた ことがあった。

『これらの 子を 育てるにあたって
親方の 1番 気にしていることは なんですか?』

笑ながら こう 答える。

『この子ら 全員が横綱に なることですよ。

でも 離合集散が 激しい この世界、
生涯を 通して なんでもやっていける
強靭な 身体と 心を 持ってもらいたい。

その精神で 1番 1番 土俵に 集中し
その 集大成が 優勝であり 横綱なんですよ。

そして 強いだけでなく
心技体が しっかりして居て
友人は 多く、
心根の 優しい子に育って貰いたいです』

そうだね。

テレビで 見ていても 勝負が 決まっていても
相手を 土俵したまで 突き飛ばしたりする
人が いる。

勝負が 決まったのだったら
負けた相手を 反対に
土俵に 引き上げてあげる度量が 欲しいね。

論語に こういう 言葉が ある。

【君子は 和して同ぜず
小人は 同して 和せず】

優れた人は 黙っていても友人が 会い集まる。
だからと言って 自分の意見を曲げてまで
違うと思った意見を 合わせる事は ない。

つまり それそれが 自分の意見を持った上で
それを 相手に 理解してもらい
理解されなくても 自分の意思は曲げず

しかし 腹をたてず 喧嘩せず 和する。

逆に 度量の狭い人は
【付和雷同】して
すぐに 人の意見に なびいてしまったり

意見が違って 腹をたて
膨れながらも それに追徴する。

そりゃあ そうだね。

お相撲さんでも 同郷の先輩として
私生活では 尊敬をしていても

いざ 勝負となると、
一切の 私心を投げ捨てて 土俵に 集中する。

我が意思を 最後まで曲げずして 心を 優しく
そして 多くの友人に 囲まれる。

そんな 人間に なりたいね。
合掌
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【二十四の 瞳 大石先生の ようだよ】

壷井 栄 先生 の【二十四の 瞳】
ストーリー 覚えている ?

山場は 2つ あったね。

脚を くじいて 學校を 休んでいた
大石先生に 会うために 24の瞳 全員で
遠くにある 先生の お家まで いく。

暗くなり 不安を 我慢していた子供たちは
先生の顔を見た 安堵感で
先生に すがりつき 大泣きをする。

その 24の瞳を
1人 1人、先生は 抱きしめていく。

もう1つは

全員 卒業をし 世界大戦中の 子供たちは
それぞれ 自分の道を あゆむ。

志願して 軍隊に はいる お友達。
赤紙 【召集令状】にて 渋々 入隊する友人。
泣きながら 都会へ 奉公に いく お友だち。
病死する おともだち。

大石先生が 何十年めかに 岬の学校に
再就職するのを機に 残された 友人が集まった。

先生を 真ん中に【 24の 瞳】全員が 写っている
写真を みる。

戦争で 視力を失い 島で マッサージをしている
お友達が 1つ 1つ 押さえながら いう。

『この 写真だっら 視力を失っても
全て みえるよ、
先生が 真ん中に いる。
その横に 僕が いる。
そして その横は …』

正確に 押さえて行く その指を 見ながら
全員が むせび泣く。

そして テレビを 観ているひとも
映画を 視た ひとも
本を 読んだ ひとも

思わず 胸を痛め、ハンカチで 涙する。

実は そんな 先生が いる。

小学校の 4年生から6年生まで
3年間 習った。

都会から 小豆島に 赴任された 先生を
私たちは 『島流し された』と 言っていた。

そんな中、先生は 學校だけでなく
下宿先までも 教え子の 面倒を みてくれた。

どんな 先生でも 學校をでて
いる場所も 環境もかわれば
交信は 途絶えがちに なる。

私たち 同級生が 集まったとき
先生を およびした。

蛇足だが 先生は 国立 超有名校を出て
これからを 期待されていた自慢の息子を
1人は 病気で 1人は 事故で なくし

今は 讃岐の 仏生山という 場所で
奥さんと 2人だけで 暮らしている。

私たちは 2クラス あって 丁度 100人 いる。
卒業をして 55年にも なる。

『僕は 教え子の名前は 今でも全部 言えるよ』

持ち寄っていた 白黒の 写真を、前に おき
1人 1人 指を 指していく。

『これが ⚫︎⚫︎だろう?
これは あの時の 写真だ。
懐かしいね。
あいつ、元気に しているのかな ? 』

『24の 瞳の 大石先生だ』

誰かが 叫んだ。

そして どの友人も どの友人も 泣いていた。

『単なる 教え子では ないんだ。
君たちは みんな 私の 実の子供なんだ。

都会に 帰ってから写真を 出しては
何度も 何度も 繰り返して 絵を負った。

1人たりとも 忘れて いないよ』

これは お観音さんの
【智慧】と 【慈悲】の 心だね。

私たちが 死んだ時に
欲望は『金の切れ目が縁の切れ目』と去って行く。

わが妻は 『野辺のおくりまで』と、野辺送りまで。

そして 一緒に お浄土まで ついてきたのは
1番 粗末にしていた 【我が 心】だった。

財産や 地位や 名誉、そして 家族までもが
棺桶の 中に 一緒に 入っては くれない。

日頃、気にも掛けてなかった 我が心だけが
一緒に 旅立って くれるのだ。

釈迦は いう。

『汝が 死んだ時に あの世に持っていける物は
自分自身の 心 意外に ありません。

故に 生前中に 心を磨き、
真心を 大切に 育てていくことを 心がけなさい』

先生は 私たちの 父母であり 良兄でも ある。

先生が お観音さんの 心を 持っているのでなく
既に お観音さんの域に 達しているのかも
しれない。
合掌140321-1写真

【逃げるな ! 精進すれば 見えないものが 見えてくる】

住職の 代理で 法事にいった。

お斎の席で ジジの周りに
同級生を 座らせたのも 家族の配慮だろう。

ジジが 漁師に いう。

『今、小豆島で 鯛が釣れるとかで
多勢の 釣り人が 島に来ているが
網にしろ 1本釣りにせよ 凄いことだね。

まるで 肉眼では 見ることが出来ない
海中が 隅々まで 見えるみたいだ』

漁師が いう。

『それは 医者でも 松茸とりでも
同じことだ。

医者は わざわざ 切開しなくても
患者の 身体の状態を 把握できるし

松茸とりでも そうだ。

長けた人は 匂いと 天候お 場所で
我々が 踏んで通るような 所で
不思議な くらい 沢山 採取する。

漁を するのに 長けた人は
海を 見ただけで
魚が その下で
どこで どんな行動をしているかを 見抜く。

それは 仏門に入っている 君たちが
真理を紐解いているのと 同じでは ないか?』

『いや、わたしは そこまでは……』

自営業者でも 会社員でも
スポーツマンでも 調理人の味付けも
同じことで

それぞれの 道に 精通している人は
自ずから 見えないものが 見えてくる。

私たちが どんな道を 辿ろうが
その 茨の道は ありとあらゆる困難が
待ち受けている。

放棄したり 逃げ出したり したくなることも
一杯 あるだろう。

しかし それを 乗り越えてこそ
見えないものが 見えてくるのだ。

みなさんも そうだ。

他の人に 見えないものが
見えるようになってこそ

はじめて 人さんから 認めてもらえる
人間に なるのである。

『それは そうと この前に あった時に
タコを お供えする 約束だったが
まだ 実現されて いないが…』

『いやいや
タコは ここに 1ついるから 必要ないだろう』

『えつ ? 』
合掌
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【お彼岸】

お彼岸を 迎え みんなで 墓参をした。

【彼岸】というと つい 思い出す。
多分、もう 3回は この事を書いている。

若き日に 高野山本山布教師の テストがあった。

今のように 本山布教師 心得は なく
20分の 時間を頂いて 1発勝負だ。

前日の 話だ。

どんな内容の 話をするのか
事前に レポートを 提出するのだ。

『村垣。
これでは 落ちるぞ。
今から わたしが 書き直しをしてあげるから
試験までに 全て 覚えろ』

⚫︎お彼岸を 迎えました。

暑さ寒さも彼岸までと 申しますように
太陽が 真東から出て 真西に 沈む

ちょうど お昼の長さと 夜の 長さが同じで
仏教の 1番大切な教え【中道】を解いている。

上にも 下にも 右にも左にも 偏らない心、
執着を 捨てる心を 養う 1週間である。
と。

受験生は 親子ぐらい
年の離れた人が 多い なかで
その人とは 比較的 似通った年で
何かにつけて 可愛がってくれた。

事相 教相、共に 秀でたお方で
今や 本山の 中核で 頑張られている。

僧正から お電話を 頂いたとき つい 言った。
『あのテストの時 、お助けがなかったら
今の わたしは ありませんでした』

ところが 僧正は 『そうだったかなあ』と、
意にも 介さない。

拘り続けていたには 私のほうで
僧正は わたしに お教えを頂いた瞬間、
拘りを 捨てていたのだ。

私たちの 周りにも 一杯 いるでしょう?

『あれは わたしが 教えたのだ』
『忠告を 聞いたからこそ お前の今があるのだ』

自分が 1人 こだわっているから
『えっ そんな事、あったっけ? 』と、ボケると
腹を立てたり 、悲しくなったりするのだ。

この 1週間で 【煩悩】をすて
何事にも 拘らない 心を 身につけてみよう。

【六波羅蜜】から【八正道】の お話は
お彼岸の度に しているので 観点を変えました。

最後に 本を 読んでいたら
【三毒】貪瞋痴を
動物に 例えている文章があったので 紹介しよう。

⚫︎ むさぼり ; 豚

⚫︎怒り : 河童

⚫︎心の 迷い; 猿

なぜ そうなのかは 分かりません。
お互いに 考えて みましょう。
合掌
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【強く 拘れば 強く、少し 拘れば弱く 苦しみが待っている】

芦屋で 運動のために 歩いている。

【西宮】との 市境まで 1時間 歩くのだが
今日は 大変 疲れた。

啓蟄も 東大寺の お水取りも 終わり
気温は 1度にあがり
鳥は鳴き 花は咲き乱れる。

歩いていると 色んな 新しい発見がある。

自分の 健康もかねて 犬の 散歩。
団塊の世界。
そう 私ぐらいの 年格好の 人の 散歩。

ふと見ると 目の前に お年寄りが歩いている。

見た目では 古希ぐらいだが
身体自体が 右に 傾いて
病気の後遺症で そうなっているのかと思った。

きっと 直ぐに 追いつき 追い抜けるだろう。

警察の スピードの 取締りが あった。
1人の 警官が 椅子に座って 機械を見ている。

それを 横目に 通り過ぎると
200歩の ところで 5人の 警官が
違反した 人を 取り締まっている。

白バイも 2台 止まっている。

面白いもので なにも悪いことをしてないのに
顔が こわばり 緊張を 隠せない。

『こんにちはー』
『ジョギングですか? お気をつけて』

警察官たちが 柔和な顔で 手をふる。

ジジは 真っ赤な 顔に なった。
こちらから
ご苦労さまと 言わなければ ならないのだ。

頭を かきながら 前をみると
先ほどのお爺さんが 身体を 右に傾けながら
彼方 先の方を 歩いている。

『えっ お爺さんの方が 余程 速い ! 』

何を 思ったのか 私の 快進撃が始まった。
みるみる 追いつき 当然のごとくと
追い抜いた。

散歩が 終わってから
いつもよりも 10倍も 疲れをかんじた。

『決して こだわりの 心を 持たないぞ』

常に 自分に 言い聞かせている 拘りが
この ジョギングでは 色んなところにでた。

犬の 散歩に 感激し
警察官に 感謝もしないで 硬くなり
お爺さんと 速さの 競争をした。

【四諦 八正道】のところで 勉強したね。

欲望を持つから 物事に【こだわる】から
私たちは 【苦】が 生まれるのだ。

犬も 警察官も お爺さんも
最初から 居なかったと 思えば いいのだ。

いや、当然の事ながら 居てもいい。
それらに 遭遇しても
拘るから 我が心に 苦しみが生まれるのだ。

どうして お爺さんに
寄り添って 方を 抱いてあげる
優しい 心が 持てなかっらのだろう ?

歩くペースを上げ過ぎ 我が身体も 疲れた。

我が心も 自分の あまりもの 哀れさに
立ち上がることすら できない。
合掌140318-1写真

【母の顔 父の顔】

娘に 子供を いただいた。

あれよあれよという間に 今日、退院だ。
孫は 生まれてはじめて 我が家に帰ってき、
細やかながら 家族で お祝いをした。

我が子に 乳を服ます その ママの 顔を見て
出産祝いにきた 兄弟姉妹は 口々にいった。

『あっ お姉ちゃん、ママの 顔や』

ジジや みんなが お祝いを言ったあと、
パパが お礼の言葉で 締めくくった。

『思えば この子の ママ、私の 妻は
兄弟の 中でも 1番 最後に 結婚しました。

早く 早くという 期待に反して
2年目に この子が 授かりました。

順風満帆という 分けにはいかず
ああ この子とは 縁がなかったか?

口には 出さなかったが 心の底で
そう 思った 時も ありました。

妻は 涙ながらに こう 言いました。

あなた、しかたがないわ。
そんな 弱い子だったら
生まれてきても この世の中で
耐えきる 力も ないでしょう と。

そんな 中で よくぞ 今日まで 耐えて
こんなに 元気に 生まれてくれました。

頑張ってくれた 妻と子に感謝すると共に

小豆島 子安観音の ご本尊さまにも感謝し、
今日まで 守ってくださった
皆さんに 感謝します。

今日は 来てくれなかったけれど
もう 1人の ジジさん ババさんに
どんなに感謝をしても し尽くことがありません』

そう 話す パパには 【パパ の 顔】が、
その横で 微笑むママには 【ママの 顔】があった。

【袖すり合うも他生の縁】とやら。

パパと ママの 縁を 頂いて 私は 誕生した。
でも パパと ママの 縁だけでは ないのだ。

僭越ながら ジジの 縁も ある。
ジジには ジジの 両親の 縁がある。

その 縁を 辿っていったら
僅か 25代で 何人の ご先祖が いるとおもう?

そう、100万人の 先祖が 居るんだよ。

そして その 100万人の 先祖の中で
たった 1人、かけていれば
私たちは 存在しないのだ。

生命の 縁って 不思議だろう。
そして ただ 1人 先祖が居なくても
私たちは存在しない。

命の 尊さって 感じるだろう ?

パパは パパの 顔を
ママは ママの 顔を

見せてくれた。

これは やろうと 思ってできることでなく
しようと 思って できることは ない。

【親の 心、慈悲の 心】 だ。

慈悲と 智慧は お観音さんの 心であり、
だれが どう言っても
切っても 着れない 親子の 絆であり

親子の 縁である。

親だけでは ない。

お互いが お互いを 思いやる。
優しい 思いやりの 心を持った
家族に なって欲しい。

それが お観音さんの 顔であり
パパの 顔であり ママの 顔である。
合掌140317-1写真

【六道って 地獄も 畜生も 私たち 娑婆に 有ることなんだね】

乗員 乗客 239人を乗せた マレーシア航空
ボーイング777が 消息を絶って 1週間になる。

『可哀相に これも 運命だね』

『運命って 言えば
何かのアクシデントで 飛行機に乗り遅れて
その飛行機が 墜落した話を 聞いたことがある』

『飛行場に 早く着きすぎて
1便 早い 飛行機にのって それが 落ちたという 』

『それも 運命だね。
運命と 宿命 何がちがうんだろう ? 』

『大金持ちの 子供で 産まれて来たかったのが
貧乏な 家庭に 生まれてきたり

五体満足に 生まれてきたかったのが
生まれながら 病気をもって 生まれたり

自分では どうにもならない
現実を 背負っているのが 宿命だ』

『私たちは 生前に 善行を尽くせば 人界に
悪行を 尽くせば その悪の度合いによって
その界に、 六道を回っているんだ』

『六道輪廻かあ。
閻魔さん、怖いね』

六道とは 地獄界、餓鬼界、畜生界、
修羅界、人界、天界、とある。

⚫︎【地獄界】
針山地獄とか 釜地獄とか 聞く。
そこに入ったら 死ぬことが できないのだ。

常に 凡ゆる恐怖に 苛まれ
苦悩あり 苦痛あり
いつも ビクビクと 何かに 怯えている。

私たちの 周りにもいるねー そんな人。

⚫︎【餓鬼界】
貪り、欲望の 世界
下腹を 大きく膨らませた 餓鬼が
ご飯を 食べようとすると その食事が
燃え上がって 食べることができない。

常に 空腹なのだ。

物質的な 損得や 金銭的な 損得が
いつも 付き纏い、煩悩から 離れない。

いるいる。みじかにいるよ、そんな人。

⚫︎【畜生界】
無明の闇の 中で 自分を振り返れない世界。
動物の 本能のまま 行動する状態を いう。

食欲、睡眠欲、性欲、物欲…
欲望の ままに 四つん這いになって
口から 食するひと

彼らは 感謝して 『頂きます』をしらず
だた 『食らう』だけの 人。

テレビを みても 食堂にいっても
一杯 いるね、そんな 人。

⚫︎【修羅界】
強い 我意識をもち 常に勝ち負けにこだわる。
会話を 持たず 武器を持って戦う 世界
瞋恚 [ いかりの 心 ]の 持ち主

いるねー、会話の キャッチボールを しないで
直ぐに 怒る人。
私たちは 阿修羅の ような人 という。

⚫︎【人界】
今の 私たちの 世界だ。
しあわせを求めた挙句 欲望を 消すことができず
それが 為に いうも[苦しみ]に満ちている。

⚫︎【人界】
密厳国土 極楽浄土 ユートピア
しあわせの 世界だ。

私たちは この しあわせを 求めて
努力する。

『なんだ。
六道というのは 密厳国土の 天界を 除いて
全てが 私たちの 隣に あることなんだね』

『そうだよ。
人のふりして 我がふり なおせ。

私たちの 心の 持ち方によって
直ぐにでも
仏さんの 世界に入ることができるんだね』

合掌140316-1写真

【1日 1日 悔いのない 毎日を 送ろうね】

自宅の 前にある 梅が大きく 花開き
その枝にとまって 鶯が 長閑に さえずる。

その季節が くれば 花は 咲き乱れ
鳥どりは 流暢に 唄いあるく。

この光景は 先代、いや 先先代から
なに一つ 変わって いない。

都会で 暮らしている 娘たちに写真を送る。

『あっ 玄関先や』

メールが 帰ってきた。

『本当や。もう 梅の花が 満開なんやな』

別の メールも 届く。

『弟が ピカピカの 1年生のとき
真新しい 制服を着て 記念写真を 撮った』

『覚えている おぼえている。
お父さんが 何をおもってか
【大臣】と書いて 持していた 』

『私たちは 嫁いで 子供ができて
それぞれの 家庭で 一生懸命
やりくりしているのに
故郷だけは なにも 変わらないのね』

『爺さんは 年取った』

メールは 瞬時に あちこちから 飛んでくる。

紀貫之も このように 歌う。

【人はいさ 心も知らず 故郷は
花ぞ昔の 香に にほいける】

時代とともに 全ては 変化する。
若きものは 白頭をかけば 更に 短くなり
環境も 人心も 全て 変わってゆく。

ただ ふるさとの この 老木だけが
変わらずに 時くれば 花ぞ 開くが
やがて その老木も 姿を 消すだろう。

空海も いう。

【雲中に 独り座して 松と共に 老う
万事に 情 無くして 唯 道をのみ 念う】

高野山で 1人 修行して
あっという間に この 松の木とともに
老いて しまった。

付和雷同しない 泰然自若とした 精神は
小さな 事には 微動だもせず
ただ 我が 行く道 《行》を 貫いて いる。

諸行は 無常で ある。

森羅万象 全てが 変化する。
人の 心 まで …。

つまらぬ 細々したことに 一喜一憂せず
自分の 信念をもって 日暮らしをしなさい。

時は 直ぐに 流れてしまうよ。

そのように 諭されて いる。

満開の 花を見て 長閑な ウグイスの声を聞く。

そして その 後は 目的に向かって
精進 努力しなければ ならない。

お互い 悔いのない 毎日を 送ろうね。
合掌
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【おはようございますの 挨拶で 今日も元気】

『あ~ てんごく てんごく…』

お風呂に はいったとき
あまりにもの 気持ち良さに思わず呟く。

桃源郷 だ。

なんとも 居心地が いい。
音が 反響して とても上手だ。

『川中島を 歌い終わるまでは
絶対に でないぞ』

今日は 娘の お産見舞いに いく。

7階だでの 病院だから
お産病院のなかでは とても 大きい。

『この病院、なんか豪華ホテルみたいだね』

多勢の 医者や看護婦が
若あゆのごとく 動きまわっている。

『おはよー ございます』

会う 先生、会う看護婦、
廊下で すれ違う人々が 挨拶を交わすのだ。

その雰囲気に 呑まれたように
来院の 人たち同士が 挨拶をする。

『こんにちわー』

この 響き
いかに 清々しいのだろう。

どうして 人の心を ウキウキさせるのだろう。

空海が 神護寺で 修行に励んでいた頃の
手紙が 残っている。

【林泉 我を 酔わしめて
一度 入って 帰ることを 忘る】

雪を 払いのけ 天に向かって
真っ直ぐに 青々とした 両手を伸ばした木々、

岩がだから 湧き出る 聖水。

その 1つ 1つが わたしを うっとりさせて

1度 ここに来てしまったら
帰ることも わすれて しまう。

山での 修行生活が 空海をして
酔わせるほどに 魅了する。

娘は 明日、退院の予定。

『この 豪華ホテル 帰りたくない』

朝夕の 弾むような挨拶によって
病院内の 雰囲気が すごく いい。

先生は 親切。
看護婦は 優しい。

食事は 美味しいし
ディナー会も 茶話会も ある。

『まさに ジジのいう
桃源郷であり ユートピアです』

ジジは 思う。

家庭でも 学校でも 職場でも
この病院のようで なければ いけないね。

家族どうしが
クラスメイトが
職場の 仲間が

挨拶を 交わし合う。

【笑う門には福来たる】

不平不満の ない
毎日を送ることが できる。
合掌140313-1写真

【入我我入といって 私たちも 仏さんの心に なれるんだよ】

春彼岸を 目前として
木や花の 自然界と共に 六大までが
1度に 大きく開花したような気がする。

この頃になると 何時もの事ながら
北海道であった 実話を
涙がらがに 説法する 師僧を 思い出す。

僕は 新入生として 新しいカバンをさげ
桜並木を 両サイドに見ながら登校する。

カバンの中は 真新しい 本とノートが
入っており
【少年よ 大志を いだけ】では ないが
夢と 希望に 燃えている。

ところが 1つだけ 残念なことが ある。

ここの ところ 病気がちな
母がつくる お弁当が あまりにも 貧相なのだ。

色とりどりの おかずを楽しむ
友人の中に 入って 談笑しながら
一緒に食べることができない。

母のつくった 弁当を ゴミ箱にいれ
パンを 買って食べたり食べなかったりの
日々が 続いた。

ある日 母が 自慢そうに いった。

『今日は
あなたの 1番 好きなものが入って いるからね』

ワクワクしながら 弁当箱を 開けると
やはり 期待していた 代物では なかった。

帰宅して
得意満面の 顔で 顔で 感想を聞かれたとき
仕方なしに 今までの 真実を 話した。

『・・・そうだったの。ゴメンね。
こんな 不味いものしか 作れなくて』

肩を 落とした 母は 明る日から
弁当を 作らなくなった。

それから 間もなく母は 天国に召された。

養生していた 癌が 悪化したのだ。

49日も終わり 家族で 遺品の整理をしていると
1冊の 日記が出てきた。

なんと その日記には 僕の弁当の レシピが
ギッシリと 書きこまれていた。

そして レシピは あの日を境にして
パッタリと 途切れていた。

癌と 闘病しながらも
ずっと 僕の事を 思って 頑張って作っていたんだね。

僕は 大声で 泣いた。

母と 別れた 悲しみでなくて
母が 僕にくれた 心からの 【愛】に 。

【六大 無碍にして 常に 瑜伽たり
四種の 曼荼、おのおの 離れず
三密 加持すれば 早疾に あらわる
重々たる 帝網 なずけて 即身】

六大も 四種曼荼羅も 別々のものではなく
お互いが 絡み合い 溶け合って
同一の ものだ。

身口意の【三密行】を 感じることができれば
私は 仏の心に入り 、仏が わたしの心に入り
入我我入の 境地に 入れる。

僕は やっと 今まで分からなかった
母の 思いやりの心
【慈悲の 心】を 感応することが でき

母の 心の中に 入っていって
1つに 溶け合ったのだね。

人々は いろんなところで いろんな人に
いろんな メッセージを 送っている。

それを 私たちが 正しく キャッチするか
しないかで 入我我入が できるかどうか
決まるのだね。

また、あの 説法を 師僧に 聞きたい。
合掌
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【積もり積もった 罪 咎を 本尊の前で懺悔する】

東大寺 二月堂で 修二会が 厳修される。

【練行衆】という 篭りの僧の
振りかざした 大松明が
暗闇を 彼方此方に 所狭しと駆け回り
火の粉が 私たちに降り注ぐのが 山場だ。

私たちは その最大の 山場だけをみて
感動し 興奮し 思わず手を合わせるが

修二会しかり、裸祭り しかり
何十日も 篭って 行を 修した
最後の 山場だけをみて 感動しているのだ。

秘仏 十一面観世音菩薩に
知らず知らずのうちに 積もり積もった
罪や 咎を 心から 反省し 懺悔するのだ。

私たちは 哀しいかな、
仮面を 1枚 剥がしてみると
自分の 本性が 醜く 顔を 覗かせる。

『ああ 綺麗だな』
『ダッカン は 迫力あるな』

関心を するのでなく
自分の 仮面の中を 洗いざらい
本尊の 御前で 曝け出し

心の 底から 許しを 請う日なのだ。

三十路の ニートの方が
無差別に 向けた 刃が
全く 無関係な方の 大切な命を 奪った。

都会の 砂漠の中で 1人ぐらしの
青年の 暴走運転のために
やはり 何の関係もない 人たちの
命を 奪った。

インドネシア発の 旅客機が 音信不通になった。

テロリストの 仕業だろうか ?
エンジン トラブル だろうか?

ウクライナでは クルミヤの 争奪で
ロシア軍が どうも 制圧をしたようだ。

日本にも 国境問題、原発問題、
ありとあらゆる 諸問題を 抱えている。

どれが是で どれが非かは 別として
その 殆どが 【欲望】という名の
悪魔が 支配をしているのだ。

その 貪欲や 怒りの心や 愚かな心を
今日は 懺悔して 許しをかうのだ。

やり場のない 寂しさや 怒りの 矛先を
無関係な人々に 向けるのではなく
自己反省を するのだ。

大仏開眼の年 天平4年から続いている
【お水取り】
その 意義を しったうえで
楽しんで みて いただきたい。
合掌140311-2写真

【時間は 止まらない。私たちは 悔いのない 生活を】

満員電車で 座っている わたしの横に
腰の曲がった 老女が 立っていた。

慌てて 席を譲り
座席に座ったその方の 顔をみると
わたしよりも若くみえた。

老いは 日々、塵が積もるように変化し
普段は 見え隠れしない。

いつも 我が顔など 見ない人が
なんかの 偶然に 鏡を見たときに
自分の 老いた顔をにて はじめて驚く。

『おぎゃー』と、この世に 生を受けるときも
『うん』と、目を つむるときも
それは いつ 訪れるかも 分からない。

空海は いう。

生まれ 生まれ 生まれ 生まれて
生の はじめに暗く
死に 死に 死に 死んで
死の 終わりに 冥(くら) し

言葉に だして 読んでごらん。

こんなに 素晴らしい言葉は ないよ。

人間の 始まりと 終わりというものは
暗闇に 溶け込んでいて
私たちには どうすることも できない。

哀しいかな 悲しいかな また 哀しいかな
悲しいかな 悲しいかな 重ねて 悲しいかな

春花は やがて 枝下に落ち
秋露は 葉前に 沈む

滔々と 流れ去る水は 留まることを知らず。

『ストップ ザ ミュージック ! 』

音楽よ とまれ
時間よ とまれ

叫んでも 諸行は 無常。

やがて 額には 波の紋を 移し
白髪 すでに なくなる。

誰もが 必ず 老いを迎え 病を患い
死を 迎えなければ ならない。

それが 分かっているならば
私たちは 目を瞑る 瞬間に
『ああっ しまった』と、思わないように

悔いのない 日々を送らなけれなならない。
合掌140311-1写真

【過ぎたるは 及ばざるが ごとし】

小豆島霊場 病気封呪専門道場 山ノ観音に
島、屈指の行場【御来迎の 滝】がある。

東大寺の お水取りを目前にし
花々が 雪の重みから 頭を 持ち上げ
鶯の 鳴き声が 谷から 谷へと 続く。

行場には 1年中 虹が かかっており
秘境であり 桃源郷である。

空海が 若き日に 修行した四国でも
このように 言われている。

【谷 響きを 惜しまず。
明星 影を 来たす】

太龍寺の 滔々と流れる 川は
その響きを 惜しむことなく 谷に おち

明るい光は 虹のように
わたしに むかって しあわせを 投げかける。

【御来迎の 滝】に 入れば
そのまま 空海の 境地に 入ることができる。

【男滝】【女滝】の 上には 源泉があり
岩肌から ゴボッ ゴボッ と 吹き出している。

水行をした水は 2本に 別れ
1本は 田畑に、1本は 飲料水のダムに 流れ込む。

ところが この聖なる水も 1年に 数度

大暴れするときが ある。

せっかく 整えた 山ノ観音の境内を
台無しに するのだ。

今を去ること 2500年 まえ

王子だあった 釈迦は 妻子と別れ
密かに カピラ城を 抜け出し 出家を決意する。

6年間の 苦行に明け暮れた日は
空海の それよりも
想像を 絶する 行だった。

肋骨が飛び出て やせ衰え
身も心も ボロボロになった 釈迦は

ニゼレンガという 大河の ほとりで
スジャータという 娘のさしだした
乳粥を 一気に 呑み込んでしまう。

その 菩提樹の木のしたで
【初転法輪】といって
はじめて 悟りを ひらくのである。

難行苦行することが 私たちの全てではない。

因縁によって 袖擦りあった わたしたち
お互いに 寄り添い 助け合ってこそ
私たちは しあわせを 得ることができる。

困っているひとに 手を差し伸べてこそ
我が しあわせを 得られる。

今までの 6年間のように 苦行だけでは
しあわせを 得ることが できない。

と、いって 怠惰な 毎日を送ってもいけない。

その 二つの間の道 【中道】を 通ってこそ
私たちは 悟りの境地に たどり着くことが
できるのだ。

1年中 山いっぱいに 七色の 虹がかかり
花々が 誇らしげに 両手 いっぱいにひろげる。

谷から 谷へと
小鳥の 囀りが 尾をひく。

この川のように 渇水すると
島民が 困ってしまうし

龍が 大暴れしたように
大地を呑み込んでしまったら
これまた 島民は 途方にくれてしまう。

『出過ぎないように』
『遅れを とらないように』

私たちは【中道】を 歩かなければ ならない。

御来迎の滝を 見上げながら
新たな 決意をする ジジで あった。
合掌
140310-1写真

【みんなが 因縁によって 助け合い 支え合って 生きている】

ジジに 6人目の 孫が できた。

パパよりも はやく 抱っこさせてもらった。
縁ありて この世に出てきた この幼子
とにも かくにも
食べてしまいたいほど 可愛い。

ういの おくやま けふ こえて
あさき ゆめにし えひもせん

幾多の 茨の道が 待っているだろうが
なにとぞ しあわせな 日暮らしをと
祈らずには いられない。

ラオスに お参りに 行った時の 写真だ。

11歳か 12歳の 少女が 子供を 抱いている。
彼女は 母親だ。

失礼だが 決して 裕福とはみて取れない
この村で 彼女は しあわせそうに
子供を あやしていた。

小魚が プランクトンを 食べ
たこや カニが 小魚を 食べる。
大魚が たこや カニを 呑み込む

小鳥が ミミズを 啄ばみ
大鳥が 小鳥を 2つの足で 連れ去る。

ジャングルでは 狼や ハイエナが
ウサギや モグラ イタチを食べ
その狼を ライオンや チーターが 餌にする。

百獣の王 ライオンが 死ぬと
その 身体は 樹木の 肥料となり
小動物の 餌となる。

世の中は 弱肉強食の 上に 成り立っているが
生まれて やがて 死ぬ。

輪廻転生して また 生まれかわる。

森羅万象 全てのものが
因から ご縁を いただいて
何十億年と この くり返しを 続けている。

空海が 承和 2年 3月 21日に
御歳 62歳で 入定したが
誰でも知っている 余りにも有名な 言葉がある。

【虚空つき 衆生つき 涅槃つきなば
我が 願 (ねがい ) も 尽きなん】

この 宇宙の 生きとし 生きるものの
全てが 解脱して仏となり
涅槃を求めるものが いなくなったとき

わたしの 願いは おわる と、言っている。

逆にいえば、樹木であれ 獣であれ 人間であれ
苦しんでいる ものが 1つでも あれば
わたしは その 苦しみがなくなるまで
祈り続けるで あろう

そう 言っているのだ。

私たちは 因縁によって 生まれ
因縁により 大勢の物に よって 生かされ
因縁に よって 死んでゆく。

そして 生かされている 間の 短い事。

森林でも 油でも お肉でも 友人でも
因縁によって 生かされていることに感謝し

小さなことに
不平不満を 言わないように しましょう。

不平不満を 言ったそのときに
私たちの しあわせは 何処かに
飛んでいくから。

不平不満を 持たないから
ラオスの 貧村の 少女は
あんなに 明るく 天真爛漫としていたのだ。

どうか 皆さんも 億万の 金を 抱えて
ふくれっ面を しないように。

可愛い 孫の 顔をみながら
そう 思う ジジで あった。
合掌
140309-1写真

【生まれたばかりの 赤ちゃんは 身も心も 清浄なり】

孫が 誕生した。

女の子だ。
2716g、45cmと 少し小さいかなと思うが
{小さく産んで 大きく育てよ]
と、昔の人が 言われたように
見上げるような 大木に 育って もらいたい。

母親が
『女の子だから そんなに 見上げるほど
大きく ならなくても いい』と、申すが
身体の 大きい 小さいを言っているのではない。

お見舞に 来られた方が 口々に
『なんと お観音さんの ように 可愛い』
『なんと 澄んだ 目をしているんだろう』
と、祝ってくれる。

『やがて 知恵がつきはじめると
「くぞ親父ー」と 憎たれ口を 言いますよ』

パパが 目を垂らして 笑う。

仏さんのように 澄んだ 身体と 心に
知恵とともに 垢が ついてくるのだ。

《自我》だね。

貪欲の芽が 顔をだし 瞋恚が 心を覆い
無智が 苦しみの 原因をつくる。

【小豆島霊場 81番札所 恵門ノ不動】
願文には
《大智の利剣と 方便の 羂索な もって
96種の 怨敵を 催伏し
ラン字の火炎な 三毒の 罪障を
悉く 焼き尽くしたまう》
と、ある。

私たちの 知らず識らずのうちに
積もり積もった《垢》罪科を 、
恵門ノ不動の お護摩の火によって
焼き払って あげましょうという
願文 なのだ。

そして 三毒の罪障から 逃れ
生まれたての 赤ちゃんのような
心と 身体になった 私たちは

心の 苦しみから 解放され
清々しく 山を 降りてゆく。

その お観音さんが 今、目の前にいるのだ。

【月鏡を 心蓮に 観じ、妄薪を 智火に 焼く
我 即ち 金剛、我 即ち 法界】

清らかな 心に 澄んだ 月を みる。
迷いの薪を 智慧の火で 焼く。

そのとき 私は 金剛薩埵
そして そのままで 法界。

恵門ノ不動の 願文も 空海の お心も
全く 一緒だったね。

新しい 命の誕生を 祝いながら
もう一度、自分の 心の チェックを
考えさせられた ジジで あった。
合掌140308-1写真

【魏志倭人伝】

【魏志倭人伝】140307-1写真
覚えているよね。

邪馬台国の 卑弥呼という女王がいた。

その時代の 中国サイドからみた
日本までの行程、距離、文化、風習まで
事細かく書かれてある。

【倭人は 帯方の 東南大海の中にあり
山島の依りて 国をなす

都より倭に至るには 海岸に循って水行し
韓国を経て あるいは南し あるいは東し
その北岸 狗耶国より至る 7千余里
始めて 一海を渡ること千余里 対馬に至る】

卑弥呼の時代は 1~3世紀。
空海の 遣唐使から考えてでも
(空海のときは 4隻 出港し
2隻 沈没 1隻 難破)
万里の波濤を こえて
行くも難し 帰るのも難しだっただろう。

それでも 互いの友好と 信頼関係の為に
往き来が 続いたということは絶後に値する。

空海も 若き日に 陳情書を書いている。
これを 書くのは ブログでは 2度目だ。

【空海 少年の日 好んで山水を渉覧す
吉野より 南に行くこと 1日
更に 西に向かって 去ること両日ほどにして
平原の幽地あり なずけて高野という】

西安の 青龍寺にて 恵果阿闍梨より
【真言密教】を 伝授され
日本に 広めるがための根本道場として

若き頃、野山を修行のときに見つけた
高野山の霊地を 分けていただきたいと、
嵯峨天皇に お願いをした 文章だ。

ジジも 同じような事が あった。

小豆島の 活性化のため 【島の シンボル】を
つくろうと 土地の1坪を 求めたのが
昭和 55年 だった。

自分の 実力以上の 計画をしたがために
完成は 遅れ
殆どの人たちが『もう 建たない』と
思い始めた 平成 6年に 落慶をした。

この例を 3つ あげたが

その どれもが 『やりましょう ! 』と、
決意を 表明したら 最後までやり抜く
その不撓不屈の 精神が
私たちには 必要なのでは なかろうか。

私たちには よく 棒をおる。
それに 言い訳したり 人のせいにする。

やり抜いた人の所には
人は 信頼して 集まってくる。

途中で挫折した人のところには
人は 失望して 去っていく。

その【金剛】のような 堅固な心を持てと
空海は 言うのだ。
合掌

【お徳 の 貯金 】

娘の 出産を 数日後に 控え
ジジの 四柱推命の 大先生を お呼びして
【命名】の 伝授を うけた。

難しいね。

字画は 勿論の事、生まれた 年月日、時間、
潮の満ち引き、両親の 年月日、
その他 諸々、全て みるのだ。

最終的な命名は 実際に 生まれてからでないと
つけられない。

さて 勉強が 終わって ひと段落のとき、
いつもに ないことに ジジを褒めてくれた。

『品、きん、ごう、と言って
法主さんには 品が そなわっている。

見習って 私も《お徳の 貯金》をするよう
心がけて います』

[お得な 貯金]では ないよ。

『品の ある人は 前からみると当然の事、
後姿を見ただけでも あまりにも神々しく
思わず しらず 手を合わせたくなる
そんな人だと 思うのです。

法主さんの うしろ姿を 拝んでは
いつも 心の中で 手を合わせています。

これだけの お仕事をして
我々には 想像を絶するような
ご苦労が おありだろうに
それを 内に隠して
いつも 柔和なお顔で 接してくださる。

わたしも 法主さんを 見習って
常に《お徳の 貯金》をするように
心がけて おります。

人さまの 嫌がることを 言わない しない、
困っている人には 欲得抜きで
手を差し伸べる。

そんな 1つ1つを 積み重ねたら
生涯には 積もり積もって
数え切れない貯金ができると思うのです。

本来の 【徳】とは
徳のある方が 徳のある方に 布施をすること。

【四資具】という言葉が あるが
衆生が [徳の ある] 僧侶に 供養する意味だ。

⚫︎ [ 衣 ] [ 食事 ] [ 住居 ] [ 薬 ]

タイや スリランカを お参りするとき
僧侶に お仏飯を 差し出している姿を
よく 目にするね。

さて その 【徳】だが こう書いてある。

徳のある 尊敬できる人を 尊敬する事。
傲慢でなく 謙虚である。
不満たらだらでなく 満足すること。
朝に 礼拝、夕べに 感謝できること。
常に 徳のある人の 話を 聞くこと。

これら 最上の 吉祥である。

柔和で ニコニコ笑っているだけでは
【お徳のある人】にも
【品位のある人】にも
なれない ようだ。

先生が 仰った 【品、きん、ごう】の
きん、ごうは
残念なから 聞きそびれた。
合掌
140306-1写真

【あなたは 心から つき合える友人は 何人いる ? 】

昨夜 知人と お話をしていた時の事だ。

『あの 御仁なら 私は 1週間に一度は
一緒に食事をしていた程 仲良しだったのです』

『いまも かわらず ご懇意で ?』

『いや …』

知人は お茶を 濁した。

『死ぬほど 愛おしい。
生涯 離したくない、離れたくない』

誓い合っていた カップルが
あくる日には 赤の他人に 戻っている。

さて あなたは 本当の友人が 何人いますか?
あなたを 心から支えてくれる 先輩は
何人いますか?
あなたを 心から 慕ってくれる 後輩は
何人いますか?

指を 折って 数えてみてください。
何人も いないはずです。

今、私が 勉強している 【気学】がある。

その中には
家族とは 上手く やっていけるか ?
仕事は 出来るか ?
お金は 貯まるか ?

いろんな 運命の中で

あなたは 支えてくれる 先輩が できるか?
慕ってくれる 後輩は できるか?
心から 話せる 友人は いるか ?

如実に 教えてくれる コーナーがある。

わたしは 地位よりも 名誉よりも
お金の 有る無しよりも

家族が しあわせで 先輩 後輩が
多いか 少ないか 全くないかを 重視する。

空海にも 数え切れないぐらいいる
お弟子さんの 中で

(実は 彼の甥なのだが)
智泉という 自分の手足どころか
心、身体そのものが 自分であるくらい
大切に していた 僧侶がいた。

その 智泉が 空海を 残して
若くして [遷化] 浄土に 行ってしまうのだ。

その時の 空海の 胸を引きちぎられるような
慟哭の 贈る言葉がある。

【斗藪と 同和と 王宮と 山厳と
影のごとくに 随い 離れず
股肱の ごとくに 相従う】

斗藪するときも 破れた粗末な お堂にいても
王宮に いても 山々や 行場の中でも

常に 影のように離れず
私の 手足のように 付き添ってくれた。

わたしが ひもじい時は 同じように飢え、
わたしが 楽しいときは 共に よろこんだ。

ほとんど 恋をする人のように
空海の悲しみは ひたすら智泉に向かう。

苦しさも 悲しみも 耐え抜いてきた
空海でさえ これだけの 悲しみが あったのだ。

さて、皆さんは
空海が 智泉に向けての 悲しみ以上に
もがき 苦しむ友人が
いったい 何人 いるだろう?

冒頭にも 書いたように 人間の 心は
猫の目のように コロコロ かわる。

昨日の 敵が 今日の 友

自分の 心の 持ちようで
友人は 集まり 、去ってゆく。

空海の 贈る言葉を なんども 読んで
私たちの 生きる 糧に したいね。
合掌
140305-1写真

【上巳の 節句を 迎えて】

140304-1写真
【雛まつり】を 迎えて
ジジの娘 3姉妹の 話は絶えない。

姉が 出産を 控えているのだ。

【命名】は ジジに 一任されているが
わたしも生命学の先生に おんぶに抱っこだ。

1人が いう。

『良い 名前に こしたことはないが
そう、拘ることはないよ。
事実、わたしの子も
100点満点の 60点ぐらいだった』

『うちの子も 余りいい 点数では なかった』

『わたしら 3人とも
ジジが 考えぬいて良い名前を 付けてくれたけれど
誰 1人として たいしたことは ない』

『私たち 結婚するまでは
100点満点だったけれど
結婚してから 点数が 悪くなった』

『今日は 女の 節句です。
生まれてくる 子供が健やかに成長するように
お雛さんに お願いを しなくては』

『そう
いい名前には こしたことはないけれど
お雛さんに 無事息災を お願いすると同時に
心根の優しい 子供に育てて貰わなくては』

雛人形というのは 平安時代の
貴族の 遊びごとの人形だったらしい。

時代が 移り 江戸時代になると
【災厄よけ】の お雛さんとして
庶民に 広まった。

子供の 【身代わり】となり
事故や 病気厄難より 救ってくれ
子供の 健やかで しあわせな成長を
祝う ( 祈る ) ために 飾られた。

『ところで
あなたの子供の 妹の方の お雛さん、
ジジに 買ってもらった ? 』

『いいや、家が 狭いし
お姉ちゃんと 兼用している』

『墓でも 1人 1基と いっているのに
ジジに 言って 買ってもらったら ? 』

『なにを いってるの。
先祖代々で 1基に まとめているくせに
お雛さんも 1つで いい。

置く 場所も ない』

『名前だ、お雛さんだと
見栄ばっかり 張っているより
今日はみんなで 子供たちの 無事を祈ろう』

『そうや その 上で ジジに
良い 名前をつけて貰えば 良いでしょう』

話は ひと段落 したようだ。
合掌

【私たちの 執着心は 100円もてば 200円 欲しくなる】

あっという間に 弥生を迎える。

いくら 減少したと雖も
小豆島の 聖地の あちこちで
鈴の音が 響き渡る。

お遍路さんが かこち顔で 話す。

『島 只、1ヶ所の 病気封呪 専門道場の
【山ノ観音】で 娘が 祈祷を 受けました。

生死を 彷徨ったあげく
99%の 確立で 危うしと言われていた
生命を 取り戻すことが できました。

只、残念なのは 完治したわけでなく
重い後遺症が 残ってしまいました。

今度は その 後遺症を 治して貰おうと
参拝して まいりました』

ジジが 先達に 話す。

『娘さんが 絶体絶命の 時に
ご本尊さんに どのようにお願いをしました ? 』

『どのような 姿でも いい。
どうか 命だけは 取りとめてください と』

『それ ごらんなさい。
ご本尊は お約束を 果たされました。

重い後遺症が 残ろうが
常に お嬢ちゃんの お顔を見て上げられて
良かったでは ありませんか』

私たちの 【煩悩】は とどまるところを
しらない。

【欲望】は 不思議なもので
際限なく 次から 次へと 湧いてくる。

1万円冊を 富士山の高さまで積み重ねると
それだけでは 満足できず
エベレストの 高さまで 積み重ねたくなる。

課長になれば 部長に
部長に なれば 社長を 目指したくなる。

私自身が どれくらいの 存在であるかを
自身で 知っていなくては いけないね。

先達さんとの やり取りの 選択肢として

『お気の毒な ことでした。
せっかく 頂いた 生命、
どうか 快癒しますように
ご本尊さんに お願いをしましょう』

と、いう 事も 出来る。

しかし 本人が 心から
【煩悩】を 払いのけない かぎり
いつまで たっても 不平不満が 湧いてくる。

娘さんの 顔を 感謝の気持ちで
見れるように なった そのとき、

『娘さんの快癒のために
命がけで 参って 来られている。
わたしも 一生懸命に お願いしますから
あなたも 心から 手を合わせて くださいね』

と、なると
参拝の 意義もあり
澄み切った 空、透きとおる海のように

清々しい 看護が できることだろう。

たった今からでも
娘さんの 快癒の お願いを しなくては。

昔のように 笑顔を 取り戻して
欲しいが ために。
合掌
140303-1写真

【その心が お観音さんの 慈悲と 智慧なんですよ】

140302-2写真
【小豆島大観音】に芝桜の植樹が始まった。

これは 昨年の写真だが
芝桜は 毎年、4月から 5月にかけて
境内 一面に 極楽浄土のような花を咲かす。

小豆島観光や 大手観光業者からも
オファーがあり
住職が あと少しで 密厳国土が完成すると
今年 1万本 植樹し、計 5万本に なる。

植樹に 約10日ぐらい かかるようだが
昨日 12名、今日は 10名と
心ある 弟子や 檀信徒のみなさんが
手弁当で 応援に来てくださった。

昨年は 【六波羅蜜】の中の【布施】を話した。

今日は六波羅蜜の最後【智慧】を 話してみよう。

勿論、ボランティアの手弁当だから
共鳴して 応援出来るときに やれば いいのだ。

殆どの人は 『もっと もっと 植樹して
芝桜の 大観音を つくりたい』と、
我が事のように 精をだしてくれるが
メンバーは 微妙に 入れ変わっている。

【布施】とは なんの 代償も考えないで
我が身も 我が財産も 投げ捨てる事である。

【智慧】とは どんな状況でも
どんな条件でも 決して変わらない
不動の 心のことを言う。

私たちは 同じとき 同じ事柄が 起きたとき
様々な 価値観が湧き
その時の 条件や 感情の起伏で

喜んだり 嘆いたり
幸せになったり 不幸を 背負ったりする。

いつも 50点以上 取ったことのない人が
たまたま 70点 とった。

本人は 勿論 両親も 涙を流して喜んだ。

ところが いつも100点を とっている人が
たまたま 70点 とった。

本人は 驚き 両親は 嘆き悲しんだ。

【70点】という 事実は 1つなのだが
この時の どんな状況でも どんな条件でも
変わらない 不動の心【智慧】を
持たなければ ならない。

植樹は 春先だけでは ない。

灼熱の太陽が照りつける日も あるだろうし
大雨が 叩きつける日も あるだろう。

風邪気味のときも あれば
腰痛に 悩まされるときも ある。

いろんな 条件の中で 頑張って
お手伝いをして 頂いている。

子安観音寺の 檀家総代が いった。

『私は 腰痛もちだが
腰痛もちには 腰痛もちの 仕事がある。

ようは 大観音を 如何に 私たちの力で
応援出来るかどうかの 心だ』

ジジも 大声で いった。

『総代さん、
その心が すなはち 大観音さまの
【慈悲】と【智慧】なんですよ』
合掌140302-1写真
プロフィール

子安観音寺

Author:子安観音寺
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