スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

【時々は 立ちどまって 心の鏡を 覗いて みよう】

131201-1写真
本堂 再建のお願いに 勧進帳をもって
姫路路を 歩いている。

お勤めも終わり 仏間で お茶をいただく。
最近は 急に寒くなって 冷えきった部屋には
熱いお茶が ありがたい。

ところが 暫くすると お茶を飲みながら
ギョッとした。

仏間から 玄関の入口に 人影が 見え隠れする。

えっ? と、息を凝らして 見つめると
同じように 衣をきて 袈裟を着けている
僧侶が いる。

『旦那寺の ご住職が 来られたのかな ?
では わたしは 急いで 退散しなくては……』

その 僧侶も ジジと 同じように
両手を 添えて お茶を飲んでいる。

『えっ 表で お飲みに ならなくても
こちらに来て 召し上がれば いいのに』

ところが ジジの 箸の上げ下ろしまで
全て 同じなのだ。

目を凝らして 見ると わたしの
不細工な 顔と ブサイクな 体型が みえる。

『ありゃありゃ あれは 鏡だ』

玄関に 身体全体を 写せるような
大きな 鏡があり それに写る 一挙一動をみて
1人 驚いたり 卑屈になったりしていたのだ。

鏡は 自分では 全く気づいていないまま
自身の 心のままの 具現化する。

可笑しいときは 醜い 歯ぐきを剥き出して
下品な 笑をする。

『知らなかった…。
今まで こんな 下品な 笑い方を していたのか』

腹が立って 仕方が ないときがある。

プンプンしているのは 周囲の人は わかる。
しかし 自分では 今、自身が どんな行動をし
周囲が それに対して どんな対応をしているのか
さっぱり 分かって いないのだ。

私たちは 人さまのことは よく見えて
それに対して 批判は してでも

さて 自分のこととなると
その 姿かたちは 1日のほとんどで
見ることが できていない。

お化粧をしても 髭を そっても
それは 顔の 一点を 見つめている だけなのだ。

自分自身を 見つめ、本当の自分は
今、何をし どのように 行動をしなければ
ならないかは
さっぱり 見えて いないのだ。

経典の 教えは 私たちの 心のまま
そっくり そのまま 鏡に 写し出す。

自分自身が どんな 顔をしているのか
どんな 行動を とっているのか
周囲は それについて どのような反応を
しているのか

私たちは 時々 立ちどまって
【心の 鏡】を 見なければ ならないだろう。
合掌
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

子安観音寺

Author:子安観音寺
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
フリーエリア
検索フォーム
リンク
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
フリーエリア
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。