スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

【 奉仕 の こころ 】

140630-1image.jpeg
140630-2写真
【大本山 小豆島大観音】にて
恒例の 草刈り奉仕があり 汗を流した。

今日は、檀家の有志、 信者のみなさん
あわせて 30人ぐらいだったが
僅か10年前ぐらいまでは 参加者も多かった。

各 班が 軍隊のように縦横十文字に整列する。

『⚫︎⚫︎班、隊長⚫︎⚫︎以下 15名、
本堂前の 広場に 向かいます』

『⚫︎⚫︎班、⚫︎⚫︎以下 13名、
駐車場に 向かいます』

鉄砲が 草刈り機や 電動のこぎりに
代わってはいるが みんな戦争経験者だ。

この 10年 20年で 殆どの人たちが
参加できなくなったが
続けることが 1番だと 奉仕して くれるのだ。
最近の 家庭教育の 大半が
[ 人に 迷惑を かけない子供に 育てる] だ。

そして 袖擦れ合うも多生の縁とやら

いろんな 人々、森羅万象 全ての ご縁によって
助けられ 育まれているのだから
報恩感謝の 日暮らしを しなければならない。


最近の 風潮として 他人に迷惑をかけない かわり
向こうの方から 迷惑を掛けられることを嫌う。

【我関せず】

自分の世界にだけ 浸り 自分さえ 良かったらいい。
残念な ことだね。

ここに 最澄の 【発願文】が ある。

【 人身を 得て いたづらに善行を なさざるを
聖教は 空手と せめたまえり】

【 よく 行い よく言うは 国の 宝なり 】

自身の 体を 働かせ はたの人を 喜ばせる。

布施行の 実践で 草刈り奉仕は 無財の 七施の
【身施 】だと 何度も 話したよね。

そして 更に いう。

【 智目行足】

学んだことは 頭のなかで 溜めておくのではなく
即、実践することこそ 意義がある。

そして して頂いたほうも
【あたりまえ】で なく

おもてなし に 対する
感謝の 気持ちを 持たなければ ならない。

電車の なかでも。
街の なかでも。

明日こそは 晴れて
快適に 草刈りが したいね。
合掌
スポンサーサイト

【衆生 ちあんにして 自ら 覚に 由なし】

140629-1image.jpeg
140629-2写真
ブラジルで 行われた W杯も
日本は 1次予選 敗退という 結末で
幕を 閉じた。

【最後の晩餐】では ないが
一同が 会した最後のミーティングは
涙の 解散式と相成った。

アルベルト ザッキーニ監督 (61) は
責任を取って 辞任を 表明した。

『4年間、一緒に 戦ってくれて ありがとう。
中略
全ての 責任は 私にある。

しかし もう一度、W杯の メンバーを
選ぶとしたら 私は きっと
同じ メンバーを選ぶだろう』

それを 聞いて 主将は

『わたしが 見てきた中で
本物の主将は 君だけだよ と言ってくれた。

胸が 一杯に なった。

監督に 勝たせて あげたかった』

人目も 憚らず 号泣した。
自分たちも 含めて 監督のために泣いたのだ。
素晴らしい 監督だし 羨ましいね。

私のために 一体、誰が 泣いてくれようか。
【衆生 懝暗にして 自ら 覚に由なし
如来 加持して その 帰趣を 示したまえ】

一流の 棟梁は 材料の特徴を活かせて
立派な お家を建てる。

同様に 良き指導者は
人の 特長を生かして 力を 発揮させる。

優れた 宮大工が 樹齢 1000年の 木を使えば
千年 過ぎ去っても 微塵も動かない
神社仏閣を たてる。

木の 性質によって 真っすぐ伸びる木や
あちこちに 曲がりくねる 性質の木も ある。

木の 性質や 育ち方を 見極め
癖や 特長にあわせた 使い方をするのが
一流の 棟梁である。

【良き 指導者】然り

人を 用いるときは
個性を 奪うことなく 能力や性格に 応じた
最適な 場所を 与える。

それぞれの 個性を お互いに活かせて
尊重しあうことで 人は 持っている以上の
力を 発揮する。

そして 【入我我入】。

一つの 大きな 和が 生まれる。

監督を 中心に 選手一同が 号泣したのは
その せいでは なかっただろうか
合掌

【 人類の 公益に 寄与する 良い国 とは】

140628-1image.jpeg
140628-2写真
今年の [ 人類の公益に寄与する 良い国 ] の
順位が 発表された。

この結果に
韓国が 日本よりランクが 下ということに
大ショックを 受けたことが 報じられた。

国連や 世界銀行が 7大分野 35個の
座標を 競うのだ。

科学技術、文化、国際平和、安全保障、

世界秩序、地球環境、繁栄 平等、保健福祉、

アイルランドが 1位
フィンランド 2位
スイス 3位

因みに

日本 25位
韓国 47位

アメリカ 21位
ロシア 95位
中国 107位

韓国は 科学技術を はじめ
映画 ドラマ 文化面で 34位だが
国際平和維持活動等が119位で
順位が さがったようだ。

日本は [人道支援] が 評価されたようだ。

【公益】
私益、利益 利己のためでなく
[利他]のために 行うこと

まさに 我が [弘法大師 ] 空海の 説いた

⚫︎即身成仏

⚫︎済世利人

⚫︎密厳国土

その通りで ある。

真ん中の 【済世利人】は
世を救い、人々に 利益を施すことだ。

この [ 利益 ] は
りやくであって りえきでは ない。

この身 このまま 仏になるという
即身成仏の教えも これを現実のものとして
多くの人々に 現世の しあわせを
与える ことである。

かも 有名な 讃岐の国にて
【万濃の 池】を 作ったとき

『これを 掘る人は 人力なり。
馬車霧のごとく 集まり
男女 雲の如く つらなる】と ある。

【公益】も 然り

自分や 自分たちが したいこと
What では なく

求められている
niーzu に 基づいているからこそ

共感する 人々があつまり
労働や 資金 【布施 】なども
協力する 人の和が 広まるので ある。

公益に 寄与する 良い国の ランクも
早く 1位に なりたいね。
合掌

【 賢者の信は 内は賢にして 外は愚なり 〈愚禿鈔〉】

140627-1image.jpeg
140627-2写真
女性が 鏡の前で 化粧をする。

綺麗だ。
白粉(おしろい) で よそおい めかしこみ
そして 化けるのだから。

わたしも テレビ局で
『 口紅 を 塗りますか ? 』
と 聞かれて ビックリ仰天したことが ある。

美人と言えば 尼崎での
大量殺人という痛ましく 悍ましい
事件の 舌の根の乾かぬうちに

福岡で 複数行方不明者が 出たということで
リサイクルショップを 経営する
夫婦が 逮捕された。

人面夜叉、人面獣心 だね。
写真で見る限りでは 綺麗な人なのに。

親鸞の [愚禿鈔]に このように書かれている。

賢者の 信を聞いて 愚禿が 頭を顕す

賢者の 信は 内は賢にして 外は 愚なり

愚禿が心は 内は愚にして 外は 賢なり

本当に賢い人は [智慧]も[知識]も 具わっているが
外見は 愚者のようにして
自分を 飾ることも 魅せびらかすこともない。

愚かな人は [見栄]や [体裁]ばかりが優先して
外見は 如何にも智慧が在るが如く振舞うが
付き合ってみれば 鍍金がはがれてしまう。

そこで 冒頭の
[賢者の 真の心を 知るほどに
愚禿の 心は あらわに なる]

身だしなみなら 良いけれど
異常に 塗りたくって化粧をしている
その 人の ようだ。

[愚かなくせに 賢そうに 振舞っている 私]
が 見える。

賢者の 【信】の ありかたと
愚者の 【心】が 一体となり

それを【信心】という。

真心とは 子供が 親に 縋るが如く
純粋無垢で なんの 疑いもない心のことだ。

煩悩に 苛まれて それでも 嘘の上に嘘を重ね
虚実の日々を送る 愚者と
なんの 屈託もなく あるがままをみせる賢者。

わたしたちが 生きるうえで
どちらが 素晴らしい 道なのだろう。
合掌

【我が事に おいて 後悔せず 宮本武蔵】

140626-1写真
『あんちゃん ( 長男 ) が エライことになった。
先生、助けて おくれなはれ。

お陰を 貰うて 無事 解決したら
どんな お礼でも させて貰うさかいに』

神戸の 信者さんから 電話が かかった。

「本人が 責任を持った 生活をして
おばあちゃんの 信心の心があれば
ご本尊様は きっと お願いを効いてくれます」

剣豪 宮本武蔵の 【独行道】の 第5条。

《 我が事に おいて 後悔せず 》

聞きように よると

「私は 何をしても 後悔なんか しない」
「今まで 石橋を叩いて渡ったのだから
もし 失敗しても 決して後悔しない」

大変 傲慢な 語意に聞こえるが 違うのだ。

その場 その場で 後悔したなんて
チャランポランな事を 言わないで
自分を 誤魔化さないで 真を貫いてみなさい
そう 言っているのだ。

《自分そのものに 責任をもった生き方をしなさい》

[独行道) の 第1条に このように ある。

〈 神仏は 尊し、しかし 神仏は 頼まず〉

これも 難しいことを 言っているね。

神仏は 大変 尊いものだから
信心の 心をもって 仏に 縋りなさい。
しかし 決して あれこれと
お願いごとを しては いけない。

私たちが 本尊にむかって 祈祷するときも そうだ。

先ず 我が 心と 身体を 清浄に洗い流すこと。
祈祷する前に 供養をする。
その後に、お願いに はいるのだ。

武蔵の
〈神仏は 尊し しかし 神仏は 頼まず〉は

『おかあちゃん 助けて ! 』

心から 母親に 縋り 抱きつき 泣きなさい。

しかし

『オッパイを ください』
とは 決して 言うなと いう。

電話の おばあちゃんは お陰を頂いた暁には
如何なる お礼も 厭わぬと 仰った。

自分 そのものに 責任をもった 毎日を送り
お陰という 代償を 考えないで
只々 おすがりをしなさい。

そうすれば
ご本尊は きっとお願いを 聞いてくれるから。
合掌

【梅 一輪 一輪ほどの あたたかさ】

140625-1写真
とうとう 梅雨を 迎えてしまった。

[梅 一輪 一輪ほどの あたたかさ]

服部嵐雪の だれでも知っている詩だが
何故か 春先が 懐かしい。

今は 季語で春といえば 桜をさすが
元々は 梅であったらしい。

まだまだ 寒さ厳しいなか 桃の花が咲いた。

『こんな 寒さのなかで もう 花が咲くのか』
目を細めて 桃の花に 夢中になっていると
どこからか 甘酸っぱい梅の花の香が漂ってきた。

『どこから こんなに素敵な香が するのだろう』

匂いを頼って いけば
見事に 咲き乱れていた花の上で
ウグイスが 鳴いていた。

中国の載益の[探春詩]にも このようにある。
これも 以前 紹介したね。

尽日 春を訪ねて 春をみず
芒螇( 横は 革編]踏みあまねし 隴頭の雲
帰来して たまたま 梅花の下を 過ぎれば
春は 枝頭にあって すでに十分

春が 来たと 聞かされて
遥か遠い 国境まで行ってみたけれど
春は 居なかった。
ガッカリして家まで帰りふと梅の木を見上げたら
花が 零れんばかりに ほころび
春は そこまで 来ていた。

厳寒の中の 『はやく こい』と、
春が 来るのを 待ち侘びる。
人間なら 誰でも こころまちにするものだ。

これは 私たちは
【しあわせ】が 来るのを 待ち望んでいるのだ。

空海の 【般若心経秘鍵】に ある。

[それ 佛法 遥かにあらず
心中にして すなはち ちかし]

チルチルと ミチルが 青い鳥を求めて
ありとあらゆるところを
探し求めたが ついに 見つからなかった。

肩を落として 家までたどり着くと
青い鳥は お家の鳥かごで 囀っていた。

仏法でも おなじ。

しあわせを 求めて 努力をするが
しあわせは どこにも いなかった。

はっと 気がつけば
しあわせは 自分の 心の中に いたのだ。

自分の 考えかた1つで
しあわせにも 不幸にも その瞬間に なるのだ。

[梅 一輪 一輪ほどの あたたかさ]

梅雨を 迎えて この詩をよみ
とんでもない物を 思い出してしまった。
合掌

【 朝 (あした) に 道を気かば 夕べに死すとも 可なり (孔子) 】

140623-1写真
朝顔が 咲いた。

空海は [ 月の 真ん中 日の 真ん中 ]
6月の 15日に お生まれになって
【中道】を お説きに なった
なんて 言って いるあいだに

既に [ 夏至 ] まで 通り過ぎてしまった。

ダラダラと 怠惰な毎日を 送っている間に
あっというまに 1年の 半分が
猛烈な 速さで 駆け抜けたのだ。

平均寿命を 80歳と 仮定すると
この 無駄な日々を 80回 繰り返すと
一生かかって 築き上げたものを
全てこの世に残して 旅立たなくてはならない。

【時】は 1秒たりとも 待ってはくれないのだ。

【朝に 道を気かば 夕べに死すとも 可なり】

有名な 孔子の 教えだ。

あしたに 人として大切な道を聞いて
悟ることが出来たならば
いつ この人生を終えても かまわない。

人生を 漫然と過ごすのではなく
毎日を 大切に 真剣に生きていれば
人間、いつ 死んでも 悔いはない。

ところが 残念なことに
わたしたちは 死の直前に
『あなたは 満足して 旅立てますか?』
と、きくと そうはいかない人が 多いだろう。

あれも しておけば よかった。
これも しておけば よかった。

くだらぬ事で 我を張りとおし
もし やり直せるのなら
キッパリと リセットして

新たな 道を進んだ方が
よほど 楽しいし 身にもついた 事だろう。

各々が 各々の ことを 悔いる。

そして わたしたちが 旅立つときは
思っているより ずっと 早いのだ。

ある ご老人は

『還暦の頃は 死という目標が目の前にあったが
80歳を 越した今は 死という ゴールラインが
向こうから 大きな音とともに やってくる』

その ように 仰った。

死の直前に 云々ではなく
寝る前に 今日 1日の 反省と
明日の スケジュールを 見直してみれば いい。

日々 これ 好日なり
合掌

【 人の苦しみって こんなに 痛いものだとは 思わなかった】

140622-1写真
大学病院に 知人の お見舞いにいった。


寺に 1本の電話が かかった。

先日、元 大リーガーと結婚した 有名人の母親だ。
腰の 調子がとても悪く
とうとう 思い切って 手術をしたそうだ。

『夢の中で 法主さんの 唱えるお経の声に
勇気付けられ 無事、手術が終わりました』

知らなかった ものだから
あくる日の 今日、大慌てで 見舞ったのだ。

ところが 病院にいってみれば
病状は 思ったより かなり悪いのだ。

全部で ボルトを8本 埋め込み固定したのだが
そのうちの 1本が 少し歪んでいて
とても 痛く その ときどき
病院中 響き渡るような大声で喚くのだそうだ。

『手術の 成功とか失敗とかを 云々するのではない。
この 病院に 全てを 託したのだから。

これから この痛みを どうするかが
最大の 課題なのです。
法主さんも お知恵を かしてください』

「いや はて わたしは 寺に帰って
奥さんが 痛みから解放されるように
本尊さんに一生懸命に お願いするだけです」

『わたしは 小さなときから 母親に連れられ
小豆島 八十八ケ所 霊場巡拝をさせて頂き

困った 人がいたら 手を差し伸べるのよ
と、いい聞かされて いました。

常に 母の教えにしたがい その様に
実行させて 頂いておりましたが

人の苦しみって こんなに 痛いものって
思わなかった』

わたしたちは 自分がされて 嫌なことは
決して 人にはするなと 教えられてきた。

他人を 傷つけることすら 大逆罪なのに
実の 親が 子供を【虐待】するのだ。

その 言い訳が
『ムシャクシャ していたから』
『子育てよりも 新たな 彼氏のほうが
大切だったから』

監禁しておいて 水も食べ物も 与えないで
「食べ物を 与えないで 死ぬと思ったか?」
の 質問に なんの屈託もなく「はい 」

そっちは 良いかもしれないが
されたほうは たまったものではない。

お見舞いに いった 奥さんは
自分が 体験してみて
本当の 産みの苦しみを はじめてしった。

【慈悲】という 言葉が ある。

仏の心で 人の 気持ちが分かる。
相手の 立場に立って行動する。

【慈】
純粋な 愛情で 見返りは求めない。

【悲】
相手の 悲しみ 苦しみを 自分のこととして
考える。

『慈悲だとか いつくしみとか
言葉では 分かっていました。

しかし 助けを求めている人の
悲痛な叫びは それを 体験した人でなければ
理解できないのです』

1人 1人が それを体験したならば
人を 苦しめ 困らすような 無慈悲な人間は
絶対に 現れないで あろう。
合掌

【慈しみの こころ】

140621-1写真
140621-2写真

【小豆島大観音】
近所に お住まいの おじさんが言った。

『都会に出ている 孫から 連絡があった』

「大観音、芝桜が 綺麗だったのでしょう。
ネットで 載ってましたよ。

ついでに 寺のじいさんが 【ジジの 一言】 という
ブログ、毎日 書いているよ」


『綺麗だったよ。
家で居ながらにして 心から楽しませてもらった
と返すと 来年は 帰ってこようかな なんて』

芝桜の 話を聞き、わたしの 4つの寺に
それぞれの 花を 植樹したことが 頭をよぎった。

【小豆島霊場 第81番札所 恵門ノ不動】には
3000本の 紫陽花を 2年間にわたって植樹した。

地元を 活性化させようと 寺内だけでなく
檀家や 地区のみなさん、旅館のおじさんまで
総出で 植えたのだ。

ところが 残念なことに
植えた紫陽花は 今、ほとんど 残っていない。

「鹿が 食べたよ」
「どこそこの おじさんが 持ってかえったよ」

言い訳は あちこちから 聞くが
本当の理由は 花への愛情が 足らなかったのだ。

わたしの 孫をみても そうだ。

産まれて 3ヶ月になる 孫は
両親の 愛情を一身に受けて 育まれているが
24時間 朝昼晩のない 生活というのも
親にとっては 大変な事である。

住職の 子供は 3歳になるが 昨年から
保育園に 通いはじめた。
2歳 そこそこで 保育園とは 本人はもとより
親も 大変だね。

学校へ いったら いったで
学校、塾、習い事と これまた
本人も 親も 大変だね。

無理矢理に 大変だねを 3回 つかった。

父は 子供のためにと一生懸命 働き
母は 人生の 大半を 子供のためにと費やす。

そんな中、
新聞紙上で 【虐待】という 文字が おどる。

それも 我が腹を 痛めて産んだ
実母が 実子を 虐待をするのだ。

縁ありて 結ばれた 親と 子供。

親は 常に お観音様のような
【慈しみの 心】で 愛情を 注ぐ。

子供は その後ろ姿をみて 【感謝】して育つ。

慈しみの 心が なければ
我が子も 木も花も 枯れ果ててしまう。

加藤登紀子の【息子】という歌がある。

その 詩を口遊みながら 筆を おこう。

母の 胸にだかれて お前は生まれた
喜びの 朝を はこんで

寝顔を 見つめるだけで 嬉しさが あふれる
父は お前の 明日を 祈った

夜には 母さんが 眠りもせずに
ミルクを あたためた

朝には 父さんが お前を 抱きあげて あやした

合掌

【ブラジル サッカー サポーター 無財の 七施】

140620-1写真
140620-2写真
楽しみにしていた サッカーw杯も
最早 中盤になり
サッカーファンのみならず
国民の 目は熱く テレビに 釘付けだ。

我が日本も 初戦 2戦と 2回 戦い終えた。

初戦は 99% 勝ったかなと思った試合を
試合終了寸前に 逆転負けし、
2戦目は 相手チームがレッドカードを貰い
今日こそは 有利だなと思ったが 引き分けた。

今後、勝ち残るためには
勝ち続けるのが 絶対条件で
次の試合は 2点以上の 開きが必要だそうな。

なかなか 思うように いかないものだ。

そんな なか 日本のサポーターが
世界中の 注目を 集めている。

会場に入れない 100人の他国サポーターが
無理矢理 強行突破し 会場に雪崩れ込み
世界中の 大顰蹙を買ったが

そんな 中で 日本のサポーターは
試合終了後に 会場の ゴミ拾いをしたのだ。

各国のメディアは 色々 報じた。

【 衝撃を与えた 礼の 精神 】

【サッカーの 試合には 敗退したが
サポーターの 礼儀正しさは
多くの ポイントを 獲得した】

嬉しかったね。

儒教では 【道徳 モラル】を 重要視するが
世界中の 人間が
道徳心は 必要だと 称賛したのだ。

この頃は 日本においても そうだが

外国に 行ったとき
『なぜ 自分以外のものは 大事にしないの』
と、荒んだ現場と 荒んだ精神に
心を 痛めて帰って来るのだが

世界中の人たちも
本当は 互いが 互いを 助け合い
綺麗なのが 好きなのだ。

その 【モラル】を 宗教では【布施心】という。

【無財の 七施】

数え切れないくらい 勉強したので
この 7つ 覚えたよね。

なんの 見返りも 求めないで
隣にいる人に 愛の手をのばす
思いやりの 心をもつのが 布施だが

無財の 七施は
【 無一文の人でも 施しは 出来るんだよ】
と いう。

【眼施】
暖かい 眼差しで 接する
無一文でも できるでしょう。

【和顔悦色施】
いつも 明るい笑顔、優しい微笑みをたたえて
人に 接する。

【言辞施】
優しい 言葉で 人に接する。
頭ごなしに 叱られて 悲しい思いをする事あるね。

【身施】
自分の 身体で 奉仕をする。
まさに これが ブラジルにおいて
サポーターがした 【身施】なのだ。

【財座施】
隣の 人と 場所や 席を 譲り合う。
特に 電車の中では 大きな顔をして
座らないで 交代してあげる配慮が 必要だね。

【房舎施】
訪ねてきた 友人に 一宿一飯の施しをあたえ
労を 労う。

どれもこれも 私たちが その気になれば
直ぐに 出来るものばかりだ。

そして 見ていて 何ものよりも 美しい。

忘れかけていた 【道徳】を
気にも 掛けていなかった【布施心】を
サッカーを 通じて 思い出させて貰ったね。
合掌

【映画で ノアの箱舟 を 観た】

140619-1写真
神の怒りで 生きとし生けるもの全てが
大洪水に 呑まれて命を落としたが
ノアの 一家が 箱舟によって助けられた
そんな お話だ。

【仏教】と【キリスト教】とは
生まれながら 正反対だね。

仏教では 赤ちゃんは
【仏の子】として 良心をもって 生まれ

キリスト教では 【悪魔の子】
生まれながらに 悪い心を持って いるのだが

結果的に 仏心を持ち 限られた命を
悔いのない毎日を 送ろうと いうのは
どちらも 同じである。

旧約聖書によると

神が 作った 一番最初の人間である
【アダムとイブ】が
何不自由なくエデンの園で 暮らしていた。

そう エデンの園とは 仕事はしなくてもいい
好きな食べ物は 山ほどある そんな
パラダイスであり 桃源郷だね。

その2人が [絶対に 取って食べてはいけない]
善悪の知識の木の実 禁断の木の実
リンゴを 食べたね。

神の 怒りによって 多くのペナルティーと共に
当然 2人は 楽園を 追いだされるが
その 子孫である 今の人間は
アダムとイブの 子孫である故

産まれながらに 悪い子として 生を受ける。

前記したように ペナルティーを 持って
産まれてきたのだから

この世に生を受けた 暁には
仏心を もって 世のため人のために
尽くさなければ ならないのに

自我と 欲望 執着心のために
自分の田に 水を引くような事ばかりして
とうとう 命あるもの全てを
根絶やしして リセットしなおしてから
新たな 生き物を 作ろうとした。

そのためには 大洪水を 起こすのだが
善人であった ノア 一家と
全ての 動物の つがいだけを
【箱舟】に 乗せて 命を まもった。

やがて 水も引き 箱舟は 今の トルコにある
アララト山に 到着した。

漂流中に 長男の嫁が お腹が 大きく
船中で 出産をする。

長男の嫁が ノアに 言う。

『祝福してください。 お義父さん。
あなたの 可愛い 孫ですよ』

意に反して ノアがいう。

『神の 怒りに触れて
生きとし生けるもの 全ての命が 奪われ
最初から リセットとなった。

どうして わたしの家族だけ 無傷ですもうか。
女の子だったら 産まれたその足で
生命を 絶ってしまわなければ ならない』

家族の 懇願を余所に ノアは
産まれたての けな気な孫に 刀を向ける。

しかし いつまでしても 上げた手を
振り下ろすことが できないのだr。

『幾ら 神の仰せとは いえども
わたしには この子に 刀を 突き立てることは
できない』

長男の嫁が 大声で 叫ぶ。

『神が お試しに なったのだわ』

丁度 そのとき 神の 祝福の現象が 降りた。
神は 【慈悲と 智慧】を 優先したのだ。

利己主義で 自己中心的、私利私欲で
他人より 自分という 現代人。

神が 再び もう一度、1から やり直せと
大洪水を起こしたときに
【ノアの箱舟】に 乗れる 私たちは

一体、何人 いるだろうか?

合掌

【仏の 心は 慈悲と 智慧】

140618-1写真
この 季節になると 誰が言うでもなく
ホタルが 飛び交い カエルの合唱が聞こえる。

そして これで3度目 書いているのだが
亡き 母親を思い出して 物悲しいのだ。

『なかむらさ~ん できたで~ 生まれたで』

『お婆さんの 声に 取るものも 取り敢えず
寺に飛び上がりました』

もう ど存命だったら とっくに
110歳をそしているだろう お婆さんが
わたしの 生まれた日の事を 何度もいった。

【子安観音寺】に嫁ぎながら
母親は 10年間 子供が 授からなかった。

諦めかけていた時、わたしが授かった。

【月の真ん中 日の 真ん中】
6月 15日が お大師さんの 誕生日。
1日 遠慮して 16日に
玉のような子供が 生まれたのだ。

朝の 6時ごろ 里からきていた お婆さんが
寺から 真下の 中村のお婆さんを 呼んだのだ。

『人生、いろんな 喜怒哀楽があったけれど
わたしの横で 産声をあげている
あなたがいた時が 1番 しあわせな時だった』

ガンの苦しみの中で 末期の言葉がそれだった。

わたしは よく熱を出す子供で
母親は 今、カエルが 大声を奮っている池で
何度も 水行をして 病気平癒 祈願をした。

水音に きずいて池をみると
一心不乱に 水をかぶる 母親が いた。

わたしは 1人 泣いた。

昔は 夏のことなら 蚊帳を つっていた。
それも カエルと同じ 丁度 今頃だ。

息子の 喜ぶ顔がみたいと 仕事 忙しいなか
とってきた 一杯のホタルを 蚊帳の中で
はなした。

真っ暗な 蚊帳の中を 飛び交う ホタル、
綺麗だったなー。

お婆さんも 下のお婆さんも 両親も
とっくの 昔に 鬼籍の人となっているが
その 姿を見て 声を 聞くと 思い出して
胸が 苦しくなるのだ。

【虐待】

この 文字が 私たちの目に 踊るようになった。

虐待は 事件として 上げられているだけで
1年間で 7万件。
365で 割ると 1日 何件に なるのかな。

実の 母親が 子を虐待する割合が 6割、
真の 父親が 子を虐待する割合が 3割。
後の 1割が その他 らしい。

『いらいら したから』
『ムシャクシャ したから… 』

『そんなこと 理由に なるかー』

わたしは テレビの前でいつも怒鳴っている。

つまらぬ感情で 虐待する方は よしとして
される方は たまったものでは ない。

挙句の果てには 狭い部屋に 拉致されて
親の 愛情も得られず、外で友人とも遊べず
美味しそうな ケーキも食べれず

水も 食料も 無しで
やせ細って 死んでゆくのだ。

全てが 自分勝手から 虐待が 始まるのだ。

仏の お心は 【智慧】と【慈悲】だ。

如何にしたら この子は 喜ぶだろう。
出来ることなら 自分は大変でも
この子が 喜ぶようにしてやりたい。

これが 親心であり 仏の お心なのだ。

今の 父親 母親も 一刻も はやく
【鬼畜】から 離れて
慈しみの心を持って欲しい。

鬼が出てきて 同じことをされたら
されたくないでしょう。

今も 寺の 周りに ホタルは飛び交い
カエルが うるさいほど 鳴いている。

でも 素晴らしい 姿であり
素晴らしい 鳴き声なのだ。

お観音さんの 【慈悲】と【智慧】が
わたしの 周りを 飛び交って いるのだ。
合掌

【十字架は 1人で 背負っているのはない。みんな 同じく苦しいのだ】

140617-3写真
140617-4写真
【小豆島霊場 第80番札所 子安観音寺】
来年 秋の完成に向かって 急ピッチで
進んでいる。

本堂の 天井に【花丸】で 飾る。

内陣 100枚、外陣 500枚 計 600枚
それも 1枚づつ 全て絵が違うのだ。

今日、その申込書と共に 手紙が来た。

数多い 手紙類のなかで
余りにも鮮烈で 記憶に残ったので
1部、紹介しよう。

【桜の花の 見事さを長期にわたって
楽しむことができた 今日
但馬にも 山吹き 山つつじが
時の流れを 知らせるかのように
一斉に 野花と共に咲き誇っています。

子安観音寺で
水子供養をしていただくようになり
三十年 近くの月日が過ぎてゆきます。

一度も この胸に抱くことなく
旅立った 子供たちですが
いつの日か 私が そちらの世界に
行った時は 思う存分、
抱きしめてあげたいと 思っています。

今回 本堂建設の時期に 縁を頂いたこと
心より 有難く 思います。

大きなことは できない私たちですが
いつの日か 本堂を見ながら
義母や 子供たちと共に

お礼参りされる皆様の しあわせを
軒下からでも 見守らせて頂けるような
大安心の 境地です。

建設 完成までには
なにかとご心労の 数々と思いますが
お身体 ご慈愛され

心の よりどころとされる
皆さまの 支えとして宜しくお願い致します】

30年前に 【安産の ご祈祷】から
【水子供養】に 変わったとき
どんな 苦しい思いを したんだろうね。

お浄土で 我が子と 再開した時は
この両手で 力いっぱい抱きしめてやりたい。

今だに 十字架を ひきづっているんだね。

人というものは 和かな顔の中で
その裏には 誰もが苦渋を 背負っている。

『なんで 私だけが
こんな目に 会わなければならんのだ』

人は 自分 1人が 苦しみを背負っていると思い
不平をいい 怒り 膨れる。

ありがたい 事だ。

子供にも恵まれ、孫まで 抱くことができた。
これ以上、何を 望むことが あろうか ?

【小欲知足】
足るを 知る。

どうか 格天井の【花丸】のように
苦しみに 耐えて
立派な 大輪を 咲かせて欲しい。
合掌

【 中道 】

140616-1写真
『ジジー 今日は おめでとう 』

孫たちから 次々と 電話がかかる。
今日は 【父の日】で 明日は【誕生日】なのだ。

住職と2人で 先師の 墓に 報告にいく。

讃岐の 飯山から 太郎兵衛 次郎兵衞が来島した
初代 住職より 古い順に15基 並んでいる。

報告が 終わって 2人で 話す。

『面白いね。
どんなに 秀でた 高僧でも ジジのように
鳴かず飛ばずで 平凡に生涯を おくっている
住職でも もう 入る場所は 決まっているんだ。

16代の わたしは ここ。
17代の あなたは その 横』

「今日の 6月15日は お大師さんの誕生日ですね」

『わたしは 同じだと 余りにも恐れ多いので
1日 遅らせて 16日に 生まれた』

「それでも 月の真ん中 日の真ん中に生まれたのは
お大師さんと 同じでは ありませんか」

釈迦は 諸転法輪で【四諦】【八正道】に 加えて
【中道】を 説いた。

【中道】

彼は 6年間の 苦行のすえ 身も心もボロボロになり
ガンジス川の 畔で スジャターという 少女より
乳粥の 接待を 受ける。

何事も 両極端に 偏っては いけない。

苦行ばかりする事は 決して 好い事ではなかった。
と、いって 怠惰な毎日を送っていることは
もっと 悪いことだ。

諸転法輪では 苦の 原因は 煩悩であり
それを 取り去るために 八正道を といた。

釈迦に ソーナという 名前の 弟子がいた。

ソーナは 苦行の毎日を 送ったが
しあわせは 得られず
還俗( 俗人に 帰ること)することを 申し出た。

その時、釈迦は 琴の 例え話を した。

『琴の 弦は 強く張りすぎると 切れてしまう。
と いって 緩めすぎるのも よくない。

私たちは 何をするにしても
力み過ぎても いけないし
気を 抜き過ぎても いけない。

先走っても いけないし 遅れをとっても いけない。
真ん中を 通れば いいんだよ』

ソーナは 【中道】を 歩んだ。

「ああ 中道を 歩くとは
あとから 遅れてくる人に 手をかし
困っている人には 慈悲の心で 接することなんだ」

目から鱗が落ちたのは 言うまでも ない。

「お大師さんも [中道]を心がけ
月の真ん中 日の真ん中に
お生まれになったのですね」

『ジジも ね 』

「それは 先ほど 申しました」

『それにしても あの 孫たちの電話、
[父の日] の プレゼントだったのかしら、
[誕生日] の お祝いだったのかしら ? 』

「えーっ !
いつまでたっても 煩悩の火が 消えませんね」
合掌

【その人、その人の 持っている 個性を引き出そう】

140615-1写真
ある会社の社長と お出会いした。

小豆島大観音 建立時は 建立委員として
大変 お世話になった人だが
今は 社長を 息子さんに譲られて
悠々自適な日々を おくっておられる。

『社長、お久しぶりです』

『ああ、お久しぶり。
私は もう少しで
三途の川を 渡るところだったよ』

社長を 交代した直後、
ガン細胞が 彼を おそった。

経緯を 約30分ぐらい お聞きした。

医者の献身的な努力と 本人の不撓不屈の精神で
今を 迎えている。

『残された生活は
仏さんがくれた最高のプレゼントと 思うよ』

『1日 1日 大切に しなければなりませんね』

『ところが 法主も ご存知のように
子供のときから 仕事 1本できた私、
最初は 有効な日々の過ごし方を
見つけることが できませんでした。

昔から 仕事のあい間に 会社の横に
小さな 菜園を作っていました。

その 収穫した野菜を 毎日、
家の 近くにある【首なし地蔵】に
お供えすることを 思いつきました。

ところが 誰も知らないと思っていた
【地蔵】さんに 同じように
10人ぐらいの お婆さんが参っていたのです。

夫に 先立たれて 生き甲斐を無くしている人、
家族が 働きに出ると ポツンと
取り残されて いるひと

各々 違うが 自分と同じ境遇を持った人が
こんな 身近にいることを 知りました。

せっかく 縁あって 地蔵さんで会えるのだから
何かをしようよ。
自分の 好きなことや したいことを
考えようよ』

【個性】ある【個性ない】と よく聞く。

蟻は 年がら年中、一生懸命 働いている。
しかし よく見ると
せっせと 働いているのは 8割で
あとの 2割は 巣の中で じっとしている。

個性の 能力に優劣をつけると
働いている人が 【優】で
巣穴で じっとしているほうが【劣】だ。

職場でも 学校でも よくある話だ。

物静かで 控えめな人は
目から鼻に抜けている 営業畑の人より
花は ないが
事、技術にかけては 天下一品だったり

成績が あまり振わない生徒が
実は スポーツ万能だったり
絵を書くのが 上手だったりする。

社長は その 各々の個性を引き出して
頂いた 時間、
余生を 楽しく 充実した毎日を
送ろうと いうのだ。

みなさんも
『あいつは ダメだ』
『仕事が できない』
『成績が 悪い』と、
決めつけないで 、その人の持っている
最高の 能力を 引き出してみては
どうだろうか。

『社長さん、首なし地蔵さんも いいけれど
共に 頑張って 建立した 大観音にも
参ってくださいね』
合掌

【今は 物質 豊かにして 心 貧しき 時代】

140614-1写真
地球と 同じような星が あった。

東京オリンピックを境に 宇宙開発は 勿論、
科学 医療 文明 が発達し
日々の生活は目覚ましく 発達してきた。

その反面
【物質 豊かにして 心 貧しき 時代】
とまで 言われている 現在、
私たちは 便利になり過ぎたがために
心を 忘れてしまったような 気がする。

東京オリンピックの頃、
小豆島では 初めてテレビを求めた人は
少なくない。

電気掃除機、電気洗濯機、冷蔵庫、自動車と
今まで 想像すらしなかったものが
登場した。

大学の 下宿先には 洗濯機がなく
野球の ユニフォームを 盥で 洗っていると
手の皮が ツルンと剥けて 驚いたことがある。

夏には スイカを 井戸で 冷やし
『ああ 冷たくて 美味しいね』と、
1つの スイカを みんなで取り囲んで
頂いた こともある。

冬のことなら 風邪を拗らせたとき、
まだ 里には 氷が 張っていない。

寺より 25丁 上の 【御来迎の 滝】までいき
氷を 氷嚢の中に いれて貰った事がある。

電気炊飯器が 登場するまで
【ジャー】という ご飯を 保温するのもが
登場し、余りの 不思議さに
歓喜の 声をあげたものだ。

1つ 1つに 感謝があり
喜びがあり ドラマが あった。

今、喜びをもって それらを使っている人は
一体 何人 いるだろう。

知らず識らずのうちに 利己主義が芽生え
感謝と 喜びを 文明という中に
忘れて 来たようにおもう。

無意識に それらの文明に 依存し
停電になったり 器具がこわれたり
使えなくなったとき

驚き 腹を立て 不満をいい、
はじめて それらの 有り難さに気づく。

私たちが 少し前までしていたように
感謝し 喜び ドラマをつくって ほしい。

冷蔵庫に 感謝し、掃除機に 感謝する。

感謝するひとは 仏であり 菩薩だ。
お家の中で 家族全員が 感謝しあい
喜び合い 一日中、笑顔と 笑い声が絶えない。

それが 私たちが いつも 望んでいる
【家内安全】では ないだろうか ?
合掌

【形だけの 供養ではなく 心から 真の供養を】

140613-1写真
ご法事に いった。

【小豆島大観音】建立時から 今に至るまで
絶大なる協力をしてくださり
尊敬している 大好きな人だ。

法事の後で 短い挨拶をさせて戴いた。

【お婆ちゃんは 多分 私の住職時代の
最期の お葬式だったと 思う。

それが 最早 7回忌を迎えたとは
月日の 流れるのが余りにも早いのに 驚く。

お婆ちゃんの 生涯は
ご苦労も 多かっただろうが
しあわせな 一生だったと 思う。

若くして 戦争未亡人となり
乳飲み子の 1人娘と 残され
それは それは ご苦労されたことだろう。

お婆ちゃんは 小豆島を 牛の形に置き換えると
丁度、頭の方にある 離れ小島で 居られた。

娘さんが 縁ありて小豆島本島に住むようになり
1人、離れ小島に 住んでいたお婆ちゃんを
昭和57年に家族全員で お迎えした。

『みんなが 親切にしてくれて
わたしは しあわせものです』

亡くなるまで 手を合わせては そう言った。

【楢山節考】では ないが
自分さえ良かったら それでいい。

そういう 考えが 円満している 中で
家族が 一丸となって お誘いしたのだ。

先日も 97歳になる お婆さんが
老人ホームに 入居した。

もう 何年も生きることは できないのに
家族の 強い希望で
苦渋の決断をして 入居した。

彼女は 涙を流した。

それからみると お婆ちゃんは
家族の 暖かい愛情の中で しあわせだった。

今日は お婆ちゃんの 7回忌の 法事があり
皆さんが 一丸となって 供養をした。

そして供養には
【利供養】【敬供養】【行供養】と あるが
家族が それを やってのけたのだ。

云々
( 話は まだ 続くが 本題から 離れるので
省略して 挨拶は 終わりとする) 】

⚫︎利供養
本堂を 建立するための 寄付をすることや
布施をしたり 仏具を奉納することを いうが

本来は 仏さんや 先祖さんに
花や 線香 水、更には 季節のフルーツや
菓子などの 物品を お供えすること。

⚫︎敬供養
敬いの 心をもって
仏さんや 菩薩を 恭敬 賛嘆 供養することだ。

空海が 入定して 約 1200年になるが
各 寺院では 日々の 供養はするが
本山では 50年に 1度 大法要と称して
敬供養を 厳修する。

更には ご先祖さん、
可愛がり 育てあげてくださった
亡き 父母の 年忌をとうのも 敬供養だ。

供養には 生前供養があり
生前中に 思いやりの言葉をかけたり
優しく 接したりすることが
これまた 供養なのだ。

⚫︎行供養
文字どうり 行動することが 供養となる。

仏教の 教えや、先人、故人、
ご先祖が 残された
教訓を 実践することが 行供養なのだ。

そして このお家は
両手を挙げて お婆ちゃんを お迎えしたことが
既に この3つの供養を モーラしているのだ。

わたしも 形だけの 供養ではなく
真の 供養を 心からしてみたい。
合掌

【笑顔の 裏には 大きな大きな 苦しみを 抱えて 生活している】

140612-1写真
1組の ご夫婦が 寺に来られた。

お祝いことが あり
お忙しい中、わたしが お呼びしたのだ。

ご夫婦は 影も形もない 本堂の跡地に
新しい 芽生えの槌音が 聞こえてくるのを
驚いた。

『本堂 再建を 聞いてはいたが
こんな事に なっているとは。
完成までの 毎日が忙がしいでしょう』

「 いや、昔に 比べれば
ぬるま湯に 浸かっているようなものです。

あの頃は 参拝者の 数が半端ではなかった。
わたし自身、入学式も 授業参観も運動会も、
1度も 来てもらったことはありませんでした。

また、わたしの 子供達にも
顔を出したことが ありません。

孫たちは ママだけでなく パパまでが
顔を出して 応援してくれる。
ありがたい ものですね」

あの頃は 本当に大変だった。
今も 大変は大変だけど昔の比では ない、
そう 言いたかったのだ。

ところが 時が 経過するとともに
主人の 生い立ちの話となった。

主人の父親も 忙しい人で 常に家に居なかった。
病気がちの 母親と 姉と3人で 暮らすが
父親は もう1つ 家庭を持ち
そこに 妹まで 授かった。

『それが 血気盛んな
高校生の時だったから 荒れたね』

奥様もつられて 生い立ち暴露合戦となった。

「わたしも 腹違いの 兄妹がいるんですよ。
それも 1腹で 3種。

義理に 育てられ
その人は 私たち兄妹に 冷たくあたり
食うものにも困り 学費も出して貰えなかった。

大変な 少女時代だったのですよ」

この笑顔の裏に こんな過去を背負っていたとは。
聞けば聞くほど 気の毒で
先ほど わたしが 言った馬鹿なことを
全て 撤回し、穴があったら入りたかった。

釈迦説法のなかで
【キサー ゴータミー】の話を 何度かしたね。

ゴータミーは 長い間 子供が授からなかった。
ところが やっと授かり 喜びも束の間
その 愛し子は 短かい生涯を閉じた。

気が狂ったように ゴータミーは
異臭のする 我が子をだいて
もう1度 生き返らせて欲しいと涙にくれる。

釈迦は ゴータミーに 言う。

『民家を回って 芥子の実を数個 貰ってきなさい。
そして その芥子の実は
決して 葬式を出していないお家から貰いなさい』

『おっと ガッテン』とばかり
民家に 飛び込んだのだが
どの家も どの家も 死者を出してない
家は 見つからなかった。

そりゃあ そうだ。
わたしも あなたも みんな死に筋で
葬式を 出してない家なんか 1軒もない。

ゴータミーは
『悲しんでいつのは わたし1人かと思っていた。
ところが どの人も どの人も
笑顔の裏に 大きな 悲しみを隠していたのだ』

始めて 愛し子の 【死】を 認め
『生きたい』『生かしたい』という
執着から 抜け出すことができ
荼毘に付して 供養をした。

ご夫婦を みていると ふと 何度も書いた
ゴータミーの事を 思い出したのだ。

どんなに 悲しくても 苦しくても
付和雷同することなく
心は 揺らがず 常に 笑顔で接する。

箸が転んでも 泣いたり 喜んだり…
そんな 人間から 脱却しなさい。

そのように 教えられたような気がした。
合掌

【あなたは 師は 何人いますか ? 最期まで ついて ゆきますか?】

140611-1写真
私は 生涯において 3人の師僧に恵まれた。

最初の師僧は 昭和41年
当時の 高野山の宗務総長をしていた方で
法的に いうとこの方が 【師】だ。

ところが 私が 末弟に近かったのだろう。
もう少し お歳を召しておれば管長になって
おられただろうと 惜しまれた師は、
次に お出会いした時は お葬式の時だった。

次に お出会いした 師僧は
京都の 東寺の重鎮、事相 教相の大家で
日本全国の 僧侶に 教学を伝授していた。
東寺から出ている お教のdvdは 師のものだ。

彼は 【行】にも厳しく
弟子と一緒に 毎日、滝にうたれた。

そのお陰で 私も お護摩が焚け
教も 曲がりなりにも 唱えられるようになった。
そして その師僧も もういない。

今の 師僧は 師僧が高野山の教学部を辞して
寺に 帰り、香川支所長、高野山本山布教師として
活躍していた頃、うちの 先代が
『わたしの 息子は 仏教の 大学も出ていないし、
友達も いない。
兄として 1人前に 指導してやってくれないか』
と、な苗の膝を八重におり お願いしたものだ。

師僧は 宗教的なもの 一切合切 伝授してくれたが
それにも増して 【道徳心】を 教わった。

ご法事に いって お経が終わって
お話をするために お位牌に 尻を向けて
グルリと 座布団の上を回るのを 叱った。

鐘にしても 鈴にしても 叩けば なる。
その 音 1つが 供養している位牌のかたは勿論、
縁あって お参りしている皆さんが
『ああ 本当に 良い音だ』と
随喜の涙を 出すような 1打に しなければならない。

『なぜ そうするのか?』を 忘れ、
形だけを 重んじている お坊さんたちが
忘れさっていることを こと細かく 教えてくれた。

【孫悟空】に 三蔵法師が 登場する。

【三蔵】とは 教律論 3つが揃った高僧のことだ。

⚫︎[教蔵]
釈迦が 80年の人生で 私たちに解いてくれた
教えを 纏めたもの。
私は 教よりも それ自体が [釈迦]と 説く。

[得度]をし 2500年 連綿と続いた
釈迦の戒律を受けつがせて 頂いた
高野山の 総長を差し置いて 他には居ないだろう。

⚫︎[論蔵]
釈迦の 教えを まとめ上げたものに
注釈 解釈等をつけ 尚 一層 分かりやすくしたもの。

これは 2人目の 師、東寺の先生を差し置いて
居ないだろう。
釈迦の 教えに 注釈をつけて
お護摩とは こう、お教とは こうと
仏教の 意義を畳み込んで 頂いた。

⚫︎[律蔵]
私たちが 生活するうえでの
規則 道徳 生活様相を 備えたもの

今の 師僧には 生きている今、
何をしなければ ならないか。

釈迦の 教え、空海の教えの 実践を教えて貰った。

こんな [教律論]3拍子 そろった
師僧と 縁を結んでいただきながら

私の 不出来は
自身の能力の無さを 嘆かなければ ならない。

[歎異抄]の なかで 親鸞は こう言う。

【たとえ 法然上人に すかされまいらせて
念仏して 地獄にいちたりとも
更に 後悔すべからず そうろう】

《真実の 教え》に ようやく たどり着き、
師僧への 信頼の深さは
[地獄に 堕ちたとしても 後悔しない]という。

その前文に
[念仏は 本当に浄土に生まれる因なのか]
[逆に 地獄に堕ちる 行いなのか、
まったく わたしの 知るところではありません]
と、有るらしい。

一旦 こうと 決めたなら
天国にも 共に 昇り
事後樹のはてまで ご一緒しますよ
そう 言われているのだ。

さて 皆さん[師]は 何人 いますか ?

その [師]に 最期まで ついてゆきますか?
途中で 逃げますか ?
合掌

【肉体は 滅んでも 愛するものの心は 永遠に 生き続ける】

140610-1写真
枕経に いった。

但馬の 団体長のお母さんが逝去され
旦那寺さんの邪魔にならないように
お通夜の前に お参りさせて貰った。

団体長に聞くと 17年前に 亡くなった
父親の 後妻ということだった。

ふと 枕元を みると 5~6通の 手紙が
置いてあった。

『孫たちが お婆ちゃんに天国まで
持っていって貰うんだと 書きました。

誰が言い出した分けではありませんが
昨夜は お婆ちゃんの 周りで
家族全員が ごろ寝をしました。

義母は 後妻として この家に入り
私たちとは 血のつながりはないけれど
みんを 可愛がって くれました』

団体長の言葉に ある遍路宿の事を
思い出した。

そこは お爺さん お婆さんに子供がなく
全く血の繋がらない 隣の旅館の息子を
両養子で 迎えた。

お爺さんは 早く他界し
長い年月のあと お婆さんも息を引きとった。

斎場で 現実として
お婆さんが 無くなった後の 話だ。

『この お婆さんが 被っていた
お布団を どうしゅようか ? 』
と、 言うことに なった。

普通 死人が 被っていたものは 忌み嫌うと
焼いたり 捨てたり するものだ。

ところが お孫さんの1人が
ケロッとして 言った。

『みんなが 要らないのだった私が 貰うわ。
可愛がってくれた おばあちゃんと
一緒だと思うと それだけでハッピーだもの』

お婆ちゃんの 身体は 無くなってしまったが
心は 永遠に お孫さんの胸のなかに
残っている。

感動した わたしは 昨日のことの様に
鮮明に 覚えている。

【五大願】という 教えがある。

⚫︎[衆生無邊 誓願度]
人間を はじめ奉り、生きとし生けるものの数は
限りないが 誓って掬い取ることを 約束します。

⚫︎[福智無邊 誓願集]
福智と 真実は 限りないが誓って
この身に 集め具えることを 約束します。

⚫︎[法門無邊 誓願覚]
仏の 教えは 限りないが 誓って
悟りを 達成することを 約束します。

⚫︎[如来無邊 誓願事]
曼荼羅にもおられるように 仏の数は
限りないが 誓って 全ての仏に
仕えることを 約束します。

⚫︎[菩提無上 請願證]
仏の 悟りは 無常のものだが 誓って
実証体得することを 約束します。

本尊さんは いつも 私たちのしあわせを思い
慈悲の 電波を投げかけている。

父親が 母親が 生きている今も
亡くなった 後でも 私たちの しあわせを
思ってくれているのと おなじだ。

感謝をし その慈悲の 電波を
正面から 受けとめ
父母の 心と 同じように
世のため 人のために 尽くさなければならない。
合掌

【決して 心変わりをしないで 続けること。これが 成功の 秘訣】

140609-1写真
140609-2写真
子供や 孫たちの居る芦屋にくると
必ず 野辺のお地蔵さんに 手を合わす。

多勢の 仏 菩薩の中で
地蔵さんと観音さんだけが
私たちのシャバの世界と 仏の世界とを
行き来して 私たちを 救ってくれる。

彼らは 童子、子供の姿をしていたり
私たちと 同じように 宝石を一杯つけて
親しみやすい 菩薩さんだ。

スリランカの 大僧正、
ペルポーラ ビパッシー大僧正も
芦屋に 来られたら必ず この地蔵さんに
長い長いあいだ 手を合わす。

わたしも 真剣に手を合わせるのだが
どうも、お願いの動機が不順らしく
まだ 1度も 願が 叶ったことはない。

『宝くじ 3億円 あたりますように』

手を合わせることで 私は
寺で 恥ずかしい 思いをしたことがある。

小豆島の 知人が 寺に来られた時の 話だ。

『お孫さんが お出来になられたとか。
お目出度うございます』

『ありがとうございます。
お陰で 五体満足な孫が 出来ました。
若い 2人が 近くの路地の地蔵さんに
毎日、手を合わせていたからでしょう』

少し 心が ゆれた。

『うちの 寺も 子安の 観音さんですよ。
インターネットで 【子安観音寺】で検索すると
1番 始めに 紹介されていて
全国から 多勢の方が手を合わせに来るのですよ』

『それが なにか… ?

うちの 若い2人は 地蔵さんを 信仰していて
地蔵さんに お陰をもらい
玉のようにひかり輝く 子供を授かった。

それだけの ことですよ』

『……』

【真理】とは なんども 勉強をしたね。

何年 経とうが 何十年 経とうが
変わることない 普遍なのもですね。

大きいとか 小さいとか
綺麗だとか 綺麗では ないとか
お参りが 多いとか 少ないとか

そんな事は 全く 関係ないことなのだ。

1度、ここで 手を合わそうと 決心したら
決して 心変わりを しないで続けること。

これが 素晴らしい ことだね。

私たちは 直ぐに 心変わりをする。

政治も 面白いね。
強い結束のもとに 結成した党も
分裂したり 解党したり 新結成したり

会社も 古い付き合いを捨てて
新しい 付き合いがはじまったり

友人も 知人も 微妙に 変化する。

父親、母親が 切ってもきれないように
私たちの 【信じるもの】も 同じである。

1枚の 岩のように 割れず 動かず 変化せず
何事にも 動じない心を持たねば ならない。

『で、ビパッシー大僧正、お地蔵さんに
なにを お願いしました? 』

『あなたが フワフワ 心変わりをしないように。
いや、うそです。
世界が 平和になって
万民が しあわせに なれますように』
合掌

【慈悲の 心で 初志貫徹しよう】

140608-1写真
【一 以って これを 貫く】

論語の [里仁篇]の中の 孔子の 教えだ。

一度 志したら 途中で棒をおることなく
最期まで やり通せという 意味だ。

『その人は だれか』と 問われると
わたしは 先代の名を 出さざるをえない。

生涯を通して 3度、本堂の火災に 会い
3度、再建したひとだ。

檀家も信者も 3度目となると
『またか ! 』という ことになり
協力は したくても 出来ない状況になる。

身も 心も ボロボロの中で
3度目の 落慶法要は どんな気持ちで
迎えたことだろう。

わたしも 3度のうちの 2度 火災は経験したが
『3度 建て直せ』となると
きっと 棒を おっているだろう。

その 老僧が ちょうどその頃、
先祖伝来の 【槍】を 短く 切ってしまった。

高松藩士だった 祖父は 明治になって
【小豆島 子安観音寺】に 入寺したが
鎧 刀等 、山のように持参したそうだ。

それが 3度も 念を入れて 全て消失し
たった 1本 焼け残った 槍を 切ったのだ。

『槍は やり通す 全うするとは雖も
突き通すもので 非常に危険な武器だ。

武士の誇りとして 寺に持ち込んだ
武器 武具は 仏さんがお嫌いになったのだろう』

殆ど 先だけになった 槍を持って
老僧は こうも言った。

『孔子の 「一 以って これを貫く」の ( 一 ) は、
【忠怨】という 意味で 私たちが言っている
「やり通す」では 半分の 答えだ。

[忠]は 真心をもって、誠実にという意味。
[怨]は 思いやり だ。


[忠怨 ]とは
[真心を もって 世のため人のために
思いやりの 心を 尽くせと]と いう。

『新しい 大きな器をつくって そこで
1人でも 多勢の衆生と 縁を結び
その 全ての人に 忠怨を 致せ。

仏さんは そのように言われて居るのであろう』

そして 先代は 初心を貫徹した。
合掌

【責任感と 判断力。これができて やっと 一人立ちできる】

140607-1写真
140607-2写真
『ちょっと これをみてください。
もう少しで大火事に なるところでした』

1つの寺の 責任者が 真っ赤な顔をして
真っ黒に焦げた 鍋を持ってきた。

その札所では 参拝者に[飴湯]の接待をする。

ちょうど 責任者が休みで 代わりの人が
留守番に上がって うっかり
グラグラ煮えたぎる 飴湯をそのままにして
山を 降りたのだ。

その日のうちに 本坊で
おうどんの接待係りの おばちゃんが
『ちょっと 見て下さい。
小ちゃなことで 言うには 及びませんが
今日は 火事騒動も ありました。
仮本堂の 扇風機が どれもこれも かかったままです』

仮本堂だから クーラーは ない。
どの 扇風機も 真っ暗な本堂で
勢いよく 回っているのだ。

「俺は そこの責任者では ない。
ヘルプで 行っただけだ」

『ヘルプで そこを任されていても
その場その時に 責任を 持つべきだ』

各々が 保身にはしり 責任を人になすりつけ
保身に はしる。

わたしが いう。

『誰かれが 悪いと 罪の擦り合いを
するべきでは ない。
人として 大切なのは 【責任感]【判断力】だ。

とき時として 刻 1刻と 状況は 変わってゆく。
瞬時に 何にどのように責任を持ち
何にを どのように 【判断】するかが 大切だ。

《 今 現在、自分 1人しか いないのだ》

責任感と 判断力の 無いひとは
生涯、人に 信頼されないばかりか
人の 判断力に 依存していかねばならない。

はっきりと 覚えていないが 昭和40年代に
【第一回 阿字観 指導者講習会】が
高野山で あった。

阿字観とは 空海が【 行 】じていた座禅の事だ。

今までは 座禅瞑想は 他宗に お任せだったが
当時の 管長猊下が ( もう 引退されて いたかも)
最後の 指導者で 猊下がおられなくなると
途絶えてしまうと 指導者育成に踏み切ったのだ。

その日は 一日中 寒い雨が 降りつづいた。

薄明かりのなかで 行じている 私たちに
『なにを 考えているか ? 』と 聞かれた。

だれも なにも 答えない。

雨の跳ね返る音が ぴちゃぴちゃと 聞こえるだけで
静寂そのものだ。

『禀としたなかで 雨の音も 気になるだろう。

お経のリズムは 雨垂れの雫が 落ちるがごとく
というが ありがたいか?

それとも ぬ年無双で行じているとき、
うるさいか?

私たちは 生活のなかで その時 その時に
【責任感】と【判断力】を 求められる。

それを 怠ったり 謝ったら 大変なことになる。

しかし それを自分がしなければ
他の誰かが 代わってしてくれる物ではない。

今の この【行】の ように。

それが 完成した人間を 人として
世間に 出すことができる。

見よう見まねで 【阿字観】のお作法さえ
伝授してもらおうと思ったら 大きな 間違いだ。

[わたしは 名実ともに 一人立ちした あなた達を
世の中に 送り出したい]】

寺の 人たちと 話ながら
去る日の 管長猊下の お教えを思いだした。

『逃げたら いかん』
『自分 1人しか いないんだ』
『責任と 判断』
合掌

【つまらぬと言うは 小さな知恵袋】

140606-1写真
孫が ピアノに 興味を持ちはじめた。

お姉ちゃんたちに 刺激を受けたのだろうが
他の お習い事は『つまらない』という。

寺でも とうとう 梅雨に入り
境内の 至る所で 雑草が所狭しと頭をだす。

職員にすれば 業務の他に 仕事が1つ
増えるわけだ。

『わたしは 拝むために
ここでお手伝いを しているのであって
草むしりに 来ているのではない。
草むしり専門の 人に お願いしたらどうだ。
つまらない』

口に だして 言いはしないが
顔に その通り 書いてある。

仏教伝道教会の 出版した本の中で
【つまらぬと言うは 小さな知恵袋】が あった。

物や 事柄の 本当の意味が 分らないために
わからないと 言うので つまりは
[知恵の 袋]が 小さいと いう。

貧者は 知恵袋が 小さいから
いくら頑張っても 知恵が溜まるはずがない。

その 袋を大きくするには
[永遠の真理]を もたなければ ならない。

その物に 慈悲の心、愛情をもって行ずると
今まで 分らなかった意味が はっきりと
見えてくる。

道元禅師が 当時の [宋]に 禅を求めて
入宋したときの 話だ。

自分は 座禅瞑想の行に 励んでいるとき
歳を重ねた 高僧が 炊事や作務をしていた。

道元は 彼に
『なぜ あなたのような高僧が
このような 雑用をなさるのですか』
と、聞いた。

老僧は いう。

『掃除や 炊事は 決して 雑用ではありません。
本来 雑用という 言葉は ないのです。

自分の 心の中で 嫌だと決めつけたり
押し付けられた 仕事だと思っているから
それが 雑用に なるのです。

掃除や炊事。誰かが しなくてはならない。
これは ある人がして
これは 自分がするもの

そんな 決まりは どこにもない。
人々が 喜んでくれることを 率先してやる。

それが 仏道の 実践で あります』

道元は 心から 恥じた。
そして その時に 貧しかった知恵袋は
脹らませた 風船のように 大きくなった。

私たちも 知恵袋を 大きくするようにつとめ
『つまらない』と、顔に出すことなく
人が 喜んでくれることを 率先して やろうね。
合掌

【無財の 七施】

140605-1写真
140605-2写真
140605-3写真
内孫が 3歳の 誕生日を迎えた。

内うちで お祝いの ケーキをきって
細やかなお祝いをしているところに

浪曲の 大御所【天光軒 満月先生】が、
徳島で 釣れたと言う 新鮮なお魚を持って
駆けつけて くださった。

嬉しそうな 顔をして 持ってきたお魚を
高々に上げてみせた先生は 恵比寿さんに見えた。

えびす顔 ってのは これから始まったのだろう。

お門が 広い中、
小豆島の 田舎の貧寺の孫のバースデイを
覚えてくださって居られることに 驚いた。

檜舞台で 看板スターを 張るには
こんな 素晴らしい 配慮も必要なのかと
改めて 感謝をし 今後の自分に 言いきかせた。

細やかな お祝いも饗を極めたころ
ポロリと こんな事を いわれた。

『子安観音寺の 本堂再建も 愈々 これから
形に なり始めますね。
こないだの 私の ディナーショーで
信心な方と お知り合いになりました。

是非 1度、その方と一緒に 寺に来て
この 現状を見ていただこうと 考えています。
瓦の 1枚でも 寄進を頂ければ 嬉しいですね』

この言葉に 涙が出るくらい 嬉しかった。

実際 思った以上に 本堂再建が
大変なのかも わからない。

先生は 【本堂再建 貯金箱】を 作って
色んな方に いろんな方法で 寄進 いただき
貯金箱も 膨らんできた。

自分の事で 精いっぱいの このご時世に、
このような事は なかなか出来るものではない。

なんども 勉強したけれど
【無財の 七施】って あったね。

⚫︎( 顔施 )
人に好かれる 優しい眼差しのこと。
観音さんの眼を[慈眼]というが
慈しみの心は 常に 快い施しとなる

⚫︎[和顔施]
なごやかな顔と 微笑みで 人々に
施しを あたえる

⚫︎[言辞施]
心の こもった 優しい言葉は
人々を 勇気づけ 人々を救うことができる

⚫︎[身施]
自分の 身体で 出来ることを
率先して 人々におこなう布施をいう

⚫︎[心施]
心の 施しにより 人々に 喜びをあたえる
悪い心の 働きは 他人を 傷つける

⚫︎[床座施]
自分の 座席を 人に 譲ること
全員が この心を持っていれば
わざわざ 優先座席を 設ける必要もない

⚫︎[房舎施]
自分の 居場所を 人々に解放し
社会奉仕を すること

そもそも 【布施】とは 困っている衆生のために
惜しげなく 自分の 心と 身体を 投げ捨てる
という 意味だ。

そのうちの 1つでも成就したら 大したものだ。

先生の 身体での 布施の行為、
心の 布施、、目の 布施、言葉の布施、

七施のうちの 1つでも 布施行ができれば
上出来ともうしたが
先生の 行いは 【七施】全てを モーラしている
ものだった。

わたしも あなたも 先生の 布施行を
爪の垢でも 煎じて 実践して いきたいね。
合掌

【初心 忘れるべからず】

140604-1写真
いつの間にか 6月になったね。

【書き初め】をして 心を新たに
『新年 あけましておめでとうございます』
それから 半年が経つ。

一体 なにをし 何が 変わったのだろう。
一喜一憂は するものの
怠惰な 無駄な日々を 重ねただけではないか。

そんな時、立派な僧侶になることを夢見て
仏教について 右も左も分からない新発意の私が
両親に連れられて 高野山に登ったのが
昨日のように 思い出される。

両親の前で 師僧は 問うた。

『何故、出家 得度を する気になったのか』と。

『はい、師僧の教えをうけ 子安観音寺の
16代目として 立派な僧侶にならうとおもいます』

師僧は 穏やかな顔で こう言った。

『お釈迦さんの教えを 衆生に伝え
お大師さんの 心で 衆生を救うためである。

その心 とは

⚫︎即身成仏
私たちは この身このままで 仏になれる。
その仏心で 此岸を 彼岸の世界に 変えなさい。

⚫︎済世利人
世を 救い、人々に 利益をもたらすことだ。

即身成仏の教えも これを現実のものとして
多くの人々に 現世のしあわせを与えるもので
なかったら、それは空理空論で終わってしまう。

⚫︎密厳国土
この現世に おいて 仏の世界をつくること。

素晴らしいね。
小川が とうとうと流れているよこには
花が この世の春とばかり咲き乱れている。

歌舞音響 鳴り響く中、天女が 踊る。
その横で わたしも あなたも 修行するのだ。
そして わたしも あなたも 仏なのだ。

この3つが お大師さんの心の 3本柱だ。

初転法輪、
初めて 釈迦や お大師さんの 心に
触れようと するものは
この 3つの教えを 忘れては いけない』

あれから もう 50年が 近くなる。

【初心 忘れるべからず】

観世流 世阿弥元清 (1443 没 ) が[花鏡]に
『当流に 万能一徳の一句あり。
初心 忘れるべからず]とある。

それを 私たちの人生の経過と共に 教える。

⚫︎[是非、初心 忘れるべからず]
能楽を 手習い始める 7歳の頃は
良いと 褒められれば 嬉しく
悪いと 注意されると くちゅんとなるが

あまりひどく叱ると やる気を失ってしまう。
これを[是非 初心]という。

⚫︎[時々の 初心 忘れるべからず]
青年期ともなれば 芸事 容姿 全て華やかな時で
ともすれば 師よりも 勝ることも ある。

これを上手と錯覚して 自惚れ 有頂天になると
その人にとって 害に なる。

⚫︎[老人の 初心]
老人になると 容姿 一挙一動までが 衰えてくる。
しかし 熟練の 歳とともに
失われない 花があれば それこそ[真の花]だ。

せめて 心までもが 醜くならないように
気をつけねば ならない。

結論として 若かろうが 年寄りであろうが
[常に 初心を忘れず]
いつも 生き生きとして 情熱を燃やさねばならない。

太陽の 光のように 隅々まで照らし
側にいる人 のみならず
思いだしてくれただけで
明るく生き生きさせられる。

そういう人になって 何才になっても
[初々しいしさ]を 持ちつずける人間に
ならなければ ならない。

みなさん、如何ですか?

怠惰な日々を 送っているのも忘れるくらい
無駄な 日暮らしをしているのでは
ありませんか?

もう一度 【初心】に かえって
世のため 人のために がんばってください。
合掌

【父母恩重経 究竟憐愍の 恩】

140603-1写真
ご法事が あった。

挨拶で 施主が挨拶をした。

『母親の死に関しては
こんなに悲しいことだとは 思わなかった。

親父のときは これがら父が築いた会社を
どう守っていこうか 必死だったので
悲しんでいる暇もなかった。

両親が 力を合わせ 会社を起業した。

会社を 充実し 拡張した父と
それを見守る 母の 内助の功あっての
今だと おもう。

この家にしても 家具にしても
目に触れる一切の物が わたしの為にと
親心の こもった物ばかりだ。

生前中は 私や 家族を 気づかい、
お浄土の世界に 入った今も
両親が 向こうで 再会し
手を取り合って 私たち家族の 行く末を
心配していることでしょう。

父、母の 恩に報いるためにも
素晴らしい家庭をつくり
父母が 私たちに 致したように
世のため 人の為に 尽くさせてもらいたいと
おもう。

これまでと 変わらぬ 皆様の ご厚情、
宜しくお願いします』

釈迦が お説きになった
【父母恩重経】で十種の恩が説かれている。

その十番目に このように諭している。

【究竟憐愍の 恩】

[己れ 生ある間は この身に代わらん子を念い
己れ 死去りて後には 子の身を護らん事を願う]

親たるもの 生きているあいだは
ずっと 子の しあわせを 念じ

死したあとも 我が子を 思いあわれむ。
目に見えぬ 父母の心からの 願いに
今も 私たちは 支えられている

このような 教えで
施主の方の 挨拶は 真さにこのことを言われたと、
思わず 頭が さがった。

《目に見えない 父母の願いに
私たちの 毎日が 支えられている》

この くだりは 心に 響くね。

私たちは おおにして 1人で ここまで来た
1人で 生きているという思いがあるが
決して 1人で 生きているのでは ないのだ。

国土の 支え
父母の 支え
友人の 支え
衆生の 支え

いろんな ありとあらゆる物に 支えられて
生かされて いるのだ。

『おとうさん おかあさん ありがとう』

感謝の 気持ちをもって日暮しをしている
施主の方は ますます会社を伸ばすだろうし、
なんと言っても 幸せな 日暮しをするだろう。

久しぶりに 清々しい気持ちで お家をでた。
合掌

【深入りすると かえって 関係が ギクシャクするl】

140602-1写真
老人は いった。

『もう こんなに 年老いてしまったけど
私が 残している功績は 数々 残っている』

それを聞いて 若者が 言った。

『お爺さんを 尊敬もし、
追いつけ 追い越せで 切磋琢磨してきたが
今や すべて 貴方を超えています』

老人は 過去の 栄光の煩悩に陶酔し
若者は 今の 映画に 陶酔する。

バイブルに この様に 書かれてある。

【妻 ある者は 妻 なきが如く
泣く者は泣かないものの ごとく】

今は 横に妻が居るから 亭主顔ができるのだ。
妻が 居なくなった途端、孤独になる。

悲しくて 悲しくて もう涙もでませんと
嘆いても 10年も 20年も 泣いてばからは
いられない。

人間と 人間が 手を取り合って共存するうえで
一切の 栄華 栄光と 煩悩を捨てねばならない。

困っている人が いれば 飛んでいって
手を差し伸べなければならないのは 当然だが

人と 人とが どれ位の親密度で接するか
難しいことが有る。

知らぬ同士で 人間関係に 深入りしすぎると
お互いに 不愉快になる。

人間関係の 付き合いで 4つのレベルがある。

⚫︎『おはよう』『こんにちは』
時の 挨拶を 交わすなか。

⚫︎『お宅の 娘さん 元気? 』
『おりがとう。
今月に 嫁に行くことになったのよ』
『あら、 それは おめでとう』

私生活に 触れるか触れない程度の 会話。

⚫︎『そちらの ご主人、良い学校を出ているので
良いポジションにいらっしゃつのでしょう』

『まだ、部長どまりよ。
会社が 大きいだけ 昇進も遅いみたい』

プライベートな 会話に 入っていく。

⚫︎『うちの会社、倒産しそうなのよ』
『あら 大変。どれ位 足らないの ? 』
『よくは 聞いてないけれど 1億だらいよ』

極々、親密な 関係。

わたしの 何時もの 持論だ。

なんでも 言え、なんでも真実が話せる 友人。
そう、何人も いるはずが ない。

お葬式のときに 真から泣いてくれる人。

これは 多ければ 多いほど よい。

しかし、団地で 朝夕に揺れちがう人は
深入りしないで、挨拶程度の お付き合いに
しておいた方が よい。

お互いの 煩悩と煩悩、自我と 自我が
衝突することも ないからだ。
合掌

【人に 好かれる 第1 条件】

140601-1写真
【ジジ菜園】で 野菜が顔を出しはじめた。

手塩にかけて 育てた彼らは
我が子のように 可愛い。

6年前に 住職と新旧交代したとき
境内の猫の額のような場所に 畑を作ったのだ。

この苦労話は 昔に 書いたね。

畑には 畝があり 畝には 山と谷がある。
その 畝を目の前にして 腕組みをして
数分 考えたのは 事実だ。

『種を 植えるのは 畝の山か? 谷か?』

最初は お店で買ってきた肥料を
たっぷりと やったにもかかわらず
みんな 枯れてしまった。

くる日も くるひも かんかん照りが続いて
水の補給が足らなかったのだ。

水を やり過ぎたら 根腐れをするということを
始めてしった。

【山川草木 悉皆仏生】

草も木も 山も海も 全ての物が 命があり
心を 持っている。

海を 汚したら 魚を獲れないようにして
海は 怒るし
自然を 無神経に開発したら
山津波や 落盤事故として 山は怒る。

私たちは その山川草木が 心を開き
喜ぶ姿を 見なければならないのだ。

【ジジ菜園】しかり、トマトも 胡瓜も 茄子も
みんな 心をもっている。

そして 彼らが何を望んでいるか 結果が出るまでに
彼らの心のなかに入り 対処しなければ
枯れてしまうのだ。

草木でさえ 私たちの 心を読み取ってしまうのだが

さて、私たちが 人さんから 好かれるには
何をどのように すれば 良いか?

それは 相手の要求を いち早く察し
その要求を 満たしてやることだ。

人に 好かれない人間は 人の希望を満たさないで
自分の 要求だけ 満たして貰おうとする。

[気がきく]人に ならなければ ダメだ。

気が利かなければ 相手が何を欲しているかも
分からない。

良かれと思ってしたことが
かえって 相手の迷惑だったりすることもある。

水の やり過ぎで 枯らしてしまうのが それだ。

さあ、もう1度 彼らと 同化して
かれらの 望みを聞いてやって
立派な実を結んで もらわなくては。

えっ 買った方が 安くつくって ?
合掌
プロフィール

子安観音寺

Author:子安観音寺
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
フリーエリア
検索フォーム
リンク
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
フリーエリア
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。