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【 合掌をすれば 相手も合掌を返し、微笑むと 微笑み返す 】




150226-1写真

交通量の多い 交差点で 老婆が転倒した。

誰 1人 救いの手を差し出す人もなく
人混みに もみくちゃにされながら
老婆に 為す術もない。

そんな中、少年が 助け起こし
向側の信号まで 負んぶして 渡った。

少年の 姿が見えなくなるまで
いつまでも いつまでも 両方の手を
掌に合わせて 合掌して見送ったのは
言うまでもない。

ところが この少年がゆすり たかり イジメ
何でもありの 札付きの 性悪であった。

【 右ほとけ 左はわれと 合わすての
なかぞ ゆかしき 南無の ひと声】

わたしたちの 心は 仏心と 悪心の狭間を
常に 行ったり来たり 揺れ歩く。

『なにとぞ いつも 仏心がもてますように』

胸の前で 手を合わせ 合掌するのである。


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キリストを 信仰している人たちは
困苦に あったときのみならず
勉学でも スポーツでも
事を起こす前には 必ず 十字を切る。

それに比べて 日本人は 信仰心のカケラも無い。

結婚式は教会で 初詣はお宮さん 葬式は 寺でと
お願いする場所も 相手も 一貫性が ない。

そんな 無信心な わたしたちが

テレビの クイズ番組なんかで
当たるか 当たらないか 大きな効果音と共に
待ちうけるその間、思わず知らずして
胸の前で 合掌して結果をみまもる。

合掌

『右の手と 左の手を 合わせると
シワと シワが 重なって し あ わ せ 』

『手の甲と 甲とを 合わせると 節と節が 重なる。
こすると 痛いので ふ し あ わ せ 』

これは 単なる語呂合わせだが
人の手には 表情があり
心の動きが そのまま あらわれる。

【神仏は 電車の 吊り革のような ものだ。
人は 人生の曲がり角がくると ぶら下がる】

わたしたちは 自分の力が 及ばなくなったとき
はじめて 神仏に 手を合わす。

願い事をするときは 懸命に手を 擦り合わせる。
感謝するときや 懺悔のときは 手を組み合わせ
尊敬の念を 表すときは そっと手を合わせる。

合掌を することは
わたしたちの悩みを乗り越えて
強く 正しく生き抜く 力が 湧いて来るのである。
合掌
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