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【言葉や 笑顔、態度物腰も大切だけれど 1番大切なのは 心だよ】

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『うわーっ ジジ、これ 美味しいね』

昼食を とっている孫が 歓声をあげた。

ジジが 小豆島に帰るということで
見送りがてら それぞれ参集したのだ。

直ぐに 電車に乗れる方がいいだろうとの
配慮で 駅前のホテルにはいった。

甲子園で 巨人 阪神戦の時は
必ず 常宿になる 立派なホテルだが
1階は 大衆食堂で 気を使わないですむ。

孫たちは 久しぶりの外食に歓声をあげたのだ。

『お姉ちゃん達も 来れたら良かったのに』
『学校の方が 大切でしょう』

至福の時間は あっというまに流れ
解散の 時を迎えた。

『美味しかったねー』
『束の間だったけれど 楽しいひと時だった』
『こんな 素敵な時間をつくってくれるなんて
ジジに 感謝しなくては』

みんな 其々に 満足をし
しかも なにか 後ろ髪を惹かれる…
そんな 感じだった。

『クルマで きているので
駐車の サービス券を 貰わなくては』

『あっ わたしも』

ところが その申し入れを聞いた ウエイターが
深海魚のような 無表情な 顔をしていった。

「お1人 2000円 以上 お買い上げを頂いた方に
お出しします』

『えっ 1人が 500円で、もう1人が 1500円
お支払いしたら ダメですか?』

「お1人 2000円 からです」

『この 8名で お支払いは 1万円は 越えますし
サービス券が 必要なのは 2枚です。
それでも ダメですか ? 』

ウエイターが 持ち場に 帰ったとき
兄弟での 話し声が聞こえる。

『そう いじめんと』

「あれでは 自分で 独立するのは 無理ね。
言葉の 1言 1言が 腹がたってくる」

縁ありて 触れ合う 人と人。
私たちが 発する言葉の 1言が いかに大事が
改めて 思いしらされた。

釈迦や 空海の 教えで【言】の つくのを
思い出してみた。

【言辞施】
これは 無財の 七施の 1つで 和顔施とともに
布施行くの 最も たいせつなものだ。

【正言】
釈迦は
私たちが 〈苦〉から解き放される方法として
【四諦】【八正道】を 説かれた。
その 八正道の 正見 正思惟の次に 出てくる

【身口意】
[三密の 行]といって 自分の 身体と 口と心で
困っている人がいれば 手を差し伸べましょうと
ある。

『日頃は 気がつかないけれど
私たちの 言葉とか 顔つきとか 大切ね』

「勿論、それも 大切だけど
いちばん 大切なのは 私たちの心だよ」

「それに 今日は 拘りすぎたよ。
こだわったがために 美味しかった昼食が
いっぺんに 不味くなった」

『ほんとうに そうだね』
合掌
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【心頭を 滅却すれば 火自ら 涼し】

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灼熱の 太陽が降り注ぐなか

【小豆島霊場 第80番札所 子安観音寺】
本堂再建は 急ピッチで進んでいく。

昨年の 12月9日 地鎮祭があり、
今年の 11月、棟上げ
来年の 11月、落慶法要の 予定だ。

全身に 汗びっしょりかいた工事のおじさんが
満面に 笑みを たたえていう。

『いやはや、暑い日が 続きます。
どこにもない 立派な本堂を
しかも 工期までに 建ちあげるのですから
そんな 呑気な事を 言って おれません。

なに、〈心頭を滅却すれば 火もまた涼し〉
ですよ。

わたしは この言葉が 正しいと思っていた。
ところが 【碧厳録】から みれば
〈心頭を 滅却すれば 火自ら 涼し〉だそうだ。

真夏の最中に 悟空上人という高僧が
庭に 影になるべく木が 1本もない 破れ堂で
ボロ衣を纏って 何事もないように 平喘と
座禅をくみ 瞑想を続けている。

本来 私たちが 座禅をくむときは
静寂な 山中とか 涼しい水の畔のような
場所や 時間を考慮して 行うが
上人には それらの どれも必要なかった。

〈あつさ 寒さは 苦にならず
どんなところでも 座禅は できますよ〉
と、いう 意味になる。

高校野球は 炎天下で 冷房装置がない。
プレーしている選手も 応援団も 観客も
『暑い 暑い』といい、誰1人として
『涼しい』とは 言わないものだ。

どんなに 暑くても 〈苦に ならない〉で
乾いた汗が 塩になって 身体につくまで
炎天下の元で 合戦を繰り広げる。

反対に スキー場にも 暖房設備が ない。

みんな『寒い 寒い』と 言いながら
スキーに 夢中に なっている。

これを 総合的に 解釈すると
〈好きなことを やっている時は
暑さ 寒さは 苦にも 気にもかからない〉
と、言うことになる。

【心頭を滅却すれば…】は、
たんなる それだけ 暑さ 寒さ)では なくて
どのような 逆境にあっても
絶対に そこから逃げ出さないと言うことだ。

皆さんも 自分の境地に当てはめて考えてみて。

嫌なこと 苦しいこと
毎日の 生活のなかで 一杯 遭遇します。

そた度に 嫌なこと 苦しいから 逃げていれば
最終的には どこまでも 苦しみがついてまわり

『暑いとは 思わないことが 暑くない事』
『苦しみを 苦しくないと 思うこと』

だって みんな
好きな事には 我慢できるんだもの』

おじさんは 『心頭を滅却すれば…』など
もう 忘れたと ばかり
本堂の 基礎作りに真剣に 取り掛かった。
合掌

【1つ目 小僧になって 一切の 拘りを 取りさってみよう】

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子供のころに
こんな漫画を読んだことがある。

【ゲゲゲの鬼太郎】
を 書いた先生の作品だと思うが
なにしろ 40年も 50年も前のことで
それもハッキリ覚えてないし、
内容も 自作自演に なりそうだ。

お家には お家が潰れたり 崩れたり
しないように【大黒柱】という柱があり
大黒さんが 護っておられる。

たまたま 家主が大黒柱の立っている
下を覗いてみると 大黒さんが おられた。

『あなたは いつも 神仏に手を合わせ
人助け[布施の 行]をしているので
願いを 叶えてあげよう』

「わたしは 目を 1つ 多くして
3つ目に してください。
そうすれば 未来まで見渡されると言います」

約束が 実現され その男は 3つ目になった。

「僕の 会社は どうなっているのかな ?」
アッ、僕の 会社が ない ! 」

毎日 通いつめていた会社は 建てかえられ
新しい会社には 他の会社が 入っていた。

「愛しの 彼女は どうなっているのかな ?
えーっ あんなに 視め麗しかった娘が
僅かのあいだに こんなに お婆さんになるのか」

「向こうから お葬式の グループがくるぞ。
あれ? シクシク 泣いているのは嫁ではないか。
あっ! あれは 僕の お葬式だ。
僕は こんなに 若くして死ぬのか?」

「大黒さん、もう 3つ目は いいです。
元に 返してください」

『では 目を1つとって 1つ目にしてあげよう』

男は 1つ目に なった。

「あっ むこうから来るのは
顔を 突き合わせたら 喧嘩をする嫌なやつだ。
あれ? 知らぬ顔をして 通りすぎたぞ。

僕が だれか 分かっていないのだな。
お互いに 我関さずに過ごせたら
いがみ合うことも 喧嘩をすることもない」

「大黒さん 大黒さん、
1つ目のままで ずっと ここで暮らさせて下さい」

【諸行無常】とは 言うものの
威風堂々とした我が会社が潰れて
新しく立ち上がった会社に 嫉妬し 嘆き、

視め麗しい 美少女が 老いさらばえて行くのに
驚き 戸惑い、

とうとう 寿命が尽き天国に召された我が命を
永遠に 生き続けることが出来なかったと 悔む。

「ああ なれば 嬉しい」
「こうなって 欲しい」

3つ目の時は、全てに 執着し、欲望の限りを尽くし
それが 成就しなかった暁には
【苦】を 抱き 悲しみの 原因となる。

それに ひき比べて 1つ目は、
何事が 起ころうが 我関さず

見猿
言わ猿
聞か猿

欲望や 執着を 全て捨て
苦しみから 抜け出すことができる。

「この 大黒柱の 下で 大黒さんと 2人で
あるがままの 現実を みつめ
それを 感謝しながら 生活をする。

「最高では ありませんか」

男は ゴソゴソと いう音を 発しながら
大黒柱の下へと 姿を消して しまった。

『俺が』『俺が』と、
執着心を燃やしている みなさん、

彼と 一緒に 1つ目になって
こだわりの 心を 取り去ってみませんか?
合掌

【わたしたちは 菩提心を起こし 悟りの境地に はいります】

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【小豆島霊場 第81番札所 恵門ノ不動】に
大勢の人が 集まった。

みんな 悲壮な顔をしている。

それもその筈 ご夫人が 意識不明におちいり
今夜が 山だと 言うことだ。

『みんなで 千願心経を お唱えしましょう』

大病の人、これから 出兵する人、
人生を左右するような 大きな出来事に
多勢の 人の心を 1つにして
良い方向に進むように お願いをするのだ。

千願心経とは、1000巻の心経を
全員で 読むのだ。

1人で 読めば 1000巻。
10人で 読めば 100巻。
100人で 読めば 10巻。

急ぎ 駆けつけてきた場合は 20人ぐらいが
約 2時間ぐらいの お願いが 多い。

『折角 駆けつけて来られたのだから
声が渇れるくらい大きな声で 唱えて
お不動さんに 真心を受け取って貰いましょう』

「私は 彼女が 倒れたから
回復して欲しい 1念できたので
信仰したことも 教を唱えた事もありません」

『教を 唱えられなくても 良いのです。
治って欲しい、快復してほしいと
手を合わせる真心が 肝心なのです』

教のはじめに【発菩提心】を 唱える。

菩提心を 起こすと いう意味で
はじめて 信心の心が 芽生えることだ。

【般若理趣経】の 9段目に
発菩提心 即為於諸如来 とある。

⚫︎オンボウジシッタ ボダハヤヤミ
わたしは 菩提心を起こし
悟りの 境地に はいります

⚫︎オン サンマヤ サトバン
わたしは 完全に 悟りの境地に
入ってしまいました

懸命になって 本尊 不動明王に
手を合わそうとする 心が 起こったとき
仏は 誰かれの 差別なく 平等に
直ちに 救いの御手を 差し伸べてくれる。

なんと しかし
みんなの 心が通じたというか
お陰を 頂いたと いうか

全員が 一心不乱に お護摩の前で
手を合わせて 声のかれるまで
般若心経を 唱和していた 時刻、

夫人も 般若心経を唱えながら
意識が 戻ったのだ。

『お花畑が 見えましたか?』

『三途の川を みましたか?』

に、問いに

『それは 分からなかったが
みんなが 必死になって 心経を唱えていたのは
分かった。

お不動明王の ご利益と
友人の 菩提心に よって 助けて貰いました』
と、うれし涙を 流したそうだ。

そして
『これを機に 菩提心を 起こし
救われた お不動さんに心から 手をあわせます』
とも 。

皆さんも 菩提心を 起こし
オンボウジシッタ ボダハヤヤミ
と、唱えて みれば ?
合掌

【まず 自分の 心を裸にする。人の信用は そこから 始まる】

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ご法事にいった。

住職と 同年代ぐらいの息子さんが
あまりにも成長しているので 驚いた。

子供もでき 今や お父さんの片腕として
頑張られているので 当然といえば当然だが。

子供の頃から 利発で スポーツマンで
大人と 対等な言葉づかいをする子だった。

よくあるね。

高校生ぐらいに なると
わたしを掴まえて『慧晃さん』と背伸びをし、
一としいって 子供でも生まれれば
『おじさん』『おじいさん』に 戻る人。

でも それは 孫が アンパンマンを卒業し
プリキュアに 変わってゆくのと同じく
人生の 1つの道程だと思えば かわいい。

本人の 年齢や 能力 経験に
相応しくない 言動をとることを
世間は 『小生意気な』と いう。

先ほどの 話ではないが
若いうちには 『誰でも 通る道程だ』と
可愛げに免じて 許してももらえるが

大人になっても 直らず
器も 度量も 小さいくせに
人を 見下ろしたり 偉ぶったり
驕り高ぶる態度を とるようになると

『傲慢な人』『驕慢な人』と
第三者から 敬遠されるように なる。

人から敬遠され 真からの友人が出来ないのは
心から人を信ずることができないからだ。

人より 自分の方が 成功している。
わたしの方が 具便者だ。
飛んでも 走っても 歌っても
わたしのほうが ずっと 上だ。

人を 見下ろすような人間は
本気で 人を信じたり 愛することがでいない。

そして その傲慢、驕慢の態度を
第三者は 絶対に 受けとらず 向こうからも
信じることも 愛することも ないからだ。

恋愛でも
『この人、本当にわたしの事を愛しているのかな』
信心でも
『もし、願いが叶ったら 巨額の寄付をしてあげる』

そんな 心を見抜かれたら
決して 正面から向き直ってこないだろう。

【まず 自分の 心を 裸にする】

『おかあちゃん 助けて ! 』

よくも得も 恥も 外聞も投げ捨てて
その 中に 飛び込んでゆく。

その心が その人に 届いたその時に、
太い 絆が生まれる。

ご法事の 息子さんは 1枚も 2枚も 剥けた。

態度物腰の 柔らかな 話していて
気持ちのいい 青年が そこに いた。

きっと 立派に父親の後を
継いでいくだろうな。
合掌

【私たちは 鎧を着て 陣中にはいれば 煩悩に 悩まされる事は ない】

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寺のジジ菜園では はじめて胡瓜がとれた。

孫の お裾分けを 頂き 実に美味しい。
我が子が 育つように 肥料をやり 水をやる。

草は 面白いね。
1本 大きなのが 目立って それを 抜くと
今まで 目立たず 意識もしてなかった
草が 気になって 仕方がない。

人生 これと同じで 我が思うようにはいかない。

受け取ってはならぬ 思い荷物を受け取り
日夜 苦しんだり
外見だけで 誤った 判断をしたり
聞いてはならぬ事を 聞いてしまい
それを 恨んでしまったり 悲しんだり。

釈迦は 遺教経で こう 言われている。

【鎧 ( よろい ) を 着て 陣中に入れば
即ち 恐るること なきが ごとし】

鎧とは 私たちの 信仰心の事を 言っている。
陣中とは 欲望うずまき、煩悩 おおき
私たちの 住んでいる 現生なのである。

もし 鎧を 脱いで陣中にはいれば
その 出来事の 1つ 1つを キャッチボールして
それを 真直ぐに 受け取ってしまい
悩んだり 苦しんだり してしまうのだ。

腹が立ってみたり、不安であったり
三毒に侵され 際限なく煩悩の灯火を
燃やして しまう。

その結果、相手を憎んだり 嫌いになったり
今まで 保っていた人間関係が
一挙に 崩壊してしまう。

【鎧を着て 陣中に入る】とは
心を乱す 迷いの源を 断ち切ってしまう
と言うことだ。

そして どうして あんな態度をとらせたか
あんな 悪口を 言わせたか
自己の 反省に心を巡らせなければ ならない。

私たちの しあわせは【懺悔】から 始まる。

草木でも 目だつものを 抜いてしまえば
次の 草木が 邪魔な存在になる。

それが 目立たなくなるまで 懺悔し
清らかな 菜園になったならば
私たちも 心静かに成長をみまもり

美味しい収穫物を 口にすることが
できるのでは あるまいか。
合掌

【執着心を 捨てたとき 私たちは 楽になる】

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お参りにこられた方が
苦渋の表情を浮かべ こう 言った。

『あろうことか ある人が
わたしの 恥部をさらけ出すんですよ。

真実ではないし 大したことないので
放って おきました。

ところが 二の矢 三の矢と
攻撃の手を ゆるめず 困っています』

私たちが住む 娑婆の世界、
仏さんの住む彼岸の世界に対して 此岸の世界
一般社会には よくある 話ですね。

以前、こんな たとえ話を したことがあったね。

お坊さんが 弟子と一緒に 川を渡ろうとしたら
若くて 美しい娘が 渡れなくて困っている。

お坊さんは 娘を ヒョイと背中に乗せて
川を 渡り切った。

弟子は お坊さんに 言った。

『僧侶の身で 女性を 抱いた。
してはならぬ行為では ないか』と。

お坊さんが 弟子に 不思議そうに 言う。

『あれ ?
あなたは 今だに 女性を抱いていたのか ? 』

お釈迦さんの 教えで 同じようなのが ある。

仏教を 広めるために
釈迦は 弟子出あるアナン尊者を つれて
各地を 伝導して歩いていた。

仏教拡大を恐れた バラモン教徒たちが
いろんな方法で 迫害をする。

「世尊よ。
どうして 反論をしないのですか。
私は 腹が立って 悔しくてなりません」

粉然とした アナンに 釈迦は諭す。

『アナンよ。
もし、あなたが 手に持っている物を
わたしに くれようとして
わたしが それを 受け取らなければ
その物は どうなってしまうのだろう』

「世尊が 受け取らなければ その物は
いつまでも わたしの 手の中にあります」

『そうだろう。
迫害も 悪口も 受け取らなかったら
いつまでも その人の 手の中に残る。

迫害をした人、悪口を 言ったひとが
【こだわり】として 持ってなければならないし
それが【苦】の種と なる。

アナンよ。
あなたは それを 受け取って
自分のものに したから 心を乱すのだ』

⚫︎こだわらない 心
⚫︎とらわれない 心
⚫︎かたよらない 心

執着心を 捨てたとき 私たちは 楽になる。

ただ、相手が 攻撃してきても
攻撃するだけの 材料が ないように
自分の身辺は
常に 綺麗にかたずけて おかねばならない。

合掌

【僧衣を着れば おじゅっさん、俗衣をきれば おにいちゃん、どちらも私なのに】

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若い頃の話だが 面白いことがあった。

昨今は 寺で居るときは
夜間着から直ぐに 僧衣、
僧衣から夜間着の 繰り返しだが
昔は 仕事が終わると 洋服が多かった。

お婆ちゃんが 若き日の
わたしの 手を取って 申す。

『おじゅっさん、遍路シーズンは 大変でしょう。
[行]だと 思って 頑張ってくださいね。
必ず お婆ちゃんの 顔を 覚えていてね』

遍路シーズンは 本当に大変で
お婆ちゃんの 優しい言葉が 嬉しかった。

仕事が終わって 洋服に着換え 車で走っていると
お婆ちゃんが 白衣に 菅笠、金剛杖をついて
歩いている。

『あっ 先ほどの お婆ちゃんだ』

次の 札所か 遍路宿まで 歩くのだろう。
車で 連れて行って あげよう。

ところが 車から降りた お婆ちゃんが 言った。

『ありがとう、兄ちゃん』

僧衣を 纏っているときは おじゅっさんで、
俗衣に 着替えたとたん、兄ちゃんに なった。

ここで 江口 いと さんという
愛媛県 出身の方の詩集
【茨を 越えて】の 1部を 紹介しよう。

いつか モンペをはいて バスに乗ったら
隣座席の人は 私を おばはん と呼んだ

戦時中 よくはいた この活動的なものを
どうやら この人は
年寄りの 着物だと思っているらしい

汽車に乗ったら
人は 私を おくさんと 呼んだ
どうやら 人の値打ちは着るもので決まるらしい

講演が ある
何々大学の 先生だといえば 内容が悪くても
人々は 耳を澄まして聞き 良かったという
どうやら 人の値打ちは 肩書きで決まるらしい

いとさんの 【茨を 越えて】は まだ続くが略する。

僧衣を着けても 俗衣でも
わたしは わたしに 違いはないし

おばはんと 呼ばれようと 奥さんと 言われようと
いとさんは いとさんで ある。

【猿にも衣装】では ないが
見た目で 判断するという危うさを
わたしたちは 持っている。

【般若心経】にも
眼耳鼻舌身意 (六根)
色声香味触法 (六境)
と ある。

見た目で
『いい 男』
『綺麗な 女性』

耳にする
『素晴らしい 歌』
『やかましい 音』

臭ったとき
『いい 香り』
『胸の 悪くなる 匂い』

人により 時代により 条件により
其れらの 是非は 変わってくる。

それらは 全てが
【色即是空】【空即是色】なのだ。

その人、その事を 即決で判断しないで
その もの自体の 本質を見極めなければ
ならない。
合掌

【おとうさん、残念だったね。でも又 ポールは 日本にくるよ】

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元 ビートルズの ポール マッカートニーの
日本公演が 中止になった。

緊急入院ということで とても心配だ。


わたしの誕生日と 父の日が似かよった日で
いつもは ついつい忘れ去られる。

今年は 結婚 40周年記念ということで
子供たちが なけなしのお小遣いをはたいて
大阪公演の チケットを手に入れてくれたのだ。

デビュー当初から 衝撃的なグループだったね。

マッシュルームカットを 振り乱し
ヒットチャート記録を次々と塗りかえた彼らを
世界中の 若者が熱狂した。

わたしも ギターを持ったきっかけは
彼らとの 出会いなしには 考えられない。

たまたま リバプールに行ったとき、
彼らが 並んで歩いた レコードの写真を思い出し
自分が ビートルズになったかの如く
得意げに 歩いたものだ。

今や ベートーベンや バッハと同様に
学校の 唱歌にまで取り入れられている彼らは
当時の 大人からみれば
あまり 歓迎はされなかった。

同じ曲を 聞いても
ある人は 『素晴らしい』といい
ある人は 聞く耳さえ持たない。

聴く人 見る人により
その評価は 全く変わってくる。

そして その良し悪しも、
時代のながれ、時代背景、その時の 感情、
そのとき そのときに 変化する。

わたしたちは
眼で 色や形 大きい小さいを見、
耳で 音を聞き
鼻で いい匂い 嫌な臭いと 嗅ぎ分け
舌で 美味しい 不味いを 感じとり
身体で 触れて 好き嫌いを判断する。

目で 物が見えるということは
真に 有り難いことだが

見ることによって
つい 容姿や 外見だけにとらわれ
その物を 判断してしまう。

耳で 音が聞こえることは
真に 有りがたいことだ。

しかし 聞こえることによって
ひそひそ話に つい 耳を立てたり
非難中傷に 心を 痛めたりする。

その 全てが【煩悩】からくる[苦]なのだ。

【抜苦与楽】
煩悩を 捨てることによって
苦しみから 解放され
しあわせを つかみ取ることが できる。

『おとうさん、残念だったね。
でも、また ポールは 日本にくるよ』
合掌

【拘りをすて 貪欲 瞋恚 愚かさを 取り去ろう】

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師僧の指導で 3つの【写経会】が発足した。

私の写経会は 残念ながら 姿を消したが
後の2つは 支部を拡大して会員も増えた。

師僧が 仰る。

『いくら 写経が ありがたいと言っても
毎月 毎月 同じことを繰り返していると
怠惰に なってくるものだ。

そこで うちの写経会では
書き上げた写経を【表装】する事にしたんだ。

これが 1年前の分、
これが 今回、と、上達が 如実にわかり
【お写経】する 意欲が 違ってくる。

私ごとだが
下手くそなのは よく分かっているのだが
表装した物を 順番に会員さんに 渡すと
喜んでくれる』

『とんでも ありません。
師僧の 達筆の心経を 私も欲しい位です』

『それが その事で
写経会の 会員さんを 怒らせてしまってな』

1人の 会員さんが
『写経は続けるが 絶対に 表装はしない』
と、ダダを捏ねているそうだ。

よくよく 聞くと その会員さんは
文字を書くのが 余りお上手では ないみたいだ。

「さあ 明日は 写経の日だが
表装するために 既に 何枚か書き上げた。
どれが 1番の できかな〜」

子供が 遠足に行く 前日のように
自分の書いた 写経を 入れたり出したり…。
そのときだ。

『おじいちゃん、字が 下手だなー』

横で 孫の声がしたのだ。
はっとして 隠したのだが 既に 遅し。

『10年 以上も 続けているんでしょう?』

『うるさい。
あっちに いけっ ! 』

孫は 退散したものの 怒りは治まらない。

『わしは 阿呆だが
人に 阿呆だと決め付けられると 腹がたつ。

文字を書くのが 下手くそなのは知っているが
言われてみれば 腹がたつ。

もう 絶対に 表装も しない』

せっかく 書き上げた【写経】の清書を
丸めて しまった。

それを聞いて 師僧も 驚いた。

『あんた、孫と 喧嘩したんな』

『ケンカは しなかったが
言われたことに こだわって 腹がたった』

『あんた 何のために 10年間も
お写経を 続けているのですか ?

私たちが 持っている 1番 悪いもの
【三毒】の 煩悩を取り払おうと
何年も 努力しているのでしょうが。

表装なんかするには
私も下手で そんな資格もない。
会員さんの中でも お上手なのは数名だけでしょう。

【貪瞋痴】
⚫︎ 貪
むさぼり 求める心
⚫︎瞋
自分の心に 逆らうものを 怒り恨むこと
⚫︎痴
おろか。思いやりが 薄いこと。
無明であること。

三毒のなかでも 腹を立てるということが
1番 いけないことなんですよ。

そのこだわりの心を 取り去ろうと
私たちは 写経をしたり いろんな
【行】という修行を しているのです。

そんなに 直ぐに腹を立てますと
お孫さんに 負けますよ』

会員さんに 三毒を説いて
励ましたそうだ。

『師僧、良かったですね』

『いや、ところが まだ清書を
持ってきて いないのだ』

『えー 』
合掌

【お写経の 意義】

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【小豆島霊場 第80番 子安観音寺】にて
お写経の 奉納があった。

30年ぐらい以前に わたしの寺と
わたしの師僧の寺、和田山写経会と
3つの 写経会が 産声を上げたが
潰れたのは 子安観音寺写経会だけだ。

今日は【本山まいり】と称して
和田山写経会が 1年間書き続けた写経を
小豆島にて 奉納した。

【奉納式】が終わって 1人の会員さんが言った。

『わたしは 20年も 30年も
般若心経を 書き続けていますが
未だに 何が書かれてあるか 分かっていない。

拝みなばら ここは この事を言っていると
分かれば、心経もまた 面白いとおもうのです』

わたしは ビックリした。

心経を 唱えながら
「アッ ここは このような意味だ」
『アッ ここは なんだっただろう?」

こんな 事では気が散漫となって
心を 統一して【行】をする事ができない。

【ご詠歌】を唱えるのも 【座禅瞑想】も
【八十八ケ所 巡拝】も 行の 1つだ。

そして【お写経の】は 最高の【行】なのだ。

僧侶が 唱えるお経にしても 拝みながら
『ここは この意味だ』
なんか考えながら唱えているのを 聞いて
『ありがたい』と 思うのだろうか?

【音魂】【言魂】というのが ある。

音楽を 1人で 聞いていると
何故だかわからないが 物悲しくなって
涙することが ある。

唄も そうだね。

内容は さっぱり分からないのだけれども
聞いていると 1人でに涙がこぼれてくる。

お教も そうだ。

1人の 唱えた真言を 2人になり
4人になり 8人が 唱える。

昭和59年度の
【空海】という映画も そうだった。

いよいよ 空海が【入定】するシーンになって
1番弟子が 唱えた真言を
10大弟子が となえ
スクリーンが 変わり 全体を大写ししたとき

何千人という 僧侶が映し出され
1つの真言を 繰り返して唱えるのだ。

何千 何万人の ハーモニーに
人知れず 胸が熱くなってくる。

これが【音魂】であり【言魂】なのだ。

そのときの 私たちには
【理論】や【理屈】は いらないのだ。

『般若心経の 内容は 内容で
唱えるのとは 別に 勉強した方が いいですね』

会員さんは 不服そうな 顔をして
少し 頭を かしげた。
合掌

【心と 心の 結び合い。これほどの 財産は ない】

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ここ何日か 世界中で大火が起きているね。

小豆島 対岸の 赤穂の山火事は大きかった。
ちょっとした 不始末が原因の場合が多い。

今になって 回数は減ったが
わたしも つまらぬ煩悩に苛まれる夢をよくみた。

シチュエーションは 色々だが
ともあれ 猛火が本堂や庫裏に 迫ってくるのだ。

【子安観音寺】は 昭和28年と 32年に
本堂が 焼失した。
先代は 大正15年を 併せると3度の火災を
経験している。

檀家 信者 遍路 一丸となって再建した本堂が
完成目前に再び目の前から姿を消すのだ。

『火の中に 飛び込もうかと 思った』

生前中、よく そう申していたが
焼失した悲しみと 再建の努力の決意と
今まで協力して下さった方への 謝罪と配慮、
大変な 心労だったね。

その 目の中に焼き付け 頭の中に
畳み込まれている 事の大きさのために
未だに サイレンの音をきくと
子羊のように 震えが止まらないのだ。

そんな 道程を経た中で
今や火が 本堂に燃え移る夢を
この歳になっても 未だに みる。

ガバッと 起き上がると
全身 大汗をかいているのだ。

ところが 夢の中で

『布施を しましょう』
『布施とは 見返りを考えないで
自分の持っているもの 全てを捨てるのです』

素晴らしい事を 申している自分が

『いまなら まだ 幾つかは間に合うかも知れぬ』
『なにと なにを 何処に移そうか?』
『あれも 移したい。これも 残したい』

わたしの 身体の中は
すっかり【煩悩】に 占領されてしまっているのだ。

自分ながらに この 情けない自分が
嫌に なるね。

その点、3度の火災を乗り越えてきた先代は
自然体で 【行】が できていた。


『いろんな 災害の中でも 火事が1番 怖い。
これは 残さず 何もかも全て 持ち去ってしまう。
なにも 残らないのだ。

物品は 頑張ればまた 手に入ることも ある。

大切なのは 人と人との 信頼関係だ。
縁と 縁とが 結び合い 絡まり合って
大きな 絆が でき
共に 手を取り合って 助け合って行く。

これ程、大きな 財産は ない。

わたしは 一瞬にして 全てを失ったが
【心】という 大変 大きな財産を
数知れないくらい 沢山 持つことができた。

そして このご縁が 多ければ多いほど
しあわせな 人と いえるのだ。

お互い 知らぬうちに
【布施行】の 実践ができて居たんだね。

ありがたい ことだ』

大山鳴動。

先代の 足元にも及ばない わたしだが
爪の垢でも 煎じて
1日も 早く 大きな人間に 成長しなければね。
合掌

【私たちの 悪技も 反省すれば 許してもらえる】

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今日は ジジたちにとって大騒動が起こった。

生後 3ヶ月の 孫が
乗っていたベビーカーから 落ちたのだ。

事の 起こりが
爺さんと 婆さんが 芦屋に出てきたので
丁度、パパたちも お休みがとれて
みんなで 須磨の【バラ公園】に行くことになった。

バラ公園は 有名な須磨寺の近くにあり
目の前に【兵庫 こども病院】を横目に
入場し 数々の 薔薇を楽しんだ。

その時、孫が ベビーカーから 落ちたのだ。

火のついたように泣く 孫をだいて
右往左往するばかりだ。

『頭の骨は 大丈夫か ? 』
『まだ 首も座ってないのに 大丈夫か?』

他のことなら 骨が折れていても仕方がない。
腹を決めた途端、目前に
【兵庫 こども病院】が 飛び込んできた。

これが 仏様の お加護と 言うんだろうね。
有り難い 不思議が 続いた。

土曜日と言うのに 早速、CTを 撮ってくれたり
たまたま見てくれたドクターが
この病院の 部長さんだったり。

『良かったですね。
今のところ 異常はありません。
ただ 、まだ骨もちゃんとしてないので
何度か 通院して検査が 必要です。
元気だし、ベビーカーから 落ちて傷の1つもない。

ところで 原因は なんだったのですか ? 』

これには パパも ママも キャンキャンといった。
必ず しなければんらない
シートベルトが 甘かったようだ。

【無明長夜の 燈炬なり 智眼 暗しと悲しむな
生死大海の 船筏なり 罪障重しと 嘆かざれ】
正像末和讃


自分の 罪 咎によって 煩悩に覆われた
暗く長い 無明の闇に 入ってしまう。

仏の 慈悲の光は その暗闇を明るく照らす。
今まで その光が見えなかったと 悲しむな。

今からでも なにも 遅くはない。

失敗は 誰にでもあるもの。
それを 反省し 悔い改めるならば
本尊は 当然 それを許し

温かい 慈悲の霊光を 投げかけてくれるだろう。

蛇足だが 病院にこの様に 書いていた。

⚫︎ベビーカーから 滑り落ちる 転落事故
⚫︎ベビーカーに 荷物をかけ過ぎて
ベビーカー諸共 仰向けにひっくり返る事故
⚫︎乳幼児が 立てるようになって
ベッドから ママが離れた時
それを追って 転落する事故
⚫︎階段の 転落事故

これらは 親の ちょっとした 不注意から
起こる 事故だ。

軽い気持ちで 行なった 悪技が
大怪我、死亡に つながる。

それでも 仏さんは 心から反省し
気持ちを 入れ替えて対処すれば
許すどころか 応援をしてくださるのだ。

私たちは 知ってか 知らずしてか
日頃の 生活の中で 多かれ少なかれ
過ちを 犯している。

『それに 一刻も早く 気づき 反省しなさい』

仏さんは そのように 言われている。

【慈悲の霊光は 菊花に映えて 薫香 馥郁たり】

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但馬で お葬式があった。

故人は 30歳そこそこの若さで 起業し
晩年は 会社を 子供さんたちに任せ
悠々自適な生活をしていた。

ごった返す 会葬者の中にも
何人か 顔見知りの人が話しかけてくる。

『こんにちは。
お友だちに先だたれて 寂しくなりました。
しかし、いつまでも お元気そうですね』

『わたしは ことしで 94歳になります。
友人が 1人減り 2人 かげでして
本当に 寂しくなりました。

電話で話すと 先方が いつまでも若いですね
と いってくれるけど
口だけは 達者ですが 目は見えにくい
耳は 聞こえにくい 足は覚束ない。

よる 年波には 勝てません。
草木が 枯れて 朽ち果ててしまうように
私たちも どんどん 其れに近づいてきます。

そして 悲しいことは
体力の低下とともに 気力もおとろえ
正比例して 交際範囲も狭まったという事です』

体力が低下し 現役を卒業すると
気力もなくなり 比例して
交際範囲も うんと 狭くなる。

毎日のように 多勢の方が来られ
夜 遅くまで 歓談したものだ。
結婚式や葬式は 全て 住職に白羽の矢が立ち
卒業生は ヘルパーにまわる。

『法主さま。
気が 朽ちるということは 【枯れる】事で、
若い頃には 身体全体から 発していた
ギラギラと 脂ぎったものが
全て 取れてしまったと 言うことです。

心が 欲得から離れ
執着の 心が 無くなってしまいました。

ゴールにむかって 精一杯 生きておれば
必ず ご本尊さんは 視てくださっています』

【正信偈】に このように書かれている。

【我 またかの摂取の中に あれども
煩悩 眼を障えて 見たてまつるといえども
大悲、捲きことなくして
常に 我を照らしたまうといえり】

仏の 霊光は分へだてなく
万物の 隅々まで 照らしてくださっているのに
我が心は 煩悩の暗闇に遮られて
それすら 気がつかなかった。

本尊は 私たちを見捨てることなく
どんな時でも 慈悲の眼を投げかけてくれる。

『そのことを 94歳の今に 気づくのではなく、
若いお方が 若い時に、
気づいてもらいたいものです』

最期の お爺さんの言葉が
妙に 我が心に 残った。
合掌

【なにごとも 座禅瞑想から はじまり それで終わる】

【座禅瞑想】を実践することは素晴らしい。

小豆島大観音に 参拝になられたら
【音楽説法】を やっている。

この法話は 全国でも珍らしいものだが
法話の中で 時間をとって
【瞑想】の 行を行っている。

合宿で 体験でなく本格的な座禅を修すると
御体の大きな 主将が 逃げ出してしまう。140517-1写真

失礼だが なにか 笑い出してしまいそうだ。

深閑とした 暗い部屋で 無念無想に浸る。
雑踏の中では 瞑想しにくいよね。

釈迦は このように言う。

【寂静無為の 安楽を求めんと欲せば
まさに蘹にょを離れて
独処に 閑居( げんご ) すべし】

【蘹】とは 慌ただしいとこ。
【にょ】とは 市場で 売り声の喧しい中、
誰も彼もが 右往左往している 様。

鹿威しの カッポ〜 ンという音を聞きながら
侘び寂びを味わえる 生活をするのが望ましい。

【出でざるに しかも眠るは
これ 無慙 (むざん) の 人なり。
慙恥の服は もろもろの荘厳において第1なり】

就寝前には しっかりと けじめを付け
その後、 熟睡しなさい。

今日、1日の 反省からはじまり
明日の 予定、戸締まり 火の用心まで
細心の 注意を払わなくては いけない。

だらしなさとは 【恥知らず】の事で
[恥を知る]ということは 素晴らしい事だ。

【忍を 行ずるものは 有力の大人と なす】

[忍]とは 如何なるときにも
心が 動揺しないという 意味だ。

辱めや 批判や 欲望に 惑わされることのない
平常心こそ、
その人の [徳]を 輝かせしめるのだ。

この 3つの教えを 実践するにあたっても
先ずは 【座禅瞑想】から はじまり
【座禅瞑想】に おわる。

皆さんも 【小豆島大観音】に 参拝して
座禅を 組んでみれば ?
合掌

【小欲 知足】

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自国が確立すれば 領土を 東西南北
上にも 下にも 海にも広げたいもの。

古きから 今日に至るまで いろんな国で
領土問題で 戦争が勃発している。

人間というものは 本当に【欲】が深い。

子供のことを『この ガキが ! 』というが
餓鬼が 持っている玩具を両手でだいて
尚且つ 隣の子供の オモチャに
手を出しているのに 似ている。

【ゲゲゲの鬼太郎】という漫画を書いた
大先生が
別の漫画で 面白いことを 書いておられた。

1人の 心ある青年が 雪男と オケラとを
別々に 文明に触れさそうと 日本に連れてくる。

『凄いだろう。これが 文明という ものだ。
高層ビルが 樹立( 立ち並んでいる) し、
自動車が 所狭しと走っている』

「狭いところに ビルディングを建てたり
自動車を 走らすから 所狭しとなるのだ。

それに この排気ガス たまらんね」

『これがテレビのコマーシャルというんだよ。
これを見ていて 気に入ったものがあれば
いつだってゲットできる』

「なんだい。匂いもしなければ
食べることも 出来ないではないか。
単に 人の目を刺激して
欲望を 掻き立てているだけだ。

欲望が 満たされなかったとき腹が立ち
それが【苦】悲しみの原因となる。

山は 単調で 何の変化もない。
貪欲な心が 起きないように 山に帰るよ」

『ゲッ ! 』

同じく 先生の漫画で 勉強させられるのがあった。
どちらも わたしの若い頃読んだ もので
忘れかかっていて 間違っているかもしれない。

ある青年が 自分の勤めている
社長が 羨ましくて 仕方がない。

神様にお願いして 社長の真実を覗かせてもらう。

『あっ 社長だ。
なんだ、会社では あんなに威張っているのに
お家では 奥さんに ペコペコしている。

しかし 汚い お家だな〜。
もっと 掃除を すればいいのに。

おっと ガールフレンドだ。
ありゃりゃりゃ、別れ話か。慰謝料まで。

あっ、社長は 病気なんだ。
癌を 今まで 社員には 隠し通していたんだな。

ひえー 会社が 左前で 社長、青息吐息だ。
とうとう わたしの 会社が 倒産した』

神様 曰く

「どうだね。社長と 交代したいかね」

『い……いえ 結構です』

「よその倉は 大きくみえるもの。
大欲でなく 小欲でも 結構 楽しいもの」

【八大人覚】に このように 書かれてある。

⚫︎よく深いものは 利を求めることが
多いがゆえに 色んな苦悩がついてまわる。

欲が ない人や 小欲の人は
無我無欲に なれば この苦しみは 無くなる。

小欲を 行ずるものは
心 すなはち担燃として 憂いすること なし。

⚫︎苦労から 抜け出そうと思ったら
正に 自分自身が 心 満ち溢れ
足るをしらなければ ならない。

知足の人は 貧しいといえども
しかし、富めり。
心は 豊かである。

わたしたちも 雪男のように
オケラのように
心 豊かに 安穏な生活をしたいね。
合掌

【わたしたちの 心は狂象に足枷なく 欲望に流れる】

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スリランカに お参りに行った時の話だ。

キャンディーにある 本山に向かう途中、
ゆったりとした 田園地帯が ひろがる。
時間が 止まったような感じだ。

と、1人の少年が 大声で叫んだ。

その先には 少々汚れた野良着を着た
少女が しゃがんでいる。

その横には
数頭の牛が ノンビリと 草を喰んでいる。

『君の牛が 離れて 隣の畑に入っているそ』

言葉は分からないが そう言っているのだろう。

彼女は 立ち上がり 離れた牛のほうに
ゆっくりと 移動し始めた。
1メートルにも 満たない棒切れを
1本 持っているだけだ。

【遺教経】に このように書かれてある。

〔まさに (眼耳鼻舌身の 五感である)
五根の 放逸を節制すべし

例えば 牧牛の人の 杖をとって
これを視せしめて 縦逸にして
人の苗嫁を 犯さしめざるがごとし〕

家畜が 隣の田畠に 入らないように
棒切れをみせて 節度を維持するように
人間的節度を持って 自己管理しなさい
と 言っているのだ。

五欲の根源は【心】であり
欲望への 刺激が多い 今日の生活の中は
自制が 大切である。

護摩壇には [壇線 ]という綱があり
四方を取り囲んでいる。

私たちは 聖域と 外域とを分ける
【結界】と よんでいる。

心を 集中させる為に
外界から 煩悩が 入らぬようにと
張り巡らされた 強靭な綱だが

逆に 折角 集中させた 聖心が染み出し
拡散しないようにしたものでもある。

心の 方向 (念)を 内側に向けていれば
心 落ち着き 安住する。

心の落ち着きと 清らかさを保っていれば
決して【欲望】は沸くこともない。

私たち、子供のように
あれも欲しい これも欲しいと 言わないよね。
合掌

【その事に 気づきことと 慎む力を もて】

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南シナ海の西沙諸島付近で
石油の掘削や 領土問題をからめて
船だけでなく 両国が火花を散らしている。

衝突後は お互いの国が
『お前のほうから 故意に ぶつかってきた』と
罵り合い 睨み合いが続いている。

人ごとでは ない。
日本も 何時も起こるかもわからない
火種を 抱えている。

南シナ海では 各々の国が
自力で わが国を 守っているが
日本は 竹島と同様、為す術もないだろう。

釈迦の 最後の言葉がある。

【自灯明】とも 関連があり 是非勉強したい。

『私たちは 合縁奇縁、縁で結ばれているが
わたしの手で 救うことのできた人は
みんな 救うことができた。

救えなかった人には、
わたしの残した 教えによって
悟りの 縁を持つことができた。

それを 伝え 伝えて行けば
わたしの命は 永遠に 不滅である。

汝、我が 滅後において
波羅提木又を 尊重し 珍敬すべし。
案に 明にあい 病人 の宝を得るがごとし】

〈はらだいもくしゃ〉とは
愚かさから 1つ 1つ 解放されることだ。

喧嘩をして その 喧嘩をすることの
愚かさが 分かれば
喧嘩をやめ、苦しさから 解放される。

我がゆく道を聞いて 行くと行かざるとは
道を 教えた人の責任では ない。

薬の 服用の重大性を 聞いて
それを 服用するか せぬかは
医者や 看護婦の 責任では ない。

行くか 行かざるか?
飲むか 飲まざるか?

それは 本人が決めることで
自分の 責任である。

中学校の 女生徒 200人以上を
拉致、監禁している 団体もある。

本人は元より 親御さんの 気持ちに
一刻も早く 気づいて欲しいものだ。

釈迦の 教えに 気づくことと
【慎む】心が 芽生えたとき
私たちは 和解し、苦しさから解放される。
合掌

【パパや ママの 笑顔を見るときが 1番嬉しいの】

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桜 満開の中で 新学期を迎えた孫たちも
最早 初夏の新緑のシーズンをむかえ
若木は 大空に向かって大きく成長する。

その孫に 聞いて見た。

『あなたの 1番 嬉しいことって な~に ? 』

旅行かな?オモチャかな?
いや、いっそ 飛び越えて パソコン?

いろんな 思惑の中で 意外な答えが帰ってきた。

『パパや ママや 兄弟の笑顔を 見るときが
1番 嬉しいの』

これには 『コテ』でなく 正面から
『メン』を とられたね。

【布施】の 定義の中で
『自分自身の 欲得を全てすて有縁無縁、
縁ある人に 手を差し伸べる。

そして それによって生まれる
縁ある人の 笑顔をみて 自分も喜ぶ。
これ、一緒に 勉強したね。

【お盆の はじまり】の法話の中で
[仏説 盂蘭盆経] に このように書かれてある。

釈迦の 十大弟子の 1人、木蓮尊者が
亡くなった自分の母親が いま どうしているか
覗いてみた。

尊者は 『きっと母親は 心根のやさしい人だから
天界で 仏様と しあわせにくらしているだろう』と、
覗いてみるが 何処にもいない。

人界、修羅、畜生と段をおってみてみると
餓鬼道で 鬼たちに追い回されて
悶え苦しんでいる 母親の姿が あった。

母親は 尊者にとっては とても優しい人だった。
しかし、他人に対しては 惨い仕打ちをする
人だった。

飢えたひとが 物乞いに来ても
有り余った パンをクズ箱に捨ててでも
1切れも 与えることはなかった。

さて、この説法の ストーリーや
今後の展開は 皆さんの方が
熟知されているだろうから 省略する。

電車や 船に乗ると 尊者の母のような姿を
よく 目にするね。

わたしの 孫は 幼い子がたくさん いる。

笑う子、なく子、居眠りをする子、
千差万別だが 親にとっては 命がけだ。

コックリ コックリ居眠りをする子に
走り回る子を 抱えて
満員電車で かなりの時間を費やすのだ。

知ってか 知らずしてか 有縁の人は
見向きもしない。

『人は どんなに 泣こうが苦しもうが
自分には 一切 関係ない。
自分の 欲得だけを 考えればいいのだ』

それでは 尊者の 母親と 同じで
【餓鬼道】に 落ちてしまう。

そして 因果は巡って
自分が お腹が大きくんっても、

生まれた子供が 腕の中で居眠りしようが
病気になって 一刻も早く
椅子に 座りたかろうが

歳を とっていようが

誰も どんな時でも
片時とも 振り向いては くれないのだ。

そんな中で 『どうぞ お座りください』と
席を譲る人が 居たならば

その人は 『ありがとうございます』と、
心より 感謝をして 譲って戴いた
シートに座る人の 喜びの顔をみて
自分も 嬉しくなるのだ。

孫の『パパや ママの笑顔を見ることが
1番 しあわせ』は
すでに 彼女は【布施行】を実践しているのだ。

こう言っている 間にも
たくさんの タヌキや 狐を 載せた電車が
賑々しく 通り過ぎてゆく。
合掌

【誰のものでも ない。全ては 天下の 回りもの】

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『今日は 坊主だった』

寺に友人がくるから 食べてもらうのだと
同級生が 意気込んで船に乗ったが
結局 たいした成果は上がらなかったようだ。

そんな時、漁師の 檀家総代が
とれたての 新鮮な魚を 持ってきてくれた。

家内が
『わあー 嬉しい。
お昼と晩に それぞれ、お客さんが来られるから
丁度 良かったわ』
と、鳥取の信者さんが 送って来てくださった
砂丘の 黒土で穫れた 見事な 野菜を手渡した。

お昼の 信者さんは 若狭の五湖で穫れた
大きな 鰻を 持って来てくださった。

『この お刺身も 煮付けも みんな美味しい。
日本海の魚は 大味だけれど
瀬戸内海のは また格別だ』

絶賛して 箸を進めたのは
総代が 持ってきたのと 同級生の合作だ。

そして 三方五湖でとれた鰻を
新鮮なうちに 鳥取の信者さんに 送った。

このように 戴いた物が グルグル回るので
なかなか 私たちの口には 入りにくい。

これを 【回向】と いう。

寺の 本堂でも お家の仏壇でも
よくよく観察すると 色んな事が分かってくる。

真ん中に ご本尊さんが いて
その横に ロウソク、お花、
本尊さんの 前に 線香、
そして お茶湯、お仏飯、菓子等を供える。

これ 分かるね。

お父さんは お酒が好きだったからと
お茶湯の代わりに お酒をお供えしたり

お父さんが 生前 植えたお花が
こんなに 綺麗な 花を付けましたよ。

お父さんを 想い、母を 想い、
心を込めて ご先祖さんに お供えをする。

お父さんも 先祖さんも
みなさん 私たちの心を読み取ってくださり
全て 喜んで召し上がってくださる。

ところが どうだ。

私たちの 供養物を 全て堪能された あとは
それをを グルリと一回りさせて
『ありがとう。美味しく いただきました。
さあ、今度は あなた方が 召し上がりなさい』
残らず ずべて 私たちに くださるのだ。

よく みてみて。

お花も ロウソクも お仏飯も お茶湯も
お菓子さえも 全て 私たちの方を向いているのだ。

私たちは 今の自分の境遇に 飽き足らず
次から次へと 新しい物を求め続ける。

【欲望】は 放っておくと 際限なくひろがり
成就しなかったとき
悲しみと 【苦しみ】の 元となる。

万物は 因縁によって 次から次へと移り変わる。

今日、寺で行われた【回向】が 良い 例だ。

『おれが おれが』
『これは 離さない。俺だけの もの』

その執着をすて
1つのものを 家族や 友人 隣近所と
分かちあえる 心を持つことができれば、
しあわせな 生涯を 送ることが できるだろう。
合掌

【母の日の プレゼント】2

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母の日の 本日
大本山 小豆島大観音において
【百観音霊場】の 法要が 厳修された。

大観音に 居ながらにして
西国霊場 秩父霊場 坂東霊場
100霊場を お参りができるようにと
檀主を 100人募って20年がくる。

20年の 歴史の変遷は 重く
流石に 参加者は減少したが
本尊に対しても続けることに意義がある。

お祭りを 歓迎するかの如く
まるで 初夏を思わせるような 上天気だ。

参拝者に 挨拶をさせて いただいた。

『今日は 母の日で
各 お家では 報恩感謝の気持ちをこめて
子供たちは 可愛がってくれたお母さんに
カーネーションの花束を 手渡して居ます。

わたしたちも 大観音の ご本尊をはじめ
西国 1番から 100番までの
各 霊場の ご本尊さんに 感謝の気持ちをこめて
カーネーションを 送りました。

子供である皆さんから 素敵なプレゼントを戴いて
母である本尊さんは 大変 喜んでおられます。

私たちは ただ 子供のように
無心に『おかあちゃん』と いった。

しかし 毎日 生活をしている中で
『四六時中 二十四時間 純真無垢ですごせ』
と言われても なかなか それができない。

私たちは 寸分の間もなく
【六道】地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天、
【輪廻転生】しているのだ。

私たちの 心模様は 穏やかであったり
腹立たしくなったり 喜んだり 泣いたり
片時として とどまるところをしらない。

そのとき そのときの 心の様は
あるときは 天界の仏様になったり
あるときは 餓鬼 畜生 地獄の鬼と化したりする。

キャッキャと ご満悦の時は 可愛らしく
仏さんのようだが 一度、機嫌をそこねると
場所も 時間も お構いましで
ギャーギャーという 鳴き声は
どう あやしても とどまる所を 知らない。

お母さんの 心は
仏さんの心は 穏やかで しなやかで 清らかで
物事に 一喜一憂しない。

1日のうちに 何度も六道を往復する私たちは
どの世界に 留まってもなりません。

かたよらず
こどわらず
とらわれず

これは 母の 心であり、仏さんの心である。

そして 【母の日】の 今日、
母の心を 全て 自分の心として
実践して行くことが

何よりもの プレゼントになりは
しないだろうか?
合掌

【母の日の プレゼント】

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母の日ですね。

感謝の気持ちを こめて
お母さまに プレゼントをしましたか ?

友人が
『お婆さんに何をプレゼントするのが喜ぶか』
兄弟で相談して 『いつも ありがと』と手渡すと
大変 喜んでくれた と、目を細めた。

それが わたしには 羨ましかった。

父の68歳 母 62歳で 鬼籍の人と 相成り
【孝行を したい時には 親はなし
墓に 布団は 着せられぬ】
とは よく言ったもんだ。

うちの両親は 逆転していて
老僧は 仏のような人、
反して 母親は 非常に怖い 存在だった。

常に 『人のために 世のために』が 口癖で
小豆島八十八ケ所参拝の お遍路さん全員に
【おうどんの 接待】を 始めたのも母親だ。

今は 遍路だけでなく
観光バスが 乗り付けてきては
美味しい接待を 心ゆくまで堪能しては帰る。

昔、源信という 高僧がいた。

子供の時から 聡明で頓知のとんだ少年だった。

『1から 10まで 数えられるか?
さあ、言ってみろ』

修行僧の 言葉に 『ひとつ…ふたつ…』と読んだ。

『どうして ひとつ、ふたつと
みんな 【つ】が つくのに どうして
10だけは つかないんだい ? 』と 。

それに あっさりと 言い負かした。

『そりゃー 5のときに 〈いつつ〉と
2回 いっているからさ』

修行僧は 余りの聡明さに 脱帽して
源信の 母親を説得し 彼は 出家得度をした。

15の 御歳に 宮中で 村上天皇と あい
天皇は 彼の利発さに驚き
沢山の 褒美とともに
【僧都】という 高い僧階まで 賜った。

『わたしは 天下に 名声を博した。
母も きっと 喜んでくれるだろう』

母を想う 源信は 自身の出世を
どんなにか喜んでくれるだろうと
勇んで しらせた。

その母からは 1通の手紙が着ただけだった。

【後の世を 渡す橋とぞ 思いしに
世渡る僧と なるぞ悲しき】

彼は 母の思いが 瞬時に分かった。

『あなたを 仏門に入らせたのは
苦悩ある人々を 救うため
世のため 人のために尽くす あなたに
なって 貰いたかった ためです。

ところが どうです。
あなたは 冥利を求め 処世の道具に
仏法を使うという
なんと 浅ましい坊主に なり下がったことか』

浮かれる心を 見透かされた
母の 恐ろしいまでの叱責に 悪夢から覚めた
源信は 戴いた数々の褒美を 手放し、
最高の栄養 【僧都】の僧階まで返上した。

【報恩感謝】という 言葉がある。

その恩徳に 感謝して
受けた恩に対して 自分のできる限りの
お返しをしようと 思うこと。

お母さまが お元気で活躍されている人も
とっくの昔に お浄土に旅立たれた人も

母が 何を教えてくれたか?
何を どうすれば 1番 喜んでくれるか?

その 教えを実行することが

カーネーションと同じくらいの素晴らしい
【母の日】の
プレゼントになるのでは あるまいか。
合掌

【変わることのない あるがままの 自分を 】

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私ごとだが 歌をうたいに行く機会が減った。

いや、全く 行かないのでは ないだろうか。
一昔前なら 誘われる前に 人を誘っていたが
出不精に なってしまった。

原因の 1つは
高い音も低い音も どちらも出なくなったのだ。
『あれ ?おかしいな。
この歌、昔は 唄えていたのにな』

失意が先に出て 面白くないから いかない。
行かなくて 歌わないから
余計に 声が出なくなってくる。

仏陀が 【こだわるな】と 教えるが
声に 拘り、歌に 捉われているのだね。

テレビで 【フォークソング大集合】で
往年の 有名 大スターが勢ぞろいした。

『あっ あの人もいる。この人も いる』
『懐かしいなー。
今、どうして おられるのだろう』

懐かしい名曲を 同じように口ずさむ。

ところが 残念なことに
日ごろ、歌い込んでいるかたと
そうでない方とが 一目瞭然と 分かるのだ。

それでも いい。

聞いている方は 往年の若さで
往年の 美貌で 往年の美声で
歌を 聞こうと思っている人は
1人も いないのだ。

わたしと 同じように 出にくい声で
懸命に熱唱している姿に 万雷の拍手を贈るのだ。

ところが ただ1つ 残念に 思ったのは
サングラスをかけている人が 余りにも多いのだ。

『あれ ? この人 昔は美男子で
当然の如く サングラス かけてなかったのにな?』

諸行は 無情にして
1年 1時間 1刻…
寸分の間もなく 時は 移り変わってゆく。

そして 万物で不変なものは なに1つない。

時が 過ぎ去るごとに
私たちは 老いさらばえ、
老醜を晒し 病気になり やがて鬼籍の人となる。

『今の 自分。
あるがままの自分を 見せてくれれば いいんだ』

思わず テレビに向かって 叫んでいた。
頭が 禿げていようが 額に波の門をうとうが
腰が 曲がろうが それでいい。

なにも 新たな自分を 作ることは何もない。

ところが 永遠に変わらないものが
世界中で 1つだけある。

【真理】

いつ どんな時でも 永遠に変わることのない
正しい物事の 道筋だ。

真実で 永遠不変の 理法だ。

私たちは 立場が変わると 心もかわる。
今までの 友人が 急によそよそしくなったり
逆に 失敗した人は より一層 卑屈になる。

真理とは
偉くなろうが
有名になろうが
金持ちになろうが

決して 変わることのない心を いう。

テレビにでた 往年の有名人も
変わることなく あるがままの声で
あるがままの姿で
私たちを 青春の真っ只中に 返して欲しかった。
合掌

【人に まつにきたらず 人を 待たぬに きたる】

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【小豆島霊場 第80番 子安観音寺】

本堂再建の槌音が 日増しに大きくなってくる。

未曾有の強風で 本堂再建を余儀無くされ
地鎮祭を 厳修したのが 昨年の 暮れ。
工事着工して 5ヶ月が くる。

ニコニコ 笑っていて 本堂が新しくなれば
それに 越したことがないが
世の中、そんなに 甘いものではない。

然るべきものを 然るべきとき
然るべきところに
お支払いしなければならない。

『小豆島 巡拝の 春遍路のシーズンも
ゴールデンウィークも 芝桜も 終わり
また、お遍路さんや 信者さんの
地元まで お伺いして お願いをしなければ』

なんと、僧侶の身で カネ カネと 醜い。
そう 仰るだろうが 必死でなければ
絶対に 建たないし、
と、いって 今さら 後戻りもできない。

わたしと 同じように
大勢の人々が どうにもならない
思うにまかせない 毎日を送っている。

【人に 待つに来らず、人を 待たぬにきたる。
かく おもうこと かなはぬあり
至道無難】

この 此岸の世界において
私たちが 求め願う通りにはならない。

【待ち人 来らず】とは 待てども 待てども
自分の 願っているののが 手に入らないこと。

ずっと 前々から 『きっとこうなる』と
大きな期待をしていたのだが 駄目だった。

受験生が【合格通知】を
心待ちにしているのも そうだし、

『もし、3億円 あたったら
何にどう 使おうか?』と、
心 ときめかすのも その通りだ。

【人を 待たぬに きたる】は
会いたくない人とは よく出くわすものだ。

【不合格通知】も そうだし
抽選から外れた 宝クジも 唯の紙屑と化す。

この世は このように 思い通りにはならない。
これが 人生であり 【苦】なのだ。

四諦 八正道 中道と 私たちは 勉強したね。

この 思い通りには ならないとは
私たちの【欲望】である。

欲望は 今の現状に満足できず
次から 次へと 手にしたがるものだ。

これを 無くさなければ 私たちの
【苦】は なくならない。

その為には 【八正道】の 実践が必要だ。

本堂再建も カリカリ 思い悩まなくて
『なんとか なるだろう』と、
大盤石の上に 座して居られたら
楽だろうね。

【抜苦与楽】
苦を 抜いて 楽を 与う

どうも わたしの 戒めのための
言葉のようだ。
合掌

【餓鬼とは 何かに捉われ しがみついている 姿だ】

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燕の 鳴き声が騒がしい。

庫裡の軒先に 巣ずくりをしていたのだが
どうも 新しい生命が 誕生したらしい。

わたしの寺に お手伝いにきていたお坊さんも
【施餓鬼供養】と 称して
毎日、決まって 小鳥に餌をあげていた。

わたしも 毎日とまでは いかないにしろ
供養の 実践をさせて戴いている。

子供の頃は 子供の事を
『ええい このガキは ! 』などと 怒っていたが、
子供は 大好きなお菓子やチョコレートなどを
与えられると、いくら食べても これでいいという
満足をしらず 貪り食う。

お腹が 一杯になってもまだ 食べようとする。

満足感をしらないで ガツガツするところから
子供の事を『がき』と 呼ぶようになったんだね。

【餓鬼】の 絵って 見たことあるでしょう。

痩せ細って 目だけギョロギョロして
おなか デンブクで 食べ物は全て 火になって
食べることが できない。

この 餓鬼が 3つに 分けられるのだ。

⚫︎無財餓鬼
一切の財産を持たず いつも 真っ裸でいる。
道に落ちている 馬糞でも食べようとするが
その馬糞さえ 口まで持って行くと
メラメラと 炎を発して燃えてしまう。

⚫︎小財餓鬼
小乗仏教のお坊さんは 三衣一鉢と いって
あまり 不必要な物は 持たないが
この餓鬼も ボロ切れ一枚 纏っているだけだ。
残飯や 腐水のような物しか 摂取できない。

⚫︎多財餓鬼
これが 1番 厄介な 餓鬼だ。
有り余る 財産を持っていて
山海の珍味を たらふく食べ
贅沢三昧の 毎日を おくっている。
しかし 餓鬼なのだ。
常に 自己の所有物だけでは 満足をせず
不平不満をもち 愚痴を言っているのだ。

そうなのです。

【餓鬼】といっても 子供に限ったことではない。
大人でも 不平不満の心を持った餓鬼が一杯いる。

物欲、金銭欲、名誉欲、性欲、
指をおって 数えても 枚挙にいとまない。

餓鬼とは【とらわれた】【しがみついた】
浅ましい心のことを いうのだ。

私たちが この餓鬼道の世界から 逃れるには
【とらわれから 離れる】【手放す】
ことが 必要だ。

そう 【布施】の 心を持つことである。

お金は 持ってなく、智慧は たらず
取るに足らない わたしたちだが
自らの 力の限り 精進させて頂くことに
布施行が ある。

施すことによって 【感謝】と【満足】がある。

さあ、雛が 生まれた ツバメに
餌を 供養しなければ。
合掌

【法事は 真っ先に お坊さんを 供養するもの】

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ご法事が あった。

7回忌の法要も 恙無く終わり
お斎の タイムと 相成った。

住職の 新旧交代式【晉山式】の
3日後に 膵炎を発病し
それ以来 アルコール厳禁の日が続いた。

3年目だったか
禁酒していたのを 解禁して
恐る恐る戴いた 梅酒の 美味しかったこと。

元々 嫌いな方では ない。

自分に言って聞かせ 自制している積りでも
量は少しずつ 増えてきた。

これでは 本当に駄目になる。
そう 思った 矢先の 法事だった。

『えっ'お飲物 ?
じゃー グラスに 赤ワイン 1杯だけください』

わたしと お店の方との 遣り取りに
お施主さんが 驚いた。

『何を 言っているんですか 老僧。
大好きなブランデーを 用意していますよ。
法事の度に 召し上がっていたのを
忘れては しませんですよ』

『わたしの為に こんな 配慮まで、、、。
喜んで 頂きます』

勿論 ブランデーが 欲しくて
戴いたのでは ない。
お施主さんの 心意気を 戴いたのだ。

話が 変わるけれど 昔 このお施主さんと
こんな話を したことがある。

『こんな盛大な お斎までして頂き
しかも ブランデーまで用意して戴いて
ありがとうございます』

『いえ、これは 母親に参ってくださっている
皆さんに 差し上げるので
なにも あなた1人に しているのではない』

『そうですね。
檀家の方達も 本来のお斎の意味を 知らないから
法事が 終わって
「お寺さん、ありがとうございました。
このあと、家族で 一献しますので
あなたは 寺まで 送らせてもらいます」
と、坊さんを 寺 直送の お家があります』

本来の【お斎】の意味は
当日 お参りしてくれた人に 食べて頂いたり
何年かぶりに 親戚が集まったからと
別席を用意して 飲み食いをするものではない。

お茶の 1杯。お菓子の 1つで いいのだ。

供養してくれた お寺さんに
先ず、第一に 接待することが 本当なのだ。

2500年前の 釈迦と 阿難尊者との話は
もう 何回もしたね。

座禅瞑想している 彼のところに
餓鬼が 現れ『お前は 3日のうちに 死ぬ。
そして 私たちのような 醜い餓鬼に
生まれ変わるだろう』という。

釈迦に 助けを求めるが
「施餓鬼棚を 作って新鮮な山海の珍味を
供養しなさい。
そして 餓鬼供養の 法要を営んでくれた
お坊さんに 同じように供養しなさい。

きっと あなたは 救われるだろう』

と、お教えを頂き
その通り 追善供養を行い 命を救われた。

【仏説救抜焔口陀羅尼教】の 中に
釈迦の 教えとして 説かれてある。

『それを 考えると このように
山海の珍味で 供養してくださるし
ブランデーまで 頂けるし

ご先祖さんも 餓鬼どもも
みんな 喜んでくださっているに
違いありません』

『それは そうと 老僧。
今、1杯の 赤ワインを所望と聞きましたぞ。
ブランデーの 後に ぜひ お飲みください』

『あちゃー』
合掌

【欲望という鬼が 次から次へと 襲いかかる】

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ゴールデンウィークで みんな里帰りをしてきた。

1人 2人 3人、、、6人いる。
今年、住職の家族に生まれたら 7人だ。

有難いね。
全員、元気だし 素直な子に育っている。

1番 年上の 孫が言った。

『じじ、わたしの お友達の家族は
みんなで ハワイへ 行くんだって。
わたしは 小豆島、、、』

『ありゃ ! あなたと 一緒では ないの。
凄いねー。
小豆島も ハワイも 海外旅行』

『ちがうの ! 友達は ハワイ ! 』

『でも、ハワイにも 小豆島にも 行かないで
お家で ゴールデンウィークを 過ごしている
お友達も いるでしょう ? 』

『居る。たくさん いる』

『そんな お友達から 考えると 小豆島でも
ママに 連れてきてもらって 感謝しなければ』

わたしたちが
仏前や 墓前で 手を合わすということは
み親である 仏様に感謝をしている 姿勢だ。

わたしたちは 仏さまの 命をお借りして
しかも ありとあらゆる 恵みを
与えていただいて 今、生かされている。

唯 残念な事に この頃の世の中は
人の心が 希薄であるとともに
この大事な心、感謝の心も
薄れてしまっているような 気がする。

現代の 日本のように 物質が多く
平和と 栄華のなかで 暮らしていると
人は すれに慣れてしまい
⚫︎もったいない
⚫︎おかげさまで
⚫︎ありがとう
という 美しい心が 消えてしまい
それが 当たり前と 思ってしまう。

それが成就しなかったら 不平不満がでて
腹を立て 膨れてしまう。

【物 豊かにして 心 貧しき時代】
【物で栄えて 心で 亡ぶ時代】

物に 心がそぐわない 不均衡な事をいう。

古いお家や 古寺なんかに いくと
【鹿威し】ってあるね。

竹筒に 水が一杯になると均衡が保たれなくなり
『カタン』と 音をたてて 水を排出する。

別の名を 【知足】、足るを知るという。

自分の器に 少しの水がたまれば
感謝の心に 気づくしかけで水を落とすのだが
それを【小欲知足】という。

今、わたしたちが
1番に考えなくてはならないことは
[欲 少なくして 足るを知る]と、いうことだ。

『イチゴ狩りをして、貝を掘りに行ったり
他のお友達が できなかったことが できた。
それだけでも 感謝しなければ』

『そうだね。その通りだね。

でも、ジジ。
いつか ハワイに 連れていってね』
合掌

【小欲知足 裸の王様に ならぬように】

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ご法事に いった。

お斎の席で いつも新鮮な魚を くださる
檀家のおじさんと 隣り合わせの席となった。

定年退職してから
大好きだった釣りをはじめ
今や 小舟まで漕ぎだす 本格派だ。

『いつも ありがとうございます』

杯をかさねる前に お礼をいったのだが
おじさんの言葉に 有難かったり
驚いたりした。

『いつも 良い魚だろう?
実は 獲れた魚を 3つに分けているんだ。

1番 良いのを 寺に持って上がって
普通のを 友人や隣近所に配る。

そして 少し 傷んでいるのを
家で 戴いたり 親戚に持って行く』

『先日も こんな事が あったんだ。
その日は 獲るにはとったのだが
どれもこれも 小さな魚ばかりだ。

そこで 友人に 聞いて見た。

そうしたら 友人は 顔をしかめて
こんなものを 寺に持っていけるものか。
失礼にも ほどがある そう言うんだ。

結局は 家で戴いて あとは
海に 戻してやった』

驚いたね。
さほど 気にも留めないで戴いて居た
魚が 選りすぐった上物だったのだ。

『そんな 配慮をしてくださっていたとは
知りませんでした。
ありがとうございます。

でも これからは 皆さんと同じものを
戴いた方が 嬉しいです。

寺が 生き物を 云々するのも妙な 話だが
実は 戴いた魚は 寺内が頂くより
参拝して来られたかたに 振るまっているのだ。

【うどんの寺】として 参拝者すべてに
残らず おうどんの接待を始めて 久しいが

同じく 獲れたての 魚を接待すると
本当に 喜んでくれる。

だから 上等な魚を 頂くよりは
おじさんが 海に返したぐらいの小魚を
出してあげれば 本当にいい接待になる。

釈迦が にぜれんがの畔で 【初転法輪】
悟りを 開いたとき、

人は 因縁によって 結ばれ
人と 人とが 布施行によって 互いに助け合う。

四諦 八正道を説き 【中道】を といた。

先に 進みすぎても いけない
遅れを とっても いけない
その 真ん中を 通るのだ。

有難い事だが、
最上級の魚を奉納してもらって喜ぶようでは
【裸の王様】に なりかねない。

『あんたが そんな事を 言っても
寺に 二級品の 魚を 持っていけるもんか! 』

おじさんが わたしに 大声を出したときは
既に かなり 酩酊していた。
合掌

【わたしたちが しあわせになる 秘訣は なんだろう ?】

ゴールデンウィークで
孫たちが 小豆島に帰ってきた。

ジジには 孫が 6人居て
この秋には 7人目の孫が誕生する。
孫たちの 帰島、帰寺は年寄りにとって
嬉しくて 仕方がない。

ところが この豆台風は
歓迎する人ばかりでは ない。140504-1写真


世間一般では お嫁さんや お手伝いさんは
あまり 歓迎の顔は しないらしい。

ドンチャン ドンチャン お祭り騒ぎをして
『それでは さようならねー』で 帰ると
あとは 洗物から始め奉り 掃除の山となる。

『しあわせに 生きる方法で
その ポイントを 1つ あげると なんだろう?』

そんな質問を されると
みなさんは なんと 答える?

『たった 今の しあわせに 気づくこと』

これが 正解です。

漫画の 【ドラえもん】に こんな話がある。
のび太は {どくさいスイッチ]を つかって
嫌な人、嫌いな人を 次々と 消してゆく。

とうとう のび太 1人が 残ってしまう。

全てが 我が思うがままになり
楽しく 嬉しかったのだが
次第に 1人では生きていけないことを 悟る。

そして 全てが 元に戻ったとき 呟く。

『まわりが 煩いってことは 楽しいね』
『思い通りに ならなくても 嬉しいね』

わたしたちは 思い通りに ならまいが
周りが 煩くってしかたがない 中にも
【しあわせ】を 見つけることができる。

どんな出来事にも プラスに見える局面と
マイナスにみえる 部分がある。

1つの 物事が できたとき
さて どちらを捉えた方が 幸せになるだろう。

しあわせを 感じるのは
起きる出来事が 決めるのでは ないのだ。

全て あなたの 心、
私たちの 心の持ち方によって 変わるのだ。

正月や お盆に 里帰りをする。

お嫁さんや お手伝いさんは
ふくれっ面で 迎え 仏頂ずらで 送るよりも
笑顔で 迎え 笑顔で 送る。

これが 自分の しあわせになる秘訣だろうね』

仏頂面しても えびす顔しても
里帰りをするのには 間違いないのだから。
合掌

【うかうかしていると あっと言う間に 年をとってしまうよ】

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あっという間に 八十八夜に なった。

取り返しのつかない
怠惰な日を重ねている あいだに
1年の 四分の一が 過ぎさってしまった。

孫と 芦屋川を 渡る。

『ジジ、ほんの少し前まで
桜の花が 満開で たくさんの人が
お酒を飲んで 楽しんでいたのにね。

ハラハラと 散ってしまったあとは
人間って 見向きもしないね』

【ひさかたの 光のどけき 春の日に
しずこころなく 花のちるらむ】
紀友則

麗らかな 春の日差しの中を
全盛を誇っていた 桜の花が散ってゆく。

こんなに 長閑な 春の 1日なのに
どうして 花びらは
こんなに慌ただしく 散ってゆくのどろう?

【春宵一刻 値千金
花に 清香あり 月に 陰あり
歌管 楼台 聲 細細 鞦遷 皖落 夜沈沈】

蘇軾

春の宵は 一刻が 千金に値するほど素晴らしい。
花は 芳しく香り 月の光が さやかだ。

先程まで 盛大に繰り広げられてあった
歌舞管弦も、今はひっそりと 静まり
ただ 中庭のブランコが ユッタリと揺れ
宵が 更けてゆく。

杭州の 副知事だった 作者は
これといった 仕事もなく
有り余るほどの時間を
自分の快楽にために 使うことができた。

歌舞音響の中で 芸妓と 馬鹿騒ぎをして
祭りが 終わったあとの 虚しさ。

月が さやかに 輝いている
楼閣の 中庭には ひっそりと
ブランコが 揺れているだけ。

この 大切な 一刻が 値千金の 春の日に
怠惰な勿体無い いっ時を過ごしてしまった。

桜は 散り行き
夏気にケラし白妙の 衣ほすてふ 天香山。

サツキが咲き、バラがさき、紫陽花が色ずき
やがては 朝顔や ひまわりが 目を楽しませる。

うかうかしていると
あっと言う間に 年を とってしまうよ。

あなたも、あなたも、
もっと することがあるでしょう ?

無駄な時間を 費やしていたら 勿体無いよ。

孫と 渡った 芦屋川の 桜並木が
そのように 教えてくれたような 気がする。
合掌
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