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【本当の 自分を覆いかぶせてしまうには 疑いの心意外に ない】

確かに 泣いていた。

朝 早く 【小豆島大観音】に あがったときだ。
わたしと そう年齢は かわるまい。

『いいですよ。
泣けば いいですよ。
大きな お母さんに 抱かれて…』

わたしの 言葉が 堰を切ったように
彼は 大粒の涙を 流した。

社員旅行で 露天風呂に入り
今日、1日の しあわせを かみしめながら
ふと 見上げると
目の前に 大きなお観音さんが 立っていた。

『……おかあちゃん 』

彼は 久しぶりに 母親をみた。
居ても立っても居られなくなって
朝がくるのを 待ちかねて 大観音の方に むかった。


昨夜と おなじように お観音さんは
母親のような やさしい 慈悲の目で 迎えてくれた。

『ああっ やっぱり おかあちゃん ! 』

親1人、子1人でそだった わたしが
中学校を 卒業して 集団就職で 都会にでた。

耐えがたきを たえ 偲びがたきを しのんで
やっと 小さな 町工場を持つことができた。

朝は 朝星、夜は 夜星。
家内と 2人で 死にものぐるいで 働いた。

おかげで 今は 200人も 従業員がいて
社員旅行が できるまでになった。

しかし、必死で働いていたとき
決して 後ろも振り返らなかったし
『おかあちゃん』と 相談できる人は
1人も 居なかった。

ひょっとしたら 今でも そうかも分からない。

本当の 心を
本当の 雄叫びを聞いてもらう人が 居ないのだ。



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写真.JPG







[教行信証]に このように ある

【それ 自障は 愛に しくなし
自蔽(自閉 ) は 疑に しくなし】

自分の生き方を 妨げるのは 愛に他ならない。

本当の自分を 覆いかぶせてしまうには
疑いの心に 他ならない。

自分らしく 精一杯 生きようとするとき
それを 妨げるのは 【貪り】の 心であり

仏や 人を信じない【疑い】の 心である。

人間、なかなか
自分を 曝け出してしまわないものだ。

それが 小豆島大観音の 御前に ぬかづいたとき
なんの 拘りもなく
父の 母の 両手に抱かれたが如く
真心で 話すことができた。

『今度、会社に 帰ったときは
もう 1回りも 2回りも 大きくなってますよ』

彼は 和かに 笑った。
合掌




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自分を曝け出し

自分自身を曝け出すことが出来る場所。それは仏や観音という、よりどころの像なのかもしれない。私は毎朝仏前に手を合わせ、お経を唱えることから一日が始まります。
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Author:子安観音寺
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