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【いざ 鎌倉のときに 助けを求める 相手とは ? 】

131111-1写真
『わたしは 神や仏は 信じないわ。
本当に 信じられるのは 自分だけ』

豪語している 人たちが いざ鎌倉となれば
両手を 合わせて 懇願する。

1番 如実に表れているのが
今は あまり観ないけれど テレビ放送で
クイズに 正解すれば 1000万円というのを
やっていた。

『正解か ?』『不正解か ? 』
というところで、司会者の かけ声とともに
効果音の 音楽も 最高潮になり響く。

その中心には 目を閉じて 両手を合わせて
必死に 懇願している本人が いるのだ。

いけない事なのだが つい
『あれ ? 神仏など 信じないわ』と
言っていたのにと、醒めた目で 見てしまう。

私たちが 気がつかないだけで
私たちの 心の中には 神仏は いるのだ。

お釈迦さんでも 良い。
キリストでも マホメットでも
父でも 母でも 良い。

困って困って 困り抜いているときに
『おか~さん』と、
何故 心から すがれないのだろう ?

戦争にいって 愈々 玉砕するという時に
『おかあさん』と 叫びながら突入する。

日本では あまり 見られないが
外国にいくと 友情の 証として
互いが 抱き合い 頬を寄せ合う。

ちょっと 待ってよと 思うかもしれないが
これが 挨拶であり
私たちが 潜在的に持っている 実証で
【仏心】なのだ。

釈迦の 教えが ある。

【人は 恐れに かられて
多くの 山 林 園 木 霊樹に 手を合わせる】

わが 生き死にに 関する時、
自分が 欲しいものが 得られないとき、
持っている 財産を 失いたくない時、

わたしたちは 言う 言わない
思う 思わないに 拘らず
不安や 恐れを 感じる。

そんなとき 自分でも 気がつかなかったぐらい
真剣に 神仏と 向きあい
目をつむり 両手を すり合わす。

自分だけ 信じていれば 良いなんて考えは
本来、わたしたちは 持ってないのだね。

神でも 仏でも 母でも 友人でも
頼ることができる 存在が あるということは
最高の 喜びであり しあわせて ある。

ほろほとと 鳴く 山鳥の 声 聞けば
父かとぞ 想う 母かとぞ 思う
合掌
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