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【慈悲の 霊光を 上手に キャッチ しよう】

お盆が あと1ヶ月たらずと近づいてきて
お坊さんは 東奔西走だ。

知り合いの 僧侶が このように申した。

『わたしは
誰から いくらの お供えがあったかは
決して 見ないように している。

誰から 幾らと 記憶してしまったら
その人にあった時に 顔や態度に出てしまう。

少なかったら 馬鹿にしたり 不満な顔をするし
多かったら 諂って バッタのように
頭を 下げあるくかも しれない。

【こだわり】という 煩悩 なんだね』


「僕は 知るべきだと おもうけれど。

その人と お出会いしたときに
それなりに お礼を 言ったり
対応を しなければ ならないから」

『それは 大まちがいだ。
僧侶の することでは ない』




140718-1image.jpeg
140718-2写真











【たとえば 日光の雲霧に覆われるけど
雲霧の下、あきらかにして闇なきがごとし】
正信念仏偈

仏の 光明は 太陽が 雲や霧に 隠されても
下界の 隅々まで 遍く光明が届き
無明に閉ざされることがないのと
同じことである。

仏の 慈悲の霊光は 寸分のまも 惜んで
私たち 1人 1人を 平等に照らし
なに1つ 不自由なく しあわせに暮らしているが

私たちの 心に巣うくる【欲望】【怒り】【憎しみ】
の雲霧は 常に真の信心の上に 覆いかぶさる。


菩提心を 起こし 生まれてこのかた
味わったことのない 生きる喜びを
感じながら 生活しているのに

未だに ムラムラと 欲望がわきあがり

[求めて 得られない 腹立ち] や
[思い通りにならない 怒り] が
悪雲霧となって 心を 覆うことが ある。


上記したように 慈悲の霊光は
東京タワーの ように高い所から
常に 救いの電波を 発信している。

テレビの 受信のように
私たちが 仏様の 発信している電波を
キャッチできるか できないかで

しあわせ度が 変わってくる。

テレビでも 私たちの 希望のチャンネルと
テレビ局の 電波とが 一致して1つにならなければ
高画質の 映像は 望めない。

それと一緒で 私たちが 必死に 真剣にすがる
その姿をみて 仏は 手を差し伸べるのだ。

こだわりの 心
かたよりの 心
とれわれの 心

こんな 心が 湧いてきたら
真剣に 仏さまに おすがりしてみよう。

合掌



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