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【 親の 愛 】 に 勝るもの なし

一日、孫 二人を預かった。
とても いい子で 利発で活発で 明るく振る舞い 一日中、はしゃぎ回った。
でも 家政婦は…いや、ジジは知っている。明るく振る舞っていた 裏側で涙していた事を。
やがて 夕方、母親が 帰ってくる。『 ジジ、ありがとう。どお ? 良い子に してた 』
勿論、いい子だ。『 一日中、走り回っていたよ。もう ママは 要らないね 』
しかし ジジは知って知っている。陰でこっそり 涙していたことを。
夜中の 11時もすぎた頃、会社帰りの パパが迎えにきた。『 パパーッ ! 』
光るような顔をして、パパに飛びついた。声がねも 違う。
『 これから お家に帰って パパとママと 4人で おネンネするの 』『 えー、4にん ?
ジジは その中には 入らないの ? 』『 ジジは はいらないの ! 』
当然の事ながら、【 親の恩愛に 勝るもの 】は ない。
やがてジジが 死んだ時は 孫たちに 『へんな ジイちゃんが居たな 』と、心の隅にでも
届めて貰ったらとも ぼんやり考える。
お釈迦さんが 入滅する直前の足跡を書いた《 大般涅槃経 》と言う 有名な教典に
《 自燈明 法燈明 》じとうみょう ほうとうみょう と言う言葉が出てくる。
死 直前の釈迦を前にして 『師がこの世を去られた後、我々は一体、何を頼りに生きていけば
良いのですか? 』涙ながらに弟子が問い掛けた 答の《 お言葉 》だ。
《 皆さんは、これからは ここに 自らを燈明とし、自らを拠り所として 他人を拠り所とせず
法を灯明とし 法を拠り所として 他を拠り所とせずに 生活をすればよろしい 》
孫は 孫自身を 《燈明 》として生きていくだろう。孫の思い出の片隅にでも、留めておいて
欲しいなんかは 孫が考える事で、全く姑息な考えであった。
ただ、孫の 《自燈明 》の中に ジジがいるかどうかは 別として。
合掌

120111写真



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詳しくは、こちらから。
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