スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

【 本当の 妙好人 とは 】




150207-1写真


節分も 終わり 立春を迎えた。

月日の 経つのが 本当に早いと
関心をしていることろに 知人から 電話がかかった。

ご自分は 大病を患い 大分 快復してきた。

そんなとき、奥さんが ちょっと 忘れっぽくなり
奥さんは 別々の病院に 入ることになった。

『わたしに 介護が欲しいぐらいだけれど
今週中に 退院して 家内についてあげようと思う。
わたしの 名前ばかり 呼ぶようなので』

その事を もう1人の 知人に電話をした。
なんとか 良い方法が ないものかと。

もう1人の 知人は 言った。

『あなたにも 誰にも言ってないけれど
実は 長男の奥さんと 今回 入院した 奥さんとが
不和になり 長男一家が 家を出たみたいだ。

冷たいようなけれど わたしも 君も
どうすることも できない。

してあげられることは 長男一家と 本人とが
話し合う 機会を つくってあげることしかない』

そして 彼は 続けた。

『うちも 亡き 母親が いた頃は
一家が 地獄絵図の ようだった。

2~3日 行方不明になって 発見されたのが
自宅から 10キロも先の 海だったり
家内と 2人で お風呂に いれていると
「誰か 知らん人が わたしの 衣服を 脱がす。
エッチ ! 」
どうにも ならなかった。
昼間は グウグウ 寝て
夜には 元気になって 徘徊するのだ。

そんなとき わたしは勿論のこと
家内、孫たちが 一丸となって 介護をした。

一家の 絆というものを 感じた
10年間 だったな』


150207-2image.jpeg

image.jpeg







《 妙好人 : みょうこうじん 》という 言葉がある。

辞書で引いてみると
えもいわれぬ、何ともいえない好ましい
素晴らしい人 と なるが 仏教では少し 違うようだ。

妙好人と 大勢のひとから 言われていた 老婆がいた。

ひなびた 漁村に住んでいる 老婆は
生かされていることに 感謝し
家族全員が 無事で 幸せな日暮らしができることを喜び、
常に 神仏に 手をあわせていた。

ある夏に 家族全員が 対岸にある
親戚の お家に 行くことになった。

風もなく 波も立っていない 小舟は
順風万歩に 水面を滑るように船出した。

ところが 舟が中ほどまで 進んだときに
子供がでも 騒いだのだろうか
舟が 転覆して 腹を見せてしまった。

家族は 必死の思いで 舟に すがりつき
安全を 確かめつと 妙好人の 老婆の姿が見えない。

ちからを 合わせて 舟を元に 戻すと
老婆は 舟の真ん中で 一生懸命 手をあわせていた。

150207-3image.jpeg

image.jpeg






仏教でいう 《妙好》とは
清浄な 白い 蓮華の中を いう。

無心に 学問がなくても 教育が なくても
愚かな考えを 持つこともなく
自然の恵みに 感謝して 清く正しく 生きる。

これを 妙好人と いう。

では 非妙好人とは
学問が できても 教育がなされていても
愚かな考えや 行動をして
自分のことしか考えず 不平不満で 生きる かな。

1人の 知人の 一家は 総出で お婆さんの介護をした。
片方の 家族は 言い争いが原因で 家を 出たまま、
家族に 何が起ころうとも 知らぬ存ぜぬだ。

『うちの子は 成績が よくって』

と、自慢するよりも 心根の優しい
慈悲と 智慧をもった子に 育てたいね。

そして そんな人のことを わたしたちは
『 お観音さん 』と いう。
合掌

スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

子安観音寺

Author:子安観音寺
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
フリーエリア
検索フォーム
リンク
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
フリーエリア
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。