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【魏志倭人伝】

【魏志倭人伝】140307-1写真
覚えているよね。

邪馬台国の 卑弥呼という女王がいた。

その時代の 中国サイドからみた
日本までの行程、距離、文化、風習まで
事細かく書かれてある。

【倭人は 帯方の 東南大海の中にあり
山島の依りて 国をなす

都より倭に至るには 海岸に循って水行し
韓国を経て あるいは南し あるいは東し
その北岸 狗耶国より至る 7千余里
始めて 一海を渡ること千余里 対馬に至る】

卑弥呼の時代は 1~3世紀。
空海の 遣唐使から考えてでも
(空海のときは 4隻 出港し
2隻 沈没 1隻 難破)
万里の波濤を こえて
行くも難し 帰るのも難しだっただろう。

それでも 互いの友好と 信頼関係の為に
往き来が 続いたということは絶後に値する。

空海も 若き日に 陳情書を書いている。
これを 書くのは ブログでは 2度目だ。

【空海 少年の日 好んで山水を渉覧す
吉野より 南に行くこと 1日
更に 西に向かって 去ること両日ほどにして
平原の幽地あり なずけて高野という】

西安の 青龍寺にて 恵果阿闍梨より
【真言密教】を 伝授され
日本に 広めるがための根本道場として

若き頃、野山を修行のときに見つけた
高野山の霊地を 分けていただきたいと、
嵯峨天皇に お願いをした 文章だ。

ジジも 同じような事が あった。

小豆島の 活性化のため 【島の シンボル】を
つくろうと 土地の1坪を 求めたのが
昭和 55年 だった。

自分の 実力以上の 計画をしたがために
完成は 遅れ
殆どの人たちが『もう 建たない』と
思い始めた 平成 6年に 落慶をした。

この例を 3つ あげたが

その どれもが 『やりましょう ! 』と、
決意を 表明したら 最後までやり抜く
その不撓不屈の 精神が
私たちには 必要なのでは なかろうか。

私たちには よく 棒をおる。
それに 言い訳したり 人のせいにする。

やり抜いた人の所には
人は 信頼して 集まってくる。

途中で挫折した人のところには
人は 失望して 去っていく。

その【金剛】のような 堅固な心を持てと
空海は 言うのだ。
合掌
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