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【 地獄、極楽は いったい どこに あるのだろう ? 】



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ご法事の席で おじいさんが 唾をとばして話す。

『極楽 ~? 行った いった。
行って 帰ってきたぞ』

「一面 お花畑で 綺麗なのでしょう ? 」

『そりゃー まわり一面 花盛りよ。
えっ? 何色の 花だったかって 。
はて 何色だったかな ?

ま、とにかく 一色や 二色では ない。
見渡すかぎり 花 花 花だ。

真ん中に 滔々と 川がながれ
鳥や 蝶々や … そうだ 天女が 飛んでいるんだ』

「えっ 天女まで 飛んでいるのですか?」

『船着場が あってな。
六文銭を 払って さあ 舟に 乗ろうとしたら
「おーい」「おーい」と 云う声が するんだ。

どうやら その声は
婆さんや 子供達の 声のようだ。

「なんだ ? 」

と、ふり返ると そこは 病院の中で
婆さんや 子供達が ワシの手を 握って
「おじいさん 帰ってきて~」と、叫んでいる。

あのまま、知らぬ顔をして 舟に 乗っていたら
ワシは 死んで いただろう』

「凄い 経験をしてきましたね」

と、相づちを うっているひとも
聞いているひとも 笑っている。



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【地獄】【極楽】なんて 嘘に決まっている。
もし、あるのなら お目にかかりたい ものだ。

日本の 知識人の 殆どの 人が そう思っている。

わたしも そうだが そんな話をきくと
ひろ さちや先生も 悲しい気持ちに なるそうだ。

そして 先生は こう 仰る。

ー みなす ー

法律用語に そんな 言葉が ある。

広辞苑を 紐解いてみると
《 性質を 異にする事物について
法律上 これを 同一視する》と ある。

[民法 第886条 第1項]

《胎児は 相続については 既に生まれたものとみなす》
⚫︎ ⚫︎ ⚫︎
まだ 胎児は 人間には なり切っていない。
その 胎児を 人間とみるのが みなす である。

地獄 極楽も その通り。

わたしたちは 見ることもできなければ、
行って 戻ってくることも できない。

しかし、わたしたちは
生前に 悪いことをしていれば 地獄に 堕ち
善行の 徳を 積んだ人は 地獄に 行くのである。

と、みなす のである。



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『地獄 極楽なんか どこにあるのだ 』

幼稚なことを 云う 人間は 非常に悲しい人である。

この 現世 ( うつしよ ) で
いくら 莫大な 富や 名誉を 獲得しようが
ウン と 眼を閉じたとき、その どれもが
次の 世界まで 持っていけるものは ない。

死後の 世界は 無いという人は
只々、現世において 財産や 名誉などに
執着して 生きているのでは あるまいか?。

わたしは 次の世界に 行くときにも

『どこにも 行く ところが無い。
我が 身体は 朽ちてなくなり それで 終わりだ。
骨は 何処かに まいてくれ』

そんな やぶれかぶれの 発想をするよりも
『素晴らしい 思い出を持って いきます』
そんな 気持ちに ならないのだろうか。

そして 【素晴らしい 思い出】とは
金や 財産を 残した 執着の 思い出よりも
あの時、ああしたら あの人は 喜んだ。
こうしたら この人は 泣いて 喜んだ。

【素晴らしい 思い出】とは 【善行】の 思い出なのだ。

そして これは ハッキリといえる。

【地獄 極楽は 死んでから 行くのではなく
生きている いま、わたしたちは 行かなくてはならない】

何事にも 感謝をし 喜びの毎日を 送っていると
その 瞬間、わたしたちは 【極楽】の 花園に 立てるし

何事にも 不平不満で しかめっ面の 毎日を送っていると
その瞬間、わたしたちは 奈落の底に 落ちるのだ。

生きたまま、極楽の門を 叩きたかったら
心しずかに 報恩感謝の 毎日を 送ることだ。
合掌

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