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【 知足者 富 】



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『これは 親父の 化粧わましです』

わたしが まだ 裏若き青年住職の時代に

その おじいさんの 法事に 行ったとき
息子さんが 得意満面な 顔をして
大切に保管していた まわしを 見せてくれた。

わたしは 会ったことが あるかもしれないが
おじいさんの事は よく 覚えていない。

【國ヶ崎】といって
大相撲の 幕内までなった 方が 島に帰ってきて
青年になると 必ず まわしをつける と言うぐらい
わたしの村では 相撲が 盛んだった。

おじいさんは 【國ヶ崎】に 直接 指導をしてもらい
強かったらしい。

『この 化粧わまし わが家の家宝なんですよ』

おじさんは 白い歯をみせて 笑った。
時は移り 今度は おじさんの 法事にいったとき
おじいさんの まわしを 見せてもらったのを 思い出した。

おじさんから すれば 息子、
おじさんから みれば お孫さんである
家長は こう 言い放った。

『ありますよ。
なにしろ 大きなもので どこに置こうかと
置き場に 困っているのですよ。

おじいさんが つけていた物だけれど
邪魔に なりますね』

お父さんは『 家の宝だ』と 言っていたものが
時代が かわると ゴミ同然に 扱われる。

骨董屋に いくと 勲章などが
販売目的で 店に 並んでいるのを 目にする。

本人も 家族も 名誉なことで
地域 あげて お祝いした あの勲章が…。


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心の 迷いのことを【 煩悩 】という。

なかでも 最も 人の心を毒する 代表的な煩悩が
3つあり、それを【 三毒 】という。

[ 貪欲 ][ 瞋恚 ][ 愚痴 ]の ことで
わたしたちは [ 貪 ][ 瞋 ][ 痴 ]という。

貪欲というのは 貪りの 心であり
欲望は 次から次へと 膨らみ 際限がない。

この [ 欲望 ]を もう少し 展開してみると
わたしたちの 5大 欲望は 5つある。

食欲、睡眠欲、性欲、という 本能的欲望の他に
財欲、名誉欲と いうのがある。

食べることも 寝ることも 愛することも
全て 欲望なのかと 驚くかもしれないが

過ぎたるは 及ばざるが ごとしと

食べ過ぎ 飲み過ぎ 愛し過ぎ 寝過ぎも、
過ぎると かえって 調子がわるくなる。

孔子も 言う。

『何ごとも ほどほどに せよ』



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お財布の中に 1000円 入っていれば
2000円 入っていることを のぞみ

隣の お家に 蔵が立つと
わが家にも 在るにも拘らず もう1つ 欲しくなる。

国破れて山河あり…。

幾ら 驕り高ぶっていても
時代とともに 栄枯盛衰があり

紋付袴で 皇居に赴き 授与された 勲章も
孫の代には 紙くづ同然の 値打ちとなる。

老子の 言葉に こんなのが有る。

【 知足者富 】

欲望は 次から次へと 泉のごとく沸いていて
留まることは ない。

だから それを 知っているからこそ
欲を かくのは ほどほどに しなさいよ。

そうすれば、心は 豊かになり
懐具合も かえって 豊かに なるよ。

こういう 心がけでいると いつの間にか
【 公利 公欲 】
つまり 社会のために
利益を 還元するということになる。

そして そのことを【 大欲 】という。
合掌



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【 満年齢とは 数え年とは 1体 何ぞや ? 】




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『おじいちゃんが 亡くなって 何年になるのでしょう』

長女の 質問に 少し考えて 三女が答えた。


「わたしが 今年の 誕生日を迎えると 35歳になる。
わたしが 生まれた 次の年に 亡くなったのだから
34年目でしょう。

2~3年 前に 法事をしたところや ないの」

『回忌で いうと 35回忌かあ。
しかし なんで 法事の場合は 1歳 加算して
計算するのだろう ? 』

「そうやねえ。
ややっこしくって いけない」

そこで、わたしが 登場するのだが。

『 万物は 因 と 縁によって 成り立っている。

わたしたちも 何もないところから
お父さんと お母さんの 縁によって
1つの 生命が できる。

お母さんの お腹の中で 受精した そのときから
人間として考えて 1才と 数えるのだよ』



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釈迦は 過去、現在、未来の
三世にわたる輪廻転生を 12通りの
【 原因 、縁、結果】に 分けて教えている。

全部 書くと 長くなるので
過去世から 現在 人が生まれるまでを 勉強しよう。

⚫︎無明 ( むみょう )
な~んにもない。真っ暗闇の 世界のことである。
わたしたちが 母の 胎内に宿る もっと もっと前、
両親の 心の中には それぞれ 煩悩があった。

その煩悩は 自分の意思では どうにもならない
盲目的な 本能である。
この 無明が 縁によって 動き出す。
( 無明 など 他の 観点から 考えると
大変 面白い材料なのだが 今日は やめましょう)

⚫︎ 行 ( 業 : ごう )
遠い昔に 盲目的な本能で 行なってきた行為が
善悪を 問わず いずれも 父や 母の 身体に
遺伝してくる。
これが 業 である。

⚫︎ 識 ( しき )
善悪の 業を背負った 父母は 縁によって結ばれ
因縁による 本能の営みにより 授精し
新しい 生命が 誕生する。

このとき、父母の 善悪業も
その 子供たちに 受け継がれる。

⚫︎ 名色 ( みょうしき )
名とは 心のこと。
色とは 肉体のことである。

受胎して 4週間目には 父母の 顔 形だけでなく
父母の 業力に応じた 性格や 癖まで 受け継ぐ。

⚫︎ 六処 ( ろくしょ )
受胎して 5週間を過ぎると
わたしたちの 1番 大切な 6根が 備わってくる。

所謂、眼 耳 鼻 舌 身体 心である。
これを 六根 という。

そして 10ヶ月まで お母さんの お腹の中で
健やかに 育つのだ。


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⚫︎ 触 ( しょく )
時期 到来して 母親の産道をとおり抜け
初めて 外気に触れて 元気に オギャーと
誕生するのだ。

西洋では この日を もって満 0才に なる。

しかし 東洋や 仏教では
受精した その瞬間の 【識】の ときに
生命が宿ったとして 0才 と 数えるのである。

たった 6mgの 受精卵は この10ヶ月の間に
体重 3000g、なんと 500万倍にも なり
身長は 2300倍にも なるのだ。

誕生してから 成人するまでの 体重は
20倍にしか ならない。

だから 胎内での 赤ちゃんの 1日は
外界の 何万年にも 相当するのである。

『よって 人間は 受精した そのときから
0 歳児として 数えるんだよ』

「………
あまり よく わからないな〜 」
合掌


【 何時までも 若くありたい、死にたくないと 思うから 問題が起きる】




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先日は 久々に
わたしの 子供たちや 孫たちが一介した。

その時の 会話だ。

『あと 50年ぐらい経つと 癌も 治るらしいよ』

「えっ 本当 ?
50年 経つと えーと 90歳か。
90歳で ガンになって がん治療 する? 」

「ギリギリ 一杯かな ? 」

『ジジは ? 』

「間に合わない あわない。
とっくの 昔に お墓のしたで 眠っているわ」

『理化学研究所の スタップ細胞、期待していたのにね』

「研究委員の 方が 細胞の若返りも可能だと
言っていたわよ」

『 悪い 臓器も 取り替えられるし』

「 細胞を
つぎつぎ 活性化させることが できるのだったら
病気にも ならず 死ぬことも ないでは ないの ? 」

全員
『………』



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話は いつの間にか 病気や 死の話となった。

いつまでも 不老不死 不老長寿で いたい。
年は 取りたくない。
いつまでも 元気で いたい。
勿論のこと 死ぬことなんか 絶対に 嫌だ。

しかし 残念ながら
オギャーと 生まれおちたが 最後、

貴賎を問わず 名医でも 富豪でも
地位の高い人と言われている人でも
絶対に 避けては 通れないのである。

死に 向かって 猛烈な スピードで
通り過ぎてゆく。

立ち止まりも あと帰りも 一切 ないのだ。

そして わたしたちは そのことを
【 苦 】だと 感じているのである。


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で、なにが わたしたちを 苦しめているのだろう。

いつまでも 若くありたい。
年は 取りたくない。

病には 冒されたくない。
元気で 矍鑠として 対応したい。

死にたくない。
死ぬのが 怖い。

この 心を 【煩悩】という。

煩悩の なかで一番 わたしたちを苦しめるのを
【欲望】の 心である。

わたしの 布教の先生で いつも カバンを持って
ついて 歩いていた方が こう 言っていた。

『よく 考えてみなさい。
わたしの 先祖も あなたの先祖も 死んでしまっている。
所謂、わたしも あなたも 筋から言えば
【 死に筋 】である。

その 死に筋の 人間が
いつ迄も 生き続けようと思っているところに
問題が ある。

空海が 高野山の 奥の院から 手招きなさるまで
悔いのないように一生懸命 働き、
招かれたら 迷うことなく
空海の お膝元に 行かせてもらう。

この 心さえあれば 煩悩は 霧散する』と。

子供や 孫たちの話を 聞いて
1日 1日を 大切に 悔いのない 毎日を送りたいな。

そんなことを 考える わたしが 居た。
合掌


【 人材を 育てるには 時を見る目と 人をみる目が 必要である】


驚いたね。

白い息を 吐きながら猫が 大あくびをした
その上を 見上げると
桜の蕾が 頭を 持ち上げていた。

先日、もう 枯れたかなと思っていた
薔薇の花が 芽を吹き返していて
驚いた ところだ。

これから 啓蟄までの 長き間
寒風に 吹きさらされながら 寒さに耐え抜いて
その時節には 見事な花を 開花させて
わたしたちを 満足させ 楽しませるのだろうね。


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事業が 繁栄するには
【 天のとき 】【 地の利 】【 人の和 】
3つが 揃ったときだと いう。

人の輪は
その仕事に ふさわしい人たちが 集まって
みんなが 助け合うことによって
1つのものを 成し遂げることが できる。

地の利とは
その 事業をするために
最も 相応しい土地 ( 場所 ) が 必要である。

しかし 最後の 天の時だけは
森羅万象 自然の力に 任せるよりほかなく
わたしたちの 努力では どうすることもできない。

【 としごとに 咲くや吉野の さくら花
木を 割りてみよ 花の ありかを 】
一休

あの 枯れたような 木に 枝に
その時がきて 花を 開花させて
わたしたちの 目を 楽しませてくれる
生命力と いうものは

木を 切ってみても 割ってみても
そこにも 陰も形も 見つけることはできない。

事業を 繁栄させようと 思ったら
天地自然の 道理を知って
時の流れを 計らなくては ならない。

時代に ついて行けず
『しまった 。しくじった。乗り遅れた』
では もう 遅いのである。


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【さくら切る バカ
梅を きらぬ 大バカ 】

園芸が 趣味の みなさんは もう 分かるだろう。

梅や サクラの花の 咲く 時期をしって
桜や ウメの 性質をよく 理解した上で
より良く 咲かせ より良い実を結ぶために
工夫した 言葉である。

それぞれの 性質を よく観察して 知り尽くし
時機到来の時には どこにもないような
実を結び 花を つけさせる。


経営者にとって 1番 大切なことは
人材を 見分ける目と
時の来るのを 見分ける目を 持つことである。

寒そうな 蕾を見上げて
猫が もう一度 大あくびを した。
合掌

【 幸運の 女神を つかまえよう 】





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たまたま テレビのチャンネルを 回していると
若い 歌手の方達と 中学生ぐらいかな ?
対談している光景が 映った。

若い歌手の 1人は 声高々に こう言った。

『僕の ような アイドルはね 』……と。

中学生たちは 目を輝かせて
食いつくような眼で アイドルと称する人を見る。

「 きっと 人気 絶頂なんだな…」

そう 思いながら チャンネルを 回した。

わたしの 友人である 有名 歌手の方が
染み染み 言った言葉がある。

『 世間は 怖い。
ファンの 方は もっと こわい』

若くして ミリオンセラー 大ヒットしたときは
昨日と今日では 世の中がひっくり返ったようだった。

昨日まで 高圧的に 物を言っていたテレビ局の人が
急に 猫なで声になったり、
歌手仲間でも 向こうから 声をかけられるようになった。

勿論、わたしの 鼻も
何処まで伸びるか分からないほど 高くなり
桃泉郷で どんちゃん騒ぎを しているようだった。

ところが ピットソングが 一段落すると
今まで 手を揉みながら 寄り付いて来た人たちは
声を かけるどころか 見向きもしなくなった。

ところが 再び 大ピットが 生まれると
それらの 人は 蟻のむらがるごとく 戻ってきた。

ファンの 方達も その通りだった。

しかし、もう鼻も 高くはならないし、
桃泉郷で どんちゃん騒ぎも しませんよ。

だって 世間や ファンの方達は 怖いってこと
身にしみて 分かっているもの』



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《 運という女神の頭は 禿げ頭、
通り過ぎれば 掴まえられぬ 》

この 女神は 頭が禿げていて
前のほうに 数本 髪が残っていただけだ。

自分の 前を通り過ぎようとしたときに

慌てて 前髪を摑むのを 失敗し
しまった しくじったと
後髪を つかもうとしたら 禿げていて
彼女は 通り過ぎていってしまった。

時、既に 遅しだ。

《果報は寝て待て》

これは 駄目だね。
棚から落ちる ぼた餅をまっていると
口を開けて 眠っている間に
運というものは 通り過ぎてしまうものだ。

《 果報は 練って まて 》

これが わたしたちの
本当の 心の あり方である。

練るとは 如何なる時にも 一喜一憂せずに
心を おちつけて よく研究し
次の ジャンプに そなえて
しっかりと 脚を曲げて 時の来るのを
待つのである。

鼻高々と 浮かれて 桃泉郷で
どんちゃん騒ぎなど しないで

次の ステップまで 切磋琢磨しながら
時期到来を 待つのだ。

わたしたちは 【因】と【縁】で結ばれている。

このことを 【 運 】と 呼ぼう。

この 運がきた時に 女神の 前髪を摑むのである。

耳を澄まして 聞いてみれば
きっと あなたの 耳音には
幸運の 女神が 春風に前髪を なびかせて
かけてくる 足音が 聞こえてくる筈である。

合掌


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【 せっかく 頂いた 生命、最後まで 燃え尽きよう ! 】



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あなたが 知っている中で 1番 上手な
人生の送りかたをしているのは 誰かって聞かれると
『我が 師僧 です』と、答えるだろう。

高野大学を 卒業してすぐに 本山勤めをして
ゆくゆくは 本山の 重責に ついた。

山を 下ってからは わたしたちの地域の
リーダーとなった。

もう 傘寿を だいぶん 越されているが
今だに 勉強と 行を 怠ったのは 見たことがない。

月に 1度、高野山である 前管長猊下の 勉強会に
自分の 息子や 孫の年代の 人たちと一緒に
参加し 研鑽に 励んでいるのだ。

後代が 寺を守ってくれているからとは いえ、
月に 1度、お山に 通えとなると
これまた 大変だ。

当然、わたしなんか お呼びも かかりはしないが
かかったとしても 棒をおっているだろうね。

オギャーと 生まれ落ちて 傘寿を越した 今まで
生かされた 大切な 生命、
頂いた 素晴らしい 命を
12分に 活かしフル活動しているのだ。

あと 何十年かして
弘法大師 空海が 高野山奥の院で 手招きされたとき
『わたしは 何も 悔いはない。
この 身体を 12分に 使わせていただいた』
と、申されるだろう。

弘法大師 空海の 生まれ変わりだろうか?


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空海も 生まれ落ちた そのときから
62歳の 御歳に 入定なさるまで
自分の 持っている才能を わたしたち
庶民のために フル活動なさった。

大学を 中途退学をし、
やがて 遣唐使の 1人として 西安に 留学。

青龍寺にて 真言密教を 伝授され
やがて 3000人の 大寺の なかで
第 8世の リーダーとなる。

密教の 勉強だけして帰ったのかと 思えば
うどんの 製造、菓子の製造、紙 筆の製造、

日本に かえれば
山を 開き、池をつくり、井戸を 掘った。

いろはにほへと とかな文字を 考えだし
日本最初の 私立の 大学を 創った。

天皇陛下より 紀州 高野山と
五重の塔で 有名な 京都 東寺を 頂き
奈良 東大寺で お導師まで 務めた。

日本三筆の 1人で有ることは
説明するまでもなく

入定して 1200有余年 たった 今でも
南無大師遍照金剛と 両手を合わせると
必ず わたしたちの 心のなかに 入って来られる。

自分の 生涯の ありったけの パワーを
燃焼しきった 人物である。


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栃木県に 山本有三の 詩碑がある。

たった ひとりしかない 自分を
たった 一度しかない 人生を
ほんとうに 生かさなかったら
人間に 生まれてきた かいが ないじゃないか

限られた 時間内で、
この世に 縁あって 生かされている自分の 生命を
どう 生かし どう 燃焼させれば 良いのだろう。

空海も 師僧も そして
あなたがたも 同じである。

自分を 生かすだけでなく
人を 上手に 働かせることも 同じである。

高杉晋作の 都々逸 ( 愛唱歌 ) がある。

【くろうするのは いといは せぬが
苦労 しがいの あるように 】

社員たちだって 働くことは
全く 苦痛ではないけれど

せめて 働きがいの ある 職場に して欲しい。

彼らの 得手に 帆をあげて
働きがいのある 環境をつくったとき
かれらは どんなに 生きがいを感じて
働く ことだろう。

皆さんも 惰眠を 貪らないで 頑張ってみよう。

残された 時間は もう 無いよ。
合掌

【 接待 】



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小豆島霊場 第80番札所 子安観音寺は
みなさんから【 うどんの 寺 】として
親しまれている。

最近では 八十八ケ所巡拝の お遍路さんや
安産の腹帯を 受けにこられた 信者さん意外に
小豆島の 観光に来られた方々が
バスを連ねて お寺の 門をくぐる。

【うどんの 寺 】というのは
うどんを 接待する お寺なのだ。

先代が うどんの接待を 始めたのが 昭和32年だ。

子安観音寺は 大正末期、昭和28年、昭和32年と
立て続けに 3度の火災に 見舞われた。

1代で 3度の 火災にあい、
3度 建て直す( 復興する) とは 大変だったろう。

その時に 先代も 死ぬる思いで 頑張られたが
それに 共鳴して 共に立ち上がったのは
檀家の皆さんと お遍路さんだった。

喉元過ぎれば熱さを忘れる という諺があるが
何とかして これらの人たちに
『ご恩返しがしたい』と、思いついたのが
おうどんの 接待だった。

お1人 参拝の方にも、1万人参拝の法要の時でも
変わらずに 粛々と 接待を続けた。


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『うどんと言えば 讃岐』というぐらい
うどん人気は 讃岐に 定着しているが

うどんの 製造方法は
空海が中国から 持ち帰ったって 知ってる ?

空海が 入唐し 西安の青龍寺で
【真言密教】の 第 8祖に なったことは
みなさん ご存知だろう。

今では 日本で 只 1つ、
子安観音寺と 友好寺院となった
青龍寺 第 42祖 寛旭管長猊下より
【うどん 大師像 】を 勧請して頂いた。

猊下は
『ボランティアで うどんの接待をする
光景を よく見ます。

1日や 2日の 接待でも 大変だ。

それを 100人の 参拝があれば 100杯、
1000人の 参拝があれば 1000杯と
無心に お接待をする。

その 真心に 打たれました。

和が寺から うどん大師像の 勧請は
きっと 弘法大師 空海も 喜んでくださって
いるでしょう』と、

お祝いの 言葉を 頂いた。


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【自利利他】という 言葉がある。

他人が 喜び、
それが 他人の利益になることを やっていると
いつかは 周りまわって 自分の利益に
帰ってくるという 意味である。

長年 お参りの お遍路さんは
『お昼の 弁当に あわせて
寺で 接待してくれる おうどんを 頂こう』と、

必ず お立ち寄りになるし

先ほども 書き添えたが
『あの 空海の 西安 青龍寺と 友好寺院を締結し
うどん大師まで 勧請して いただいた
子安観音寺の 接待の うどんを 食べてみたい』と、

信心の 心の無きひとが バスを連ねる。

『おもしろ おかしで 小豆島 観光に来たが
聞けば 八十八ケ所の ミニ霊場が あるらしい。

今度は 信心のほうで 小豆島を 訪れたい』

おうどんを 食べながら そう言って
帰られる 観光客の 皆さんも たくさん 居られる。

『自分さえ しあわせならば それで良いんだ』

そんな 考えが蔓延している 今日このごろ、
そんな 心のかたが 1人でも 2人でも
増えてくれることを 祈り

これからも 心からの 接待を
続けようと 思っている。
合掌

【 近江商人は 商売を 仏教から 学んだ 】





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コンビニで 自分が 異物を混入している
音声付きの 証拠動画を
インターネットに載せている事件が
テレビで 報道された。

時を 同じゅうして 彼方此方の有名 外食産業でも
異物が 発見されたと問題になっていた
矢先の 出来事だ。

製造国や 製造会社を変えて 心機一転と
国民全体が 期待していただけに
会社は 勿論、消費者も ショックは 大きい。

今回の 一連の 混入事件だが
3種類の 過程と動機が あったように 思う。

1つは 任せていた下請け会社が
悪気なしに 知らない間に 混入していた 場合。

1つは 下請け会社が
製品が足元に 落ちていようが
賞味期限を 過ぎていようが
悪意なく ポイッと 元に戻し
その時に 不都合が生じてしまった場合。

最後には 今回の コンビニ 動画事件のように
故意に 混入させる 場合。

最初の 2つは 管理不行届きは 免れないだろうが
所謂、不可抗力だ。

絶対に 許せないのは 最初の
故意に 混入させるのだね。

こんな事をして 一体、何が 嬉しいのだろう。
なんの 得に なるんだろう。

針でも 入っていれば 生きるの 死ぬるの
問題に なる。


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[ 商業 ] は 生産された 品物を
消費者に 供給して その見返りに
それ相応の 報酬を受けることである。

[ 工業 ] とは 物品を 生産して 需要者に 供給し
それ相応の 報酬を受けることである。

より 良い品物を より迅速に
大衆の手に 渡さなければならないかは
言うまでもない。

わたしたちは この報酬の事を
【 利益 】と 言っている。


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【自利利他 円満の功徳 】と 言う言葉がある。

何事にも 見向きもしないで 昼夜
仕事に 励んでこそ 始めて
人に認められ 利益を得ることができる。

その利益を 自分1人で 取り込んでしまうのではなく
みんなに 分け与えてこそ また 次の仕事が入って来て
再び 利益がでて それが為に
福徳 円満な 日暮らしを送ることができるという
教えである。

【大聖堂】の 小説の中で
何年も 親方の元で 下積みした 若者が
始めて 独立をして 1つの 橋をつくる。

若者は 生涯 最初の仕事として 報酬を取らなかった。
橋の 余りもの見事さと 若者の 心がけに
市民は 感激して 親方を 上回る
仕事が 来る様になった。

製品を 作るものと それを 売るものと
それを 買い、消費するもの、3者の心が
1つに なってこそ 始めて
需要と 供給の バランスがとれるのだ。

『使って くださる人の 気持ちになって
その人たちが 喜ぶような物を
心を こめて 作らせていただこう』

そんな 品物が 手元に来ると
それだけで 何故か 心 温まるような気がする。

そんな中、知ってか 知らないでか
異物混入 事件が 後を絶たないのだ。
合掌

【 人みて 法 説け :釈迦の 教えは その人によって 違った】




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ときどき 住職の代理で 法事に行くことがある。

法事も 粛々と おわり お斎の段になって
最早、わたしの 年恰好の人が
わたしの 両サイドを 占めるようになった。

『ワシも いつの間にか あなたの横に座るような
年齢に なってしまった』

頭を なでながら そう仰る 御仁をみて
清水次郎長の 一節を 思い出した。

【あっし 自身は なんの貫禄も ありませんが
ハゲ頭に 免じて 正座を ケガさせていただきます。
正座 に 禿頭だ 】

御仁は 更に いう。

『しかし あなたと 会えるのは
葬式か 今日のような 法事の席だけですね。

為になる お話でも聞かせていただけるのでしたら
寺に 通いますのに』

ドキッとした。

檀家や 地域の皆さんとは
所謂 わたしは 【 葬式 ぼうさん 】であって
彼らも そのようにしか みていない。

なぜ 日常生活の 1つ 1つを 説いていなかったのだろう。


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釈迦は 修行の中で わたしたちは
生まれおち 生涯を終えるまで 一切は【苦】だと悟った。

その【苦】を のけ【楽】を与うることこそ
しあわせな 安穏な生活ができると 説いた。

釈迦の 教えとは どうすれば 安心して
不安のない 日暮らしを することができるか。

仏の教えは 普段は わたしたちの 生活の中に
溶け込んでいるから 氣ずかないが

病気になったり 事故にあったり
災害にあい 不幸に 見舞われたときに
始めて 仏の教えを 思い出す。

釈迦の 教えとは
わたしたちの 日常生活において
それほど 大切なものである。

みなさんが 『ああ 知ってる。その通りだ』
と、言うことを 書き出してみよう。

それが あの 難しい お経に書かれている
言葉なのだ。


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友達を 選ぶとき こんな人を 選んではいけない。

⚫︎欲張りの人
⚫︎言葉の 巧みな人
⚫︎人に へつらう人
⚫︎浪費 する人

こんな 人とは 願ってせも 友情を きづこう。

⚫︎本当に 助けになる人
⚫︎苦楽を ともに できる人
⚫︎面と向かって づけづけ 忠告してくれる人
⚫︎同情する 心の 大きい人

家を 破滅させるのに 6つの 方法がある。

⚫︎酒を 飲むのではなくて 呑まれる人
⚫︎夜更かしして 遊びまわる人
⚫︎歌舞音響 音楽や 演劇に 夢中になる人
⚫︎博打に ふける人
⚫︎自分の 本命を 全うできない人

2500年 以前に
釈迦が わたしたちに 諭した言葉だが
いまでも それを聞くごとに
その戒めに 頭が下がる。

仏も むかしは 凡夫なり
われらも ついに 仏なり

いずれも 仏性 具せる身の
隔つるのみこそ かなしけれ
【平家物語】
合掌



【 八風 吹けども 動ぜず 】



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総理大臣が 外遊している タイミングに
日本の 民間人が 誘拐され
法外な 身代金を 要求されている。

総理も 人命第一と 交渉を続けているが
宗教も ちがう イデオロギーもちがう
その中で 大変 むづかしい局面に立たされている。

あちこちの 国で テロが 勃発して
安心して 海外にも 行けない状況だ。

領土問題も 日本海では
わたしたちが なすすべも無く あれよあれよと
みている間に 軍隊を置き 実質 支配された。

南は 200隻の 民間漁船が
貴重な資源を 横取りしたのだが
これも なすすべも無く 見ているだけ、

島に 本格的に 軍隊が上陸しても
多分 見ているだけだろう。

北は というと 領土を 返還して貰うがために
友好の 手を伸ばしていた 矢先に
分捕った 我が国の領土に 軍事基地を 作った。

わたしたち 国民の 1人 1人が なにもできず、
唖然と 指を咥えているあいだに
世の中は 目まぐるしく 変化をし

その 1つ 1つに 大きな 風が 吹いている。



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《 八風吹不動 》という 言葉が ある。

これは [ 八風 吹けども動ぜず ]と読む。

わたしたちは 人生において
色んな 困難、苦難、厄難、災難が 襲いかかってくる。


わたしたちは 時には 耐え、時には 偲び、
それに 立ち向かい 克服しようとする。

その 苦難の 風に当たっても
決して 動ずることにない
確固たる 姿が [ 吹けども 動ぜず ] である。

その場しのぎで 口や 政策まで 変わる
議員の みなさんに よく 読んで欲しいですね。


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さて【 八風 】だが
仏の 教えに基づいた 修行を 妨げる
8つの 出来事のことだ。

四順 ( わたしたちが 求める 4つの 出来事 )
四違 (わたしたちが 避ける 4つの 出来事)

四順 ( しじゅん )

⚫︎利い ( うるおい )
目先の 利益のこと
⚫︎誉れ ( ほまれ )
名誉を うけること
⚫︎ 称え ( たたえ )
称賛されること
⚫︎楽しみ ( たのしみ )
さまざまな たのしみ

四違 ( しい )

⚫︎衰え ( おとろえ )
肉体的な おとろえ。金銭、物の 損失
⚫︎殷 ( やぶれ )
不名誉を うける
⚫︎譏り ( そしり )
中傷を うける
⚫︎苦しみ ( くるしみ )
さまざまな くるしみ

良きも 悪しきも わたしたちは
その時 その場で いろんな 風が 吹き抜ける。

慢心したり 自惚れたり 泣いたり 笑ったり
一喜一憂しないで

大きな 山の如く 少々のことには
動じない 心と 身体を 作らなけれなならない。

そして 見ているだけではなく
日本 一大事のときには
自分の意見が 言える人に 成らなくては駄目だ。
合掌

【 積善 の 業 】




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先日、あの有名な 【タイタニック】の悲劇 映画が
テレビで 流れた。

1912年 4月 15日に 氷山に衝突して 沈没した。

今年の 4月で 103年目になるが
丁度 その頃に うちの 先代が生まれたのは 衝撃的だ。

2300人の 総乗船者の中、1500名が 死亡し
700 人が 奇跡的に 助かった。

女性と 子供を 重点的に 救助し
その 生存率は 70% だったという。

ただ 映画の 主人公である ローズと ジャックは
実在せず 架空の人だと いうことだ。

氷山に衝突して 2時間たち
愈々 船が 海中に沈むとき 船内では
大混乱が あっただろうと 想像する。

そんな中、女 子供の 生存率 70%は
見上げたものだ。

映画の中では 大金持ちの ローズ一家と
婚約者が アメリカに移住するところから 始まる。

一方、ジャックのほうは 貧乏人で
アメリカの 新天地で ひとはた あげたいが為に
3等客室に 乗船した。

婚約者が 同船して居るにも 拘らず
2人は 船上で 恋に おちる。

ジャックと ローズは 沈没寸前の タイタニックから
海中に 飛び降りるのだが 奇跡的に
ローズが 助かる。

大金持ちの 婚約者はと云うと
沈没寸前に 船員の 1人に 大金を 鷲掴みして懇願する。

『この 金を やるから あの最後の ボートに
わたしを 乗せてくれ』と。

それを 聞いて 船員は 悲しそうな顔をして いう。

『 死を 目前にして 幾ら 大金を貰っても
一体 どれほどの 価値が あるだろう』と。


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金 金 金

お金のために 多くの人は 狂気し
多くの 人は 悪事を働き、また 命まで落とす。

漱石の [ 草枕 ] のなかで こんなのがある。

『金は 大事だが、大事な金が 得られたら
寝た間も ねむれまい』

眠れなくても 寝なくてもいいから
兎に角、金が 欲しい。

その 大切な 金のことを 企業は
[ 利益 ] という。

【利益 】というものは

お金というもので 得をすることも あるが
[ 役に たつ ためになる ] と 言う 意味もある。

それとも知らず わたしたちは
【 万能細胞 】と 同じように 信じ
その 執着のためなら どんな事でも 厭わない。

それを 得たいがために
生涯を 費やして しまうのだ。


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どんなに 財産を持っていても
この世の中には お金や 人の力では
どうにも ならないことが 沢山ある。

生まれて くること。
老いること。
病気になる。
死んでしまうこと。

それらの事を 仏教では
[ 四苦八苦 ] という。

これらが 訪れたときには
汗水たらして 稼いだ お金も なんの価値もない。

タイタニックの 沈没寸前の 船員さんのように。

この お金を 猿が 桃を抱えたほうに
両手で 握りしめて 私物化するのではなく
大衆うのために 又は 困っている人に
分け与えてあげれば どうだろう。

[ 有形の 財産 :金 ] は 一時的に 減っても
[ 無形の 財産 : 徳 ] を 頂くことが できる。

《 徳 》という 無形の 財産を 増やすことが
《 積善の 業 》といって わたしたちの
1番 美しい 姿なのである。
合掌

【雪裏 の 梅花 】


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とに角 寒い。

お勤めが終わって 背中を丸くして 白い息を吐いていると
ふと 境内の梅の木に 目が止まった。

この絵は その時の絵ではないが
今や 開花しようと 蕾を 大きく膨らませている。

『こんな 厳寒の中、もう こんなに 準備しているのか』

今日は 1年中で 1番寒い 大寒。

今日を 中心に 15日 遡ると 小寒。
15日 経過すると 立春だ。

『おには~外』『 福は~ 内』

節分を 迎えると 暑かろうが 寒かろうが
暦の上では 春なのである。

小寒から 立春までを
【寒さのうち】というらしいが

やがて 梅の木が 蕾を精いっぱい ひろげ
その 花の色と 匂いにつられて
ウグイスが その 枝にとまり
美しい 声を 披露する。

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道元の 諭しの 言葉がある。

《 雪裏の 梅華 》

小寒 大寒 立春は 寒さのうちという。
こんなときは コタツに 足を突っ込んで
ミカンを食べながら
テレビに かじり付くに かぎる。

つらつら 日暮らしという 説法が これだ。

『 1年中で 1番 寒いときは
寒気が 骨身に 徹してなくては いけない。

寒さに 徹するからこそ
梅花は 世界中に 素晴らしい 香りをもたらす』

つまり 氷張り ツララが さがる
厳寒のなかの 厳しい 修行があってこそ
始めて その功徳を 大勢の 善男子全女人に
もたらすことが できる。

『修行 なくして 功徳をもたらす事が
できようか? 』


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厳寒というのは 寒くってどうしようも無い
それだけの 意味ではない。

偉業を 達成して『万歳 万歳』と
有頂天に なっている場合ではない。

その 気を抜いた間に
他に人たちは 一生懸命、研鑽していることだろう。

そうして 培った あなたの姿が
遠いところに 居てでも
梅の花の 香りのように 快い 匂いを発することだろう。

そこに ウグイスが飛んできて
素晴らしい 美声を 聞かせる。

これは あなたを 慕って 多勢の仲間が
集まってくると いうことだ。

おこたで ミカンを食べながら
テレビを 見ているような 姿をみれば
離れて 行くだろうね。

梅の花は
この 寒さのなかで いまや 花 開こうと
必死で 準備しているのである。

合掌

【 釈迦も 空海も お金儲けを 否定していない、それを どう使うかなのだ】




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地下資源が 世に出て100年か 200年だ。

それが もう枯渇するかも しれない。
何十億年 かかって やっと作り上げた資源を
アッという間に 使い切ってしまうのだ。

原点に 帰れということで
水力発電や 太陽光発電に 力を入れはじめた。
遅きに失する感あるが とても素晴らしいことだ。

地下資源は 使いきると 無くなってしまうし
環境汚染 人体汚染に 繋がる資源も 沢山ある。

閑話休題。

日本の 自動車会社が
水素で走る自動車を 開発した。

まだ 開発した早々で ガソリンスタンドも少なく
自動車 自体の値段も 高いというリスクはあるが
環境汚染問題も 少なく

自動車産業だけに 留まらず 色んな分野に
使えるように なって欲しいとのことだ。

その会社は 水素燃料の 全ての権利を放棄して

『日本の会社に留まらず 世界中の 英知を結集して
消費者の為に より良いものを
開発しなければ ならないと』言った。

これが 【大欲 : たいよく 】といって
釈迦の 心なのだ。


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会社には 利益、いわゆる【儲け】は必定だ。

《 儲 》という文字を
2通りに 分解することが できる。

そう 。
1つは [ 諸人 : もろびと]となり、
あと 1つは [ 信者 ]となる。

一見
バラバラにみえるが、この 2つに 別れた文字が
事業というものの 真髄を 見事に表している。

喩え話を しよう。

先日、発売された
水素ではしる 自動車を 購入することができた。

乗ってみると 静かだし 乗り心地はいいし
維持費も 経費も 燃費も 手頃だし

次に 買い換えるときには 1も 2もなく
この 水素 自動車にすることにした。

その時点で、すでに その客は
水素自動車や それを開発した会社の
熱烈な 【 信者 】に なっているのである。

スタイルが良いし、乗り心地はいいし
経費も 手頃だし 、購入も 手頃だ。

信者は そのように 信じ込んで しまうのである。



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こういう風に 購入したものが
買った人の 期待を裏切らず
十二分に 役目を果たしてこそ 信者は増えるのだ。

【儲かる】ということは 施無畏印のように
手のひらを 上に向けて、
そこに 喜んで品物を 買ってくれた
消費者 [ もろびと ]が、お金を乗せてくれるのを
受けることである。

こうすれば お金が 手のひら 一杯に 盛り上がる。

いやいやでなく もろびとが 喜んで
手のひらに お金を乗せたくなるように
しなければ ならない。

もっと 便利で もっと 安く
消費者の 側に立って考案したものを
もろびとに 提供することによって

はじめて 【信者】に なって
もらえるのでは あるまいか?

さて 儲かった お金だが

1人で 両手で 抱え込んでしまうのではなく
1人でも 大勢の 諸人( 大衆 ) に 還元することを
考えなければ ならない。

これが 釈迦の 説く
【 大欲 】と いうのだ。
合掌

【 大欲 と 小欲 】



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バブルが 弾けて 大騒動をしたが
日本は また ミニバブルだという。

今、思い出しても 異常だったね。

お金さえ 出せば 自分の【欲望】は
すべて 満たされていた 時代だった。

【欲望】
人は 要求で 動いている。
それを 満たすために 何らかの行動 手段をこうじ
それが 成就した時に 快感を感じるのである。

わたしたちは 【三大欲望】を 持っている。

① 食欲
これは 1番 大切なことで
これを 満たさなければ 死んでしまう。

② 睡眠欲
これも 欠かすことのできない 大切なことで
寝られない状態が続くと 病気になり 死ぬ。

③性欲
これが 無くても 死にはしないけれども
多くの人たちにとって 深刻な問題であろう。



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しかし よく 考えてみると 三大欲望の中で
1つ 物凄いのが 欠落している。

【 自分の 重要性を 満たす 欲望】
一言で 言ってしまえば 【 名誉欲 】なのだ。

心理学者 ジークムント フロイドは こう言う。

『人の あらゆる行動は 2つの 動機から発する。
1つは 性の衝動と 偉くなりたいという
願望である』

偉くなりたいとも 思うし、
皆から 尊敬されたいとも 思うのだ。

思想家 ジョン デュールも こう言う。

『人間の もつ 根強い衝動は
重要人物を 常に 要求することである』

常に 人に 認めてもらいたいと
渇愛する 気持ちである。

そこで 【第四 欲望】は こうなる。

⚫︎ 食欲

⚫︎睡眠欲

⚫︎自分の 重要性を 満たす欲望

⚫︎性欲


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食欲は 自分で 満たすことができる。
睡眠欲も 自分で 満たせるね。

ところが 重要性を欲する欲望も
性欲も 自分 1人で 満たすことができない。

この欲望を 満たすには
[ 自分を 認めてくれる 誰か ]が 必要である。

ところが [ 自分を 認めてくれる 誰か]が
いないところに 問題が起きる。

名誉欲の ある人に限って
人からは 認めてもらえないものだ。

【小欲知足】

欲望は 限りなく 膨らむもの。
足ると 言うことを知りなさい。

【小欲をすて 大欲に たつ】

あれも欲しい これも欲しいと言うような
小さな欲に 拘らず
どうせ 煩悩を持つのなら
世のため 人のために 尽くせるような

大きな 夢を 持ちなさい。

釈迦は そう 仰っている。
合掌


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【 怒り と 叱るの 違い 】



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先日 フランスにおいて 週刊誌本社が 襲撃され
12名の 尊い生命が 花と散った。

イスラム過激派組織
アラビア半島のアルカイダのメンバーは
逃走をはかり人質をとって 立て籠もったものの
突撃部隊に よって 鎮圧された模様だ。

突撃現場には 容疑者の他に
人質 4名の 死亡が確認された。

イスラム原理主義 アルカイダの
【暗殺 リスト】には 殺害された編集長の他、
名前が 乗っていたが 、警察官 一般市民を 含め
なんの 関係もない多勢の 犠牲者が出たことは
非常に 残念なことである。

一般市民の 方達は この事件を 怒り 嘆き
教会 モスクなどに 報復の手を 強めている。

テレビにむかって 市民の1人が 怒りをぶつける。

『彼らが 一体、何をしたというんだ。
殺された人たちの 殆どは 関係無いではないか』

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仏教の 【三毒】にも 【瞋恚】といって
怒っては ダメですよ とある。

しかし このフランスの 惨状を知って
怒らない人は 1人も いない。

釈迦が 云っているのは
[ 起こったら 駄目だけれど 時と場合によって
叱る ことは 必要ですよ]と。

[ 怒る ]のは 自分の エゴの為の行為だが
[ 叱る ] のは 相手の 更生の為の 行為だ。

【 怒る 】
相手が 自分に対して 影響を 与えたり
自分の 思いどうりに 成らなかったときに
相手に ぶつける動作である。

【 叱る 】
相手が 自分を含めて
誰かに悪影響を 与えたとき
相手を よりよく 更生させようとする為の
注意や アドバイス。

本人が 2度と 同じ過ちを 繰り返さないための
諭しの 行動である。


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お不動産さんを 拝むと
鬼のような 恐ろしい形相の中に
それはそれは 優しい 慈悲の心が 見える。

願文にも 【憤怒の 形相と 方便の羂索なもって】
と ある。

お不動さんの お形と お心は
親が 子に、社長が 社員に、先生が 生徒に、
解いて 解して 叱っている姿なのだ。

その 【叱る】にも 方法がある。

⚫︎その場で 叱る。
あとで あの時はどうのこうのと云っても
既に 効果は 薄い。

⚫︎短く 叱る。
長いこと ぐどぐど言っていたら
論点が ずれてしまって 返って 反感を買うだけ。
叱りから 怒りに 変化する。

⚫︎1 対 1人で しかる。
これは みんなが 気をつけなければ ならない。
怒りにまかせて つい 人前で 声を荒げてしまう。

フランスで 起きたことを
ああでもない こうでもないと 考えていううちに
【怒り】と【叱る】の違いなどを 思ってしまった。

でも これは 大切なこいだ。

みなさんも 可愛い 子供さんに対して
怒らずに 優しく 諭してあげなさい。
合掌



【 四 無 量 心 】





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大巨匠 【天光軒 満月 】先生が
全国で 介護施設をなさっている 会長さんと
お参りになった。

『新春の ご挨拶に』と 申されるが
体調を 少し崩された 会長さんの
病気平癒 祈願の為であることは 分かっていた。

小豆島大観音を 皮切りに 恵門ノ不動
山ノ観音 そして 本坊 子安観音寺に帰ってきて
今、進行中の 本堂の 進捗具合を 見ていただいた。

丁度 宮大工 西嶋工務店の みなさんが
一心不乱に 屋根瓦を 張っていたところで
『わたしたちの 名前が 永遠に残るから』と、
みなさん 自筆で お名前を 残していただいた。



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『わたし 先日、大島に 行っていたんですよ』
一息ついて お茶を啜りながら 満月先生が いった。

「ああ 先生が 毎年 訪問されている島でしょう? 」

1年に 1度、
ハンセン病で 心身とも疲れ果てている人たちに
浪曲を 聴いてもらっては 心を癒していたのだ。

わたしの 幼い時、 八栗屋島に お参りした時は
真白な 着物をきて 楽器を鳴らす 傷痍軍人の方の横で
彼らは ひっそりと 横たわっていた。

ハンセン病は 青年期、決起盛んなときに
発病する例が 多かったのだが
ある日 突然、親兄弟 妻子と 突き放され
あちこちの 収容所に 送り込まれた。

自分の 病身を見つめ、杏樹と厨子王のように
最愛の 人たちと 断ち切られた
彼らの 悲しみと 憎しみは 想像に絶する。

『今は 親戚同様に わたしを迎えてくれますが
当初は なかなか 心を 開いてはくれませんでした。

「島に 来られた人たちは
和かな顔で また きますねって 帰っていく。
しかし 誰一人として 続けて訪島したものは ない」

先生が 島を訪ねはじめて 3年目だった。

みんなで 食事を 取っていたときに
横の テーブルをみると エビフライが 残っていた。

「だれも 食べないのなら
これ、わたしが 頂きますよ」

言うや否や 「アムッ」と 食べてしまったのだ。

『なんと !
汚くないのか、わたしたちの 食べ残しが…』

島の 方々と 先生との心が
1つになった 瞬間だった。



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《 四無量心 》

真実の 心、変わらない 心。
これを 仏心と言う。

⚫︎ [ 慈の こころ ]
全てのものに 慈しみをもつ 心

⚫︎[ 悲の こころ ]
世の中の 不幸に 悲しみを 持つことであり
哀れみの 心

⚫︎[ 喜の こころ ]
他人の しあわせを 喜び、
自分の 喜びを 他人に 施す心

⚫︎[ 捨の こころ ]
自分を 捨てて 人の 喜び しあわせを
守ろうとする こころ


そう 四無量心とは 慈悲喜捨の ことである。
[ 仏心とは 大慈悲 これなり ]
この 心の ある人を 仏といい 菩薩という。

満月先生は 正真正銘の お観音さんだったんだね。

わたしも みなさんも
口先だけの 見せかけの愛で なくって
真実の 心で 体当たりしたいものだね。
合掌



【人の非を 責めず 自分の非を 認める 】




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【繰り返される悲劇 幼児虐待を繰り返す父親】

そんな 新聞記事が 目に止まった。
26歳になる 北海道に住む 無職の父親が
生後4ヶ月の 娘を虐待し 娘は意識不明だ。

幼児虐待の 言葉が踊っても
腹はたっても 驚かなくなった。

悲劇は 彼方此方で 枚挙に挙なく繰り返され
憤怒と 悲しみを抱いた 多勢のひとたちが
それに 耐えている。

『職を 失うし 子供は 懐かないし
ムシャクシャしてやった』

父親は 自分を正当化して そのように言った。



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夏目漱石の 愛弟子である 寺田寅彦が
【柿の種】という 本の中で このように言っている。

ゲゲゲの鬼太郎では ないが
ある日、殺人を犯した人の 魂だけを
眠っている 墓場に 呼び集められる。

神仏が 彼らに 聴く。

『あなた方は 既に 死んでしまって
死人には 罪はないというが 反省はしていますか?』

すると 1人の魂は 大声で言った。
『正当だ。俺が やったことは 正当だったんだ』

すると あちこちで 魂たちは 異口同音に いった。

『わたしは 何も 悪いことは していない。
悪いのは 死んだ人間の ほうだ』

神仏は 云う。

『それなら あの時の 犯行現場にいって
その始終を 再現しているところを
第三者に なったと思って ご覧なさい』

魂たちは ゾロゾロ犯行現場に ついて行き、
第三者的に 再現を 見て 大声で言った

『悪かった。
俺が 間違っていた』



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正当性 または 正義というものは
本質的に 主観的なのもでは ないだろうか?

わたしの 立場からみれば
わたしが 正当であり 正義で有るのだが、
相手の立場からみれば
正当性や 正義は 相手側にある。

【忠臣蔵】 赤穂浪士にしても
浪士側から みれば 彼らは義士であって
正当性は 彼らのほうに ある。

一方 、吉良上野介 側からみると
赤穂浪士とは 理不尽な 殺人集団に すぎない。

このように 正当性というものは
見る立場によって 違ってくる。

問題は どうすれば 自分の非を
認めるように なるのだろうか?

お観音さんの
【大慈大悲の 観世音菩薩 】との 請願がこれだ。

その人の気持ちに なり切る。
つまり 相手の立場に 立つということだ。

慈しみと 思いやりの心を 持ち
決して 自分がされて 嫌なことは 他の人には しない。

1番 最初の 墓場の話に 戻るのである。

その人の 心の中に …
いや、その人に なり切ったからこそ 始めて
『わたしが 悪かったのだ』 と 懺悔ができるのだ。
合掌




【過ちを 犯す 自分の弱さを認めれば 他人の 悪を 許せる】




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今、仏教の祖国である スリランカは
大統領選の 真っ只中である。

北海道よりも 少し 小さく
九州よりも 少し大きな スリ ( 光り輝く )
ランカ ( 島 ) である。

わたしも 謁見の栄誉を 受けたが
現大統領こそ 長年続いた 民族戦争 宗教戦争を
集結した 偉大な人なのだ。

シンハリという 全体の7割以上をしめる多数派 仏教徒と
南インドから 南下して スリランカ北部に住む
タミールという イスラム教の人たちが
26年に渡って( 民族戦争は 何百年も続いているのだろう)
憎しみあい いがみ合い 敵対しあい
7万人という 大切な 命までも 奪い合った。

何代もの 大統領が 無し得なかった 平和を勝ちとった
現大統領は 評価して当然だろう。

この 戦争の終結には
お互いが 自分の非を認め
お互いが お互いを 許しあったからこそ
実現したのだ。


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仏教の 祖国 インドも 残念ながら
国教は ヒンズー教であって 仏教ではない。

釈迦が お生まれになる 紀元前 5世紀までは
バラモン教という 民族宗教を 信仰していた。

13世紀に( 日本で言う 室町時代 ) に
イスラム国が でき
16世紀 ( 江戸期 初期 ) に ムガール帝国が
国内を 統一した時点で 仏教は 消滅する。

インドを お参りしてみると
ターバンを 巻いている民族、背の高い 民族、
髭を生やした民族と 見て判断する事はできるが

わたしたちから みて
同じ インド人という 1つの 民族ととしか見えない。

( カースト制は 残って いるものの )
何十という 民族と 何百という 部族が
寄り添うように 助け合って生活している。

俺は 仏教徒だ。
俺は イスラムだ。
俺は キリスト教だ。

そんなことを 言っていたら
こんな 平和な インドの旅は
迎えることが できなかっただろう。


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キリスト教や ユダヤ教は
絶対に 過ちをしないのは 神のみであって
アダムとイブが 楽園を追放された そのときから
生まれながらにして【悪の子】として 生まれてくる。

人間は 神ではないのだから 必ず 悪いことをする。

しかし 神を信じ 神がその悪を お許しになることで
救われるのだ。

わたし達 仏教とは
【生まれながらにして 仏の子】として 生まれてくるが
少しずつ 是俗の 垢がたまり
大人になるに連れて 三毒をもつ
悪人に 成り下がってしまう。

しかし わたしたちも
【懺悔 ; ざんげと 読む】することによって
自分は 過ちを犯す 弱い人間で有ることを 認識し
同時に 他人の 弱さを許せる 人間になることが
教えられて いるのである。

自分自身の 弱さをしっかりと 把握しておかなければ
他人の 弱さを 認識できなくなる。

みなさんは どう ?

隣の 人の 悪を 許すことが できる?
合掌




【 勝てば官軍 負ければ賊軍 】





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もう少しすると 大相撲初場所が 始まる。

将来の横綱を期待できそうな ニューフェイスも
だんだん 力をつけてきているが

なんと言っても 醍醐味は
前代未聞の 大記録 ( 優勝回数 ) を 打ちたてた
モンゴル出身の 大横綱の 活躍ぶりだろう。

昨夜 その大横綱が テレビで 対談をしていた。

『横綱は 成績が悪いと 後がありません。
引退するより 他は ないのです』

現状を 維持するだけでなく
これからも 精進し 切磋琢磨して
大相撲界を 牽引していこうとする決心が
ヒシヒシと 感じられた。

録画で 親方の奥さんに
横綱への 期待を インタビューしていた。

『前代未聞の 大記録を打ち立てたが
これに満足し 溺れることなく 精進し、
心 技 体 揃った人間として 立派な
そして 誰からも 尊敬される横綱になって貰いたい。

後継者を 育成し ますます
相撲界を 引っ張って いってほしい』
と、述べた。



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英語の ことわざに このようなのが ある。

《 力は 正義なり 》

これを 日本版にすると
《勝てば官軍負ければ賊軍》に 相応する。

しかし これを同一視するのは 少し おかしい。

勝てば官軍は 道理がどうであろうが なかろうが
勝ったのもが 正義であるという 考え方だ。

戦国時代の 武将は 下克上の中、
勝ったものが 次々と 全国を統一していくが
そんな卑劣な 戦争をと 思う 戦いもある。

統一選挙で 圧勝した与党の 国政にしても
素晴らしいと 膝を打つのも あれば、
もう少し 考えてよと いうのも あるね。

隣国でも 海洋資源を 傍若無人に 振舞っているが
北の国境の島を 軍事的に 乗っ取られたように
再び 200隻の 漁船が、いや 軍艦が上陸しても
日本は 見ているだけで 為す術もない。

これも 《勝てば官軍負ければ賊軍》だね。




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ところが 《 力は 正義なり 》は
その言葉の 裏に キリストが ついている。

正義である 神は 必ず 正しい者の 味方をし
悪人の 味方は しない。

2人の 人が 喧嘩をする。
神は 必ず正しい者の 味方をするのだから
逆説すると 勝った方が 正しいのだ。

故に 《 力は 正義なり 》は
《勝てば官軍負ければ賊軍》には なり得ない。

残念ながら わたし達は
『勝ちさえすれば良いんだ』
と 考える人が 多くなってきたが
嘆かわしい ことである。

小さな人が 大男を 投げ飛ばす。
これが 大相撲の 醍醐味である。

勝ったのものは 負けたものよりも
なお 切磋琢磨し 心技体を追求して
技術力も 人間的にも 成長し

弱い人への [ たよれる 兄貴 ] に なるだけでなく
手取り足取り 指導をする 優しさも 必要である。

みなさんは
良き [ 兄貴 ][姉貴] に なっていますか?
合掌

【 心の 捉えよう1つで しあわせにも 不幸にも なる 】




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先日 知り合いのお寺さんがこんな事を 言った。

うちの お檀家の おばあちゃんです。

『八十八ケ所霊場 巡拝は 勿論のこと
高野山や 大峰山までお参りしています。
朝夕の お勤めは 欠かした事は ありません。

ここまで 一生懸命、手を合わせて居ますのに
先日、車にひかれて 大怪我をしました。
お陰は 貰えなかったのです』

そこで わたしは こう説明したんです。

『お婆ちゃん、素晴らしい お陰を貰っていますよ。
信心を してなかったら 命を落として居たところです』

ところが おばあちゃんは 目を剥いて 食い下がります。

『大怪我を したと思うから
そんな いい加減な事を 言うのですが
死んでいたら どのような 説明をするのです ?

死ぬまでに
しばらく 時間があったかどうかを 聞いて
何時間後に 死ぬと 即死だったところを
手を合わせているから 少々 生かさせてくれた。

即死だったら
大怪我で もがき苦しまなければ ならないところを
痛みもなく 死ぬことができた。
これも おかげですよと 言うんですか』

『いや~ まいりましたよ』

知人は 頭を かいた。



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般若心経の 前段に このようにある。

【 不生不滅 不垢不浄 不増不減 】

輪廻は 永遠に 繰り返されて
生まれては また 死ぬ。

入れ歯などが 1番 良い例だが
他人からみて 気分の悪くなるような 入れ歯も
当の 本人には 汚くもなんでもない。

背の 低い人からみれば
『なんとこの人は 大きいのか』と。

長身の人からみれば
『案外 小柄だな』と。

【仏の 物差し】で 計ると
大きいもの 小さいもの 綺麗も 汚いもの ない。

その人の 心の変化によって
それは [ 良いもの ] であったり
[悪いもの]であったり する。

悪い事が 起こったときに
もっと 悪い経験をしている人を 思い

『ああ あの人の 苦しみからみれな
わたしの 困難なんか 大したことはない。
ありがたい 事だ 』

悪い事が 起こったときに
自分の 方が 苦しみが多いと 判断した人は

『あの人は
あんなに しあわせな日暮らしをしているのに
わたしばかり 不幸が 襲いかかる。
神も仏も あったものでは ない』

最初の 【 ありがたい 】と 感じた人は
プラス思考の 方で

後の 【不平不満】の 人は
マイナス思考の 人である。

心の 持ちよう1つで マイナス思考から
あっという間に プラス思考に 変わる。

短い 一生。

プラス思考で 考えていこう。






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【 ラン字の 火怨ナ 三毒の罪障を 悉く 噴燃したもう 】


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新春早々の 厳寒の冬型気圧配置の中、
今日の日を 選んで それが緩んだのか
ちょっとした 小春日和の 良き日に

小豆島霊場 第80番札所 子安観音寺にて
本年の 新春 【柴燈大護摩】を 厳修し
【福】を 頂こうと 多勢の檀信徒が お参りをした。

81番札所 恵門ノ不動と 山ノ観音の本尊を
この地に 勧請して 三壇護摩といって
護摩壇が 3つもあるから 豪勢だ。

護摩厳修の 前に 住職が
今年の 10月に 落慶法要を迎える
本堂建立について みなさんに お礼を申し、

今年 1年も 元気で しあわせな
日暮らしを 送りましょうと 挨拶をした。



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今年の 運勢は【三碧木星】が 中宮にはいり
【震】の 掛けに ある。

( 難しいところは 飛ばして 分かるところ
重要な ところだけ 読んでくださいね)

『 或いは 淵より 躍る咎なし 』

陰に 抑えられている 一陽が
奮い立ち 天にもかけ登ろうという状態だ。

しかし 勢いよく 淵から立ち昇ったものの、
まだ 実力が 伴っておらず
心静かに 機の熟すのを 待っている状態である。

待つことの 大切さを教えている 年である。

『 声あって 形 なし 』

胎動、発育、伸長等を 意味するが
多用の 割りには 実益は伴わない年だ。

兌宮に 五黄殺が はいり
金銭の星、金融の星、
経済の動向は 外観的には 好況そうに みえるが
内容は それに伴わず 苦労する年回りである。

金融業界は 警戒含みで 振るわず
大衆は 派手なように見えて 苦労するとの暗示あり。


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社会的情勢 その他の 諸問題を 見てみると
経済的、社会的、道義的な乱れが発端となり
不穏な 事件、金融犯罪、詐欺的行為などの事件が
多発する 傾向にある 年でもある。

今年生まれの 子供は
行動的 積極的で 若いうちから表面に立つことが多い。

しかし 石橋を叩いて渡る心構えなく 突き進むので
言動の 失敗など 敵は生まれ 波乱含みの 感がある。

こうして 見てみると
今年は 天に 駆け上がるのではなく
息を潜めて 跳躍の機会を 待つ年だと 分かる。

『な~んだ。 今年は 駄目なんだ』

それで 終わるのではなく
先ずは 自分自身を 自制して 心に持っている 火を消し
謙虚な 日暮らしを しなければならない。

そして その為に 今日の【柴燈大護摩】が あるのだ。

【 ラン字の 火怨ナ 三毒の 罪障を 悉く 噴焼したもう】

お護摩の 火によって
わたしたちが 持っている ありとあらゆる
悪いことを 全て 焼き尽くしてくれる。

そして 生まれたての 赤ちゃんのような
純真な 心と 身体に戻って 生かされた命を
全うする。

これが しあわせの 基本である。

あ、今 四柱推命の 勉強を 教わっているので
誰でも 無料鑑定して あげるよ。
合掌






【 足るを知る 心 】



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貧寺も【小豆島しあわせ 4ヶ寺参り】と
多勢の 初詣の お参りがあった。

大本山 小豆島大観音から始め奉り 恵門の不動、
山ノ観音 、 本坊 子安観音寺の 4ヶ寺 参拝だ。

【81番 札所 恵門の不動】で 詰めていた
住職が 帰ってきて 残念そうに いった。

『おかしいですね。
今年は 例年に比べて 参拝数が圧倒的に少ない』

本坊 子安観音寺グループが いう。

『うちは 多かったですよ。
去年よりも 一昨年よりも。
… でも、どうしてかな? 』

『お天気の 影響かな ? 』

大観音に 詰めていた僧侶が ホクホク顔でいう。

大晦日から 元日にかけての 天気予報で
この 3日間、西日本では 大雪。
山間地は 積雪の 可能性が大きいとの
予報が 流れ続けた。

『大雪だって。
山間地は 積もったりするのだって…』

そんな事は あり得ないと 思いつつも
『万がいつ … 』と 諦めのムードも 漂った。

山ノ観音や 恵門ノ不動は
標高300mの 山間地に 建っており
1年に 何度かは 雪かきを する。

しかも 元日から 3日間は
初詣の お参りが 参れなくなるとの
気の重い お正月を 迎えた。

『どうか 天候に なりますように』
神仏に 手を合わせる 他はない。



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神仏への 祈願や 参拝者の 一念がとおり
なんとか 元日は 予報に反して 難なく過ごした。

2日も そうだった。

3日目に なると
お天気で 参拝出来る状態が 当たり前で
お天気が崩れるのは その方が おかしい
と 思うようにも なった。

【感謝】の 気持ちが【当然】となり
やがて 【不平不満】と なるのだ。

みなさんも 経験は ない ?

元日には 挨拶のなかで
『こんな 悪天候の中で お足を運んで頂き
本当に ありがとうございました』と あるが

2日には 恒例の 初参りに 当然の如くになり

3日目には
『少ない。こんな 筈は ない。
お天道様も 酷すぎる。なぜ 依にもよって
こんな日に』との 不満な 声は ?



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【百喩経】の 中で こんな話がある。

絶世の美女は 1人の 子供がいた。
しかし 1人では 可哀想だと 第二子を望んだのだが
望みは 叶わなかった。

美女は 神仏に 助けを求めると 神様はこう 言った。

『勿論、望みは 叶えよう。
しかし 条件がある。あなたの 子供( 第一子) を 殺して
その 生き血を お供えしなければ ならない』

そこで 絶世の美女は 第二子 欲しさに
第一子を 殺そうとする。

それを見た 第三者は こう言った。

『あなたは 本当に 馬鹿ではないか。
出来るか 出来無いかも 分からない子供のために
現に ある愛し子を 殺そうとするなんて』と。

美女は ハッと気がつき
子供に 手をかけないですんだ。

私たちは 現実に 今 授かっている子を
可愛がり 大事にするべきだ。

今 ある 現実を 感謝し
過去を 疎んじたり、
未来に 期待を持ちすぎてもいけない。

【足るを知る 心 】

これこそが わたしたちの 毎日を
しあわせに 安寧に暮させていただく
ポイント なのだ。
合掌


【 情状酌量 】

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叔父が 亡くなった。

行年 82歳だった。
亡くなる3日まえに わたしの子供や孫が
お見舞いに行ったときの 写真だ。

【小豆島大観音】完成にあわせて 島に帰ってくれ
影になり日向になって 大観音を支えてくれた。

前立腺がんと言うことで 高松の病院に入院したのは
今年の 夏のことだった。

この半年、入退院を繰り返した結果、
自宅で 息を引き取り
救急車が きたときは 既に帰らぬ人となっていた。

『 検死する ? 』

遺族は 一瞬、凍りついた。

『救急車が 駆けつけたときは 既に
お亡くなりに なっていました。

これは 規則なんで 検死が 必要です』

「病気で 亡くなったんですよ。
事件性の 有無は 見てわかるでしょう。

医者は 無慈悲な 夜叉のような顔を
横に 振った。

何年か 以前に 東京の知人の奥さんが
泣き泣き 言われた言葉を 思い出した。

叔父の場合は 半年の 命だったが
その ご主人は 数年に渡って 自宅で養生した。

その間、血の滲む思いで
奥さんが 献身的に介護して来られたのは
私も みんなも よく知っている。

何年か 介護した結果、自宅で お亡くなりになった。

ところが 献身的な介護をしようが
いくら愛していても 関係ないのだ。

ご主人は【検死】となり
身体の 隅々まで 調べることと なった。

『まるで わたしが 犯人のような 扱いを受け
主人の 死とともに 2重の 悲しみに陥りました』



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『末期ガンなんだよ。
おかしい おかしいと 思っていたら
前立腺に 腫瘍があり すでに
それが骨髄や色んなことろに転移をしている。

いつ迄 生きれるかを 聞いてみたら
今すぐかも してないし 10年後かもしれない。
本人の 運命だってさ。

病気と 仲良く 根気良く付きあえば
延命の 可能性は あるのだってさ』

はじめて 病院に見舞いに行ったとき
不安な 顔をして 叔父は そう言った。

病名から 進行状況まで 全て知っていて
気力は ガックリと 落ち込んでいた。

知り合いの 但馬は和田山の お婆さんが
子宮ガンに なった。

ところが 後代の方たちは
最期の さいごまで 【痔】で 通した。

『お婆さん、また 出血したんですって。
あまり きばるから 持病の 痔が でるんですよ。

年が いっているんだから
痔が でないように 気をつけてくださいよ』

お婆さんは 仏さんのような
安らかな 顔で お浄土に 召された。


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【情状酌量】という 言葉がある。

裁判官などが 諸事情を考慮して
刑罰を 軽くすること。

また 一般にも
過失を咎めたり 微罪したりするときに
同情すべき点などを考慮する。

同情の 扱いを する。

快復して 再び 日の目を見れるような
癌であれば 全てを知らせ
『共に 頑張って 病気に打ち勝とうね』
も、良いけれど 死を直前にした人に
事実を 述べて 何の得が あるのだろう ?

『決まりだから 仕方がない』

検死を 進めた 医者も
状況を 判断した上で【情状酌量】の処置は
取れなかったのだろうか ?

【 嘘 も方便】

仏教は 勿論のこと
わたしたちの 日々の 生活の中で
1番 大切なことである。

嘘を つくことは 良くないことだ。

しかし 仏さんのような 安らかな顔で
召されていった お婆さんのことを 思うと
その 嘘も 素晴らしい言葉に なる。

そして その想いと 行動と 言葉とが
お観音さんの 【 慈悲 】なのだ。

そんな 思いをしながら
叔父に 至心に 手を合わす。

どうか 良いところに 召されますように。
合掌

【 男女同権 不完全同士だから 助け合える 】




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住職を 後代に譲ってから
ときどき 頂いた後の食器を洗う
お手伝いを するようになった。

男女同権を 叫ばれだして半世紀がくる。

男と 女とが 同等の権利と義務を
有しているという 考え方だ。

昭和50年ごろ 高野山の本山布教師の指導に
このような お話があった。

その お家は 共働きだ。

大変 仲良しで 何をするにしても
2人で 協力する。
炊事 洗濯 掃除 風呂 買い物…。

妻が 夫に お願いをした。

『あなたー 。
トイレに行きたいのだけど
今、手が はなせないの。
代わりに 行ってくれませんか?』

妻が 夫に お願いをした。

『あなたー。
そろそろ 赤ちゃんが欲しいのだけれど
代わりに あなたが 産んでくれない?
お給料だって わたしの方が 多いでしょう』

確かに キャリアーウーマンの 方は
夫よりも 忙しく 給料も多い人も多勢いる。

しかし、男は 男の本分があり
女には 女しかできない 天分がある。

それを 味噌のクソも 一緒に考えるから
問題が 起きる。


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禁断の木の実を 食べたがばかりに
ユートピアを 追い出された アダムとイブは
一糸まとわない姿で 出会った。

『わたしたち どこか 体つきが違うわね』

「うん、ほどんど 同じだと思うのだけれど
なにか 余分なものが ついているんだ」

『わたしは ほどんど 同じだと思うのだけれど
あなたに 比べて なにか 不足している部分があるの』

「余分なものも 不足しているものも
僕たちにとって お互いに 足りないところだ。

その 足りないところを 協力しあって
2人で 素晴らしい国を 創り上げようよ」

やがて 国ができ 子孫ができ
今の わたしたちが 誕生した。


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アダムとイブの お話から考えると
男も 女も どちらも 不完全なのだ。

不完全な 存在である 男と女が
お互いに 補完しあい 寄り添い

自分の 持っている天分を 12分に 活動して

助け合うかたちで パートナーになって
生きていくのが
人間として 最高の生き方である。

【男女同権】の 本当の 意味を
もう1度 考え直して 仕切り直しをすれば
今以上に しあわせな 家庭が築けるだろうな。
合掌

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【 因縁の 法則 】


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『 ちょっと 来て 助けておくれ ! 』

悲鳴の 主は わたしで
離れた所にいる 家内に助けを求めているのだ。

夏のあいだ 外に出していた観葉植物を
室内に 入れる作業をしていたのだが
そのうちの1つを 家の中で ひっくり返したのだ。

部屋中 あたかも 戦争が起こった様な惨状だ。

『もう 年なんだから 1人で なさらずに
言ってくれれば みんなで 手伝いますのに』

昨年までは なんの問題もなく 運べた物が
今年は 足がもつれてしまった。

1本づつ 頂いた植物が 努力のかいもあって
何年か後に 20鉢近くに 増えた。

【因果の 法則】で 頂いた1本の木があったから
沢山の 鉢に 分けれるだけ増えた。

わたしの 身体が 知らず識らずに 弱っているために
結果、鉢の 1つを 返してしまった。

返してしまった 結果、
いくら 掃除しても 拭いても 洗っても
付いた 染みは 取れることはなくなった。

毎年のように 室内に入れ 暖めるから
結果 多分 これからも 寒さで枯れることはないだろう。

これが【 因果の 法則】だ。

【因】が ある結果 【果】が 生まれる。


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【 善因善果 】【 悪因悪果 】という
言葉が ある。

因果の法則で
良いことを すれば いい結果が生まれる。
悪いことを すれば 悪い結果になる。

故に 悪いことをせずに
良いことを しなさいという 戒めの言葉だ。

この意味を わたしたちは
間違えて 思い込んでいることがある。

満員電車で 年寄りに 席を譲った。
『良いことを すれば 良い結果がうまれる。
今日 買った 宝くじ、絶対に3億円 あたるだろう』

席を譲ったことは【善行】で 大変 良いことをした。

その結果、老人は 深く感謝をし 喜んだ。
その 笑顔を見て 自分の善行を 嬉しく思った。
最高な 気分だ。

悪い方を 考えてみると
わたしは 膵臓が悪く 医者から飲酒を止められている。

ところが 根から好きなもので つい 一口。

『1杯目は 人が 酒を飲み 2杯目は 酒が酒を呑み
3杯目は 酒が 人をのむ』

1杯の 酒を飲むと それが【因】となり
つい 2杯目の 酒を 飲みたくなる。
その結果 【果】として 膵炎を発症し
膵臓癌に なって死んでしまう。


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【因】と【果】は いつも 隣り合っている。

だから 良いことをして その結果
なにかの 報酬を貰えるのではなくて
良いことができる その結果を 喜ばなければならない。

悪いことをしたときには
その 悪行をしている自分を 悲しむ。

そして その結果、悪をしないように心がける。

それが【善因善果】【悪因悪果】の 法則なのだ。
合掌



【 山川草木 悉有佛性 私たちと同じように 皆 生命を持っている】



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寒風の中 寺の周りを 歩いてみた。

どの家も この家も 廃墟と化し
子供の声や 泣き声など 聞くこともない。

寺の真下に 性悪のガキ大将が いた。

もっと 大きかったかと 思ったが
ミカン畑が 今も名残として残っている。

目は 見えないが 耳の 物凄くいい お婆さんがいた。

ガキ大将のお宅で 遊びに夢中になっていたとき
お婆さんが 叫んだ。

『誰かが うちの ミカンを 盗んでいる』

わたしも ガキ大将も 全く 気づかなかったのだが
お婆さんの 命令一下
『こら 待てーっ』と 後を おった。

その お家に たどり着いたのだが
わたしも ガキ大将も 思わず息をのんだ。

戦後直後の事で どこのお家も 食料事情も良くない。

まるで 戦前か 戦時中のような 真っ暗な土間で
兄弟が 今、とってきたミカンを 大事そうに
分けあっていたのだ。

流石の ガキ大将も 一言も 声がでず
すごすごと 退散し、わたしも 後をおった。

お婆さんに これこれシカジカと 話すと
『もっと 持って行ってやれ』との事。

そのときの あの兄弟の 嬉しそうな顔と
それを見て喜ぶ ガキ大将の顔が 忘れられない。

思い出だけが 彷彿として 残り
だ~れも 居ない空虚な空間。

世の中は 移り変わっているのだ。


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わたしたちは お食事を 頂くとき
1番最初に 綺麗なお箸で 食膳の飯を
一箸分だけ 取り分けて片隅に置く。

【 じきじ作法 】といって 食事をするとき、

動物のように 【喰らいつく】のではなく
感謝とともに【頂く】のですよ、とか

動物のように 顔を食べものに近づけるのではなく
お箸を上手に使って 食べるにですよ とか

動物のように 音を出して食べては 駄目だ とか
お約束事が ある中で

その【動物】 いわゆる 餓鬼に 供養しなさい
と ある。

食事を 頂いたあと、感謝をしながら
食べる前に 取り置いた お物販を
鳥や 動物に 供養する。

法事に 行ったときに 施主の方が
『鳥に 食べられないように サランラップを
まくのですわ』との言葉に
ガッカリして 帰ることがある。


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高野山の 前管長猊下が よく仰っていた言葉に
《 一切衆生 悉有佛性 》がある。

比叡山でも 《 草木国土 悉皆佛性 》とあり

人間や 動物だけでなく 山や 海、空や 大地に至るまで
山川草木 全て ( 仏さんの ) 生命を 持っている。

無駄な 開発をしたり 何十億年も かかって
やっと出来上がった 資源を 僅か 100年や200年で
使い切ってしまう 勢いである。

『お互いが お互いに 助け合っていかなければ
地球環境なんか すぐに変わってしまう。

勿体無いことだ』

お出会いするごとに 前管長猊下は そう仰る。

そのためには わたしたちは
1人 1人に 思いやりの心を もち
1つ 1つに 感謝の気持ちを 持たなければ
ならない。

その 心を【仏心】といい 仏さんの心であるし
その行いは 【菩薩行】という。

あのときの おみかん。
あの友人は 今でも 思い出しているかな ?
合掌

【 自分が 1番可愛い。だからこそ 他人を 傷つけては ならない】


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頭に 銃弾をあび 一命をとりとめた
17歳になる パキスタンの少女 アララさんが
【ノーベル平和賞】を 受賞した。

全世界の 喜びもつかぬま

単独犯だというのだが オーストラリアの
繁華街で 立てこもり事件が起き
銃撃戦で 犠牲者もで 犯人も死亡した。

その 事件を 皮切りに 学校 襲撃事件が起き
132名の前途有望な大切な 生命が失われ、
アフリカでは 市民への大量虐殺か 起り
沢山の遺体が 真っ黒な 大地に 転がった。

学校は より良い教育を受けて
教学を身につける場所だし
市街地には しあわせを求めて
多くの人々が 寄り添うように生活している所だ。

それぞれに 主義主張があるのだろうが
何があろうと 武器を持たないものに
無慈悲な 行いをしては ならない。



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釈迦の ころに インド コーサラ国の
波斯王 ( はしのくおう ) が 妃のマリ夫人に尋ねた。

『あなたにとって 自分自身 以上に
愛しい 人間は いますか? 』と。

王は 妃の
『なにを 仰います 王さま。
わたしは 私自身 以上に 王さまを 愛しています』
と 言う答えを 前提として。

ところが 妃は 豈反せんにゃ このように応える。
「いいえ、わたし以上に 愛しい者は誰もありません。
大さまは ご自身以上に 愛しい人は
他に おられますか?」

最初は ムッとした 王さまも
『わたしも わたし自身以上に 愛しいものは
他には ない。でも それで いいのだろうか?』
釈迦に 相談にきた。

釈迦は いう。
『王さま。それで 良いのです。
いかなる 生物にとっても 自分自身よりも
愛しい 存在は 絶対に 他に見つけることはできない。

だからこそ わたしたちは
他人を攻撃しては ならない』


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わたしたちは 釈迦の 教えに従って
愛国心教育を 受けている。

如何なる 国の人たちも
他国よりも 自国を 愛している。

自国が 他国より 攻撃を受けたり
非難を されたりすれば 自国を守ろうとする。

その点、釈迦の教えや
愛国心教育が なされていなかったのか
我が国、日本国は 我が国を 愛るる度合が低い。

オリンピックや サッカー競技には
ときどき 愛国心を 覗かせたりするが

我が国が 他国から 攻撃されようが
1000隻の 漁船で 侵略され 資源を横取りされようが
我が領土に 軍事基地を作られようが
全く 他人事だ。

自国を 第三国の 助けをからず
我が手で 守り抜くのが 愛国心だが

わたしたちは 他国を
攻撃や 侵略することは 勿論のこと

隣にいる 人たちにも
その人たちが 嫌うような 行動をしては ならない。

合掌

【どうでも 良いようなことだっったら 見過ごす 心のゆとりが欲しい】




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【小豆島霊場 第80番札所 子安観音寺】
本堂 再建も 地鎮祭 上棟式と進み
威風堂々たる大屋根に瓦がのる 段になった。

今日は 1年中で 最も厳寒の中、

棟梁 西嶋工務店社長をはじめ
総代 建設委員 または 有縁の方々が
檀信徒の皆さんの お心のこもった奉納瓦に
1枚ずつ お名前を入れていく 作業をおこなった。

1万 3500枚の瓦が 大屋根にのるそうで
多勢の人々の 祈りが 1つの屋根に 凝縮される
記念すべき素晴らしい日である。

たまたま それを知らずに 参拝して来られた
お遍路さんが その光景にでくわせた。

『みなさん、ありがたい事ですね。
みなさんが 奉納なさった 1万枚の瓦に
今、お名前を書いて います。
未来永劫に 大屋根にのこるのですよ。
ご仏縁ですね』

一同は 大屋根を見上げ おおっと 歓声を上げる。

ところが 横にいた人が
『1万枚 ではない。1万 3500枚だ』と 水をさす。

それを 聞いた人たちは
『ほう 1万 3500枚ですか』と 驚いてはみせるが
どちらでも 良いような感じだった。


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《 見過ごす 》

そんな言葉が あるね。

⚫︎ 見ていながら 気がつかない。見落とす。
⚫︎ 気がついていながら 何もせずそのままにしておく。
放置する。

毎日の 生き様の中で 見過ごしたほうが 良いことが
いっぱいある。
それとは 絶対に見落としてはならぬものも沢山ある。

そして その両者は なかなか分別つけがたく
むつかしい。

釈迦は このように 諭す。

【他人の 過去を 見てはならない。
他人が したこと しなかったことを 見てはならない。

ただ 自分がしたこと しなかった事をみて
それが 正しかったか 正しくなかったかを
よく 判断しなさい】


わたしたちは 他人のミスには 見逃さず
あんなことをした こんなことをしたと
批判がましいことを 言ってのける。

そこで 釈迦はいう。

絶対に 見逃しては ならぬことと
見逃しても いいこととを 判断しなさい。

見逃しても 聞き逃しても いいようなことは
相手に 恥をかかさず 見逃しなさい。

瓦の 問題でも
参って来られた お遍路さんに とっては
1万枚でも 1万3500枚でも
どちらでも 良いのだ。

しかし 建設している
宮大工 西嶋工務店にすれば そうはいかない。

1枚 半枚が 命取りになるのだ。

その 仕分けを間違えないように
的確にしなさいというのが 今回の釈迦の教えだ。
合掌


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【有能な人も 無能なひとも 持っている力を 十分 発揮できれば 素晴らしい】




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ひろ さちや先生の 本で 興味深いのが あった。

今日も 蟻さんを見た。
寒いなかを 一生懸命 働いている。

コウロギは 怠け者で困ったもんだが
蟻は みんなが せっせと働いているのかと思った。

ところが 昆虫学者の発表では
真面に 働いているアリは 全体の2割なんだって。

あとの 8割は せっせと動いているものの
働いては ないのだ。

実験は進み、働いている 有能な蟻ばかり集めて
新しい 集団を作ってみると
なんと 8割が 怠け者の蟻さんに 変わった。

今度は 怠けものの蟻ばかり 集めて
集団を作らせると 2割が 勤勉に 働いた。

イタリアの 経済学者 パレードの報告によると

人間の 集団についても 同じ結果が出て
セールスマンに ついて 考えると
2割が 優秀なセールスをし
後は それをサポートしているのだそうだ。

と、いって 人間にしても 蟻にしても
あとの 8割の 助けがあって
はじめて 実力を発揮できたのだと。


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小豆島には
島の彼方此方に 【残念石】が 点在している。

豊臣秀吉の 大阪城築城に あたり
各藩からの 石の寄進を 呼びかけ
こぞって 大阪に 奉納した。

直轄地であった 小豆島も 沢山の石を 献上したが
切り出すだけだして 大阪に送れもせず
1人 淋しく残っているのだ。

さて 築城の 石垣だが 何十万個と言う無数の石が
縁によって 隣り合い 上下になりながら
お互いが お互いを 助け合い
何が起きても ビクともしない
石垣を 作り上げているのだ。

蛇足だが 煉瓦造りは 綺麗だけれど 弱い。

一目瞭然、各々は 綺麗なのだが
お互いに 助け合っていないのだ。

わたしたち 人間社会にも
見るからに 有能な人物もいる。

だが 幾ら 有能な人間でも
『俺が 俺が』赤ら顔を 踏ん張っても
助けがなければ 実力を 発揮できない。

1人 1人が 自分の持っている個性を
12分に 発揮してこそ
物事は 成就し 発展をするのだ。

わたしたち 人間社会も アリさんの社会も
同じだね。
合掌


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【分別した 瞬間から 好き 嫌いの 感情が生まれる】




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昭和50年前後だったと 思う。

地域の 総会に行ったとき
時の 自治会長 ( 総代と よんでいた ) が
『明日から ゴミは種類別に分けて出してくれ』
と 満座の中で もうした。

当然 公民館の中は 熱気ムンムンとして
議論伯仲するだろうなと 思いきや

『分別して だせば良いわけだね。わかった』
全員が 当然の如くとして 捉え
全く 波風が 立たなかった。

今は 皆さんが当然の事として 分別しているが
あの時の 住民の方の対応は 衝撃的だったね。

さて 同じ【分別】という 文字だが
読み方を変えれば 意味が変わってしまう。

⚫︎分別 ( ぶんべつ )
種類によって 分けること。
区別すること。

⚫︎分別 ( ふんべつ )
思惟ともいい 道理をわきまえて いること。
善悪や 損得を よく考えること。

世間一般では 分別は 良い意味で使われる。

『あの人は 分別のある立派な人だ』
『わたしたちも 分別を 持たなければならない』

ところが 仏教で解釈すると こうなる。


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子供のころ、檀家や信者の皆さんが
わたしに よく 質問した。

『 お父さんと お母さんとは どちらが好き ?』

わたしは 持っていたお菓子を 半分にわり
質問した おじさんに 言った。

『おじさん。
この われたお菓子、右と左と どちらが美味しい?』

仏教においての 分別とは
わざわざ 分ける必要が無いものを 分けておいて
どちらが 良いか悪いか 判断しようとすることだ。

威風堂々たる 屈強の大男や
可愛い子供が 居たとする。

ところが これらの人が 2人いるとなれば
わたしたちは 直ぐに 比較しようとする。

どちらが 強いだろうか?
どちらが 背が高いか ?

どちらが 賢いだろうか ?
どちらが 可愛いか?

そして 分別すると 必ず そこに
好き 嫌いの 感情が生まれる。

仏さんは いつも
『分別するな』『比較するな』という。

仏さんの 慈悲の目からすると
屈強な 大男も 幼気ない子供も
うらわかき美女も 老人も

みんな 可愛い 自分の子供として
写って いるのだ。

それを【無分別智】という。

わたしたちも 無分別智という慈悲の心で
あの子も この人も おなじように
愛する心を 持つように 心がけようね。
合掌






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